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■3つの視点、モーリス・ベジャール

*以下□の3作品を観る. □ディオニソス組曲■音楽:マノス・ハジダキス,出演:オスカー・シャコン,フェデリコ・マテテイッチュ,オスカー・フレイム他 □これが死か■音楽:R・G・シュトラウス,出演:イエロニマス・クリヴィツカス,大橋真理,ソレーヌ・ビュレル他 □マラルメⅢ■音楽:ピエール・ブーレーズ,出演:イ・ミンギョン,岸本秀雄,武岡昂之介ほか *3作品ともにモーリス・ベジャール振付,ベジャール・バレエ・ローザンヌ舞踊団出演. ■NHK・配信,2026.4.27-(ローザンヌ・ボーリュ劇場,2025.6.19収録) ■タイトル「3つの視点」は、異なる時代・地域の三つの音楽を通して、バレエを多角的に見るという意図を示しているのだろうか。 シュトラウス以外の二人の作曲家は、私にとって初めての名前である。 「ディオニソス組曲」は、ギリシャ民衆の生活を背景に〈神と人間〉の交流を描く。 伝統的なリズムが随所に感じられ、「クレタ島はなんと美しいのか……」という歌も印象的だ。 ベジャール・バレエとギリシャ神話は本来相性が良いはずだが、この作品では民衆の生活や祭礼など多くの要素が盛り込まれ、やや散漫な印象を受けた。 「これが死か」は、春夏秋冬の四人のダンサーが登場し、〈人間の一生〉を象徴しているように見える。 シュトラウスの歌曲集「四つの最後の歌」が流れ、ストーリーと振付が巧くまとまっていた。 ベジャールは言う、「バレエは時間の芸術だ」。 バレエにも生と死はある。 「マラルメⅢ」はアジア的な雰囲気をまといながら、何かの象徴を提示しているのだろう。 現代音楽を用いているが、振付が具体的であるため、音楽との抽象度の差がやや噛み合わない印象を受けた。 続くインタビュー映像で、ベジャールは「(三作を)改めて見ると陳腐に感じる。 残しておきたいものは少ない」と語る。 今日の三作は、音楽とバレエの関係を積極的に探ろうとする試みが見えるが、完成度の高い「ボレロ」と比較すると、試行錯誤の段階にあったのかもしれない。 「私が後生に記憶されるなら、ダンスへの関心を復活させたことを語られたい」。 この言葉で幕が下りる。 もちろん、私の脳裏にはベジャールの名前がこれからもしっかりと刻まれ続けていくだろう。 *NHK、 https://www.web.nhk/tv/an/...

■能楽堂五月「鬼瓦」「浮舟」

*国立能楽堂五月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・和泉流・鬼瓦■出演:三宅右近,三宅近成 □能・観世流・浮舟(彩色)■出演:馬野正基,村山弘,三宅右矩ほか ■国立能楽堂,2026.5.9 ■プレトーク「二人の男に愛された苦悶と狂乱」(梅内未華子解説)を聴く。 源氏物語最後のヒロインである浮舟と、彼女を取り巻く人間関係について語られ、「源氏物語」を中心とした内容であった。 プログラム解説には、室町時代の武士から見た源氏物語の位置づけ、能「浮舟」の作詞を行った横越元久、そして節付を担当した世阿弥についても触れられていたが、こうした能と直接結びつく裏話を、プレトークでもう少し聞きたかったところだ。 能「浮舟(うきふね)」のシテを務めた馬野正基は、私にとって初見の役者である。 声の質やリズム、謡の流れに特徴があり、プレトークの題名が示すような激しい「苦悶と狂乱」というより、全体としてさっぱりとした印象の舞台となった。 小書「彩色(さいしき)」である<イロエ>が<カケリ>の前に入り、浮舟の心の揺れを増幅していたものの、後シテの面「増」が色白で清楚な趣を湛えていたためか、舞台は落ち着いた流れを保っていた。 面は前シテの「小面」(古元休作)から後シテの「増」(是閑作)へと替わる。 狂言「鬼瓦(おにがわら)」は、当劇場で二年前にも観ている。 鬼瓦のような顔であっても、妻のもとへ早く帰りたいという夫の姿が微笑ましい。 最後を寛大な笑いで締めくくる「笑い留め」がよく効いており、今回も気持ちよく一曲を味わうことができた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85005/