2013年12月30日月曜日

■バックコーラスの歌姫たち

監督:モーガン・ネヴィル、出演:ダーレン・ラヴ、メリ・クレイトン、リサ・フィッシャ、タタ・ヴェガ、クラウディア・リニア
ル・シネマ、2013.12.14-
父が牧師で聖歌隊に籍を置いた人が多いのね。 彼女たちはステージ中央に立つことを目的としているようだけど本心は見えなかったわ。 米国の舞台業界に翻弄されている姿が先立ってしまうからよ。 それと監督が業界を深追いしなかったから。
メインに立つ必要条件として自分で作詞作曲ができること。 十分条件として時代の流れに乗れること。 それにしてもドキュメンタリは裏切らないわね。 60年代からの四半世紀にバックコーラスの流れが一つ追加されてこの時代がより豊かになった感じだわ。

2013年12月29日日曜日

■2013年舞台ベスト10

ルル
  演出:シルヴィウ・プルカレーテ,劇団:ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場   
あの記憶の記録
  演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ
駆込ミ訴へ
  演出:三浦基,劇団:地点
材料カエサル
  演出:杉浦千鶴子,劇団:ラドママプロデュース
わが友ヒットラー
  演出:倉迫康史,出演:ORT-D・D
MY FAVORITE PHANTOM
  演出:橋本清,音楽:涌井智仁,出演:ブルーノプロデュース
毛皮のマリー
  演出:高野美由紀,出演:劇団☆A・P・B-Tokyo
もう風も吹かない
  演出:平田オリザ,劇団:青年団
ノーラ
  出演:tgSTANティージースタン
ピグマリオン
  演出:宮田慶子,出演:石原さとみ,平丘大ほか

*並びは上演日順。 選出範囲はこのブログに書かれた作品。 映像は除く。
「2012年舞台ベスト10」

2013年12月28日土曜日

■グッドバイ

作:北村想,演出:寺十吾,出演:シス・カンパニ
■シアタートラム,2013.11.29-12.28
慌ただしい年末に一息つくことができました。 舞台美術は懐かしさのある漫画ですね。 ズバリ吹き出しも描かれているとは!? そして黄村先生の科白が60年代の風景を蘇らせます。 サルトルとボーヴォワール、学生運動と同棲・・。
先生が8人の愛人を持っているとは驚きです。 三舞理七の調べで愛人とは言えないことも然もありなん、でしょ。 先生の弱さはわからないこともないのですが、これでは太宰治や夏目漱石にも引っかかりません。
しかし先生のこのような弱さからのグッドバイは希望があります。 傾いた塀や電柱、おでんの屋台、そして茜の歌とギターは一瞬テント芝居を思い出させてくれました。 温燗を飲む場面は毎回ツバを飲み込んでしまいましたね。 ホットした後味でした。
*劇場サイト、http://setagaya-pt.jp/theater_info/2013/11/post_347.html

2013年12月24日火曜日

■忠臣蔵

作:平田オリザ,演出:宮城聰,出演:SPAC
静岡芸術劇場,2013.12.14-23
今流行りの「武士の家計簿」「武士の献立」で見るような管理部門が舞台。 その浅野家で家の将来のことを面白可笑しく議論するの。
舞台では切腹という台詞を軽々しく喋っていたけどその心情がよく見えない。 就職や子供の塾通いの話と切腹や籠城の話が混在している所が面白いけどね。 先日、狂言切腹の「一命」を観たけど、もはや切腹を知らない武士が多いということかしら?
観ていて日本の死刑制度も考えてしまったの。 敵討ちが形を変えて存続しているみたい。 今でも日本人は敵討ちから逃げられないのね。
ところで一力茶屋の踊りは雑だったけど楽しかったわ。 気楽に観れたけどいつもの身体的感動は少ない芝居だった。 平田オリザと宮城聰の微妙な差異がリズムを壊してしまったのかもしれない。

2013年12月15日日曜日

■リア王

演出:鈴木忠志,劇団:SCOT
吉祥寺シアター,2013.12.12-16
様式をより前面に出してきたようにみえる。 もはや現代能に近い。 このため物語力が弱くなっている。 病院という設定もそうだ。 チラシに陳腐化しているとあったが。 シェイクスピアも遠のいた。 フランス王国やドーヴァ海峡はもはや記号である。
これらに代わり親子・兄弟の家族関係が一層強調されていて、現代の老人問題・家族問題を意識させられる流れである。 グロスターとエドガー親子の会話は感動した。 しかし三姉妹、特にコーディーリアの台詞は少なすぎるのでは。
SCOT版「リア王」は何回か観ているが毎回の感動振幅が大きい。 それは3カ国語、2カ国語、1カ国語があり、SCOTでは長すぎる2時間という上演時間にもある。 緊張するので観客の精神状態も影響するのだろう。

2013年12月14日土曜日

■くるみ割り人形

振付・演出:P・ライト,出演:L・モレーラ,F・ボネッリ,G・エイヴィス
■イオンシネマ系,2013.12.13(ROH収録)
今年も観てしまったわね。 振付・演出が去年と同じP・ライト。 ドロッセルマイヤのG・エイヴィスも同じだけど、クララ、ハンス・ペータ、金平糖は違ってた。 でも去年と比較すると全体の質が散けている感じね。 まとまりがなかった。
こんぺい糖のL・モレーラはミドル級だから重たさを感じてしまった。 でもさすがロイヤル・バレエね。 全ての場面が楽しかったわ。
*英国ロイヤル・オペラ・ハウス2013シネマシーズン作品

2013年12月11日水曜日

■トスカ

指揮:R・フリッツア,演出:L・ボンディ,出演:P・ラセット,R・アラーニャ,G・ギャグニッザ
新宿ピカデリ,2013.12.7-13(MET,2013.11.9収録)
2009年版と演出家が同じだから今回も基本は変わらないということね。 スカルピアもそう。 舞台美術も同じ。 前回との比較は・・、
1.見栄えの無い舞台装置が少し良くなった。 今回も良いとは言えないけど。
2.拷問や殺人場面の血の量が減った。 前回クレームが出たんじゃないかしら。
3.テ・デウム場面はより最悪になった。 L・ボンディは何を考えているのかしら?
4.P・ラセットはオペラ的というより芝居的な顔をしている。 ・・関係ないか。
5.悪役スカルピアがよりネットリしてきた。 役に慣れてきたのかしら?
・・こんなところね。 ハラハラドキドキは何回観ても同じ。 さすがトスカね。
*METライブビューイング2013年度作品

2013年12月10日火曜日

■ノーラ

演出:小野寺修二,出演:カンパニーデラシネラ
あうるすぽっと,2013.12.7-8
芝居の中のダンスは成功すればとても効果があるの。 この逆も然り。 台詞が多いこの舞台はダンスが言葉の意味に飲み込まれてしまった。 ダンスも芝居もどっちづかずという感じに陥ってしまった。
男のダンサーが5人。 ノーラは透明人間なの?、次に机、最後に5人の中の一人が担当するけど新鮮味が無い。 最初から一つで通したほうが物語の統一感ができたはずよ。
でもストーリーが原作に近いから身体も科白も省略するしか無い。 省略しても言葉が引っかかってダンスは彷徨うばかり。 この彷徨が即興にみえてしまった。 ひょっとして即興だったの?
細かいけど手紙の扱い方が面白かった。 椅子を組み立ててポストにしたり、壁に書いた字が後で手紙だったりして、ここはいつもの冴えが発揮できた。 そして川口隆夫は科白を身体で消化していた。 でも台詞の多いダンスは難問ね。
*第2回現代イプセン演劇祭参加作品

2013年12月9日月曜日

■石のような水

作:松田正隆,演出・美術:松本雄吉
にしすがも創造舎,2013.12.5-8
ストーカーは現代版イタコですかね。 舞台ではSF場面が日常場面とシックリ馴染んでいないようにみえました。 しかし科白に鋭さがあります。 この鋭さがSFと奇妙に繋がって不思議な混乱が生じていく面白さも出ている。
ですから姉妹や夫婦・友人間の会話に興味が集中しました。 映画監督や建築家は特殊な職業のため舞台にメリハリを持ってきてくれる。 映画や建築の話も面白い。 しかし面白くなればなるほど逆に死者との対話が遠くなっていきます。
要はこの芝居は周辺がうるさすぎたのかもしれません。 A・タルコフスキの作品を参照したようですが、これはタルコフスキの直球に新たな変化球を加えた芝居です。 でも変化球が多すぎてしまい直球がよく見えない複雑な舞台でした。
*F/Tフェスティバル・トーキョー2013参加作品

2013年12月8日日曜日

■DANCE to the Future-Second Steps- ダンス・トゥ・ザ・フューチャー

監修:デヴィッド・ビントレ
新国立劇場・小劇場,2013.12.7-8
若い振付家たちの9作品を上演。 ベスト3は以下のとおり(上演順)。 音楽の選択がとても重要にみえた。 ソロはよほど上手くないと目立たない。
1.「FOLIAフォリア」(振付:貝川鐵夫)
伸びやかさがあった。 音楽に縛られすぎている感もした。 黒長の衣装での動きはスペイン風景を現前させた。
2.「CHEMICAL REACTION」(振付:小笠原一真)
衣装も照明も面白い。 音楽と一緒に走る志向性が現れていて素晴らしい
3.「SIDE EFFECT」(振付:福田圭吾)
鼓動のようなリズムに乗って細かい動作の中に強さも有り歯切れの良い楽しさがあった
これ以外に「バロック孔雀の乖離後の憂鬱」(振付:アンダーシュ・ハンマル)は不思議な作品であった。 ある種の恍惚感を出したかったようだが中途半端な感じがした。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/131207_001623.html

2013年12月5日木曜日

■ノーラ

原作:H・イプセン,演出:ラドゥ・アレクサンドル・ニカ,出演:ラドゥ・スタンカ劇場
あうるすぽっと,2013.12.4-5
舞台は出入口が三つある極端に遠近のある白い部屋でできているの。 とても簡素ね。 公演は2回だからお金はかけられない。 場内に入ると「家族と仕事と・・どちらが大事?」と、インタビュー映像が流れているのには意表を突かれたわ。
答えの半数は仕事。 理由は「仕事が無ければ家族を養えない」。 残りの答えは家族と両方が半々。 インタビューの結果がそのまま舞台の結論ね。 つまり仕事上罠に嵌るのを避けることができたことで、ノラが家を出る必然性が弱くみえてしまった。
ノラの表現があやふやだったのも一因だけど、現代はトルヴァルの仕事が優先するのね。 春に観た「ルル」がとても面白かったので期待していたけど、ちょっと雑な感じがしたわ。 スタンカ劇場のギラギラした深みのある存在感が不発だった。
クログスタの環境問題の話も突飛すぎる。 そしてノラのダンスはどうしようもなく下手だったけどこれは演技かしら? 女の子のほうが上手かったわよ。
*第2回現代イプセン演劇祭参加作品

2013年12月4日水曜日

■失踪者

原作:F・カフカ,構成・演出:松本修,音楽:斎藤ネコ,振付:井手茂太,出演:MODE
座高円寺,2013.12.1-18
就職活動中の人が観たら身につまされてしまうストーリーである。 特に移民は桁外れの就活だ。 閉じた円環の作品から抜け出てアメリカに渡り就活をするなどカフカにとっては大事件である。 だからM・ブロートの題名「アメリカ」の方が好きだ。
2001年公演の「アメリカ」が素晴らしかったので再び劇場に足を運んでしまった。 芝居とダンスのコラボが最高だったのを記憶している。 しかし同じ芝居は最初に観たのが一番になることが多い。 残念ながら今回もそうだ。 これが「舞台の法則」である。
この「失踪者」版は重心を芝居に移しているようにみえた。 終幕のヒトラー?の演説はカフカにあわない。 そしてアウシュビッツ?行きの列車に乗る幕引きはやりきれない暗さがある。 アメリカへ行ったのに再び東欧へ・・。
カフカ三部作は芝居・ダンス・音楽の三拍子が見事に揃った稀に見る舞台である。 この三作品でMODEにも注目するようになった。 今回は「審判」「城」も大きく改訂したのかな? これも観に行こうかな? ・・でも「舞台の法則」がチラツイテ行けそうもない。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=939

2013年12月3日火曜日

■光のない(プロローグ?)

作:エルフリーデ・イェリネク,演出:宮沢章夫
東京芸術劇場・シアターウエスト,2013.11.30-12.8
シアターイースト上演の作品(*1)と同名のためチケット購入時に混乱しました。 同名の美術系と違ってより演劇でしたね。 盛り上げた土一面の舞台。 出演は女性が5名で台詞は詩を読んでいるようです。 しかし流れも内容もよく理解できません。
終演後、演出家と松井周のポストトークがあったので出席しました。 やっぱり演出家もわからないようです。 別の同名作品は文字でこれは発声の違いらしい。 うーんワカリヤスイ! それと太田省吾やテキストと身体の関係の話が続きました。
なぜ太田省吾かというとこの舞台に安藤朋子も出演していたからです。 そう言えばチラシに出てました。 土の色や小道具、瓶や箱の存在感は太田省吾的でした。 照明も似てますね。
しかし役者の身体が違いました。 転形劇場には有る身体の間がイェリネクの詩に無いからでしょう。 テキストと身体の関係は古くて古いことだと話題にしていましたが、ともあれ今年のイェリネクはよくわかりませんでした。

2013年12月2日月曜日

■ピグマリオン

作:G・B・ショウ,演出:宮田慶子,出演:石原さとみ,平丘大
新国立劇場・中劇場,2013.11.13-12.1
A・アスキス監督映画の記憶が薄かったので心配だったが予想以上の面白い舞台だった。 しかし日本人が階級社会の言葉を翻訳して観る面白さは、イギリス人が英語の科白で観る面白さとは違うものである。
イライザの喋り方には東北弁?が少し混じっていた。 地方訛りなどを取り入れるしかない? 結局はイギリス人がこの芝居を観て感じる心の動きを想像できない。 もし日本語の脚本を書くなら井上ひさしかな?と考えながら観ていたが・・。
それでもこの芝居の面白さは、ヒギンズやイライザの好演、階級の壁を難なく飛び越えてしまう父、言語学からみた男女の限界を問う母など、他者への鋭い観察や行動である。 終幕の二人の対話場面は引き締まっていたし、ヒギンズの存在感はピカイチ!
白い部屋の舞台美術は漫画キッチュだが人物像が綺麗に映えて物語にメリハリを付けていたのも中々であった。
*劇場サイト、http://www.atre.jp/13pygmalion/

2013年12月1日日曜日

■春興鏡獅子

出演:中村勘三郎,片岡千之助,中村玉太郎
東劇,2013.11.30-14.1.10(歌舞伎座,2009.1収録)
弥生は舞の面白さが詰まっていますね。 心が和みますが同時に舞台の緊張も感じます。 それゆえ胡蝶の精には微笑むしかありません。
連獅子」の時のような舞台感動がありませんでした。 胡蝶の精で現実の面白さに戻されてしまったからです。 幼すぎたのだとおもいます。 子供の演出は難しいですね。
*シネマ歌舞伎第20弾作品

2013年11月30日土曜日

■眠れる森の美女

音楽:P・チャイコフスキ,振付:Y・グリゴローヴィチ,出演:S・ザハーロワ,D・ホールバーグ
■イオンシネマ系,2013.11.27-30
ちょっとガッカリね。 金襴豪華だけど中身がボヤケている感じ。 背景に金色を使いすぎて華やかな衣装が沈んでしまっているし、舞台が広くて締まりが無い、そして物語に引き込む力が弱い。
題名を知らないで観たらこれが眠れる森の美女?と疑問符がついてしまうわ。 オーロラ姫は眠っていたのではなく寝ていた感じだしね。 ホールバーグはヤンキー的で面白かった。 ザハーロワはもう少し気が利いてもよいはず。 技術的には申し分が無いけど。
ロイヤル・バレエ*1が良すぎたのかしら? 「スパルタクス」のような鋼鉄の舞台なら隠せたけど、大味な作品が続くと少し心配になるわね。
*ボリショイ・バレエinシネマ作品
*主催者サイト、http://bolshoi-cinema.jp/

2013年11月29日金曜日

■NORAノーラ

作:H・イプセン,演出・出演:tgSTANティージースタン
あうるすぽっと,2013.11.27-28
入場すると役者が観客と話をしていた。 この小道具の値段は幾らしたとか・・、喋りながらそのまま劇に入っていく。 出演者4名は始終舞台にいて演技する他の役者を見つめている。 舞台の脇で着替えたり水を飲んだりもする。 客席も同じ照明が広がる
役者の視線の多くは観客に向けられる。 しかし違和感が無い。 安心感が漂っているからである。 全体の成熟度が高い。 ノーラの二度のダンスも面白い効果が出ている。 音楽もいい。 冗長度を生かしたプロの舞台を観ているようだ。
カネが十分にあればカネを意識することが日常では極端に減る。 人間関係が上手くいっている時も同じである。 ランクとの関係がこれだ。 ヘルメルとノーラの行き違いは両者の甘えから来ているようにみえた。 男女間の寛容度が無さすぎる。
後半客席の照明が暗くなった。 流れがシビアである。 仕事で良い部下を持った感じだ。 ところで終幕だがノーラが人形を例えに出した場面で幕を降ろすべきである。 だらだら延ばす必要はない。 よりドライになりコクとキレが出たはずだ。 初めて観た劇団だが気に入った。 
第2回現代イプセン演劇祭参加作品

2013年11月27日水曜日

■モモノパノラマ

作・演出:藤田貴大,出演:マームとジプシー
神奈川芸術劇場・大スタジオ,2013.11.21-12.1
モモとは猫の名、そして舞台は中高校時代?の家族と友達の話のようです。 大事件があるのでもなく最後に猫の死に様を描きます。 前作の「COCOON」の激しさとは正反対、というよりアウェーから戻って来た感じです。
ホームでの話は劇団の地の姿を見せてくれます。 役者の過去に戻る言い回しで青春時代の風景を舞台に現前させていきます。 材木を組み立てて動かしたり、縄跳び・馬跳び・馬乗りがリフレインの替りです。 身体リズムがいつもより緩やかです。
4面の客席を意識して極めて平均化した動をします。 これで声が聞きづらい場面が多々あります。 この為集中力が欠けてしまい、自身の過去を重ねあわせながら寄り道をしてしまいます。 兄弟喧嘩の違いや猫ではなく子供のころ飼っていた犬のシロのことなど々。
モモではなくシロノパノラマといったところです。 たわいのない話ですが独特の身体空間で透明感ある物語に変容させてくれます。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/detail?id=32296#.UpKKINJxClo

2013年11月25日月曜日

■光のない。(プロローグ?)

作:エレフリーデ・イェリネク,演出:小沢剛
東京芸術劇場・シアターイースト,2013.11.21-24
高校美術部の文化祭に行った感じです。 写真や絵画の上に文章が書かれて展示されています。 読み難くてどうしようもありませんね。 「表象」と「ハイデッカー」の文字が網膜に残りました。
どこからかゴリラ!が登場します。 近くで見ると迫力があります。 「くまモン」の人気の理由がこの時わかりました。 ゴリラは死んだ乳牛を床に並べて悲しみます。 これは狂牛病でしょうか? 背景では手製電子ピアノ?が音楽を奏でています。
次にスクリーン一杯に海岸の映像です。 ゴリラがフラダンスを踊っています。 映像が終わっても場内でゴリラが踊りを続けています。 そして積んである袋の上に登りもがき苦しみます。 袋には原発事故汚染水が入っているのでは? ゴリラは沈んでいきます。  ・・。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater043/theater043_4/

2013年11月22日金曜日

■東海道四谷怪談

作:鶴屋南北,監修:木ノ下裕一,演出:杉原邦生,出演:木ノ下歌舞伎
あうるすぽっと,2013.11.21-24
黒白縦縞の薄汚い傾斜舞台はとても観やすい。 江戸時代に現代を被せたような舞台である。 小道具は江戸、衣装は今風だが刀を差している。 喋りは江戸と現代が混ざり合っている。 ラップミュージックもある。
二組の夫婦が二つの焦点にいるようだ。 物語が周りの楕円曲線上に描かれていく。 一焦点にお岩と伊右衛門そしてお梅、もう一焦点にお袖と与茂七そして直助がいる。 二組とも三角関係だ。 お袖とお岩の澄んだ声に女の悲哀が込められていた。
一幕は二組夫婦の展開。 二幕はお岩の狂乱と死。 三幕はお袖と直助の死。 そして伊右衛門と与茂七のチャンバラで幕が降りる。 上演時間が6時間もあったがスピード感があるので長く感じさせない。
お岩の醜顔や怨霊も物語の一部として組み込まれ影が薄い。 四谷怪談も忠臣蔵も背景でうごめいているようだ。 ポストトークで木ノ下も「これは群集(像?)劇である・・」と言っていたが、なるほど。
群像劇はあとからズシンと感動が来るのだが、しかしこれが弱かった。 どの場面も現代との距離が意識に上ってしまったのが理由である。 群像劇は結果として舞台上で一つの時代を形作らなければ感動が来ない。
三幕では構成を変えて、役者を周囲に座らせ中で演技をする方法を取っていた。 長時間の為変化を取り入れたのだとおもう。 面白いが前幕迄のリズムを崩してしまったのは勿体無い。 通し上演の難しさだろう。
*F/Tフェスティバルトーキョー2013参加作品

2013年11月19日火曜日

■鼻

音楽:D・ショスタコーヴィチ,指揮:P・スメルコフ,演出:W・ケントリッジ,出演:P・ジョット
東劇,2013.11.16-22(MET,2013.10.26収録)
面白さは予想以上だわ。 理由は二つあるの。 一つは、歌唱と科白が映像や美術道具とみごとに調和している。 二つ目として、官僚国家がリアルに描かれているから。
これはケントリッジの総合芸術力の成果ね。 ショスタコーヴィチをロシア風アヴァンギャルドで包み込むと官僚国家ソビエトが出現するから驚きね。 ジャズ風音楽も風刺劇に向いている。
八等官の主人公は庶民生活ではどのような位置づけなの? 服のボタンで国家機関のどの部署か分かるの? 警察官は教育費不足で賄賂を要求するの? ・・これは尋常ではない! 新聞社建物の構造、警察官のデモ排除用マントも凄い。
このような作品をMETで観ることができたのは嬉しいわ。 ほかではちょっと無理かもネ。
*METライブビューイング2013年作品

2013年11月18日月曜日

■バレエ・リュス、ストラヴィンスキ・イブニング

音楽:I・ストラヴィンスキー,指揮:K・カッセル,監督:D・ビントレー,出演:新国立劇場バレエ団
新国立劇場・オペラパレス,2013.11.13-17
三本立てです。 「火の鳥」は白い月、煌めく星々、澄み切った空気、でも登場した火の鳥は鶴か鷺のようです。 もっと火のような激しさがあるのかと想像していました。 淡白ですね。 物語を規則正しく消化したような舞台でした。
「アポロ」も澄み切った舞台です。 青を背景に階段のある黒い建物はとてもシュールです。 ギリシャ的?な白の衣装が映えます。 アポロと3人のミューズはマスゲームのような関係で踊ります。 首や手首など直角にする振付がとても面白い。 詞の面白い「結婚」の振付は農村らしい平凡さがあります。 音楽が素晴らしい。 ストラヴィンスキーのエンジンがやっと全開した。 戻りますが2作目では既にダンスと音楽が拮抗していました。
フォーキンもニジンスカも期待外れでした。 というより20世紀初頭のパリのバレエ界が酷すぎたのかもしれません。 ストラヴィンスキはさすがでした。 バランシンもよかった。 でもバレエ・リュスの雰囲気がどういうものか伝わってこなかった舞台でした。
*NNTTバレエ2013シーズン作品
*作品サイト、http://www.atre.jp/13russes/

2013年11月15日金曜日

■スパルタクス

音楽:A・ハチャトリアン,振付:Y・グリゴローヴィチ,出演:M・ロブーヒン,A・ニクリナ,S・ザハーロフ,V・ラントラートフ
■イオンシネマ系,2013.11.13-17
ソビエトを引き継いでいるような舞台だわね。 ハチャトリアンとグリゴローヴィチが結合して鋼鉄の舞台が出現するの。 重量級だけど切れ味は素晴らしい。 サーカスを見ているような場面もあったけど、豪快な振付に脳味噌がピクピクしちゃったわ。
大きな石垣の背景と広い舞台がダンサーの肉体を解放していた。 そして夕焼けのような赤茶けた照明と夜明け前の薄青色の照明。 この二つの色でローマの闘いと愛に深みを与えていた。
でも身体が物語を紡ぎだすのは難しいようね。 ダンサーの表情も硬すぎるし大味で緊張感が続かない。 もうすこし感情表現を導入すれば緊張が最後まで保てたかもしれないわ。 ボリショイバレエ団のフラグシップ作品だと納得。
*ボリショイ・バレエinシネマ作品
*主催者サイト、http://bolshoi-cinema.jp/

2013年11月13日水曜日

■夜会VOL.17

出演:中島みゆき
■テアトル新宿,2013.11.9-
BGMが鳴り続けているようで実際に歌っているようにはみえない。 CDを聞きながら別に撮った映像を見ているようだ。 音響は相当に手を入れている感じである。 舞台の臭いがしない。
これだけの演技をするのに、中島みゆきは大きなマイクを手から離さない。 コンサートとしての「歌旅」「歌姫」とは雲泥の差である。
「夜会」は舞台で一度も観ていない。 実際の舞台はもっと良かったのではないかと思う。 この内容で舞台が上演されたとは少し信じ難い。
近頃は舞台を撮った映像を上演することが多くなった。 映像化する目的・方法はいろいろあってもよいが、編集度合は事前に公開して欲しいくらいだ。 舞台との差異が知りたいこともある。

2013年11月12日火曜日

■もう風も吹かない

作・演出:平田オリザ,出演:青年団
吉祥寺シアタ,2013.11.7-18
セリフが脳味噌にピッタリくっついてしまった感じのする舞台だったわ。 役者の雑談から離れられないということね。 これと似ているのは小津安二郎の映画よ。 違うところは小津は波長が長いこと。 小津リズムね。 この舞台は波長が短い。
この波長が上演時間120分を規則正しく脈打っていた。 途中10分程もたつく場面があって飽きが来たけど持ち直したようね。 20人くらいの役者の多くが椅子に座り時々出入りするくらいの静的な舞台も波長と同期していた。
どうも近未来の話のようだけど・・。 人を助けるとは? 海外協力隊員の内輪話を聞いていていろいろ考えさせられたわ。 それよりも上演時間全体や舞台全体をまるごと意識させる演劇的感動とは何か?を考えてしまう舞台だった。

2013年11月11日月曜日

■クリプトグラム

作:デイヴィド・マメット,演出:小川絵梨子
■シアタートラム,2013.11.6-24
均整のとれた階段のある白い応接間が印象的です。 10歳前くらいの子供が終幕まで台詞を喋る芝居は殆ど見たことがありません。 両親が登場しますが父親ではないことが直ぐわかります。 息子が父の帰りを待っているからです。
疑問を次々と質問する息子に男と母も翻弄されます。 愛しているとか約束という言葉が子供に向けられます。 子供への言葉は大人と同じことを実感します。 日本の親は余程でないと子供に使わない言葉です。
男の喋り方は何かオドオドしています。 最初は子供に合わせているのかとみていましたが、そうではなさそうです。 何か隠しています。 男は自身の紹介を短く喋りましたが全体像はみえません。 一度だけ女に愛していると言ったようにもみえます。 男として。
男は子供の父を殺してしまったのではないか? 疑問のまま終わってしまいました。 チラシには粗筋もありません。 「作者が仕掛けた「暗号」とは・・」と書いてありますが、これは何か? 今もって暗号を含め他のことすべてが解読できていません。

2013年11月10日日曜日

■セールスマンの死

作:アーサ・ミラ,演出:中島諒人,出演:鳥の劇場
新国立劇場・小劇場,2013.11.9-10
この作品はいつも同じ観後感を持ってしまう。 「幸せは同じ顔をしているが、不幸はみな違う顔をしている」。 逆である。 「幸せは違う顔をしているが、不幸はみな同じ顔をしている」。 職業の不幸は人を同じ顔にしてしまう
母と子は喪服姿である。 ビフは少年時代、大学時代と現在の3人が登場する。 喪服を基準に時間の流れを舞台に可視化できていて面白い。 時々観客に扮した変なオバサンが二人でてきて漫才をする。 唯一の笑いでホットさせてくれる。
鳥の劇場は初めて観た。 特に兄は身体から湧き出る喋り方をする。 日中韓の複数言語の使用もそうだが鈴木忠志の影響がある劇団にみえた。
しかしこの作品は強い。 ビフはそのまま日本の社会に当てはめることができる。 そして資本主義の浸透力は舞台上のあらゆる小細工を無意味にしてしまう。

2013年11月8日金曜日

■ザ・スーツ

作:キャン・センバ,演出:ピータ・ブルック
パルコ劇場,2013.11.6-17
まるで能舞台のようだわ、といってもブルック流のね。 ギターやアコオデオン・トランペットは囃子方。 音楽の比重が高いのも似ているの。 スーツとのダンスもシテの舞のよう。 衣服に意味をこめるのも能の話によくある。
妻の不倫を夫が許さない。 許して忘れろと友達から言われた夫は妻の元に急ぐが時すでに遅し。 妻は自死してしまう。 時代はアパルトヘイト時代のヨハネスブルクで俳優はすべて黒人。 洗練された明るい日常的衣装がとても似合っている。
まさにグローバル演劇だわ。 世界共通の話題である人種差別と愛する人の不倫をシンプルな舞台にして提供しているからよ。 そして国や人種を越えた抽象性のある感動を持っているの。 ブルック流世界の素晴らしさね。
しかも観客への目配りが多くて役者たちと親しみの有る対話をしているみたい。 パーティ場面ではなんと数人の観客を舞台に招待したの。 この劇場は舞台と観客の距離が近いこともあるから俳優との一体感はいつも以上だった。
*作品サイト、http://www.parco-play.com/web/play/suit/

2013年11月6日水曜日

■髑髏城の七人-アカドクロ-

作:島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:古田新太,水野美紀,劇団☆新感線
新宿バルト9,2013.11.5-8(2004.9.18収録)
前半は物語の説明だけで終わってしまいました。 背景はチャンバラだけです。 後半に物語や人物の全容がみえてやっと面白くなります。 台詞に切れがあるのはチャンバラとの相乗効果もあるでしょう。 息切れするので言葉が短くなるからです。
天魔王と捨之介は織田信長残党で瓜二つという設定。 もちろん一人二役、しかも無界屋蘭兵衛は森蘭丸、牢人狸穴二郎衛門が家康とは嬉しい驚きです。 秀吉の関東攻めの合間にイギリス海軍に大阪を攻撃してもらうという天魔王の計画も楽しすぎます。
しかしストーリーで活かされるのは家康だけです。 天魔王の仮面や蘭丸のネックレスが信長の骨と聞いてゾクゾクしましたが何もおこりません。 後半、雑多で決まり通りの流れとチャンバラに終始します。 リズムある勢いの面白さはいつもながら素晴らしい。
そして生き残った捨之介はひょっとしたら天魔王なのでは? ダース・ベーダーは死んでしまったのか? ・・わからないまま幕が降りてしまいました。
*ゲキXシネ作品

2013年11月5日火曜日

■エフゲニー・オネーギン

■原作:A・プーシキン,作曲:P・チャイコフスキー,指揮:V・ゲルギエフ,演出:D・ワーナ,出演:A・ネトレプコ,M・クヴィエチェン,P・ペチャワ,O・ヴォルコヴァ
新宿ピカデリ,2013.11.2-8(MET,2013.10.5収録)
草色で統一された舞台はA・ワイエスの絵を思い出させてくれる。 豊かな米国農村のようでMETはやっぱり欧州とは違うわね
ワーグナーは言葉=歌唱と音楽が別々に迫ってくるけど、チャイコフスキは言葉が音楽に乗って届く感じね。 どちらも歌唱の意味を噛みしめるだけの経験豊かな中身を持っているわ。 P・ゲルブが「チェーホフを観ているようだ」と言っていたけどある意味当たり。
1幕のネトレプコの純真さは化粧や衣装で誤魔化していたけど素敵よ。 3幕もロシア語だから余裕なの。 彼女は歌唱はお見事だけど言葉が浅いのよ。 でも舞台の面白さは科白がリアルなことにあるようね。 だからチャイコフスキーってこんなにも面白い!
当時の慣習が舞台の隅々に漂っているし、グレーミング公爵の短い登場にも重みがある。 そして高等遊民オネーギンの楽しみや悩みが歌唱の中にしっかり表現されていた。 指揮者が学生の頃に原作を暗記させられたと話していたけど、ロシア文学オペラ恐るべし!
*METライブビューイング2013年作品

2013年11月4日月曜日

■ひかり-NOT HERE

出演:櫻井郁也
■PLAN-B,2013.11.1-2
肩を軸にして腕を動かす。 細部に行く途中で腕を展開する。 そのまま体全体に向かう。 基本はおおらかな振付にみえます。 カーボーイのズボンとインディアンのシャツ?。 西部劇を思い出す衣装です。 振付も乾燥的と言ってよいかもしれません。
舞踏が原点のようです。 二度ほどのピアノ場面に振付が明るくなりました。 動きは素晴らしいです。 しかし盛り上がる場面はもう少しメリハリを付けてもよいのではないでしょうか? 顔の表情はオドロオドロしく盛り上がっていましたね。
櫻井郁也の名は聞いていたのですが観る機会がなかった。 今日が初めてです。 近頃は舞踏もご無沙汰していました。 久しぶりの充実した舞台で心が洗われました。
*チラシ、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage38926_1.jpg?1383461630

2013年11月3日日曜日

■甘露

作・出:西尾佳織,劇団:鳥公園
三鷹芸術文化センタ,2013.10.25-11.2
広い空間をつまみ食いしているような舞台である。 奥まで行ってインスタントラーメンにお湯を入れたり、高い窓からデートをしたりだ。 声が響くので聞き耳をたてる必要もあった。 デート以外では劇場の使い方が成功しているとはいえない。
父娘や会社の同僚、同窓会の話があるので昔友達など人間関係はある程度わかる。 しかし興味のわかないストーリーである。 女教師の初めてのデート場面が記憶に残るくらいか。
内と外の関係に興味があるらしい。 肉体に関しての話題、特に口腔から肛門までの食事・排泄や臭いの話、国の内から外への亡命の話などある。 そして数万年後の人類の話が二度もでてくる。 種の生成滅亡も長い期間ではありうることを言いたいらしい。
チラシを読んだら「・・・感情より原初的な人間の性質を知りたい。 長いスパンを考えたい。 ・・」。 しかし恋愛や仕事、結婚のことで手一杯な感じである。 知りたいことや考えたいことが舞台とは関係のないところで演じられていたようである。

2013年11月1日金曜日

■SHIROH

作:中村かずき,演出:いのうえひでのり,出演:中川晃教,上川隆也,劇団☆新感線
品川プリンスシネマ,2013.10.19-31(2005.8.20収録)
ミュージカルとは驚きです。 歌唱がイマイチの役者でも流れに乗れば気にならない。 シローの熱唱は嫌味がなくて騒がしい舞台を上手くまとめていました。 天草四郎といえば「魔界転生」しか知りません。 歌で人を意のままにするとは正に歌界転生ですね。
ミュージカルは得るモノと捨てるモノがハッキリみえます。 松平信綱、柳生十兵衛、くノ一お蜜の存在感が際立っていたのは台詞が多いからです。 歌唱は言葉が全てではありませんから、相対的に台詞の力が強く浮き出てしまった。 しかも演技派に有利です。
そして「シランとラギ」の教団もそうでしたが、キリシタンはまるで新興宗教です。 アラブ世界を映したり聖戦と言ったりもはやゴッタ煮です。 キリシタンの中身の無い自由はそのまま物語の弱さに繋がっています。
しかしミュージカルである歌唱の力がこれら弱点を隠してくれます。 劇団の強さがあればこそ可能なことです。 そして舞台はロックのリズムにノッてごった煮的感動が出現するのです。
*ゲキXシネ作品
*作品サイト、http://www.geki-cine.jp/shiroh/

2013年10月30日水曜日

■シレンとラギ

作:中村かずき,演出:いのうえひでのり,出演:藤原竜也,永作博美,劇団☆新感線
新宿バルト9,2013.10.5-(2013.10.5収録)
ギリシャ神話、預言者、忍者くノ一、新興宗教、南北朝時代、化学兵器・・。 神話・歴史・物語・科学などから骨組を抽出・結合・肉付けしてあるので表面の流れが複雑です。 人椅子や人イヌなども漫画・SFですね。 ともかく凄い!
オイディプス神話以外の人間関係を漫画的に表現しています。 王と家臣、教祖と信者、武士の棟梁同士などです。 これが全体の印象を決定付けている。 しかしオイディプスとマンガチックを混ぜ合わせた舞台は咬み合っていません。 面白いのですが感動が分散されてしまった。 父母子の劇的関係がマンガ的雑音で薄れてしまったのです。
前半終わりにシレンとラギの関係が明かされます。 このため後半は緩みが生じ流れが澱みました。 20分くらい削ぎ落としたほうがスッキリしたのではないでしょうか。 シレンの泣いたような笑顔で喋る科白は舞台に独特の雰囲気を出していました。
*ゲキXシネ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/78747/

2013年10月29日火曜日

■蜉蝣峠

作:宮藤官九郎,演出:いのうえひでのり,出演:古田新太,堤真一,高岡早紀,劇団☆新感線
新宿バルト9,2013.10.28-11.1(2010.2.13収録)
幕開けからウンコを食べたり、チンチンを切られたりショッキングな場面が続きます。 「天保の改革」というと19世紀中頃の飢饉の頃ですかね。 それにしても農民の衣装も凄い。 匂いが迫ってくるようです。 これが150年前の日常風景だったのでしょうか?
ある意味劇的です。 これを風景的劇的とでも言うのでしょうか。 最初からボルテージは上がりっぱなしです。 主人公闇太郎(古田新太)が偽者だとわかった後半からはトップギアですね。
でもお泪と闇太郎の二人の愛と行く末に感動をしたいところですがそうさせてくれません。 闇太郎はただ一人ロボットのような科白や動きで、しかもお泪の両親を殺している。 生きたい!と闇太郎は何度も口にしますがその心の奥底が語られません。
近親者を次々殺していく立派親分(堤真一)も何をしたいのかよくわからない。 まるで蜉蝣のように生まれ、生き物としての欲を追いそして蜉蝣のように死んでいく人々にみえます。 それでも作者、演出家、役者の三拍子揃った力強い面白さが溢れていました。
*ゲキXシネ作品
*主催者サイト、http://www.geki-cine.jp/kagerou/

2013年10月18日金曜日

■エゴ・サーチ

作・演出:鴻上尚史,出演:虚構の劇団
あうるすぽっと,2013.10.5-20
洗練されてますね。 階段の形や色、背景の映像、衣装のどれを取ってもそうみえます。 役者もムリムダムラがありません。 さっぱり感とでもいうのでしょうか。 一つの形を持っている劇団です。
素人作家の生活世界と今書いている小説世界が繋がっているというストーリーも面白い。 沖縄の歴史や若者の労働環境、インターネットなどなど現代の問題も描きこんでいます。 沖縄料理を思い出しながら、路上いや舞台ライブの「骨なしチキン」を聞きながら観れるなんてサービスが行き届いています。 仕事は納期だ!と言われて現実に戻されもします。
そして若者の不安や喜びがこの洗練さの背後に広がっています。 役者たちの魅力も十分です。 20代前後の女性客が多かった理由でしょうか? でも何かが足りません。 というか余力があるのに一線を越えないのです。 一つの時代が熟成した時に現れる芝居です。 具体的に言うと、公務員がキチッと仕事をしたような後味がします。
*虚構の劇団第9回公演

2013年10月14日月曜日

■エドワード二世

作:クリストファ・マーロウ,演出:森新太郎,出演:柄本祐,中村中
新国立劇場・THEPIT,2013.10-8-27
幕が有ると和みます。 舞台3方が金色の壁で中央奥に大きな出入口。 なにも無い空間ですが緊張感があります。 前面に上手から下手までの通路があり幕が降りても役者が演技ができる構造です。 移動できる玉座もより金色で階段のように高い!
歴史劇はシェイクスピアもそうですがリズミカルなテンポが必須です。 この舞台にはそれが有ります。 素晴らしい。 エドワード二世もこれに答えています。 喋り方動き方はまるで道化のように軽やかです。 野村萬斎の若い時に似ていますね。 貴族たちの鈍い重さとの対比が面白い。 王妃もしっかりした喋りと動きを持っています。 演出家の隅々までの気配りが気持ち良いですね。
マーロウの芝居はまるで歴史です。 つまり終わりが無いということです。 淡々と進みます。 死んでいくものは順番を待っているようです。 当時の人々なら王の肛門に焼けた鉄棒を挿入する場面などに衝撃を受ける人もいるでしょう。 しかし現代人の我々だと面白い歴史書を読んだ感じです。 しかしこれはリズム有る歴史劇として成功している証です。
*劇場サイト、http://www.atre.jp/13edward/

2013年10月13日日曜日

■愛のおわり

作・演出:パスカル・ランベール,出演:丘藤公美,太田宏
■KAAT・大スタジオ,2013.10.11-14
何もない白い舞台に男と女が登場。 そして男が女に向かって激しく非難し続ける。 別れ話らしい。 一所懸命聞いているが疲れる。 女を還元していくような内容である。 女を肉体と精神に分け、以下部分に細かく分解してイチャモンをつける流れである。
途中児童が登場して歌を聞かせてくれる。 ほっとする。 そして後半、女が男に向かって同じように喋り続ける。 男が還元した事柄を一つ一つ粘りを付けるように捏ね回す。 女に粘りがあるということは肉体に近づいている為である。 最後は血管や頸動脈、体液、ウンコなどなどで。 「二人は・・」「愛していた・・」という台詞が終幕に聞こえてくる。 よくあるパターンだ。 そして別れる。
還元主義的な流れで相手を非難する事は夫婦喧嘩ではよくある。 しかしヨーロッパの匂いが強い舞台だからイマイチであった。 チラシをみたらパスカル・ランベールも平田オリザも離婚したらしい。 なんとオリザは今年再婚したようだ。 再婚は離婚のチャンス! 今度こそ作品にしてくれ。 還元主義的でないオリザ的な夫婦喧嘩を舞台で観たい!

2013年10月11日金曜日

■シェイクスピア「ソネット」

出演:中村恩恵,首藤康之
新国立劇場・中劇場,2013.10.9-10
机に鏡とマヌカンだけの舞台はガラーンとした感じ。 でも全体が暗くて部分照明だから引き締まっているの。 二人の絡み合いが素晴らしい。 これは中村と首藤の到達点とも言えるんじゃないかしら? 
コルビュジエ(*1)と違ってシェイクスピアは邪魔にならなかった。 というよりシェイクスピアソネットとダンスとの音韻や強弱構成の関係がよくわからなかった。 あまり気にしなかったけど。 過去ログを調べたら2011年10月にも上演していたのね・・。 再演のため振付により磨きがかかったということかしら?

2013年10月8日火曜日

■麻痺・引き出し・嫉妬

振付:井手茂太、出演:イデビアン・クルー
神奈川芸術劇場・中スタジオ、2013.10.5-7
舞台は畳で座卓や箪笥、ソファも置いてある日本の応接間・・! 24畳だから7人のダンサーにとっては狭いかな。 着物姿も一人いるの。 でも日常的な小刻みな動きと感情表現に重きを置く振付だから気にしない。
畳舞台は座る場面は似合うけど立っていると不釣合いね。 難易だけど日本舞踊を再構築して取り入れたらピッタリしたんじゃないの?  そして畳での作法も取り入れてね。 この方向で畳ダンスシリーズをつくったらどうかしら?なんちゃって。
音楽も楽しかったわ。 ゴミ回収車の声など本当に来たみたい。 天井をみたら回収車用と同じスピーカがぶら下がっていたの。
この時期に蝉の声を聞くと夏が終わったという感じね。 序にコオロギも欲しかったわ。 終幕の音楽は畳に合わなかったけど、青い照明と混ざりあって異化効果がでていた。 でも最後の和風蛍光灯がたくさん降りてきたのは意味がないとおもう。 まっ、次回も畳にしましょ。
ところで畳床での裸足は捻挫や突き指が多くなるはず。 右足を庇っていたけど気をつけてネ。

2013年10月6日日曜日

■ファニー・ガール

作・演出:名嘉友美、出演:シンクロ少女
三鷹市芸術文化センタ・星のホール、2013.10.4-14
複数家族の内と外の複雑な関係を二世代にわたり描いています。 上演時間が150分もありましたが、最後まで飽きが来ませんでした。 それはゲイの父と処女の母の家族を中心に、高校生時代の彼氏彼女との不倫、姉の妹との恋愛など多彩で悩ましい人間関係がゾロゾロと登場するからです。 しかも心の内にしまっておきたい悩みや秘密を各シーケンスの最後に言葉に出してしまうので悩みがより複雑になってしまうので舞台から目が離せなくなります。
また複数の演技を同時進行させてお互い台詞の同期をとったり、一つを進行させているあいだ他の役者は不動のままにしながら存在感を持たせるなど色々な技をかけています。 笑いを誘う対話も多いし、なんと途中に合唱あり踊りありで何でもありです。
これだけ多くのことを詰め込んでいながら<なんとか熟している>ことに感心しました。

■小さな家

出演:中村恩恵,首藤康
新国立劇場・中劇場,2013.10.4-5
建築家ル・コルビュジエの作品がタイトルなの。 建築と身体の関係性などを表現するのかな? 大化けするかもしれないと楽しみながら劇場へ行ったけど、・・ちょっと残念!
舞台には形や大きさが休暇小屋で色は小さな家に似た建物が置いてあり、首藤がコルビュジエで中村が妻(母?)の設定らしい。
そして彼らの時代を背景に物語が進む構成。 舞台の全てが具体的なの。 サヴォア邸やマルセイユのアパートを写真で写したり、モデュロールの数値を読んでみたり、巻尺で測ったりするけど、ダンスでこの具体を豊かに表現できたようにはみえない。
チラシに「・・人間にとっての豊かさ・必要とは何か?・・を見出したい」とあるけど、建築やコルビュジエの思想との関係付けは見えなかった。 これはダンスにとって難題かも。 二人の真面目さが裏目に出たようね。

2013年10月5日土曜日

■真夜中の弥次さん喜多さん

原作:しりあがり寿,脚本・演出:天野天街,出演:小熊ヒデジ,寺十吾,企画・制作:KUDAN PROJECT
こまばアゴラ劇場,2013.9.27-10.6
日本人の死とはどういうものか?を追求しているようにみえた。 江戸時代の旅は初めから片道切符だ。 「過去と未来」も「現実と幻想」もこれに集約していく。  そして少年王者館得意の円環の流れも輪廻転生の一片を感じさせる。
漫才を元に肉付けを施したような舞台である。 前半は身体の動きとセリフと小道具のすべてが同期していて心地よかった。 途中テンポが遅くなる。 これで漫才としての倦怠感が出てしまった。 この演出家は強いメッセージを観客に送らないので、リズム感がなくなると余計に崩れた感じになる。 後半はまた持ち直したが、小道具が大きくなればなるほど原作が漫画である欠点を大きくしてしまう。 手がスルメや箒ならまだしも、腕の伸びすぎ等はもはや漫画である。 それでも役者二人は熱演であった。 名古屋のパワーが溢れていた。

2013年10月4日金曜日

■毛皮のマリー

作:寺山修司,演出:森崎偏陸,出演:野口和彦,山谷初男,劇団:青蛾館
中野テアトルBONBON,2013.10.2-6
照明が単純で明るすぎて現実をそのまま舞台に登らせたようです。 でも5人の美女の亡霊登場から俄然調子がでてきました。 そして名もない水夫に欣也とその母親の過去を語るマリーはクライマックスですね。 男性だけでギコチナサもありましたが、美しくそして悲しい男娼物語が現前していました。 ミケランジェロの絵は不要です。 これに代わる役者がいるのですから。
前回*1がハイボールなら今回はストレートの味がします。 前者が寺山修司の肉を演じたとすればこれは骨です。 まとめて二本観たことで「毛皮のマリー」の異形の面白さと寺山の言葉が肉を通して骨まで届きました。
*劇団サイト、http://www.seigakan.jp/marie.html

2013年10月2日水曜日

■本物の西部-TRUE WEST-

作:サム.シェパード,演出:スコット.エリオット
世田谷パブリックシアター,2013.9.29-10.13
また騙されたわ。 本物の西部なんか出てきやしない。 「パリ・テキサス」もそうだった。 パリなんか出てこなかったもんね。 パリテキはヴェンダースに会いにいったのだからしょうがない。 しかし本物の西部とは何かと問われてもガンマンしか思い浮かばないの。 今の日本で本物の武士を見たいと言っているようなものね。
前半の兄の弟への突っ込みはわざとらしい。 後半、弟の考えや行動が兄に似てきた原因がよくわからない。 この不連続でちょっとシラケてしまったわ。 台所用品をぶちまけたり酒を呷る場面はよーくわかる。 去勢されたカーボーイ兄弟が酒場で喧嘩をしているようだし、母の態度も喧嘩に動じず実に西部的だった。 しかし母の台詞もなにか変ね。 ピカソも飛躍しすぎだわ。
これを書いている今でも、散らかった台所で兄弟が酒と煙草を飲んでいる場面しか思い出せないの。 この場面こそシェパードのTRUE WESTなのね。

2013年9月30日月曜日

■椿姫ができるまで

■作曲:G・ヴェルディ,監督:フィリップ・ベジア,出演:N・デセイ,J=F・シヴァディエ,L・ラングレ
■シアター・イメージフォーラム,2013.9.28-(2012年制作)
■昨年のMET「椿姫はまだ覚えている。 これは2011年夏のエクサン・プロヴァンス音楽祭での創作風景を撮った作品よ。 指揮者と演出家と歌手の三つ巴を見せてくれるのかと期待したけど、素人でも想像できる範囲内でまとまっていたの。 誰も舞台裏は見せたくないわよね。 でも面白かったわ。
ナタリ・デセイは動きのあるエネルギッシュな歌手だけど練習風景でもそんなに変わらない。 指揮者ルイ・ラングレも並のことしか言っていない。 それより演出家シヴァディエの歌手への演技指導場面は一番興味が持てたわ。 感情移入ではナタリも戸惑っていたから、それなりの戦略を持っていそうな演出家ね。
最初に雨が降るシーンがあったけど上演はできたのかしら? ともかく彼の演出でこのような野外劇場とシンプルな舞台で椿姫を観てみたい!、と言いたくなるような作品だった。
*映画COMサイト、http://eiga.com/movie/78716/

2013年9月29日日曜日

■ヤマトタケル

作:梅原猛,演出:市川猿翁,出演:市川猿之助,市川中車
新宿ピカデリ-,2013.9.28-(新橋演舞場,2012.6収録)
ヤマト政権を<米と鉄を持ってきた外来民族>として描いている。 ヤマトタケルはなぜ熊襲や蝦夷を討伐するのか? それは熊襲や蝦夷の制度や民の考えが古くなりすぎて時代にそぐわないからである。 彼は熊襲や蝦夷の神的パワーを獲得しながら成長していく。 結果、腐敗したヤマト政権はあらゆるものを取り込んで新たに成長していく雑種民族として描かれることになる。
舞台衣装や激しい立ち回りはまるで京劇のようだ。 台詞は簡素で分かり易いし、ストーリーは静と動が混ざり合って飽きさせない。
市川猿之助はスポーツカーを匠に運転しているような演技である。 抑制が効いていてパワーが必要な個所はちゃんと出している。 そしてヤマトタケルとしての言葉と行動が見事に一致する為物語にリズム感が出ている。 先日の彼が出演した「ヴェニスの商人」を観逃したのは残念!
*シネマ歌舞伎第19弾作品

2013年9月27日金曜日

■月光のつつしみ

作:岩松了,演出:岩井秀人,出演:劇団ハイバイ
神奈川芸術劇場・大ホール,2013.9.20-26
このような姉や妻や恋人を持ったら人生大変だな、と観ていて感じました。 でもこの見方は「大人になっていない証拠だ!」、と姉に言われそうです。 弟も姉にそう言われていましたね。
病気と健康の境界線が見えない舞台は多いのですが、しかしこれは病人だと意識させてしまう芝居です。 登場人物たちは他人を上手く受け止められませんし、自分を上手く差し出すことができません。 姉の意味への拘りや深読み、弟の突発性激怒、妻の姉への苦手意識、幼友達はまだしもその恋人の自殺の図り方・・、感動への一線を超えそうで超えられない。 脳障害等を持った病人の真似事をしているようです。 現実が混在したような舞台になっています。
ところで姉のセリフが棒読みのようでしたが、他役者との関係からもう少し自然にしたほうが面白さがでたはずです。 演出だとおもいますが、これも超えられない原因の一つです。 それと大ホールは声が響く為舞台は冷めた感じになっていました。 この感じが客観性を呼び込んでしまったのもまた原因です。

2013年9月24日火曜日

■マチワビ

演出:登米裕一,出演:キリンバズウカ
東京芸術劇場・シアターイースト,2013.9.19-25
寂れていくわが町を活性化させる話です。 それには少しばかり喜劇を持って男女が結ばれることです。 これが芝居の結論です。 保守的ですが時代の流れかもしれません。
主人公は三人姉妹で皆が超能力を持っています。 しかしSF感はあまり出ていません。 それは日常の物語の中にSFが修飾語のように収まっているからです。 この超能力が上手く働いて、ストーリーの先が読めなくなり目が離せませんでした。
スピーカからト書きのような補足説明が数回ありました。 これは舞台の質を落とします。 無くすべきでしょう。 そして自殺志願の若者の財布を次女は返却しなかったり、戻ってきた次女の恋人の一千万円を放置してあるのも首を傾げてしまいます。 カネをこのように扱う意味がわかりませんでした。 この二点はしかし体勢に影響はなく、最後はまとまって安心が残った芝居でした。
*チラシ、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage37072_1.jpg?1380016171

2013年9月22日日曜日

■トリスタンとイゾルデ

■作曲:R・ワーグナー,指揮:J・レヴァイン,演出:D・ドルン,出演:D・ヴォイド,M・デ=ヤング
東劇,2013.9.21-23(MET,2008.3.22収録)
「媚薬」の効き目が強すぎる!! これで全てが壊れてしまった。 ワーグナー自身も媚薬を飲んですっ飛んだ感じのような作品だわ。 もはや愛は抽象世界。 二人の歌唱量を楽しむだけの舞台だった。
そして動きの少ない舞台の為、映像クリエーターが出しゃばってしまったの。 画面分割はシラケるだけね。 特に終幕にマルケ王が登場した時の分割はいただけないわ。 人物も物語もバラバラになって終わってしまったからよ。 ここでのイゾルデの顔はアップでまるでテレビの歌謡曲のよう。 せめて歌う場面は歌手の身体全体を写して欲しいわね。
*METライブビューイング2007作品

2013年9月21日土曜日

■魔笛

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:J・レヴァイン,演出:J・テイモア,出演:Y・ファン,E・ミクローザ,M・ポレンザーニ,R・パーペ
東劇,2013.9.21-22(MET,2006.12.30収録)
テイモアの美術は楽しさが一杯ね。 黒子を使うんだけど文楽と違って見せないの。 これで背景を暗くするから照明に強弱が出て昼と夜つまり魔笛の背景に見事に一致するの。 さすがライオン・キング。
パパゲーノの夢や悩みがとても具体的なところが時代を越えてもこの作品が支持される理由だとおもう。 それは食欲や性欲そして結婚についてだから。
ルネ・パーペは前半ちょっと固かったようね。 英語だから感じが違ったのかしら。 カーテンコールで一同が揃った時の衣装の形と色の素晴らしさにはまいっちゃった。
*METライブビューイング2006作品

■蝶たちのコロナ

演出:笠井叡,出演:天使館
国分寺市立いずみホール,2013.9.19-20
羽衣を着て蝶のように舞うオイリュトミーを時々観たくなる。 なぜなら疲れた身体と精神が癒やされるからだ。 今回はダンサーが詩「遺された黒板絵」を朗読し他ダンサーが踊る構成である。 オイリュトミーでの朗読舞は初めて観る。 宇宙の言葉と身体の結合を表現しているようだ。 18章の詩の朗読とピアノ・チェロの演奏7章がうまく混ざり合っている為、言葉と音楽の相乗効果がでていた。 鯨井謙太郒の長身を生かしたダイナミックな踊りは素晴らしい。
この公演の観客は独特の雰囲気を持っている。 初めてのオイリュトミー公演で劇場に入った時の衝撃は忘れられない。 宗教に近い何ものかがあるようだった。 劇団「ミームの心臓」という公演の時も観客に独特の雰囲気があったことを覚えている。 これは宗教的ではない、ある種の静かさのようなものだった。 このように、場内をひとつとしてみた観客が年齢・性別・職業を越えた独特な雰囲気を持っているのに時々だが出会うことがある。
*天使館サイト、http://www.akirakasai.com/jp/

2013年9月20日金曜日

■夏の終わりの妹

作・演出:宮沢章夫,出演:遊園地再生事業団
あうるすぽっと,2013.9.13-22
朗読劇のようね。 役者5人はリズムがあるとは言えない動きだけど、言葉は明快で台詞が心に整然と蓄積していく感じがするの。 舞台美術はドアと椅子のある長い通路が5セット。 役者たちは一人づつその中だけで動きまわる。 戯曲を5人に配分して交互に喋っても、身体同士が離れているから視覚より聴覚として物語が観客に記憶されたのかしら。 でも役者の動きの多くは面白みがないわ。
「夏の妹」は観たことがあるけど内容はすっかり忘れていた。 誰もがそうだったのね。 インタビューの寺山修司と夏の妹の大島渚の組み合わせは奇遇ね。 戯曲が優位に感じられた二つ目の理由かもね。 帰りはシルバー仮面を歌いながら池袋駅迄歩いちゃった。

2013年9月16日月曜日

■OPUS/作品

作:マイケル・ホリンガ,演出:小川絵梨子
新国立劇場・小劇場,2013.9.10-29
幾何学的な舞台は新国立劇場の顔になりましたね。 弦楽四重奏団という組織は興味津々です。 どのCDジャケットをみても団子4兄弟のようですからね。
科白も動きもコメディ調です。 ヴィオラ奏者の交代、癌との闘い、ゲイや女性奏者との関係、そしてリーダともいえる第一バイオリン奏者の更迭など話が進んでいきます。 しかしテレビ昼ドラのような中身です。 二つの人事闘争もありますが多数決に毛が生えた程度です。 演奏や楽器に関する話しは素人には新鮮でした。
演劇的感動はありませんでした。 しかし観後の充実感はあります。 全体がまとまっていたためです。 <作品>としての存在感は小粒ですがあります。 多分演出家の上手さでしょう。
*劇場サイト、http://www.atre.jp/13opus/

2013年9月11日水曜日

■ジャンヌ

作:G・B・ショウ,演出:鵜山仁,出演:笹本玲奈
世田谷パブリックシアタ,2013.9.5-24
紅一点のジャンヌはとても初々しい。 比例して老人ばかりが目立ってしまった舞台ね。 司祭や貴族は<神の声→教会の声→自身の行動>を求めているのに、ジャンヌは<神の声→自身の行動>なの。 これが出過ぎると異端に取られる。 権力者は初めジャンヌを泳がせるけど、実績を出し続けるので恐怖を抱き異端にしてしまった。
チラシに「なぜ火刑台で死ななければならなかったのか?」とあるけど、悔い改めても終身禁固刑だと知ったから、が答えでしょ? なぜなら彼女の公式、<神の声→行動>が素直過ぎるのと同じだから。 想像力不足かな?
終幕、多くの登場者がジャンヌに詫びの頭を下げている場面も彼女の素直な純真さに敬意を表しているようにしかみえない。 これが「聖女ジャンヌ・ダルクの真実」かもしれない。

2013年9月8日日曜日

■臆病な町

作・演出:玉田真也,出演玉田企画
三鷹市芸術文化センタ・星のホール,2013.8.30-9.8
中学校卓球部合宿の枕投げで始まり終わる。 この時代は誰もが経験しているので自身の記憶と混ざり合い久しぶりの思い出が舞台に現れる。 「青春物語」は反復のカタルシルがやって来るので楽しい。
しかし中学時代は微妙である。 幼さが残っているからである。 この面白さの一つだが、役者の髭面が時々舞台に現実を持って来ていた。 また面白くする為に先生の酒盛場面を挿入せざるを得ない。 もちろん女性を引き込んでのことである。 プロフィールには忘失の驚きとニヤリを表現したいとあるから、青春物語が萎んでしまってもしょうがない。
チラシの出演者をみたら多くは青年団所属のようだ。 青年団の芝居は言葉と身体の微妙な関係が面白いのだが、この舞台は言葉の代わりに視線や微細な又は過激な動作を身体に関係付けようとしている。 この関係付けが不安定なので台詞は置いてきぼりになり漫才のような場面が多くなってしまった。 上級下級生の喧嘩の大事な結果も人形に喋らせてしまっている。 科白と身体の面白い結びつきはまだ見えない。 「臆病な町」はよくわからない題名であった。
*チラシ、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage37523_1.jpg?1378595237

2013年9月7日土曜日

■シモン・ボッカネグラ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:J・レヴァイン,演出:G・デル・モナコ,出演:P・ドミンゴ,A・ペチョンカ,M・ジョルダーニ,J・モリス
東劇,2013.9.5-20(MET収録)
ストーリーが込み入っているけど、ヴェルディの中年力で乗り切っている感じね。 舞台・衣装は重厚で歌唱もジックリ聞くことができたわ。 それは紅一点のアメーリアを含め歌唱時に歌手が舞台上で激しく動きまわらなかったからよ。
今朝の新聞に独身の初老が結婚を決意する漫画があったけど、相手に孫がいるから結婚するの。 これをみて笑っちゃつた。
舞台を思い出したから。 <家系>が将来に続く為の手段というよりも現在を豊かにするためにある。 ヴェルディが現代人に受ける理由かもね。 終幕「神の御声に涙を流す」「偉大なる神よ」の、シモンとフィエスコが娘つまり孫娘に無償の愛情を注ぐのを見届けたので観客は満足できるの。
*METライブビューイング2009作品

2013年9月4日水曜日

■毛皮のマリー

■戯曲:寺山修司,演出:高野美由紀,出演:劇団☆A・P・B-Tokyo
■ザムザ阿佐ヶ谷,2013.8.30-9.2
複雑な関係ですが母と子の物語です。 母が男優、男の子が女優であることが不思議世界の入口です。 母子関係を豊かな情感に包み込んで舞台にのせていました。 劇的さは少ないのですが濃い味がありました。
寺山修司の作品は母子場面がとても難しいように感じます。 多くはギクシャクしてしまいます。 これを乗り越えて豊かな感情を観客に与えてくれる数少ない劇団です。
話は変りますが、この劇場は客席が急勾配です。 RSCやNTのシェークスピア劇では役者が観客特に天井桟敷に向かって、しかも上を向いた姿勢で台詞を喋ることが多々あります。 これがなかなかの感動モノです。 この劇場で観る芝居が面白い理由の一つではないかとおもいます。
*劇団サイト、https://www.apbtokyo.com/about

2013年9月3日火曜日

■美輪明宏ドキュメンタリー-黒蜥蜴を探して-

監督:パスカル=アレックス・ヴァンサン
東京都写真美術館,2013.8.31-
語りが仏語で驚いてしまったの。 監督をみたらフランス人。 しかもヌーベルバーグ初期の軽快なテンポを持っているわ。 これで「愛と闘いの記録」が薄まって三輪明宏を現代絵画のように浮かび上がらせている。
ゲイ文化は江戸時代までは嗜好という日常世界だった。 でも明治以降は国家がこれに介入してきた。 この闘いと支えてくれた人々との記録よ。
宮崎駿との対話場面があったけど、「ハウルの動く城」の魔女の顔は誰もが三輪を思い出してしまうよね。 同じように横尾忠則、北野武の対話があったら最高だった。 三島由紀夫や寺山修司はしょうがない。
三輪の凄いところはやっぱ中性の凄さだとおもうの。 男性や女性を演じていてもベースに中性という性を意識させてくれる。 これが長く活動できている秘訣かもね。
*作品サイト、http://www.uplink.co.jp/miwa/

2013年8月31日土曜日

■パリ・オペラ座ライブビューイング2013年ベスト作品■

パリ・オペラ座ライブビューイング2013年ベスト作品■

・「カルメン

*オペラ座はMETやロイヤル・バレエと比較すると古臭い感じがする。 20世紀を引きずっているの。 でもそこがオペラ座のいいところね。
*選出範囲は2012 ・13シーズンの、ドン・キホーテ、ホフマン物語、ファルスタッフ、マーラー交響曲第3番、ヘンゼルとグレーテル、ラ・シルフィード、ジョコンダと上記ベストの計8作品が対象。

2013年8月30日金曜日

■ジョコンダ

指揮:D・オーレン,演出:P=L・ピッツィ,出演:V・ウルマーナ,M・アルヴァレス,L・ディンテイーノ,パリ・オペラ座
みゆき座,2013.8.23-9.5
舞台は幾何学的で運河がなければローマにみえる。 階段が大きすぎるからよ。 前半は進行役バルナバが目立ちすぎて主人公達がバラバラだわ。 物語の構造からいくらでも面白くできるけど、肉付けがちょっと下手なのよ。 でも歌手たちの歌唱での対話は日常的な味が出ていてよかった。
「時の踊り」では観客は大喜び。 衣装を脱いだから。 でも舞台の流れを中断してしまった。 いっそのことダンサー全員が脱いじゃったほうがスッキリしたとおもうけど。
バラバラになった物語が4幕になってやっと一つにまとまった感じね。 素晴らしい終幕だった。 ジョコンダはバルナバが言った母の死のことが聞こえたのかしら?
「自殺」を含め時を意識する歌詞が多いけど、ポンキエッリはこれを背景色としたかったのかしら? しかしこの物語の人間関係を語るのに成熟時間は不要ね。 なぜならバルナバが勝手に決めてしまったからよ。

2013年8月28日水曜日

■前向き!タイモン

作・演出・振付:矢内原美邦,出演:ミクニヤナイハラプロジェクト
こまばアゴラ劇場,2013.8.22-9.2
ダンスというより演劇に近い。 想像していた内容の観後差は近年で最大だ。 俳優3人は早口の科白とそれに合わせた動作を終幕迄続け、いつもと違う矢内原世界を舞台に展開している。 早口で喋る台詞は身体動作と共鳴し一種の詩のように聞こえる。
しかし速さのある喋りと動きが一定のリズムで長く続くので途中飽きてしまった。 上演を1時間にすれば観客身体も共鳴しっぱなしにできる。 岸田國士戯曲賞受賞作らしいが戯曲を読めば演劇、読まないならダンスというところか。 結果、これはダンスである。

2013年8月27日火曜日

■ハニカム狂

作:久聖一,演出:天野天街,出演:少年王者舘
■スズナリ,2013.8.21-27
これもリフレインですか。 「マームとジプシー」は意味を膨らませていくので物語が高揚していきます。 ここでは意味の変化を伴わない単なる繰り返しです。 特にこの作品は役者の疲れからくる微妙な違いを笑わせようとしています。 役者の疲れもリフレインの目的ですが、疲れから来る観客の精神的解放はありません。 物理的繰り返しだけですから。
これは「田園に死すでも言われているようにミニマルです。 これが「レミングで寺山修司の闇を出せなかった原因でしょう。
舞台での戦後の出来事や蝉の声そして方言にも懐かしさがあります。 それはしかしリズムある照明・音楽・美術に物質的なものへと還元されてしまいます。 そしてミニマル・ダンス舞台のような観後感が残るのです。

2013年8月26日月曜日

■ユエニ

演出:ムロツヨシ,出演:MURO式
■シアタートラム,2013.8.24-9.1
「高校生3人で駄弁り」、「財布を持ってトイレ」、「明治維新三傑?会談」、そして「高校生3人の18年後」のコントが4題。
4幕は1幕の続きで中年になった3人の一人が病気になり死を意識している。 昔のように母の料理を二人の友達に食べてもらい母を喜ばしたい。 お涙頂戴で幕が降りる。 明治維新は別物語であるが、4題を関係付けられたら面白さが倍増したはずだ。
舞台は簡素で役者の動きは少ない。 性格や習慣への拘りの話が多い。 結婚・離婚などで氏が替わるネタの多さが気にかかる。 間の取り方や笑えるセリフは良い意味での単純さを持っている。 それは月並みの<死>と<母>で終わらせたのでもわかる。
観客は若い女性が多い。 テレビ番組の延長として楽しんでいるようだ。 役者3人の性格の違いも上手く出ていた。 ファンもいるのかな? ムロツヨシでカーテンコールが盛り上がった。 次回も暇があったら観に行ってもいいかな?の程度の舞台である。 これがMURO式の、というよりコントの戦略である。

2013年8月18日日曜日

■ラ・シルフィード

指揮:E・フロリオ,出演:M・ガニオ,O・デュポン,パリ・オペラ座
みゆき座,2013.8.16-22
1世紀もオペラ座で上演がなかった、と書いてあったけど何故なのかしら? シンプルな流れで、妖精との三角関係や魔女の登場で面白い。 夏休みだから子供向けだと思っていたけど、子供から大人までうけるストーリだわ。
でもスコットランドがいけないのかしら? パリから近いし異国趣味がないからよ。 舞台は全員がスコットランドのキルトを着ていてまるで学生の制服みたい。 その着こなしは、いかにもスコットランドは嫌いだ!と言っているようだわ。
二幕のロマンテックチュチュの妖精たちはとてもよかったけどね。 ともかくすべてはスコットランドに原因があるとみたわ。 もっとスコットランドを楽しんで欲しいわ。 そうすればオペラ座の真の代表演目になれる。

2013年8月17日土曜日

■COCOON

原作:今日マチ子、作・演出:藤田貴大、出演:マームとジプシー
東京芸術劇場・シアターイースト、2013.8.5-18
女子学生の戦時中の想像力がいきいきと描かれています。 20名近くも登場するので舞台は混み合っています。 これに映像と音楽が混乱を引き寄せてまるで戦場のようです。 リフレインと呼ばれる科白と身体の反復からくるリズム感はみえません。
身近に迫る死を確信することは滅多にありません。 数年前に手術をすることになり病棟から手術棟へベッドで移動する時、窓から差し込む太陽の光をみてひょっとしたらこれが最後か!? 舞台を観ながら思い出してしまいました。
迫る死の理由が「手術」と違い「戦争」の場合はどう自分を納得するのか? 納得できない。 「戦争」で死ぬのは真平御免です。 ではどうすればよいのか? 戦争の原因である「国家」「民族」「宗教」の正義に疑問符を投げ続けるしかありません。

2013年8月16日金曜日

■イル・トロヴァトーレ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:M・アルミリアート,演出:D・マクヴィカ,出演:M・アルヴァレス,D・ホヴォロストフスキ,S・ラドヴァノフスキ,D・ザジック
東劇,2013.8.14-16(MET,2011.4.30収録)
最初から魔女の話。 だからすぐに物語に引き込まれてしまうの。 しかもリズムがあるしね。 回り舞台も効いていたのがいいわ。 ラドヴァノフスキとザジックも舞台効果を褒めていたし。
でも1,2幕は心の襞まで辿りつけない。 表面をウロウロしている感じね。 ヴェルディは物語の仕込みに時間を取られてしまったからよ。 歌手もそれを処理するのに精一杯なのね。 後半は挽回したわ。 歌詞に人生の凄みが出てきて、歌唱もジックリ聞けたから。 愛と死や母と子のね。
ホヴォロストフスキは一人浮き上がっていたようね。 片思いだからしょうがないけど、「寒い国から来た・・」ようだわ。 ヴェルディのリズムに乗れない人ね。
*METライブビューイング2010作品