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■エンドゲーム

■作:サミュエル・ベケット,翻訳:岡室美奈子,演出:小川絵梨子,出演:近江谷太朗,佐藤直子,田中英樹,中山求一郎 ■新国立劇場・小劇場,2026.5.20-31 ■タイトルを聞いたときは新作かと思ったが、作者名を見てベケットの「勝負の終わり」だと気づいた。 記録を確認すると、2006年9月にシアタートラムで佐藤信演出の上演を観ていたようだが、内容をほとんど覚えていない。 ベケット作品は、こちらの身体や精神の状態によってリズムに乗れるかどうかが決定的に左右され、評価が大きく揺れる。 今日も序盤は眠気に襲われたが、ハムが物語を語り始めるあたりから脳が一気に目覚め、終幕まで緊張感を保って観ることができた。 今回の出演者は、オーディションで選ばれた4人とのこと。 両親の死に対して無神経にも見えるハムの短い台詞、居留守を使うクロヴがふと見せる父へのさりげない愛情、それを微かに受け止めるハムの反応、そうした細部に、裏のない誠実な演技が宿っていた。 ベケットの核心に迫るための条件のひとつは、この誠実さなのかもしれない。 久しぶりにベケットと真正面から出会えたような気分になった。 今日の観客席は配列や高さがいつもとは違っていた。 座布団も2枚重ねになっている。 舞台も見え難い。 いかにも小劇場という雰囲気がでていた。 ところで、クロヴがハムを窓際へ連れて入った場面で、急に声のトーンが変わってしまった。 舞台端はマイクの感度が良いので声を多く拾ってしまったのだろう。 近頃は多くの小劇場でもマイクを使っているようだ。 しかし、ここまでして声を平均化する必要があるのだろうか? 場面状況で声が乱れることはよくある。 役者の生の声を聴けないとは、何のための芝居なのだろうか。 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/endgame/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、小川絵梨子 ・・ 検索結果は23舞台 .

■ウルフ・ワークス

*下記□の三幕を観る. □I NOW,I THEN(「ダロウェイ夫人」より) □ビカミングズ(「オーランドー」より) □火曜日(「波」より) ■演出・振付:ウェイン・マクレガー,音楽:マックス・リヒター,照明:ルーシー・カーター,衣装:モーリッツ・ユンゲ,映像:ラヴィ・ディープレス,出演:ナタリア・オシポワ,ウィリアム・ブレイスウェル,クレア・カルヴァート他 ■TOHOシネマズ日本橋,2026.5.15-21(ロイヤル・オペラ・ハウス2026.2.9収録) ■ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」「オーランドー」「波」をそれぞれ一幕として構成し、三幕を通して一つの作品世界を立ち上げている。 そこにナタリア・オシポワがウルフ役として全幕に登場し、三つの物語を貫く意識の流れを象徴的に結びつけていた。 三幕はいずれも振付・照明・衣装・映像のアプローチがまったく異なり、それぞれに独自の質感と世界観がある。 それでいて全体としてのまとまりもよく、久しぶりに心が高ぶる舞台体験となった。 特に音楽が素晴らしく、意識の揺らぎや流動性をそのまま音に乗せたように耳に届く。 作曲家の言葉、「どこかで聴いたようで思い出せない」旋律が続いていく。 一幕冒頭ではウルフ本人の声が流れる。 確か、英語という言語そのものについて語る録音だったと思う。 振付家が「ウルフの文体はダンスに通じている」と語っていたが、その言葉に違和感はない。 二幕では「性の狭間で揺れ動く」ダンサーたちが、レーザー光が飛び交い電子音が響く近未来的な空間で激しく踊る。 三幕が開くと、ウルフが入水自殺する直前に夫レナードへ宛てた遺書がマギー・スミスの声で読み上げられる。 「・・もう戦うことができません」。 その一文が、彼女の人生の苛烈さを静かに突きつけてくる。 背後に映し出される海の波のスローモーション映像、遠くで聞こえる子どもたちの声、それらすべてが懐かしい意識の層へと観客を導き、私たちを彷徨う旅人にさせる。 複雑で豊かな時間を生きたような、深い余韻が残った。 *英国ロイヤル・バレエ&オペラシネマ2025作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/105022/

■能楽堂五月「止動方角」「千手」

*国立能楽堂五月定例公演の二舞台□を観る. □狂言・和泉流・止動方角■出演:野村萬斎,野村裕基,石田幸雄,飯田豪 □能・観世流・千手(小書:郢曲之舞)■出演:坂口貴信,上田公威,舘田義博ほか ■国立能楽堂,2026.5.13 ■能「千手(せんじゅ)」は今回が初見である。 捕虜として鎌倉に幽閉されている平重衡は、まもなく(処刑のため)京へ送られる運命にあった。 源頼朝のはからいにより、前夜、狩野介宗茂と千手の前が酒宴を設け、束の間の慰めの時を過ごす。 本作は「平家物語」を典拠とした金春禅竹の作と言われている。 死を目前にした重衡と、彼を慰めようとする千手の心の揺れを、千手の動 と重衡の静の対照によって描き出している点が興味深い。 後半は千手の舞が続き、途中一ノ松まで進んだところでシオリが入る。 やがて武士たちに囲まれ鎌倉を後にする重衡を見送りながら、千手の涙は止むことがない。 外へあふれ出る千手の情感 と、内に乱れを抱えつつも動じぬ重衡の姿 が、生と死の境界を観客に強く意識させる。 全体として緊張感に満ちた舞台であった。 シテの坂口貴信は、昨年八月の袴能「砧」でも観ているが、初めて聞く声はよく響き明晰に届く。 小書「郢曲之舞(えいぎょくのまい)」が入り、シテ面は「相生増(あいおいぞう)」であった。 狂言「止動方角(しどうほうがく)」も初見の曲である。 <止動方角>とは、暴れる馬を鎮めるための呪文のこと。 横暴な主人と我儘な太郎冠者の応酬が見どころで、馬も登場するため、複雑な所作と言葉が入り、演者にとって難度の高い曲であることがよく分かる。 これを野村萬斎と主人役の野村裕基の親子が演じることで、作品の複雑さが一層面白さへと転化していた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85006/

■3つの視点、モーリス・ベジャール

*以下□の3作品を観る. □ディオニソス組曲■音楽:マノス・ハジダキス,出演:オスカー・シャコン,フェデリコ・マテテイッチュ,オスカー・フレイム他,(3作品ともに振付:モーリス・ベジャール,舞団:ベジャール・バレエ・ローザンヌ舞踊団) □これが死か■音楽:R・G・シュトラウス,出演:イエロニマス・クリヴィツカス,大橋真理,ソレーヌ・ビュレル他 □マラルメⅢ■音楽:ピエール・ブーレーズ,出演:イ・ミンギョン,岸本秀雄,武岡昂之介ほか ■NHK・配信,2026.4.27-(ローザンヌ・ボーリュ劇場,2025.6.19収録) ■タイトル「3つの視点」は、異なる時代・地域の三つの音楽を通して、バレエを多角的に見るという意図を示しているのだろうか。 シュトラウス以外の二人の作曲家は、私にとって初めての名前である。 「ディオニソス組曲」は、ギリシャ民衆の生活を背景に〈神と人間〉の交流を描く。 伝統的なリズムが随所に感じられ、「クレタ島はなんと美しいのか……」という歌も印象的だ。 ベジャール・バレエとギリシャ神話は本来相性が良いはずだが、この作品では民衆の生活や祭礼など多くの要素が盛り込まれ、やや散漫な印象を受けた。 「これが死か」は、春夏秋冬の四人のダンサーが登場し、〈人間の一生〉を象徴しているように見える。 シュトラウスの歌曲集「四つの最後の歌」が流れ、ストーリーと振付が巧くまとまっていた。 ベジャールは言う、「バレエは時間の芸術だ」。 バレエにも生と死があるのだろうか。 「マラルメⅢ」はアジア的な雰囲気をまといながら、何かの象徴を提示しているのだろう。 現代音楽を用いているが、振付が具体的であるため、音楽との抽象度の差がやや噛み合わない印象を受けた。 続くインタビュー映像で、ベジャールは「(三作を)改めて見ると陳腐に感じる。 残しておきたいものは少ない」と語る。 今日の三作は、音楽とバレエの関係を積極的に探ろうとする試みが見えるが、完成度の高い「ボレロ」と比較すると、試行錯誤の段階にあったのかもしれない。 「私が後生に記憶されるなら、ダンスへの関心を復活させたことを語られたい」。 この言葉で幕が下りる。 もちろん、私の脳裏にはベジャールの名前がこれからもしっかりと刻まれ続けていくだろう。 *NHK、 https://www.web.nhk...

■能楽堂五月「鬼瓦」「浮舟」

*国立能楽堂五月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・和泉流・鬼瓦■出演:三宅右近,三宅近成 □能・観世流・浮舟(彩色)■出演:馬野正基,村山弘,三宅右矩ほか ■国立能楽堂,2026.5.9 ■プレトーク「二人の男に愛された苦悶と狂乱」(梅内未華子解説)を聴く。 源氏物語最後のヒロインである浮舟と、彼女を取り巻く人間関係について語られ、「源氏物語」を中心とした内容であった。 プログラム解説には、室町時代の武士から見た源氏物語の位置づけ、能「浮舟」の作詞を行った横越元久、そして節付を担当した世阿弥についても触れられていたが、こうした能と直接結びつく裏話を、プレトークでもう少し聞きたかったところだ。 能「浮舟(うきふね)」のシテを務めた馬野正基は、私にとって初見の役者である。 声の質やリズム、謡の流れに特徴があり、プレトークの題名が示すような激しい「苦悶と狂乱」というより、全体としてさっぱりとした印象の舞台となった。 小書「彩色(さいしき)」である<イロエ>が<カケリ>の前に入り、浮舟の心の揺れを増幅していたものの、後シテの面「増」が色白で清楚な趣を湛えていたためか、舞台は落ち着いた流れを保っていた。 面は前シテの「小面」(古元休作)から後シテの「増」(是閑作)へと替わる。 狂言「鬼瓦(おにがわら)」は、当劇場で二年前にも観ている。 鬼瓦のような顔であっても、妻のもとへ早く帰りたいという夫の姿が微笑ましい。 最後を寛大な笑いで締めくくる「笑い留め」がよく効いており、今回も気持ちよく一曲を味わうことができた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85005/