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(中止)■カノン

■作:野田秀樹,演出:野上絹代,出演:中島広稀,さとうほなみ,名児耶ゆり他 ■東京芸術劇場.シアターイースト,2020.3.2-15 ■「・・新型コロナウイルスの感染症拡大のリスクを低減する観点から、やむなく公演を中止・・」。 メールが届いたわよ。 チケ購入後の中止は3本になってしまった。 *劇場サイト、 https://www.geigeki.jp/performance/theater227/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 野上絹代

■星の王子さま

■作:サン=テグジュペリ,演出:レオニード.アニシモフ,テキスト:アリエ.ヴァレ,ムーブメント:山本光洋ほか,劇団:東京ノーヴイ.レパトリーシアター ■東京ノーヴイ.レパートリーシアター劇場,2020.2.28-3.1 ■詩的な舞台です。 中世日本や古代中国の衣装を着て、暗い中をゆっくりと歩く役者にスポットを当て、発声は抑えて淡々と喋り、さり気なく形を見せる動きは様式の美学を感じさせます。 太夫らしき身なりの語り手が、下手に座って物語を進めていく。 王子だけ白マスクを被っての登場です。 合わせた白衣装がフランス映画で見るパントマイム芸人を思い出させてくれる。 上手に座っている音楽隊の着物も白系のようです。 「たいせつなことはね、目に見えないんだよ・・」。 科白の意味を全体の印象感覚から捕えようとしている。 原作を読んでジワッと感動していれば、その記憶が舞台印象と補足し合って深みが増すはずです。 先日の「 宣告 」とは逆ですね。 「読んでから観ろ、・・」が似合う舞台です。 *第30回下北沢演劇祭参加作品 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/102747

(中止)■ねじまき鳥クロニクル

■原作:村上春樹,演出・振付・美術:インバル・ピント,脚本・演出:アミール.クリガー,演出:藤田貴大,音楽:大友良英,出演:成河,渡辺大知,門脇麦,大貫勇輔ほか ■東京芸術劇場.プレイハウス,2020.2.11-3.1 ■うーん、公演中止になっちゃったわね。 これで二本目よ。 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/20200211p/

(中止)■シッラ Silla

■作曲:G.F.ヘンデル,台本:ジュアコモ.ロッシ,演出:彌勒忠史,美術:tamako☆,衣装:友好まり子,指揮:ファビオ.ビオンディ,出演:ソニア.プリナ,ヒラリー.サマーズ,スンヘ.イム他,管弦楽:エウローパ.ガランテ ■神奈川県立音楽堂,2020.2.29-3.1 ■日本初演で楽しみにしていたが中止になってしまった。 チケット購入後に私事都合や主催都合で観られなくなったのは今年になって初めてよ。 出演者がインフルエンザに罹患しての中止は有るが感染防止理由は初めてね。 今のところこの一本だけ、でも長引くとやばい。 *音楽堂開館65周年記念作品 *劇場サイト、 https://www.kanagawa-ongakudo.com/detail?id=36013

■亡霊たち、再び立ち現れるもの

■原作:ヘンリック.イプセン,翻訳・演出:毛利三彌,出演:久保庭尚子,西山聖了,中山一朗,高山春夫,藤井由紀,劇団:CAPI ■こまばアゴラ劇場,2020.2.20-3.1 ■幽霊だとヒュードロドロになってしまう。 亡霊のほうが合いそうだ。 舞台を観ていたらストーリーも追うように思い出してきた。 奇妙な感覚だ。 気にかかったことをまとめると・・。 ・母ヘレーネの息子オスヴァルへの愛がこんなにも盲目的だったのか!? ここに彼女の亡霊の源泉があるのかもしれない。 ・オスヴァルを簡単に捨てるレギーネの竹を割ったような性格に戸惑ってしまった。 二人は外の世界へ行こうとしていた同志だ。 外れたオスヴァルはもはや不要になったのか!? ・オスヴァルが終幕に母ヘレーネと駆け引きをするのは芝居が過ぎる。 母と子の対話で腑に落ちない場面が幾つかあった。 ・孤児院の火災原因は大工エングストランの煙草ではないのか?  エングストランの態度と科白の裏側はそう言っていた。 牧師のマンデルスの態度も平凡すぎる。 ・・などなど。 隙のない舞台だ。 科白の空間(構造)と時間は淀んでいない。 役者もしっかりしている。 <大人>の演劇と言ってよい。 感動もそれに従った。 内に込めたオトナの感動が湧き起こってきた。 それより亡霊が今も立ち現れているのを思い出させてくれたことだろう。 しかもそれが生物学や医学に深くかかわっているのが面白い。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/105255 *「このブログを検索」に入れる語句は、 毛利三彌

■CORPO SURREAL コーポ・シューレアル

■演出:ジェスパー.ベダーソン,音楽:マルコフ,カジワラトシオ,人形師:スベンド.クルステンセン,振付&ダンス:東野祥子,歌手:イザベラ.レイフドッティア,美術:ジョアン.コルクジャー ■スパイラルホール,2020.2.23-24 ■ダンサー東野祥子、人形師クリステンセン、歌手レイフドッテイアの3人が登場するコラボ作品。 人形はマリオネットではなくパペット、それも等身大で精巧に作られているの。 ダンスと人形は衣装や動きに暗さがある。 でも歌手が現れた途端すべてが変わった! 歌手の衣装・歌詞・歌唱そして身体の全てがダンスと人形を吹き飛ばしてしまったの。 何と言ったらいいかしら・・。 うーん、フリークスとは違うがデヴィッド・リンチの世界からやってきた感じね。 でも爽やかさがあるから、もう、歌を聴いただけで最高な気分よ。 ダンサーと人形は歌手の黒子になってしまった。 ところで人形は精巧に作られていると面白さが抜けてしまうのでは? 人形に新しい魂を舞台上で吹き込みたい。 今回は既に入っている魂をそのまま人形遣いが操るだけなの。 感動の質が違ってくるわね。 *劇場サイト、 https://www.spiral.co.jp/topics/spiral-hall/corpo-surreal *「このブログを検索」に入れる語句は、 東野祥子

■宣告

■作:加賀乙彦,演出:菅沢晃,出演:後藤博文,青木克美ほか,劇団:東京ノーヴイ.レパートリーシアター ■東京ノーヴイ.レパートリーシアター劇場,2020.2.20-23 ■薄暗い刑務所内が舞台です。 役者達は声を抑えて話し合う為か素人のようにみえる。 死刑宣告を受けた主人公楠本の執行直前の日々を描いていきます。 いつ来るか分からないから、死を忘れて私たちは生きていけるのでしょう。 分かってしまえば毎日覚悟し続けなければならない。 舞台では宣告を受けて6年も経ってしまった。 この年数を聞いて身体がこわばります。 「死ぬのが怖いか?」。 医師は楠本に尋ねる。 宗教性を感じさせる質問です。 楠本は入信していて死刑前日も神父を招く。 チラシ文章「本当の恐怖は処刑される自分はそれ以外に生き方が無い事なんだ・・」も、献体の話も同じです。 生と死の断絶が大きいほど宗教を緩衝にして物語を進めることになる。 この作品は読んだことがある。 数十年前のことなので内容はともかく衝撃を受けたことを覚えています。 主人公が母の姿を追う終幕の場面はいまでも忘れない(うろ覚えですが)。  観ようか観まいか迷いました。 当劇団はいつも驚きの舞台を見せてくれる。 期待したのですが「読んだら観るな、観たら読むな」でしたね。 悪くはなかったが、宗教をも超えた原作が強すぎる。 *第30回下北沢演劇祭参加作品 *演劇祭 、 https://engekisai.com/archive30/

■瑠璃の舞台ー杉本博司オペラ座への挑戦ー  ■舞踏劇「鷹の井戸」

□瑠璃の舞台-杉本博司オペラ座への挑戦- ■出演:杉本博司,観世銕之丞,語り:高橋美鈴 ■NHK,2020.2.15 ■美術家杉本博司演出のパリ・オペラ座公演「鷹の井戸」の制作映像番組。 杉本は言う、「死生観をもう一度問いたい」「始原に戻りたい」と・・。 彼の作品(写真)には無機から有機が発生するその時の気配が感じられる。 始原の気配を強く意識してしまう。 ここに見応えがある。 さて、舞台の出来はどうだろう? 早速観ることにする(下記に感想)。 *NHKサイト、 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259677/index.html □舞踏劇「鷹の井戸」 ■原作:W.B.イエイッ,構成.演出:杉本博司,振付:アレッシオ.シルベストリン,作曲:池田亮司,衣装:リック.オウエンス,出演:観世銕之,リュドミラ.パリエロ,ユーゴ.マルジャン,アレッシオ.カルボーネ,舞団:オペラ座バレエ団 ■NHK,2020.2.20(パリオペラ座,2019.9.22収録) ■演出家が気にしていた瑠璃色の良し悪しはテレビではよくわからない。 生の舞台を観たいものだ。 老人の銀、若者の金そして井戸を守る鷹の赤、衣装の色と形が面白い。 離散した音玉が時々聴こえる電子音楽も作品に合っている。 長いヒゲは邪魔にならないかな? 腕や手を意識した振付でバレエから離れる。 コンテンポラリー系に近い。 飛天を描いた前半の群舞は照明の都合で見え難かったが後半はまあまあだ、が手首の動きは雑にみえ、指の動きは大劇場では意味をなさない。 若者と鷹のパ・ド・ドゥは申し分なし。 なんと終幕に能のシテが登場する。 老人の生まれ変わりらしい。 カーテンコールの拍手は弱かった。 観客が戸惑っている様子だ。 オペラ座のバレエ舞台に能を乗せたのは演出家のパワーだと思う。 天晴杉本博司! *パリ・オペラ座350周年公演 *NHKサイト、 https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-02-19&ch=31&eid=04822 *「このブログを検索」に入れる語句は、 杉本博司

■アクナーテン

■作:フィリップ.グラス,演出:フェリム.マクダーモット,指揮:カレン.カメンセック,出演:アンソニー.ロス.コスタンゾ,ジャナイ.ブリッジゥ,ディーセラ.ラルスドッティル他 ■新宿ピカデリー,2020.2.21-27(MET,2019.11.23収録) ■ジャグリングを舞台に乗せるとは面白い。 大道芸人がボールやクラブを空中投受させ動きを繰り返す曲芸のことね。 フィリップ・グラスのミニマルとは相性が良いはず(?)。 彼の舞台に似合うのはスローモーション又は演奏にシンクロすること、つまりジャグリングは後者に該当するから。 もちろん作品はこの相反する両方の動きを取り込んでいるの。 そしてもう一つ、グラスの舞台では睡眠と覚醒がやってくることに注意が必要。 今回も2幕後半でウトウトしてしまった。 ヴァイオリン抜きヴィオラは独特の音色感がある。 この流れに乗ることができて他のパートは覚醒し続けたわよ。 ミニマル・オペラに感動するとはこの純粋へと突き進む覚醒の流れに乗れるかどうかだと思う。 話をジャグリングに戻すけど、ボールやクラブを眼で追うのが邪魔になる場面があった。 眼で追うことが誤りかもしれない。 視覚と聴覚を統合化しようとする脳味噌の苦労がみえるから。 それでも第3幕は何とも言えない心地よさを感じることができたわよ。 やはりスローな動きでなきゃだめかも。  ところでA・R・コスタンゾが脱毛したら声(カウンターテナー)が良くなった話には笑っちゃった。 そして、やっとオペラ三部作すべてを観ることができて嬉しい。 一番は「浜辺のアインシュタイン」かな。 *METライブビューイング2019シーズン作品 *METサイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/2086/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 フィリップ・グラス、 マクダーモット

■まほろばの景2020

■作.演出:柳沼昭徳,音楽:中川裕貴,出演:阪本麻紀,澤雅展,あべゆう,小菅紘史,小濱昭博,劇団:烏丸ストロークロック ■東京芸術劇場.シアターイースト,2020.2.16-23 ■初めての劇団ですが、役者たちが白足袋を履いているのに先ず目が行ってしまいました。 ・・主人公の青年は福祉関係の仕事をしている。 彼の担当している若者が行方不明になってしまった。 若者を探しに山へ入るが、そこでは彼の思い出?、いや過去なのか未来なのか区別のつかない場面が次々と現れてきます。 それは東北地方の故郷で神楽を踊ったこと、東日本大震災で家族が被災したこと、熊本地震ボランティアへ行ったこと、行方不明の若者の家族を訪ねたこと、友人と将来の仕事を話し合ったこと等々をです。 そして山で出会う人々は皆「懺悔懺悔六根清浄」と掛け念仏をしながら登っていく。 若者も唱和し登る・・。 このようなストーリーだったはずです。 民間伝承や山岳修行を思い出させてくれる為か身体に響くものがある。 すんだ餅や過去帳、山伏の話も懐かしさがある。 神楽を舞う場面もいいですね。 仕事上での、災害での、他者への対応で迷ってしまった若者が山へ登り六根清浄を目指す理由はジワッと分かる気がしました。 罪罰がはっきりしない場合が人生では多々ある。 意識や無意識にそれがジワッと残っていく。 これを祓おうとする意思が舞台に表れていた。 役者たちの動きや発声に安定感がみえたからです。 再創作公演の為でしょうか? 凝縮力がある。 白足袋を履いている成果もでている。 でも物語として曖昧な感想が残ってしまったのはしょうがない。 *劇場サイト、 https://www.geigeki.jp/performance/theater233/

■リーマン・トリロジー

■作:ステファノ.マッシーニ,演出:サム.メンデス,出演:サイモン.ラッセル.ビール,アダム.ゴドリー,ベン.マイルズ ■シネ.リーブル池袋,2020.2.14-20(ピカデリー劇場,2019収録) ■19世紀中頃、ドイツからアメリカへ移住したリーマン兄弟の3代に渡る銀行・証券会社の経営を描いた舞台。 ヘンリー、エマニュエル、マイヤー3兄弟が活躍する1幕、息子フィリップの2幕、そして孫にあたるロバートの3幕で構成されている。 NYの街並みが移り変わっていく背景の前でガラス箱に入った3人の俳優が150年の会社経営を語るの。 もちろん一人数役よ。 ガラス室とピアノの生演奏が効果を出していたわね。 1幕が面白い。 19世紀後半のアメリカ金ピカ時代、つまり急進する資本主義が描かれ、その時代と経営の間に3兄弟の人生観や世界観がみえるからよ。 例えば彼らの求婚場面は楽しい。 でも後半に行くほど詰まらなくなっていく。 息子や孫は性格しか分からない。 演出家は「詩的な科白をリズムに乗せて・・」と話してしたけど上演3時間は長い。 後半は時間を縮めた(急いだ)為か科白は解説の羅列にしか聞こえなかった。 それでも企業物語としては巧くできていたわよ。 (舞台にはない)日露戦争の資金提供にリーマンが関係していたことも(調べて)知ることができた。 映画館にはいつも以上に観客が入っていた。 学生が多いのかしら? 経済系の講義で話題になったのかもね。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *作品サイト、 https://www.ntlive.jp/lehman *「このブログを検索」に入れる語句は、 サム・メンデス

■野兎たち

■作:ブラッド.バーチ,翻訳:常田景子,演出:マーク.ローゼンブラット,西川信廣,出演:スーザン.もも子.ヒングリー,小田豊,七瀬なつみ,サイモン.ダーウェン,アイシャ.ベニソン,田中宏樹,永川友里 ■新国立劇場.小劇場,2020.2.8-16 ■中村家の娘サキコが結婚のため夫になるダンと彼の母リンダを連れて英国から一時帰国する。 しかしサキコの兄が行方不明になっていた・・。 「タイタニック」や「ダイ・ハード」、ゾンビ映画が機内で話題になったがスタッフに映画好きがいるようだ。 この流れからゾンビは「バイオハザード」に違いない。 両親は行方不明の兄を世間から隠そうとしている。 事件を知られたくない。 父の昔は実業家で兄には厳しかったらしい。 母も娘の結婚式については口うるさい。 両親に戦後日本の保守的な人生観がみえる。 しかも郷土史、古城、仏壇、鮨、和菓子、神社、盆栽などが舞台に上るから尚更だ。 両親の時代錯誤が気になる。 兄の失踪理由は家族、特に父との確執に疲れてしまったのだろう。 両親から精神的に捨てられた娘をみれば分かる。 彼女はピンピン元気だ。 兄の仕事の失敗は失踪の原因とは言えない。 チラシをみると「荒涼たる曠野で孤独を生きる野兎たち・・」とあるが孤独云々というより昔からの家族問題が主題のようだ。 日英共同制作と聞いている。 日本側スタッフはチラシの状況を作りたかったが英国側に押し切られたのかもしれない。 結果として明治時代の私小説気分が漂ってしまった。 現代の孤独がテーマならこのような両親は登場し辛いし風景も似合わない。 登場人物で唯一現代人を意識させたのはダンの母リンダだ。 彼女は一人悠々の生活をしていたがダンのチョッカイで舞台に引きづり出されてしまった。 彼女の結婚観を含め現代世界への対応は的確だ。 「タイタニック」を何度も観ているのも頷ける。 主人公ローズが親の決めた結婚から逃れる話だから。 そして終幕、両親と娘それに兄嫁が鍋を囲む風景で幕が下りるのはどういうことなのだろう? 両親は兄の代わりに娘を縛り付けて家族を演じ続けていくのだろうか? ところで字幕が役者の近くに写し出されていたが見難かった。 役者から離した方が良い。 ついでに、動き回る細長いボックス映像も雑音のようにしか見えなかった。 舞台集中の妨げになった

■リヤ王

■作:W.シェイクスピア,訳:坪内逍遥,演出:中込遊里,演奏:五十部裕明ほか,出演:葵,清水いつ鹿,宮川麻里子ほか,劇団:鮭スペアレ ■銕仙会能楽研修所,2020.2.11 ■料理でいえば旨味が無い舞台です。 能を意識し過ぎたのかもしれない。 能作法も取り入れているが中途半端です。 ト書などを謡にするのは面白いが、例えば摺足や腰の上げ下げなど身体動作はぎこちない。 その動作が観客(私)身体に響かない。 役者身体が変わらないと能の相乗効果が表れないのかもしれません。 坪内逍遥のシェイクスピアは珍しい。 謡が面白かったのはこの為かもしれない。 この劇団は初めてですが戯曲に力を入れているようにみえました。 役者たちの動作や立ち振る舞いが坪内逍遥と能を上手く繋げることができなかった。 身体と科白の関係を試行錯誤している舞台にみえました。 *TPAMフリンジ参加作品 *TPAMサイト、 https://www.tpam.or.jp/program/2020/?program=king-lear

■その河をこえて、五月

■作:平田オリザ,金明和,演出:李炳焄,平田オリザ,出演:三田和代,小須田康人,佐藤誓,白星姫,李南熙,徐鉉喆ほか ■新国立劇場.情報センター,2020.2.9(新国立劇場.小劇場,2002.6収録) ■「2002年春、ソウル漢江の河原。 韓国語学校教師金文浩は、・・生徒たちと自分の家族を連れて花見に出かける・・」(チラシより)。 生徒たちの年齢・職業はいろいろだがソウルで生活している在韓日本人が多い。 河原の土手に満開になった大きな桜の木がみえる。 舞台は終幕まで花見が続き、役者の出入りで場面を転換してく方法は青年団定番の流れと同じである。 生徒の達者とは言えない韓国語が話を面白くさせる。 ベトナム戦争で家族が戦死したことや徴兵制度への対応は韓国を知る上では必須だが、親の介護や子供の学校の話はどの国も同じ問題を抱えているのが分かる。 そして話の至る所で堆積された20世紀日韓史がパッと顔を出す。 教師の弟夫婦がカナダへ移住しようとしているのだが母親には言っていない。 花見の席上で母に打ち明けるところが物語の山場である。 家族が移民をすることで国家とは?民族とは?を真剣に考えせざるをえない。 この点は練られていると思う。  今から20年前の芝居だが、一口で言えば素直な舞台だ。 具体的な話題は広げすぎて表面的にも感じられる。 日韓共同も走りで、それに花見だからしょうがない。 この20年間で情報量が増えたこと、より深みのある日韓共催舞台を観て来た為もある。 唯一存在感ある人物は教師の母親(名前は忘れた)だ。 彼女の一挙一動に写実という意味ではない現実感があった。 保守的な彼女は次男夫婦のカナダ行を最後に許すのだが、それは国家や民族を越えて在る世界へ、生きる為そして生活の為の移民に納得したのかもしれない。 「浜辺の歌」を皆で歌い花見は終わる・・。 *2002年日韓国民交流年記念事業作品 *NNTTドラマ2001シーズン作品 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_004523.html

■少女仮面

■作:唐十郎,演出・美術:杉原邦生,出演:若村麻由美,木崎ゆりあ,大西多摩恵ほか ■シアタートラム,2020.1.24-2.9 ■観客層がばらけているのは演出家杉原邦生の賜物かな? 彼は時代劇も結構取り上げているからよ。 会場に入ると未完成な舞台が目に入る。 散らかっている道具類をかたずけながらの幕開きが面白いわね。 そこに壁が下りてきて喫茶「肉体」の店内になる・・。 舞台は春日野八千代の雪組時代と1960年代の匂いを強く繋げている。 それは満州とヒースの厳しい荒野にも広がり、離れ離れの時間と空間が一つになり立ち現れてくる。 作品のエキスを忠実に掴み表現されていたからだと思う。 そして唐十郎の濃くの有る科白が高揚するときには、あのメリー・ホプキンの歌が聴こえてくるの。 「思い出すは、あの日のこと・・」。 この芝居の総てが歌声に乗ってやって来る。 ところで腹話術師の見世物は能で言えば中入り狂言ね。 人形と肉体の不思議な関係が作品全体に滲みていく。 そして寒い国からの来訪者甘粕大尉がAMAKASUと大きく書いてある白マントで登場したのはさすが美術系演出家ね、いつもは軍服なのに。 昨年末の「 少女都市からの呼び声 」を遡り<少女>の故郷に遂に辿り着いた。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/shoujokamen20200102.html

■メアリ・スチュアート

■作:フリードリヒ.シラー,台本:スティーブン.スペンダー,翻訳:安西徹雄,演出:森新太郎,出演:長谷川京子,シルビア.グラブ,三浦涼介,吉田栄作,鷲尾真知子,山崎一,藤木孝ほか ■世田谷パブリックシアター,2020.1.27-2.16 ■映画を観てから劇場に行こうか? 迷いましたが観なかったのは正解です。 一瞬先がどうなるかドキドキの連続でした。 ハンナとメアリの暗い過去の話を、次にモーティマのイタリア旅行回想を聞いてぐぐっと舞台に引き込まれていきました。 カトリックを強く意識する幕開きですね。 キリスト教宗派の違いが構造をしっかりと支えている。  そしてエリザベス女王の白化粧が冴えていました。 仮面にもみえる。 メアリの化粧や衣装と対比が際立っている。 外見は違うが二人とも業が深い、かつ我も強い。 両者の確執がこの芝居の見所ですが宿命も感じられます。 その女王を取り巻く3人の家来、レスター伯、法務方バーリー、事務方タルボットの性格や行動の違いも彼女らに劣らない。 契約・義務・権利の言葉の裏側に疑心や保身そして愛憎を塗りこんで物語が進められる。 誰もが敵か味方かを見定めたい。 メアリが神父メルヴィルに告解をする場面がクライマクスでしょう。 告解で身近に迫った死をメアリと観客の双方が受け入れ演劇のカタルシスを貰えるからです。 しかし3人の家来が女王から逃げていくのを呆然としたエリザベスをみながら、この舞台はメアリ以上の存在感がでていたことも確認しました。 歴史劇だけあって科白に硬さがみえるのはしょうがない。 台詞量が多いこともある。 告解も言葉の優位からくる感動が大きい。 その中で言葉を越えていたのがモーティマでしょう。 彼の身体は活きていました。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/marystuart20200102.html *2020.2.8追記・・ ■二人の女王,メアリーとエリザベス ■原作:ジョン.ガイ,監督:ジョージー.ルーク,出演:シアーシャ.ローナン,マーゴット.ロビー ■(イギリス,2018年作品) ■芝居観後に観てしまいました、映画を、原作者は違いますが。 メアリとその周辺つまり、スコットランド帰還からジェームス6世誕生そしてスコット

■少女と悪魔と水車小屋

■原作:グリム兄弟,作:オリヴィエ.ピィ,演出:宮城聰,出演:鈴木真理子,武石守正,大内米治,貴島豪,大道無門優也,永井健二,若宮洋市,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2020.1.18-2.2 ■舞台はシンプルな構成で白一色の紙(?)でできている。 白衣装の役者の動きや科白もこの趣向に沿っています。 それは人形のような動きと喋り方をする。 単純化しているのに物語の要は外していません。 英語字幕はもっと約している。 考え抜かれた詩的世界が表れていますね。 少女が悪魔に両手を斬られてしまう。 貧乏から抜け出すのに父が悪魔と契約を結んだ為です。 娘は放浪の末、王様と出会い彼の子供を産む。 しかし悪魔は娘(王妃)と王の間に入り再び混乱させてしまう。 王妃は森へ逃げ子供と静かな生活を送ることになる。 戦場から戻った王は事の始終を知り王妃を探しに出ます。 そして二人は目出度く再会し愛を確認する。 このようなストーリーです。 悪魔は黒尽くめの衣装で登場する。 その悪魔に娘が両手を斬られる残酷さがこの作品の一つの見所ですね。 「本当は恐ろしいグリム童話」は本当だった。 しかし舞台では娘の両手が森の生活で新しく生えてくる! 「奇跡だ!」、王は叫ぶ。 妃は「・・でも、春になると森じゅうで新しい芽が生えるのです」。 王は喜び答える、「(そうだ、この世界のすべてが)奇跡だったのだ。 そのことに驚き続けよう」と。 此の世に生まれてきたのは奇跡といってよい。 この宇宙に生まれる確率は殆ど0だったにもかかわらずです。 生きているだけで素晴らしい。 王様のように奇跡に驚き続けます。 *原作はグリム童話「手なしむすめ」 *SPAC2019シーズン作品 *劇場サイト、 https://spac.or.jp/au2019-sp2020/grimm_2019