■チェンチ一族

■原作:パーシー.ビッシュ.シェリー,台本:アントナン.アルトー,翻訳:藤田幸広,音楽:J.A.シーザー,演出:高田恵篤,劇団:演劇実験室◎万有引力
■ザスズナリ,2019.4.5-14
■この劇団で科白が多い作品は珍しい。 その位置づけは劇画に近い。 声はギコチナイが漫画の頁を一枚一枚捲っていく感触がある。 言葉は肉体と交互に連動し音楽と照明が溶け合って律動的な舞台になっていた。 良くまとまっていたと思う。
父チェンチ伯爵から虐待を受けていた娘ベアトリーチェは耐えきれなくなり父を殺してしまう。 彼女は無罪を訴えるがローマ教皇は彼女らに死刑を宣告するという話である。 「教皇側が恐れるのは親殺しが広まるから・・」という科白を聞いて納得してしまった。 それは寺山修司が繰り返し描く親子関係からである。 また親殺しについて生物としてヒトとして舞台を観ながらいろいろ考えてしまった。
この芝居は1982年5月に池袋文芸座で観ている。 劇場に入るとスキンヘッドで全身白塗りの男優たちが唸りながら地面を転がっている光景が記憶に残っている。 他は全く覚えていないが台詞は少なかったはずだ。 終演後にトークがあったので聞くことにする(以下より)。
*アーフタトークの出席は高田恵篤,根本豊の二人。 根本が当時の資料をもとに話をする。 トークは約30分。 (→)は私=筆者の感想。
・82年は「100年の孤独」の映画ロケが有り、その直後に文芸座ルピリエで「チェンチ一族」を初演した。 天井の高い劇場のためロープで宙吊りの場面も作った。 (→これを聞いても宙吊りの場面は思い出せない) (→寺山の駄目出しは聞き漏らしてしまった)
・当時のチラシに根本は出演者として連ねているが出演しなかった(根本)。 (→高田が持ってきた「夜想」に掲載されたチラシをみて言っている? この雑誌の特集は「アルトー上演を生きた男」で文芸座公演に時期を合わせた発行だった)
・シーザーは寺山の物語性をビジュアルに移行した。 これで音楽と肉体の緊張感が増したはず。 そして寺山の舞踏的な動きを少なくしていく。 (→今日の舞台をみても舞踏からは遠くなっている)
・寺山は女優だけの「チェンチ一族」を練っていた。 (→これは分かる気がする)。 背景は精神病院にしたかった。 しかし寺山の死で中断。
・以下は観客からの質問Qと答えA・・
Q.残酷演劇とは何か? A.観客、俳優、演出家の関係性の断絶を指す(高田、根本)。 
Q.初演と違い、なぜ今回は科白が増えたのか? A.分かり易くするため(高田)。
 (→分かり難いのも面白いのだが・・、でもこの作品はどちらでも成り立つ)
Q.映画との違いは? A.映画は興味がある(根本)。 奴婢訓を撮りたい(高田)。  (→質問の意味を取り違えたようだ)
以上、天井桟敷から万有引力へ引き継ぐ様子も分かり感慨深いアフタートークだった。
*演劇実験室◎万有引力第69回本公演
*J.A.シーザー錬劇開闢50周年記念
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/98441