■純粋言語を巡る物語、バベルの塔2

■作・演出:あごうさとし
■こまばアゴラ劇場,2016.2.11-14
■観客は全員立ち観だと知ったの。 これは必然的に観客参加型になるはず。 場内に入ると映像6画面が所狭しに並んでいて中央空間にはステレオスピーカもある。 でも玄人の機器配置には見えない。 そして岸田國士の作品を不在の役者が演ずると言うより朗読していくの。 「紙風船」では夫婦の会話の距離感や風景を映像とスピーカから消極的に流していく。 大きな画面は英語訳用かな? 「動員挿話」はさわりのほんの数分、「大政翼賛会と文化問題」はアジテータのように喋りながら場内はディスコ風に変身する・・。
「純粋言語とは思いをダイレクトに伝えられる言語、神と通信できる言葉」ということね? 夫婦の会話はそれに近づける位置にある。 役者が不在で音や映像だけだと一層意識してしまう。 劇場での純粋言語とは全ての事象を結び付け舞台にアウラを現前させる演算子なのかもしれない。 
*チラシ、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage55427_1.jpg?1455317403