■アサッテの人
■原作:諏訪哲史,構成:劇団7度,演出:伊藤全記,出演:山口真由,飴屋法水
■調布市せんがわ劇場,2026.6.3-7
■場内案内係の関西弁らしき特徴のある発音を聞いた瞬間、それが役者の山口真由であることを思い出した。 そして、久しぶりに見る飴屋法水のかすれた声や不自然な足取りは、果たして演技なのだろうか。 判断に迷うほど素直で、しかし二人は観客に寄り添うようにフレンドリーな空気をまとい、やがて、おもむろに幕が開く。
物語は、主人公である<私>が行方不明の叔父を語る形式らしい。 山口真由が<私>を中心に演じつつ、時に複数の役柄を軽やかに切り替える。 一方、飴屋法水は小道具や楽器を用いて擬音を生み出し、舞台の背景を描きながら、ときには<叔父>そのものにもなる。
叔父が「キツツキ」という音を発するのに苦労する場面がある。 それまで叔父が発していたオノマトペが何を意味していたのか不思議に思っていたが、この瞬間、叔父の謎がひとつ解けたように感じられた。
しかし舞台はそこで終わらない。吃音を抱える叔父は、発声という武器を使って日常世界に裂け目をつくり、その境界へと観客を導いていく。 うまく言えないのだが、かつてロラン・バルトを読んでいたときに覚えた、言語が世界の割れ目を露わにするような不思議な感覚に近い。
ただし今回は、それが読書ではなく舞台からやってきたのだ。 このような感覚を与えてくれる舞台は滅多にない。 飴屋法水の崩れた身体から発されるオノマトペと、山口真由の聞き取りづらい関西弁の<私>の科白が、なぜか不思議と溶け合い、劇的な瞬間を立ち上げていた。
普段は気にも留めない発声の不思議さ、言語の不思議さ、そして日常世界そのものの不思議さを考えさせられた。 <アサッテ>とは、おそらく世界の割れ目の向こう側のことなのだろう。
アフタートークは諏訪哲史と演出家(名前を忘れた)だったが、都合により聴くことができなかったのが残念である。 そして原作を読むべきかどうか。 「観たら読まない、読んだら観ない」をモットーにしているのだが、今回はそれが揺らいでいる。
*第15回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞作品
*「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤全記 ・・検索結果は5舞台.