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■春の祭典

*次の□2作品を観る。 □半獣神の午後■演出:平山素子,出演:福田圭吾,奥村康祐,中島端生ほか □春の祭典■演出:平山素子,出演:米沢唯,福岡雄大,ピアノ:松本詩奈,後藤泉 ■新国立劇場・中劇場,2022.11.25-27 ■「半獣神の午後」は初演らしい。 12名前後の男性ダンサーが登場する。 今回は端席のため舞台を横から観るような感じだ。 このため前景と後景が分かれてしまい調子に乗れない。 振付もどこか活気がない。 不発だった。 この中劇場は使いにくい。 演劇も舞踊も神経を集中できない。 「春の祭典」は何度か観ている。 平山素子は踊らない。 米沢唯と福岡雄大だ。 米沢は華奢過ぎる。 バレエ身体から逃げられない。 福岡雄大は肉付きが良すぎる。 バレエなら引き締まるのだろうが、ダンスだとブヨブヨしてしまう。 筋肉の使い方が違う為かな? 心地よい緊張感がやって来なかった。 でもこの作品の振付は見ごたえがある。 ピアノ演奏も良かった。 「半獣神の午後」を楽しく観ていたら今日はご機嫌だったはずだ。 *NNTTダンス2022シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_024590.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、平山素子 ・・ 検索結果は13舞台 .

■ボリス・ゴドゥノフ

■原作:A・プーシキン,作曲:M・ムソルグスキー,指揮:大野和士, 演出:マリウシュ・トレリンスキ,出演:ギド・イェンティンス,小泉詠子,九嶋香奈枝ほか,演奏:東京都交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2022.11.15-26 ■ゴドゥノフの息子の小部屋はA・タルコフスキーの宇宙船内、そして舞台背景に映し出される歌手の白黒映像は悩める研究者達にみえる。 「惑星ソラリス」は原作がポーランドで監督がロシア、でも今日はその逆ね。 それにしても複雑な内容が詰まった楽曲に聴こえる。 それは東ヨーロッパから中国までの風景が波のように押し寄せてくる。 面白い。 しかも歌唱を引き連れた演奏は演劇を強く意識するの。 演劇的オペラと言って良い。 ロシア史に疎いため?ゴドゥノフの深層心理が読めない。 ピーメンやドミトリーの権力志向やシュイスキーの心底も同じ。 人間関係の深みに到達できない。 歌唱で関係を作れなかった。 その関係抜きでも演劇力は強い。 この落差が新鮮に感じるわね。 3幕休憩で席を去った人が多くいたがこの矛盾に耐えられなかったのかも。 この作品は<場面の勝利>といえる。 物語の流れは弱かったが一つ一つの文節に力があったからよ。 *NNTTオペラ2022シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_024502.html

■笠井叡DUOの會

*次の□4作品を観る。 □犠儀(朝日講堂,1963年) □丘の麓(青年座,1972年) □病める舞姫(スパイラルホール,2002年) □笠井叡の大野一雄(新作) ■演出:笠井叡,出演:川口隆夫,笠井端丈 ■吉祥寺シアター,2022.11.16-19 ■劇場に着くと「笠井叡 体調不良で出演できず・・」と貼ってある。 どうなるのかな? 何もなかったように幕が開く。 笠井叡の語りがスピーカーから聞こえる。 録音に代えたのだろう。 4作品すべてを川口隆夫と笠井端丈が踊る。 その背景に「土方メモリアル」(2002年)で録画した映像を映し出す・・? 二人が踊っている後ろで映像の二人が踊る感じだ。 しかも映像の中の背景に大野一雄と笠井叡の二人が踊っている古い映像を映し出している・・! つまり同時に3組のダンスを観ていることになる。 最初は目が回ったが次第に一番古い映像に焦点が絞られていく。 どれも数十年も前の舞台だ。 笠井叡はドイツに近づいていたので「タンホイザー」でも振付はブレない。 しかしワーグナーはより上手だ。 このため生舞台の二人が掠れてしまった。 こういう企画・構成だからしょうがない。 でも最後の新作は面白かった。 笠井叡の振付と一目でわかる。 笠井端丈も調子に乗っていた。 音楽はモーツァルト「レクイエム」らしいが字幕を付けてくれると舞台への親しみがより深まったろう。 やはりワーグナーやベートーヴェン「 ハヤサスラヒメ 」よりモーツァルトが似合う。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/200306

■お國と五平

■作:谷崎潤一郎,演出:神田真直,出演:飯坂美鶴妃,柊木樹,杉田一起,劇団なかゆび ■こまばアゴラ劇場,2022.11.17-20 ■能面を付けたお國、鎖に繋がれてお伴する犬の姿の五平・・。 いや、彼は五平ではない。 鎖から逃げてドラム缶に隠れたからです。 再び同じ姿で二人が静かに登場。 黒一色の暗い背景での幕開けは印象に残りました。 友之丞と五平の鎖姿が強烈ですね。 武家社会の掟から逃げられない、そして男女の愛着からも逃れられない。 この二つをなんとか収めようとする3人の藻掻く姿は観る者に迫ってきます。  しかし友之丞とお國、互いの身体から漏れる心の微妙な揺れが弱い。 仮面を付けて動きの少ないお國を前に、ドラム缶の中で動けないが上肢の動作が大げさな友之丞、くわえて屈託のない喋り方。 このアンバランスがそうさせたのでしょうか。  これを差し置いても衝撃力はありました。 狭すぎる舞台、能を取り入れた姿や動き、五平のバットの振りと缶の音などなど、身体へ食い込む外からの力は巧い。 ぎっしり詰まった緊張感ある一時間でした。 演出家と佐々木敦のアフタートークを聞く。 ・・「演劇人コンクール作品で原作のカットはしていない」「俳優は動かしてはいけないと言う原作者に従った」「鎖は文楽から、尻たたき(の音)は講談から、仮面は能から、梵鐘はドラム缶で、あらゆる古典芸能を利用した」「岸田國士以降の作者は苦手だ」「ゴドーを待ちながら、しあわせな日々は入っているのか? それは無い」「赤堀雅秋や三浦大輔の流れにみえるが? そうかも」などなど・・。 以上がトーク概要。 観客は約30人、マチネーの為か男性高齢者が8割だった。 みな芝居好きにみえます。 役者と観客の年齢差が大きい。 これは原作目当てか?受賞作目当てか?劇団目当てか? たぶん全部でしょう。 *演劇人コンクール2020年優秀演出家賞受賞作品 *劇場、 http://www.komaba-agora.com/play/12592 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、神田真直 ・・ 検索結果は2舞台 .

■能楽堂十一月「附子」「大江山」

*国立能楽堂十一月度普及公演の下記□2作品を観る。 □狂言・大蔵流・附子(ぶす)■出演:茂山忠三郎,茂山逸平,茂山茂 □能・観世流・大江山■出演:上田公威,森常好,舘田善博ほか ■国立能楽堂,2022.11.12 ■「附子」とは毒草トリカブトのことらしい。 主人が附子と言って隠していたのは実は美味しい蜜菓子だった。 それを召使はこっそり食べてしまう。 主人への頓知の効いた言い訳がオチになっている。 「大江山」のプレトーク「二つのおおえ山と酒呑童子の首」(小松和彦解説)を聞く。 「・・話は丹後丹波の国境のようだが、丹波山城にある老い坂峠(おいのさか)が大江の坂にそして大江山になったとも言われている。 ・・童子の首は宇治に葬られたのか?京までのぼったのか? 諸説ある。 これは王権が揺らいでいたのを元に戻すための作品に違いない・・」等々を語る。 登場人物が多い舞台である。 そのため橋掛りの隅々まで巧く使い人物を動かしていた。 終幕、酒呑童子が源頼光に食らいつき、頼光が刀で切り返す打合働も詞章の一字一句ちがわずに進んでいく。 その前に、童子が寝所(一畳台)から姿をなかなか見せないことに期待が昂った。 ここで面は大童子から獅子口に変わる。 しかし童子の素直な性格は変わらない。 遡り、間狂言の強力と女の結婚話には客席から笑い声も聞こえていた。 力強いストーリーに淀みがなく観ていて気持ちが良い。 能というより歌舞伎に近い舞台だった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2022/11123.html?lan=j

■能楽堂十一月「悪太郎」「羽衣」

*国立能楽堂十一月度定例公演の下記□2作品を観る。 □狂言・大蔵流・悪太郎■出演:山本則重,山本泰太郎,山本則孝 □能・金剛流・羽衣■出演:豊嶋彌左衛門,福王茂十郎,矢野昌平ほか ■国立能楽堂,2022.11.9 ■「悪太郎」の飲みっぷりは豪快である。 何杯でもいける。 涎がでた観客も多いはずだ。 後半、仏教への接近は話が飛び過ぎる。 しかし江戸時代の信仰は日常の一コマなのかもしれない。 特に悪太郎は信仰の高揚と酒の酔は同列とみているのだろう。 「羽衣」はシテの姿勢が天女にみえない。 声は響いていたが身体がそれに付いていない。 老化天女だ。 能面は増。 シテが科白を忘れたり飛ばしたりすることはよく有る。 前者は地謡が小さな声で教える。 後者はシテの次声に周囲が合わせていく。 どちらも観ていて気にならない。 リピートが容易な能楽はリカバリが早いからだ。 ところで当舞台は金剛流の盤渉(ばんしき)という小書が加えられた。 序ノ舞で笛が甲高い音律に変わる。 どこかで聴いた音色だ。 何回も繰り返すので懐かしさが漂ってくる。 遠い記憶のなかを彷徨ってしまった。       *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2022/11122.html?lan=j

■ペール・ギュント

■作:ヘンリック・イプセン,翻訳:毛利三彌,音楽:棚川寛子,演出:宮城聰,出演:武石守正,池田真紀子,石井萠水ほか,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2022.10.8-11.6 ■この舞台は「 2010年ベスト10 」に推薦したことを覚えている、でも中身は殆ど忘れてしまった・・。  しかもこの作品は上演が少ない。 この12年間では日韓文化交流企画のヤン・ジョンウン演出を観ただけ。 場面展開が多く道具や衣装がいろいろと必要な為かな? 揃わなくても可能だが演出は大変になりそう。 もちろん今回の公演は早くからスケジュールに組み込んでいたわよ。 演出ノートには「自分探しの旅ができるのは男性だけ・・」、翻訳家は「女をほったらかして世界中を飛び回り、したい放題のあげく、死に際になって慰めを求めて女のところに舞い戻ってくる・・」と、男性ペールに手厳しい。 この作品は母息子の関係が強い。 母の子宮から出て再びソルヴェイの子宮に戻る話にもみえる。 これが母娘の関係になると娘の子宮をどう位置づけるかで違ってくる。 また別の輪廻転生物語ができそう。 今日の舞台は旅を双六遊びにして子供たちがペールを動かしていく。 劇中劇ね。 子供をみると時代は日本の太平洋戦争中にみえる。 ゼロ戦で遊んだり、防空頭巾を被っての空襲場面もある。 でも作品との繋がりは弱い。 雑音に聞こえてしまった。 どうしても男性形に拘りたいのね。 そして旅物語で終わらない面白さは悪魔(釦職人)や魔王(閻魔大王)がペールに審判を下そうとする終幕があるからだと思う。 此岸と彼岸の境界まで旅が広がり死が迫ってくるから。 そこではキリスト教価値観を越え観客のカタルシスは倍増する。 衣装は中高生向きだが気にならない。 ソルヴェイが指揮者というのも面白い。 今回もとても良く出来ていて期待を裏切らなかったわよ。 *SPAC秋春のシーズン2022作品 *劇場、 https://spac.or.jp/au2022-sp2023/peer-gynt2022

■私の一ヶ月

■作:須貝英,演出:稲葉賀恵,出演:村岡希美,藤野涼子,久保酎吉ほか ■新国立劇場・小劇場,2022.11.2-20 ■オモシロイと言ってよいのか、ツマラナイと言ってよいのか、不思議な舞台でした。 複雑な構造をしている。 空間が三つに分けられ時間も過去と現在が交差する。 そこに誰かの思い出らしき過去も入る(?)。 母と娘の交換日記の佳境場面ではジワツと感動がきました。 しかし観終わった後にはそれが遠のいていく。 日常生活によくある一時的な非日常のような作品です。 母の泉と二人の子、明結(あゆ)と拓馬、それに祖父母の実と美由紀が伊川家の構成かな? 途中、明結が「拓馬オジ」(?)と言ったので困惑、そして「拓馬は明結のお守りを・・」という台詞に混乱。 やっと拓馬が明結の父親と分かる。 科白に訛があるので聞き違えが多分にあったようです。 拓馬の行動は異常にみえる。 なぜコンビニで何回も買い物をするのか? 観客を脅迫的にさせます。 彼は自死をしたらしい。 家族がいくら語ってもしかし、それが行動と繋がらない。 「拓馬を利用した」。 この台詞が全体に当てはまってしまった。 司書である佐藤と明結と拓馬の関係は人工的だが気になりません。 「私の一ヶ月」は感動の日記に繋がり文句のない題名です。 実験的な舞台にみえました。 巧く言えませんが。 ワークショップの賜物でしょうか? この流れを作ることができれば芝居世界がより広がります。 母娘の親密な関係が光っていました。 *NNTTドラマ2022シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_024425.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、稲葉賀恵 ・・ 検索結果は3舞台 .