■社会の敵はだれだ、イプセン作「人民の敵」変奏曲

■台本・演出:毛利三彌,出演:池田勝,森岡正次郎,森源次郎,山口眞司,水野ゆふ,小林亜紀子
■あうるすぽっと,2016.11.26-27
■足尾銅山鉱毒事件で幕を開けたが前作品の要約らしい。 次には北陸海沿いの町で起きたヘルスセンター温泉汚染隠蔽事件に進む。 隠蔽するのは利権や町民の生活がかかっているからである。 センタで働ける、客が来れば町が潤う、しかも汚染で病人は出ていない・・。
そこに原発建設計画が持ち上がる。 再び町民は二手に分かれ賛否の行動を起こす。 賛成の理由は汚染水と同じである。 終幕、原発賛成のヘルスセンタ長森寅之助とその弟で原発反対の医者森藤吉が建設是非の集会で賛成と反対の演説をして幕が下りる。
兄弟、夫婦、父娘、父孫の関係が演じられるがセリフを含めとても現実的である。 社会と個人の両方を天秤にかけながら各自の行動を展開していくからだとおもう。 特に主人公森藤吉の妻はな子の会話はクールだった。 演出家は世間と舞台の違いが分かっている。 しかし舞台では現実を超えたリアルに近づこうとはしていない。 現実をそのままリアルにしたいらしい。 このため終幕の演説は劇的とは言えない。 だがいろいろ考えさせられる内容である。
やはり演出家も終幕の演説が気になっているらしい。 カーテンコールに登場し観客の意見を求めた。 地震と津波なら人は立ち直ることができるが原発事故は自然災害とは比較にならない深い傷跡を残すとの発言がある。 劇中でも放射性廃棄物を10万年間管理する話があった。 原子力を管理する時間は生活世界とは桁違いの量と質を必要とする。 その技術は今も無い。
にもかかわらずヘルスセンタ汚染隠蔽も原発建設も町民は同じところに行き着く。 天秤にかけるのは損得からの教訓からきている。 確率が低い災害に遭うのは運が悪い、そして発生したら何とかするしかないと。 しかし「選挙の一票と人格を持った一人は違う・・」と森藤吉は核心に迫る演説をする。 対立すればするほど政治は一人を一票に変質させすべてを数で処理する。
*第3回イプセン演劇祭参加作品
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/78347