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■2015年舞台ベスト10

□ 身毒丸、説教節の主題における見世物オペラ   演出:J.A.ジーザー,劇団:演劇実験室◎万有引力 □ さまよえるオランダ人   演出:M.F.シュテークマン,指揮:飯守泰次郎 □ グスコーブドリの伝記   演出:宮城聰,劇団:SPAC □ 觀-すべてのものに捧げるおどり-   演出:林麗珍リン.リーチェン,劇団:無垢舞蹈劇場 □ アドルフに告ぐ-日本篇、ドイツ篇-   演出:倉田淳,出演:劇団スタジオライフ □ GERMINAL   演出:H・ゴエルジェ,A・ドゥフォール □ 少女仮面   演出:金守珍,劇団:新宿梁山泊 □ BELLE   演出:デボラ.コルカー,劇団:デボラ.コルカー.カンパニー □ 幻祭前夜-マハーバーラタより-   演出:小池博史,出演:小池博史ブリッジプロジェクト □ からたち日記由来   演出:鈴木忠志,劇団:SCOT *並びは上演日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映像と美術は除く。 * 「2014年舞台ベスト10」

■からたち日記由来

■作:鹿沢信夫,演出:鈴木忠志,出演:内藤千恵子,平垣温人,塩原充知,劇団:SCOT ■吉祥寺シアタ,2015.12.19-26 ■チンドン屋家族の母・息子・伯父の三人が講談「からたち日記」の由来を語り歌う舞台である。 ここに伯爵令嬢芳川鎌子と専属運転手の心中事件が入っている。 鎌子と夫の関係は最初から冷えていたようだ。 母は鎌子と運転手、息子が運転手の一人二役・二人一役の面白い構成を取っている。 また息子は首相田中義一になり野党議員の伯父とソビエト情勢で論争したりもする。 三人はチンドン太鼓、クラリネット、ハーモニカで演奏も担当している。 そして舞台は「からたち日記」の旋律を背に鎌子の満たされない人生が語られていく。 「一度でいいから愛し愛されたい・・」。 ・・。 動きは少ないが熱い振動が伝わってくる。 役者の存在感、言葉の力が詰まっている喋り方、哀愁漂う歌謡曲、その全てが先の台詞に収斂していく。 それは人生を一言で表す科白だから。 終幕で島倉千代子の歌を聴いたときは情念の舞台が昇華していくようだった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/69635

■東京裁判

■作・演出:野木萌葱,劇団:パラドックス定数 ■pit北/区域,2015.12.22-31 ■極東国際軍事裁判被告側弁護団5人が背広姿で登場するところから始まります。 舞台は法廷での遣り取りに終始する。 裁判官忌避・起訴状誤訳・管轄権・共同謀議などが取り上げられ、最後に補足動議として原爆投下を論じ幕になります。 迫力満点ですね。 法廷にいる錯覚に陥ります。 戦争裁判の不備が戦争そのものの異常さに繋がっていきます。 弁護側が<戦争>そっちのけで<平和>と<人道>を熱弁すればするほど指導者と戦争、国家の関係が浮き出てしまうから面白い。  この劇場は今年で閉館になるらしい。 地下1階傍聴席から地下2階の舞台つまり法廷を見下ろす変わった劇場です。 初演がこの劇場だったということを聞いてナルホド納得しました。 *劇団サイト、 https://pdx-c.com/past_play/imtfe-2015-2/

■初期シェーカー聖歌、レコードアルバムの上演

■演出:K・ヴァルク,出演:S・ヘッドストロム,E・ルコンプト,F・マクドーマンド,B・ミラ,S・ローチ,劇団:ウースター.グループ ■スパイラルホール,2015.12.22-23 ■ウースター・グループの名前を見つけたのでチケットを購入した。 レコードアルバム「初期シェーカー聖歌」のA面20曲を歌い踊る舞台である。 女性歌手5人はシェーカーの信仰や実践に共鳴している役者たち、他にダンサー5人が登場する。 作曲は1850年中頃に集中している。 アメリカン・フォークソングの原型に位置するようだ。 枯草の匂いというか乾いた空気が感じられ心地よい。 歌詞は聖歌だけあって宗教用語が入っているが気にならない。 労働や人間関係など日常生活と結び付けているからである。 「低く低くこのすてきな路を」では人生は掃くように進めと歌う。 「シンプル・ギフト」は本当の単純さを求めよ、在るところに在れ、来るところに来いと哲学と人生の一致を求めているように聞こえた。 讃美歌は「私が見ていると見よ子羊が」の一曲だけである。 最後に客をもてなし別れる時に歌う曲で締めくくった。 素晴らしいクリスマスプレゼントであった。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/69274

■くるみ割り人形

■音楽:P・チャイコフスキ,台本:M・プティバ,振付:L・イワーノフ,演出:牧阿佐美,出演:米沢唯,V・ムンタギロフ,奥田花純,M・トレウバエフ,小野絢子 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.12.19-27 ■物語性が弱い為か最初は集中できなかったの。 日本のバレエ団は物語に弱いのよ。 でも一幕終わりの雪の国で俄然調子がでてきたわ。 雪の精は素敵だった。 これで集中モードに切り替えられ二幕も維持できた。 音楽も三大バレエの中では一番だし楽しかったわ。 そして舞台背景がビルとは初台らしい。 ペンキ画みたいだったけど費用を掛けることはない。 この作品を観ると1年の終わりが近づいたことを感じるわね。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/nutcracker/

■エレクトラ

■演出:鈴木忠志,演奏:高田みどり,出演:SCOT ■吉祥寺シアタ,2015.12.19-26 ■東京でSCOTを観ることができて嬉しい。 車椅子はもはや身体の延長になっている。 「世界は病院」が日常化したような車の滑らかさだ。 しかし緊張感のある舞台だ。 エレクトラの鋭い眼差しと科白の少なさの為である。 台詞はコロスが受け持っているから尚更である。 打楽器演奏がそれを一層盛り上げる。 母クリテムネストラも妹クリソテミスも人間味ある科白で生きている実感が見えた。 だがエレクトラは鈴木様式が研ぎ澄まされ過ぎて逆に存在感が薄くなってしまった。 感動も固まってしまったような観後感だ。 アーフタトークで鈴木忠志は・・。 「劇的なるものをめぐって」の再演はしないのか?との観客質問で、「世界の状況が変わったからしない。 ギリシヤ神話の一部作品は現代社会の問題を突いているので上演する・・」。 他に「若い演出家は他人の作品をあまり上演しないようだ。 面白い現象である・・」。 「芝居を選んだ理由は身体・音楽などあらゆるジャンルを取り込み社会問題と対峙できるからである・・」。 こんな質疑応答だったとおもう。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/69635

■幻祭前夜-マハーバーラタより-

■演出:小池博史,出演:清水寛二,白井さち子,小谷野哲郎ほか ■吉祥寺シアタ,2015.12.8-16 ■幕開きの鹿の仮面を付けた踊りで一気に舞台に入っていけたわ。 役者たちのしなやかな動きがそのまま物語に繋がっている。 仮面や小道具も高価には見えないけれど大切な重みを持っている。 照明が電球になったとき寺院のなかで演じられているような錯覚に陥ったの。 東南アジアを旅した時と同じ驚きがある。 先日観たキリスト教からギリシアの神々をみたようなP・ブルックとは違うの。 ヨーロッパ思想を通さないアジアが舞台に現れていたようにおもう。 それは神々と人間の関係が身体を通して結びあっている感覚とでもいうのかしら? 演出や振付の力もある。 そして矢が落ちてきて終幕になったのは大戦前夜だから? 戦争を挟んで鮮やかな対照を持つ静寂と鎮魂に包まれたブルックの舞台とこの作品がそのまま繋がるわね。 *主催者、 マハーバーラタシリーズ(kikh.org)

■ベベール年代記-セリーヌの世紀、第一部-

■演出:清水信臣,出演:劇団解体社 ■左内坂スタジオ,2015.12.10-15 ■1944年、ルイ=フェルディナン・セリーヌがフランスを追われドイツを横断しデンマークへ亡命する過程を描いているの。 この時期を描く作品としては逆の経路を辿るのがとても珍しい。 彼は反資本主義・反ユダヤ主義・反共産主義者と言われているからよ。 でも興味深いことは確かね。  最初にパリからデンマーク迄の大凡のことが文章とスケッチで映像として流される。 行程では猫を連れているらしい。 よく公共交通が動いていたものだと感心してしまうわね。 チラシ等には彼の証言にスポットを当てると書いているけど舞台ではフランス語の科白もあり特有の難しさがある。 ドイツの日本大使館での歓迎パーティや土井晩翠の激励メーセージなども読みあげられる。 一部の役者は科白が呟きのように聞こえる。 亡命する者もさせる者もこの時代の中でのつぶやきを身体表現すると痙攣になるのかもしれない。 音楽や照明も含めてまとまっている舞台だった。 でもセリーヌの声も姿もどこにいるのかハッキリと見えてこない。 彼の著書や録音に目を通しておかないと近づき難いことは確かね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/69838

■バグダッド動物園のベンガルタイガー

■作:ラジヴ・ジョセフ,演出:中津留章仁,出演:杉本哲太,風間俊介,安井順平,谷田歩 ■新国立劇場・小劇場,2015.12.8-27 ■虎の幽霊は初めて? 米軍兵ケヴは仮病なのでは? 物語に入れない状態が続きます。 しかしサダム・フセインの子ウーダイの登場でやっと納得できた。 何故って? 皆が幽霊という状況に慣れてきたのでしょう。 虎が主人公かと見ていたらそうではない。 この虎は神だとか実存だとか言っているが存在感が徐々に薄くなっていくからです。 ケヴも早々幽霊になり虎の仲間入りです。 逆に濃くなっていくのがイラク人通訳ムーサ。 でも彼の悩みがよく分からない。 妹のことでもない。 米軍兵トムを撃った理由を太陽が沈んだからだと言う。 太陽が眩しかった「異邦人」が姿を変えて登場したようにもみえます。 ところでトムもケヴも手を失う。 ハンセン病のイラク人も手が無い。 紛争地帯では身体の一部が欠けても物語を覆すことはない。 トムがイラク人女性の手を借りて自慰をする場面も大袈裟です。 それにしても「神」という言葉が耳に付きます。 死んだ後でこの神と何の話をするのか? 閻魔大王ならわかりますが。 ムーサはこの目の前の光景こそ神が作ったのだと直截に言います。 腹を空かした虎が獲物を待つ場面で幕が下りますが、「神」を自然の摂理と同じような意味合いで使っているようにみえます。 やはり虎もヒトも動物ですから。 漫画のような展開ですが脇道に逸れると現実の暴力が転がっている変わった作品でした。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_006140.html

■書を捨てよ町へ出よう

■作:寺山修司,演出:藤田貴大,劇団:マームとジプシー ■東京芸術劇場・シアターイースト,2015.12.5-27 ■舞台は工事現場ね。 パイブや板で足場を築いて演技の途中で移動したり組み替えたり解体していくの。 もちろん役者が上り下りをする場面もある。 面白いのは音楽にドラムの生演奏を使ったことかな。 耳障りにならない素晴らしい演奏だった。 物語にリズムを与えていたわ。 1971年の作品は生活の匂いがあった。 戦後木造の家々が連なる東京の風景。 新宿の猥雑な街角。 書物も全てを捨ててこの生活から飛び出したかった。 そして45年後の舞台は飛び出した後の話なのね。 生活の匂いも、ねっとりした身体も過去に置いてきてしまった。 都電の線路も歩かなくなった。 セックスはもはや器械体操。 それでもあの科白は生きていると思わない? 「そうやって観客席に腰かけて待っていても何も始まらないよ・・」。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater097/

■痕跡あとあと

■作・演出:桑原裕子,劇団:KAKUTA ■シアタートラム,2015.12.5-14 ■空き地が広がっている。 その周りに低い棚を置きそこに色々なモノが詰まっている。 川に浮いているゴミのようなモノを見て夫々の人生が詰まっているとカメラマンは言う。 上演時間の長さを感じさせない舞台だった。 ほぼ謎が見えてからは生みの母親と息子は必ず再会するはず。 それをどう描くのだろうと想像しながら観てしまった。 はたして母は、乗って来たよろける自転車を立て直してくれた人が写真の若者だと気付き振り返ったところで幕が下りた。 抑えていて軽いが渋味のある終幕である。  難しい場面で演出家の苦労した跡もみえるが、息子を育てた父の証言は言い訳が過ぎる。  「生みの親より育ての親」は社会の底を流れている川である。 育ての親の周りには戸籍問題や偽装結婚、生みの親の代表である妊婦姿や出産話が川に浮かんでいるモノのように散らばっていた。 子供もその川を流れて来るのである。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20151205atoato.html *2016.1.4追記:初演が青山円形劇場と聞いて舞台構造に納得(「休むに似たり」ヨリ).

■ファルスタッフ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:Y・アベル,演出:J・ミラ,出演:G・ガグニーゼ,M・カヴァレッティ,吉田浩之,松浦健,糸賀修平 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.12.3-12 ■さっぱりしたファルスタッフだった。 これはヴェルディの考えと一致しているとおもう。 フォードも同じね。 二人は男の裏と表なの。 表裏が上手く重なることで男の人生全体像を描こうとする物語にみえる。 ボケとツッコミという形も考えられる。 でもヴェルディらしさでチューンされていたわよ。 そしてフェントンとナンネッタの恋人同士は声に張りがあったし、夫人三人組と共に良きアンサンブルを編成していた。 ところで「デブ」「ビア樽」「三重顎」・・。 肉体を酷くいう言葉が連なるけどこれは当時の笑いの理屈から来ているの? 美術はフェルメール風が所々に見えるけど並の出来だとおもう。 舞台が広いから大変ね。 三幕大団円もなかなかの味が出ていたわ。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006148.html

■緑子の部屋

■作・演出:西尾佳織,劇団:鳥公園 ■こまばアゴラ劇場,2015.11.27-12.7 ■兄や友人・恋人が集まり亡くなった緑子の話をする舞台です。 取り留めの無い話が続く。 でも指を落としてしまった、屋上から落ちてしまった、生きている熊の胆汁を抜き取るなど話題は非日常的です。 餃子を作ったり食べたりビールを飲んだりする姿も同様です。 友人の言葉には暴力性が感じられます。 緑子が昆虫を飼っていたことを三人は暗に批判する。 緑子からの依存を重荷に感じたことが恋人の別れた理由でしょう。 しかし三人はフレンドリな喋り方をしますね。 よく耳にする状景の為か舞台を観ているようには思えない。 喋り方だけが日常世界にみえる。  幕開きと終幕に1枚の絵を持ちだし描かれている人々の関係を論じます。 絵の世界ではお互い見つめているようでそうではない。 風景もよくみると異様です。 この舞台と同じだと言っている。 終幕、友人の台詞がしどろもどろになり緊張しました。 科白を忘れてしまったのか? 即興かもしれない? そのまま終演になってしまった。 ディテールは面白いのですがそれを繋げることができなかった。 積み上げていくだけの化けることの無い舞台でした。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/2195

■タンホイザー

■作曲:R・ワーグナー,指揮:J・レヴァイン,演出:O・シェンク,出演:J・ボータ,P・マッティ,E=M・ヴェストブルック,M・D・ヤング ■新宿ピカデリ,2015.11.28-12.4(MET2015.10.31収録) ■粗筋は読んでいったけど流石に舞台は違う。 終幕残り3分の逆転ホームランもあって4時間半はアッという間ね。 時空は激しく飛ぶけど滞在時間が長い。 そこで愛の本質が語られるがその周辺には宗教が纏わりつくの。 懺悔や贖罪、聖母マリアの言葉を深く理解できなくてもワーグナーの劇的舞台が迫ってくる。 言う事無し。 舞台は異界ヴェーヌスベルクから巡礼街道へ、次に歌殿堂から再び巡礼街道へ。 タンホイザの迷いで異界が迫って来るがエリザベトの死によって彼も巡礼街道に留まり息を引き取り幕が下がる・・。 坂の途中にあるこの街道が物語的にとても良く出来ている構図なの。 そしてP・ブリューゲル「バベルの塔」の土と緑を思い出させる色彩が印象的ね。 寡黙な「 彷徨えるオランダ人 」と違ってタンホイザは饒舌だわ。 対極にいる女神ヴェーヌスもエリザベトに見劣りがしない。 振幅が大きいのはワーグナーの才能かもしれない。 ところでタンホイザの竪琴は見ていられない。 指まで動かすから歌唱の時に気が散ってしまう。 ヴォルフラムのようにサラッと動かして頂戴。 *METライブビューイング2015作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_03

■トスカ

■作曲:G・プッチーニ,指揮:E・G=イェンセン,演出:A・M=ディアツ,出演:M・J・ジーリ,J・D・レオン,R・フロンターリ ■新国立劇場・オペラパレス,2015.11.17-29 ■楽日のためどこか余裕がある。 カヴァラドッシもスカルビアも声に伸びがあった。 スッキリとネットリの違いがあるのもいいわね。 トスカの一幕はモゴモゴしていたけど二幕から調子を上げてきた。 舞台は重厚さがある。 一幕の「テ・デウム」はこの重さで古典的感動が持てたわ。 でもトスカが身を投げる場面は大きな彫像が邪魔だった。  作品の持っているドキドキ感が逃げてしまう。 舞台美術の抽象化が進んだのは2013年からなの? 今回も古い道具を使ったのね。 でも今日は観易い席で集中できたから全てに余裕よ。 楽しかったわ。 カーテンコールでスタッフが写真を持って登場したけどその時は分からなかったの。 帰って調べたら演出家アントネッロ・マダウ=ディアツが8月に亡くなったのね。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006147.html

■ミステリヤ・ブッフ

■作:ウラジミール・マヤコフスキ,演出:三浦基,劇団:地点,音楽:現代空間 ■にしすがも創造舎,2015.11.20-28 ■名前だけは知っている。 これがマヤコフスキ。 いつもロシア・アヴァンギャルドで括られてしまうからよ。 円形客席と舞台で中央に丸い二段の台が置いてあり中心から煙がでている。 天井には10個のミラーボールが回っているの。 ドラムとギター二人の生演奏ね。 役者は道化のような衣装を纏って詩のような台詞を口ずさみながらダンスをしたりピストルを振り回したり観客をアジったりして騒々しい舞台を作りだすの。 科白は断片的で繋げることができない。 音楽も科白を助勢している。 役者の身体と言葉、照明、音楽が混然となり舞台は祝祭空間に満たされていくようだわ。 1918年十月革命直後のメイエルホリド+マレーヴィッチ公演も観てみたい! でも考え込んで動かなくなるような役者の姿をみると地点が持っている冷徹さも表れている。 独特なリズムを持っているの。 チラシに「笑って・・」とあるけど過熱した舞台から醒めたカタルシスが得られたという感じね。 *2015年F/T「融解する境界」参加作品 *主催者サイト、 http://www.festival-tokyo.jp/15/program/chiten/

■颱風奇譚

■作:ソン・ギウン,演出:多田淳之介,出演:チョン・ドンファン,小田豊,パク・サンジョン,永井秀樹,マ・ドゥヨン,チョン・スジ,夏目慎也 ■東京芸術劇場・シアターイースト,2015.11.26-29 ■ソン・ギウン作は何回か観ていますが科白はいつもハッキリと聞こえる。 この聞こえ方はハングル語と日本語の関係より大陸と島国の違いにみえます。 1920年代アジアが舞台ですが「テンペスト」を基にしている。 アントーニオが朝鮮王で日本軍人や日本人の妻が彼を取り囲んでいるということです。 「 カルメギ 」の「かもめ」より嵌まっていますね。 物語の骨格だけを利用しているが違和感がありません。 話は日本の統治問題に進みます。 付き添いの日本海軍軍人が「すべてはアジアの為」からアントーニオを殺そうとする。 前朝鮮王プロスペロとアントーニオの争いも絡めて当時の東アジアを描けるのが日韓共同作品の面白いところです。 「 God Bless Baseball 」もそうですがテーマ「融解する境界」で国家間を議論するのは頼もしい。 *2015年F/T「融解する境界」参加作品 *主催者、 http://www.festival-tokyo.jp/15/program/typhoon/

■バトルフィールド-マハーバーラタより-

■演出:P・ブルック,M=E・エティエンヌ ■新国立劇場・中劇場,2015.11.25-29 ■何もない舞台は暖かい色彩とジャンベの音楽で満たされている。 床は絨毯ではなく一面に黄色の敷物かしら? 衣装は白黒を基本にして赤や黄などの原色で修飾さているの。 核戦争後の世界を描くSF物語に似ている。 戦いが終わり前王を引き継いだ新王が誕生するの。 人々は新王を導くのに蛇や蚯蚓などが登場する物語を繋ぎながら舞台は進む。 易しい言葉が詩的で崇高さを持ってくる。 でも別のことを考えていると分からなくなる舞台だった。 「マハーバーラタ」のような叙事詩は緊張感を持って見ないと入っていけない。 その緊張の先に安らぎが見えるはずだけど今回は見えない。 上演時間が70分のため凝縮され抽象化され過ぎていたのかもね。 *作品サイト、 http://www.parco-play.com/web/play/battlefield/

■スポケーンの左手

■作:M・マクドナ,演出:小川絵梨子,出演:蒼井優,岡本健一,成河,中嶋しゅう ■シアタートラム,2015.11.14-29 ■身体の一部が題名に入ると謎めいてきますね。 しかし片腕の男カーマイケルは序幕に全てを喋ってしまいます。 謎は消えてしまった。 でも30年近く自分の左手を探す理由は定かではない。 よくても白骨化状態でしょう。 母と電話で話す場面も彼の日常を説明するだけで一息つける寄り道にしかみえません。 彼がベッドに座り項垂れて幕が下りるのですが結局は心情を掴み切れなかった。 煙草を取りだす格好いい仕草が左手を意識させます。 客席を挟んだホテルの一室の舞台は計算尽されているように見えます。 そこでの登場人物4人の会話や行動は活き活きしていますね。 ドタバタブラック喜劇としてみれば面白い。 カーマイケルがフロント係マーヴィンに「お前は死を恐れていない」という科白が印象に残ります。 動きの激しい3人に対して無関心を装うマーヴィンの存在感が目立っていました。 *劇場記録、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150728-3426.html

■地上に広がる大空-ウェンディ・シンドローム-

■作・演出:アンジェリカ・リデル ■東京芸術劇場・プレイハウス,2015.11.21-23 ■のっけから自慰場面が出てくる。 これなら後は何が出てきても動じることは無い。 とは言いながら日本語字幕の非表示個所や「怒涛のモノローグ」より「怒涛の演説」が似合う過激な場面が続く。 しかも繋ぎにアニマルズ・バージョン「朝日のあたる家」がガンガン鳴り響く。 途中ワルツを数曲踊る場面があった。 最初の曲は「南京路・・」だったか?  曲も演奏も素晴らしい。 上海人カップルの踊りもよかった。 前後の激しさからスローな世界が開ける鮮やかな転換である。 若さの喪失が作品のテーマらしい。 「ピーターパン」のウェンディと詩人ワーズワース迄は追えたが途中この若さを見失ってしまった。 若さは自由の特殊解かもしれない。 「もっとも憎むべき人は、私を生んだ母」。 共同体から逸脱しその根源さえも破壊する言葉である。 自由の獲得を模索し生まれ変わったウェンディの演説を聞きに行ってきたようだ。 *2015年F/T「融解する境界」参加作品 *F/Tサイト、 https://www.festival-tokyo.jp/15/program/wendys-syndrome/

■God Bless Baseball

■作・演出:岡田利規,出演:イ・ユンジェ,捩子ぴじん,ウィ・ソンヒ,野津あおい ■あうるすぽっと,2015.11.19-29 ■日韓米の役者が野球の話をする舞台です。 但し米国は声だけの登場。 話題は台湾まで広がる。 野球のルールや歴史、球団や選手など具体的で興味が持てます。 韓国と日本の違いをさらりとした対話で競い合っていく。 そこに米国が相槌を打つ。 演出家の「日韓問題を消極的に扱う・・」は見事です。 でも水をまき散らし背景美術を壊す終幕は核の傘を離れ新しい方向に進もうとしているのか?よくわからない。 しかも本当の水を撒くという動作は演技が出来ないため日常に戻ってしまう。 絶好調だった舞台を湿らせてしまった。 韓国役者は手足をフニャフニャさせながら台詞を喋る練習がもう少し必要ですね。 硬さがみえました。 それよりもイチロー選手である捩子ぴじんの動きと科白が効いていました。 チェルフィッチュのリズムとは違います。 お互い共鳴できていたとは言えないが、狙い通りの舞台になって演出家はほくそ笑んでいるはずです。 *2015年F/T「融解する境界」」参加作品 *劇場、 https://www.owlspot.jp/old/performance/151119.html

■オテロ

■作:W・シェイクスピア,作曲:G・ヴェルディ,指揮:Y・ネゼ=セガン,演出:B・シャ,出演:A・アントネンコ,S・ヨンチェーヴァ,Z・ルチッチ,D・ピタス ■東劇,2015.11.14-20(MET2015.10.17収録) ■疑念と嫉妬が渦巻く舞台はみていられない。 それでも二人の死へと続く茨の道を見届けたい。 オテロもデズデーモナも無難な歌唱だけど心理描写が表面的にみえる。 演出は過剰だけど声を含め肉体が精神にまで食い込んでいかないの。 二人は飛躍が必要ね。 悪の化身イアーゴの凄さが飛びぬけていた。 インタビュでもアントネンコはルチッチに従っているだけなの。 イアーゴの調子が良過ぎるのもイアーねぇ。 演出家は監獄だと言っていたけど曇りガラスの壁や建物が町並みのように見える舞台よ。 物語を邪魔しないシンプルな立方体でとてもよかった。 休息中に12台のカメラで撮っている話があったけど、これでは舞台が切れ切れになってしまう。 もっと少ないほうが観易くなるわ。 今回は新演出だったけど旧よりも感情表現が派手になっている*1。 *1、 「オテロ」(MET,2012年) *METライブビューイング2015作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_02

■桜の園

■作:A・チェーホフ,演出:鵜山仁,出演:田中裕子,柄本佑,木村了,宮本裕子,平岩紙 ■新国立劇場・小劇場,2015.11.11-29 ■神西清訳本が手元にあったので読んでから劇場に向かいました。 本との違いは大学生トロフィーモフが結構しっかりしていたこと、家庭教師シャルロッタの道化面が強く出ていたこと、そして商人ロパーヒンの性格が思っていた以上に極端だったことの三点です。 でも戯曲より舞台の方が何倍も面白かった。 ラネーフスカヤと兄ガーエフは退廃しつつあるロシア貴族の雰囲気がもっと欲しいところです。 二人を見る周囲の人々と調和が取れていなかったからです。 終幕、ロパーヒンとヴーリァが結ばれなかったことに胸が締め付けられる。 変化していくロシア時代のうねりと混ざり合って何とも言えない感情が湧き起りました。 チェーホフを題材にした舞台は結構観ているのですが原作に忠実な作品を観るのもたまにはいいですね。 *NNTTドラマ2015シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006139.html

■ゾンビオペラ「死の舞踏」

■作曲:安野太郎,ドラマトゥルク:渡邊未帆,美術:危口統之 ■にしすがも創造舎,2015.11.12-15 ■ゾンビ音楽とはヒトではなくて機械が楽器を使い演奏することらしい。 つまり「ヒト+楽器→演奏」が「機械+楽器→演奏」に変わる。 今回の木管や金管楽器はヒトの呼吸圧量や唇振動で発音するので機械演奏は見たことがない。 しかし登場する楽器は息や唇よりも肺や指を意識している楽音である。 演奏すると言うより音を出すレベルに留まっている。 関係者は苦労しているようだが、異なる音楽や技術を議論する以前の趣味の話で終わってしまっている感じだ。 コンプレッサの替わりに役者の体重で鞴を膨らませ楽器に空気を送りながら叫んだり、スピーカから聞こえる機械音も規則性はあるがオペラからは程遠い。 「西暦4001年宇宙人が飛来しゾンビ音楽は地球史の物語として解釈され、人類本来の歴史はなかったことになる」と語るのは面白い。 しかし音楽のように<ある規則性>を記述する無生物は他の高等生物が作ったと考える宇宙人も多いだろう。 画面には英語訳が必要。 *F/Tフェスティバル・トーキョー2015「融解する境界」参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/15/program/zombie-opera/

■夏の夜の夢

■作:W・シェイクスピア,演出:J・テイモア,出演:K・ハンタ,D・ヘアウッド,T・ベンコ ■TOHOシネマズ日本橋,2015.11.13-19 ■素晴らしい舞台だった。 科白がキリッと引き締まっている。 言葉量は多いけど質の良さを保っている。 三組のカップルが三相交流のように絡んでいく流れはお見事。 物語の足跡がハッキリと残っていくから、先へ進むほど面白さが積み重なっていくようだわ。 終幕の劇中劇は芝居の楽しさが溢れていた。 そしてパック役キャサリン・ハンターの柔軟な動きと錆のある声は独特な存在感が有り無視できない。 残念なのはカメラ撮影に力が入り過ぎていたことね。 ショットが短過ぎる、アップが多過ぎる。 チラシでは撮影を讃えていたけど舞台を捨て映画を取ったようにみえる。 この作品は質のバラツキが激しく出るの。 でも今回は記憶に残る一品になれそう。 2014年作品。 * 劇場サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/16_midsummer.html

■道玄坂綺譚-三島由紀夫「卒塔婆小町」「熊野」より-

■原作:三島由紀夫,作・演出:マキノノゾミ,出演:平岡祐太,倉科カナ,眞島秀和,水田航生,一路真輝 ■世田谷パブリックシアタ,2015.11.8-21 ■一幕「卒塔婆小町」、二幕「熊野」を下敷きにしているが話は混ざり合っていきます。 男女の騙し騙される面白さが感じられる。 女は男に好きと言わせたい。 男は女が好きなのに言わない、言えない。 虚実が入り混じり時空が飛ぶので混乱してしまった。 サービス精神が旺盛のため感動に辿りつく前の驚きで止まってしまった舞台です。 能舞台のように目障りなモノが無く言葉に集中できました。 カフェ従業員の若者言葉での漫才風科白も力が抜けるようで舞台に浮遊感があった。 ユヤの水色ドレスや宗盛のスーツなど、衣装が三島由紀夫好みで厚みが出ていました。 *現代能楽集Ⅷ *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 http://setagaya-pt.jp/performances/20151108-6564-6.html

■ロミオとジュリエット

■原作:W・シェイクスピア,音楽:S・プロコフィエフ,振付:K・マクミラン,出演:S・ラム,S・マックレー ■東宝シネマズ日本橋,2015.11.7-13(ROH,2015.9.22収録) ■音楽の持っている独特な雰囲気が物語に影響している。 上演時間は休息含めて200分。 肝心な場面はシッカリ、他はサラリという流れかしら。 庭で出会う場面と一夜を共にしたパ・ド・ドゥは最高。 華奢なサラ・ラムはシェイクスピアに似合うわね。 ロミオと親友のベンヴォーリオ、マキューシオの3人を比較すると流石ロミオのスティーヴン・マックレーが一番目立つ。 彼の身体は骨までちゃんと伸びているの。 マキューシオ、ティボルトが争って死ぬ場面は芝居をみているようだわ。 ロミオの衣装の一部が寒色系だったのは救いだけど、全ダンサーの衣装が同じ暖色系のためコール・ドのメリハリが効いていない。 この暖色はROHの色だけどもう少し自由にしたらどうかしら? 今年はマクミラン振付50周年記念らしい。 ストーリを知らないで観ても物語に感動できるはず。 マクミランがプロコフィエフを巧く活き造りにしたからだとおもう。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2015シネマシーズン作品 *作品、 http://roh2015jp.wix.com/cinemaseason

■氷の花火、山口小夜子

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2015/11/blog-post_0.html

■Ne ANTA ネアンタ

■演出:藤田康城,出演:安藤朋子,山崎広太 ■シアタートラム,2015.11.5-8 ■男がベッドに座っている。 女の男への妬みのある声が聞こえてくる。 声が止み電灯が点滅し窓の外が明るくなる。 男はベッドを離れカーテンを開閉めした途端、上手ドアが開く。 冷蔵庫に女が近づく。 男は女に気付かずドアを閉めてベッドに戻る。 これを何回か繰り返す。 少しずつ背後の白壁が観客に迫ってくる・・。 男の静かな動きはとてもいい。 目つきもなかなかである。 激しく踊る場面もあったが意味に凝り固まっている動きである。 多分女の声を振り払いたいからだろう。 女が冷蔵庫に近づくところもなかなかいい。 まるで「貞子」のようだ。 しかしドアからの登場は現実に引き戻されてしまった。 動きや視線が観客に媚びているからである。 演劇なのかダンスなのか? 男はダンス身体で演劇に近づこうともがいている。 女は演劇にもダンスにも近づけない。 女は演劇身体でダンスに近づきもがくはずだったのでは? しかし辿りつけなかった。 いや最初から声だけなのだ。 * 「ネエアンタ」(2013年) *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage54852_1.jpg?1446762454

■ホフマン物語

■音楽:J・オフェンバック,振付:P・ダレル,指揮:P・マーフィ,出演:井澤駿,長田佳世,小野絢子,米沢唯,M・トレウバエフ ■新国立劇場・オペラパレス,2015.10.30-11.3 ■この作品をバレーで観るのは初めてなの。 でも一幕オリンピアは日常の延長のようで物語に入っていけない。 人形は異次元の扉を開けることができるのにそれをしなかった。 舞台も現実的な庭でダメ。 演出の違いと言えばそれまでだけど・・。 二幕アントニアから俄然調子がでてきたわ。 やっとバレエを観ることができた感じね。 二幕と三幕ジュリエッタは美術も物語に沿っていて素晴らしかった。 でも十字架をあんなに振り回すとは! 日本だからできるのかしら。 そして物語をもう一度思い返せる感慨深い終幕だった。 アントニアとジュリエッタのリフティングは見応えがあったわ。 反省を次回に繋げればどんどん良くなる作品だとおもう。 何度観てもいいかもよ。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/15hoffmann/

■BELLE

■振付:D・コルカー,出演:デボラ・コルカー・カンパニー ■神奈川芸術劇場・ホール,2015.10.31-11.1 ■幕が開いて20分間は初めて見る振付に魅了されてしまった。 舞台はE・ホッパーの作品にでてくるようなソファや電気スタンドを背景にバレー技法を取り入れたダンスが舞う。 衣装などにバルテュスの絵に登場する人物が感じられる。 仮面を付けて梯子に上りアクロバットをするなど男性ダンサーは力強い。 途中「 クレイジーホース 」に似た場面があり楽しい。 なんと「昼顔」に触発された作品らしい。 しかしセヴリーヌに辿りつけない。 音楽の強いリズムも表面をなぞるだけである。 むしろ彼女の二面性に焦点をあてその差異を楽しんだ方がよい。 「昼顔」から離れて観たほうが自由の身になれる。 ところでL・ブニュエルは気になる映画監督の一人である。 「昼顔」はとても気に入っている。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/colker

■イル・トロヴァトーレ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:M・アルミリアート,演出:デイヴィッド・マクヴィカー,出演:A・ネトレプコ,D・ホヴォロストフスキ,Y・リー,D・ザジック,S・コツァン ■東劇,2015.10.31-11.6(MET,2015.10.3収録) ■やはりシーズン初めは皆元気ね。 ネトレプコも機嫌がいいみたい。 楽屋に子供を連れて来ていたし・・。 前回と比較して物語も昇華できていた*1。 幕開きのフェルランドとレオノーラのソロで分かったわ。 歌手の連携の良さもある。 特にアズチェーナが上手く歌い回っていた。 でも弟を殺してしまったことを兄に教えることで復讐したことになるのは時代の違いかしら? マンリーコのヨンフン・リーは初めてよ。 ネトレプコやホヴォロストフスキの「商品としての声」には届いていないけど磨いていけばいいのよ。 序でだけどネトレプコは体形からいって固くて寒系色の服が似合う。 ところで休息時間に他の作品紹介が沢山あると本舞台がシラケてしまう。 もっと厳選してほしいところだわ。 *1、 「イル・トロヴァトーレ」(MET,2013年) *METライブビューイング2015作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_01

■真夏の夜の夢

■作:W・シェイクスピア,潤色:野田秀樹,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■にしすがも創造舎,2015.10.31-11.3 ■貴族・職人の代わりに割烹料理屋の家族・板前が、そして悪魔メフィストフェレスの登場が原作と違いますね。 簡単な粗筋を読んでおいたので素直にはいれました。 言葉に拘った舞台です。 口には出せなかった恨み妬み憎しみの言葉で悪魔は物語を作っていきます。 この悪魔と対決する娘そぼろが主人公とみました。 彼女が「夏の夜の夢」が何であるかを最後に知る人です。 つまり野田秀樹のメッセージを持つ悪魔からそれを奪い返す人になります。 若者たちの恋愛を温かく見守る分かり易い結論になっている。 ここは宮城聰のメッセージでしょうか?  野田秀樹演出の舞台は観ていないので比較できません。 幕開きと終幕の娘そぼろの口上は存在感がありました。 悪魔のネットリした演技は硬さある他役者との比較が生きて面白い。 パックの観客サービスは苦労していましたね。 紙を丸めたような美術・衣装は立体感があり打楽器演奏と共鳴して夢の森に入って行くことがでました。 *2015年F/T「融解する境界」参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/15/program/spac/

■ドラマ・ドクター

■作・演出:川村毅,出演:ティーファクトリ ■吉祥寺シアタ,2015.10.23-11.2 ■三人の若手劇作家が登場する。 彼らは戯曲が上手く書けないで悩んでいる。 しかも誰も書かなかったような物語にしたい! そこでドラマ・ドクターが登場する。 物語の医者である。 だが書いている戯曲が舞台上のストーリーに侵入してくるからややこしい。 ドクターの戯曲も入り混じり誰の物語かわからない。 劇中劇と言ってもよい。 ドクターだから診察もする。 楽しい戯曲か? 売れる芝居か? 「ぬくぬくとした芝居」が広がっていると言う。 物語=制度について資本主義を絡め議論したいようだ。 「面白い芝居にも飽きた!」。 しかし物語から逃げられない。 「ドラマ・ドクターという職業がハリウッドにある・・」とチラシに載っているが、21世紀資本主義は足がより速くなっているように感じる。 演劇は相対的に遅れてしまいヌクヌクして見えるのである。 舞台は安っぽい壁に囲まれた部屋だが原稿用紙がペタペタ貼ってあるのかな? 照明技術が良くなったので壁のような平面に少しの凹凸を付けただけで奥行の深いグラデーションを作れる。 これで物語の修飾も容易になる。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2015/07/post-38.html

■春の祭典  ■アンリ・ミショーのムーヴマン

■春の祭典 ■振付:M・シュイナール、出演:カンパニー マリー・シュイナール ■神奈川芸術劇場・ホール、2015.10.24-25 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage55291_1.jpg?1445766588 ■海パンのような衣装で一人もしくは数人づつスポットライトを浴びて激しい踊りを繰り返す。 振付はトナカイを思い出してしまう。 腕や足の膝、手首の曲げ方がそのようにみえるからだ。 実際角を付けたダンサーも登場する。 揺れる乳房が作品として似合っていた。 野性味は感じるが定番のためか無駄がなく洗練されていた。 ■アンリ・ミショーのムーヴマン ■画家ミショーの描いた形をダンサーが真似て踊るという作品である。 小・中学生に見せたら喜ぶだろう。 アンフォルメルと身体の関係やミショーの詩集「ムーヴマン」を融合させたいようだが定かではない。 一人及び数人から10人のダンサーで増減を繰り返すのは「春の祭典」と同じである。 ダンサー全員で絵形を真似る場面は見応えがあった。 この二本を観ただけではシュイナール自身がよくみえない。 彼女のソロ「イン・ミュージアム」の横浜上演が無かったのは残念。

■白鳥の湖

■振付:R・ヌレエフ,作曲:P・チャイコフスキ,出演:A・ルテステュ,J・マルティネス,K・パケット他 ■川崎市アートセンター,2015.10.24-11.1(2005年作品) ■城の前庭は「アテナイの学堂」にみえる。 背景の人々は階段で哲学者のように会話しているの。 そしてこれほどまで俯瞰から撮った白鳥は珍しい。 白鳥たちの整然とした動きからオデットの哀しみが伝わってくるようだわ。 衣装も白鳥以外はチュチュを着けない。 しかもオディールの登場直前までスカートはどんどん長くなっていく。 中間色の現実的な衣装との落差から白鳥が別世界の存在だと意識するの。 いつもと違った作品にみえる。 主演はルテステュとマルティネス。 貫禄は有るけどスピード感が無い。 巨大タンカーが動いているようだわ。 この作品は二人のメモリアル公演らしい。 良くも悪くも必見ということね。

■オイディプス

■演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場 ■東京芸術劇場・プレイハウス,2015.10.21-23 ■「 ガリバー旅行記 」に続く上演となる。 舞台に小さな直方体の部屋が作られている。 視野を狭くしてみるので集中できる。 美術や照明のコントラストを強調するから輪郭のある深い舞台が現れている。 コロスを引き連れたオイディプスやイオカステのメリハリの効いた科白と演技でアクの強い叙事詩を観ているようだ。 後半、小さな部屋は解体され背後にコロノスの森が映しだされる。 そこでパーティが開かれているのだが、しかしこの場面は何を言いたいのかよくわからなかった。 ルーマニア語訳字幕が遅れ気味でリズムが狂ったが、プルカレーテに染まった役者の身体と言葉を楽しむには十二分に答えていた舞台である。 *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater101/

■パッション

■作詞・作曲:S・ソンドハイム,演出:宮田慶子,出演:井上芳雄,和音美桜,シルビア・グラブ ■新国立劇場・中劇場,2015.10.16-11.18 ■不倫のクララやストーカーのフォスカがどんなに燃えても旋律と歌唱が舞台に静寂をつれてくる。 愛とは何か? 一つの答えを楽曲が語っているようね。 物語を進める科白も淡泊なの。 抽象感ある美術を含めて全体に隙間がある。 隙間の有るお蔭で役者たちと共に愛とは何かを冷静に考えることができる。 愛のために夫や子供を捨てられるか?愛のために死ねるか?をクララに質問するのは酷かもしれない。 答えたらクララが主人公になってしまう・・。 でもこの比較で愛に満たされたフォスカの死を観客は安心して見送ったことは確かだわ。 「愛する」と「愛される」が巡り会うためにはフォスカのような飛躍的な行動が必要なの。 この行動を得るには愛を確信する閃きと、閃きを持続する強い意思と、意思を具現化する冷静なストーカーになれと言っているようね。 演出家は「 沈黙 」の舞台雰囲気をそのままにして存在から行動へと舵を切ったのね。 *NNTTドラマ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/passion/

■近松の女

■梅川 ■演出・出演:蘭このみ,出演:蘭このみスペイン舞踏団,音楽:染谷ひろし,稲津清一,手塚環 ■近松リポーターズ ■演出・出演:島地保武,出演:酒井はな,音楽:古川展生 ■五障(おさんと子春より) ■振付・出演:吾妻徳穂,音楽:藤舎推峰,日吉章吾 (以上3作品のキャスト&スタフ) ■新国立劇場・小劇場,2015.10.16-18 ■フラメンコ「梅川」、ダンス「近松リポーターズ」、日本舞踊「五障(おさんと子春より)」の三本立てでタイトルが「近松の女」です。 先日の「 エゴイズム 」と合わせて「近松DANCE弐題」になっています。 久しぶりのフラメンコでした。 でも床のせいかサパテアードが湿った感じで頂けません。 梅川には似合っているのかもしれませんが。 トケも素晴らしかった。 楽日のためか島地と酒井は伸び伸び踊っていたようにみえます。 科白やコミックも生きていました。 演奏のチェロも積極的に係わり楽しかった。 吾妻徳穂は「にっぽんの芸能」に時々出演してますね。 生舞台は初めてでした。 襲名後は忙しそうですね。 全4作品で踊りの近松を堪能したプログラムでした。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006134.html

■離陸

■作・演出・出演:松井周,出演:伊藤キム,稲継美保,劇団:サンプル ■早稲田小劇場どらま館,2015.10.8-18 ■ある日、兄は弟に姉との旅行を進めるの。そして旅行先でのやっちゃった件で弟は気にかけ続ける。兄も弟のそういう所は信用していない。姉は深く関わらない。兄は少しずつ精神状態が尋常ではなくなっていく··。  実は観後にチラシを読んだら姉と兄は夫婦だった!観ていて近親相姦のことを考えてしまっていたから··。うーん、ドジッタ。でも漱石のことも思い出していましたのよ。 しかし夫婦と分かったからといっても何も変わらない。それは妻が物語に参加しないからだとおもう。そして兄の精神が弱ってきている真の原因が観ていても分からないからよ。この作品は「変化」を論じているようだけど、役柄が変わっても世界は変化しないということは証明できたわ。 伊藤キムはいつの間にか役者になっていたのね。存在感も有りなかなかだわ。ダンサーの身体が生きたままの「変化」は素晴らしい。ところでこの劇場は初めてなの。舞台は7mX3mで客席は100人くらいかしら。舞台奥行がもっと必要ね。芝居も舞台に合わせて奥行の無い動きだったけど、逆にパルスのような緊張感が出ていた。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/68259

■Who Dance? 振付のアクチュアリティ

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html

■ガリバー旅行記

■演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場 ■東京芸術劇場・プレイハウス,2015.10.15-18 ■舞台はビニールの幕で覆われた馬小屋にみえる。 出だしから本物の馬が登場する。 でも静かに歩き回っているだけである。 フウイヌムのように嘶いてくれ! と言うことで「フウイヌム国渡航記」から始まるらしい。 ヤフーを介して人間の動物的側面を演じていくが、無彩色を基本とした舞台がその激しさを詩的に変えてくれる。 赤ん坊を殺しその肉を焼いて食うなどレクター博士なみの場面もある。 スーツ姿で行進するなど社会的側面も辛らつに描かれている。 老人の生き様への字幕が長く続いたがとてもリアルで記憶に残った。 これは原作に載っているのだろうか? 現実との境界を意識している演出のため一歩誤るとシラケてしまうが演劇パワーで向こうの世界に留まっている。 感動とともに呆れたという印象も強く残った。 *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater100/

■ミュルミュルミュール

■演出:V・T=チャップリン,出演:A・ティエレ ■世田谷パブリックシアタ,2015.10.16-18 ■サーカスとあったけどパフォーマンスの感じかしら? 建物の表面が布のためサーカスらしさが出ていた。 祝祭空間としてのテント小屋を思い出すわね。 そして舞台に散らばる小道具は日常よくみるモノばかり。 そのモノに生気が宿っていく面白さがある。 前半は物語が見えていてシュールレアリスムも意識する舞台だった。 このヒトとモノの融合が超現実世界を垣間見せてくれた。 でも後半は展開できずパフォーマンスの反復ばかりが目立ってしまったようね。 物語の起承転結をハッキリさせた方がいいんじゃない? モノもこれに共振してパフォーマンスを超える世界が続くはずよ。 ヨーロッパの楽しさと暗さが感じられるノスタルジックな舞台だったわ。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150714-2688.html

■針とアヘン-マイルス・デイヴィスとジャン・コクトの幻影-

■作・演出:R・ルパージュ ■世田谷パブリックシアタ,2015.10.9-12 ■直方体の内側3面を舞台にして他面を取り除いた面白い構造です。 点対称で3面が回転するので床が壁に、壁が床に入れ替わっていきます。 これに小道具と映像を付加してホテルからスタジオへそして街へと役者が空間を跨ぐように移動していく。 床が傾斜しているので役者を紐で支える場面もあります。 物語はジャン・コクトーのアメリカ旅行回想とマイルス・デイヴィスのパリ公演を過去背景にして主人公であるカナダ人放送作家が仕事や日常生活を語り演じていきます。 彼はコクトーとの二役です。 この舞台構造とクロスカッティングを多用するストーリーの重複構造が融合して摩訶不思議な世界が現前します。 1949年のパリとニューヨークの風景が交互に映写され当時を知らないのですが懐かしさが漂ってきます。 ヌーベルバーグとモダン・ジャズの夜明け前ですからこの二つに興味があれば尚更です。 作品名は阿片からきているようですがコクトーとデイヴィスは麻薬から立ち直っています。 主人公の放送作家は妻?との関係が冷たいままで精神的に参っている。 しかし二人のように立ち直る機会を狙っている終幕にみえました。 深く眩暈がする舞台でルパージュのベスト作品に入るでしょう。 *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150714-2661.html

■海賊

■監督:熊川哲也,出演:中村祥子,S・キャシディ,池本祥真,浅川紫織,K・バレエカンパニ ■恵比寿ガーデンシネマ,2015.10.11-16 ■海賊が海で大活躍するのかと観ていたら違うのね。 なんと仲間の裏切り話で、しかも陸の上での追いかけごっこなの。 大きな物語でなくてちょっと残念。 オリエンタル風の美術や衣装は素敵だった。 メドーラとグルナーラ姉妹は二人という数の強さがある。 互いに補えるからよ。 これをみてチェーホフの「三人姉妹」もストーリーは難しいけれどバレエにできると確信したわ。 この作品は「洞窟の宴会」が見せ場のようね。 あと「パシャの夢の中の娘たち」もよかった。 全体を通してアリのはち切れるような動きが素晴らしかった。 *主催者、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1456

■エゴイズム

■演出・出演:加賀谷香,出演:近藤良平,佐藤洋介,舘形比呂一,辻本知彦,松本じろ ■新国立劇場・小劇場,2015.10.9-11 ■原作は「曾根崎心中」です。 有名な数節が読まれ、加賀谷と近藤の文楽人形を真似た場面から入ります。 次の加賀谷と佐藤のデュエットは広々とした腕の動きに手足の小刻みが時々入る振付で見る楽しさが伝わって来ます。 衣装は日本と言うよりアジアを連想します。 三場面の加賀と辻本のエロス全開のデュエットは素晴らしい。 これだけ床を転げまわるのは見たことがありません。 加賀の赤衣装も映えていた。 そして男性陣5人の余興が入ります。 原本の数節が読まれお初の加賀谷が浄土へ向かい終幕となります。 お初が死にゆく悲壮感がでていません。 直前の男性陣の楽しい余興が物語を分断してしまった。 物語を時系列で追うのではなく、場面ごとに独立させ再構築しながら観ると面白さが増す作品だと気付きました。 科白はマイクを使わないほうがずっと良くなるはず。 途中、舞台裏から聞こえてきた宴会の声、鏡や素晴らしい衣装は江戸時代に戻れました。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006134.html

■まぼろしの夜明け

■振付:川村美紀子 ■シアタートラム,2015.10.9-11 ■中央舞台の周りに客が立ちっぱなしで観る構造なの。 波の音とミラーボールで寂れたディスコ会場に行ったみたい。 見ると6人のダンサーが薄い布を被って寝転がっている・・。 音楽と照明は鳴り照っているけど一向にダンサーたちは動かない。 やっと少しずつ立ち上がって来た。 なんとここまで1時間。 どうにか二本足でゆっくり歩き始めた途端に終幕。 舞踏などでみる超スローモーの動きに似ている。 でも存在を意識させる演技には見えない。 チラシに「限界まで踊ってみたい」と書いてあったけどダンサーの内面は激しく踊っていたのかしら? 内の激しさと外の静けさを感じ取る演劇的想像も身体言語が少ないため湧き起って来ない。 ニュースや虫の音など日常生活の雑音を主体にした音楽はダンサーと積極的に交わる個所が少なかった。 でも邪魔もしていなかった。 反対に照明が先走って物語を作ってしまったようにみえる。 ダンサーの身体が立現れてこなかった一つの原因かもしれない。 動きの少ない舞台では時間と空間の統合力が必要だけど、難しい作品を選んでしまったようね。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage54429_1.jpg?1444390505

■ラインの黄金

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:G・フリードリヒ,出演:J・ラジライネン,S・グールド,T・ガゼリ ■新国立劇場・オペラパレス2015.10.1-17 ■軽さのあるワーグナーだった。 愛・金・肉欲・青春・・、どの言葉も日常に繋がっていく解り易さが出ていたわ。 具体のワーグナーね。 だから意味の深淵に連れて行ってくれない。 翻訳字幕にその理由があるのかもしれない。 ファーゾルトは語りの中にある謎を噛みしめるように歌うので納得して聞けたわ。 このように観ていながらいろいろな事を反芻できる余裕が欲しい。 アルベリヒが目立ち過ぎたけど歌手間のバランスは良く取れていた。 神々が軽いノリでダンスをしながらのヴァルハラ入城は素晴らしい幕切れだったわよ。 光を重視した美術はこのダダッ広い劇場に似合っているとおもう。 装置が簡略化でき費用もかからない。 しかも総合力を維持する確率は高くなるはず。 ところで第3場ニーベルハイムの前梁に幅があって2階以上の客席からは邪魔になったんじゃないかしら? それにしても指輪ってやっぱ面白い! 「動機」が音楽を越え実世界に広がっていく作品だから。 今シーズンの終わりには「ワルキューレ」を上演して欲しい。 1年1作で4年後の完結では待てない。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dasrheingold/

■シンデレラ

■監督・振付:熊川哲也,出演:神戸里奈,井澤諒,K・バレエカンパニ ■恵比寿ガーデンシネマ,2015.9.26-10.9(2015年作品) ■監督の目配り気配りが舞台に一杯ね。 特徴ある振付は新鮮味がある。 特に手の動き指の位置がとても繊細。 インド舞踊より日本舞踊に近い。 これで身体の豊かさが一段と映えている。 「バレエには言葉が無い」と監督が強調していたけど対抗手段を持っているから言えたのね。 ダンサーたちの質の良さもある。 作品は変身の物語だから老婆が妖精に変わる場面などはじっくり見せてもよいかもよ。 シンデレラが城に向かうところは魔法使いの多くの手下が前面に出ていて強さと安定感がある。 この強さ、つまり組織の勝利が舞台の至る所にみえる。 そして舞踏会は道化の動きが面白い。 12時を過ぎた後半は見せ場が少なくて一寸尻すぼみの感じがするのは残念ね。 でもフィナーレに再び馬車が登場してシンデレラ世界を満喫できたわ。 「童話を超えた完全無欠のファンタジー」とあったけど頷ける。 *主催者、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1448

■少女仮面

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:李麗仙,松山愛佳ほか,劇団:新宿梁山泊 ■スズナリ,2015.9.30-10.7 ■李麗仙がゆっくりと階段を下り舞台に向かうとき、場内は水を打ったように静まり返った。 噛みしめる科白は冷静さを整っているが棒読みのような喋りである。 はじめは戸惑ってしまったが違和感は直ぐに薄れていく。 物語のシークエンスとシークエンスの間に時空を越える裂け目がある。 そこでは小道具、照明そして音楽が通奏低音として鳴り始め、役者が一気に時空差を埋める詩的科白を喋りだす。 ここに劇的世界が出現する。 宝塚少女のそして「嵐が丘」の、愛が塗り込められた「肉体」を永遠の乙女が語る。 特権的肉体は現れたか? 久しぶりに唐十郎の世界に浸れた。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/67153

■この世の名残り夜も名残り-杉本博司が挑む「曾根崎心中」オリジナル-

■出演:杉本博司 ■(日本,2012年作品) ■2011年8月公演「杉本文楽木偶坊入情曾根崎心中付り観音廻り」の記録映画。 オリジナルに近い台本を使うことや演出や舞台構造が現代文楽と違うことから関係者の苦労話を聞ける面白さがあった。 幾つか問題点を掲げると・・ 1.近松は七五調が少ないので原本通りだと場が持たない。 2.舞台で縦の動きをどのように出せばよいのか? 3.下駄を履かないし手摺を使わないので人形が立っているのか座っているのか分からない。 「観音廻り」を取り入れ鳥居や菩薩像も設置したので、観音信仰とそれに続く浄土信仰を強調するストーリーになりそう。 人形の一人遣いも復活させる。 演出家杉本博司は写真家だけあって照明や映像にも凝っているようね。 この舞台を観ていないのが残念。 *公演情報、 http://sugimoto-bunraku.com/

■ノ・ソリチュード(私たちの孤独)

■振付:J・ニオシュ、出演:S・プリュヌネック、A・メイヤ ■KAAT・大スタジオ、2015.9.26-27 ■ http://www.kaat.jp/d/jn ■ダンサーとギター奏者の二人舞台。 ダンサーの手のひら、足の甲、腰の左右の計6個所を鉄線で繋ぎ滑車の反対に重りを付けて空中を舞う。 分割された重りは50個くらいぶら下がっている。 「浮遊し、飛翔し、舞う」と書いてあったので何が起こるのか緊張する。 しかし何時まで経ってもぶら下がっているだけである。 身動きが殆んど出来ない。 これが孤独の表現なのか? 医学や医療との関連でもあるのか? この装置は一度自分で操作をしないとどういうものか理解できない。 難しいようにも易しいようにもみえる。 見ていても装置と身体の関係がまとめられない。 このような古い装置を使うヨーロッパに戸惑う。

■ボリショイ・バビロン-華麗なるバレエの裏舞台-

■監督:N・リード ■Bunkamura・ルシネマ,2015.9.19- ■2013年、ボリショイ・バレエ団芸術監督S・フィーリンが顔に硫酸をかけられたテレビニュースから始まるの。 このような事件が何故起きるのか? バレーダンサーの寿命は短い。 だから舞台に立てなくなることをダンサーは人一倍恐れているの。  監督はダンサーが納得する配役を提示できるのか? トラブル発生の下地はここにありそうね。 起きてしまったからには組織の改革が必要ということになる。 でも赴任した新総裁V・ウーリンはダンサーたちの前で芸術監督フィーリンをこき下ろし、配役を申請制にする案を提出するの。 新総裁も強引ね。 ソビエトの悪しき習慣が残っているのも問題かもね。 先ずは改革の方向性、次に評価制度をきちっと公開する必要がある。 でもこの映画のリード監督はボリショイ当局といっしょに改革が必要と叫んでいるだけなの。 そのように見えてしまう編集をしている。 結局ニューヨーク公演成功のニュースを流して終わってしまった。 メドヴェージェフ首相がボリショイは秘密兵器だと言っていたから核心部分は出せないのかな? ゴシップ記事として見れば面白い作品だとおもう。 ダンサーへのインタビューは良かったわ。 *劇場サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cinema/past/?y=2015

■舞踊奇想曲モナカ

■振付:山田うん ■KAAT・大スタジオ,2015.9.17-20 ■15名前後のダンサーが登場する。 振付ごとに数グループに分かれてマスゲームのような構成を取る。 しかも舞台狭しと走り回る。 全員が膝あてをしてスポーツをするような衣装だから尚更である。 振付は粗く手足をバタバタさせているだけだ。 ある時は盆踊りを、またある時は千年前の宗教の祈りの場を、そして数千年前の原始人の踊りをも連想する。 始原の姿への振付なのか? 音楽も美術もどこか古臭い。 20世紀前半に戻ったような舞台印象である。 チラシの振付家についてを読むと、「器械体操を学び・・、学校や福祉と連携した・・」とあるので少し納得した。 マスゲームダンスと言ってよい。 *劇場サイト、 https://www.kaat.jp/d/yamadaun

■夜への長い旅路

■作:E・オニール,演出:熊林弘高,出演:麻実れい,田中圭,満島真之介,益岡徹 ■シアタートラム,2015.9.7-23 ■麻実れいの喋り方は特徴がありますね。 声が小さくても届くからです。 湿り気が無く乾いているからでしょう。 最初は家族関係がよく分からず椅子の痛さを感じました。 この劇場の椅子は背もたれが垂直のため圧迫感がある。 メアリの口から夫ジェイムズが俳優だったことを知ります。 彼女が麻薬患者ではないか?とうすうす感じながら前半が終ってしまう。 後半はエドモンドの難産で母がモルヒネ中毒になったことがわかります。 そして兄ジュニアのエドモンドを見る目、ジェイムズの役者の話、そしてメアリが心の奥から、それぞれの言葉を絞り出して幕が下ります。 境界をさまよう家族をリアルに描くには難しい時代ですね。 特にこの作品は酒・麻薬に浸かり過ぎている。 現代からみるとジェイムズの人々はプラスチック家族です。 帰ってから早速作者オニールの経歴を調べてみました。 今でも舞台が成立するのは作者の血肉がプラスチックから滲み出て来るからだと分かりました。 * CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/62552

■無頼茫々

■作・演出:詩森ろば,劇団:風琴工房 ■ザスズナリ,2015.9.12-20 ■主人公堂海栄吾が日之出新聞記者の職を得て上京する新橋駅から舞台は始まります。 早々米騒動に遭遇する堂海は社会問題を批判的に捉えながら新聞とは何かを論じていく。 そして1918年白虹事件が起こる。 この事件で大阪朝日新聞は「不偏不党」を掲げました。 「これは権力への追随である」とチラシに載っていたが主人公の言葉でもある。 はたして日之出新聞も紛糾してしまい記者たちはそれぞれの道を歩んでいくというストーリーです。 結婚式場面を終幕に持ってきたのは主題を逸らしてしまったようにみえます。 新郎新婦の付き合いは物語の付け足しだったこと、式場に主人公が不在なことでもわかります。 「不偏不党」を否定した事が有耶無耶になってしまった。 オピニオンを強調するジャーナリズムとどのように向き合っていけばいいのか? 現代は堂海栄吾の描いた時代に見えますが権力批判への過程は複雑化しているようです。 主人公を現代に甦らせたいですね。 新聞社付小説家が重要な言葉の説明をしたり、踊りながら事務室机の一部を切り取って卓袱台に変え和室に早変わりするなど場面切り替えは面白かった。 *作品サイト、 http://www.windyharp.org/burai/

■國語元年

■作:井上ひさし,演出:栗山民也,劇団:こまつ座 ■紀伊國屋サザンシアター,2015.9.1-23 ■「小学校唱歌集」が時々歌われるので長閑な気分になります。 「全国の話ことばを統一」を仕事とする明治時代の文部省役人南郷清之輔が主人公です。 方言がこれほど問題にされていたとは知りませんでした。 南郷家の清之輔は長州、妻が薩摩、そして女中、車夫、書生、居候がそれぞれ地方のお国訛りで喋る。 話している意味は掴めないが雰囲気でわかるから楽しい。 言葉がテーマですからメタ井上作品と言ってもいいでしょう。 この為ストーリーも凝りに凝っているのではないのか?と思いきや直球しか投げて来ない。 曲球は創造言語「文明開化語」だけでしたね。 言葉と苦闘する清之輔がそのまま作者の姿に繋がっています。 でも国語と国家の関係は問題提起だけで終わってしまった。 「軍隊言葉の統一」がこの目的だったので筋の調整がやり難かったのでしょう。 井上作品の持っている毒が効いていないように見えました。 *劇場サイト、 https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20150618130000.html

■GERMINALジェルミナル

■演出:H・ゴエルジェ,A・ドゥホォール,出演:J=B・ドラノワ,H・ゴエルジェ,D・ロベール,B・セティヤネ ■KAAT・大スタジオ,2015.9.11-13 ■とても変わった舞台だった。 上手くまとめられないけど・・ 1.初めにコミュニケーションを文字、声、歌唱の流れとして提示するの。 2.並行して文字表示や声表現と自己・他者の関係を繋げてから、科白言葉を分類し舞台世界の分節化をおこなう。 3.最後に科白を時間軸にダイアグラム化し過去と未来を確認した後、このグラフでストーリーを反復して幕が閉じる・・。 という流れかしら。 舞台から言語へ広がり全体像が掴み切れなかったけど終幕の科白の反復で作品としてまとまったとおもう。 歌唱や楽器を程よく使ったパフォーマンスで硬さを感じさせない。 日本語字幕の扱い方も完璧ではないけど練られていたわ。 床をハンマで叩き壊す場面はリアルというより現実とは何かを突きつけられてしまった。 劇場そのものを壊す感じで舞台美術としてはちょっと衝撃的ね。 言語系パフォーマンスで身体的解放感はないけど久しぶりに考えさせられる舞台だったわ。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/germinal

■宝島

■演出:P・フィンドレ、出演:P・フェラン、A・ダヴィル ■TOHO六本木、2015.9.11-16 ■ http://www.ntlive.jp/index.html ■舞台が進んで・・、実は「宝島」がまったく記憶に残っていないことを知った。 ジョン・シルバーの名前を聞いた途端、唐十郎を筆頭に日本の演出家がゾロゾロ浮かんでしまったのだからどうしようもない。 ジム・ホーキンズ少年が主人公であり語り手である。 宿屋に怪しげな訪問者がやって来るドキドキ感ある幕開きは面白かったが、前半は語りが主導権を握り物語を表面だけで進めてしまった。 後半は冒険劇とはおもえないダラダラした流れである。 美術はもはや過剰といってよい。 どうもスカッとしない。 インタビューで演出家?がジョンとジムの父子関係や物語の青年期について喋っていたが芝居が面白くなければ効果も半減する。 字幕に誤りが多いのも気になった。

■ミズトイノリ-water angel-

■振付・出演:勅使川原三郎,出演:佐東利穂子,鰐川枝里,カンタン・ロジェ ■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2015.9.5-10 ■こんなにも空間をすいすい泳げるのかしら、勅使川原三郎は?  地球の重心とぴったり一直線に繋がっているのが感じられる。 この安定感が運動と静止を分離させない。 動いていて動いていない、止まっていて止まっていないようにみえてくる。 これで微妙な形=振付がよくみえる。 空間に溶け込んでいくようだわ。  3人のダンサー達は落ち着きの無い動きだったけど、ストーリーとしての水の波紋を表現していたのかしら? 全身で集中して観たので上演時間70分は長い。 50分でもいいかもよ。 照明があたっていない暗い場所での動きはよくわからなかった。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/karas2015

■虹とマーブル

■作・演出:倉持裕,出演:小出恵介,黒島結菜,木村了 ■世田谷パブリックシアタ,2015.8.22-9.6 ■戦後すこし経ってからの時代設定らしい。 貿易商売をするチンピラモドキ達の登場で幕が開く。 後半に入りある事件を素材にしていたことが分かる。 ロッキード事件である。 主人公鯨井が実業家小佐野賢治にみえる。 殺人で血をみるのは二度ほどあったが裏側社会はさっぱりした表現に描いている。 人間関係もドロドロしたところが少ない。 すべてが淡泊に仕上がっている。 鯨井の突然の死は衝撃だがこの淡泊さで感情を揺り動かすところまでいかない。 ロッキード事件を思い出しながら観てしまったので集中力が弱まったのかもしれない。 題名は面白い。 芝居の象徴である階段にかけているのだろう。 役者達は舞台慣れしているせいか違和感が無い。 高校生蘭も生真面目な新鮮さがある。 物語が滑らかに感じる。 こういう舞台をエンタメと言うらしいが、広い観客層を取り込む独特な表現方式を持っているようにみえた。 *作品サイト、 http://mo-plays.com/nijimarble/

■紙の花たち

■作・演出:中村匡克,劇団:スポンジ ■「劇」小劇場,2015.9.2-6 ■小豆島の古びた旅館が舞台。 真面に暮らしている女主の元にAV女優の姉が戻ってきて一悶着おこします。 人生のどこかでボタンを掛け違えてしまうことはあるが、社会はこの掛け違えを御破算にさせてくれない。 息苦しい日常を異様な雰囲気で表現していきます。 時々劇的に盛り上がる。 急に役者を紹介したり激しく歌い踊りだしたりします。 日常世界の割れ目を意識する舞台です。 しかし姉が途中からまじめになり舞台は活気がなくなります。 人間の弱さが出たのでしょう。 そして妹が姉の乱れた生活を羨ましいと言いだし姉は妹のまともな人生を羨み幕が下りる。 これで尖がっていた芝居がまるくなってしまった。 どっちへ転ぶか難しい芝居ですね。 異様世界から戻らず吹っ飛んでしまうのも捨てがたいのですが。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/67280

■この島でうまれたひと

■演出・振付:黒沢美香 ■シアタートラム,2015.8.28-30 ■「WAVE」「6:30AM」「この島でうまれたひと」の三作品を上演。 前2作は1985年が初演、「この島・・」は新作である。  独舞「この島・・」は彼女の日記を観ているようだ。 しかも音楽が殆んど無い。 音楽の無いダンスはダンサーの生の姿を曝け出す。 舞台は彼女の私的時間と空間が流れ形作られていく。 チラシを読むとミニマルの話が多い。 しかしそれを感じさせない。 彼女はミニマルを自分なりに消化してしまったのだろう。 むしろ舞踏や日舞を連想してしまう。 そしてシアタートラムの欠点である凸型舞台が気になってしまった。 「6:30AM」の6人のダンサーはこの凸型を意識しているのが感じられたからである。 これで集中できない。 「この島・・」では満州族の辮髪のような髪型で踊るのだが、彼女は何回も髪に手を当てるので鬘が落ちてしまうのではないかとハラハラしながら見ていた。 不安がらせる振付はカラダに良くない。 30年の距離をほとんど感じさせない3作であった。 彼女の身体に浸み込んだミニマルが時間を意識させなかったのかもしれない。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150714-2625.html

■バートルビーズ

■作・演出:坂手洋二,劇団:燐光群 ■ザスズナリ,2015.8.24-9.9 ■ロックバンドの話だと思ったら大間違いよ。 主人公は「・・そうしないほうがよいのです」が口癖なの。 福島県の病院、ウォール街の法律事務所、学校、・・主人公は至る所に出現する。 やんわりと先の科白を発して仕事などを拒否するから周囲の人たちは大変ね。 ひっそりと暮らしていくのかと見ていたけど違うの。 「原子力明るい未来のエネルギー」の看板撤去を阻止するなどの行動に出る。 H・メルヴィルの小説を題材にした作品。 主人公のこの科白は破壊的な性格を持つもの、個人の意志を越えたもの、絶対的な拒否を含んでいると話題になっていたようね。 バイタル・フィーリング(生きる意志)が感じられない主人公の科白に強い世界志向が含まれているらしい。 弱い表現と強い意味、この矛盾が世界へ働きかける時どのような行動をして一致させればよいのか? 主人公は精神病患者や郵便局配達不能便が何であるかを知っているようね。 これを現代の政治や社会問題に応用させていく。 でも終幕へ繋がる過程がコンガラカッてよくわからなかった。 強弱あるリズムをベースに台詞を分散させたり複数物語を同時表現していて舞台完成度が高かったように思う。 舞台と客席の間の壁から病院事務長の顔がニョッキリ現れたり、原子力PR看板に見立てて主人公がよじ登るのもドキッとする面白さがあったわ。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/67074

■マリア・カラスの真実  ■マリア・カラス最後の恋  ■永遠のマリア・カラス

□マリア・カラスの真実 ■監督:F・コーリ(2007年制作) ■初めて見たカラスは、オナシスが彼女の手にキスするのをメネギーニが不安そうに見つめている写真なの。 でもこの写真が全てを物語っていたということね。 彼女は何回か変身しているが殆どが肉体改造なの。 子供時代からの劣等感から来る完璧主義の結果よ。 愛に苦しんだのは気性の激しさもあるけどこの完璧さも影響している。 「ノルマ」や「椿姫」を好んだのも愛の犠牲が濃いからかもしれない。 ベルカントの美学を語っていたが美的より劇的が似合う。 面白いドキュメンターだった。 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/54425/ □マリア・カラス最後の恋 ■監督:G・カタピータ,出演:L・ラニエリ,G・ダルモン,A・ズッキ(2005年制作) *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/53266/ □永遠のマリア・カラス ■監督:F・ゼフィレッリ,出演:F・アルダン(2002年制作) *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/51940/ ■作品としてはどちらもイマイチだわ。 前者は「マリア・カラスの真実」を元に物語化したような内容よ。 でも作成日はこちらが古い。 後者は「カルメン」を彼女の口パクで上演する内容なの。 ゼフィレッリの遊び心が一杯ね。

■コーカサスの白墨の輪

■作:B・ブレヒト,演出:江原早哉香,出演:東京演劇集団風 ■レパートリーシアターKAZE,2015.8.22-30 ■生みの母と育ての母の子供を取り合う話は知っていましたが作品を観るのは初めてです。 進行役が登場し人物の紹介や状況を説明していきます。 しかも歌唱で表現することが多い。 舞台に厚みを出していました。 役者と観客の間には親密さも漂っています。 前半は育ての母の子供への献身が続きます。 しかし丁寧に描いている割には母子の愛情が積み重なっていかない。 喜怒哀楽よりその行為や関係そのものを優先している感じがします。 生みの母とその周辺の人々は等身大の人形です。 人形を通すと舞台を客観的に見つめられるからでしょう。 途中から浄瑠璃で使うような小さな人形も登場します。 背のない子供なら構いませんが二種類の人形を使い分ける理由がわかりません。 また進行役以外の歌唱もありますが取って付けた感が否めません。 どちらも中途半端です。 後半は裁判ですが前半とはリズムが違います。 こんなにも話が飛ぶとは知りませんでした。 二親の子供の引っ張り合いの舞台装置は凝っていますが淡々としています。 チラシに「・・育ての母グルシェと俄裁判官アツダクの二人の話が最後の白墨の輪で出会う・・」とありますが必然性は感じられません。 偶然を束ねたようなストーリーですね。 これで事務的な感じも強くしたのでしょう。 進行役がいなければ舞台は分解してしまったのではないでしょうか? *劇団サイト、 http://www.kaze-net.org/repertory/rep_kaukasische

■彼らの敵

■作・演出:瀬戸山美咲,劇団:ミナモザ ■こまばアゴラ劇場,2015.7.25-8.34 ■パキスタンで誘惑された大学生が帰国後パパラッチに追われる。 ・・彼もいつしかパパラッチのカメラマンになるが女性ライターに窘められパパラッチを辞めようとする話である。 誘惑事件の週刊誌記事を巡って関係者が集まる場面で「事実は見方により人それぞれ違ってくる」ような台詞で終わってしまうのは勿体ない。 「警鐘を鳴らす」背後にある正義感の胡散臭さだけが残ってしまった。 スポーツ選手の写真を前に女性ライターがカメラマンの心の移り変わりを非難するのも同じである。 仕事で正義の仮面を被ってしまい方向を誤ることはよくある。 言葉を展開しないで幕が下りてしまった作品にみえる。 ジャーナリズムが対象だし対話場面ではあと数セリフの言葉を積み上げてもよいとおもうが? 挑発的な題名である。 「同じ正義」を持たないと敵になるのだろう。 敵や味方は流動性を持ち変化していくのが健康的だが近頃はガチガチに固め過ぎている。 カメラマンがこれをどう捉えようとしているのかよくわからなかった。 *劇場、 http://www.komaba-agora.com/play/1671

■トロイラスとクレシダ

■作:W・シェイクスピア,演出:鵜山仁,出演:浦井健治,ソニン,岡本健一,渡辺徹ほか ■世田谷パブリックシアタ,2015.7.15-8.2 ■眠くなってきたが、クレシダが登場したら目がパッチリしました。 戦争は愛を急がせますね。 精神的にも肉体的にもです。 この為か愛の主人公はクレシダ、戦いはヘクターに集約していきます。 トロイラスは主人公になれない。 彼のスピードは受け身だからです。 能動的に急ぐ人が主人公になれる芝居です。 ドライですね。 「実に現代的」と言われる所以でしょう。 チラシに「「ヘンリー五世」と「ハムレット」の溝を埋めた作品」とありましたが、二人はハムレットとオフィリアの逆を演じているようにみえました。 カーテンコールで観客の拍手に力が入らなかったのは「ハムレット」が持っている男女間の保守的な姿が無かったからでしょう。 急がないで待つという保守性です。 観客も保守層が多かった? 「ヘンリー五世」は記憶が少ないので比較できません。 舞台はギリシャの野外劇場のようで戦いの場面を意識した造りになっています。 白赤の二枚の布で愛の場面も包み込むところは簡素ですが巧く出来ていました。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150615-511.html

■さよならウィキペディア

■作・演出:はせひろいち,出演:劇団ジャブジャブサーキット ■スズナリ,2015.7.24-26 ■ストーリーが変わっていて上手くまとめられません。 幽霊や宇宙人は謎として舞台に立現れるのではなく予定調和のごとく物語に組み込まれているようにみえます。 そして台詞の途切れるところで役者が遠くをみつめ静的な存在感を作り出します。 この二つが舞台に異化効果を出現させます。  でもこの調和はそのまま退屈を招きよせる。 占師の心霊術、刑事の上下関係、役所職員のアヤトリ、幽霊の登場理由、・・、面白いのですが段々と眠くなる。 終幕に近づくと奇抜な場面が多くなるのでよいのですが、この調和を揚棄したいところですね。 今回は題名をみてチケットを購入しました。 ウィキペディアは他の話題に埋もれてしまい影が薄かったですかね。 なぜ「さよなら」なのか? 元刑事の画家に贈る4つの言葉はこれを遠ざける方向に行こうとしているからでしょう。 開幕前に演出家の挨拶がありました。 演出家の顔や声は作品を身近に感じさせます。 でも作品のことより明後日の話の方がよい。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage51030_1.jpg?1437777639

■墓場、女子高生

■脚本・演出:福原充則,倉田淳,劇団:ベッド&メイキングス ■東京芸術劇場・シアターイースト,2015.7.17-26 ■初めての劇団です。 何が飛び出るかワクワクしながら池袋へ向かいました。 盛夏に相応しいお墓が舞台ですが、授業を抜け出し墓石に腰かけてビールを飲み卒塔婆を振り回しゲロを吐く女子高生では涼しさが感じられません。 クラスの一人が自殺をしたらしい。 現生に未練を持っている人がいるので彼女は成仏できず幽霊となって墓場に現れるようです。 その未練ある級友たちが彼女を生き返らせる。 しかし級友や先生は自殺の原因が自分たちにあると思いこんでいた。 これを知って女高生は再び自殺をしてしまうという話です(正確でないかも)。 自殺の理由は明かされません。 巫女の祈祷など女性特有の笑いが多くて新鮮でした。 そして歌唱も素晴らしい。 生と死や友情などを扱っていますが、これと歌唱をもっと直結させても面白いと思います。 科白が疎らになりシラケる場面が時々ありました。 綱渡りをしているような気分ですが、なんとか渡り切った観後感です。 上演時間をあと30分短縮できたら観客はより楽になれるでしょう。 役者では清水葉月の演技が印象に残りました。 それにしてもセーラー服は強いですね。 帰りはウキウキしながら池袋をあとにしました。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater096/

■アドルフに告ぐ-日本篇、ドイツ篇-

■作:手塚治虫,演出:倉田淳*1,出演:劇団スタジオライフ ■紀伊國屋ホール,2015.7.11-8.2 ■1973年、イスラエル軍兵士アドルフ・カミルとパレスチナに逃亡したナチス残党アドルフ・カウフマンが一戦を交える場面で突然、神戸に住んでいた頃の二人の子供時代に遡って幕が下りる・・。 原作は昔読んでいるが、20世紀を突き抜けるような戦争と人間の姿が描かれていて手塚治虫の作品の中ではベスト10に入る面白さだったと記憶している。 淡々とリズミカルに物語が進んでいく。 役者のミニマルな動きと科白が一つ一つ積み上げられ時代の核心に近づいていく。 この作品は作者が持っている壮大な歴史観の一端を取り込み、それを叙事詩として如何に高められるかが課題だろう。 日本篇・ドイツ篇・特別篇の三部構成のようだが、先日に日本篇を本日はドイツ篇を観た。 上演時間は共に130分で内容も6割は同じである。 しかし後者の方が出来が良い。 それはもう一人の主人公アドルフ・ヒトラーが登場したからである。 これにより「国家正義」がどの時代どの国においても欺瞞に満ちたものであることがより鮮明に表現できた。 今この作品に再会できて嬉しい。 *1、 「トーマの心臓」(2014年) *作品サイト、 http://www.studio-life.com/stage/message-to-adolf2015/

■障子の国のティンカーベル

■作:野田秀樹,演出:M・マーニ,出演:毬谷友子,野口卓磨 ■東京芸術劇場・シアターウエスト,2015.7.12-19 ■とても楽しめたわ。 友子は自身の姿そのままで演技をするから一人で演じ語っていく作品が似合うのよ。 地をベースにしてそこから役者たちを飛び回るのね。 毬谷友子からティンクに、そしてティンクからピーターに次々と変身していくの。 子供心を持った人物達だから彼女の意気込みも感じられた。 随所に言葉の綾があるので脳味噌がウズウズするう。 しかも分身としての人形を使うから物語が和音のように深みが出てくる。 人形遣いも巧かったわよ。 永遠の子供たちと再会できた懐かしさと、人でなしの恋の儚さが舞台に漂っていて素晴らしかったわ。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater090/

■女中たち

■作:J・ジュネ,演出:中屋敷法仁,出演:矢崎広,碓井将大,多岐川裕美 ■シアタートラム,2015.7.11-26 ■若い女性が9割以上とは・・。 これだけ観客が片寄ると芝居の面白さも偏ってしまいそうね。 客席は三方にあり舞台は枠だけの棚に囲まれているの。 棚の上半分は幕の代わりに天井へ上がる仕組みよ。 軽い硬さがあって物語を引き締めている。 この日は姉のソランジュ役が矢崎広、妹クレールが碓井将大。 田舎からでてきたばかりの女中たちでぎこちない動きが面白かった。 でも早口や声の高い場面ではソランジュの科白が少し濁ってしまう。 ゆっくり確実に喋ってもいいとおもうけど。 そして似た者同士の姉妹は裏側がまだ熟成していない。 演出家は覗き見を楽しんでもらいたいと言っていたけど少し青いわね。 女主人との落差があったのも一因。 雑音のような低演奏や照明の色が心理面を巧く表現していた。 どちらも姉妹を支援していてよかったわよ。 棚下に並んでいたライトは目障りだったけどね。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150708-2253.html

■眠れる森の美女

■音楽:P・I・チャイコフスキ,演出:マシュー・ボーン,出演:H・ヴァッサロ,D・ノース,C・マーニ,A・マスケル ■恵比寿ガーデンシネマ,2015.7.4- ■「白鳥」のように男性ダンサーじゃなかったの。 正直ほっとしたわ。 美術・衣装・化粧は素晴らしく見惚れてしまった。 ダンサーの背中の翼もドラキュラの登場も面白い。 でもストーリーが練れていないようね。 細部を凝ってしまい意味やパントマイムが浮遊してしまった。 似たような動作の繰り返しが多くて間延びしている。 振付はまあまあだったわ。 有名作品だからもっと凝縮してもいいとおもう。 エンターテインメント作品としては最高よ。 それよりカメラの動きがダメね。 舞台全体の静止時間は短じかいし主役ダンサーを追いすぎている。 カメラが感動を逃してしまった。 これを言うなら舞台を観ればよいだけのこと。 でもブリストルヒッポドローム劇場はちょっと遠すぎる。 ところで「くるみ割り人形」も観てみたいけど上映は終わってしまったのかしら? *映画com、 https://eiga.com/movie/82164/

■躍る旅人-能楽師・津村禮次郎の肖像-

■監督:三宅流,出演:津村禮次郎 ■新宿・KSシネマ,2015.6.27- ■津村禮次郎の舞台はダンサーとの共演は観ていますが能はありません。 能世界では主流から外れているのも一因でしょう。 「・・まずは行動してその結果何が出てきたか?を評価すればよい」という指針を持っている人とみました。 アーティストとしては効率的です。 でも肉体も精神も強くなければできない方法ですね。 印象に残ったのは平原慎太郎と小野寺修二の場面です。 少ししか映されていませんが津村と対話をしながら作り込んでいくのが面白かった。 それと佛現寺の場面です。 ここで転機となった彼自身の履歴が話されます。 彼の思想の一端を見ることができます。 最後にバリ舞踊とのコラボが登場しますが不可能を可能にしていますね。 囃子方の不安をよそに作品を練り上げていく姿は強い。 鋼鉄の精神を持っています。 津村禮次郎は「ターミネーター」のシュワルツェネッガーに似ているとおもいます。 *作品サイト、 http://www.odorutabibito.com/

■三人吉三

■作:河竹黙阿弥,演出:串田和美,出演:中村勘九郎,中村七之助,尾上松也 ■新宿ピカデリ,2015.6.27-(シアターコクーン2014.6収録) ■編集やカットで舞台とは別作品のようだ。 とは言っても舞台は観ていない。 チケットが即完売して取れなかったからである。 それでも歌舞伎役者の科白と存在の様式美は十分堪能できた。 美術を見てもスタッフのやる気の跡がうかがえる。 編集で切り過ぎているので、ある程度の粗筋を知っていたほうがよい。 物語を引っ張っていく燃料の百両がとても生きていた。 このカネが江戸を越え現代に迫ってくるので舞台がリアルにみえてくる。 干支の戌はさしずめ燃料オイルだろう。 おとせと十三郎の首を抱え三人が見得を切るところで幕を下ろすのが作品としてすっきりするとおもうが、客席にまで積もったサービス満点の大雪の中での刺し違えはやり過ぎだろう。 *シネマ歌舞伎第22弾作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/29/

■ウィリアム・テル

■音楽:G・ロッシーニ,指揮:A・パッパーノ,演出:D・ミキエレット,出演:G・フィンリ,J・オズボーン,M・ビストレム ■新宿バルト9,2015.7.6(ROH収録) ■流れるような演奏は心地よかった。 ロッシーニとパッパーノの相乗効果ね。 主要歌手もこの流れに乗っていたわ。 オズボーンの高音もまあまあネ。 でも合唱場面が多いから歌手の印象が薄い感じもする。 歌詞はフランス語だけどそう聞こえなかった。 仏蘭西の匂いのしない作品だからかな? オペラは言語で印象が違ってくる。 母語だと質も変わるもんね。 衣装から20世紀初頭に移し替えていることがわかる。 しかもオーストリア兵士は銃を持っているから前大戦を意識しちゃうわね。 でも林檎を射抜く肝心な場面は14世紀に戻って弓矢が登場するの。 近頃、英国発のシェイクスピア作品も時代を現代に移し軍隊の登場する作品が多くなったみたい。 舞台に最新の銃を持った沢山の兵士が登場するのは好い感じはしない。 英国舞台人は何を考えているのかしら? 床は土が盛られていてそこに机と椅子、後半は大木が横たわっているの。 でもスイスの自然は感じられなかった。 やはりスイスとオーストリアの政治的緊迫感が優先のようね。 横たわる大木も、終幕に子供が植える苗木も国家の象徴ね。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2014シネマシーズン作品 *主催者サイト 、 http://tohotowa.co.jp/roh/

■スカイライト

■作:D・ヘア,演出:S・D・ダルドリ,出演:C・H・マリガン,B・ナイ ■六本木東宝,2015.7.3-8 ■窓の外を見ると隣のマンションが壁のように立ちはだかっている。 索漠としたキラの部屋が舞台である。 登場人物は3人。 父トムとその娘キラ、息子エドワードだと思ってみていたがどうも筋が通らない。 トムの妻アリスを含め4人の関係は少し後になって知るのだが・・。 客席(画面の)から絶え間なく笑い声が聞こえる。 笑いの源泉は何んとなしに分かるが観客の感度が良すぎるのか大げさなのか判断がつかない。 英国現代劇は観る機会が少ないので、たとえばキラがパスタを料理する調理器具の使い方や具材の加工手順など些細なところに目が行ってしまう。 また彼女が教師をしている高校?の状況にも聞き耳を立ててしまう。 でもトムの会社の話はリアルに聞こえなかった。 トムは仕事で成功した裕福層だが、キラは進んで貧困街のアパートに住んでいる。 この二人の人生観・社会観の差、過去の交際を材料として話が進む。 後半、舞台に引き込まれる対話場面が多々ある。 二人の思い込みやすれ違いが面白い。 しかし英国の階級?や政治経済を絡める要素が多い為か、家族関係や貧困問題の突っ込みも舞台感動まで集約して行かない。 ともかく現代モノはいろいろ比較できて面白い。 舞台のキラとトムは上手い役者だとおもうが独特な癖がある。 英国の観客にも同じことがいえる。 歴史モノだとこれは感じない。 日常感の違いから来るものかもしれない。 生の舞台ではないので表面をなぞるように見てしまったがいつものシェイクスピアとは違った面白さはあった。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *作品サイト、 http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout6-skylight

■BLOOD-C、The LAST MAIND

■原作:Production I. G・CLAMP,演出:奥秀太郎,出演:宮原華音,南圭介,滝川英治ほか ■世田谷パブリックシアタ,2015.7.2-5 ■実はこの作品は読んでいません。 ストーリーも知らないまま劇場にいきました。 観客は若い女性と所々に中年男性という面白い構成です。 トラムを含め当劇場は今迄とは違った観客構成の作品が多くなりましたね。 役者たちは存在感があり漫画から飛び出てきた単純さ明快さがあります。 チャンバラが多過ぎるのが難ですが全体のスピードとテンションを上げる為には必要なのでしょう。 映像も古典的でしたがダイナミックでよかったですね。 ヘリコプターが飛んできてそれに乗って行くのも面白い。 物語ですが要約したような内容です。 でも場面各々の裏には沢山の過去がへばり付いているのを感じる。 雑誌やアニメで作品に接していた人なら面白いはずです。 漫画史を俯瞰しているようなストーリーで懐かしさもあります。 小夜が記憶を求め進むのとシンクロできる快感がありました。 舞台の楽しさはありますがしかしダイジェスト版をみている感は否めません。 *チラシ、 http://www.negadesignworks.com/blood_c/index.html

■沈黙

■原作:遠藤周作,作曲:松村禎三,指揮:下野竜也,演出:宮田慶子,出演:小原啓楼,小森輝彦 ■新国立劇場・オペラハウス,2015.6.27-30 ■話すように歌うので独特なリズムを醸し出している。 しかも歌唱の合間でも考えさせる時間を観客に与えてくれるの。 松村禎三が作成に時間をかけた理由を感じることができる。 ロドリゴの問いに「日本人に天文学を教えている・・」とフェレイラは的外れな答えをするの? 一度も十字を切らないの? 信徒の呻き声と鼾の間違えが転ぶきっかけになるの? ポルトガル人には踏絵がどう見えていたの? 平凡な疑問が次々と浮かぶ。 それでも感動は湿らない。 ド迫力の十字架と船首甲板のような美術が劇場に負けていなかった。 これが作品に安定感を与えていたのね。 フェレイラは「 さまよえるオランダ人 」の如く存在感が立現れていた。 ロドリゴもさまよえるポルトガル人の仲間入りね。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 htt p://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150627_003708.html

■新・殺人狂時代

■作:鐘下辰男,演出:日澤雄介,劇団:流山児★事務所ほか ■スズナリ,2015.6.24-28 ■重苦しい舞台だった。 暗いし狭いし空気も濁っている。 しかも男ばかりだ。 作家と演出家は似た者同士のため共振してしまったらしい。 今や再び殺人狂時代の入口に来てしまった。 どう対応すべきか? 原発労働者たちに語らせ行動させるのだが正に事故現場なので混乱している。 日常の地道な行動も必要だが切羽詰まった対応も緊要だと言っている芝居である。 今朝のニュース「報道圧力」を見ながら舞台に登場したジャーナリストのことを思い出してしまった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/64556

■サーカス

■演出:森山開次,出演:森山開次ほか ■新国立劇場・小劇場,2015.6.20-28 ■子供向けですが楽しかったですね。 新体操のリボンやボールを真似たり小道具が幅を利かしていましたが、リズムが合ってくると目立たなくなりました。 ミラーボールを被った竹田仁美の素晴らしい踊りを境に、ゆったりとした流れの音楽と振付にダンス本来の面白さが戻ってきたのも嬉しいですね。 華麗な映像と衣装もダンスを巧く引き立てていました。 天井に飾ってあった風船を体に纏って走り回るエンディングもよかった。 まさに「サーカスは心踊る場所」を現前させる舞台でした。 *NNTTダンス2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150620_003727.html

■ゴミ、都市そして死

■作:R・W・ファスビンダ,演出:千木良悠子,音楽:石橋英子,出演:緒川たまき,若松武史ほか ■世田谷パブリックシアタ,2015.6.25-27 ■歌も演奏も生と録音が混ざっているの。 場面間が途切れる為かぎこちない詩をみているような舞台ね。 エロネタも具体的で豊饒さのないドイツ的濃密さを助長している。 かったるいけど精神は冴えている。 この感じがゆっくりと異化効果を持って来るのが肌でわかる。 面白かったわ。 「貧しい娼婦ローマの父ミュラーはナチス党員時代その金持ちユダヤ人の両親を殺していた・・」。 この背景の想像力不足かしら? 娼婦ローマと金持ちユダヤ人の対話に入れなかった。 父ミュラーは「そんなこともあったかもしれない」で終わらせていたけど。 でも三人の役者は好演だったわよ。 「自由の代償」「マリア・ブラウンの結婚」「ベロニカ・フォスのあこがれ」しか見ていない。 でも芝居だとファスビンダの思想が身体を伝わって来るようだわ。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage51610_1.jpg?1435358442

■箱入り娘

■音楽:B・バルトーク,演出:金森穣,出演:NOISM ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2015.6.22-28 ■場内に入ると桃色兎が落ち着いたカメラワークで客席を撮影し緞帳に映写しているの。 兎は上演中もダンサーを撮って舞台上のスクリーンに乗せる役目をしている。 ストーリーは「かかし王子」かしら? 役者のスタイルや衣装の紹介を新潟弁?で紹介する幕開きは劇的さを伴う楽しさがある。 映像を取り入れ絵画的で箱庭のような舞台でのダンスはとても刺激的ね。 ダンサーの機敏な動きがより冴えるからよ。 特にカメラ兎、老魔女、イケ面の振付は面白い。 でも映像の力がどんどん強くなっていくの。 兎の撮影と映写の為ね。 ダンスを見るかスクリーンを見るかの選択を迫られる。 しかしダンスと映像は物語に混じり合って分けられない。 結果ダンスというよりパフォーマンスに近い舞台になってしまった。 ダンスの相対的な希薄性が問題ね。 映像を撮り映すことを強調した作品は初めてかしら? 演出家の総合芸術への飽くなき挑戦は頼もしい。 ところで箱から出たらそこは波打ち際の海岸だった場面は寺山修司を思い出しちゃった。 でもこのような編集映像は方向性が定まらなくなる。 リアルタイムな撮影と映写ならダンス身体へ接近できるけどね。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/hm

■ルル

■原作:F・ヴェデキント、演出:鐘下辰男、出演:演劇企画集団THE・ガジラ ■下北沢・小劇場B1、2016.6.18-21 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage51996_1.jpg?1434666617 ■役者たちの叫ぶような発声で緊張する。 美術や照明もこれに呼応している。 前半の音楽は過剰の見本だ。 エンジンを吹かしっぱなしにしているような舞台だ。 でも緊張感が続かず飽きが来てしまった。 台詞が皆同じように聞こえてきてしまう。  しかし科白が脳に刻み込まれる場面もある。 例えばルルが殺される終幕10分間がそれだ。 旋律が聞こえたと言ってよい。 硬く熱い舞台だったが、演出家の問い「アウトサイダーは可能か?」は勢いだけではせっかくの問いと答えが舞台上で出会えない。 荒削りの舞台は面白いが全体にメリハリをつけたい。 パッションが熟成する条件でもある。 勿論アウトサイダーにも効く。 「・・この問いはそのまま<演劇>は可能か?に繋がる」とチラシにある。 実はこの文章をみて下北へ行く気になった。 芝居を観る取捨選択手順は略決まっているがこういう文言に弱い。

■ジャージー・ボーイズ

■監督:C・イーストウッド,出演:J・L・ヤング,E・バーゲン,M・ロメンダ,V・ピアッツァ ■うん、とても楽しい作品ね。 ヴォーカル・グループ「フォーシーズンズ」物語なの。 ブロードウェイミュージカルが6月末に来日するから借りてきたのよ。 クリント・イーストウッド監督の気配が隅々まで行き届いている。 無駄は省いているけど時代精神が美事に刻み込まれている感じね。 俳優が時々カメラに向かって心の内を話しかけてくるの。 まるで私小説のよう。 面白い構造だわ。 60年頃の若者の行動が上手に表現されている。 しかも初代ブロードウェイ役のヤングと恋人E・ピッチニーニも出演している。 1930年生まれの監督はJ・L・ゴダールと同い年だけど益々冴えてきている感じね。 彼の監督作品でベスト5に入れてもいいかな。 ところでシアターオーブはどうする? *映画com、 https://eiga.com/movie/79806/

■新・冒険王

■演出:平田オリザ,ソン・ギウン,出演:青年団,第12言語演劇スタジオ ■吉祥寺シアタ,2016.6.12-29 ■冒険王はどこに行ってしまったのか? 自身の言葉で国境の話をしなくなってしまったからです。 モタつきながらも自分の足で国境を越えるのが冒険王たちです。 いまや国家を通してしか国境を語れなくなってしまった!? この状況を打破して新なる冒険王は再び国境を越えられるか? それが今回の共同作業とみました。 この作品は2か国語での上演です。 オリザ演劇での字幕は可能なのでしょうか? 青年団の劇的舞台はどこから来るのか? 特長ある科白の余韻が役者と観客の身体を巻き込んで共鳴するからだと考えています。 舞台では英語の通訳もあります。 微妙な冗長や字幕を読むリズムの乱れは避けられない。 そして新冒険王からサッカーの試合結果と共に国境の話を聞くことができたか? 演出家も「何が変わり、何が変わっていないのか?」と問うています。 冒険王の目指す国境が変質してしまったのでしょう。 *劇団サイト、 http://www.seinendan.org/play/2015/06/4357

■白鳥の湖

■音楽:P・チャイコフスキー,振付:M・プティバ,プティバ,演出:牧阿佐美,指揮:A・バクラン,出演:長田佳世,奥村康祐,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.6.10-14 ■梅雨時の白鳥は白が映えていいわね。 去年は2月だったけど、この作品は今の時期に観るのがベストよ。 しかも楽日だからリラックスできる。 長田佳世は3幕のオディールになってからほぐれてくるの。 主人公にとっては初日だけど、長距離種目だから演出の影響もあるはず。 何度も観る定番作品は舞台に身を任すようになるから恍惚感がやってくるの。 お坊さんの読経と同じ感じかしら? チャイコフスキー三大バレエと浄土三部経は兄弟作品かもしれない。 *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/swanlake/

■東海道四谷怪談

■作:鶴屋南北,演出:森新太郎,出演:内野聖陽,秋山奈津子 ■新国立劇場・中劇場,2016.6.10-28 ■舞台美術はシンプル且つ斬新だが、この締まりのない劇場に誰もが苦労しているのは確かだ。 オモシロイというかツマラナイというか焦点が定まらない舞台だった。 お岩以外が全員男性の為である。 笑ってしまう場面が多いので、死んでゆく者の哀しみや苦しみが素直に伝わってこない。 装飾的現代歌舞伎を狙ったのかもしれない。 気に掛かったので終演後プログラムを買ってしまった。 「南北は・・滑稽を好みて、人を笑わすことを業とす」(諏訪春雄)。 「お岩は男性原理の追及を断罪した・・」(小林恭二)。 この二か所を読んで、怪談なのに笑いが多いのは?お岩以外が男性なのは?の問いが少し解けた。 「南北は非日常が優越している」のはわかるが伊右衛門のニヒルな殺人が表面を覆いすぎている。 「お岩は神である」ようにもみえない。 幽霊場面の多さも江戸時代ならともかく戸惑ってしまう。 この二つが日常と非日常の交流ができず劇的への道が閉ざされてしまった。 お岩が宅悦を呼び寄せお歯黒をつけ母の形見の櫛で髪をすきはじめる場面は唯一女としての存在感が出ていた。 場面転換は独特のリズムがあって面白い。 音楽はちょっとズレていたが、斬新な美術を背景に役者の動きと台詞が上手く同期していたからである。 変化球で三振に打ち取られたような観後感のある舞台だった。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/yotsuyakaidan/

■ドン・ジョヴァンニ-天才劇作家とモーツァルトの出会い-

■監督:カルロス・サウラ,撮影:V・ストラーロ,出演:L・バルドゥッチ,L・グランイチャーレ,E・ヴェルジネッリ ■映画というより演劇らしさが見え隠れします。 台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテが主人公のようです。 モーツァルトはもちろん、サリエリ、カサノヴァも登場します。 しかしパッとしない作品ですね。 ダ・ポンテとアンネッタを大根役者のように演じさせた監督の意図がわからない。 登場人物が「ドン・ジョヴァンニ」へと繋がっていかない。 唯一意見を言うカサノヴァくらいでしょう。 それも申し訳程度です。 劇作家と作曲家の出会いを深く描けないのは監督の想像力不足です。 「ドン・ジョヴァンニ」は地獄へ落ちる場面を劇中劇として上演しますが、美術も衣装も凝っていて面白い。 映像美はよかった。 琴線に触れるテーマなのに勿体ない一品でした。 *映画comサイト、 http://eiga.com/movie/55305/

■ばらの騎士

■作曲:R・シュトラウス,指揮:S・シュルテス,演出:ジョナサン・ミラー,出演:A・シュヴァーネヴィルムス,J・リン,S・アタナソフ,C・ウンターライナ,A・ブリーゲル ■新国立劇場・オペラハウス,2015.5.24-6.4 ■なかなかの演奏だった。 ウィーン風緊張感もあったわ。 指揮者が良かったのね。 元帥夫人の「物思い」が後々まで漂っている舞台だった。 この二人が今日の主役よ。 そして壁厚のある美術構造はこの劇場にとても合う。 浮かんでいる天井の断片にも「時の移ろい」が見える。 オクタヴィアンが少し子供っぽい。 ズボン役は観客が持っている思いの落差が出てしまうから大変ね。 夫人やオックス男爵との精神的な断絶がありしっくりこない。 ドイツ語のせいもあるかもね。 日本人歌手たちも溶け込めない。 硬さのある写実感がでてしまっていたわ。 パーフェクトを狙うのは大変。 演奏と歌唱を堪能したから良しとしましょ。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150524_003709.html

■うむすな-歴史いぜんの記憶-

■振付:天児牛大,出演:山海塾 ■世田谷パブリックシアタ,2015.5.29-31 ■2012年作品です。 先週観た新作「 めぐり 」との二本立てになっています。 砂漠の中、シルクロードを旅しているようでした。 その旅も広がりいつのまにか月面で踊っているではありませんか! 斜めからの照明で砂跡が月面のようでした。 しかも終幕、黒から白に背景が変わり白金のごとく光輝く金星へ舞台を移してしまった! まさに金星舞踏です。 シルクロードから太陽系へと連なる面白い展開だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150520-3050.html

■ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

■作:トム・ストッパード,演出:鵜山仁,出演:浅野雅博,石橋徹郎 ■OFFOFFシアタ,2015.5.4-31 ■場内に入ると配役が幕に写し出されている。 クローディアス、ハムレット、ボローニアス・・そして二人の名前が載っている。 「ハムレット」をローゼンクランツとギルデンスターンの視点から描く芝居らしい。 ハムレット以外を主役にする発想は面白い。 でもこの二人は考えられない。 予期しない死が訪れるというのに軽く観過ごしてきたからである。 舞台を観ながら申し訳ない気分になってしまった。 しかも二人はハムレットに計画的に殺されるのだ。  「今日も無事に過ごせますように・・」と一人が祈る。 二人は予め殺されることを知っているかのような振る舞いをする。 「ゴドーを待ちながら」を観ているのではないか!?と錯覚するような場面が続く。 手紙も開封してしまう。 彼らは逃亡も考えないし、もちろん自殺を試みることはしないしできない。 旅役者座長が黒子付の人形として登場する。 座長の演劇論が面白い。 そして彼の話が二人に感染していく・・。 ハムレットや母、叔父は映像で登場する。 映像との掛け合いも同期が取れていて楽しい。 「ハムレットを待ちながら」戯れたり哲学風議論をするしかないのは、やはり二人は脇役から逃れられないのだ。 *カンフェティサイト、 http://www.confetti-web.com/detail.php?tid=28279

■ひとよ

■作・演出:桑原裕子,劇団:KAKUTA ■ザスズナリ,2015.5.21-27 ■喪服姿が登場する作品を観るのは久しぶりです。 でも初演が2011年だと知って納得しました。 当時はどの劇団も喪服姿の舞台が多かった。 劇団員に合わせているせいか登場人物に重複が多い。 稲村家族と零細タクシー会社の組合せも驚きです。 そのうえ二つも殺人事件が入っている。 食べる場面が多いのも頂けない。 しかし散乱するストーリーと役者たちを束ねていく力のある舞台は面白い。 演出家も登場しましたが顔を知らなかった。 最初は母親こはるだとおもっていましたが、後でチラシの配役を見たら姉園子でした。 嬉しい誤認ですね。 というのは演出家の演技には劇団をどのようにしたいかが滲み出ているからです。 会場雰囲気からも馴染みの客が多そうですね。 この劇団は5年前に一度観ています。 実はホームドラマ系は好きではないので避けていました。 日本風ダイニングルームが舞台にあると現実に引き戻され気が滅入ってしまうからです。 この作品もそうでした。 ですから現代女性演出家の作品は慎重に選んでしまいます。 今回はいろいろと興味を持って観てしまいました。 *劇団サイト、 http://www.kakuta.tv/hitoyo2015/

■2015年METライブビューイング・ベスト3

・ ニュルンベルクのマイスタージンガ ー ・ メリー・ウィドウ ・ ホフマン物語 *今年のベスト3は以上のとおり。 並びは観劇日順、選出範囲は2014 ・15シーズン初演・新演出のフィガロの結婚、イオランタ、青ひげ公の城、湖上の美人、カヴァレリア・ルスティカーナ、道化師と上記ベスト3の計9作品。 *「 2014年ベスト3 」

■カヴァレリア・ルスティカーナ  ■道化師

■東劇,2015.5.23-29(MET,2015.4.25収録) ■カヴァレリア・ルスティカーナ ■作曲:P・マスカーニ,指揮:F・ルイージ,演出:デイヴィッド・マクヴィカー,出演:M・アルヴァレス,E=M・ヴェストブルック,G・ギャグニッサ ■四方が壁に囲まれた暗くて大きな室内に椅子と机が置いてあるだけの簡素な回り舞台。 貧しい衣装だけがシチリアとわかるの。 夫が昔の恋人と付き合っているけど、妻の陰口で恋人の夫と決闘になり夫は殺されてしまうストーリよ。 曲に伸びと力強さがあって愛憎物語に崇高さを与えている。 指揮者は感情まで表現していると言ってたけどそこまで分からなかった。 ヴェストブルックは少し違和感があったわ。 シチリアとは違う北欧の暗さが漂っていたからかもしれない。 間奏曲は有名だけど舞台は間が抜けたみたい。 主役を除いて余計な動きが多過ぎる。 でも決闘で幕が閉じるから少しくらい転んでも様になる作品ね。 ■道化師 ■作曲:R・レオンカヴァッロ,指揮:F・ルイージ,演出D・マクヴィカ,出演:M・アルヴァレス,P・ラセット,G・ギャグニッサ ■床一面に広げられた道具類には圧倒されてしまった。 ネッダは洗濯桶で下着を洗っているんだから凄い。 でもP・ラセットは絵になっていたの。 ヴェリズモの前にネオリアリズモを思い起こすような風景だわ。 妻が浮気をしたので、劇中劇の浮気場面で道化役の夫は妻役の妻を本当に殺してしまう・・。 この劇中劇が曲者なの。 面白い、でも漫画ね。 劇中劇だけが宙に浮いてしまった。 落差を出して最後のセリフを劇的にしたかった? 演出家D・マクヴィガの意図はわからない。  NNTT(2014年) と比較してもMETは混乱している。 *METライブビューイング2014作品 *作品、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_10

■めぐり-海の賑わい、陸の静寂-

■振付:天児牛大,出演:山海塾 ■世田谷パブリックシアタ,2015.5.20-24 ■久しぶりの山海塾、しかも新作です。 古生代ウミユリの化石の壁と敷き詰めた土が、遠くメソポタミアやエジプトの古い時代を思い起こさせます。 床が澄み切った青の照明で海に、乾いた黄色で砂漠のように変化します。 終幕の「回帰」ではゆったりとした動きと悠久の音楽で舞台に沈み入ってしまいました。 「陵」は天児牛大のソロでしたが、なんと映画音楽?が流れるではありませんか。 前後から切り離されています。 これが良かったのかどうか何とも言えません。 「予兆・静寂・振動」場面のダンサーが身体をブルブル震わせる動きは面白かった。 アフリカ大陸の営みにみえてしまいました。 この作品はオリエント世界を飛び回って来たような観後感を持てます。 山海塾の舞台はいつも乾いています。 舞踏の持っているネットリ感がありません。 海外でも人気のある理由しょう。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150520-3050.html

■海の夫人

■作:H・イプセン,演出:宮田慶子,出演:麻美れい,村田雄浩ほか ■新国立劇場・小劇場,2015.5.13-31 ■不規則な床板で色の少し褪せているテラスが素敵ね。 前半は物語を組み立てようと躍起になっているのが見て取れた。 でもあまり気にならない。 演出に余裕が出ていたからだと思う。 船乗りは幽霊かもしれない? 筋を知らないから先をいろいろ想像しちゃった。 エリーダが見知らぬ男と出会った場面でル・グウィンの「ゲド戦記」を思い出したの。 肝心な所で別の作品を想起することはよくあるのよ。 自由や責任を論ずるというよりエリーダの魂の解放や世界の回復と捉えてしまった。 見知らぬ船乗りはエリーダを脅かし続ける自身の影かもしれない。 しかもエリーダの夫や子供たちへの無関心な態度にはある種の自由が感じられた。 子供たちには辛いけど・・。 彼女はイプセン世界の人ではない。 夫を選択するクライマックスでヴァンゲルとの方向がズレてしまった原因はこれね。 結婚は売買でも、この作品がそうだけど最高の贈与に変換する力を持っているの。 エリーダは自身の影を得て売買を贈与に変えることができた。 ボレッテとアーンホルムの婚約も同じ道を歩もうとしているようね。 沼地で鯉の比喩を持ちだして海の香りが消えてしまったけど、海は世界への扉として舞台を最後まで包みこんでいた。 それとリングストランとヒルデの動きと科白はスパイスのように効いていたわよ。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150501_003733.html

■二十日鼠と人間

■作:J・スタインベック,演出:アンナ・D・シャピロ,出演:J・フランコ,L・ミースタ,C・オダウト ■日本橋・東宝シネマズ,2015.5.15-20(イギリス,2015年作品) ■1930年代のカリフォルニア、農場出稼ぎ労働者ジョージとレニーが主人公である。 西部劇が崩れ去った後のような舞台だ。 二人は自分たちの農場を持ちたいと夢を語る・・。 この時代や西部の知識が無い為かとても新鮮にみえる。 農場で働く労働者の言葉の遣り取りや感情表現が力強い。 人間関係が直截で気持ちが良いくらいだ。 二人の野宿場面のくだらない一言一言さえもスクリーンを凝視してしまった。 まさに生きている日常会話である。 但しこれには仕掛けがある。 レニーの頭を少し弱くしている。 これで純粋世界に入っていける。 そして解説者も言っていたが、この作品はスタインベックの思い出が描かれている。 彼の幼少時代である。 この二つが結びついて面白い舞台味を出すことができた。 それは人恋しさを他者に素直に打ち明けることのできる豊かさだろう。 人恋しさは夢を語る必要条件だから。 さあ「夢のカリフォルニア」ヘ! *NTLナショナル.シアター.ライブ作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/81581/

■椿姫

■作:G・ヴェルディ,指揮:E・アベル,演出:V・ブサール,出演:B・ボブロ,A・ポーリ,A・ダサ ■新国立劇場・オペラハウス,2015.5.10-26 ■舞台下手の壁は鏡だから登場人数が倍にみえる。 でも紫の照明が独特な雰囲気を演出していて、広々とした空間に静けさが漂っている感じだわ。 無機質な劇場が余計目立ってしまった。 衣装は良かったけど癖のある美術ね。 ヴィオレッタもアルフレードも最初は調子が出ない。 でも2幕、アルフレードがヴィオレッタを侮辱する場面から声に深みがでてきたの。 上手背後の壁が取り外されたからよ。 壁が音の通りを邪魔をしていたのかな? 若い声のアルフレードは物語に合致しすぎて盛り上がりに欠けるようね。 明るく華やかな音楽にヴィオレッタが背負った寂しさが重なりなんとも言えない感情が湧き上がってくる舞台だった。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150510_003710.html

■聖地X

■作・演出:前川知大,劇団:イキウメ ■シアタートラム,2015.5.10-31 ■何が出るか?驚きの劇団だから粗筋も読まず劇場へ行ったの。 縦波模様の壁に照明が映えていて簡素だけど素敵な美術ね。 シンプルで社会性に拘っている衣装も。 兄と妹、上司と部下の小気味よい対話が現代を巧く捕まえている。 台詞の切れ味の良さと役者の動きの面白さが行き届いていたわ。 積極的に信じることでヒトやモノが出現する事象はSFではよくある。 これをドッペルゲンガーに結び付けたのがミソね。 でも分身たちを強引に一つにする苦労が見えすぎている。 たとえば終幕、差異の解消に3人目の会社員東を作ったことで流れを混乱させてしまった。 この苦労が喜劇にみえる。 データへの過剰依存は舞台を冷えさせてしまう。 結局は科学と宗教の境界線上を歩く戦慄がやって来なかった。 よくできている舞台だったから少し残念。 観後早速にドッペルゲンガーを調べたけど、この言葉の奥には謎が無いかもしれない。 この言葉を選んだ時点で境界線は遠のいてしまったのね。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150510-3089.html

■蒼の乱

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:天海祐希,松山ケンイチ,劇団☆新感線 ■丸の内東映,2015.5.9-(2015.5.9収録) ■出だしは台詞も動きも下手な散文を読んでいる感じです。 でも馬や草原の話は楽しかった。 野田秀樹の「キル」を思い出してしまった。 はたして蒼真が将門御前と名のった場面からが素晴らしい。 一転して劇的ある韻文のようになった。 そして終幕まで一直線です。 祭り事の妙味が生きていました。 朝廷派や将門派・蝦夷派、その派内での立場の相違も絡み合って面白い。 役者達の次の行動はどうすればよいのか? 相手を信じられるか? 観ながら真剣に考えてしまいました。 平将門小次郎は迷い裏切られて死んでゆく。 日本の権力者たちは約束を体系化できない。 しかし大陸から来た蒼真は体系としての契約を仄めかす。 小次郎の愛した草原と風を継いでいく蒼真の姿は解放感に溢れていました。 *ゲキXシネ作品 *作品、 http://www.geki-cine.jp/aonoran/

■明治悪党奇譚

■原案:河竹黙阿弥,作・演出:佐藤伸之,出演:オフィスパラノイア ■「劇」小劇場,2015.5.1-6 ■因果の繋がりを粛々と進めていかないと二時間では終わらない。 強弱リズムをどこに付けるか? 主人公を誰にするのか? この舞台では十三郎とおとせのようだが少し影が薄い。 三人吉三は時代に追いつけず主人公になれない無法者にみえた。 形式的科白が多かった為かもしれない。 お坊吉三は適役だろう。 伝吉は堅気になったら滑らかさが出てきたし、おみやの存在感の面白さには笑ってしまった。 主人公不在の因縁果を積み上げていくと、江戸から明治の変化する時代意識が舞台に現れてくる。 夜鷹や巡査も主人公として組み込まれていくようだ。 下北沢をブラブラ歩きながら思い返してみたが、明治時代の東京湾沿いで何日か生活してきたような観後感だった。 現代からみれば悪党揃いだが、死が身近な当時からみるとちょっと外れた人々の明治庶民群像劇かもしれない。 *CoRichサイト 、 https://stage.corich.jp/stage/63679

■TSURA

■振付:平原慎太郎,出演:ORGANWORKS ■シアタートラム,2015.5.4-6 ■平原と7人のダンサーが登場。 切れ味の良い動きで緊張感がありましたね。 やはり季節柄カラダの応答も速いのでしょう。 ダンサー間の反射的動きが一つの形として完成されていました。 この関係をTSURA=面として結び付けたのでしょうか? 音楽家と美術家を新しく招いたと書いてありました。 正解です。 良き緊張感はこれが近因でしょう。 鐘や笛のような響きのある音と、スモークの中に青を含んだ強い光が独特な空間を出現させていました。 虫の音でしょうか? 凝縮された光と漂う音の融合が面白い。 ここの凸型舞台の欠点が出ていた。 凸がダンサーに制約を与えていました。 大きな動きは少なかったのですが一旦停止するような印象を受けました。 ところで平原の体がひとまわり大きくなりましたか? カーテンコールを全速力で走り出て走り去るのにも力強さがでていた。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150504-1561.html

■觀-すべてのものに捧げるおどり-

■振付:林麗珍,出演:無垢舞蹈劇場 ■静岡芸術劇場,2015.5.2-3 ■女性ダンサーはエリマキトカゲのようなショールを被り長い爪をカチカチさせ、男性は頭に2メートルもある細長い羽をつけ手に槍を持っているの。 白と褐色の肌が溶け合う雌雄の交尾、雄同士の激しい戦い、飛び跳ね回る身体、雌と出会った思い出だけの短い命・・。 昆虫の喜びや哀しみを体感できた! その昆虫世界より先の純粋世界に行ける力ある形も持っているの。 それは自然を昇華した動きに連なる。 腰をかがめてゆっくり歩く姿を見ていると物理時間から解放されていくようだった。 人間世界から、そして昆虫つまり自然世界からも離れることができる。 静かに深く、より遠くまで行くことができる舞台って最高ね。 *劇場サイト、 https://spac.or.jp/fuji15/song-of-pensive-beholding

■夜が明けたとしても・・・

■作・演出:大橋泰彦,出演:劇団離風霊船 ■スズナリ,2015.4.23-29 ■シンメトリーのある古びた商店街が舞台である。 体操場面もそうだが役者達も対称性のある動きが多い。 このシンメトリーは意識しないと見落してしまうが、作品としての美的効果が表れている。 多分これは演出の合理化を狙ったのだろう。 ヒトラー側近のゲーリングを信奉する日本政府関係者が少子高齢化の地方再生を推し進めていく。 ナチズムの指導者原理を若者に適用し、国民の鈍感さを見透かして民族共同体主義へと向かわせる話である。 市職員たちの仕事の進め方やデータ処理、お辞儀や笑顔の作り方など本物にみえてしまった。 市長の不倫もリアルである。 比して商店街場面では笑ってしまった。  終幕に、指導者原理を一時中断する国家計画暴露のドンデン返しは構造として面白い。 これで純平の行動が真木への復讐だったという気の抜けた話をなんとか持ち直した。 舞台をまとめる責任感が前面にでてしまったようにみえる。 芝居としての謎が残らない。 しかし今の時代、国家と対峙する必要性は届いた。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage51096_1.jpg?1430164661

■こうもり

■音楽:J・シュトラウス2世,指揮:A・フェラーリ,振付:R・プティ,出演:湯川麻美子,福岡雄大,八幡顕光 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.4.21-26 ■パントマイム・バレエのようだわ。 そのような言葉があればだけど。 仕草などで心情が表現できるからいつものダンサーの違う面が見られる。 ストーリーはオペラと違うみたい。 美術も衣装も「こうもり」としては普通だけど、一幕はセクシーさが出ていてとてもよかったわ。 ウルリックの道化的動きは舞台を和ませていた。 二幕は仮面舞踏会に期待したけど残念ね。 夜から昼の世界になってしまった。 背景の木々や衣装も舞踏会に似合わない。 フォークダンスみたい。 これだけの落差を出したのは何か理由でもあるのかしら? でもフィナーレは一幕の続きに戻れて最高だった。 ところで湯川麻美子の引退公演なの。 彼女は意味を表現するのに長けているからこの作品も適役ね。 今日も素敵だったわ。 *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/komori/

■メフィストと呼ばれた男

■作:トム・ラノワ,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2015.4.24-26 ■なぜ自由席なのか場内に入って分かったの。 舞台の一部を客席に、同じように客席の一部を舞台にしたからよ。 主人公はベルリン国立劇場芸術監督兼俳優クルト・ケプラ。 観客は実舞台の上で国立劇場で繰り広げる物語を体験することになるのね。 稽古場面では劇団員になったような感覚に陥ってしまったわ。 でも役者が正面向かって喋ってくれないから台詞の一部が聞こえ難い。 広い客席を取り込んだから集中できないのが欠点ね。  1932年、ナチス文化大臣が現れクルトが監督として劇場を維持していくことになる。 同僚の亡命や粛清が続いていくけど1945年、ナチス文化大臣が自殺しソビエト文化大臣が着任したところで幕が下りる。 「すべて自由にやりたまえ! 少しは国家の意向も取り入れてくれればそれでいい・・」。 ソビエト文化大臣の芸術監督への挨拶もナチス時代と同じね。 シェイクスピアやチェーホフの多くの作品が議論され上演されるの。 その場面がストーリーにどう関係するのかを考えてしまうので楽しいけれど疲れる。 特にクルトの心情が劇中劇に表現されているからよ。 「・・腐っている」と叫び続けるクルト。 でもここに到達するまでの心の揺れがみえない。 帰りにチラシ「抵抗と服従の狭間で」を読んで舞台上クルトは実在人物に近いことを知ったの。 不安しか持てないクルトは結局ナチスに加担していく。 この消極的希望がクルトを見えなくしていたのね。 亡命を決意し粛清と戦うには不安を越える何かが必要なのかも。 熱く演じるけど冷めて届くという舞台だった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/63548

■阿修羅城の瞳2003

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:市川染五郎,天海祐希,夏木マリ,高田聖子,劇団☆新感線 ■新宿バルト9,2015.4.11-(2015.4.11収録) ■人間道と修羅道が交わる物語です。 人と鬼の戦う因果が省かれてるので修羅を取り巻く怨念や情念の弱さはあります。 又つばきが阿修羅に成長変身した時のインパクトがない。 修羅王のイメージをどう出すか? 天海祐希も戸惑っているようにみえました。 しかしこれらを越える面白さがあります。 愛し合うが殺し合う二人、出門とつばきの存在感ある演技、それを取り巻く鶴屋南北・安倍晴明など個性豊かな役者たちの速いテンポとリズミカルな展開が素晴らしい。 この種の物語は劇画でも目にしますが舞台の動的な特長が遺憾無く発揮されていました。 あっ、というまの3時間でした。 *ゲキXシネ作品 *作品、 http://www.geki-cine.jp/ashura-jo03/

■クロードと一緒に

■作:ルネ=ダニエル・デュボア,演出:古川貴義,出演:松田凌,唐橋充,山口大地,鈴木ハルニ ■シアタートラム,2015.4.17-23 ■客席は若い女性でいっぱい。 殺人で自首した男娼イヴを刑事たちが事情聴取する話なの。 会話はモントリオールの通りの名前や時刻など固有名詞や数値を繋ぎ合わせて反復するからコンガラカルゥ! 取調べはいっこうに進まない。 イヴは何か隠しているからよ。 そして後半に入りイヴは被害者クロードとの愛を独白し始めるの。 「美しい、とろけるようだ、・・」。 ・・。 科白は甘い言葉が散りばめられているけど舞台はとても淡泊だわ。 そしてそのまま幕が下りてしまった。 大事な台詞を聞き洩らしたのかしら? 独白場面がクライマックスにはみえない。 判事や大臣の話は脇道よね。 刑事もイヴも演技は燃えていたから原作に原因があるのかしら? イヴはまだ何か隠している・・。 観客が身動ぎもせず緊張感を持って観ていたのが異様だった。 「・・の穴」のセリフが多かったからネ。 *作品サイト、 https://www.zuu24.com/withclaude2015/index.html

■ウィンズロウ・ボーイ

■作:T・ラティガン,翻訳:小川絵梨子,演出:鈴木裕美,出演:小林隆,中村まこと,竹下景子,森川由樹 ■新国立劇場・小劇場,2015.4.9-26 ■粗筋を読まないで劇場に行ったのですが、これは正解でした。 次男ロニ・ウィンズロウが窃盗容疑で海軍兵学校を退学させられる話です。 家族はロニーの無実を晴らすため行動を起こし裁判に持ち込む・・。 第一次世界大戦前夜、ウィンズロウ家族は夫の年金・兄の大学中退・姉の婚約と破談そして窃盗容疑など暗い話が続いていきます。 でも彼らの社会に向かっていく行動力がその暗さを吹き飛ばす。 そして家族は裁判を仲介して海軍つまり国家と対峙していきます。 一人ひとりの国民の権利を蔑ろには出来ない。 これは国家より先行するものである。 先日「 追憶のアリラン 」を観ました。 おなじく裁判で無罪になる話です。 「追憶・・」で描き切れなかったことが今回は少なからず言及されています。 それは法や権利、人権や正義の問題です。 時代や背景は異なるのですが、20世紀日本の戦争を題材にした芝居は辿りつけないもどかしさがいつもあります。 日本の戦争を語る時これらの問題は論外だからでしょう。 モートン弁護士が涙した理由を姉キャサリンが尋ねたところで終幕になります。 ウィンズロウ家族に英国人権史をみた舞台でした。 ところで姉や兄、家政婦など周辺をかためる役者たちがよかった。 劇場演劇研修所修了生らしい。 これからが楽しみですね。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150401_003732.html

■追憶のアリラン

■脚本:古川健,演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ ■東京芸術劇場・シアターイースト,2015.4.9-19 ■1945年、朝鮮総督府平壌地方法院検事局検事豊川千造は人民裁判で無罪になる。 無罪理由は説明されません。 朝鮮人同僚・友人との良き付き合いが裁判側組織を動かしたと考えるしかない。 個人が組織に影響することを問い直そうとする芝居に見えました。 家族を殺された憎しみが相手民族や国家に広がるのを防ぐにはどうしたらよいか? 夫を日本軍に殺された証人の妻は言っています。 豊川は殺す側の組織の重要な一員だから有罪であると。 しかし組織ではなく個人を優先した。 広がる憎しみを回避する、劇団が出した一つの答えでしょう。 チラシに1868年から1953年迄の朝鮮半島年表が載っています。 この100年があまりにも異常だったことを芝居は思い出させてくれました。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater080/

■NHKバレエの饗宴2015

■指揮:園田隆一郎,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■NHK・Eテレ,2015.4.12 4作品で 昨年の同番組 より絞り込んでいる。 それぞれが競合しないので作品の特長がよく見える。 しかも流れに起承転結を意識でき日本バレエの一つの断面を見せてくれた。 企画が練れていたと言ってよい。 ■「パキータ」、振付:M・プティバ、出演:牧阿佐美バレエ団 日本的な雰囲気が微かに感じる。 手首から指先にそれが表現されている。 スペイン風衣装がこれとまざりあっていてヨーロッパからずれた面白さがある。 楽しく観ることができた。 ■「SUPERNOVA」、振付:金森穣、音楽:黛敏郎、出演:NOISM1、渡辺玲子(バイオリン) ダンサーたちの距離感が絶妙である。 スパイダーマンのようなネットリした動きがバイオリンと同期している。 顔を隠す衣装が人形を連想して人間世界から離れていく感覚が出ている。 生の舞台で観てみたい。 ■「カルメン」から抜粋、演出:篠原聖一、出演:下村由理恵バレエアンサンブル ドラマチックバレエ?はあまり見たことがない。 大筋は知っているが感情表現が連続しているので意味を追ってしまいダンスの楽しさが減ってしまった。 もっと概略化してもよいとおもう。 ■「 眠りの森の美女 」から第3幕、振付:W・イーグリング、出演:新国立劇場バレエ団 これは素晴らしい。 パワーを隠し、技で勝負している。 バレエを観る喜びを教えてくれる。 初台を離れると全力を出し切ってくれる。 * NHK サイト、 http://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=455

■湖上の美人

■作:G・ロッシーニ,指揮:M・マリオッティ,演出:P・カラン,出演:J・ディドナード,J・D・フローレス,D・バルチェッローナ ■新宿ピカデリー,2015.4.11-17(MET,2015.3.14収録) ■歌唱量で圧倒される感じね。 アリア、二重唱や三重唱が程よく分散されていて作品にリズムがあった為かもしれない。 ディドナードとフローレスはいつものコンビだけど、バルチェッローナとオズボーンも素晴らしい歌唱だった。 ディドナードがオズボーンを意識しているのがみえて楽しかったわ。 指揮者も若くて活きがよかった。 舞台はとても暗い感じがするの。 原作者も演出家もスコットランド出身でしかも喜劇ではないからだとおもう。 三人がエレナを愛してしまうのも珍しい。 だから一人をズボン役にしたのかしら? それともコントラルトの位置づけかしら? 一幕は物語が非連続的に前進するけどもっと短くしてもいいかもよ。 ロッシーニを聞くと体重が軽くなるわね。 *METライブビューイング2014年作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_09

■運命の力

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:J・L・ゴメス,演出:E・サージ,出演:I・タマ,Z・トドロヴィッチ,M・D・フェリーチェ,K・ケモクリーゼ,松位浩 ■新国立劇場・オペラハウス,2015.4.2-14 ■序曲を聞きながら王侯貴族の名前が書かれている赤色の紗幕を見ているとスペインの過去に吸い込まれていくようだわ。 運命の力とは何か? 事象の多くが偶然なの。 銃の暴発も戦場での出会いもそして終幕の三人の再会もね。 「偶然の力」+「宗教の力」=「運命の力」の式は19世紀も揺がない。 でも「物語の力」が弱いから誰が主人公かわからない。 三人が揃って舞台に登場することが一度も無かった(?) 二人が逃げ隠れたため兄カルロの「復讐の力」が舞台に充満してしまったの。 アルヴァーロの「歌唱の力」が物語から外れてしまっていたのも理由よ。 背景ではプレツィオジッラがジプシーや兵隊の群衆を、ガァルディアーノ神父が短いけれど心に響く、「対話の力」で巧くまとめていた。 レオノーラが息絶える終幕のアルヴァーロの心は読めなかった。 でも上記の式の強さがアルヴァーロを越えて迫ってくるのは、時代を受け入れたヴェルディの「職人の力」かもしれない。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150402_003711.html

■マハゴニー市の興亡

■台本:B・ブレヒト,作曲:K・ワイル,指揮:M・ウィグルスワース,演出:J・フルジェームズ,出演:C・ライス,A=S・V・オッタ,K・シュトライト ■新宿バルト9,2015.4.2(ROH,2015年収録) ■終幕には舞台がコンテナで一杯になるの。 積み上がった直方体のくすんだ色がお見事。 映し出される映像も狂乱の街を華やかに塗り上げていた。 そして叙事的演劇の延長のような叙事的歌唱で1930年世界を呼び寄せているのが最高ね。 作られた現実から本質を捉えようとする面白さがある。 でもカネ・酒・セックスが剥き出しで共振し過ぎているかもよ。 「三文オペラ」より直截でブレヒトとワイル両者の顔がよくみえる。 ワイルがブレヒトを炙り出したのね。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2014シネマシーズン作品

■今晩は荒れ模様

■構成・演出・振付:笠井叡,出演:上村なおか,黒田育世,白河直子,寺田みさこ,森下真樹,山田せつ子,笠井叡 ■世田谷パブリックシアタ,2015.3.26-29 ■女性ダンサー6人が次々登場して舞うのだが比較ができて面白い。 黒田育世は素人ぽい踊りをする。 息は激しく苦しそうだ。 寺田みさこはダンスの踊る喜び観る喜びを教えてくれる。 二人で踊った上村なおかと森下真樹は台詞の喋りが身体と巧く繋がっていない。 白河直子は我が道を行く感じだ。 最後の山田せつ子は動きと形に思想を持っている。 音楽もいい。 笠井叡は最初と最後そして山田せつ子に途中から入る。 「戦争の時代は終わっている」とチラシにある。 「戦争」を前提で事に当たれば必ず戦争は近づいてくる。 日々の生活の中で、この前提を捨て去り乗り越えようと言っているようだ。 彼女たちの真摯なダンスを観ることができ愉快であった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/03/post_391.html

■イオランタ  ■青ひげ公の城

□イオランタ ■作曲:P・チャイコフスキ,指揮:V・ゲルギエフ,演出:マリウシュ・トレリンスキ,出演:A・ネトレプコ,P・ペチャワ ■東劇,2015.3.28-4.3(MET,2015.2.14収録) ■G・オキーフを思い出すわね。 「 エフゲニ・ネオーギン 」はA・ワイエスだった。 チャイコフスキはアメリカ美術に馴染むのかしら? 舞台は時間がゆっくりと過ぎていくの。 歌唱が安定していたから尚更ね。 チャイコフスキ(?)の思想が詰まった作品にみえる。 「見るとはどういうことなのか?」。 視覚に依存しがちな現代を窘めているようね。 一元論的な自然観・生命観に始まり終幕に近づくほど宗教を感じるの。 でもロシア正教との繋がりはわからない。 宗教歌劇の一つだとおもう。 □青ひげ公の城 ■作曲:バルトーク・B,指揮:V・ゲルギエフ,演出:M・トレリンスキ,出演:N・ミカエル,M・ペトレンコ ■四角の枠で空間を仕切るのは「イオランタ」と同じ。 この形は舞台に集中できるの。 ユディットは金髪に緑の衣装。 化粧も含めるとT・レンピッカの作品から飛び出てきたようだわ。 心の影をもっと表現してもよかったけど。 緊張感ある詩的な舞台だった。 歌詞と歌唱と音楽が絶妙! オペラのように動きの少ないほうが似合うのかもしれない。 寺山修司作は観ているけどこのような感動は初めてよ。 でも映像の多用は折角の舞台を台無しにしていた。 序でに7扉の女たちはP・デルヴォーのシュールさを表現したら面白いとおもう。 そして東欧美術で固めるの。 解説でJ・ディドナートは二本立ての効果を言っていたけどそうは思わない。 光と闇がお互い打ち消し合ってしまったから。 *METライブビューイング2014シーズン作品 *作品、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_08

■丹下左膳-百万両の夢枕-

■作:趙博,演出:金守珍,劇団:新宿梁山泊 ■東京芸術劇場・シアターウエスト,2015.3.15-29 ■この劇場はいつもレトロな雰囲気を感じさせてくれる。 イーストとは違う何かがある。 これに沿った作品しか観ないからかな? 席数が微妙に影響しているのかもしれない。 幕開はポツダム宣言受諾直前の御前会議のようだ。 スメロギから天皇制にも話が及ぶ。 そして場面は発電所事故が起こった現代の町へ・・。 そこでは事故に群がる利権屋と職を求める人々が蠢いている。 事故を隠蔽したい国家と利権が結びつき異様な世界が出現する。 この風景を描くことができる数少ない劇団である。 しかし20世紀と21世紀の決定的看板「ARBEIT MACHT FREI」「原子力エネルギの明るい未来・・」を二つも掲げられてしまうと逆に舞台をFREIに飛び回れない。 丹下左膳はこの隠蔽手段としての現地映画撮影に登場する俳優らしい。 しかも行商人の売る飴を舐めると夢で左膳と出会うことができる。 唐十郎的世界で楽しい。 最後に左膳は利権屋のボスを倒すのだが、前後を省略した流れにみえた。 「核々、死か慈か」という歌と踊りで幕が下りる。 趙博の政治世界を金守珍の演劇世界にソフトランディングさせたような舞台である。 二人の拮抗が随所にみられる。  梁山泊のいつもの面白さは見えない。 作者趙博の厳しさが出ているからだろう。 *劇団サイト、 http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/works_tange.html

■トリプル・ビル

■出演:新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・中劇場,2015.3.14-22 ■3作品を上演。 気に入ったのは2作目の「ドゥエンデ」(振付:N・ドゥアト)。 激しい動きだが内面は柔らかさを感じる。 精神的豊かさを持っている。 心が満たされていくようだ。 ドゥアトの作品はハズレが少ない。 彼の特集を又やって欲しいな。 1作目は「テーマとヴァリエーション」(振付G・バランシン)。 26名のダンサーが登場する個所もある。 中劇場ではちょっと窮屈な感じがした。 前半は映画でいう「シーン」が短く連続した流れにはみえない。 この二つがバランシン的恍惚感がやってこなかった理由かもしれない。 音楽優先過ぎだろう。 後半はよかった。 3作目は「トロイ・ゲーム」(振付:R・ノース)。 ノースは初めてである。 古代レスリングを表現しているようだ。 マッチョな感じも出ている。 しかしスポーツを題材にしたダンスは面白くない。 両者は似た者同士だからかな? スポーツをなぞるだけで両者の核心に到達できない。 前回の「 ファスター 」も方法論が違っていたが同じである。 *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150314_003721.html

■三人姉妹

■作:A・チェーホフ,演出:三浦基,劇団:地点 ■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2015.3.9-22 ■体育館のような空間です。 天井から白樺が10本近くぶら下がっています。 そこに汚れた硝を嵌めた可動式の長い壁が一つ置いてある。  役者たちは絡みつきながら床を這いまわります。 セリフは高低を強調した喋り方ですが、思い立ったように顔を手で伏せ溜息のような声を発したりもします。 噂話や退屈なこと、死の恐怖そして父やモスクワの思い出が独白のように続きます。 断片的ですが心に食い込んできます。 楽隊の音楽が忘れた頃になると聞こえ哀愁を漂わせます。 曲名は知りませんがロシアも運んできます。 リズミカルな流れでは無い。 動きと科白が非同期になり沈黙も訪れます。 このとき現実に戻され役者の素顔が現れます。 存在感を保てるか否か? 上手い下手がよく見える舞台ですね。 台詞を喋る役者はその身体に宿る自分と対話しているようです。 じゃれ合い這いまわるのは「人は世界とすれ違う」ことから逃れられない身体表現だからでしょう。 他者を求める意味が蒸発してしまった姿です。 演出家の言っているリアリズム演劇なのでしょうか!? 観た後は脳味噌がリアルになったせいか「今日こそ、ざまぁ見ろ」と呟いてしまいました。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/SANNIN

■黒塚

■演出・美術:杉原邦生,監修:木ノ下裕一,劇団:木ノ下歌舞伎 ■こまばアゴラ劇場,2015.3.11-22 ■木材で組み合わせた舞台(約3mx8m)を挟み両側に客席がある。 巡礼山伏はハイキング衣装の現代人である。 現代口語で話す。 しかし老婆は違う。 見窄らしい着物姿で言葉遣いも古さと新しさが混ざっていて掴みどころが無い。 時間差のある山伏たちと老婆の遣り取りが面白い。 老婆は山伏たちに約束を破られ死体を見られてしまう。 ここで老婆が鬼婆になった由来が劇中劇として語られる。 老婆はむかし公家に乳母奉公していたが病気の姫に胎児の生き胆を与えるため妊婦を殺してしまう。 ・・妊婦は老婆の子であった! ズズッと深みにはまる場面である。 そして老婆は鬼婆になり踊り狂う。  由来話で幕が下りるかとみていたら鬼婆を仕留める続きがあった。 思い切って省いてしまったほうがスッキリするだろう。 終わりそうで終わらないダラダラした流れに感じた。 あと山伏たちと老婆の時代差をはっきりさせたほうが面白味が出るのではないか? 老婆の話し方に現代口語があり不思議世界が遠のいてしまった。 共時的表現の試みのようだが実験段階の舞台にみえた。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/1109

■マノン・レスコー

■作:G・プッチーニ,指揮:P・G・モランディ,演出:G・デフロ,出演:S・ヴァッシレヴァ,G・ポルタ,D・イェニス,妻屋秀和,望月哲也 ■新国立劇場・オペラハウス,2015.3.9-21 ■ル・アーブルの港はNASA宇宙センターのロケット発射場のようね。 そして行き着いた先はニューオーリンズではなく火星! 火星での赤い岩と赤い夕日、そして青い闇の中でマノンとデ・グリュは息絶えてしまう・・。 ここまで行くと天晴と言うしかない。 でも白を基調とした無機質美術で音楽と歌詞に集中できたわよ。 衣装がとても映えていた。 独特な詩的舞台が出現したと言っていいかもね。 しかも悪者が一人も登場しないの。 ジェロントは丸みのある道化師だし、マノンもファム・ファタールのようには見えない。 兄も優しい。 歌唱もこれに沿っている。 東日本大震災との関係かな? 風景と共に抽象的情念が舞台を覆っているの。 21世紀のマノン・レスコーの姿かもしれない。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150309_003712.html

■砂の骨

■作・演出:中津留章仁,劇団:トラッシュマスターズ ■シアタートラム,2015.3.6-15 ■浮浪者が住み着いている公園が舞台です。  そ こに机や卓袱台を置いて外食企業の職場や社員アパートの一室に早変わりもします。 この職場で過労死や非正規社員強制解雇やパワハラなどが発生しますが、社員は浮浪者の支援を得て組合結成へと進めていきます。  また社員家族の東日本大震災への係わりや政治家誘拐事件も有ります。 なんとT・ピケティの本も登場します。 働く目的は? この問答が何度も台詞にのぼります。 労働条件の悪化の解決策として組合組織の強化を進める。 役員からパワハラを受けている旧店長もこれに期待します。 ここで幕になってしまった。 中途半端にみえるのは詰め込み過ぎなのでは?  「ピケティは過去・・、舞台は現在・・」と演出家は書いています。 この舞台は現在を詰め込み過ぎて身動きができなくなってしまったのです。  ユニオンも描けていない。 砂の落ちる場面が未来への扉でしょうか? ところで元俳優の浮浪者がカネのため自分の足を切断してしまう。 あの鋸の音が··、芝居ファンとして直視できない! 俳優業の厳しさが迫って来ました。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/03/post_390.html

■ホフマン物語

■作:J・オフェンバック,指揮:Y・アベル,演出:B・シャー,出演:V・グリゴーロ,H・ゲルツマーヴァ,T・パンプソン,K・リンジ ■東劇,2015.3.7-13(MET,2015.1.31収録) ■F・フェリーニにヒントを得たとチラシにあったけど、シャーのインタヴュではF・カフカに言及していたわね。 20世紀初頭を背景にフェリーニが戻って来たような素晴らしい舞台だった。 それとドイツ表現主義というかF・ラングの暗さも取り入れている感じかしら。  パリ・オペラ座と比較 するとMETに軍配かな。 演出家の差もあるけど最後は総合力かも。 今回は照明で周囲全体を少し暗くして舞台を引き締めていたのも特長ね。 それと歌詞がすんなり心に入り込む翻訳だった。 当初ゲルツマーヴァが4役を歌う予定だったみたい。 是非聞きたかったわ。 ステラとアントニアだけになってしまったの。 流石にアントニアは素敵だった。 オランピアの代役E・モーリーは歌唱も演技も楽しかったわよ。 ホフマン役のグリゴーロはどうかしら? 舞台をもう少し見ないとわからない。 色眼鏡をかけるとマーチェクみたい。 「メリー・ウィドウ」もそうだったけど、これもニューヨークの贅沢なリソースをふんだんに使っているようにみえた。 この流れも悪くはないけど観客が麻痺してしまいそう。 *MET ライブビューイング2014作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_07

■欲望という名の電車

■作:T・ウィリアムズ,演出:B・アンドリュース,出演:G・アンダーソン,B・フォスタ,V・カービ ■日本橋TOHOシネマズ,2015.3.6-11(イギリス,2014年作品) ■妹の安アパートの部屋は四方壁がありません。 観客がぐるっと取り囲んだその部屋は回り舞台で上演中は少しずつ動いています。 隠れるところがない。 全てを曝け出そうとしています。 面白さの原点を持っている作品です。 正気と狂気の境界線を描いているからです。 ブランチはこの線上を綱渡りしていけるか? 時代の要請はブランチを狂気にさせ医者に引き取らせるという終幕です。 綱から落ちてしまった。 はたして彼女は狂気的正気で線上を歩き切ったとみましたが、女として生きたい真摯な心はミッチに伝わったでしょうか。 映像ではよくわからない。 劇場で観たかったですね。 ニュオーリンズの蒸し暑さには浸かれなかったが記憶に残る一本となるに違いありません。 ところでブランチの着物はモネの「ラ・ジャポネーズ」を参考にしたのでしょうか? 紅葉と鶴の違いはありましたが赤色は彼女に似合っていました。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ2015年作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/81580/

■ダンス・アーカイヴinJAPAN2015

■出演:石井登,石井かほる,小林洋壱,片岡通人,木原浩太,西川箕乃助,佐藤一哉,堀登,酒井はな,佐々木大ほか ■新国立劇場・中劇場,2015.3.7-8 ■昨年6月第一弾の続きである。 今年はソロ4作品と群舞2作品を復元している。 幕間に片岡康子と森山開次のトークが入った。 群舞「機械は生きている」(石井獏1948年)は器械体操、ソロの「マスク」(石井獏1923年)は舞踏、「恐怖の踊り」(執行正俊1932年)は唐十郎の作品に登場するような衣装と動きと美術を想起する。 「釣り人」(檜健次1939年)はパントマイム、「スカラ座のまり使い」(江口隆哉1935年)は日本舞踊とパントマイムのようだ。 最後の群舞「体」(石井みどり1961年)はなんと「春の祭典」だった。 ダンスのようでダンスでない。 ダンスにみえるのは「恐怖の踊り」と「体」だけである。 20世紀前半の振付家やダンサーの思考錯誤が滲み出ている感じだ。 会場で販売していた「日本の現代舞踊のパイオニア」(監修片岡康子、税抜700円)を買ってきて、今このブログを書きながらパラパラ眺めている。 まだ読んでいないがタイトル副題は「創造の自由がもたらした革新性・・」とある。 なるほど「創造の自由」は今回の舞台を観て感じるところがあった。 体操・舞踏(ノイエタンツ)・日本舞踊・演劇・パントマイム等々何でも利用して前進しようとする自由の豊かさがあったことは確かだ。 *NNTTダンス2014シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150307_003726.html

■結びの庭

■作・演出:岩松了,出演:宮藤官九郎,麻生久美子,太賀,安藤玉恵,岩松了 ■本多劇場,2015.3.5-25 ■脚本家や演出家が二人も登場する。 肩書の境界が低くなっているのかな? 岩松了は少しニヤケ過ぎだが役者としてもなかなか味がある。  舞台は茶系統の部屋と緑の庭が交互に入れ替わる。 この風景色の違いが物語にも影響しているようだ。 あらすじを読まないで観たのでとても楽しめた。 後半の丸尾の結婚話で一挙に緊張してしまった。 5人が表面的だが結晶構造のように結び付いたからである。 ここから終幕まで一気通貫であった。 末次を殺す迄はオモシロイようでツマラナイ。 言葉の綾は楽しめたが結局瞳子が丸尾に「私の心は解かりっこない!」と現実に戻される台詞を言わせてしまう。 日常のカタルシスは得られるが非日常へ飛翔することは無い。 昼ドラ的?な作品だからこれで良いのかもしれない。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/60372

■幕が上がる

■原作平田オリザ,監督:本広克行,出演:ももいろクローバーZ ■TOHOシネマ,2015.2.28- ■「 解体されゆくアントニン・レーモンド・・ 」の続きですね。 同じく高校の部活を思い出しながら観てしまいました。 美術教師というのはどの時代でもストレンジャーですね。 その印象は今でも強く残っています。 ももクロは少し大人びた演技にみえました。 ストーリーが出来過ぎていたからでしょう。 でも青春映画のさっぱり感も持っている為でしょうか、観た後は元気が湧いてきました。 *作品サイト、 http://www.makuga-agaru.jp/

■ハムレット

■作:W・シェイクスピア,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2015.2.16-3.12 ■上演時間が110分。 でも主要場面間の繋がりが滑らかだったのでダイジェスト版のような感じはしなかった。 ハムレットの独白と狂気が明示的に分離され解説を聞いているようだったわ。 ハムレットの目的が言葉化され過ぎたのも一因ね。 周囲との笑いのある対話はグリコのオマケみたい。 そしてハムレットの存在感が抜きん出ていて他が霞んでしまっていた。 なんとか保ったのは敵対するクロディアスくらいかしら? 独白と狂気のハムレットと交通整理する叔父だけで成り立っている舞台ね。 終幕には沢山のチョコレートが天井から落ちてきてビックリ! 日本の敗戦を象徴しているみたい。 実は皆死んでしまった後に何故フォティンブラスが登場するのかということが今でも理解できないでいたの。 帰りに演出家の文章を読んだけどこのような解釈もあるんだ! でも疑問は解けない。 音楽は東南アジアを想像できて素敵だった。 衣装もね。 立てていた棺桶を横にするのは死の残像効果がある。 人形劇も御負ね。 仮面劇だけで十分。 *劇場サイト、 https://spac.or.jp/au2014-sp2015/hamlet_2014

■曾根崎心中

■原作:近松門左衛門,演出:レオニード・アニシモフ,劇団:東京ノーヴイ・レパートリ-シアタ- ■東京ノーヴィ・レパートリ-シアタ-,2015.2.25-3.1 ■ひょっとしたら役者はスーツ姿で登場するのでは? ・・時代や衣装は原作どおりだったのでちょっと残念。 この劇場は席が二列しかなくて横長である。 客席が舞台に張り付いているかのようだ。 この構造を役者も観客もとても意識する。 声の高低で距離の遠近を出したり舞台幅や照明で奥行や深みを表したりする。 くだけた近松門左衛門が登場して進行係を務める。 徳兵衛とお初が心中に向かって一直線に進んでいく。 脇の話は端折ったり人形劇で演じてしまう。 浄瑠璃を意識しているわけでもない。 心中ものはスピード感が大事なのだ。 これと違って大阪弁?の対話は風情があっていい。 時間がゆっくり進む。 この違った二つの時間が計算されていて心地よいリズムが舞台に現れる。 終幕の露天神も照明だけで感動に迫っている。 九平治とのやりとりに論理的矛盾があり感情を抜きにした抽象的表現の為か、二人に死ぬ理由が見えて来ないのは致し方ないのか? 舞台と客席だけではなく役者とも張り付いた空間は物語現場に一寸行ってきた感覚が残る。 *第25回下北沢演劇祭参加作品 *劇団、 http://tokyo-novyi.muse.weblife.me/japanese/pg554.html

■解体されゆくアントニン・レーモンド建築旧体育館の話

■作:オノマリコ,演出:稲葉賀恵,劇団:趣向 ■シアタートラム,2015.2.26-3.1 ■女子大学生9人の入学から卒業するまでの話です。 観ながら高校時代のことを思い出してしまいました。 文学部系は高校の延長のようで楽しそうですね。 9人は性格や行動に沿ったあだ名で呼び合うので、一人一人の輪郭が浮かびあがり大学生活は断片ですが具体的に感じられます。 背景に旧体育館の解体話があるので時間は過去にも飛びます。 学園での4年と体育館の歴史が共時的に重ね合わされ、散文詩のような台詞が持っている爽やかさと共に、ささやかですが一つの青春群像劇が出現します。 ところでアントニン・レーモンドは関西学院大学校舎などの建築家だと思っていました。 今調べたらウィリアム・ヴォーリズだった。 違う建築家の作品を想像しながら観てしまった。 旧体育館は東京女子大学校舎とのことです。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/02/post_386.html

■太陽

■演出:塩谷智司,出演:大駱駝艦 ■壺中天,2015.2.16-22 ■舞踏というより美術作品に近い。 肉体そのものを優先しているからである。 その肌は白塗り黒塗りそして金粉も登場する。 色づく肉体が動きシュールな舞台を現前させる。 そこにコミカルな振付を導入し意味を生じさせ舞台の方向を混乱させる。 この混乱で物語性も希薄になり、より美術に近づいていく感じだ。 太陽とは母親のことを言っているのか? よくわからなかった。 塩谷智司の振鋳は初めて観た。 大駱駝艦の振付・演出は自由度を大きくしても作品として成立する何かが有るようだ。 ある意味いい加減だと言うことかもしれない。 しかし向雲太郎、田村一行、我妻恵美子、そして塩谷など次々と登場する振付家の舞台はどれも個性豊かで面白い。 このような環境を受け入れる組織力を持っているのだろう。 *作品サイト、 http://www.dairakudakan.com/rakudakan/kochuten2015/taiyo.html

■メリー・ウィドウ

■作曲:F・レハール,演出:S・ストローマン,出演:R・フレミング,N・ガン,K・オハラ ■東劇,2015.2.21-27(MET,2015.1.17収録) ■ブロードウェイのバックアップは最強! ストローマンにオハラだもんね。 オペレッタと言うよりブロードウェイ・オペラだわ。 そして駆引きやすれ違いが沢山あって飽きさせないストーリー・・。 歌われる結婚観も的をついている。 衣装も場面ごとに彩を添えていたし、ダンスも最高よ。 METの豊富な資源が舞台にばら撒かれた作品ね。 このニューヨーク・スピリットにはヨーロッパもお手上げかも。 ところでダニロのように愛の告白ができない男性は結構いるものよ。 中年の恋愛は大変ね。 *METライブビューイング2014年作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_06

■仲代達矢「役者」を生きる

■監督:稲塚秀孝,出演:仲代達矢,無名塾 ■ユーロスペース,2015.1.31-2.20 ■仲代達矢の舞台は一度みたことがある。 「セールスマンの死」だ。 癖のある役者だったと記憶している。 それよりも黒澤明など映画のほうが馴染み深い。 映画は彼の過剰な演技を抑えているので傑作が多い。 前半は仲代主演の「授業」を、後半は無名塾塾生主演「ロミオとジュリエット」の作成過程が描かれている。 「授業」では膨大な台詞を書き写して部屋の壁々に貼り暗記する姿が映しだされる。 32年生まれだから今年83歳である。 素晴らしい気力体力である。 「ロミオ・・」では脇役に回り主役たちを援護している。 というのも彼は無名塾が心配なのだ。 後半はこの俳優養成所の話に集約されていく。 組織が消えてしまうのもあり得ると彼は考えているようだ。 役者を成長させる方法論や組織論は映像では語られないが、彼には困難な課題が多々みえるのだろう。 仲代はカリスマ性が強い。 これは塾生を見てもわかる。 しかし道楽で始めた役者である。 このまま道楽で押し通すしかない。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/81463/

■ラ・バヤデール

■音楽:L・ミンクス,振付:M・プティバ,指揮:A・バクラン,出演:小野絢子,米沢唯,V・ムンタギロフ,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラハウス,2015.2.17-22 ■今年みるのは二度目*1。 二幕の舞台美術は素敵だった。 蓮の絵の垂れ幕は開放感溢れていたわ。 衣装も春の軽やかさが一杯ね。 これで三幕の暗さ冷たさがとても引き立った感じがする。 でもダンサーが切り立った岩場から登場するのはちょっと幻滅。 三幕はもっと抽象力が必要なの。 今回は音響がとても立体的に聞こえたわ。 楽器の位置を変えたのかしら? 音響は課題にして欲しいわね。 ダンサーたちは突出感も無く熟されていて調和が取れていた。 ムンタギロフは目立ったけど主役級男性は彼一人だからしょうがないかもね。 楽しかったわ。 *1、「 ラ・バヤデール」(ボリショイ・バレエ団) *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150217_003720.html

■マーキュリー・ファー

■作:P・リドリー,演出:白井晃,出演:高橋一生,瀬戸康史ほか ■シアタートラム,2015.2.1-22 ■登場するゲストは快楽殺人者とでも言うのでしょうか? 性的倒錯を一歩進めたホラーと紙一重の内容ですから難易度が高そうですね。 過去の記憶を物語風に幾つも挿入し語られていきます。 子供時代の拳銃ゴッコは男の子なら分かりますよね。 役者たちは素直と僻みが混ざり合って新鮮です。 そしてバタフライやパーティの謎が舞台を牽引します。 現代の米国のようですが終幕に軍隊が攻めて来るのは驚きでした。 でも倒錯世界では戦争は切り札です。 その軍隊を率いるゲストはベトナム戦争の話はしますがそれ以上は語らない。 ここでパゾリーニの「ソドムの市」を思い出してしまった。 傀儡政府権力者たちが倒錯行為や拷問を繰り返すその空には爆撃機編隊の姿という圧倒的場面をです。 この舞台は段取りが出来ているのにこの圧倒場面が形だけになってしまった。 精神的狂気と社会的狂気の結合が未完成だったからでしょう。 しかもゲストを殺し「正常」を探すところで幕が降り、狂気と正気はすれ違いのままになってしまった。 結合できたら演出家はパゾリーニのようになってしまうかもしれません。 たぶん作者も「正気」の道を表現したかったのでしょう。 舞台の湿気と役者たちの乾気が衝突し独特の生気が漂っている面白い作品でした。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/02/mercury_fur.html

■ニュルンベルクのマイスタージンガー

■作曲:R・ワーグナー,指揮:J・レヴァイン,演出:O・シェンク,出演:M・フォレ,J・ボータ,A・ダッシュ,J・M・クレンツレ ■東劇,2015.2.7-13 ■神も死者も登場しないワーグナーよ。 それも結婚をかけた歌合戦とは。 でも平安時代の歌合せとは違うみたい。 「神聖ローマ帝国が消えてもドイツ芸術は残るだろう」とザックスが言っているように、歌やその背景に高尚さを求めているようね。 歌合せを材料にするとはワーグナー余裕の非凡さがでているわ。 オペラとのネスティングになるからよ。 対話や掛け合いが芝居や歌曲に混ざりこんで重層的な面白さが出ている。 歌合戦に出場する騎士ヴァルタは一幕に靴職人徒弟ダフィトから歌規則を、三幕には歌匠ザックスから結婚を例に歌の作り方を教えてもらうの。 観客は歌合戦の知識を得るから物語がぐっと近くなる。 でも解説的になってしまったのは致し方ない。 日本語訳だから尚更ね。 ベックメッサの2幕「セレナーデ」と3幕「本選歌」の場面は笑わせてもらったけど、彼は裏の主役として印象深かった。 ヴァルターの歌唱は伸びがあって素晴らしい。 エファは田舎娘のようで適役だけど声に量があれば尚良かった。 そしてヨハネ祭は舞台美術の巧さと民衆の動きで本当にお祭り現場にいるようだった。 ワーグナーはいつも意味深な何かを持ってくるの。 市井の話でも寓話などが感じ取れるからよ。 舞台を観ながらこの気配に浸るには6時間近くの上演時間が必要ということね。 *METライブビューイング2014作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_05

■こうもり

■作曲:J・シュトラウス2,指揮:A・エシュヴェ,演出:H・ツェドニク,出演:A・エレート,A・ラインプレヒト,H・ラムネク,M・レオンハルツベルガ,村上公太ほか ■新国立劇場・オペラハウス,2015.1.29-2.8 ■ダンスや芝居も入ったゴッタ煮の喜劇オペラね。 日本語が沢山入っていたから自由度の大きい作品にみえる。 当時のウィーンでもウケたのが分かる。 ファルケ博士のアイゼンシュタインへの復讐喜劇なの。 登場者の多くが復讐に加担していたことが終幕に語られ和解と共に物語の大団円を向かえる。 この緩やかな構造と男女間の駆け引きを積み重ねて嫌味のない軽やかな作品にしているのは素晴らしい。 日本人歌手も前面に登場していて楽しかったわよ。 重量級に対抗するには太太しくならないとダメね。 これを持ったアルフレードの村上公太は安心して観ていられた。 それとアデーレ役のジェニファ・オローリンは声もカラダも脂が乘り始めて素敵だった。 二人は混沌の舞台を引き締めた名脇役ね。 美術はハリボテのようで繋がりがみえない。 1幕は郊外にある中流住宅、2幕はホテルの宴会場、3幕の刑務所は古い物置のようだわ。 アルフレードが新国立劇場の歌手だと言ったらおカネを恵んでもらう場面もあったけど、これでは舞台に費用は掛けられないわよネ。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150129_003713.html

■縁会2012-3中島みゆき

■出演:中島みゆき ■新宿ピカデリ,2015.1.24- ■「 夜会 」はちょっと残念だったけど、今回はコンサートだから少し違う。 しかし記録映像のような内容だ。 楽しみたいなら会場に来い!と言いたいのだろう。 20曲も聞けたから満足だが。 4曲目から調子に乗ってきたようだ・・。 衣装は白のスーツ、黒のドレス、ワインドレス、最後は白ブラウスと紺ベスト。 ブラウス以外はネットリし過ぎている。 ムード歌謡の出で立ちである。 八代亜紀が登場しそうな雰囲気である。 バックは演奏7人にコーラス3人。 いつもの構成に近い。 最後に彼女が挨拶をしたが形式的である。 コクのある静的な舞台だった。 笑顔は変わらないが、このコクが彼女に似合ってきたのかもしれない。 時代が回っていくのがわかる。 *作品サイト、 http://www.enkai-movie.jp/

■人形の家

■原作:H・イプセン,演出:鹿島将介,劇団:重力/NOTE ■横浜人形の家・あかいくつ劇場,2015.2.5-7 ■「人形の家」で「人形の家」を上演するなんて語呂が良すぎますね。 舞台はフロアスタンドとピアノと椅子そして絨毯が敷かれています。 黒系衣装でゆっくりした歩きや身振りの5人が登場します。 喋り方も変わっています。 「演出への質問」に、身振りが日本的にならないようにするためと書いてあります。 これでテキストを直球で投げ受け止めることができる。 効果は終幕にノーラが家を出ていく場面に表れています。 ここは照明が一層暗くなり言葉だけが舞台に漂っているようでした。 これだと究極はリーディングのほうが良いことになってしまいます。 身振り有ったからこそテキストも生きていたはずです。 舞台はムンクの絵そのものです。 ひょっとしたら描かれた人々もこのような喋り方をしていたのではないのか? そんな雰囲気が伝わって来ました。 舞台の陰が一層深まりました。 イプセンとムンクは表裏の関係かもしれません。 *劇団サイト、 http://www.jyuuryoku-note.com/?page_id=1903

■グスコーブドリの伝記

■作:宮沢賢治,脚本:山崎ナオコーラ,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2015.1.13-2.1 ■グスコーブドリ以外は人形。 文楽に似ているけど人形遣いが科白を喋るの。 絵で描いただけの簡素な顔。 表情が付けられないから言葉と身体の結びつきを想像力で補わなければならない。 結果、言葉がハッキリと見えてくるの。 中高生鑑賞事業作品だから言葉が練れているのも理由かもしれない。 「言葉を一杯知ると孤独になる」「今できることをして、あとは未来にまかせろ」「未完成が完成」「出来ない事は笑ってやり過ごすことも必要」・・。 農業を気候や火山という一段高い自然のレベルで考えようとしている科白に聞こえる。 両親の墓前で「宇宙の塵になったのは良いこと・・」と言うのも同じ。 これがそのまま彼の死に繋がっていくの。 自然と一体化した輪廻感が背景にあるけど、ある種の諦念もみえて分かり難いところがある。 でも彼の死がとても澄みきっているのは余分な全てを削ぎ落とした結果ね。 崇高さのある舞台でジーンときてしまったわ。 グスコーブドリは美加理が演じたけどボーイッシュと言うより中性的な容姿や動作が素敵ね。 ズボン役の登場作品は中高生にとって意味深い記憶が残るはずよ。 この舞台を観た若い人は宝塚ファンになりそうね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/60268

■身毒丸

■作:寺山修司,演出:J・A・シーザ,高田恵篤,出演:演劇実験室◎万有引力 ■世田谷パブリックシアタ,2015.1.29-2.1 ■見世物説教歌劇といったところかしら? 舞台は鳥居の朱の柱が何本も立っていて妖しい美しさが漂っている。 箏や琵琶での説経節まで揃って演奏や歌唱に厚みもある。 力の入っている作品だわ。 科白は少なく、20世紀前半を現前させる詩や語りや市井の衣装そして怪しい見世物や音楽が風景としてそれを埋めていくの。 寺山特有の少しギクシャクしている台詞をカバーしていて総合力が出ていたわよ。 生みの母や育ての母・・、母を呪う話なの。 でも作者の母への思いが逆にずしりと響いてきてしまった。 今回はマイクを使っていたけど精度が少し劣るようね。 歌唱が聞き取れない場面が多々あった。 素声の役者は問題なかった。 この劇場は舞台天井から音が抜けてしまう感じだから注意が必要ね。 それは兎も角「舞台は見世物だ」と確信できた渾身の一作だわ。 *演劇実験室◉万有引力・寺山修司33回忌生誕80年作品 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/01/post_383.html

■お暇をこじらせてⅡ

■原案:A.カミュ,O.ワイルド,構成・演出:島貴之,出演:劇団AJI ■こまばアゴラ劇場,2015.1.1.29-2.1 ■「正義の人々」と「幸福の王子」を交互に演じていきます。 帝政ロシア大公暗殺テロリストの10人は皆「ピエロの赤い鼻」を付けています。 彼らはどこかフランス風です。 食器類や小道具の取扱い方もその様にみえます。 王子役のDJが二階にいて音楽指示や燕と話をしますが、その曲もフランスが多い。 実はプレトークでパリの話もあったのです。 初めて観る劇団は心が躍りますね。 ハンドメイドのカラフルな構造を持った演出と美術が特徴のようです。 それと仏蘭西風アンサンブルも付け加えてよいでしょう。 原作の入口は「子供を殺すのを躊躇うこと」「不幸な人々に施しをすること」ですが進むほどにみえなくなります。 それは正義と幸福が、テロリストと王子がどのように繋がるのか? 愛や憎しみや名誉そして最後は神も絡むからでしょう。 DJである王子がこの結論を喋っていたようにみえます。 しかし科白が抽象すぎてよくわからなかった。 進むほどに拗らせてしまったような舞台でした。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/1107

■さまよえるオランダ人

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:M・V・シュテークマン,出演:R・シヴェク,R・メルベート,D・キルヒ,竹本節子,望月哲也,T・J・マイヤ ■新国立劇場・オペラハウス,2015.1.18-31 ■息を飲む展開が続き観後のカタルシスは最高! 死者の登場が舞台芸術の頂点に立つ為の必要条件だと言っているの。 世阿弥が今でも劇的感動を持ってきてくれる理由と同じね。 しかもこれは救済されるから尚更よ。 ダーラントに娘を紹介してもらう場面で、オランダ人がはにかんでる様子はワーグナーの若さが出ているわね。 でも28歳の作品とは凄い。 オランダ人がゼンタと初めて対面する場は久しぶりの緊張を味わったわ。 特にオランダ人の存在感は重要ね。 「指輪」と違って糸紡ぎや水夫たちの世間を肯定する人々が登場するのも初期作品の面白さだとおもう。 そしてゼンタはもっと不思議さを漂わせてもいいかも。 テノールが脇役でバスやバリトンとの対話が多いからよ。 でも彼女の歌唱は素晴らしかった。 飯守泰次郎はマラソン走法の「 パルジファル 」と違い今回は中距離走の指揮をしていた。 上演時間が半分という理由もあるわね? ともかくまだ一ヶ月しか経っていないけど今年初めての納得する一本だわ。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/opera/15derfliegendehollander/

■TRAINING PIECE  ■ASU-不可視への献身-

■TRAINING PIECE ■演出:金森穣,出演:NOISM1ノイズムワン ■KAAT・ホール,2015.1.24-25 ■均質な位置を崩したり組体操のような関係を取り込みながら進みます。 海の中を滑らかに泳いでいる魚のような動きが基本にあります。 毎日のトレーニングを作品にしたようです。 陶酔感が時々訪れます。 マチスのダンスが一瞬見えた気もします。 この感覚に浸りたいのですがNOISMはこれを許しません。 緊張感が漂っているからです。 鏡を多用するのも原因かもしれません。 途中、細鱗のような近未来的デザインの白衣装からカラフルな水着のような衣装に変わります。 高まるテンションにマッチしていました。 「・・バレエを西洋から東洋に解体・発展させる試み」とありましたが、ウーンなるほど。 ■ASU-不可視への献身- ■思いもよらない作品でした。 人類が洞窟生活をしていた頃の、宗教の始原を扱っているかのような舞台です。 観ていて「春の祭典」を思い出してしまいました。 NOISUMの演劇的ダンスからダンス的バレエ、バレエ的ダンス、そしてこの作品はダンス的演劇の位置づけでしょうか? 喉歌が始終歌われていましたがホーミーとは少し違うようです。 舞台も暗いのでイメージが掴み難い。 ということで帰りにプログラムを購入しました。 「不可視への献身」とは可視化情報社会に抗い、且つ20世紀の野生・混沌・直観を越えるエネルギーを舞台に表出させること! ウーンなるほど。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/asu