■DISGRACEDディスグレイスト

■作:アヤド・アフタル,演出:栗山民也,出演:小日向文世,秋山菜津子,安田顕,小島聖,平埜生成
■世田谷パブリクシアタ,2016.9.10-25
■パキスタン系弁護士アミールと白人画家の妻エミリ、アミールの同僚で黒人弁護士ジョリ、美術館職員ユダヤ人アイザックのアメリカ国籍4人の緊迫感が続く対話で息をするのも忘れて観入ってしまいました。
ベラスケスの肖像画「パレーハ」とムーア人、アーネスト・ベッカ「死の拒絶」とウディ・アレン、ジョン・コンスタブル、V&A所蔵のイスラム美術などが話題にのぼります。 ニューヨークで程々の階級人たちの生活風景が見えて面白い。 これだけの話ができるのも多様な民族と宗教が潜行しながらも日常でぶつかり合うからだと思います。
アミールの出生でインドとパキスタンの違いが国家ではなく宗教の違いとして議論されます。 そして国籍や名前を変更する時には民族を加味して宗教→民族→国家と順に進める。 民族とは舞台上のように肌の色なのか?母語や神話・歴史由来なのか?上手く説明できません。 日本人の多くは国家→民族→宗教のように逆に下る。 しかも民族や宗教は霞んでよくみえない。 ですからアミールが9.11テロ事件で特別な感慨を持った時に、観客の多くは先ずは国家を考えてしまうでしょう。 でもアミールの心は読めない。 特別な感慨に三つはどのようにかかわっているのでしょうか? この構造の違いに出会うと頭が痺れて思考停止になってしまう。
アミールとジョリの法律事務所経営での確執、エミリとアイザックのギャラリー出展での仕事不倫も気が抜けません。 イスラエル側の事務所所長はアミールを首にします。 そして妻が描いてくれた肖像画を見つめながら幕が下りる・・。 息をするのを忘れて観てしまうのも世界先端で起こっている事件や芸術や生活が迫ってくる舞台だからでしょう。
*作品サイト、http://www.disgraced-stage.com/