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■魔笛

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:R・パーテルノストロ,演出:M・ハンペ,出演:妻屋秀和,鈴木准,佐藤美枝子,増田のり子,萩原潤,鷲尾麻衣 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.1.24-30 ■台詞がはっきり浮き出てきてミュージカルのような舞台だった。 歌唱と科白が溶け合う演出と違って醒めた面白さがある。 歌手たちもよく熟れていてまとまっていた。 全員日本人歌手だったけどドイツ語の歯切れの良さが似合うわね。 特に女性陣の濁りのない歌唱が心地よい。 舞台装置の動きがテキパキしていたのも流れを澱ませなかったの。 モーツァルトが小粒ながら活き活きとして舞台に現れていたわよ。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006149.html

■原節子-永遠に美しく-

■出演:橋本愛,杉葉子,香川京子,周防正行 ■NHK・クローズアップ現代,2016.1.25 ■録画撮りしてあったのを見る。 久しぶりに日本映画のことなどを思い返してしまった。 原節子の希望のみえる演技は永遠に美しいとおもう。 それを具現化した1940年代後半の「わが青春に悔なし」「青い山脈」を一番気に入っていた時期があった。 そして小津安二郎に関心を持つと原節子にも必然と心が向かう。 「晩春」は形ある美しさがある。 そして「麦秋」から「東京物語」では人生を時の流れの中に深化させていく。 小津映画の出会いと共に、この5作品が原節子のイメージを形作ってきたように思える。 * 「新しき土」(1937年) *NHKサイト、 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3758.html

■書く女

■作・演出:永井愛,出演:黒木華,平岳大,劇団:二兎社 ■世田谷パブリックシアタ,2016.1.21-31 ■記録を調べたら二兎社は何回か観ていました。 しかし記憶に残っていない。 でも舞台の半分以上は数年も経てば忘れてしまう。 最高や最悪の出来なら覚えています。 二兎社は普通だったということでしょう。  今回なぜチケットを購入したかというと役者目当てです。 でも役者で購入することは滅多に無い。 チケット購入の8割は演出家で決めます。 その役者とは平岳大と清水葉月。 テレビは見ないし、たまたま二人出演していたからです。 脳味噌にビビッと来る役者は幾人も舞台で出会っています。 先の二人はその中に入っている。 でもこの舞台の二人は上々だったがビビッと迄は来なかった。 たぶん演出家が求めている方向性と違っていたからでしょう。 求められている枠からも逃げられなかった。 ところで樋口一葉役黒木華は安定したリズムで演技してましたね。 全体として女性はともかく男性の描かれ方が硬いように感じました。 また前半は歩き過ぎ走り過ぎではないでしょうか? 「走る女」ですね。 後半は「座る女」に落ち着いてきた。 そして「書く女」というより「書かれる女」に見えました。 チラシだけが「掻く女」でした。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160121kakuonna.html

■夏芝居ホワイト・コメディ

■作:鶴屋南北ほか,演出:鈴木忠志,出演:観世栄夫,渡辺美佐子,白石加代子,吉行和子ほか ■早稲田大学・小野記念講堂,2016.1.25(アートシアター新宿文化,1970年収録) ■鶴屋南北作「杜若艶色紫」を歌舞伎の数場で構成し、人形浄瑠璃「加賀見山旧錦絵」の一部を劇中劇にした舞台の記録映画である。 上映時間約60分。 フィルム状況は補修しているが役者の細かい表情は読み取れない。 着物や反物を内幕にした奥が浅い舞台である。 科白は歌舞伎調で早口のため追うのが大変。 地歌舞伎を観ている感じだ。 観世栄夫と白石加代子の突き抜ける声が素晴らしい。 江戸時代と現代をなんなく飛び越える声である。 また尾上(渡辺美佐子)を草履で打つ岩藤(白石加代子)の喋り方にも圧倒される。 演出家鈴木忠志の特徴ある存在感や様式美は舞台にはっきりと現れていない。 役者の個々力量が目立っている。 当時の映像は初めてだがその時代に立ち会わないと大事なところは見えてこない。 役者も観客も同じ時代を走っているから舞台は面白いのだろう。 アーフタートークを聞く。 出席は渡辺美佐子・白石加代子・大笹吉雄、司会は岡室美奈子。 とても面白かった。 少し記すと・・。 なぜ新劇渡辺美佐子が鈴木忠志の芝居に参加したのか? 詳細は不明だが観世栄夫の仲介だった(大笹)。 なぜ南北なのか? 当時は俳優座や青年座が南北を取り上げこの作品もその流れである。 南北が歌舞伎に広まったのはその後である(大笹)。 なぜ新人会を脱会したのか? 映画作品を舞台化して全国を回る計画に賛成できなかった(渡辺)。 他劇団との関係は? 唐十郎は行き来していたが寺山修司はお互い認め合っていなかった(白石)。 なぜ文学座・俳優座・民藝等の劇団の壁が壊れていったのか? 日生劇場(次に東横劇場)ができたからである。 この劇場は壁を無視した(大笹)。 ・・。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/4235/

■ヴィサラ  ■牧神の午後  ■チャイコフスキ・パ・ド・ドゥ  ■カルメン

■日本橋東宝,2016.1.23-29(イギリス,2016年作品) □ヴィサラ ■振付:L・スカーレット,出演:平野亮一,L・モレーラ ■初めて観る作品です。 曲に合わせているのでリズミカルです。 早いテンポの間にスローを挟んで変化を付けるが音楽を越える面白さは感じられません。 ダンサー平野亮一は何度かみていたが、やっと顔と名前が一致しました。 彼は肉体の存在を消さないで踊っているようにみえます。 一度現実を消すべきです。 ところでヴィサラとは内臓のことらしい・・。 □牧神の午後 ■振付:J・ロビンス,出演:S・ラム,V・ムンタギロフ ■バレエ・スタジオでの生徒の出会いを描いているのですが作品に合っているストーリです。 現代に甦った風景でした。 □チャイコフスキ・パ・ド・ドゥ ■振付:G・バランシン,出演:I・サレンコ,S・マックレ ■これも初めてですね。 当初は白鳥に取り入れる予定だったらしい。 何かが不足していたのでしょう。 □カルメン ■振付:C・アコスタ,出演:M・ヌニェス,C・アコスタ,F・ボネ ■カルロス・アコスタ引退公演です。 盛り上がりましたね。 エスカミーリョとカルメンが躍る場面は素晴らしい。 親密さあります。 振り返って前半のドン・ホセとカルメンが薄くなってしまった。 ドン・ホセは最初から未来が見えていたような冴えない動きです。 あのクワガタウシの分身だったのでは? でも後半は彼もふっ切れた踊りに変えましたね。  幕開きの小道具やダンサーの動きは小野寺修二の作品を思い出してしまった。 歌唱も科白もありゴッタ煮というところです。 でも終幕に行けば行くほど本気になり感動が出て来ましたね。 カーテンコールではカルロスの挨拶もあり最高でした。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウスシネマシーズン2015作品 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/83349/

■ハムレット

■原作:W・シェイクスピア,演出:L・ターナ,出演:B・カンバーバッチ ■日本橋東宝,2016.1.22-27 ■休息を含めての4時間は見応えがあった。 そしてとても分かり易い。 ハムレット役ベネディクト・カンバーバッチがこの作品を若い人に広げたいと言っていた意気込みが感じられる。  名言「生くべきか、死ぬべきか・・」のあとにハムレットの独白が続く。 それは死の恐怖である。 このような場面が数か所あった。 いつもは「簡略ハムレット」を観過ぎているせいか彼の心の中をジックリ堪能したのは久しぶりかもしれない。 また旅芸人も好きな場面だがたっぷりと見せてくれた。 ハムレットが近衛兵の赤い服を着るのも新鮮だが若い人向きの演出だろう。 ただし近衛兵の知識が無いので意味付けがあったのかもしれない。 しかし殺された父は強い。 ハムレットもレアティーズも父の仇が原動力に見えてしまった。 戦国時代だから当たり前かもしれないが、この力が舞台の隅々にまで広がっている。 そして演出家の好み(?)も至る所に感じられた。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2016年作品 *主催者サイト、 https://www.ntlive.jp/

■ルル

■作曲:A・ベルク,指揮:L・ケーニクス,演出:W・ケントリッジ,出演:M・ペーターセン,J・ロイタ,F・グルントヘーバ,S・グラハム ■新宿ピカデリ,2016.1.16-22(MET2015.11.21収録) ■演出家が同じだから「 鼻 」と舞台が似ているのはしょうがない。 でも墨絵が濃すぎて折角の美術が台無しの場面がある。 残念だわ。 十二音技法は取っ付き難いけどいつの間にか物語に入っていける。 シゴルヒ役がインタビュで「最初に台詞を暗記する・・」と言っていたけどとてもスリリングな科白なの。 これが十二音技法に乘ると欲望の渦巻く感情表現が詩的に聞こえる。 でも人間のもがき苦しむ姿はしっかりと届く。 終幕の売春宿ではお釣りのことまで事細かく歌うの。 芝居ではよくあるけどオペラでここまで描くとは大したものね。 マルリース・ペーターセンはこの舞台でルル役を引退するようだけど素晴らしかった。 いつものスーザン・グラハムはベルクとはちょっと合わない感じね。 *METライブビューイング2015作品 *主催者サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_04

■TOUCH OF THE OTHER-他者の手-

■原案:ジョナサン・M・ホール,演出:川口隆夫 ■スパイラルホール,2016.1.15-17 ■チラシをみるとLGBTがらみの舞台らしい。 川口隆夫も久しぶりなので観に行くことにする。 しかし予想外の中身で最初は戸惑う。 社会学者ロード・ハンフリースの研究「公衆トイレにおける男性間の性行為」をもとにしたパフォーマンスであった。 実際のトイレでの観察結果を再現するのだが役者は観客から募った。 希望者が結構いたことは客の感心と質の高さが窺える。 これを3パターン演じたあと今度は映像で再現する。 途中休憩をはさみ後半はパフォーマンス系ダンスで締めくくる。 前半の研究資料の再現は現実味がある。 同性間の愛の特長である「短時間の刹那的な結びつき」を表現するのはそれなりに高度な舞台になるとおもう。 「完璧な距離」も同じだ。 映像はこれに沿った見応えのあるものだったが、舞台は資料の強さが前面に出てしまっていた。 孤独に向き合わないと人と人との結びつきの多様性に気づかない。 愛と孤独は表裏の関係でもある。 孤独の質が変化しているこの時代に異質な者同士の結びつきをも取り込むことは必然の流れだろう。 *作品サイト、 http://www.kawaguchitakao.com/toto/index.html

■黒蜥蜴

■原作:江戸川乱歩,作:三島由紀夫,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2016.1.14-2.10 ■科白がしっかりと耳に入ってきます。 石垣を築くように堆積していくのがわかる。 形ある科白とでも言うのでしょうか。 役者が噛みしめて棒読みするような喋り方にも関係があるのかもしれない。 でも休憩時間トイレへ行きながら心配してしまった。 前半は物語が煮詰まってこなかったからです。 怪盗と探偵の化かし合いも古過ぎます。 しかし後半はこのギコチナサのリズムが映えてきた。 江戸川乱歩と三島由紀夫の面白さが舞台に浮上してきたからです。 乱歩のグロテスクと三島の様式美が科白の上で融合反応し出した。 黒蜥蜴と明智小五郎、早苗と雨宮の愛の行く末に緊張しました。 ほんものの宝石は眠るのです。 取り巻きの美術や照明などが少し淡泊に感じましたが。 ともかく静岡はタダでは帰してくれない。 遠出のし甲斐があります。 舞台は前方に楽団席があり両端に急階段がある工事現場のような構成になっています。 実は宝石の受渡場面で直感したのですが、これは近くから見上げた時の東京タワーの姿では? 急階段がタワーの足に当たるのです。 そして本日が一般客の初日だった。 チラシをみたらなんと中高生招待公演ばかりです。 音楽そして映画から入り芝居はその後になって見始めるのが順序なのに、中高生時代からこんなにも芝居に接しる機会があるとは幸せです。   *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/70606

■重力の光

■作・演出:益山貴司,出演:劇団子供鉅人 ■下北沢・駅前劇場,2016.1.13-19 ■舞台周囲に幕を使っているからテント小屋にみえるの。 美術や衣装も手作りのネットリ派手、役者たちも嗤いゲバで芝居原初のエネルギーに満ちている。 天使ヒカリの出生から始まり地域の交流を描き最後に光速ロケットで飛び立つというハチャメチャなストーリーのようね。 暴力団や警察、宗教団などが登場するけど重力に逆らえない日常のドロッとした言葉や感情も忘れていない。 またセクシャリティも乱雑だけど多様性として物語にしっかり組み込まれていて楽しいわ。 途中「富士山アネット」*1の役者へのインタビューもありストーリーに半分だけ入っているような境界場面が新鮮だった。 大阪で生まれ育った劇団で近年東京に拠点を移したらしい。 それにしても大阪育ちに出会うと元気がもらえるわね。 *1、 「SWAN」(長谷川寧振付,2010年)        *劇団サイト、 http://www.kodomokyojin.com/works/2015juryoku.html

■白鳥の湖

■監督:熊川哲也,出演:中村祥子,遅沢佑介,K・バレエカンパニー ■恵比寿シネマガーデン,2016.1.9-22(2015年作品) ■一幕のアールヌーヴォー風王宮がとても素敵ね。 これに襞の多い装飾衣装を重ねて舞台を統一している。 怪しい柘榴色に変わる三幕背景も素晴らしい。 王子とオデット(オディールも)と悪魔の三者は驚くほどに距離的接近をするの。 だからバレエよりもダンス的感情が現れる。 白鳥たちもロマンティックチュチュでシットリ感が重さを呼びダンスに近づいていくようね。 もちオデット/オディールはクラシックだけど。 中村祥子はオデットよりオディールが似合う。 オディールとしての喜びの表情はイキイキしていた。 オデットでは悲しみ苦しみの感情を表していたけど大袈裟にならない方がいいと思う。 でもこの作品はいかに新しい感情表現を提出できるかを重視しているようね。 好みが分かれるところだわ。 *主催者、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1501

■アマルガム手帖+

■作・演出:佐々木透,劇団:リクウズルーム ■こばまアゴラ劇場,2016.1.8-13 ■配られた粗筋を読まないで観たが久しぶりに脳味噌が喜びました。 いま帰宅し場面を思い出しながらこの文章を書いています。 数式がやたら出てくる。 変数に感情表現や行動を入れ演算子で連結しているが、なるほど面白い表現です。 現実的主人公Yの生まれ変わりY´は変数を日本語、演算子を英語で喋るので不思議でリズミカルな科白に聞こえる。 イメージが追えない為その数式が背景にも映しだされる。 円や球に超越的な親しみを持っているようです。 しかし数学と言語の関係を厳密に論じているわけはない。 作者はこの方向を目指していくのでしょか? また演じている周辺でのダンスも舞台に溶け込んでいます。 照明、音楽も考えられている。 しかも先生が生徒に話す人生観や終幕Y´とXの恋愛場面はなかなかの見応えです。 演劇とパフォーマンスが見事に融合していました。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/70937

■ニューイヤー・バレエ2016

■監督:大原永子,指揮:P・マーフィ,出演:新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.1.9-10 ■セレナーデ、パ・ド・ドゥ集(フォリア、パリの炎、海賊、タランテラ)、ライモンダ(第3幕)の6作品を上演。 セレナーデを除いて作品の一部だけの舞台の為か緊張感が無い。 でもこれで観客はくつろげるの。 新年顔見世用ね。 気に入ったのは「セレナーデ」。 でもバランシンの陶酔感は薄い。 物語も匂っているし。 渡米初の1934年作品だから当時の彼は忙しかったのかもしれない。 しかも余韻を楽しみたいのに観客の拍手が早過ぎる! 他には「ライモンダ」の背景幕と色とりどりの衣装はとても素敵だった。 ダンサーでは「フォリア」男性陣の動きは素晴らしい。 振付貝川鐵夫の力かもしれない。 あと「ライモンダ」の井澤駿も抜群の存在感ね。 バランシンで始まりプティバで終わる開けて嬉しいお年玉だったわ。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150109_006129.html

■城塞

■作:安部公房,演出:眞鍋卓嗣,劇団:俳優座 ■シアタートラム,2016.1.6-17 ■混乱する朝鮮で帰国の飛行機を待っている場面が過去の再現だと分かった時は緊張しました。 粗筋も読まないで行ったので劇的に受け取れました。 そして科白の掛けあいが続いていく。 小説を観ているようです。 古臭さの漂っているのが奇妙に感じます。 舞台設定が1962年の為でしょう。 息子和彦は父の拒絶症に20年近く付き合っています。 父は朝鮮から脱出する直前で異常をきたしそこで彼の時間は止まってしまったらしい。 後半、和彦の妻の圧力で父を入院させることになり最後の儀式を行う。 儀式とは終戦も近い朝鮮からの脱出場面を再現すること、つまり幕開きの<劇中劇>のことです。 この終幕の劇中劇で息子は父の時間を現在に戻すことを試みる・・。 父は今で言う新自由主義者のような考え方を持っている。 しかも息子からみると父は国家と同類のようでもある。 なぜ和彦が父の時間を現在に戻そうとしたのか? これが観ていてもよくわからなかった。 最後の儀式に和彦と踊り子は軽蔑のある目と嘲笑でその父を見ていたからです。 疑問を持ったのでプログラムを帰りに購入しました。 演出家眞鍋の文章を読んで踊り子の位置づけや先の答えである息子の行動は納得できた。 東京裁判を論じている頁もある。 早速「城塞」を読んだが裁判場面は前付のため舞台では無かったのでしょう。 「・・ナンセンス・コメディはいつの間にか深刻きわまる重量級ドラマに・・」。 安部公房は多くの仕掛けをこの作品に詰め込んでしまったようです。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160106haiyuuza.html