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■フランケンシュタインと自動人形

■出演:ダンスユニットPOP HEADS(上林和雄,ABE"M"RIA,FUJICO SURVIVOR) ■テルプシコール,2014.7.27 ■黒衣装FUJICOの激しい踊り、上林は豆電球で眩い衣装で登場、そして白赤のアベエムアリアと続いていくの・・。 女の憑依を計算し尽くしたようなアベの動きに痺れちゃったわ。 激しい動きの中に形はあるけれど不要なものを寄せ付けない。 <意味>も寄せ付けていないの。 観ていても頭の中を空っぽにできるのが最高! 上林は手の動きがとてもいいわ。 でも足の動きが少し単純ね。 ボディ・ビル筋肉でうつ向き姿が格闘士みたい。 硬さと柔らかさが混ざり合っていて面白い動きね。 FUJICOはアベを追っているようだけどまだ形が定まっていない。 だから無意味が一杯付着しているの。 <意味>も<無意味>も寄せ付けないようにするのは、もう少し先のようね。 期待してるわよ。 *劇場サイト、 http://www.studioterpsichore.com/event/event1406_03.html

■五反田の夜

■作・演出:前田司郎,劇団:五反田団 ■アトリエヘリコプタ,2014.7.22-27 ■震災を受けてのボランティア団体「絆の会」のはなしです。 ガチガチの組織だと陰湿さが隠れてしまうのですが、このような中途半端な組織だとイヤラシさが特に浮き出てきますね。 誰が主導権を握るかが中心になるのでしょう。 これが地域政治にまで広がっていくのが舞台から感じ取れるのも楽しいですね。  並行して後藤の弟と不動産事務員の女性とのデート話が進みます。 ある意味純真な行動にもみえます。 「絆の会」と表裏をなしています。 舞台に深みを与えています。 この二つを合わせて人の絆がなんとか回っているのでしょう。 この劇団は日本語のズレを強調するのが得意なはずですが今回はそれがありません。 人間関係もリアルさが漂っています。 「いつもは芸術っぽいのをやっていますが、芸術っぽくありません」とチラシにありましたが、このズレの無いことを言っているのでしょうか? *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/56479

■ジャンヌ・ダルク-ジャンヌと炎-

■作:M・ヴィスニユック,演出:浅野佳成,出演:東京演劇集団風 ■レパートリーシアターKAZE,2014.7.21-23 ■丁寧に作られていて密度の濃い舞台だった。 衣装は安っぽいけど凝っている。 人形や影絵も登場して豊かな面白さがある。 中・高校生が対象だけあって親切な内容ね。 でも観客の年齢層がとても高くみえる。 肝心の中・高校生がいなかった。 旅芸人一行が昔のジャンヌ・ダルクを語り始めるからドキドキしちゃった。 一種の劇中劇ね。 こういうのに弱いのよ。 解説者も時々登場するの。 しかも人形も登場するから階層としては劇中劇中劇ね。 これも好きなの。 特に王太子が自身の人形を持って道化と遣り合う場面は楽しい。 複雑な構造だけど若い人に分かり易くする手段にもみえる。 ジャンヌの台詞が棒読みに聞こえたけど対象観客に合わせているのね。 大きな人形も同じかしら? 名前の通りレパートリー作品だけあってまとまっていた。 この作品はジャンヌが神と直接対話する純心な生き方が奇跡の物語と言われる所以だとおもう。 でも日本とフランスの中・高校生の受け止め方は違うはず。 キリスト教から遠い日本では信仰心より信念である「声を上げることの重要性」を強調することになったのね。 *劇団サイト、 http://www.kaze-net.org/repertory_t/rep_jehanne

■トリニティ・アイリッシュ・ダンス

■芸術監督:M・ハワード,出演:トリニティ・アイリッシュ・ダンス・カンパニ ■オーチャードホール,2014.7.18-20 ■来日10周年記念ツアーでやっと観ることができた。 アイリッシュ・ダンスは初めてだが多くの種類や振付があるようだ。 ダンサーは女性17名、男性2名。  この数ならツアーもこなせる。  20歳前後だがとても上手い。 足を前にスッと伸ばす振付は変わっている。 武道の形にもみえる。 タップダンスも想像できる。 手の動きは複雑さが無い。 これで精神的な奥行きが限られているようにもみえる。 内へより外へ、共鳴より共振というダンスだ。 メンバーの多くはアイルランド系アメリカ人らしい。 劇場へ行く途中に寄り道して「 岡村昭彦写真展 」を観てきたが、彼もJ・F・ケネディのルーツを追ってアイルランドに長く住んでいた。 今日はアイリッシュ尽くしでとても楽しかった。 *映像、 https://www.youtube.com/watch?v=6XOYsRCM3sA

■天才バカボンのパパなのだ  ■ハイキング

■作:別役実,演出・出演:中野茂樹+フランケンズ2014 ■シアター711,2014.7.8-15 ■別役実の舞台が面白かったことは滅多に有りません。 しかし今回は違いました。 特に「ハイキング」は素晴らしい。  傷痍軍人の聾唖?はとてもリアルだし、軍歌も1フレーズしか歌わない。 しかも軍人は父でその遺伝子を引継いでいるとは! 「天才バカボン・・」は支離滅裂でシラケる場面が多過ぎました。 でも二作品をまとめて観れば深みもでます。 この舞台は役者の身体はもとより小道具や照明などが丁寧に計算され作られています。 言葉だけの不条理から抜け出ている。 戯曲の奴隷にならなかったのが面白い理由でしょう。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/56000

■カウラの班長会議

■作・演出:坂手洋二,劇団:燐光群 ■スズナリ,2014.7.10-20 ■オーストラリアの学生達が映画製作をしている劇中劇のようだ。 カウラ捕虜収容所も初めて聞く。 日本人捕虜の脱走事件を扱っている。 脱走を実行するか否かは班の投票で決める。 最後に実行されるがその理由が、 「大日本帝国に捕虜は一人もいない」「故郷には既に自分の墓が作られている」「捕虜と知られたら家族は村八分にされる」「妹や娘の結婚にも支障がでる」「少しでも味方の援軍となれるなら」「武士道伝々・・」「天皇伝々・・」。 フィルムを脱走前に巻戻し、兵隊たちの心の内なる声を出すように促す。 結局は同じだ。 過去は変えられない。 「未来に託すしか無い」と学生たちは言う。 しかし頼りない終幕だ。 韓国フェリー沈没事故の話だが、いつものトラック運転手たちは救命具を背負って非常口に待機していたと聞く。 表向きは従うが、船内放送もフェリー会社も日頃から信用していなかったからである。 彼らはいち早く逃げて助かっている。 「国家」もフェリー会社と同じだ。 日常生活でこれは変だと感じた時はその因果を問い続けていくしか無い。 この積み重ねが雁字搦めの状況から逃げ出すことができる。 国家は問い続けるものであり信じる対象ではない。 *劇団サイト、 http://rinkogun.com/2011-/entori/2014/7/10_cowra_no_honcho_kaigi_side_A.html

■すべてを溶融するという森の中で

■振付・演出:大森政秀,出演:天狼星堂 ■テルプシコール,2014.7.12-13 ■ダンサーたちの持ち味を活かしていて組織的にもまとまっている。 大森は控えめで新味はなかったけど楽しかったわ。 ナナはアクセントを、たくやは存在感をもっと強調したほうが良いかもね。 それとベンチャーズは単純過ぎるの。 S&Gは大森のダンスにいつも寄り添っているようね。 似合っているわ。 電車の高架音もニューヨークの中心街から外れたところの感じがする。 タイトルには森がついてるけど舞台は都会へ。 ダンサーたちと違うことを想像しているようで可笑しいわね。 でも好きな光景を想像できることは良い舞台の証拠よ。 *劇場サイト、 http://www.studioterpsichore.com/event/event1406_02.html

■永遠の一瞬

■ 作:ドナルド・マーグリーズ,演出:宮田慶子,出演:中越典子,瀬川亮,森田彩華,大河内浩 ■ 新国立劇場・PIT,2014.7.8-27 ■ 終幕にジェイムズが新しい恋人と結婚することをサラに告げます。 そして彼女は戦場取材に再び出かける場面で幕が降ります。 この場面をみて何を言いたいのか少しわかりましたが、煮え切らない芝居でした。 原因は・・ ① 負傷姿のためサラの心情がよく見えません。  ジェイムズも精神疾患を持っているようです。  薬物・酒・怪我などは物語を浅くします。 これでサラとジェイムズの暗さとリチャードとマンディの明るさだけが残りました。 ② 映画が忘れた頃に話題になります。 「ボディ・スナチャ」「未来世紀ブラジル」「シド&ナンシ」「酒とバラの日々」。 脇道へ逸れてリズムが狂います。 ホラー映画も悩みます。 映画を知らない人は苛立つでしょう。 ③ 現実への対応が鈍感すぎます。 リチャードがジェイムズの戦争記事を放ったらかしにしたこと、ジェイムズが写真記事の納期を気にしないことなど、「仕事=納期」を叩きこまれている人から見れば有り得ない。 余談ですが。 ④ 真実という正義を振りかざしているだけのサラやジェイムズの被写体への無関心があります。 サラはこの件で一度は反省しますが、心がこもっていないことは後の行動にも表れています。 ジェイムズも同じです。 ・・紛争地域へのサラとジェイムズの対応はまさに米国そのものです。 チラシに「幸せとは何かを問う」とあります。 ジェイムズの科白「幸せな家庭を築こう」と「戦争は終わらない」はどちらも「宙づりの一瞬」です。 問の答えはリチャードとマンディのおのろけ夫婦で十分でしょう。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_001635.html

■イメージメーカーズ

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/07/blog-post_18.html

■眞亞螺空山・双旅~往路ノ巻

■ 出演:北辰舞踏 ■ テルプシコール、2014.7.5-6 ■ http://www.studioterpsichore.com/event/event1406_01.html ■ 音楽はタイトルでもあるマーラーの交響曲第5番。 ダンサーは男女で6人。 空海密教の土・水・火・風・空を当てはめ楽曲構成に沿って舞台が展開していくの。 2部は交響曲第10番。 識で大竹宥熈のソロ、そしてフィナーレは伊福部昭の日本組曲。 大竹は存在感が有り、ポーズをとる振付も多くてギリシャ彫刻が歩いている感じだわ。 6人の中では彼が断トツなの。 他5人との技巧差が出てしまい不協和音が舞台に現れているようね。 これが即興のようにも見え逆に面白さがある。 そして第5番が舞台をしっかりまとめているの。 大竹を取巻く様子がイエスと使徒の関係にもみえてくるのも面白い。 このように観客によって感じ方が大きく揺れる舞台のようね。 いくらでも解釈できるの。 大竹と他ダンサーとの差異が原因よ。

■おとこたち

■ 作・演出:岩井秀人,出演:ハイバイ ■ 東京芸術劇場・シアターイースト,2014.7.3-13 ■ オトコの青年から老年期までを描いています。 途中子供の誕生と成長があるので男の一生ですね。 青年時代の結婚の頃まではとてもいい。 切れの良い生々しさと抜け目のない鋭さがあります。 しかし後半に行くほどこの鋭さがなくなっていきます。 それは離婚や子供の反抗がある中年以降あたりからです。 面白いのですが生き生きしていません。 笑いも一般的です。 癌や認知症も現実的ですが解説に陥っています。 長い人生を描くために先を急いでしまったのが原因でしょう。 舞台手前に応接ソファがあります。 一部の役者たちが退場しないで座っています。 次の場面ではソファから立ち上がって科白を喋り始めるのですが、この切替場面が素晴らしい。 役者の動きや照明は最後までよかったですね。 *劇場、 http://www.geigeki.jp/performance/theater056/

■臘月記

■ 作:岸田理生,演出:石井飛鳥,出演:虚飾集団廻天百眼 ■ こまばアゴラ劇場,2014.6.29-7.3 ■ 「血糊が飛ぶけど大丈夫か?」と何回も念を押され心配になってきました。 席は後方を取りましたがそれでも血が飛び散りベトベトになるのでは? 希望者にはバリアー用ビニールも配っています。 開幕迄は舞台でのグッズ販売も有り繁華街の様相です。古い作品だからでしょうか? 寺山修司を思い出させる舞台です。 でも科白が随分と詩的です。 このためストーリーがよくわかりません。 母と子を含め血の繋がりの話のようです。 後半の血が飛ぶのはなんと226事件の場面でした。 銃で打たれた兵士の血が噴き出るのです。 一番前の観客は血を浴びても喜んでいる様子でした。 セーラ服姿が多いので高校生の熱狂的ファンなのでしょう。 激しい光景を詩的科白が宥めるように芝居は進んでいきます。 この絡み合いが舞台の面白さかもしれません。 寺山修司の骨を切らずに肉だけを断ったような内容でした。 縁日などで出店する芝居小屋の雰囲気もあり久しぶりのレトロ感に浸れました。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/1090