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■ばらの騎士

■作曲:R・シュトラウス,指揮:S・シュルテス,演出:ジョナサン・ミラー,出演:A・シュヴァーネヴィルムス,J・リン,S・アタナソフ,C・ウンターライナ,A・ブリーゲル ■新国立劇場・オペラハウス,2015.5.24-6.4 ■なかなかの演奏だった。 ウィーン風緊張感もあったわ。 指揮者が良かったのね。 元帥夫人の「物思い」が後々まで漂っている舞台だった。 この二人が今日の主役よ。 そして壁厚のある美術構造はこの劇場にとても合う。 浮かんでいる天井の断片にも「時の移ろい」が見える。 オクタヴィアンが少し子供っぽい。 ズボン役は観客が持っている思いの落差が出てしまうから大変ね。 夫人やオックス男爵との精神的な断絶がありしっくりこない。 ドイツ語のせいもあるかもね。 日本人歌手たちも溶け込めない。 硬さのある写実感がでてしまっていたわ。 パーフェクトを狙うのは大変。 演奏と歌唱を堪能したから良しとしましょ。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150524_003709.html

■うむすな-歴史いぜんの記憶-

■振付:天児牛大,出演:山海塾 ■世田谷パブリックシアタ,2015.5.29-31 ■2012年作品です。 先週観た新作「 めぐり 」との二本立てになっています。 砂漠の中、シルクロードを旅しているようでした。 その旅も広がりいつのまにか月面で踊っているではありませんか! 斜めからの照明で砂跡が月面のようでした。 しかも終幕、黒から白に背景が変わり白金のごとく光輝く金星へ舞台を移してしまった! まさに金星舞踏です。 シルクロードから太陽系へと連なる面白い展開だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150520-3050.html

■ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

■作:トム・ストッパード,演出:鵜山仁,出演:浅野雅博,石橋徹郎 ■OFFOFFシアタ,2015.5.4-31 ■場内に入ると配役が幕に写し出されている。 クローディアス、ハムレット、ボローニアス・・そして二人の名前が載っている。 「ハムレット」をローゼンクランツとギルデンスターンの視点から描く芝居らしい。 ハムレット以外を主役にする発想は面白い。 でもこの二人は考えられない。 予期しない死が訪れるというのに軽く観過ごしてきたからである。 舞台を観ながら申し訳ない気分になってしまった。 しかも二人はハムレットに計画的に殺されるのだ。  「今日も無事に過ごせますように・・」と一人が祈る。 二人は予め殺されることを知っているかのような振る舞いをする。 「ゴドーを待ちながら」を観ているのではないか!?と錯覚するような場面が続く。 手紙も開封してしまう。 彼らは逃亡も考えないし、もちろん自殺を試みることはしないしできない。 旅役者座長が黒子付の人形として登場する。 座長の演劇論が面白い。 そして彼の話が二人に感染していく・・。 ハムレットや母、叔父は映像で登場する。 映像との掛け合いも同期が取れていて楽しい。 「ハムレットを待ちながら」戯れたり哲学風議論をするしかないのは、やはり二人は脇役から逃れられないのだ。 *カンフェティサイト、 http://www.confetti-web.com/detail.php?tid=28279

■ひとよ

■作・演出:桑原裕子,劇団:KAKUTA ■ザスズナリ,2015.5.21-27 ■喪服姿が登場する作品を観るのは久しぶりです。 でも初演が2011年だと知って納得しました。 当時はどの劇団も喪服姿の舞台が多かった。 劇団員に合わせているせいか登場人物に重複が多い。 稲村家族と零細タクシー会社の組合せも驚きです。 そのうえ二つも殺人事件が入っている。 食べる場面が多いのも頂けない。 しかし散乱するストーリーと役者たちを束ねていく力のある舞台は面白い。 演出家も登場しましたが顔を知らなかった。 最初は母親こはるだとおもっていましたが、後でチラシの配役を見たら姉園子でした。 嬉しい誤認ですね。 というのは演出家の演技には劇団をどのようにしたいかが滲み出ているからです。 会場雰囲気からも馴染みの客が多そうですね。 この劇団は5年前に一度観ています。 実はホームドラマ系は好きではないので避けていました。 日本風ダイニングルームが舞台にあると現実に引き戻され気が滅入ってしまうからです。 この作品もそうでした。 ですから現代女性演出家の作品は慎重に選んでしまいます。 今回はいろいろと興味を持って観てしまいました。 *劇団サイト、 http://www.kakuta.tv/hitoyo2015/

■2015年METライブビューイング・ベスト3

・ ニュルンベルクのマイスタージンガ ー ・ メリー・ウィドウ ・ ホフマン物語 *今年のベスト3は以上のとおり。 並びは観劇日順、選出範囲は2014 ・15シーズン初演・新演出のフィガロの結婚、イオランタ、青ひげ公の城、湖上の美人、カヴァレリア・ルスティカーナ、道化師と上記ベスト3の計9作品。 *「 2014年ベスト3 」

■カヴァレリア・ルスティカーナ  ■道化師

■東劇,2015.5.23-29(MET,2015.4.25収録) ■カヴァレリア・ルスティカーナ ■作曲:P・マスカーニ,指揮:F・ルイージ,演出:デイヴィッド・マクヴィカー,出演:M・アルヴァレス,E=M・ヴェストブルック,G・ギャグニッサ ■四方が壁に囲まれた暗くて大きな室内に椅子と机が置いてあるだけの簡素な回り舞台。 貧しい衣装だけがシチリアとわかるの。 夫が昔の恋人と付き合っているけど、妻の陰口で恋人の夫と決闘になり夫は殺されてしまうストーリよ。 曲に伸びと力強さがあって愛憎物語に崇高さを与えている。 指揮者は感情まで表現していると言ってたけどそこまで分からなかった。 ヴェストブルックは少し違和感があったわ。 シチリアとは違う北欧の暗さが漂っていたからかもしれない。 間奏曲は有名だけど舞台は間が抜けたみたい。 主役を除いて余計な動きが多過ぎる。 でも決闘で幕が閉じるから少しくらい転んでも様になる作品ね。 ■道化師 ■作曲:R・レオンカヴァッロ,指揮:F・ルイージ,演出D・マクヴィカ,出演:M・アルヴァレス,P・ラセット,G・ギャグニッサ ■床一面に広げられた道具類には圧倒されてしまった。 ネッダは洗濯桶で下着を洗っているんだから凄い。 でもP・ラセットは絵になっていたの。 ヴェリズモの前にネオリアリズモを思い起こすような風景だわ。 妻が浮気をしたので、劇中劇の浮気場面で道化役の夫は妻役の妻を本当に殺してしまう・・。 この劇中劇が曲者なの。 面白い、でも漫画ね。 劇中劇だけが宙に浮いてしまった。 落差を出して最後のセリフを劇的にしたかった? 演出家D・マクヴィガの意図はわからない。  NNTT(2014年) と比較してもMETは混乱している。 *METライブビューイング2014作品 *作品、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_10

■めぐり-海の賑わい、陸の静寂-

■振付:天児牛大,出演:山海塾 ■世田谷パブリックシアタ,2015.5.20-24 ■久しぶりの山海塾、しかも新作です。 古生代ウミユリの化石の壁と敷き詰めた土が、遠くメソポタミアやエジプトの古い時代を思い起こさせます。 床が澄み切った青の照明で海に、乾いた黄色で砂漠のように変化します。 終幕の「回帰」ではゆったりとした動きと悠久の音楽で舞台に沈み入ってしまいました。 「陵」は天児牛大のソロでしたが、なんと映画音楽?が流れるではありませんか。 前後から切り離されています。 これが良かったのかどうか何とも言えません。 「予兆・静寂・振動」場面のダンサーが身体をブルブル震わせる動きは面白かった。 アフリカ大陸の営みにみえてしまいました。 この作品はオリエント世界を飛び回って来たような観後感を持てます。 山海塾の舞台はいつも乾いています。 舞踏の持っているネットリ感がありません。 海外でも人気のある理由しょう。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150520-3050.html

■海の夫人

■作:H・イプセン,演出:宮田慶子,出演:麻美れい,村田雄浩ほか ■新国立劇場・小劇場,2015.5.13-31 ■不規則な床板で色の少し褪せているテラスが素敵ね。 前半は物語を組み立てようと躍起になっているのが見て取れた。 でもあまり気にならない。 演出に余裕が出ていたからだと思う。 船乗りは幽霊かもしれない? 筋を知らないから先をいろいろ想像しちゃった。 エリーダが見知らぬ男と出会った場面でル・グウィンの「ゲド戦記」を思い出したの。 肝心な所で別の作品を想起することはよくあるのよ。 自由や責任を論ずるというよりエリーダの魂の解放や世界の回復と捉えてしまった。 見知らぬ船乗りはエリーダを脅かし続ける自身の影かもしれない。 しかもエリーダの夫や子供たちへの無関心な態度にはある種の自由が感じられた。 子供たちには辛いけど・・。 彼女はイプセン世界の人ではない。 夫を選択するクライマックスでヴァンゲルとの方向がズレてしまった原因はこれね。 結婚は売買でも、この作品がそうだけど最高の贈与に変換する力を持っているの。 エリーダは自身の影を得て売買を贈与に変えることができた。 ボレッテとアーンホルムの婚約も同じ道を歩もうとしているようね。 沼地で鯉の比喩を持ちだして海の香りが消えてしまったけど、海は世界への扉として舞台を最後まで包みこんでいた。 それとリングストランとヒルデの動きと科白はスパイスのように効いていたわよ。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150501_003733.html

■二十日鼠と人間

■作:J・スタインベック,演出:アンナ・D・シャピロ,出演:J・フランコ,L・ミースタ,C・オダウト ■日本橋・東宝シネマズ,2015.5.15-20(イギリス,2015年作品) ■1930年代のカリフォルニア、農場出稼ぎ労働者ジョージとレニーが主人公である。 西部劇が崩れ去った後のような舞台だ。 二人は自分たちの農場を持ちたいと夢を語る・・。 この時代や西部の知識が無い為かとても新鮮にみえる。 農場で働く労働者の言葉の遣り取りや感情表現が力強い。 人間関係が直截で気持ちが良いくらいだ。 二人の野宿場面のくだらない一言一言さえもスクリーンを凝視してしまった。 まさに生きている日常会話である。 但しこれには仕掛けがある。 レニーの頭を少し弱くしている。 これで純粋世界に入っていける。 そして解説者も言っていたが、この作品はスタインベックの思い出が描かれている。 彼の幼少時代である。 この二つが結びついて面白い舞台味を出すことができた。 それは人恋しさを他者に素直に打ち明けることのできる豊かさだろう。 人恋しさは夢を語る必要条件だから。 さあ「夢のカリフォルニア」ヘ! *NTLナショナル.シアター.ライブ作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/81581/

■椿姫

■作:G・ヴェルディ,指揮:E・アベル,演出:V・ブサール,出演:B・ボブロ,A・ポーリ,A・ダサ ■新国立劇場・オペラハウス,2015.5.10-26 ■舞台下手の壁は鏡だから登場人数が倍にみえる。 でも紫の照明が独特な雰囲気を演出していて、広々とした空間に静けさが漂っている感じだわ。 無機質な劇場が余計目立ってしまった。 衣装は良かったけど癖のある美術ね。 ヴィオレッタもアルフレードも最初は調子が出ない。 でも2幕、アルフレードがヴィオレッタを侮辱する場面から声に深みがでてきたの。 上手背後の壁が取り外されたからよ。 壁が音の通りを邪魔をしていたのかな? 若い声のアルフレードは物語に合致しすぎて盛り上がりに欠けるようね。 明るく華やかな音楽にヴィオレッタが背負った寂しさが重なりなんとも言えない感情が湧き上がってくる舞台だった。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150510_003710.html

■聖地X

■作・演出:前川知大,劇団:イキウメ ■シアタートラム,2015.5.10-31 ■何が出るか?驚きの劇団だから粗筋も読まず劇場へ行ったの。 縦波模様の壁に照明が映えていて簡素だけど素敵な美術ね。 シンプルで社会性に拘っている衣装も。 兄と妹、上司と部下の小気味よい対話が現代を巧く捕まえている。 台詞の切れ味の良さと役者の動きの面白さが行き届いていたわ。 積極的に信じることでヒトやモノが出現する事象はSFではよくある。 これをドッペルゲンガーに結び付けたのがミソね。 でも分身たちを強引に一つにする苦労が見えすぎている。 たとえば終幕、差異の解消に3人目の会社員東を作ったことで流れを混乱させてしまった。 この苦労が喜劇にみえる。 データへの過剰依存は舞台を冷えさせてしまう。 結局は科学と宗教の境界線上を歩く戦慄がやって来なかった。 よくできている舞台だったから少し残念。 観後早速にドッペルゲンガーを調べたけど、この言葉の奥には謎が無いかもしれない。 この言葉を選んだ時点で境界線は遠のいてしまったのね。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150510-3089.html

■蒼の乱

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:天海祐希,松山ケンイチ,劇団☆新感線 ■丸の内東映,2015.5.9-(2015.5.9収録) ■出だしは台詞も動きも下手な散文を読んでいる感じです。 でも馬や草原の話は楽しかった。 野田秀樹の「キル」を思い出してしまった。 はたして蒼真が将門御前と名のった場面からが素晴らしい。 一転して劇的ある韻文のようになった。 そして終幕まで一直線です。 祭り事の妙味が生きていました。 朝廷派や将門派・蝦夷派、その派内での立場の相違も絡み合って面白い。 役者達の次の行動はどうすればよいのか? 相手を信じられるか? 観ながら真剣に考えてしまいました。 平将門小次郎は迷い裏切られて死んでゆく。 日本の権力者たちは約束を体系化できない。 しかし大陸から来た蒼真は体系としての契約を仄めかす。 小次郎の愛した草原と風を継いでいく蒼真の姿は解放感に溢れていました。 *ゲキXシネ作品 *作品、 http://www.geki-cine.jp/aonoran/

■明治悪党奇譚

■原案:河竹黙阿弥,作・演出:佐藤伸之,出演:オフィスパラノイア ■「劇」小劇場,2015.5.1-6 ■因果の繋がりを粛々と進めていかないと二時間では終わらない。 強弱リズムをどこに付けるか? 主人公を誰にするのか? この舞台では十三郎とおとせのようだが少し影が薄い。 三人吉三は時代に追いつけず主人公になれない無法者にみえた。 形式的科白が多かった為かもしれない。 お坊吉三は適役だろう。 伝吉は堅気になったら滑らかさが出てきたし、おみやの存在感の面白さには笑ってしまった。 主人公不在の因縁果を積み上げていくと、江戸から明治の変化する時代意識が舞台に現れてくる。 夜鷹や巡査も主人公として組み込まれていくようだ。 下北沢をブラブラ歩きながら思い返してみたが、明治時代の東京湾沿いで何日か生活してきたような観後感だった。 現代からみれば悪党揃いだが、死が身近な当時からみるとちょっと外れた人々の明治庶民群像劇かもしれない。 *CoRichサイト 、 https://stage.corich.jp/stage/63679

■TSURA

■振付:平原慎太郎,出演:ORGANWORKS ■シアタートラム,2015.5.4-6 ■平原と7人のダンサーが登場。 切れ味の良い動きで緊張感がありましたね。 やはり季節柄カラダの応答も速いのでしょう。 ダンサー間の反射的動きが一つの形として完成されていました。 この関係をTSURA=面として結び付けたのでしょうか? 音楽家と美術家を新しく招いたと書いてありました。 正解です。 良き緊張感はこれが近因でしょう。 鐘や笛のような響きのある音と、スモークの中に青を含んだ強い光が独特な空間を出現させていました。 虫の音でしょうか? 凝縮された光と漂う音の融合が面白い。 ここの凸型舞台の欠点が出ていた。 凸がダンサーに制約を与えていました。 大きな動きは少なかったのですが一旦停止するような印象を受けました。 ところで平原の体がひとまわり大きくなりましたか? カーテンコールを全速力で走り出て走り去るのにも力強さがでていた。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150504-1561.html

■觀-すべてのものに捧げるおどり-

■振付:林麗珍,出演:無垢舞蹈劇場 ■静岡芸術劇場,2015.5.2-3 ■女性ダンサーはエリマキトカゲのようなショールを被り長い爪をカチカチさせ、男性は頭に2メートルもある細長い羽をつけ手に槍を持っているの。 白と褐色の肌が溶け合う雌雄の交尾、雄同士の激しい戦い、飛び跳ね回る身体、雌と出会った思い出だけの短い命・・。 昆虫の喜びや哀しみを体感できた! その昆虫世界より先の純粋世界に行ける力ある形も持っているの。 それは自然を昇華した動きに連なる。 腰をかがめてゆっくり歩く姿を見ていると物理時間から解放されていくようだった。 人間世界から、そして昆虫つまり自然世界からも離れることができる。 静かに深く、より遠くまで行くことができる舞台って最高ね。 *劇場サイト、 https://spac.or.jp/fuji15/song-of-pensive-beholding