■男たちの中で In the Company of Men

■作:エドワード.ボンド,翻訳:堀切克洋,演出.台本:佐藤信,出演:植本純米,下総源太朗,千葉哲也,松田慎也,真那胡啓二,龍昇
■座高円寺,2019.10.18-27
■客席は20歳台後半から30代女性が7割を占め男性は殆ど60歳以上にみえる。 社会派女流演出家の舞台ならこの比率が多いのだが・・、贔屓筋かな?
前半は登場人物の紹介だが時間が経つのも忘れるほど緊張ある対話が続いていく。 先ずは銃器製造会社社長で堅実なオールドフィールドとその養子レナード、そのレナードは続けて会社破産した遊興好きのウィリー、農産物加工経営者で策略家ハモンドと会い経営話題を劇場内に響かせる。 そこにオールドフィールドの秘書ドッズ、使用人で原子力潜水艦乗組員だったバートレイが薬味を効かせる。 レナードがドッズとハモンドの罠に掛かり父の経営を危うくしてしまうのが見せ場だ! 後半になって父はそれを知る・・。
休憩後は徐々にリズムが崩れだした。 レナードが何を考えているのか分からなくなってきたからである。 彼のような<坊ちゃん役員>は同族経営でも大企業では淘汰されるが中小企業では生き残れる。 難しくしている一つに彼が養子だということだ。 よく話題になる母のことを彼自身にどう付け加えたらよいのか悩んでしまった。 配布資料に「・・彼はハムレットだ」とあったが略当たりと言えよう。
そしてオールドフィールドを銃で殺そうとするのも、終幕の自殺も感動のない驚きである。 それは彼が「(資本主義とは)違う真実を啓示し・・、他の男たちにそれを語らせ、・・キリスト教の聖人のごとく行動する」からである。
しかし周囲の男たちの語りも愚痴にしか聞こえない。 それは酒である。 (ハロルド・ピンターと違うのは)登場人物が酒に溺れてしまうことである。 作家が創作時に登場人物を酔わせてしまうと舞台上の役者の言葉も酔った意味を含んでしまう。 飲んでも酔わないピンターは強い。
科白の中で「新自由主義」が聞こえたが、レナードは80年代サッチャー新自由主義を詩人になって否定したかったのだろうか? 「ボンドからの手紙」が資料に載っていたがジョンソン時代に手古摺っているようにみえる。 再び酒に溺れるか詩人になるしかないのか?
*座高円寺<新>レパートリー作品
*劇場、https://www.za-koenji.jp/detail/index.php?id=2170