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■旗を高く掲げよ

■作:古川健,演出:黒岩亮,劇団:青年座 ■青年座劇場,2017.7.28-8.6 ■1938年、歴史教師ハロルド・ミュラーは親友の勧めでナチス親衛隊(SS)事務部門に転職する。 彼は乗り気ではなかったが給与も上がるし妻や娘もその社会的地位を喜ぶからです。 彼は次第にエリート集団であるSS組織の実力主義や新規事業に馴染んでいく。 「普段でも制服を着ていないと落ち着かない」と。 悩みながらもSS経済管理本部で中佐、大佐と昇級の道を進んでいきます。 舞台中央に大きな国民ラジオが置いてありト書きのようにニュースや音楽、群衆の歓喜が聞こえてくる。 シークエンス間をラジオスイッチのオンオフとフェードアウトで物語を繋ぎ合わせリズム有る流れになっています。  場所はドイツですが日本に置き換えても不都合にはみえない。 戦争遂行国の国民の姿を定式に当て嵌めたような作品にみえます。 戦時での多くの民の行動はこうなる。 ユダヤ人や身体障がい者が周囲から次第にいなくなっていくのを見て見ぬ振りをすることです。 都合の良い情報だけを選んでいき無意識的に差別をやり過ごす。 終幕、米国に逃げていたユダヤ人友人がこれに近い言葉をミュラー夫妻にぶつけます。 二人は自殺未遂に追い込まれたにも関わらずドイツ冷戦時代を今までと同じように善良な市民として生きていくのでしょう。 *劇団サイト、 http://seinenza.com/performance/public/227.html *「このブログを検索」キーワード、 古川健 *2017.8.3追記。 夕刊に大笹吉雄が「ハロルドの歴史教師という設定が生かされていない・・」と書いている。 ハロルドはアーネンエルベ(祖国遺産協会)と関係していたことはそれとなく語られるが彼の歴史観は実際よく分からなかった。 「日本人が外国の歴史を素材にする意味が無ない」と大笹は厳しいところを突いてきます。 ハロルドを一般市民とは言わせない!ということでしょう。

■パリ・オペラ座-夢を継ぐ者たちー

■監督:マレーネ・イヨネスコ,出演:M・ガニオ,A・ルテステュ,U・ロパートキナ,オニール八菜,W・フォーサイス ■Bunkamura・ルシネマ,2017.7.22-(2016年作品) ■バレエ9作品の片鱗を繋ぎ合わせて練習風景に焦点に合わせたドキュメンタリー映画よ。 中心に立つのがアニエス・ルテステュ。 彼女が指導を受けた師の話を散りばめながら今の若いダンサーを教授するところが映し出されるの。 監督マレーネ・イヨネスコは同じような映画を沢山撮っているので観たのかどうか混乱してしまう。 何回みても気にしないけどネ。 マチュー・ガニオが初めてサンクトペテルブルクで「ジゼル」を踊る場面は、彼のジゼル論について、ロシアバレエについて、本番での心構えなどが語られドキュメンタリーの面白さが十二分に引き出されていた。 ロシア関係者が彼を再び招待したいと言っていたけどその理由が「堂々としていた」から。 トップダンサーを褒める核心の一言だとおもう。 再びガニオだけどギレーヌ・テスマーから「パキータ」を教わっている所も面白い。 テスマーの優しくて的確な指摘をガニオに与えていくけど教え方がとてもリズミカルなの。 それと「愛の伝説」のウリヤーナ・ロパートキナの骨と筋肉だけでできた細い身体はいつみても惚れ惚れするわね。 ところでルテステュはルドルフ・ヌレエフの指導は素晴らしかった、フォーサイスは天才だ、と言っているけど抽象的すぎてよくわからない。 しかも「PAS/PARTS」練習中の彼女はシックリ踊っていない。 「ラ・バヤデール」を若いダンサーに教えている場面でも感情表現の説明が的を突いているようには聞こえなかった。 教師としての言葉を彼女はもっと磨く必要があるわね。 *作品サイト、 http://backstage-movie.jp/ *「このブログを検索」キーワード、 マレーネ・イヨネスコ

■Penalty killingーremix ver.-

■作・演出:詩森ろば,出演:粟野史浩,森下亮,三原一太ほか,劇団:風琴工房 ■シアタートラム,2017.7.14-23 ■アイスホッケーは氷球と書くらしい。 氷上の格闘技とも言う。 これを聞いたとき舞台に一番マッチする団体競技だと感じました。 競技場が大きい種目は動きと対話が拡散して工夫を凝らしても舞台の迫力は減ってしまう。 個人競技ではモノローグの多いボクシングが最強でしょう。 やはり条件は格闘技です。  ストーリーはスポ根つまりスポーツ根性に近い。 このため試合が近づくにつれ段々と面白くなってくる。 監督と選手、選手同士の意見の対立と協調が激しくぶつかるからです。 そして試合というクライマックスが必ず有るのも物語構造として申し分ない。 その頂点をダンスでまとめるとは面白い。 格闘ダンスですね。 よくぞここまで考えたものです。 役者の動きや科白のタイミングは素晴らしい。 演劇にダンスを入れる方法は今の劇団なら失うものより得るものの方が多い。 風琴工房は何が飛び出すかわからない劇団ですね。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/82067 *2017.7.25追記。 作品の公式サイトみました。 実際のアイスホッケーチームをじっくり取材して作り上げたのでリアルに感じられたのですね。 舞台の盛り上がった理由が分かりました。

■ダンサー、セルゲイ・ポルーニン

■監督:スティーヴン・カンター,演出・撮影:デヴィット・ラシャベル,出演:セルゲイ・ポルーニン ■新宿武蔵野館,2017.7.15-(2016年作品) ■突然いなくなってしまったセルゲイ・ポルーニンのドキュメンターを観ることができて嬉しい。 ポルーニン自身の言葉から、家族や友人の話から彼の生い立ちや今の姿がみえてくる。 10歳を過ぎた頃からダンサーになるために生まれてきたのが素人目にもわかる。 19歳でのロイヤルバレエ入団時の実力はプリンシパル以上だわ。 それがあっという間に崩れてしまった。 いくつもの薬を飲み舞台に向かう姿は凄絶としか言いようがない。 「ポルーニンには子供時代が無かった」。 彼の親友(名前は忘れた)の言葉に頷いてしまったの。 子供時代は人生の宝よ。 そして家族の離散から彼は目標を見失ってしまう。 ポルーニンは両親、特に母と対峙していく。 ダブルバインドから抜け出せない。 彼はロシアに戻りバレエ団監督(名前は忘れた)に師事するの。 これは父親不在の補完で母親との関係の繰り返しかもしれない。 この作品は母と和解したようにして終わっているけどそうは見えなかった。 全てをバレエに捧げてきたことが素晴らしいことだったと心から納得するまではね。 それはいつか来る。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/dancer/

■パリ・オペラ座「バレエ・リュス」

■指揮:ヴェロ・パーン,演奏:パリ・オペラ座管弦楽団,出演:パリ・オペラ座バレエ団 ■Bunkamura・ルシネマ,2017.7.15-21(パリ・オペラ座ガルニエ宮,2009.12収録) (以下より上映4作品のスタッフ&キャスト,感想) □ばらの精 ■振付:ミハイル・フォーキン,出演:マチアス・エイマン,イザベル・シアラヴォラ ■甘ったるい感じが舞台に出ている。 バラの精のどこかダラリとしているような雰囲気がいい。 腕や手のふりつけが中途半端にみえるところも楽しい。 笑ってしまった。 背景中央から緑の壁、窓そしてカーテンの構成と色そしてソファーの形も申し分ない。 終幕、少女?の夢だったのが全てを許す気分になれる。 □牧神の午後 ■振付:ワツラフ・ニジンスキー,音楽:クロード・ドビッシー,出演:ニコラ・リッシュ,エミリー・コゼット ■この作品は何回か観ているがここまで原演出?に沿った舞台は初めてである。 牧神もニンフも横顔しか見せない。 しかも歩き方に拘っている。 牧神が拾ったニンフの衣装へのフェティシズム表現が面白い。 笑ってしまった。 □三角帽子 ■振付:レオニード・マシーン,美術:パブロ・ピカソ,出演:マリ=アニエス・ジロ,ジョゼ・アルティネズ,ファブリス・ブルジョア ■舞台美術や衣装はピカソらしい。 単純で伸びのある村の平面風景と衣装のキュビズム的立体感がマッチしている。 特に代官たち衣装の縦じま模様が際立つ。 音楽と振付も楽しく共鳴している。 スペイン風ロシア風フランス風田舎舞台は当時都会へ出てきた観客なら故郷の祭りを思い出しただろう。 □ペトルーシュカ ■振付:ミハイル・フォーキン,音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー,出演:バンジャマン・ペッシュ,クレールマリ・オスタ,ヤン・ブリダール ■見世物小屋周辺の群衆と群舞は素晴らしい。 玩具箱をひっくり返したような人物たちの踊りは飽きさせない。 下町の遊園地のようだが民族が交差する市場の一角にもみえてしまう。 3人のパペットはバレリーナを除いて人形らしくない。 もっと強調すれば一層面白くなるだろう。 今回の4本をみると当時の人々は「バレエ・リュス」に新鮮な驚きを見たはずだ。 バレエというより総合芸術と

■怒りをこめてふり返れ

■作:ジョン・オズボーン,翻訳:水谷八他,演出:千葉哲也,出演:中村倫也,中村ゆり,浅利陽介,三津谷葉子,真那胡敬冶二 ■新国立劇場・小劇場,2017.7.12-30 ■LDK一部屋だけの奥行ある舞台は距離感が掴めなくて目眩がする。 大きな倉庫を改築したような感じね。 でも幕が開いたとき登場した役者が巨人のようにみえてビックリ! 慣れるまで時間がかかったわ。 ジミーが怒っている理由が解らない。 とにかく怒りっぱなしなの。 同居人はこれに慣れているみたい。 女優ヘレナが登場してからジミーの怒りの中身が少し見えてきた。 彼は思っていたより正面だということが。 そして彼は父親が亡くなった時の話をするの。 一人で父を看病したこと、ちゃんと葬儀をしたこと等々をね。 そしてここが怒りの発生場所だったことを彼自身が話すの。 でも理解も納得もできない。 新たな疑問よ。 次に病気で倒れた友人の母を見舞いそして葬儀をしてくる彼はとても律義のある人にみえる。 しかも彼は供花も送らない妻アリソンに不満をもらす。 教会の鐘は煩いと言っていながら宗教のある面は保守的にみえる。 階級についても制度で人々が固まってしまった考えや行動に対して怒っているようにみえる。 彼が妻アリソンを見初めたのは彼女がその中で自由にみえたからなの。 彼は制度そのものより運用や方法にケチを付けているみたい。 終幕、妻アリソンとの仲直りも今ある制度の中で慎ましくそして怒りながら生きて行こうとするようにみえてしまった。 この一線を越えないのが帝国崩壊や階級格差の1950年代英国を生き抜く知恵だったのかもよ。 制度と自由への彼の考え方だとおもう。 そして新聞とラジオだけのゆるやかな情報とロンドン近郊の田舎暮らしそれにキャンディ売り(?)がそれを可能にした。 登場人物5人は夫々の持ち味が生きていてとても楽しく観ることができたわ。 役者の個性も際立つ作品ね。 *NNTTドラマ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007983.html

■深く青い海

■作:テレンス・ラティガン,演出:キャリー・クラックネル,出演:ヘレン・マックロリー,トム・バーグ ■TOHOシネマズ日本橋,2017.7.7-13 ■1950年頃のロンドン。 舞台はアパートを縦切りにして1階と2階住人の動きが分かるようにしているが暗い青色系照明のためはっきりしない。 「・・何不自由なく夫と暮らしていたへスターだったが、元空軍パイロットのフレディに心を奪われ駆け落ちしてしまう。 しかしフレディの愛に物足りなさを感じた彼女は・・」。 1階に住む主人公ヘスターの睡眠薬自殺に失敗する場面から始まる。 夫婦の愛を確かめる話のようだ。 夫フレディは妻ヘスターを嫌ってはいないが「感情の葛藤から逃れたい」普通の男にみえる。 反して妻には愛が残っているようだが複雑だ。 判事である前夫ウィリアムはヘスターに戻って来いと言うが彼女は従わない。 イギリス独特の雰囲気がある。 戦勝国の奇妙な余裕を描いているが米国とは違う。 画面の観客が笑う場面の半分は理解できない。 「イートンスクゥエア」で笑うのは何故か? ミラーを含めアパート住人たちの科白はヘスターが何者かを掘り下げてくれない。 結局は三人の対話に集中していく。 インタビューで演出家は夫フレディを持ち上げていたが彼は人並である。 謎はない。 この演出家の勘違いがそのままヘスターの複雑さをまとめ切れなかった。 謎としてもだ。 このブログを書いている間もヘスターがどういう人間だったか輪郭がどんどん薄れていく。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *作品サイト、 http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/56769-the-deep-blue-sea *「このブログを検索」キーワード、 ラティガン

■湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)

■作:深津篤史,演出:坂手洋二,劇団:燐光群 ■ザスズナリ,2017.7.6-19 ■湾岸線は新しさが高架下は古さが感じられます。 混ざり合ったタイトルの風景がよくみえない。 高架下はともかく湾岸線に住んだことが無いためかもしれない。 舞台はその近くのアパートの一室らしい。 登場人物も下着姿でいることが多い。 上手には四角い金魚鉢が置いてあります・・。 月曜午前4時、部屋に二人の男と一人の女。 火曜日午前4時、男一人と女3人。 水曜日午前4時、・・若干の違いはあるが以降は覚えていない。 これが金曜日まで15分前後の5場面で構成されている。 仕事のことや互いのカラダのこと、窓からみえる動かない浮浪者を思ったり、人皿で宴会をしたり、友人の爆弾製造の話などが続く。 会社を辞める話が2・3度あったが仕事に対する鬱積したものが底辺にあるようです。 爆弾製造もこれに関係しているらしい。 そして多くの対話は短い。   燐光群は元気のいい劇団です。 芝居を観るといつも元気がでる。 作者深津篤史は知らないがこれはもっとジットリ感を出す作品ではないのか? 観ながらそう思いました。 でも演出家は役者たちのカラッとした身体と言葉で作者を乗り越えようとしている。 燐光群らしい。 これも現代を生きる男と女の「エロスとタナトスに満ち隠れた」一面だと言わんばかりに。 *「深津篤史演劇祭」参加作品 *劇団サイト 、 http://rinkogun.com/wangansen.html *「このブログを検索」キー、 深津篤史 *2017.7.12追記。 配布のチラシには湾岸線や高架下の風景そして動かない浮浪者は阪神淡路大震災に関係しているらいしと演出家が言っている。 しかも地震は午前5時過ぎに起きている。 作者も震災被害を受けたらしい。 これを知ってタイトル風景の謎がみえてきました。

■子午線の祀り

■作:木下順二,演出:野村萬斎,音楽:武満徹,出演:野村萬斎,成河,河原崎國太郎,今井朋彦,村田雄浩,若村麻由美ほか ■世田谷パブリックシアター,2017.7.1-23 ■前半の平知盛と親族や部下との議論や駆引きが楽しい。 舞台に吸い込まれてしまった。 同時に衛星としての月の話や舞台背景の北斗七星その先の北極星を眺めていると源平合戦が小さな塵のようにもみえてくる。 宇宙を感じさせてくれる作品である。 後半、壇之浦の戦いに入っていく。 義経(成河)の身体性を伴う早口の声が気持ちいい。 動機として声が源氏の立ち位置をはっきり現わしていた。 しかし話が進むほど緊張感が逃げていくのは何故だろう? 戦闘場面の解説が多くて科白が単純になってしまったからだとおもう。 もう一つ知盛(野村萬斎)が声にこぶしを効かせてしまったのがいけない。 調子が出過ぎたようだ。 淡々と演ずるのがいい。 この芝居は「山本安英の会」で観た記憶がある。 今回は役者の動きが激しかったせいか終幕の影身(若村麻由美)の言葉で宇宙の静と人の動の対比の遠さを面白く感じ取ることができた。 作品の良さを引き出したダイナミックな演出だった。 *世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201707shigosen.html *「このブログを検索」キー、 野村萬斎 *2017.8.2追記。 夕刊に池澤夏樹の記事が載っていた。 「古川日出夫訳にしたらどうか?」 現代訳に近いので観客はついていけそうだが。 「月の運行や愛馬の話で項羽本記を思い出した・・、平家物語の作者は史記を参照したのだろう」。 「この作品は左翼のルサンチマンがちらつく。 ・・大杉栄や荒畑寒村、管野スガの「冬の時代」をみたい」。 なるほど。

■血の婚礼  ■フラメンコ組曲  ■カルメン

■原作:F・G・ロルカ,振付:アントニオ・ガデス,芸術監督:S・アラウソ,出演:クリスティーナ・カルネロ,アンヘル・ヒル,アントニオ・ガデス舞踊団 ■振付・照明:A・ガデス,芸術監督:S・アラウソ,出演:ステラ・アラウソ,ミゲル・ララ,A・ガデス舞踊団 ■原作:P・メリメ,振付:A・ガデス,カルロス・サウラ,芸術監督:S・アラウソ,出演:バネッサ・ベント,アンヘル・ヒル,A・ガデス舞踊団 (以上タイトル順3作品のスタッフ&キャスト) ■東京都写真美術館,2017.7.1-14(マドリード王立劇場,2011年5月収録) ■テアトロ・レアルを見るのは初めてかもね。 劇場ファサードと周辺の景観、豪華な金銀色の場内装飾どれもが素晴らしい。 様式美からくる感動がある。 これはスペインの「能」ではないかしら? 最初にみた「血の婚礼」は特にそうおもう。 でも物語からくる感動は少ない。 決闘で二人が倒れ花嫁が悲しむ場面も、嫉妬に狂ったドン・ホセがカルメンを刺す場面も静かな感情でみてしまったからよ。 それより女性ダンサーの肉体が生々しい。 「カルメン」の群舞は闘鶏場の鶏たちにみえてしまった。 野性味満点だわ。 その中で「フラメンコ組曲」の最初の作品に登場した小太りオバサンのようなダンサーは凄い。 生々しさを技巧的境界線上で昇華して踊っていた。 身体が崩れそうで崩れない。 帰って調べたけど多分この人がステラ・アラウソかもしれない。 衣装も明暗のある照明に映えていたわね。 黒のマンティージャを付け扇子を持つカルメンを舞台でみるのは初めてかな? そして闘牛士が歪んだ鏡の前で衣装を着けていく場面も様になっていた。 舞台はミニマムだけどスペインがギュッと凝縮されていた3作品だったわ。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/movie-2810.html

■さよならだけが人生か

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアター,2017.6.22-7.2 ■「劇団の出世作だ」とチラシに書いてある。 観ていて分かる気がしました。 それは・・ 「・・もっともくだらない人情喜劇を描いている」と言ってるが恋愛と結婚のことのようです。 でも恋や愛の二人称ではなくて他者を介する恋愛つまり噂話のようです。 これでくだらないと言っているのでしょう。 それでも具体でも抽象でもない話が延々と続いていく気持ち良さが既にみえています。 青年団の舞台では「うるさい人」がよく登場する。 彼らは目立たないようにしてエンジンを吹かせストーリーの速度調整や観客の眠気を覚まします。 しかしこの作品の「うるさい男」は出突っ張りでしかも五月蠅い。 「静かな演劇」への過度期の面白さがあります。 そして縄文人が陰で動いている。 仮面を付けての登場で観客を別の世界へ連れて行ってくれる。 その入口で縄文人が現れるのを待つ。 舞台の原点が取り込まれています。  以上3点が上手く生きていた。 役者の入退場や科白も邪魔をしていません。 出世作に納得です。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/03/76.html

■レミングー壁抜け男ー

■作:寺山修司,演出・音楽:J・A・シーザー,高田恵篤,劇団:演劇実験室◎万有引力 ■座高円寺,2017.6.23-7.2 ■役者たちは寺山修司を咀嚼しながら演技をしているようにみえた。 丁寧に作られていて分かり易い舞台だった。 古めかしいシュールな美術で舞台を覆いながら、カフカとサルトル、郵便の取扱い方や時刻のお知らせ、鉱石ラジオやダンヒルライター、肩にはJALバッグそして牛乳の飲み方から終幕の通のアジテーション等々が1960年代を連れて来る。 今もあり続ける壁を崩すために! 「1989年、壁が無くなったと思った・・。 それから28年、壁はより強固になり・・、壁信仰の現代人内面を問う!」(高田恵篤)。 この作品は数回観ている。 紀伊国屋ホール1982年12月12日公演、終幕での闇の声がまだ耳に響いているなかホールを通ると、そこに寺山修司が横になっていた。 一瞬彼の顔の黄土色に目がいく。 「(だめかな・・・・)」。 何人かが取り囲んでいたが一般客は皆うなだれて無言でホールを後にしていた。 もう一度振り返って寺山修司の顔を見ようとしたができなかったことを覚えている・・。 *天井桟敷・万有引力創立50周年記念公演第2弾作品 *劇場サイト、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1694