2011年12月28日水曜日

■ゆめみたい

■演出:中野成樹,出演:フランケンズ
■アルテリオ小劇場,2011.12.23-27
■場内に入ると舞台真ん中で仕切られていて、上手は下手の舞台が見えないあるいはその逆になっています。 ということで空いている上手前席を取りました。 上手は白、下手は青系で統一されている。 これは昼と夜に分けたのだと思いました。
でも仕切りの使い方には規則がないようです。 室内と室外、鏡のような使い方、同時セリフ発声などもありましたが少しガッカリりです。 下手の演技は役者の声を聞いて想像するなどの変わった観方ができない。
チラシに「ハムレットを90分で上演」とあります。 途中までダイジェスト版を観ているようです。 しかし少しずつ過去に観たハムレットが混ざり合ってくる。 これで舞台が想像で膨らんできます。
つまり観客が持っている過去のハムレットの累積を利用した舞台です。 終幕に近い五幕の墓地あたりからはリズムに乗れました。 観終わったあとはいつものハムレットのようでした。 全体のシンプルさが観客の想像力を刺激したのが良かったのでしょう。
*劇場サイト、http://kac-cinema.jp/archive_kako/

2011年12月26日月曜日

■2011年舞台ベスト10

  演出:岩井秀人,劇団:ハイバイ
  演出:金守珍,出演:新宿梁山泊
  演出:市村直孝,劇団:BOTTOM-9
  演出:宮城聰,出演:SPAC
  演出:柴幸男,劇団:ままごと
  演出:森新太郎,出演:橋爪功,石倉三郎ほか
  演出:野口和彦,劇団:青蛾館
  演出:多田淳之介,出演:宇井晴雄,伊東沙保ほか
  演出:平田オリザ,劇団:青年団
  演出:河原雅彦,劇団:シス.カンパニー他
  演出:千葉雅子,劇団:猫のホテル
  演出:鈴木忠志,劇団:SCOT
  出:小池博史,劇団:パパ・タマラフマ

*並びは上演日順。 選出範囲はこのブログに書かれた作品から。 映像は除く。 今年は+3作品がオマケ。

2011年12月23日金曜日

■エレクトラ-オレステスを待ちつつ-

■原作:エウリピデス他,演出:鈴木忠志,出演:SCOT
■吉祥寺シアタ,2011.12.9-25
■「お前はこの胸からお乳をすって大きくなったんだ・・」。 子が母親を殺すストーリーに多くの観客は戸惑ってしまうはずだわ。 母との決別がテーマの一つかもしれないけれど、これでは悲劇としてのカタルシスがやって来ないからよ。
車椅子に乗ったコロスの円と直線の幾何学的な動きはまるで鋼鉄の硬さと強さがある。 しかも打楽器がこれに追い打ちをかける。
激しい近未来の世界を観ているようだわ。 この芝居はコーヒーでいうならブルーマウンテンのブラックを飲んだ後味に似ている。 結果として甘みも苦味も無く精神は高揚するけど静寂が訪れるような感じね。
*劇団サイト、http://www.scot-suzukicompany.com/works/05/

2011年12月22日木曜日

■三人姉妹

■原作:A・チェーホフ,演出:小池博史,出演:パパ・タマラフマラ
■北沢タウンホール,2011.12.20-22
■「1900年初頭と2004年を重ねた1960年代の日本の地方の物語である」とのプレトークに影響されてか、役者の服装や動き・表情が60年代の雰囲気を持っているように見えた。 このレトロな入れ物に豊かな現実を詰め込んだ混沌のパフォーマンスである。
ショーステエジ用?衣装での踊りや女子プロレスまがいのパフォーマンス、マイクを持っての発声練習?なども混乱しそうだが、これらを積み重ねてコクのある舞台となって現れる。 音楽もこの流れに沿っている。 総合力で勝負しているパフォーマンスだ。
三姉妹の「生きていかなければ」のセリフで幕が閉じる。 劇団解散理由を日本社会の過度の混乱が運営に支障をきたしている為とアフタトークで答えていた。 舞台芸術の社会的影響力の低下を食い止められない業界への批判も含まれているのだろう。
*CoRichサイト、http://stage.corich.jp/stage/18889

2011年12月19日月曜日

■別冊谷崎潤一郎

■原作:谷崎潤一郎,演出:鈴木忠志,出演:SCOT
■吉祥寺シアタ,2011.12.9-25
■「お國と五平」の三角関係、「或る調書の一節」の夫婦関係が役者の身体を通してずっしりと伝わってきたわ。 役者の動きがとても少ないから隙がなくて緊張が緩まない一時間だった。
前半は広島弁かしら? このセリフが独特のリズムと雰囲気を醸しだし舞台を豊かにしていた。 また後半は浄土宗派の仏教観が悪人物語に一層の深みをあたえていた。 この宗教思想を取り入れたことが観た後のカタルシスを増幅したとおもうの。
久しぶりに芝居の醍醐味を味わったわ。 この数年では鈴木忠志のベストに入る作品ね。
*SCOTサイト、http://www.scot-suzukicompany.com/works/06/

2011年12月18日日曜日

■三月の五日間

■演出:岡田利規,出演:チェルフィッチュ
■神奈川劇術劇場・中劇場,2011.12.16-23
■7年前の作品ですが、舞台に無駄がなく何もない空間から爽やかに湧き出てきたような素晴らしい作品です。
見知らぬ相手とのセックスや反戦デモへの参加、ラブホテルでの泊まり、繁華街やライブでの屯など、これらは容易に日常に転化しますが非日常の一歩手前で止まっている緊張感があります。
同時に役者は観客の位置にいる眼差しをして、行動を他人に語らせ対話を時々混ぜる変わったセリフで舞台を異化していきます。 とても新しさのある舞台です。 しかし何故新しいのか説明し難い舞台です。
反戦デモの場面は全体からみて劣化しています。 観客への視線やセリフが全体から外れている役者もいます。 このダメな部分が逆に舞台の持っている新しさを炙り出しています。 多くの微妙な関係が安定しないと成り立たないような舞台のようです。
近年は雑多で太り気味な作品が多くてこの良さが弱められているのが残念でなりません。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/chel35

2011年12月13日火曜日

■帰ってきた日本

■原作:長谷川伸,演出:鈴木忠志,劇団:SCOT
■吉祥寺シアタ,2011.12.9-25
■漫画劇なんて初めて観たわ。 チャンバラのスローな動きや小刻みな歩きがコマを動かすようにみえるから漫画劇と呼んだのかしら? 後半は前半の続きと観ていたけど日本の母以外が違ってしまい戸惑ってしまった。 これは母と子、特に男子と、の物語ね。
任侠道は少しは聞いているけど後半はこれに国家がかぶさったので分かり難かったわ。 義理や仁義が世間をそして最後は国家を形成すると、北朝鮮渡世人とモンローのセリフにあったけど、これが創作途中で鈴木が意表を突かれた所ね。
ところで看護婦モンローの存在感は素晴らしいわ。 白く化粧した少しセクシーな歩き方や細かい動作、歌舞伎のようなセリフの喋りかたは役者の身体からひとつの塊のようになって観客へ迫ってくる。 これが鈴木メソッドの化身なのかしら。
そして一部とニ部は分けたほうがいいわ。 同じような場面があり後半は飽きてしまったの。 SCOTの芝居はとても緊張するから1時間くらいが限度ね。
*(SPACサイト)、http://www.spac.or.jp/12_spring/japan.html

2011年12月11日日曜日

■誤/娯楽

■作・演出:赤澤ムック、出演:黒色綺譚カナリア派
■こまばアゴラ劇場、2011.12.8-18
http://image.corich.jp/stage/img_stage/l/stage24417_1.jpg?1323558871
■チラシはとてもよくできています。 観に行きたくなる写真や文章です。 しかし裏切られます。 芝居がツマラナイからです。
ただセリフを喚きちらしているだけです。 言葉が紡いでいかないでセリフそのものが観客に届きます。 役者の肉体も過激にしただけで日常をそのまま見せているだけです。 言葉と身体を統合して劇的にする仕方をこの劇団は持っていないようです。
今回で活動停止と聞いています。 休息と充電が必要です。 そして次への新しい舞台を期待したい。

2011年12月10日土曜日

■わたしのアイドル

■作・演出:千葉雅子,劇団:猫のホテル
■ザスズナリ,2011.12.2-11
■舞台の周辺に男優が4名座っている。 女優二人が親しみのある対話を始める。 小話をつなげていくようなストーリである。 5話くらい進んだところで二人の関係がわかる。 作詞家&マネージャとその歌手のようだ。 その後は流れが見えてきた。
全部で12話くらい続いたが照明や音楽の使い方、男優の登場タイミングなどどれも考え抜かれている。
これは大人の芝居である。 芸能界の内輪は知らないが、しぐさや言葉や些細な出来事が現実社会で経験してきた慣れを含んでいるのがみえる。 だからとてもリアルである。 この種のリアルさに出会う劇団は今はとても少ない。 充実の舞台だった。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/31705

2011年12月9日金曜日

■その妹

■作:武者小路実篤、演出:河原雅彦、出演:シス・カンパニー他
■シアタートラム、2011.12.2-26
■http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage23810_1.jpg?1409560120
■力強い妹が印象に残った。 久保田万太郎は「妹の身売りの芝居と見てはいけない」と言っているようだが、妹は資本主義さえもこえていく超商品の凄さがある。 それに比して兄や西島はカネがなければ何も出来ない。 彼らはニートの祖先だ。
セリフの速さ、兄の小刻みな動き、椅子取りゲームのように対話を進める役者たち。 とてもリズミカルな舞台である。 良し悪しは別として、心の有り様をセリフで反復する方法をとるので流れがブレない。 八畳に廊下を巻いた三方向通路も形がいい。
相川はそんなに悪い奴なのか? もはや善悪区別のつかない時代に入ってしまった。 後半は少し混乱したが、市川亀治郎は役以上に押さえているようにみえた。 妹と蒼井を庇うためもあったが、このでしゃばらないおかげで大正と現代が豊かに結びついた。 

■百合懐胎す

■出演:吉本大輔、主催:天空揺籃
■東生田会館、2011.12.1-7
■白塗りに赤の口紅、赤のマニキュア、綺羅びやかな黒の衣装と赤のショール、そして赤のローヒール。 これは老いについて踊っているようにみえるわ。 舞台に敷き詰められた枯葉と鉢植えの常用樹林のズレも老人の肉体と意識のズレそのものね。
すぐに服を着てゆっくりと舞台を歩きまわり便器に座って衣服を脱ぎ再び裸で転げまわる。 方向はあるけど空虚な視線、口をパクパクするしぐさ、仰向けに横たわった姿はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた素描画の老人がそのまま舞台に現れた感じね。
幕が閉じて一言挨拶があったの。 「皆さんが私の年齢になったときこの踊りを思い出してくれたら・・」。 大輔も踊っていて同じことを感じていたのね。 だからガブリエルの抱える百合はこれからも無関心に咲き続けるの。

2011年12月6日火曜日

■ボート ヒア、ボート

■演出:桑折現
■アルテリオ小劇場、2011.12.3-5
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage24218_1.jpg?1409612803
■舞台にはアルミの梯子、背景は鏡のような反射シート幕が張られていて金属的な舞台でカッコイイっす。 ダンスだとおもいきや詩のようなセリフ、小道具との動きが多くて一種のパフォーマンスですね。
「あなたの国のことを教えて・・」、「国民は健康で政治・経済は安定、楽しい労働・・」。 ユートピアのような話が進みます。 「ロボットになりたい」、「タイムマシンにのりたい」。 交易や交通を肯定しているようですがハッキリしません。 未来もよく見えません。詩は童話の世界のようでメッセージが弱く感じられます。 ダンスや小道具を使ったパフォーマンスがひとつにまとまっていないのも弱さを助長しています。 ボートはあるのですが動いていません。 「新たな決断をして」船出をしたいところです。

2011年12月4日日曜日

2011年11月28日月曜日

■エゴイズム

■振付・出演:加賀谷香,出演:藤井英介,近藤良平,佐藤洋介,柳本雅寛
■新国立劇場・小劇場,2011.11.25-27
■怪しげな振付で加賀谷が柳本と踊る場面が一番見ごたえがあった。 バイオリンもオドロオドロしていてよかった。 近松世界の全体像をみせる為か、周りで近藤と篠井が面白い動きをしていたが同時に散漫にもなってしまった。
進むに連れて3人の男性ダンサーが登場したが加賀谷との関係がよくみえない。 幕開きでは近藤が加賀谷を人形として相手をしていたが以降の浄瑠璃との関係もあやふやだ。 観客がこのようなことを考えてしまう流れが良くない。
有名作品を題材とするダンスは取捨選択が明確になっていないと詰め込み過ぎ消化不良になってしまう。 観客も原作に縛られてしまう。 結局、ダンスは頭の中を空にして観るのが一番である。
*写真、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22713_1.jpg?1409736448

2011年11月16日水曜日

■盲人書簡

■作:寺山修司,演出:高野由美子,出演:A・P・B-TOKYO
■ザムザ阿佐谷,2011.11.11-15
■時代は上海事変あたりが舞台?で明智小五郎や小林少年も登場し賑やかです。 しかし物語が断片の繋ぎ合わせのため舞台も以前どこかで観たような場面が次々と現れます。
暗闇だらけの芝居と聞いていましたがいつもとあまり変わりません。 長いセリフを暗闇で聞く場面が一箇所ありました。 ここはいつもと違った緊張が訪れました。 もっと「もっと闇を・・」です。 闇の芝居は劇団にとってチャンスだったはずです。
後半はストーリーも集約してきて盛り上がりましたが、なぜ終幕に小林少年は身近の人明智小五郎や母親を刀で切ってしまったのでしょうか? もう一つの闇との関係を断ち切るためでしょうか?
観た後もカタルシスのある芝居でした。 この文章をかきながらチラシを見たらなんと小林少年が高野由美子だったと知りました。 演出家がどんな人か興味があったのですが、役者としても雑音を出さないピュアな演技で上手かったですね。 そして学生帽をもっと深く被ればまさに小林少年です。
*劇団サイト、https://www.apbtokyo.com/about

2011年11月15日火曜日

■天守物語

■作:泉鏡花,演出:白井晃,出演:篠井英介,平岡祐太,奥村佳恵ほか
■新国立劇場・中劇場,2011.11.5-20
■亀姫が帰るまでの舞台はとてもよかった。 ゆっくりなセリフはだだっ広い中劇場にピタリと一致していて不思議な共感が迫ってきた。 秋草の釣りなど役者の動きも踊りもこれに同調していて申し分がない。 もちろん衣装も、舞台奥に道があることも。
しかし図書之助が登場してから様子が変わった。 全体が歌舞伎調で形重視かもしれないが、図書之助が硬すぎて恋をしている感じがしない。 富姫との恋も深まらない。
前半に時間を使いすぎたのも一因である。 後半の展開が速すぎて、チャンバラにはこの速さが合っていたが、終幕は桃六が少しだけ登場し失明を簡単に直してしまうし、大事な心模様をじっくり表現できないで幕が下りてしまった。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/tenshu/index.html

2011年11月12日土曜日

■サンパウロ市民

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4
■幕が開いて驚いたわ、誤ってソウルの1919年を二度観てしまったのかと。 でもチラシをみて主旨はわかった。 こちらのほうがスッキリしてるけど終幕に近づくほどだめね。 宗一郎が一方的に喋りすぎたからよ。 これで全体の調子が崩れたの。
しかしブラジルは遠すぎるわ。 移民の話は「蒼氓」しか知らないし、土人の話で「悲しき熱帯」を思い出すだけ。 吹き矢は笑っちゃった。 チラシには新しい方法論とあるけどウーン、よくわからなかった。 ウーン、やっぱ二度観てしまった感じね。
*劇場サイト、http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

2011年11月11日金曜日

■ソウル市民1939恋愛二重奏

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4
■たくさんの事件や流行歌、ナッなんとヒトラーユーゲント行進曲まで、盛りだくさんの話題と歌でまるで色とりどりのイルミネーションが点滅しているような芝居ね。 そんな中、寿美子と明夫の気まずい結婚生活が歴史に流されていく様子がよくあらわれている。
チラシでも議論しているけど、志願兵を見送る場面で店員が日本軍歌を歌ったのは戸惑ってしまったわ。 植民地支配下のどうしようもない現実から逃げるための笑顔の志願も「強制的」なのよ、たとえその時に植民地支配の憎しみを持っていなくても。
軍歌を歌い続ける店員に「もうやめろよ」と志願兵が止める場面での二人の演技は緻密で正確さがもっと必要ね。 全体として、場面切替に誰かの恋愛を持ち出す方法はちょっとギクシャクしていたけど4作中一番まとまっていたかな。 
そして前3作の思い出も舞台に堆積していて厚みが加わっているから観ていてジワッときたし、食卓で観客に背を向いて座る場面が多かったけど良い意味で印象深かったわ。
ついでだけど、役者が軽い拒否をする場面に両手を前に出してチャカチャカ振る動作があるでしょ。 この劇団の特技かもしれないけどこのような劇には合わないわ。 前後の礼儀や敬語の流れからもね。
*劇団サイト、http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

2011年11月9日水曜日

■ソウル市民昭和望郷編

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4
■3作の中で一番面白かった。 それは国性文芸界や関東大震災、大恐慌前の株式市場など政治・経済の話で時代を盛り上げていたから。 そしてこの語りに性格の強い米国帰りの袴田、京城大学出身の書生、精神疾患の長男真一が加わったから。
でも3作とも舞台の机の位置まで同じだから観終わったあとは混乱してきたわ。 オリザの芝居は物語が弱いし、舞台での言葉の微妙な調和と差異を身体化する感動だからこの混乱はしょうがないかも。
前2作と比べて日本人の切迫感が鈍くなっているのは歴史の激しい動きで判断処理がオーバーフローしてしまったのね。 もはや京城から出ていく時はスッカラカンになってからということ。 現代世界の姿と重ねあわせしまいそうだわ。
*劇団サイト、http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

2011年11月8日火曜日

■ソウル市民1919

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4
■客や家族の出入りがとても激しかったけどそれをまったく感じさせない舞台って素晴らしいわ。 三一運動の最中にオルガンと相撲取りが明るい雰囲気を持ってくる。 これらが混ざり合うと「滑稽な孤独」が現れるということね。
内地へ、満州へ、そして南方へ、京城からの選択は多岐にわたり日本人の不安と希望の心模様がよくみえる。 でも前作より感動は少ない。 うまく言えないけれど「滑稽な孤独」の孤独が深まらなかったからよ。
昔、ソウル旅行でパゴダ公園へ行ったけど日本人はここに入ってはいけない雰囲気を感じたのを覚えているわ。 今はどうかしらないけれど。 そして舞台のダイニングルームからあのパゴダ公園はみえなかった。 だから歴史としての孤独が深まらなかったの。
芝居を観たイ・ユンテクの言葉を聞いて「肩の荷が下りたように感じた」とオリザは書いている。 得意分野の科学シリーズとは違ってしまったということね。 場内で配られたチラシの短い文章はこの芝居の表裏すべてを語っているようにみえるわね。
*劇団サイト、http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

2011年11月3日木曜日

■ソウル市民

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4
■「東京ノート」の感動を再び期待したけどちょっと違ったわね。 それは1909年の歴史を登場させたからよ。 チラシに「悪意なき市民たちの罪」とあるけどその通り。 ダイニングルームでの会話は1909年の歴史をオブラートで包んだ感じがする。
でも歴史で計算されつくしている会話は面白かった。 同時にオリザ型劇的感動は遠のいてしまった。 面白さと感動を交換した結果よ。 ロボット好きなオリザは過去から現在へ、よりも現在から未来へが合うのね。
チラシに人物関係図があったのをみてスイッチを切替えるべきだと悟った。 観ていてヴィスコンティの「家族の肖像」を思い出してしまったの。 あの歴史的且つ劇的なダイニングルームでの対話よ。 このダイニングルームに迫れるかが今後の話題になりそうね。
*劇団サイト、http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

2011年11月2日水曜日

■レッドと黒の膨張する半球体

■作・演出:神里雄大、出演:岡崎藝術座
■にしすがも創造舎、2011.10.28-11.6
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22578_1.jpg?1450478507
■初めて観る劇団である。 観客への作り笑いの連続、鼻くそいじり、オナラ、セックス、・・、どぎつさや名前から大阪の劇団か? 観劇後HPを見たらなんと違っていた。
最初は動きの激しい漫才というかコントを観ているようだ。 中学校体育館をそのまま使い、舞台に負けない日常の裏側にへばりついた言葉と動きで徐々にリズムに乗ってくる。 コントのような芝居は最後まで続く。 慣れてくるとどうでもいいことだが。
よくみると背景に大きな半円の黒幕、中央に一頭の牛肉?がぶら下がっている。 2032年、日本への移民は60%を超えてしまい家族の中にも国が混ざり合っている物語である。 世界人口70億突破のニュースを聞いたあとの現実味のある話だ。
この不安が芝居の根底にある。 英国でのオノ・ヨーコへの人種差別、食料難としての米国牛肉問題の登場も肯ける。 しかし芝居では解決できない。 だから宙ぶらりん状態の未来の生活をそのまま出すしかない。 迫力のある現実的なSF生活劇であった。

2011年10月31日月曜日

■静物画

■振付:白井剛
■自由学園明日館・講堂,2011.10.27-30
■木の柱梁と白壁、形ある窓枠、隅に石を配置したフランク・ロイド・ライト風の遠藤新設計の講堂は心地よい緊張があり落ち着きます。 白井剛は名のとおり硬さと強さの中に繊細さがある踊りだと記憶していました。 今回は少し違いますね。
繊細を維持しながら物と空間を取り入れ身体をコミカルに変化させようとしています。 幕開けからしばらくは、舞台はまさしく静物画のようです。 それも15世紀ヨーロッパのを。 しかし徐々に静物画から離れていきます。
ダンサーと果物・食器が一つになり舞台を踊るというより動き回ります。 「「在ること」を優位に・・」とチラシにありましたがそこに向かって行きません。 ダンサーは物との関係に近づこうとしていますがどちらも無関心です。 これは存在より関係の踊りです。
静物画の面白さは物が存在する不思議に驚くことです。 そこに物の本質が現れるからです。 何故ある種の舞踏や芝居では人間の存在に驚くことができるのでしょうか? 「在ること」の驚きはありませんでしたが、それを考えさせられるダンスでした。
*写真、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22577_1.jpg?1409783838

2011年10月30日日曜日

■実盛

■作:世阿弥,出演:観世銕之丞
■国立能楽堂,2011.10.29
■武士の死に方を望んでいた実盛はとても力強い。 いくつかの時系並列な語りが最後の戦いの場面で一つに集約していくから尚更ね。 実盛や篠原の民の仏教を信じる力を重ね合わせると強さに豊かさが現れる。 でもこの強さは今の時代からすると諄すぎる感じ。 例えば仲入をもっと柔らかくすると後場がより生きるはずよ。 有名な話だから世阿弥も直球しか投げられなかったようね。
逆に大鼓はもっとキレが出せたら戦いの場面は一層盛り上がる。 そして舞台が混み合うから従僧は一人で十分ね。 でも舞台のゴタゴタを一掃する世阿弥の直球って凄い!
*チラシ、http://www.ntj.jac.go.jp/assets/images/nou/event/2011_10_nnt_001.JPG

2011年10月27日木曜日

■出会頭

■振付:井出茂太、出演:イデビアン・クルー
■アルテリオ小劇場、2011.10.25-30
http://kawasaki-ac.jp/theater-archive/111025/
■なんと音楽は初めから終わりまで平均律クラヴィーア? 
イデビアンには似合いの曲ね。 似合いすぎてるのよ。
だから面白いけどそれ以上にも以下にもならないわ。 安全パイね。 
出合頭だと目力がより必要ね。 ウィンクが不足してたわよ。
井出の脂肪の乗った小刻みでスピードのある動きは素晴らしい。
モハメド・アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」みたい。
おもしろかったわ。

2011年10月26日水曜日

■イロアセル

■作:倉持裕,演出:鵜山仁
■新国立劇場・小劇場,2011.10.18-11.5
■その島民の言葉には色があり、この固有色から誰の言葉かわかってしまう。 だから島民は真実を言えない。 外から来た囚人と看守には色がない。 この二人を介して島民の噂が流れてしまう物語だ。 現代ネットワーク社会を批判しているようだが・・?
プルプラン社の町長や審査委員への賄賂、アズルとライや町長と議員の人間関係、すべてが三行広告レベルの話で終わっている。 囚人が守秘義務があるといいながら島民のことをバラすのも、看守への敬語の使い過ぎも、島民への上から目線もなにか変だ。
チラシに「・・支持を得ていた機能が社会システムで不要になってしまう・・」とある。 しかし機能やシステムの意味を取り違えている。 しかもこれらと「滅びゆくものに託した美意識」に結びつけているから余計わからなくなる。
言葉に色がついたところが新しいだけの他人の言葉≒心を読めるという使い古したSF劇である。 サエナイ芝居だ。 何度も席を立ちたくなった。 観落としがあったのか?誤った観方をしたのか? 心配になり帰りにプログラムを購入してしまった。
*NNTTドラマ2011シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000436_play.html

2011年10月25日火曜日

■あなた自身のためのレッスン

■作:清水邦夫,演出:多田淳之介
■富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ,2011.10.18-23
■舞台上に観客席があります。 いろいろな照明や幕を利用したり、なんとテッカンに洗濯物を干すのは初めてみました。 舞台裏から芝居を観ている感じです。 舞台構成以上に内容も複雑でした。 観客と芝居の位置や距離を考える芝居です。
おおよそのストーリーはわかります。 随所でメタシアター性が顔を出しますが、これを優先してはいません。 大部分が劇中劇にもみえます。 章単位より段落単位で事や科白が飛躍します。 そして記憶喪失の人が徐々に家族としてまとまっていきます。
場内で配られた10頁の演出家・館長対談のプログラムを帰ってから読んだのですが今日観た舞台をあれこれ思い浮かべてしまう興味ある内容でした。 感動は少なかったのですが、ひさしぶりに芝居そのものを考えさせてくれる芝居でした。
*劇場サイト、http://www.kirari-fujimi.com/program/view/35

2011年10月23日日曜日

■松風

■作:世阿弥、出演:武田尚浩(観世流)他
■国立能楽堂、2011.10.21
http://www.ntj.jac.go.jp/assets/images/nou/event/2011_10_nnt_001.JPG
■松風村雨二人並んだ存在感が面白い。 動きの少ない舞台ね。 唯一松風が物狂いになり舞を舞う場面のみ。 たくさんの言でできている作品だから家で謡本でもっと声を出さないとだめね。
というのはこの劇場は前にディスプレイがあるでしょ。 それをチラッと見てしまうのよ。 これが劇的感動を阻害する要因かも。 文字は魔物だわ。 動きが少ないと尚更ね。 加えて正面上手側の席のため正面先の松が邪魔をして役者がよくみえなかった。
この作品を世阿弥は「・・・これよし」と言っているのに、残念ながらよくなかった。 もう一度挑戦するしかない。 ところでこの演目は中正面に座るべきね。

2011年10月22日土曜日

■ユーリンタウン

■脚本:グレッグ・コティス,演出:流山児祥,出演:流山児★事務所
■座高円寺1,2011.10.14-30
■入場すると警備員が観客に挑発的な言葉を浴びせます。 これで演出は流山児だったことを思い出させます。 ストーリーは読まないで行ったので驚きでした。 なんと公衆便所の話です。 衣装も現実的で正に貧民街そのものが舞台に出現しています。
最初はオシッコの匂いが舞台に充満していますが徐々に気にかけなくなります。 それは搾取する者とされる者の争いに集約していくからです。 帝王学やカネの話は嫌になるほどオジサン趣味が充満しています。 これが舞台を濃くしています。
昨日、ギリシャ緊縮策抗議デモをニュースで見ました。 アフリカの人口爆発と水不足はいつも話題にのっています。 舞台がそのまま現実と直結しているようで緊張感を持って観ました。 歌もダンスも物語に混ざり合って違和感がありません。
そして正しい判断と行動が伴わない夢と希望だけでは社会はよくならないという結論で幕が閉じます。 しっかりした終幕です。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=502

2011年10月17日月曜日

■少女椿

■原作・丸尾末広,演出:石井飛鳥,出演:廻天百眼
■ザムザ阿佐谷,2011.10.13-17
■原作を超えていないようね、残念だけど。 血肉の破片が物そのもので留まっているし、舞台背景は懐かしい思い出を呼び寄せてくれない。 漫画の科白をそのまま舞台に載せたから舞台上の物と言葉が分離してしまった。 これが超えていない原因よ。
漫画の絵や文字は読者の脳で声や音まで想像するけど、これを舞台上でおこなうには科白と身体や小道具を結びつける総合力が必要になってくる。
でも後半いろいろなみどりがでてきてから盛り上がってきた。 そしてみどり達が未来を切り開いていく。 これは原作に付け加えたのかしら? シンプルだけど希望がハッキリしていて元気がでるわ。
観客の年齢は今年見た芝居で一番若いかも、だから彼らにピッタリの終幕だった。 会場が全日満員な理由もわかる気がするわね。 ところでチャンバラ場面がたくさん出てきたけど20%づつカットすればダラダラ感がなくなるわ。
*劇団サイト、http://www.kaitenhyakume.com/stage.php?id=PF00000016

2011年10月16日日曜日

■トータル・リビング1986-2011

■作・演出:宮沢章夫、出演:遊園地再生事業団
■にしすがも創造舎、2011.10.14-24
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22575_1.jpg?1409980017
■役者や小道具をカメラで撮影しながらそれをスクリーンに写す今流行りの方法を取っている。 ストーリーが映画作成というのも「無防備映画都市」と同じだ。 これも流行りなのか? ともかく映画作成自体が劇中劇になるため構造が容易く複雑に深くできる。テーマは商品や記憶の欠落をテーマにしているようだ。 欠落を埋めるため?に1986年に飛び、チェルノブイリ原発事故を再考する。 そして福島原発事故と結びつけることによって事故全体が初めて見えるようになってくる。
欠落とは何か? 補うことで本質へ近づくことができるようだ。 では何をどのように補うのか? などなどを考えてしまった。
ところでこの種の芝居ではセリフが棒読みに聞こえてしまう場合がよくある。 今回は役者や小道具の動きや位置等とても神経質だから余計目立ってしまった。 バランス重視の芝居が少しズレてしまうと何かが欠落しているような芝居になってしまう。

2011年10月11日火曜日

■六月のクリスマス

■作:イザベル・ドゥ・トレド、演出:中村まり子、田村連
■下北沢「劇」小劇場、2011.10.5-10
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage24102_1.gif?1409982438
■女性演出家のホームドラマ系芝居はウンザリしていたので心配でした。 しかし別系統なので少しホットしました。 大切な庭はちょっと物足りないのですが背景のグレー一色が物語に集中させてくれます。 予算の関係もあるのでしょう。
ソフィーの夫やジュリー、ソランジュの話題が山をなしますが、四姉妹の心のありようを覗いているようで申し訳なさを含んだ楽しさがありました。 しかし観終わったあと思い出すのに力のいる芝居です。 つまり記憶に残らない芝居です。
チラシ「他者と異なる価値観や考え方を受け入れる」のテーマに沿った内容です。 残らない理由はテーマをそのまま肯定しているだけの舞台だからです。 現実の家族と向き合っている観客にはもう一段深い「家族のあり方」が欲しいところです。

2011年10月10日月曜日

■舞踏よりの召喚

■出演:武内靖彦
■座高円寺,2011.10.7-9
■ドイツ音楽を背景に提灯を持って・・、上半身裸体で・・、トレーナー衣装をまとって・・、軍服?とスカートで・・。 起承転結どれもが踏業40周年だけあって緊張感が籠っていたわ。 白塗りをしない武内は日常からの飛躍が大変だけどそれを跳ね除けていた。でもトレーナー衣装をまとった転はもっとメリハリを付けるべきね。 これが無いから結が浮き上がってしまった。 ここは衣装を脱いでもう一度上半身を曝け出さなきゃ。 そうすれば終幕の軍服とスカートを観客は素直に受け入れてより劇的になったとおもうわ。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=501

2011年10月8日土曜日

■赤い靴

■監督:マイケル・パウエル
http://www.red-shoes.jpn.com/index.html
■トップのレルモントフが全体を引っ張っていく企業の業務活動を見ているようだ。 この総合力からくる充実感で2時間超を一気にみせてくれた。 バレエ場面もそれなりに楽しんだが、それよりも舞台裏の動きのほうが面白かったのも先の理由から来る。
レルモントフの仕事=バレエかクラスターの家庭=愛かで悩む場面はいくらでも解決方法は有る。 そして列車に飛び込み自殺を図るペイジは予想外の行動だった。 この2点をもっとうまく物語的な処理をしていればもう一段上の作品になったかもしれない。
しかし原作自体があまりにも童話的な結末だから悩ましいところだ。 レオニード・マシーンに会えたのはおまけ以上だ。

2011年10月6日木曜日

■ジョン・レノン、ニューヨーク

■監督:マイケル・エプスタイン
http://johnlennon-ny.jp/
■レット・イット・ビー以降のビートルズは追跡していません。 この作品のDVD化は期待できそうもありません。 ということで映画館に足を運びました。
1.ヨーコとの交際が英国人を怒らしたこと。
2.アメリカでの反戦運動に深入りしすぎて国外退去に怯えていたこと。 
3.ヨーコとの一時的別離でL.A.で荒んだ生活をしたこと。
4.息子ショーンが誕生して育児生活に専念したこと。
これらは初めて観る映像ばかりで新鮮そのものでした。 メカス、マチューナス、ウォーホール、ギンズバーグもいましたね。 映画はドキュメンタリーに分類できます。 ストーリーはテンポが良く全体は引き締まっています、映画的感動は有りませんが。
1の理由ですが英国人にとってはビートルズは英国皇室と同じ象徴だからではないでしょうか。 観る前から終幕はわかっていましたがしかし、40歳で銃弾に倒れたのは悲劇というしかありません。

2011年10月3日月曜日

■シィエイクスピア「ソネット」

■演出:中村恩恵,出演:中村恩恵,首藤康之
■新国立劇場・中劇場,2011.9.30-10.1
■「やってくる」「去っていく」がとても立体的に見える劇場ですね。 舞台に奥行きがあるからです。 首藤の独特の歩き方はやって来て去っていくのが印象的でした。 そして舞台がハッキリとした暗さで覆われていて独特な雰囲気もあった。
首藤の肉体はギリシャ彫刻を見ているようです。 素晴らしいですね。 しかし徐々に壊れていくのが一瞬感じられます。 中村は肩幅が広くバストが小さいので女性型ロボットにみえる。 無性的ですので首藤も迷いがなく踊れるはずです。
ソネット集は読んでいないのでストーリーがまったくわかりません。 シェイクスピアの戯曲とは相容れない舞台にみえました。 もっと高尚な感じです。 中村の無性的からきているのだとおもいます。 音楽もこれに加担しています。
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_005335.html

2011年10月2日日曜日

■白石加代子「百物語」第二十九夜

■演出:鴨下信一,出演:白石加代子
■岩波ホール
■宮部みゆき作「お文の影」、「ばんば憑き」の二題。  どちらも江戸怪談であるが闇の深さは無い。 前者はお結がお文を虐める理由、後者はお由が八重を殺す理由は、どちらも想像はつくけれど省きすぎていて心の襞まで見えてこない。
このため身体と影の分離、肉体を移動する精神という題材が前面に出てしまい唸るような人生の深淵が出現しない。 しかし後半は白石も力が入ってきて面白くなる。 お松が生い立ちを語る場面は二十九夜のクライマックスであった。
*百物語リスト、http://www.mtp-stage.co.jp/shikraisikayokonoheya/hyaku.html

2011年9月27日火曜日

■無防備都市映画

■作・演出:ルネ.ポレシュ
■豊洲公園.特設会場,2011.9.21-25
■外はフェリーニの内はロッセリーニのオマージュだわ。 「ドイツ零年」はイタリア語だったけどこの映画をドイツ人はどのように観たのかしら? でもその回答が今、到着したのね。 ゲーテもそうだけどイタリアの<気候>には弱いのよ、ドイツ人は。
映画を作っている過程を映画で観ている感じね。 でも俳優は目の前で演技をしている。 この差が面白い! 車の中は映画で広場は芝居で、って感じかしら。 スピード感もあったしセリフも元気だしドイツも捨てたもんじゃないわ。
フーコーの歴史概念がわからないからなんとも言えないけど、終幕近くの兄のセリフ「・・」が演出家の言いたいことだとわかった。 このセリフははっきり覚えていないけど、生き生きとしている身体の優位性でドイツ零年を書き換えようとしているのよ。
ところで日本語訳がよくわからなかった。 これは訳者が悪いの、絶対に。 ところで以前はユニシス本社ビルしかなかった豊洲もずいぶんと開けたのね。 公園は子供で一杯だったけど、もっと木々と公園が必要ね。 このままだと無防備都市になってしまう。
帰りは豊洲からの夜景を見ながらフェリーニの映画を思い出してしまった。 終幕の科白に8 1/2もあったし、楽しかったわ。
*F/Tフェスティバルトーキョー参加作品
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage_main/22572

2011年9月26日月曜日

■家電のように解り合えない

■作・演出:岡田利規,出演:森山開次,チェルフィッチュ
■あうるすぽっと,2011.9.24-10.20
■「解り合うとは・・」をテーマにしている。 メタシアター系の芝居にのせるには勇気のいるテーマである。 これこそが日常生活そのものだから。 いつもの異化が生きない。 答えは日常生活で嫌というほど経験していることだから。
ところで今回はもう一つの驚きがある。 ダンサーの登場である。 開次のダンスはよく観に行くのでここで会えて嬉しい。 これを一石二鳥と言っていいのか? 舞台美術がカラフルだったのはNHK番組を意識してるようにみえてしまった。
思っていた以上に開次のセリフが多くあって面白い。 でも後半の役者とのダンスは長すぎる。 しかも全体を通して二人の役者とダンスの関係に驚きはなかった。
開次からの動作をチャンスオペレーションとして二人の役者の身体動作を即興レベルで決めていったら面白いかもしれない。 もちろんセリフはそのままにして。 無意識レベルでの解り合えるかの具体例になる。
*劇場サイト、http://www.owlspot.jp/performance/110924.html

2011年9月25日日曜日

■庭みたいなもの

■演出:山下残
■神奈川芸術劇場・大スタジオ、2011.9.22-25
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage25453_1.jpg?1414278350
■入ると寄板で作った大きな箱のような舞台の下を通り抜けてから客席に座ります。 下は物置小屋です。 出し物の道具が並んでいます。 ダンスよりもパフォーマンスですね。 以前観たこの演出者の作品はダンスの記憶があったのですが。
舞台下からフライパン・灰皿・辞書・自転車・算盤・帽子などを持ってきて役者が他役者や観客に向かってセリフを吐きます。 物の名前や機能をうまく説明できません。 言語障害のような、ほとんど会話です。 最後にはオルガンや7mもある廃船も登場します。
こういう舞台は時々観ますが、演出家の頭はフル回転しているのでしょう。 観客も緊張感を持って対応する必要がありそうですが、しかし途中眠くなってしまいました。
帰りの車内で、配られたチラシを読んで演出の考えが少しわかりました。 ・・「モノを身体と言葉で梱包し伝達したい」「記憶された言葉を送信する身体」・・。 舞台とのコミュニケーションに失敗した観客の一人になってしまったようです。

2011年9月24日土曜日

■悩殺ハムレット

■演出:中屋敷法仁,出演:柿喰う客
■シアタートラム,2011.9.16-25
■ノリがよくてセリフも機関銃のようかなと思ったらずいぶんスローなのね。 それでも短い言葉が身体と直結していてリズムを崩していないし、物語の流れも速くて飽きないわ。
ストーリーがわかりやすくて初めての観客でも親しみやすいとおもう。 それは各役者がセリフの中で解説もしてたから。 だけど一歩誤ると高校演劇になりそう。
役者全員が女性だったけどイヤミがなくて後味がすっきりしていた。 ハムレットのダイジェスト版を観た感じね。 ひさしぶりに芝居を楽しんだわ。 リズムのあるハムレットではユーゴザーバドを思い出したけどそれ以上の出来だったわよ。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/09/001.html

■川上音二郎・貞奴展

■感想は、http://ngswty.blogspot.jp/2011/09/blog-post_27.html

2011年9月19日月曜日

■わたくしという現象

■演出:ロメオ・カステルッチ
■夢の島公園・多目的コロシアム、2011.9.16-17
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22571_1.jpg?1414279137
■入場すると白旗が配られる。 星空の下、観客は旗を靡かせて草地を歩きまわる。 まるで中世時代に遡り戦争に向かうようだ。
中央に白い椅子が500個くらい整列してある。 そして津波が来たようにこの机が流されていく。 光や煙が立ち上る。 セリフはあったようだが覚えていない。 周りの木々と星と雲を見ていたら全てが許せる気分になった。
ガムラン?用意される。 猿の惑星か! 馬鹿でかいモノリスも出てくる。 あたかもB29から原子爆弾が落ちてきたような風船が棚引いている。 ロメオも登場してわめいているが最後にモノリスの下敷きになってしまう。 星と雲をみていたらどうでもよくなった。

2011年9月18日日曜日

■花筐

■作:世阿弥、演出:喜多流
■国立能楽堂、2011.9.16
http://www.ntj.jac.go.jp/assets/images/nou/event/2011_09_nnt_001.JPG
■武帝の話が後半に挿入されているけど、テキストを読んでいる時はあまり気にかけなかった。 でも照日宮の舞狂うクライマックスでこの話を持ちだされてとても違和感があったの。 過去の物語に精通しておくことは必要なのはわかるけど少しシラケたわ。
そして継体天皇が10歳くらいの子供で驚いた。 これだけの手紙を書くには少なくても16歳以上でないと合わない。 子役がいなかったのかしら? そして深井の照日宮から二人の年齢に差が有り過ぎる。 世阿弥に聞きたいところね。
でも芝居の中ではこの深井がとても似合っていた。 最後に契が結ばれるには深井の年頃が一番心ときめくからよ。 それにしても何かチグハグさの多い作品にみえるわ。

2011年9月12日月曜日

■かもめ

■原作:A・チェーホフ,演出:鳴海康平,出演:第七劇場
■シアタートラム,2011.9.8-11
■五感に印象を残す芝居だった。 役者の歩く・走ることが舞台を軽くしているので爽やかさがあった。 同時に患者の動きが不安定な様相を浮び出していた。 反復あるセリフと動きはリズムがあり心地よかった。 モノクロの舞台はこれにマッチしていた。
他チェーホフ作品と違って「かもめ」は動きの有る身体と愛想が良い。 近頃はダンス要素を積極的に取り入れた公演に「かもめ」は多い。 そして成功率も高いはずである。 「かもめ」は変化球に強い。
ところで黙って突っ立っている場面が多かったが、ドールンとコスチャは感情の存在感をもっと消したほうがより舞台に切れが出たとおもう。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/09/post_248.html

2011年9月11日日曜日

■エリザベス・ラストスタンド-ベティと栄光の女王-

■作・演出・出演:ノーラ・レイ
■アルテリオ小劇場、2011.9.9-11
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22690_1.png?1414279643
■初来日と聞いたけど、20年遅かったようね。 ベティにエリザベス女王が乗り移る時は歳の差が大きければ大きいほど舞台は盛り上がるはず。 でもノーラはベティやエリザベスと同じ歳になってしまっていた。
三者の歳差がなくてベティとエリザベスは打ち消し合ってしまった感じね。 道化のダイナミックなところが見えない。 でもイギリスのクラウンとして深みがでたのかもしれない。 日常の些細な事柄をユーモアに、チャームに、風刺を入れて演ずるとするならね。
帰ってきて早速シュカル・カプールの「エリザベス」のビデオを借りてきたのよ。 淡白な映画だったけど見終わって芝居の場面を反復して解釈し直したの。 芝居でも映画でも場内で配られた石井美樹子監修「エリザベス1世」履歴のチラシがとても役にたったわ。

2011年9月10日土曜日

■おしまいのとき

■演出:三浦大輔 、出演:ポツドール
■ザ・スズナリ、2011.9.8-25
http://www.potudo-ru.com/
■妻がなぜ「おしまいのとき」に向かったのか理解できませんでした。 子供がいた頃の生活が描かれていないからです。 そして舞台は偽善的な生活で満ち溢れています。 菅原夫婦を除き、心に無い慰めの言葉を口にします。 「ほんとうは違うんだ・・」と。
推測するに橋本夫妻の過去と舞台以降の生活内容は同じだったのでは? しかしこれでは芝居が面白くありません。 妻のト書き心理説明も白々しく聞こえました。 ダイニングやリビングの本物らしさもです。
この中で妻が菅原に強姦されたり、ディルドで自慰をする場面はとても現実的に見えました。 しかしリアルとは現実に近づくことでは無いとおもいます。 現実を超えるものです。 途中で右往左往してしまい現実を超えるリアルを得られなかった芝居です。

2011年9月9日金曜日

■薔薇とダイヤモンド

■演出:小野寺邦彦,出演:架空畳
■座高円寺2,2011.9.7-8
■物語に拘っているチラシを見て劇場へ行く気になったの。 うーん、フランツは野田秀樹の若い頃に少しだけ似ている! そしてセリフはまるでmRNAのようだわ。 リボソーム=観客がこれを翻訳してタンパク質=物語が舞台に出現するのね。
科白が沢山押し寄せて来て観客側も翻訳開始の失敗が多かったはず。 物語が迫ってきて舞台に感動が訪れた場面も数箇所あった。 でも多くの場面ではmRNAの翻訳で終わってしまったのね。
何故なら役者の頭は科白で一杯のため身体が疎かになっていたからよ。 だから幕が降りた途端芝居の感動も消え去ってしまった。 いっそのことドラマリーディング形式でおこなったらどうかしら? まっ、ともかく中途半端な身体をちゃんとするのが優先ね。
*劇団サイト、http://kaku-jyo.com/works_13.html

2011年9月6日火曜日

■世捨庵奇譚

■演出:大堀光威 、出演:温泉きのこ
■下北沢劇小劇場、2011.8.31-9.4
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage21611_1.jpg?1414282061
■喪服の場面で始まりそして喪服で終わる、近頃よく見る芝居の形です。 葬儀や祖母や親戚などの言葉を並べると自ずと深層にある物語が見えてきます。 前半はよくわからないツマラナサで進みますが、後半殺人事件が舞台を引っ張り少し盛り上がります。
チラシに「・・演劇ってムダなものだと思ってやっています」と書いています。 芝居の奥に横たわっている近代世界、これをどうにかすることがムダと言っているようです。
たとえば風呂に入る順序の場面があります。 風呂は田舎では客への最大のサービスであり、入る順序は秩序を守るべきものです。 他に結婚観や親族の呼び方などにもポロッとこの世界が表れます。 刑事が妖しい者を外国人として尋問するところもです。そして終幕には決定的なお墓も登場します。 結局は古い制度にドップリ漬かったまま終わってしまいます。 だからムダと言っているのでしょう。 二人の刑事が歯切れの良いロックの乗りで舞台を引き締めていたのが印象に残りました。

2011年9月5日月曜日

■愛こそすべて、華麗なるフラメンコ・レヴュー

■振付:佐藤浩希,出演:鍵田真由美,アルテイソレラ
■世田谷パブリックシアタ,2011.9.3-4
■フラメンコを舞台で初めて見ましたが・・・
①木の床ではサバテアードの響きが日本的ですね。 やはり舞台に石または石に近いものを敷き詰めたほうが良いのでは。
②舞台が高すぎました。 低くして地面で踊る感じを出すべきでは。
③カンテのマイクが響きすぎます。 もっと肉声を聞かせるべきでは。
ところでカンテとトケは素晴らしかった。 特にカンタオールの動きにはまいりました。 帽子を取る時にもそれぞれの指が演技をしている。 親指・人差し指・中指・薬指・小指、それぞれが意識を超えた動です。 腰の振り・大腿・膝・すねの動きも完璧です。
これを見て評価基準が決まってしまいバイレの見劣りが少し目立ちました。 日本人の踊り子らしく忙しさから抜け出ていない。 そしてもっとスローな踊りもほしかった。
楽しめればそれでよいと言う意見もありますが、指の一本一本が緊張感輝く踊りを観たいものです。 カンタオーラが不機嫌な顔をずっとしていたのも以上のような不満を同じく持っていたように観客席から見えましたが如何か?
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/09/post_239.html

2011年9月2日金曜日

■トラディシオン/トライゾン

■監修:三浦基,出演:地点ほか
■シアタートラム,2011.8.31-9.4
■場内は静かで暗くてついウツラウツラしてしまった。
アフタートークで担当が匙を投げたと言っていたが、眠ってしまった原因は多分このあたりにある。
それにしても懐かしい名前だ。 ジャン・ジュネ。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/08/post_243.html

2011年8月28日日曜日

■超コンデンス

■作・演出:天野天街,出演:少年王者舘
■ザスズナリ,2011.8.25-30
■これが名古屋弁なの?  だとしたら、これで素敵な別世界が見えたのね。 加えて1960年頃の建物や衣装そして歌で不思議な舞台を作っている。 役者は子供のように機敏で劇団名そのものね。 そしてついに少年王者舘がココに現れる!
「おれはここにいるの?」「今はいつ?」・・、自分探しのストーリーのようだけど、セリフは対位法を使って繰り返すから流れがよく分からない。 少女たちの金切りホモフォニーが聞き難かったことも理由の一つよ。 でもこの騒がしさも古い時代の匂いがする。
練習の成果が見えるようなシンプルなダンスは流れにマッチしているわ。 全体を詩のようにまとめたい? たぶんそうね。 発声を良くして聞き易くするのが一番よ。 そうするとセリフのリズムが見えてくる。 リズムが生きてくると自ずと詩が現前する。 ダンスがこれと共鳴する。 そして感動が訪れてくるわ。 もう一歩ね。
*劇団サイト、http://www.oujakan.jp/_images/condense1.jpg

2011年8月26日金曜日

■奇ッ怪、其ノ弐

■作・演出:前川知大,出演:仲村トオル,池田成志,小松和重,山内圭哉
■世田谷パブリックシアタ,2011.8.19-9.1
■死者への心配りが行き届いていた舞台のため日本の8月によく似合う。 それにしても臓器移植や殺人場面の目撃、妻の自殺など話が細かすぎて印象が薄いストーリだ。 これでカーテンコールでの拍手に勢いがなかったのだと思う。 背景の壁が舞台中央奥へ狭まっていくので科白が響く。 まるで役者の身体から声が離れてしまっているように聞こえた。 死者の為にこの構造にしたのならよいが観客から舞台が遠のいてしまう。 最後の祭りの話も盛り上がらなかった。
手や足の変わった動作も生きていない。 最後の大事な場面で矢口が痒いのか左腕を掻いていたが演技にはみえなかった。 ともかく良質の緊張感が続かない舞台だった。 役者もこの芝居は失敗作だったと感じているのが顔に表れていた。
*現代能楽集Ⅵ
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/08/post_242.html

2011年8月19日金曜日

■伯爵令嬢小鷹狩鞠子の七つの大罪

■作:寺山修司,演出:金守珍,出演:ProjectNyx
■ザスズナリ,2011.8.11-21
■最初はリズムが遅くて欠伸がでたけど少しずつ面白くなっていったわ。 一番の盛り上がりは劇中劇について語るところだけど、しかしいつのまにか萎れていって終わってしまった感じね。 つまらなくした原因が幾つかあるようね。
例えば小さな人形を登場させたこと。 人形遣いの人形なら大きくて表情が見えるからいいけど・・。 やはり人形は俳優と同じ位置付けよ。 そして三輪車や犬の陶器も。 これらのままごと遊びや小道具は舞台を現実へ引き戻すことになるわ。
でも鰐婦人がゴンドラに乗って登場する場面は素敵だった。 カモメが飛んでいてヴェネチアの館で観ているようだった。 嵐が強すぎたけどね。 舞台の縦の使い方が効果的だったということかな。
そしてジェニーの歌は寺山の芝居だと思い出させてくれた。 この舞台に便器はちょっと場違いな感じだけどね。 最後の水も含めて、欲張っていろいろ盛り込んだけど消化不良になっちゃった。 再演にはよくあることよ。
*劇団サイト、http://www.project-nyx.com/history/stage07kodakari/index.html

2011年8月15日月曜日

■かみさまの匂い

■作・演出:矢島弘一,出演:東京マハロ
■下北沢駅前劇場,2011.8.11-17
■喪服に始まって喪服で終わるのですがが笑いの多い舞台でした。 長男の葬儀とわかるのは終幕です。 義妹に長男の子供が出来てしまったことが原因です。 しかし長男の心の中まではわかりません。 この芝居には肝心要の決定場面がありません。
「優秀な弟・妹に先を越され・・、(ボランティアで)優越感を噛み締める。 大事な人を傷つけて・・」とチラシにあります。 これに対応するセリフは数カ所ありましたが、長男も次男も義妹もっと別なことを考えていたように見えました。
義妹に子供を産ませる事やボランティアへの意思、自殺する理由がぼやけ過ぎています。 人生理由など無い、と言えばそれまでですが。
でも多くの観客はこのような日本的兄弟喧嘩家族劇が好きなのでしょう。 父が、ここに長男がいる匂いがする!と、義妹の腹にいる子を暗に指して幕が降りるところなどは100年前の日本の小説を読んでいるようです。
*劇団サイト、http://tokyomahalo.com/history/2018/05/01/49/

2011年8月14日日曜日

■マッチ・アップ・ポンブ

■演出:登米裕一、出演:キリンバズウカ
■アルテリオ小劇場、2011.8.6-14
http://kirinba.seesaa.net/
■セリフは意味がはっきりしていて意識の立ち上がりを明確にし且つ少しズラしたテンポを持っています。 普通にはありえない家族関係や何度も出てくるカネの話や田舎の生活で、乾いた漫画のような現実が舞台に作られます。
このような背景と具体的な事象とが結びついてお互いの想いの差異を増幅させて笑いを誘っていきます。 例えば情事後のすれ違い、ありえない殴り合い、こなつと慎太郎の恋人差、教師夫婦間などなど。
しかし「愛ってなんだろう?」のセリフが有る限り今の芝居を超えることはできないと思います。 ここまで来たならもっと抽象化を考えてみたらどうでしょうか? 身体を伴うもっと深い感動が出現するかもしれません。

2011年8月11日木曜日

■タカセの夢

■演出:メルラン・ニヤカム、出演:スパカンファン
■シアタートラム、2011.8.10-11
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_t_110810_spactakase_l_pm_poster_2.jpg
■こどもたちのユメミル夏休みも佳境に入ったようね。

2011年8月8日月曜日

■ストリート・ダンス・フェスティバル

■出演①:ラスト・フォ・ワン&ギャンブラ・クル
■出演②:カンパニー・カフィグ
■KAAT,2011.7.30-8.7
■バトルもあったらしけどこれしか観に行けなかった。 残念だわ。
①チャンピオン歴を持つ韓国の二グループのコラボ。 特にクルのテクニックは凄い! パワーブレイキングね。 でも個人戦のところに時間を取って流れを省かないで演じて欲しかった。
②仏+ブラジルの「CORRERIA」を観る。 走る行為が抽象的すぎてつまらなかったわ。 もっと生の身体でリズムブレイキングに集中してほしい。 義足などいらない。
どちらも感動は少ない。 理由は舞台で上演する起承転結の流れが欠けているからよ。 ①はストリートをそのまま持ってきて、②は逆に舞台を意識し過ぎて自滅ね。 やっぱ、ストリートで見るダンスということね。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/ksdf

2011年8月7日日曜日

■キャッチ・マイ・ビーム

■演出:古家優里、出演:プロジェクト大山
■シアタートラム、2011.8.5-6
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/08/post_241.html
■みんな強力なボディを持っているからもっと暴れてもいいんじゃない? 特におしりやももが素敵よ。 でも意表をついた床に這い蹲る振り付けが一番面白かった。 意味あるスローな場面はつまらないわ。 煙草やスーツ姿そして手招きの仕草も不要よ。
これらの部分はアクロバットに替えたらどう? 真っ盛りの10人が動き回るからトラムの凸型舞台の短所が前面に出てしまった。 ぶつかりそうで観ていてハラハラしたわ。 もっと広い舞台が必要ね。 そしてもっとダイナミックにしたらもっと伸びるわ。

2011年8月3日水曜日

■無重力チルドレン

■作・演出:はせひろいち,出演:劇団ジャブジャブサーキット
■ザスズナリ,2011.7.29-8.1
■2085年、知的流動体生物が月面コロニーの研究者の記憶をもとに昔の妻に変身して登場する、「ソラリス」もどきのストーリである。 しかし地球上で起こった災害を月から眺めた時の距離感をテーマにしているようだ。
ところで今、東京写真美術館では去年のハイチ地震で31万人が亡くなり、パキスタンの大洪水で2000万人が避難した写真展が開催されている。 例え東日本大震災が無くても「すっかり忘れていた」世界で起きた大災害である。 この距離感である。
月から情報だけを通す空間を介して地球を眺めた時の醒めた感覚である。 地球への思い出は妻や学生時代しかない。 役者間の対話は少しヒネっていて面白いが日常生活の雑音のように聞こえてきて眠くなってくる。
この無重力感が一層距離感を出している。 パンフレットに無責任な作品と書いてあったが現代社会の一面を描いていることは確かだ。
*劇団サイト、http://www.jjcoffice.com/jyabujyabu.html

2011年8月2日火曜日

■アンネの日記

■原作:アンネ・フランク,演出:丹野郁弓,出演:劇団民藝
■アルテリオ小劇場,2011.7.21-31
■「じゃりん子チエ」にそっくりなアンネ。 「借りぐらしのアリエッティ」のよう3家族の生活。 閉じられた屋根裏でのアンネの成長は「魔の山」のサナトリウム。 そして終幕は「夜と霧」。 舞台を観ながら次々と色々な作品を思い出してしまったわ。
しかしアンネの成長は深く伝わってこなかった。 母親との関係、ペーターとの関係がサナトリウムのようにはいかない。 でもこれで良いのかも。
全体は程良くまとまっていたし若い役者は簡素で素直な演技でとてもよかった。 アンネと同じ年齢の中・高校生には最高の芝居ね。 でも観客は小学生が多かったみたい。 中・高校生は難しい年頃だから観に来ないのかな?
*劇場サイト、http://kac-cinema.jp/archive_kako/

2011年7月28日木曜日

■眠っちゃいけない子守歌

■作:別役実,演出:富永由美,出演:二瓶鮫一,別府康子
■旧眞空鑑アトリエ,2011.7.25-31
■旧眞空鑑第31回公演案内の葉書の端に・・
女1 もしかしたら、ものすごく論理的なタイプなんですよ、あなたは・・
男1 私はただ知りたいだけだよ、この世界が私に何をしようとしているのか・・
女1 この世界が・・?
男1 そうだよ・・
女1 と言いますと、この・・
*YouTubeサイト、http://www.youtube.com/watch?v=GQqjMcx4yBA

2011年7月25日月曜日

■荒野に立つ

■作・演出:長塚圭史、出演:阿佐ヶ谷スパイダーズ
■シアタートラム、2011.7.14-31
http://www.spiders.jp/kouyanitatsu/index.html
■シアタートラムの欠点を隠している舞台構造、そして簡素で素敵な舞台美術ね。 中身はシュルレアリスム映画とカフカの小説を混ぜあわせて現代に持ってきた感じがするの。
個々の場面は事件が浮き出てくるような面白さがあったわ。 抑えの中に時々きついセリフもあったし。 でも芝居の全体にこの良さが伝わっていかない。 ストーリーとの愛想が悪いのよ。 しかも乾いたような無機質さが微かに覆っているような舞台だから。
個別は面白いけど全体はシラケている。 これは現代社会と同じね。 ・・ひょっとしたら最初からこの雰囲気を出そうとしたんじゃないかしら? 現代人が荒野で彷徨っている姿が浮かんでくる芝居だったわ。 だから、荒野に立つ!しかない。

2011年7月20日水曜日

■再/生

■演出:多田淳之介,出演:東京デスロック
■STスポット,2011.7.16-24
■上演時間70分で台詞は二箇所の数分間しかない。 この為セリフが観客の身体に深く刻み込まれる。 あとは役者の肉体の疲れきっていく踊りを終幕まで見続ける。 観客は芝居だと考えているのでダンスの上手下手は関係無い。
そして醒めたトランス状態が舞台に出現する。 これを背景に場内はダンスが持っている根源力に近づいていく。 この力が身体を解放して、最後に観客は芝居に戻り「再生」を実感することができる。
2006年初演は観ていない。 当時の写真を見ると宴会を催しているようだ。 今回はより抽象化がなされ良い形でダンス領域の純粋性に近づいたのではないか? フランケンズ版も観たいが前期試験が迫っていて行けない。
*劇団サイト、http://deathlock.specters.net/index.php?e=45

2011年7月18日月曜日

■目覚めよ、闇の種子たち

■演出:大森政秀,出演:天狼星堂
■テルプシコール,2011.7.16-17
■前半の舞台は不調和の連続のようで緊張してしまいました。 ナナは精神的に余裕のある踊りで今一番脂がのっている時期にみえます。 ワタルの強すぎるギラギラの目は観客を現実に戻してしまいます。
ピアノの曲になってやっと落ち着いて観られるようになりました。 やはり天狼星堂はヨーロッパの深淵を目指すべきです。 浴衣は似合いません。 終幕迄になんとかまとめあげた作品といってよいでしょう。
演後の暑い夜、ホットした気分で中野駅へ向かいました。
*主催者サイト、http://mayakoookura.com/kouen11_07.html

2011年7月17日日曜日

■PROJECT POINT BLANK 2011

■演出:小尻健太、山田勇気、児玉北斗&ステファン・ラクス
■アルテリオ小劇場、2011.7.15-17
http://www.projectpointblank.com/2011/entrance.html
■①のちのおもひに②BEAT③GO-MAの三作品を上演。
①立原道造の詩が読まれたが複雑すぎてついていけなかった。 ダンスと調和したとは思えない。 後半仮面で変化をだしたのは面白い。 全体の動きと流れは素晴らしい。
②女性ダンサーははじめから舞台に登場せずに、いきなり途中から入場したほうが驚きがあるとおもう。 パンツの色は白より青にしたらどうだろう。 ついでに男性ダンサーのシャツを黄色に。 真面目すぎる感があるのでこれにより躍動感がでるとおもうが。 タブラのリズムに乗った面白い振り付けだった。
③レンガを積んだり、投げ合ったりして重みが伝わってくる踊りというよりパフォーマンスだ。 テーマの時間など無関係に見える。 物質の存在を無視できないでいる人間を表現しているようだ。 その存在と重みを軽々と踊ろうとしているところが面白い。  ・・三作品共によく練られていて誠実さのある作品だった。

2011年7月14日木曜日

■1999年の夏休み

■作:岸田理生、演出:野口和彦、出演:青蛾館
■こまばアゴラ劇場、2011.7.10-13
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/06/RioFes/#a_04
■遠くに聞こえるひぐらしの声、湖からの不気味な風、誰もいない夏休みの学寮、別世界からの言葉・・転校生。 思春期の秘密を思い出し舞台と重ね合わせながら観てしまったの。 科白は率直で想像力を広げられるし役者はとても初々しくて素敵だったわ。悠が和彦に無視されていたことは言葉に深く刻み込まれていて身体的に納得できるけど、薫の和彦への復讐は曖昧に終わってしまった。 だから終幕の悠と和彦の再愛も弱く感じるの。 残念なのはここだけね。
そして点滅に会えてうれしいわ。 悠が乗り移っている湖の精は涼しさがあり暑い夏に最高よ。 でも日本的表情を消し去れば尚よかったと思う。 だってヨーロッパが舞台ですもの。
「男の子は何で出来てるの? 卵から生まれて・・、蛙に蝸牛、仔犬の尻尾で」できているのが見えるような舞台だった。 久しぶりに時空を自由に飛べたわ。

2011年7月11日月曜日

■ペタルとフーガル

■作・演出:黒川麻衣、出演:熱帯
■下北沢駅前劇場、2011.7.7-11
http://www.nettai.jp/petal_and_fugal/index.html
■バンコク三星ホテルと添乗員の話と聞いて行く気になったの。 旅行好きにはたまらないわ。 舞台はホテルラウンジ。 行き交う人が絶え間なく、歩く流れのリズムがいい気持ちになって旅行へ行った気分ね。
でも物語に入っていくのがずいぶん鈍い感じね。 添乗員も旅行者も表面だけをなぞっていて深入りしていかない。 空港封鎖時に別会社添乗員の行動を見たいと言っていたのにどうなったのか?日本にいる夫と子供もどうなったのか?もね。
観劇後、題名を調べたら家具の配置方法だと知って再び最初から思い出してみたの。 椅子を中心としてまとまっていたことを再認識したわ。 こぢんまりとした芝居だった。 ぁあーぁあ、芝居なんてどーでもいーや、旅行へ行きたぁぁぁい・・

2011年7月10日日曜日

■ゲヘナにて

■作・演出:松井周,出演:劇団サンプル
■三鷹市芸術文化センター・星のホール,2011.7.1-10
■劇場に入ると、夕焼けのような照明の中に土手のような急斜面の舞台があり資源ゴミがそこらじゅうに散在している。 すぐに作者の頭の中を舞台一面にばら撒いたのだとわかる。 それは物や人、太宰治やニジンスキーの生まれ変わり、母親、恋人・・。
これは男の意識の流れだ。 なぜなら一体化した女神そしてセックスが底流にあるからだ。 そしてモノローグのような雰囲気を持った対話は青年団俳優独特のリアルさから抜けだしている。 というよりリアルさが壊されている感じだ。
このため観ているとシラケが時々襲ってくる。 これを避けるには弛みないリズムが必要だ。 一流の映画のように。 そうすれば新しさのある劇的感動が生まれるに違いない。
*劇場サイト、http://mitaka.jpn.org/ticket/1107010/

2011年7月7日木曜日

■おどくみ

■作:青木豪,演出:宮田慶子
■新国立劇場・小劇場,2011.6.27-7.18
■時は80年代後半ですが畑中家は60年代前半の家族にみえます。 軽井沢でテニスをしたとか皇族の話題も古すぎるし、背景のバブル景気もそのように見えません。 ところで戦後から続いた時代がここ80年代で変化したことも事実です。
この一つとして?天皇に焦点をあて、畑中家の長と重ね合わせて物語は進みます。 息子の天皇暗殺映画も話題に上ります。 でも終幕までになんとなく中庸に納まってしまいます。 次の一歩を躊躇する見えない流れがあります。
変化できたのに全てを引き延ばして現在に至っているのが日本人である。 その原因は天皇制だ、と芝居は言っているようにみえました。 この時期に昭和の終わりはありましたが、しかしここまで皇族を話題にする畑中家やその周辺も特殊な感じがします。 それは構わないのですが、翌日には観たことなど忘れてしまう部類の芝居でした。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000329_play.html

2011年7月5日火曜日

■THIS IS WEATHER NEWS

■演出:矢内原美邦,出演:Nibrollニブロール
■シアタートラム,2011.6.24-7.3
■赤いハイヒールを投げあう場面からやっと見られるようになる。 ダンサーに疲れがみえ角が取れて身心の統一できてきたようだ。 それまでは意識過剰で肉体がピリピリしていた。 続く服を投げ合ったり、床に白シーツを敷いた場面も楽しかった。
前半は最悪だ。 意味ある映像だと解釈したくなるが、これがいけない。 そして舞台右半分に映写するのでダンスと混じり合わない。 しかもダンスも映像もつまらないので一方を集中して見る気にもならない。
振付は直感を繋げている感じだ。 これだけでは発作的な動きになり硬直感が漂ってくる。 別系統の動きも加えたほうがいい。 開幕直後数分の動きはとてもよかったが。
インタビューは使い古した感があるが面白かった。 このようなブリコラージュ的な要素を繋ぎ合せたほうが下手な映像より観る者の身体をはるかに解放してくれる。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/06/this_is_weather_news.html

2011年6月28日火曜日

■EVERY DAY

■脚本:冨士原直也、演出:津田拓哉、出演:津田記念日
■下北沢OFFOFFシアター、2011.6.23-27
http://tsudakinenbi.net/next_files/%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7%E8%A3%8F.jpg
■ストーリに戸惑ったがすぐにゴースト系物語だとわかる。 妻が事故で意識不明だがゴーストとして日常生活を営むという設定だ。 舞台は板や箱が置いてあり、そこに折りたたみ机や椅子や小道具を出したりしまったりできる。 小劇場用デザインにできている。
夫はゴーストに戸惑い仕事も捗らない。 毎日が過ぎていき一週間後の日曜日、お互いに「ただいま、おかえり・・」を繰り返して妻は行ってしまう。 チラシに「甘えた幻想からこの物語はできた」とあるが一週間があるから甘えではない。 逆にとても辛いことだ。もし死ぬ時期が事前にわかってしまったら、その間は覚悟を持って死に向かうしかない。 しかし日常生活を淡々と過ごす流れになっている。 芝居はこれを肯定してくれるので観客は癒される。
ところで部長が詳細を知らないで部下が始末書を書くことなどありえない。 仕事には少し甘い。

2011年6月26日日曜日

■ソコハカ

■原作:鴨長明、作・演出:岩渕幸弘
■プルヌスホール、2011.6.23-26
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage21364_1.jpg?1414371037
■舞台中央に塔婆が立っている。 背景には大きな「夢」文字。 盆踊りの櫓のような舞台が前に進み出て幕は開く。
しかし最初は役者がセリフを叫んでいるようで何を言っているのかよく聞き取れない。 咽が潰れている役者もいるようだ。 2,3の女性役者を除きこの状況が最後まで続いてしまった。 何回も耳を塞ぎたくなった。
物語の流れもよくわからない。 あらすじでも書いてあれば有難かったが。 科白も否定的な言葉が多く、耳に障る。 途中で監督・音響・照明・カメラが登場するが複雑な構造は面白みが遠ざかる。 もっと直球で勝負してほしい。
スタッフ、キャスト共に学生が多いようだが、まずはわかり易い芝居を心がけてもらいたい。 セリフもだ。 「全力プレー」は結構だが、これでは鴨長明も仰天しているだろう。

2011年6月24日金曜日

■一輪の華をはなむけ手向けることも赦されず

■作・演出:ラディー、出演:劇団ING進行形
■タイニイアリス、2011.6.9-26
http://ing.nobody.jp/
■キリスト教が絡むとそこはSFの世界ね。 ジャンヌ・ダルクの霊を呼び出す場面で始まる神の啓示と使命の物語のようねだけど・・。 演舞と言われるダンスは悪魔的イメージで今回のテーマにマッチしているわ。 にもかかわらず踊りへの必然性が弱かった。
物語を高揚させてダンスに行かなければならないのに、観客は物語を自身のものにできず置いてきぼりにされてしまったからよ。 公演時間が短いとダンスとセリフが同時進行するから観客は容易に受け取れるの。 荒くてもあまり気にしなかった。
展開が粗雑なのかな? 長時間になるとこれが分離する。 すると物語とダンスの結合を緻密に計算しないと感動が届かない。 ということでいまからドラマツルギ2012が楽しみだわ。

2011年6月23日木曜日

■人涙

■作・演出:鈴木アツト、出演:劇団印象
■タイニイアリス、2011.6.9-26
http://www.inzou.com/jinrui/jinrui-omote.jpg
■レーシック手術で見えなかったものが見えてくるお話。 主人公が見えるようになった妖精は、衣装も大好きな涙を食べる仕草もとても素的ね。 今日子の母とその愛人その姉の4人が登場し、対話の中から日常の襞が見えてくる。
それは些細なことだけど生活を意味あるものにしていく事柄なの。 でも結局はどうでもいいことね。 観終わったら妖精の楽しさと登場人物の社会的関係しか覚えていないわ。 しかし塞ぎこんでいる時に観にいきたくなるような芝居ね。 妖精に会えるから。

2011年6月21日火曜日

■オイディプス神話

■演出:笛田宇一郎、出演:笛田宇一郎演劇事務所
■シアターイワト、2011.6.15-19
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22109_1.gif?1414371417
■セリフが連続しかも早口で物語の繋がりを追っていくことが出来ない。 登場人物関係も混乱してしまった。 しかしセリフは体から発する特異なリズムがあるので心地良い。 途中から詩を観ている感覚になる。
若い役者も硬さがあるけど離されないで付いてきている。 武内靖彦のダンスは動きが少なくて良かった。 でも他役者はもう少し動いたほうが舞台に興味がより生じたはず。
パンフレット「・・人間が宗教や悲劇を必要としているのは、・・混乱や無秩序に巻き込まれ身体的に一体化することが秩序なのだ・・」とあったが、大震災と芝居を結びつけていて目が止まってしまった。
観終わって、充実感はあったが感動が少ないことに気付く。 役者間の身体からの返信が弱かったからだとおもう。

2011年6月19日日曜日

■モリー・スウィーニ

■作:ブライアン・フリール,演出:谷賢一
■シアタートラム,2011.6.10-19
■盲目モリーの目の手術の前後まではヘレン・ケラーを思い描きながら観ました。 触覚優先の別世界へ想像力が働く舞台です。 後半は再び目が見えなくなるがその原因が伝わってきません。 モリーが何かを失ったことはわかりますが。
夫フランクはコント?を演じたり、時にはケーシー高峰のようにホワイトボードで医学論を展開したり、セリフを叫んだり、そして観客にも愛想をふりまきます。 ライス医師も手紙を読んでるような棒読みで時にはフランクに釣られてか叫び調子になります。 モリーとフランク、ライス医師の三人は別々の芝居の役者のようです。
舞台の机や椅子や本棚のあるつまらない日常風景が、後半は黒の基調で赤いコート、黄色い傘、水色の服と波を打っている黒銀色の床への抽象的風景に再編成されます。 この舞台移行の理由も不明です。
SFのような物語でしたら気にしませんが、以上の三点が観後に残った芝居の不可解さです。 これが面白いとも言えます。
*劇場サイト,https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/06/post_229.html

2011年6月15日水曜日

■雨

■作:井上ひさし,演出:栗山民也,出演:市川亀治郎,永作博美ほか
■新国立劇場・中劇場,2011.6.9-29
■前半途中から平畠弁?になり戸惑ったが、後半は少しずつ耳に馴染むようになった。 いつもと違って歌舞伎を観ているような場面が多々ある。 声がよく届き、歩き方も他役者とは違う、主演である市川亀治郎の影響力に驚く。 他役者も張り切るしかない。成りすましの徳が紅花問屋に藩に幕府に騙されていたことが終幕近くでまでわからない。 他の井上作品と比べて物語の流れに複雑さが無い。 これも歌舞伎的演出を活かせた一つの理由のようだ。
そして中劇場の締まりのない広さが気にならないのも、この不要を捨てた抽象性が効いている。 「観るまで読むな、観てから読め」は井上ひさしの芝居の観方である。 今回もチラシだけしか読まないで劇場に向かったのは正解だった。
*NNTTドラマ2010シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000328_play.html

2011年6月14日火曜日

■四番倉庫

■作:宮森さつき,演出:多田淳之介,出演:二騎の会
■こまばアゴラ劇場,2011.6.4-15
■「友だちがいない」というセリフが決定場面で必ずでてきます。
これが「ダメ男たち」の条件のように聞こえました。
でもこれは十分条件にみえます。
必要条件は会社や家族などなどの組織から外れていることです。
ところで、この芝居は変形版ボケとツッコミですね、
そして客席の二人が時々ストーリーを延ばす為の野次を飛ばす感じ。
ツッコミの内田や野次を飛ばすことができるのは必要条件を持っていない人、
つまり曲がりなりにも会社や家族という組織に居る人です。
速水にはそれがない。 「ダメ男」はボケをやるしかない。 昔なら速水は仙人です。
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/06/nikinokai/

2011年6月13日月曜日

■椿姫、何日君再来

■原作:A・D・フィス,演出:鈴木忠志,出演:SCOTほか
■静岡芸術劇場,2011.6.11-12
■主演を固めるのは台湾俳優たち。 歌われる14曲の多くは1900年前半の中国流行歌謡曲。 初めて聞く曲ばかりだわ。
背景の客人達=コロスはニューヨークのウォリアーズ感のある衣装で場所がどこだか見当がつかない。 多分上海ね。
アルマンの父がマルグリットに息子から手を退くように懇願する、物語の高揚場面で北京語から台湾語に替わったらしい。 日本の観客は見過ごすけど、台湾の観客には身体と歴史が塗れている言語変換でとても感動したと聞いたの。 これはわかる気がする。
最後の「緑島小夜曲」がよかったかな。 でももっと歌にけだるさがあってもいいかも。 上海の雰囲気ももっと欲しかった。 そうすればS・メソッドの重みのある身体動作と一層マッチしたはず。 テレサ・テンの「何日君再来」を聞きながらこれを書いたのよ。
*劇場サイト、http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/camellias.html

2011年6月11日土曜日

■光ふる廃園

■振付:工藤丈輝,若林淳
■座・高円寺,2011.6.10-12
■発行態での若林淳のダイナミックなソロでは照明が前後左右から点滅を繰り返しユックリみることができなかった。 観る楽しさを壊している。 この場面の照明はどっしり構えていて欲しい。
工藤丈輝は鋼鉄の肌黒い肉体を持った河原乞食だ。 若林と対照的な体を持っている。 この二人なら面白い舞台が作れるはずだ。 しかしそのように進行しない。 なぜかつまらない。
女性が登場しても展開に硬い感じが続いた。 ダンサーは汗をたくさんかいていて緊張しているようだ。 チラシの解説は数行だが重たく難しい言葉で綴られている。 この言葉を身体迄に落とすのに精神を使い果たしてしまったのではないだろうか。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=455

■天守物語

■原作:泉鏡花,演出:毛利亘宏,出演:少年社中
■吉祥寺シアター,2011.6.3-12
■妖怪の住む天守閣と人の道が深い自然で分かれている舞台、父親に戻る時間の展開方法、妖怪と人の相違を説明している多くのセリフ、「妖怪も人も死ぬのは怖い」。 具体性を持っているにもかかわらずシンプルで分かり易い舞台です。
そして中国風の華麗な衣装と日本の祭りの踊りがこれを包み込んで少年らしい世界を提示しています。 そのぶん深い精神の襞は描けていません。 しかしそれは観客が想像すればよいのですから。
もう少し抽象性を進めたらまた少し夢幻世界へ近づけたかもしれません。 ところで黒衣の鷹の動きは、右腕だけで羽を表現し身体とその位置を分離して面白い存在感を持っていました。 楽しい一時を過ごせた芝居でした。
*劇団サイト、http://www.shachu.com/tenshu/

2011年6月8日水曜日

■真夏の夜の夢

■作:W・シェイクスピア,潤色:野田秀樹,演出:宮城聰,出演:SPAC
■静岡芸術劇場,2011.6.4-5
■木々と梯子で奥行と縦の立体感を出しグレー系の落ち着きのある舞台美術。 衣装も料理屋従業員の白から、妖精達の灰色、メフィストフェレスの黒までの無色、そしてそぼろだけワイン色なのは彼女の夢だったから?
野田の言葉優先から来る緊張感ある舞台と違って宮城の言葉と身体を対等に置く表現は落ち着きのある宇宙を作り出している。 メフィストの登場で善悪・恋愛・人生などを反芻することができて、観客は物語に深く分け入りながら進んでいくことができるの。
最後に恋愛の行き違いから森を失ってしまうのをみて人間の些細な出来事の積み重ねが歴史だと見えてくる。 「グリム童話」と違って今回はちょっと複雑。 だから観後の帰り道に舞台を思い返すごとに充実感が増していくのね。
*劇場サイト、http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/nightsdream.html

2011年6月7日火曜日

■届けて、かいぶつくん

■振付・演出:KENTARO、出演:東京ELECTROCK STAIRS
■シアタートラム、2011.6.1-5
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=tokyoelectrock_todoketekaibutsu_l_pm_poster_2.jpg
■日常の動きに速さと丸めを加えた振付、しかも腕と手先に比重が分散してきてとてもいい感じだ。 自作の音楽もまあまあ。 しかし観客にいつものような躍動感が伝わって来ない。 これは90分の流れにメリハリがなかったからだ。
いつもは数グループの一つとしての出演だから10数分の踊りっ放しだった。 短い時間だから無条件で楽しめた。 今回のように上演時間が長い場合の戦略・戦術は見直したほうが良いと思う。
たとえば、素人レベルだが・・ 歩くことや走ることも取り入れる。 音楽やセリフを厳選する。 セリフに詩を増やす。 ダンサーを舞台袖で休息させる(これも客に見せる)。 ・・などなど。

2011年6月2日木曜日

■泥リア

■作:林周一,演出:笠原真志,出演:風煉ダンス
■調布市せんがわ劇場、2011.5.27-6.5
■嵐の中のリア王→リアの妻の葬儀→三人娘や夫の登場→壁の模様替え→泥人間登場・三人娘がギドラに変身・エドマンドの謀略・・→壁の模様を戻す→嵐中のリア王→リアの妻の葬儀、こんな流れだったかしら?
ギドラや泥人間の楽しい登場は、暗い場面の嵐のリア王や葬儀に一層の深みを届けている。 リア王の二人は舞台慣れしていてそこだけ違う芝居のようね。 これで→が進むごとに時空を超えていくような舞台にみえた。 一種の劇中劇かな。
そしてあらゆる観客層を取り込もうと努力しているようね。 ギドラや泥人間が登場の理由はこれかも。 賑やかさと楽しさのある荒っぽい芝居だったわ。
*劇場サイト、http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/05657/image1L.jpg

2011年6月1日水曜日

■DANCE to the Future 2011 ダンス・トゥ・ザ・フューチャー

■振付:キミホ.ハルバート,石山雄三,上島雪夫
■新国立劇場,2011.5.28-29
3作のどれも低調な感じですね。 でも「ナット・キング・コール組曲」は楽しめました。 この中劇場はどうしても集中できないもどかしさがあります。 なにもない空間どころか、雑念が漂っている空き地で上演しているようです。
最初の「ALMOND BLOSSOMS」はダンサーが舞台中央まで来るのに10M近くもあるから、観ていても繋がりが切れてリズムが狂ってしまいました。 舞台袖も廃れた街角のようで出番を待つダンサーの演出も台無しです。
2作目「QWERTY」 はデジタルメディアとの関係がみえませんでした。 情報処理をした映像や音楽を使用することでしょうか?キーボードの映像上をダンサーが動き回るなど30年前のイメージです。 映像に遊ばれていたようにもみえました。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/dance/20000356_dance.html

■月食のあと

■振付:平山素子
■世田谷パブリックシアター,2011.5.27-29
■照明がとても素的だった。 照明技術の進歩が舞台を変えていくのがよくわかる。 でも踊りとは無関係にみえたわ。 ダンサーが照明に対して受け身だったからよ。 特に宇宙線を変換する光や、制約の多い豆電球の衣装を着て踊る場面はね。
春に観た「私たちは眠らない」(東野祥子)は照明をなんとか身体に絡ませようとしていたけれど、素子はまだ傍観してるだけね。 でも次は電球ではなくて光を纏って踊ってちょうだい。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/05/after_the_lunar_eclipse.html

2011年5月28日土曜日

■ビタースイート

■作・演出:椎名泉水、出演:スタジオソルト
■SPACE早稲田、2011.5.25-29
http://www.studiosalt.net/btsw/201105_cu.html
■北朝鮮の兄妹が空港で捕まり、出された菓子の旨さに国家観が心揺れてしまう一話。 二話は死が近い父に20年ぶりに再会して言葉から情へ移っていく子の心模様。 三話は顔が崩れている女性が好きになり告白をするが振られる男の独白。 放射能汚染5km圏内で無断生活している人へインタヴィユする四話。 放射能は人間生活圏では理解不可能な異物にみえました。 以上のオムニバス四話で構成されている。
タイトル通りに少しばかり非日常的な行動をビターとスイートで包みこんでいます。 どれも涙と笑いを誘います。 バカバカしさのある話でしたが人生の納得が積み重なっていく芝居でした。

2011年5月26日木曜日

■黒い十人の女

■作:和田夏十,演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ,出演:ナイロン100℃
■青山円形劇場,2011.5.20-6.12
■風松吉のような男は現実にいるのかね? たまに似ている奴がいるけど多くは仕事も出来ないニセモノなんだ。 前半は面白かつた。 理由は男と女の綱引きが精神的に対等で緊張感があったからだとおもう。
しかし松吉を殺す話が持ちあがってからは急に面白さは萎んできたな。 そして終幕まで退屈が充満していた。 「殺人遊び」は古過ぎるし、「檻遊び」の場面は目を背けたよ。 男女間の汚らしいところが表出し舞台を現実に戻してしまったんだ。
しかし10人もの女性のキャラクターをここまで出せたのは素晴らしい。 そして役者や小道具の動きに見覚えがあったけど、振付が小野寺修二と聞いて納得。 この映画は観ていないが監督が市川崑だからつまらないかな?
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/25900

2011年5月25日水曜日

■どん底

■原作:M・ゴーリキ、演出:鐘下辰男、出演:THE・ガジラ
■笹塚ファクトリー、2011.5.20-29
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage20819_1.jpg?1434668465
■上手を観客席にしているので下手は奥のある舞台にみえる。 前半は愛憎劇。 セリフは短いが男女間の複雑な背景が凝縮しているので理解しようとすると動きについていけない。 幸いにもセリフに間があったので言葉を一度噛みしめることはできた。
後半は自由を絡めてくる。 観客自身がこの二つに苦い経験を持っていないとすんなり舞台に溶け込めない雰囲気がある。
若い観客が多いなか拍手も無かったのは、武骨な愛憎と自由、酒での連帯強化は馴染まなかったのでは? パンフレットの「私たちの自由と社会を再考」するのにゴーリキは遠い人のように感じてしまった。
演劇博物館「伊藤憙朔と舞台美術」展にモスクワ芸術座「どん底」(1950年)の写真が数枚展示されていた。 俳優の顔かたちや表情がガジラの役者と瓜二つだったので笑ってしまった。 「どん底」を経験すると似てくるようだ。

2011年5月24日火曜日

■戦争にはいきたくない

■作・演出:石曽根有也、出演:らくだ工務店
■下北沢駅前劇場、2011.5.20-29
stage.corich.jp/img_stage/l/stage20132_1.gif?1414386256
■東京下町のネジ工場の、社長の自宅でもある事務室が舞台です。 テーマが見えてきません。 別に見えなくてもいいのですが、話がいっこうに進まないので気懸かりになりました。
犬の世話やジャニーズやパンダ、デズニーランドのことなど日常の会話に終始していきます。 結婚話やヤクザそして認知症で少しばかり盛り上がるのですがこれも付け足しにみえます。 付け足しだけでできている芝居です。
「具体的な物語の断片を・・」積み重ねるだけではリアルは現れません。 普遍とリアルのどちらが先か?・・、ここではリアルが先だと思います。 リアルは舞台と観客の間で存在や関係性の本質が立ち現れることですから。
その結果「普遍的な物語の断片を・・」描けたと言えたのではないでしょうか。

2011年5月23日月曜日

■散歩する侵略者

■作・演出:前川知大,出演:イキウメ
■シアタートラム,2011.5.13-29
■ヒトが持っている概念たとえば所有・家族・・を盗み取る「宇宙人」が登場する。 取られた人はその対象概念が無くなり別人のようになってしまう。 脳科学の言語機能主義が背景にあるSFストーリーである。 そして神や愛の概念になると一筋縄ではいかない。
神は逃げてしまうし、真治が鳴海の愛の概念を盗む肝心な場面の二人の行動は不可解にしかみえない。 要の「侵略」という概念もボヤケているし古すぎる意味で使っている。 もっと深く突っ込んだら面白い展開にできるはずだ。
舞台の小道具や背景はすべてが灰色系で物語とマッチしていた。 役者が一瞬で別の場所と時間に跳んでセリフが続いて行く切替方法は面白い。
SFは何でも有りで空想力豊だが制約が無いぶん観客の想像力は減少する。 SFを採用した時のデメリットが目につく芝居であった。
*劇場サイト、http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/05/post_232.html

2011年5月20日金曜日

■ロマン

■作·演出:高井浩子、出演:東京タンバリン
■三鷹市芸術文化センター·星のホール、2011.5.13-22
http://tanbarin.sunnyday.jp/roman/index.html
■階段が部屋にもなるシンプルな舞台、雑踏での役者・照明・音楽の協調ある動き、要点を押さえた日常対話、メリハリある場面切替、リズミカルな時の流れ・・、とても洗練されている芝居ね。計算され尽くしているのを観客にみえるのが弱点くらいかな。
帰り道では、今観て来た舞台を何度も思いだしてみたわ。織物の地から最初は見えなかった柄が浮き出てくるような芝居だった。でもその素晴らしい柄に感動する手前で止まっているような後味ね。原因はただ一つ、それは身体が見えないから。
このように身体性を抑えている芝居は時々観るけど多くは失敗しているわ。でもこれは成功している、ようにみえる。チラシに「劇的でなくててもいい」とあったけど近いところでウロウロしているみたい
小津安二郎は計算尽くしで身体性を抑えて静かな劇的さを出している、・・もちろん映画的劇的と演劇的劇的は違いがあるけど、きっと新しい劇的さを出せるとおもうわ。

2011年5月14日土曜日

■デビルマン

■作:永井豪,脚本:じんのひろあき,演出:高瀬久男
■プルヌスホール,2011.5.13-20
■漫画とは知っていたが読んだことはない。 観劇後ウィキペディアで調べたところ面白そうなストーリーだ。 演出家も笑顔になるだろう。 原作はゴシックホラーだが後半は人間同士の信頼の話しになっていくらしい。 芝居もここが中心になっている。
生きるために他人を殺せるか? 悪魔狩に包囲された最悪の状況で全登場者は決断を迫られる。 「人殺しなんかできない。 しかし殺されそうならば状況による。 やはり生きたいから・・」。 これが普通の答えかもしれない。
だがこの答えこそ悪魔の証だと聞こえてしまった。 そして不動は待っても来ない・・。 興味が消えないので近々にレンタル店で「デビルマン」を借りてこようとおもう。 ところで舞台は役者の動きもセリフも簡潔明瞭でとても観やすかった。
*劇場サイト、http://www8.obirin.ac.jp/opai/opap_item.php?no=73

2011年5月13日金曜日

■鳥瞰図

■作:早船聡,演出:松本裕子
■新国立劇場・小劇場,2011.5.10-22
■老女将と息子が経営している釣船の店が舞台。 作者は磯の香りを観客に届けたかったのでは? でもカサゴ・あなご・白キスの大文字看板や部屋に飾ってある海岸や釣船の額縁写真は最後まで知らん顔のままだ。
浮気や離婚など複雑にみえる人間関係は中途半端で女性週刊誌を読んでいるようだ。 食べる場面も多過ぎる。 玉蜀黍・西瓜・煮物・アイス・オムレツ。 これが噂話と絡み合いテレビドラマのようだ。
そして時間が経っても登場人物の過去の結びつきが結晶化していかない。 だからミオによそよそしかった佐和子が親しみの態度に急変した心理も頷けない。 孤独死峯島の葬儀で終幕にするのも東京湾の死に、掛けているようだが感動は小さい。
残念ながら磯の香りは届かなかった。 細部が分散と停滞のまま俯瞰したので毒にも薬にもならない舞台になってしまったようだ。
*チラシ、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage20353_1.png?1414393069

2011年5月9日月曜日

■マッチ売りの少女たち

■作:別役実,演出:平田オリザ,出演:青年団
■こまばアゴラ劇場,2011.4.28-5.17
■ストーリに細かい非連続があって観ていても躓いているばかり。 80年代生まれの会話とくすんだ戦後風景が同時にやってきたり、少女たちの主張がかけ離れていることだとか、・・いろいろあるわね。 これが流れを澱ませて芝居をつまらなくしたのよ。
この非連続を不条理にまで昇華させると少しはみられるようになるわ。 でも不条理ではなくて不合理で止まってしまった。 しかも別役実の不条理劇はあまり面白くないし。 これをコラージュしたのが原因かな。 特に初期作品をね。
ところで5日に緊急対談があったのね。 知らなかった。 緊急というからには重要なことよね。 しかも子供の日に。 是非内容をHPに載せて欲しいー!
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/

2011年5月8日日曜日

■ヤルタ会談

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■こまばアゴラ劇場,2011.4.28-5.17
■「新作落語として書いた」とあるが観て納得した
オリザ型対話劇は公演時間が30分だと身体性が展開し難くて言葉だけの面白さで終わってしまう
今日みても3人漫才かコントのようで芝居の面白さは無い
観終わった後は史実としてのヤルタ会談を調べ直してしまった
そして落語として書いたことを再び納得した
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/

2011年5月4日水曜日

■走りながら眠れ

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■こまばアゴラ,2011.4.29-5.16
■題名がとてもいいわ。 でも芝居は眠るほうに比重がかかっていたようね。 走っているのがみえなかったわ。 それは船旅やファーブルの話しが面白過ぎて二人の日常生活の対話に深みがでなかったからよ。 多分リアルさだけでは不足なの。
チラシに「明るい、おおらかなサヨク、大杉栄・・」とあって「革命日記」を思い出してしまった。 雑誌「テアトロ」の2010年度ベストワンで「革命日記」をワーストワンに掲げていた批評家がいたことも。
「こんなことでは革命などできない・・」とか言っていたようだけど。 ソビエトは崩壊しちゃったんだからこんなことでも御破算よね。 でもどちらの芝居も革命家でなくても成り立つかもしれない。 おおらかさだけでも不足なのよ。
走っているのがみえるにはどうすればいいのかしら?
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/

2011年5月3日火曜日

■サブロ・フラグメンツ

■出演:勅使川原三郎,佐東梨穂子ほか
■アルテリオ小劇場,2011.4.30-5.8
■等加速度の動きが冴えていたけど、ヴァイオリンの音色が粘りついたような感じだった。 しかも運動エネルギーを外に出さず蓄えたまま踊り続けているようにみえる。 発散しないダンスは心が踊らないわ。 後半はもがき苦しんでいるようね。 途中のピアノは合わせ難かった、だから直にヴァイオリンに戻してしまったのかしら? 若いダンサーたちは三郎からフィードバック機能を取ってしまったように動き回っている。 もっと制御を効かせて逆にスローにしたほうが変化がでて面白かったはずでは?
終幕の照明と踊りは付け加えた感じで馴染まない。 省いた方が自然な流れになるとおもうけど・・。 3.11を意識し過ぎたのね。 100年後の人類が人造の肉体を持った時の苦しみがどういうものかを想像してしまう、ようなダンスだったわ。
*KARASサイト、http://www.st-karas.com/works_jp/saburofragments/

2011年4月30日土曜日

■わが星

■作・演出:柴幸男,劇団:ままごと
■三鷹市芸術文化センター・星のホール,2011.4.15-5.1
■人生は宇宙と同じように壮大なんだ!という感覚が押し寄せてくる家庭劇?でした。 星として家族の一員として役者はコロスのように円周を飛び回ります。 このリズムに共鳴して観客も子供の遊びのように疲れも飽きもしない舞台をみることができます。
実際子供の遊びの名前や初めて自転車に乗った時のことなどが話題になり観客を過去の時間に戻します。 祖母がいつ亡くなるかの話題もよくのぼります。 しかし湿っぽさはありません。 理由はこの芝居が宇宙とうまく繋がっているからです。
10のマイナス30乗のプランク世界に関しての本を読んだのですが、この世界の住人からみると人の身長1mは宇宙の大きさと同じ比になるとありました。 137億光年が人の身長だって!?この芝居はプランク世界をも取り込んでいる面白い感動を持っています。
*作品サイト、http://wagahoshi.com/

2011年4月28日木曜日

■ゴドーを待ちながら

■作:サミュエル・ベケット,演出:森新太郎,出演:橋爪功,石倉三郎
■新国立劇場・小劇場,2011.4.15-5.1
■舞台が長い道になっていて両側に客席がある。 天井の照明も目に入り観客は道端に居て役者と時空を共にする感覚が持てる。 奥行きが有りとても立体感溢れる舞台である。 道幅をもう少し狭くすれば緊張感がもっと出たかもしれない。 ヴラジミールとエストラゴンが作り出す時間の澱みを、ボッゾとラッキーがこれを円環に形作る手助けをする。 交互に来る澱みと流れで時間の輪廻が明確になりゴドーを待ち続ける核心に入っていける。 乾いたような感動のある面白い芝居だった。 ところで少年との対話が生煮えのようだ。 ここで画竜点睛を欠いてしまい惜しい。 四方すべて観客だと発声が大変だとおもうが、エストラゴンの後ろ向きでのセリフに聞き取り難いところがあった。
*チラシ、http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000326.pdf

2011年4月26日火曜日

■奇妙な物質のささやきⅡ

■出演:大倉摩矢子,ラビィ,大森政秀,石井満隆
■テルプシコール,2011.4.15-24
■起承転結の後半が溶けているようで中途半端な流れだった。 雨の中、透けた合羽で座り込んだラビィがようやく合羽を脱いで四つん這いになる場面はピカピカ衣装の効果も加わりカエルより昆虫のようで興奮したわ。 大倉はとても緊張感が漂っていた。 大森の踊りはいつも好きな時空へ飛ぶことができる。
石井は武骨な踊りをするのね。 観客を見る目も恐れと親しみ、真面目と遊びが同居していて舞台と現実を往復しっぱなしね。 地下足袋?はいいけど白衣の胸ポケットは不要ね。 退屈さも気にかかったけど。 明治時代の雰囲気が漂っていたわ。 「ニューヨークの少年(?)」の場違いな音楽を背景にキョトンと目が点になっている場面や年配石井に遠慮する大森とのデュエットの場面は笑っちゃった。
音楽も雅楽・ロック・クラッシック・雑音を多用し身体にうまく絡み合って一つの宇宙を提示できたとおもう。 でも終幕は凝りすぎてる。 引き際はもっとシンプルにしたほうが嫌みがなくてよ。
*資料、http://bigakkobar.jp/_userdata/BAR3.pdf

2011年4月12日火曜日

■交換

■原作:ポール・クローデル,演出:フランク・ディメック
■こまばアゴラ劇場,2011.4.6-11
■幕が開き、女優レキの劇中劇や資本家トマの登場をふくめて4人の役者が出揃う前半はひさしぶりの感動に出会えました。 役者の身体と言葉がとても生き生きしていたからです。 しかし以後は萎んでいきます。 後半再び盛り上がりますが既に終幕です。
それはルイがインディアンに戻った少しの間だけ、マルトはもちろんですがレキもトマもそれを感じとるからです。 その時のルイは素っ裸ですが筋肉や肌から発する言葉は想像以上のチカラを持っています。 ギリシャ時代のオリンピックもこうだったのでしょう。
マルトは旧ヨーロッパというよりインディアンの血が流れている演技をしました。 これでヨーロッパ対アメリカから旧アメリカ対新アメリカへと比重が傾いてしまい芝居の集点が定まらなくなったように思えます。
そしてインディアンから何故かパリのアフリカ人を思い出してしまいました。 このためか、ギリシャ、アメリカに加えてアフリカ植民地の影のあるフランス的のなんとも言えないテンポのある舞台に浸れました。 しかし2時間半はやはり長く感じた芝居でした。
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/franck/

2011年4月2日土曜日

■材料アリストパネース

■演出:杉浦千鶴子、出演:ラドママプロデュース
■お茶の水・FREESPACEカンバス、2011.3.24-31
http://www.geocities.jp/radomama/
■「アカルナイの人々」「女の平和」「雲」を題材にしています。 時々演出家が登場してギリシア地図の説明や用語の解説をします。
演目の切れ目に映像が入ります。 米軍厚木基地で日米安保条約強化反対について、宮下公園でナイキ移管の公共施設利用規制反対について、過去の公演「バッコスの信女」でのギリシャ古典劇議論などです。
舞台とこれらの映像から他ポリスやペルシアとの政治状況、主人公の行動などが現代と結びついてくるのがわかります。 そしてギリシア劇とはポリスを考えることだ、に到達します。
神田界隈の通行人をそのまま連れてきたたような役者、しかも配役名を首にぶら下げて登場します。 平和、喜劇そして下ネタの話で盛り上がりそうですが、観る楽しさや歓びからは遠い舞台です。 ギリシアが近くなったり遠くなったりする芝居でした。

2011年3月30日水曜日

■カスケード ~やがて時がくれば~

■作・演出:岩松了
■下北沢・駅前劇場,2011.3.16-27
■青春群像劇よ。 学園ではなく既に社会に出た話だから甘酸っぱい香りが漂っているとは言えないけど。 青春も歳をとったのね。 カモメを上演する演劇関係者の話し。 前半人物関係がみえなかったけどチラシを見たら役名と本名が同じだった!
舞台はトレープレフ役の青年が自殺をしたところから始り、時間を逆に進ませるから余計混乱した。 台詞は切れが良くテンポがあるし役者もキビキビしていてスピード感がある舞台よ。
演劇も企業と同じにトップが確固たるヴィジョンを持ちそれを役員レベルが組織に具体的におとすことが要だということはわかったわ。 でもこれが出来ないから芝居になるのね。 感動というより切ない想いが押し寄せてくればこの種の芝居は成功だとおもう。 抑えの効いた演出だったし観た後も雑音を残さない良い舞台だった。
ところでここは客席が少ない劇場だけど今回は倍の席数に模様替えしたみたい。 しかも今日は立ち見もいたし・・。 芝居をみても満席理由がわかる。

2011年3月29日火曜日

■冬の旅

■作:松田正隆,演出:高瀬久男,出演:アル☆カンパニ
■新宿SPACE雑遊,2011.3.17-27
■俳優の夫婦がイスラエル?旅行をしてきた話です。 ですから平田満と井上加奈子は二重の意味で夫婦ということですね。 日常会話とモノローグから構成されています。 機上やホテル、レストランのこと。 パレスチナ?や死海のこと。
マクベス夫人の科白を舞台上で忘れてしまったこと。 何故忘れたのか?とか。 ベティ・デイヴィスや題名がわからない映画のことなどなど、お互いの生活や性格を軽蔑や柔らかな非難をしながらすすみます。
芝居ですから現実の会話より知的になっているので眠くはなりません。 かといって身をのりだすほどでもありません。 演出や俳優に興味が無い場合、この種の芝居はチケットを購入する時に躊躇します。 先日ハンマースホイ展を観たので決めました。
しかし観てしまったからにはやっぱ良かったなあと想うところがあれば得した気分になりますが、はたしてこの芝居には有りました。 もちろん口にする程のことではありませんが。 チラシはもちろんハンマースホイですがこの絵よりもっと雑音のある芝居でした。
*劇団サイト、http://aru-c.com/stage08.html

2011年3月28日月曜日

■バルカン動物園

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■こまばアゴラ劇場,2011.3.18-28
■役者は動きが少なく椅子に座っている時間が多い。 結果舞台は満員の状態が続く。 セリフが重なって聞きづらいところが多々ある。 そして流れがよく見えない。 しかも奥行きの無い舞台で役者と観客の距離を縮めている。 このため息苦しい。
プロジェクターを利用した解説は強すぎる。 これで役者全てが凍りつく。 もちろん観客も。 科学史、免疫、生物実験、コンピュータ、確率などの説明が物語に溶け込んでいかない。 脳波がでている脳味噌だけの研究も異様だ。
自閉症の話題はまだしも、研究員の結婚話も動物実験材料の是非も突飛な感じだ。 科学シリーズ前二作と比較してギクシャクしていて練れていない。 今は理工学専門家と机を並べているとチラシに書いてあったがまだ演出は手がけているのかな?
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/03/seinendan/

2011年3月26日土曜日

■ホフマン物語

■振付:金森穣,出演:NOISM
■静岡芸術劇場.2011.3.19-20
■操り人形オランピア、男装娼婦ジュリエッタ、病弱な娘アントニアの三幕もの。 とても切れ味の良い振付だ。 これに比して照明の緩やかさ、床の肌色、沢山のブロックの木で作られた温かさ、衣装の中間色の多い細かい柄。 振付とは対照的な構成だ。
この為なんともいえない雰囲気がある。 恋の破たん劇に合っているようにみえるが、まとまりが無く混乱している舞台にもみえる。 人形の踊りや舞踏会など楽しめる場面もあったが、演者の視線が鋭く拒絶のしぐさが多いため緊張感が過ぎたようだ。 三幕のうち一幕を毛色の違う振付で臨んだらより面白くなったのでは?
*劇場サイト、http://www.spac.or.jp/11_spring/hoffmann.html

2011年3月24日木曜日

■人形の家・解体ーパラレルワールドのノラー

■作:エヴァルド.フリザール,演出:高取英,出演:月蝕歌劇団
■ザムザ阿佐谷,2011.3.15-17
■二組のノラとヘルメルが登場して頭の中は混乱しました。 どのように解体したのかわかりませんでした。 パラレルワールドは面白い構想ですが、物語に深みがみえない、それに加えて歌が多過ぎてストーリーを潰してしまったことが原因です。
このためか和服姿や演歌、狐の仮面や光線もどことなく白々しくみえました。 煙もモクモクし過ぎですね。 舞台全体のリズムが乱れてしまったのです。
役者が不可思議なリズムと感情を奏でている舞台を楽しみたいと観に来る観客が多いのですから、ここは緻密な計算をしてほしいところです。
*月蝕歌劇団25周年記念第4弾作品
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/26950

2011年3月15日火曜日

■グリム童話-少女と悪魔と風車小屋-

■作:オリヴィエ・ビィ,演出:宮城聰,出演:SPAC
■静岡芸術劇場,2011.3.5-13
■父が悪魔に娘を与える契約をしてしまうが娘は両手を切り落とし旅に出る。 娘は王と一緒になり子供を産むが再び悪魔の謀で娘は子供と森へ逃げる。 しかしさいごに父や王と喜びの再開をする。 そして両手も再び甦る・・。 感動ある死と再生の物語ね。
舞台は白一色。 悪魔だけが黒よ。 木々や動物はもちろん衣装の一部も紙でできているの。 打楽器のシンプルな演奏は物語にマッチしている。 人形のような動きとセリフの、動かないダンスをみているような役者。 舞台は玩具箱をひっくり返したようね。
天使と悪魔は科白も動きも切れがあった。 照明のコントラストも良かった。 細かいところにも気を使っているのが伝わってくる。 総合力で勝負している芝居だわ。 そして奇跡の物語は別格ね。
*劇場サイト、http://www.spac.or.jp/11_spring/grimm.html

2011年3月7日月曜日

■私たちは眠らない

■演出:東野祥子、出演:BABY-Q
■三軒茶屋・シアタートラム、2011.3.4-6
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/03/post_219.html
■前作の「ヴァキュームゾーン」で、特に照明に踊りが追いついていけなかったところはクリアしたようね。 理由は照明のコヒーレントが増したため踊りと対等になったからよ。 音楽も一層よくなったけど同じ理由が言えるわ。 そしてダンサーには切れがあった。
結果、東野の持ち味のドロドロさがなくなったの。 このドロリの原因はアニミズムに通ずるようなものだと思うの。 東野は恐山のイタコだったのよ。 しかし今回これが別なものに変化した。 それは宗教よ。
こんかいの音楽はイスラム教を思い出させるの。 そしてマイクを持った女性の演説がグローバリズムを語るの。 これは宗教と兄弟よ。 最後に箱を繋ぎ合せて十字架を作りコヒーレンスな照明で精神を高揚させる。 こんなにも宗教的な舞台は珍しいわ。
しかし最後に藁と骸骨が登場したの! どういう意味だか理解できないわ。 でも二つの方向が考えられる。 東野は再び恐山のイタコに戻る、あるいは本格的な宗教へ突き進む。 どちらへ行くかは次の作品を観ればわかるはずよ。

2011年3月6日日曜日

■花札伝綺

■作:寺山修司,演出:青木砂織,出演:流山児★事務所
■SPACE早稲田,2011.2.25-3.6
■歌が多いのでこれは歌劇ですね。 狭い舞台に同時に10人以上が登場するので身動きができません。 これで役者は日常生活の動きに戻ってしまいます。 これが顔にも伝わり締まりの無い表情になってしまいます。 とうてい物語の深みには入れません。
オペラのようなものだと初めからみればよかったのです。 そうすれば歌う時の無条件に明るい表情や、紙で作ったハリボテの衣装も納得できたかもしれません。 ところでチラシに「「三文オペラ」の本歌取り・・」とありましたがどこが本歌かわかりませんでした。
*劇団サイト、http://www.ryuzanji.com/r-hanafuda11.html

2011年2月28日月曜日

■カゲロウの黒犬

■作:李大京右,演出:寺十吾,出演:TSUMAZUKI
■下北沢・スズナリ,2011.2.23-3.2
■場内に入ったら、住みたくない家の典型が舞台に作られていて不吉な予感がしました。 チラシには「現代社会の一番嫌な、出来れば見たくないようなものみせつけられた・・」と過去の感想が載っています。 幕が開くとチラシどおりの世界が展開されます。
祖母と父親の死、後に残された引き籠り兄弟とこれに群がる貧困ビジネスの人々の話しです。 日常生活を営んでいる船底を開けるとこのような地獄があることを薄々気づいているから余計に見たくないのです。
でもこの地獄は人類が登場してからずっと存在しているものではないでしょうか。 登場する人間関係は直ぐにでも分解しそうですが、舞台は非常に濃い負の対話が続きます。 ここが芝居の面白さですかね。
老人介護職員が通帳を預かっている場面があります。 自立支援ボランテアと祖母の年金を分ける話しもでてきます。 ここで長男が何も言わないのは前後の筋からいっても理解できません。 このようなストーリだとお金の処理はやはり気になります。
この芝居は出口がありません。 永遠に続く現実の一部を誇張だけしてそのまま舞台にのせているからです。 次も観たいか?と問われれば今回で十分だと答えます。 なぜなら劇場をでれば現実が待っていますからね。 これが売れない理由です。
*劇団サイト、http://tsumazuki.com/stage/138/

2011年2月27日日曜日

■TABLEMIND

■演出:川口隆夫
■川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場、2011.2.23-27
http://kawasaki-ac.jp/img/110223_TM.pdf
■特設舞台両側に客席が60席。 手紙を小声で書くところから始まる。 そして青白い光の帯が身体の脆さを浮き出させながら舞台の世界に入っていく。 バス停で見失った友、入院したことなどが日記のように読まれるがしかし話しは徐々に薄くなっていく。映像の他人に同化して「冬の散歩道」をバックに激しく踊るクライマックスはとてもいい。 曲目も合っている。 終幕に再び手紙を読むがノイズ音で聞き取れなくなり声は粒子のように分散していく・・。
小道具や映像・光はダンサーから付きず離れず他者のような関係を保っているように動き回る。 舞台、振付、ストーリすべてがコンパクトにパーソナルにまとめられている。
日常生活から少しばかりズラした身体を意識させてくれた。 休息ができる短編小説を読んだようなパフォーマンスであった。

2011年2月24日木曜日

■苦悩

■作:マルグリット・デュラス,演出:パトリス・シェロー,出演:ドミニク・ブラン
■両国・シアターカイ,2011.2.21-22
■以前観たデュラスの「インディア・ソング」「愛人」が素的だったことを思い出して両国へ急いだの。 強制収容所の夫ロベールを待つデュラスの日記の芝居化よ。 オルセー駅、今の美術館?、へ毎日通って収容所からの帰還者を確認するデュラス。
そこは帰還者ばかりか捕虜や兵隊がいっぱいの喧騒な世界。 アフリカ戦線、ド・ゴールとド・ゴール派批判、ルーズベルト、ベルリン陥落、収容所解放、赤痢、チフス検査と話しが続いていくの。 結局はドイツも同じヨーロッパだと認識し直すデュラス。
そして驚くべき夫の帰還。 しかし姿は無残にも体重が38kg。 41度の高熱と緑色の泡のような大便。 なんとか持ちこたえて、夫の台詞「おなかがすいた」で幕が閉じる芝居。
途中アンリ・コルピの「かくも長き不在」を思い出してしまったの。 劇的だった映画と違ってこの芝居は淡々としているわ。 だから想像力が必要なのよ、1945年の帰還者を待つ芝居を今観るにはね。
*劇場サイト、http://www.theaterx.jp/11/110221-110222t.php

2011年2月23日水曜日

■美しきものの伝説

■演出:西川信廣,出演:文学座
■紀伊国屋サザンシアター,2011.2.13-22
■劇場に入ると三味線が迎えてくれていい気分になりました。 大正元年、伊藤野枝とその周辺の話しです。 芝居の話しも出てくる。 しかし少し観て席を立ちたくなりました。 歴史や人物の解説をしているような芝居です。 人間関係がとても表面的です。 いかにもセリフを喋っているという感じの対話が続きます。 感動など湧いてもきません。 三味線弾きの突然坊が「・・芝居の結末は歴史書を見ればわかる」と言っていたがまったくその通りになってしまいました。 義務感で上演をしているような芝居でした。
*劇団サイト、http://www.bungakuza.com/utukusiki/index.html

2011年2月22日火曜日

■TPAMショーケース

■出演:①スサンナ・レイノネン・カンパニー(フィンランド)②ラバーバンダンス・グループ(ケベック)③カハーウィ・ダンスシアター(カナダ)④ペリーヌ・ヴァッリ(フランス)⑤コンセントラート(ポーランド)
■神奈川芸術劇場他、2011.2.17-20
http://www.tpam.or.jp/2011/j/international/index.html
■国際舞台芸術ミーティング(TPAM)での海外5グループのダンス公演。
①寒くて暗い大草原にいるような舞台。 足はいつも地面から離さないで腕を大きく振りまわし、鉛の靴を履いているような歩き方をするの。 大地のリズムが伝わってくるようなダンスね。 身体・体重のある北欧人だと様になるわ。
②ストリートダンスの変形型ね。 音楽が合ってないので展開にまとまりがでないのよ。 そして手足が縮こまるってるわ。 街中で踊るならいいかも。
③北アメリカ先住民族的舞踊と樺太アイヌ弦楽器演奏のコラボ。 横浜ランドマークホールは舞台が狭すぎるわ。 これで過去から現在迄のごった煮のような踊りになってしまったのよ。 緊張していたダンサーが終幕に疲れがでてきてからは良くなったわ。
④「夫婦」を上演。 男と女二人のダンサーの心理的な静かな舞台。 短かい上演でうまく入り込めなかった。 多分面白いダンスだと感じるけど・・。
⑤ダンサーは一人。 振付の理由や経緯を説明してから踊る手順は面白いわ。 ソビエト崩壊をまだ引きずっているような感じも憎めない。
グループの多くは振付も音楽も古い感じがする。 20世紀に戻ってしまったようね。 いつも観ているTOKYOの舞台を見直してしまったわ。

2011年2月20日日曜日

■ダイダラザウルス

■作・演出:深津篤史,出演:桃園会
■ザスズナリ,2011.2.16-20
■オデッサの階段を切り取ったようなのがドカーンと置いてある舞台。 「銀河鉄道の夜」のオマージュのようね。 主人公は列車に乗りながら過去の出来事を想起しているみたい。 海辺、ドライブ、遊園地、祭り、京都、夕飯・・。
でも個々の出来事はプライベートに包まれているようで話しの繋がりが見えない。 そして「関西弁で・・・」というセリフが数か所あり関東弁?との二つを切り分けながら喋るので余計に観客を遠ざけてしまう。 切り分けの理由はわからないけど・・。
このような舞台構造と芝居構造を持っていればいくらでも感動を呼び寄せられるのにそれができていない原因がこの二つね。 通りすがりの客には冷たいのね。 これは勿体無い! でもこの閉鎖的な感じがいいと言う観客も多くいたようだけど。
ところで大阪万博の跡地に遊園地がありここのジェトコースターの名前がダイダラザウルスなんだ。 いいタイトルだわ。
*ぴあサイト、http://kansai.pia.co.jp/interview/stage/2011-01/20110121-touenkai.html

2011年2月17日木曜日

■品潮記-品川宿物語-

■作・演出:市村直孝,出演:BOTTOM-9
■新宿・サンモールスタジオ,2011.2.9-20
■舞台は障子が幕のように立っている。  この旅籠屋の障子の開け閉めで物語が一つ一つ進んでいく。 開け閉めのリズムが心地良い。 景色は見えないが品川の磯の香りが海風に乗ってくるような舞台構成だ。
黒船来航、桜田門外の変、水戸浪士の東禅寺事件(?)、箱館戦争・・を絡めるので流れが緩やかだ。 上演時間はなんと3時間。 旅籠の丁稚だった主人公が20年前の物語の進行を務める。 そこで演じられる人間関係や事件は素直であり礼儀もある。
このような古さのある芝居好きは多いかもしれない。 精神的浄化が作用し至福の時間に浸れるからだ。 観客の年齢層が分かれていたのも興味深い。 この種の芝居はあまり観ないがたまにはいいなあ、と思える出来えであった。
*チラシ、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage18403_1.jpg?1459117920

2011年2月16日水曜日

■焼肉ドラゴン

■作・演出:鄭義信
■新国立劇場・小劇場,2011.2.7-20
■1970年頃の在日コリアンの生活の力強さ、戦争の傷跡をそのまま舞台に乗せて直球で勝負している芝居です。 加えて経済成長期の明暗の強さが一体となった激しさがある面白さを持っている。
三姉妹と息子の別れでひさしぶりに涙が止まりませんでした。 兄弟がたくさんいた時代の家族の繋がりや別れが懐かしく見えました。
戦争終結の時、日本人は「敗戦」ではなく「終戦」だと受け止めていることが芝居から見えてきます。 この差異の言葉である「責任」が時々顔を出します。 日本人は「責任」を忘れてはいませんが他人事のように想像してしまいます。
これが息子の死の原因にも繋がっている。 そして生活の苦楽が集約している息子の語りが芝居に一層深みを与えていました。
*NNTTドラマ2010シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000325_play.html

2011年2月14日月曜日

■沼袋十人斬り・改訂版

■作・演出:赤堀雅秋,出演:THE SHANPOO HAT
■シアタートラム,2011.2.10-20
■しがない三人の中年男の友情物語である。 セリフは漫才のように面白いところがある。 しかし殺人も盗難もどこか中途半端だ。 道路工事や蕎麦屋のアルバイト、気晴らしのパチンコやスナックバー、親の介護など生活の匂いはするが断片しかみえてこない。
いつまでたっても芝居は煮つまってこない。 これがわかっているから歌舞伎調でカムフラージュせざるを得ないのではないか? 過去のモジュールを寄せ集めたようで、息抜きをしている作品だ。
「・・いよいよ15年目になる。 しかし同じ場所でひたすらぐるぐる回っている・・」と書いてあったが、次はぐるぐる回らず真っすぐにすっ飛ばしてくれ。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/02/post_216.html

2011年2月13日日曜日

■アライブ・フロム・パレスチナ、占領下の物語

■芸術監督:ジョージ・イブラヒム
■川崎アートセンタ・アルテリオ小劇場,2011.12.11-13
■ベトベトした昔のトマト、あまーい西瓜、林檎、サクランボ、タマネギの匂い、黒オリーブ、・・・、ゴム爆弾、戦車、ロケット弾、ヘリコプターの音・・。 日常生活の言葉は極端へ跳ぶようね。
舞台は丸めた新聞紙で一杯。 メディアでは伝わっていないパレスチナ人の日常生活を描きたいと監督の言葉がチラシに載っているわ。 しかし俳優の動きもセリフも無駄が無く滑らかで、しかもブラック・ジョークが多くてその生活がよくみえない。
上演回数や受賞の多さが芝居の持っていた牙を丸めてしまったのよ。 パレスチナ問題が深く潜行してしまった今、次なる作品を早急に作るべきね。
*劇場サイト、http://kac-cinema.jp/archive_kako/

2011年2月8日火曜日

■ゾウガメのソニックライフ

■作・演出:岡田利規,劇団:チェルフィチュ
■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2011.2.2-15
■仕事上の講演会に出席しているようでした。 役者の動きや喋り方が下手なプレゼンテーション時のしぐさのようです。 その説明がうまくいったかどうかを確認するような役者の視線が観客に降り注ぎます。 これは説明会型演劇または講演会型演劇です。
日常生活でよく意識にのぼる想いや感情そのものを話題にしています。 「残りの40年という人生は短い・・」。 ですから日常の先にある死も同時に考えることになります。 旅行の話しはもちろん出てきます。 何故なら旅行は死の予行演習ですから。
夢の話しもします。 夢は生活の大部分を占めている無意識世界の出入口ですから。
質を向上するのは悪くはないがしかし、日常生活に質の良し悪しなど無いだろうということです。 パフォーマンスのある、モノローグ構成が面白い、下手なプレゼンテーションの、感動は無いが刺激的で、とても為になった、講演会のような芝居でした。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/zougame

2011年2月3日木曜日

■風のほこり

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:新宿梁山泊
■芝居砦・満天星,2011.1.21-30
■とある芝居小屋の舞台下、そこが劇団の文芸部室。 水が流れ落ち、まるで大きな下水道の中の溜まり場に作られているような舞台だ。
幕があがってすぐに義眼女田口加代と文芸部水守三郎が遠い思い出の甦るようなセリフを早口で喋り、観る者は昭和5年の浅草に引きこまれていく。
水が目薬になり、水の鍵を探そうとしたり、水は芝居の流れに寄り添いドロッとした空気のように感じられた。 そして目玉の不思議さも加わり妖しい雰囲気が漂う。
これに過剰な言葉が役者の身体から紬ぎ出されると観客も未知の過去世界に落ちていく。 ひさしぶりに唐の水の世界に浸った。 しかし寒い冬に水の舞台は身にしみる。 題名に風をつけるのは合わない。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/24831

2011年2月2日水曜日

■明るい表通りで

■作・演出:三谷智子,出演:文月堂
■シアタートラム,2011.1.27-30
■若人発掘目的の「ネクストジェネレーション」で入場料も半額なので観に行ったのですが思った以上に質の良い芝居でした。 三姉妹の長女と不動産社員の結婚が物語の中心のようです。
チラシに丁寧な作りと書いてある通り、男女間の感情の遣り取りはとても現実的に面白く描かれています。 ところで若い女性演出家の作品の多くはこの芝居のようなホームドラマ系です。
この主の作品は次のセリフがキーワードになっています。 「しあわせとはなんでしょうか?」がそれです。 これがあると観ないでも中身がわかります。 この芝居でも長女が安易に使っていました。
戦略を立ててこのセリフを越える芝居をこれからは上演しないと、同じような他劇団と共に埋もれてしまいますね。 ところで以前、とある劇団の「ガラスの動物園」で母も姉も亡くなり弟のトムが旅立つ時にこのセリフがありましたが、最高でした。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/01/_on_the_sunny_side_of_the_stre.html

2011年2月1日火曜日

■チェーホフ

■作・演出:タニノクロウ
■東京芸術劇場.小ホール,2011.1.25-2.13
■幕が開き舞台の中に舞台、そしてその中にまた小さな舞台・・・。 切絵のような風景に原色の照明。 俳優の動きも歌も衣装も人形のようでとても素晴らしいわ。 でも直ぐに飽きてしまったの。
舞台は物でとても豊かなのに、それが持っている存在の不思議や感動が出現しないの。 友子の良さも含めて役者も同じね。 タニノクロウが医者だと今回のチラシで初めて知ったわ。 これで前回観たアンダーグラウンドの謎が解けた。
そして通底にアリストテレスがいるようね。 このチエーホフのよさは、あのチェーホフをアリストテレスからみてみようと言っているようだわ。 でもこれがいつも失敗してるようにみえるけど? 舞台は絵画や医学そして文学とは違うようね。
*劇団サイト、http://niwagekidan.org/performance_jp/192

2011年1月31日月曜日

■わが町

■作:ソーントン・ワイルダー,演出:宮田慶子
■新国立劇場・中劇場,2011.1.13-29
■牛蒡はアメリカでも食べるのでしょうか? 小さな町にこんなにも宗派の違った教会があるとは驚きです。 舞台は数組の机と椅子しかありません。 あとはパントマイムで補います。 エミリーの動きは心と一体化していてとても軽やかで素晴らしかったです。緩やかに進んでいくので20世紀初頭の古き良きアメリカを想像できます。 しかし舞台監督の状況説明だけで前半は終わってしまいます。 盛り上がりはエミリーとジョージの結婚式くらいです。 不満が残りました。
休息時間に気を取り直して期待しますがなんと後半は、いきなり死後の世界です。 驚きの展開です。 難産で死んだエミリーを含め死者達が登場します。 葬式シーンは広い舞台をとても有効に使っていて見栄えがありました。
「神」という言葉が出てこないので日本人でもとっつき易い場面が続きます。 ここでエミリーは生きることの素晴らしさを再発見しますが、最後に死は忘れ去られていくものだと悟ります。
人と時間をたっぷり使って広い舞台で作り上げているのでしょうか、アメリカらしさが出ていました。 観客もゆとりを持って観ることが必須のように感じました。 国立劇場らしい芝居でした。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/wagamachi/

2011年1月30日日曜日

■投げられやすい石

■作・演出:岩井秀人,出演:ハイバイ
■こまばアゴラ劇場,2011.1.19-2.20
■言葉が少なく長続きしない、末尾が未完成のようなセリフが多い。 このためクライマックスで途切れの無いカラオケを歌うことでここに全てが集中して来る。 そしてカラオケ場面で突然のように幕が閉じてしまう。 これは劇的とも言える。
この劇的の発生は事前の対話にリアルさがあったからだと思う。 そしてこのリアルさが出演者への気持ちを思う感情を芽生えさせる。 なぜ変わった石の投げ方をするのか?なぜカラオケが好きなのか?わかるような気がする。
このように一つ一つわかっていく気持ちを探し求めることができる芝居である。
リアル感度の低い部分もあった。 それは佐藤が病気つまり肉体の崩れで一気に崖っぷちに立たされてしまうところである。 現代ではよくある事実であるがそれがリアルにはならないのが芝居である。 でもこれは些細なことだが。
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/01/hi-bye/

2011年1月29日土曜日

■僕を愛ちて、燃える湿原と音楽

■作:丸尾丸一郎、演出:菜月チョビ、出演:劇団鹿殺し
■本多劇場、2011.1.15-23
http://shika564.com/bokuai/
■僕を愛ちての式です。

 (釧路名物芸能丹頂鶴舞+北海歌舞伎妖狐伝+湿原ロックフェスティバル)/3+札幌テレビホームドラマ+高校ブラスバンド北海道地区決勝大会=僕を愛ちて
129 :わたしはダリ?名無しさん?:2011

2011年1月17日月曜日

■白石加代子「百物語」第二十八夜

■演出:鴨下信一,出演:白石加代子
■岩波ホール,2010.12.25-12.26
■池波正太郎「剣客商売天魔」、幸田露伴「幻談」の二題。 物語に引き込まれると舞台上の白石加代子を見ているけれど見ていない状態になります。 そして物語風景が脳の中で現前します。 ここが演劇と朗読の違いです。
演劇は舞台の物語風景と脳で想像した像の二つが舞台上で重なり合います。 像の焦点が舞台か脳かの違いです。 「幻談」で釣舟の浮かんだ海を青い照明で効果を出す場面がありましたが、いきなり脳内風景の焦点が舞台に移り困惑しました。
ところでこの二題、「天魔」のほうがリズムがあり読み手も生き生きしていました。 「幻談」は活字を追うほうが合うのではないでしょうか? 白金、麻布、湯島、本所、そして磯の香り・・・。 どちらも江戸時代の風景が心地良くみえる物語でした。
*CORICHサイト、http://stage.corich.jp/stage/24432

2011年1月16日日曜日

■メタファンタジア[眠りの森の・・・]

■演出:長堀博士,出演:楽園王
■新宿タイニイアリス,2011.1.13-16
■チラシの「鑑賞の手引き」を読まないで観たからストーリが混線してしまった。 小泉君の恋人葵ちゃんの仮死体を冷凍睡眠室に保存して葵ちゃんの過去の夢を語る芝居だとみていた。
しかし小泉君が冷凍睡眠室に入れられて未来の夢を見ていたということが終幕で明かされ、この二つが演じられていたということを知った。 多くの女性出演者のセリフや行動がとてもナイーブで中学・高校時代を思いだしてしまった。
教室での授業迄はとても面白かったがその後の家庭での出来事がつまらない。 この原因は対話モードから会話モードに入ってしまったからだと思う。 これで白けてしまった。 後半は再び盛り返したが2時間半の上演は長過ぎる。
途中の会話モードを取捨選択して2時間に短縮すればハリのある芝居に変わったずだ。 財前教授の「死んだら意味など無い!」という台詞は人間が背負う覚悟のようなものだ。
しかし生きている者にとってはそうはいかない。 この兼ね合いをどうするかだが、夢はこの触媒になれるのか?
*劇団サイト、http://www.rakuenoh.tokyo/profile.html

2011年1月15日土曜日

■ウル、森に眠る記憶

■演出:水野大輔、出演:トランジスタONE
■せんがわ劇場、2011.1.12-16
http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/05031/image1L.jpg
■考古学者が南の島を調査中に、巫女でまとまっている古代住民の過去の気配を感じとる物語・・。 素直さがあるお芝居よ。 そして「信じる」というセリフがとても多いの。
この言葉は日常を豊かにする力を持っているわ。 でも舞台での呪術や考古学の対立や議論の結論は、この言葉と付随する演出で超越への判断を停止をしてしまうの。 古代祖先を含めた人間関係の満足は得られるけれど劇の深みには行けない。
全体としては質の良い高校生演劇を観たようだわ。

2011年1月4日火曜日

■大きな豚はあとから来る

■演出:工藤千夏、出演:渡辺源四郎商店工藤支店
■こまばアゴラ劇場、2011.1.2-3
http://www.nabegen.com/
■朝、玄関で妻が会社へ行く夫に「いってらっしゃい」と言う場面が何回も登場します。 女性が精神的安定を得るための目指す光景だと言いたいようです。 これを得たい気持ちと「外交官」の社会的権威が結びついて女性主人公は容易に騙されていきます。・・偽外交官に「中東の王様の妃にしてあげる」と騙されてしまう結婚詐欺の話しでした。 観ていても「リアル」さには少し欠けてましたが、騙されていく楽しさがある芝居でした。 そして別女性を登場させ強引に終幕に持っていく流れも違和感はありませんでした。
「警察官」「銀行員」「弁護士」でコロッと騙されてしまうオレオレ詐欺。 どこも芝居で一杯ですね。