■松風

■作曲:細川俊夫,演出・振付:サシャ・ヴァルツ,美術:P・M=シュリーヴァー,塩田千春,照明:マルティン・ハウク,指揮:D・R・コールマン,出演:イルゼ・エーレンス,シャルロッテ・ヘッレカント,グリゴリー・シュカルパ,萩原潤ほか
■新国立劇場・オペラパレス,2018.2.16-18
■開演前のピットを覘く。 打楽器が目立つ構成だ。 合唱団の席も上手に広く取ってある。 そして舞台中央から階段がピットに降りている。 
幕が開いてから当分の間はダンスが主になる。 手足を振り広げ大きな動作で流れていく。 毛筆で文字を描く感じと言ってよい。 そして歌手の登場。 演奏も歌唱も不協和音のような響きでなかなか良い。 歌手もダンスに交わるので舞台の動きが崩れない。
しかし違和感が抜けない。 ワキはともかくシテ役の登場がとても煩いからだ。 あの世からやって来たようには見えない。 ギリシャ神話風の神々の登場方式である。 舞台前面に網を張り巡らし、そこを蜘蛛のように動き回る為もある。 能や舞踏のような存在の不思議さが無い。 風の音にも馴染めない。 日本語字幕にもそれは言える。 どこか解説的である。
この違和感を乗り越えようと努力しながら観続けた。 僧が宿泊を願い出る「暮」あたりから慣れてくる。 しかし「舞」の狂乱場面では天井から1メートルもある松葉が落ちてきた。 僧が目を覚ますとそこは台風一過の様である。
チケット購入時に日本語でないことを知った。 「相手を慮って使う言葉ですから・・」と細川俊夫は日本語を避けたようだ。 しかし松風および村雨の行平への想い(歌詞)も自然描写(音響・美術)もダンス(身体)も別々に動いていて劇的にまとまらなかったと言える。 言語的関係性を優先した為である。 唯一、演奏と歌唱が姉妹の叫びを受け取ったように思えた。 母語以外での上演の宿命だから「松風」を忘れて観なければいけなかった。 いま観客として反省している。
*NNTTオペラ2017シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_009639.html