■冬物語

■原作:W・シェイクスピア,演出:宮城聰,音楽:棚川寛子,劇団:SPAC
■静岡芸術劇場,2017.1.21-2.12
■黒銀色に統一された舞台の美術と構造に先ずは感動しました。 目は自ずと舞台中心を見上げながら天に登っていく感じです。 同時に地下の暗闇に落ちていくようにもみえる。 しかも役者の全視線と同一直線上でぶつかっているようで集中力が湧き出てくる。 これらが混ざり合って目眩が襲って来るのです。
美術だけではなく二人一役の役者構造も面白い。 文楽でいう太夫と人形遣いに似ている。 とはいっても役者自身が人形であり人形遣いですが。
観ていて役者は科白を喋らなくて楽だなあと思いました。 役者が持て余して大袈裟な身振りにならないように動作を「人形振り」に制限している(そのようにみえてしまった)。 演出ノートには「言葉は身体の外のものであり・・」。 「身体と言葉の違和感・緊張感をそのまま観客に見せたい・・」と書いています。 この為かどうか分かりませんが、あの目眩を伴って舞台にグイグイと引き込まれました。 リオンティーズの嫉妬の強さには参った。
ところで舞台で四人以上が交互に演ずると誰が喋っているのかわからなくなる場面が2回ほどあった。 科白内容で直ぐに結び付けたのですが初めての経験ですね。 それと言葉と身体が離れた違和感かもしれないが長くみていると飽きてくるのです。 観客の緊張が続かない。 この方法は観客にも役者にも負荷がかかる。 役者も一瞬一瞬の緊張が大きい。 マイムや人形とは何かが違います。
中高校生鑑賞事業公演日では前半に居眠をする中高生が多かったのでしょう。 休息を挟んだ後半は雰囲気がガラリと変わってしまった。 解説場面が増えてしまい前半に現れた多くの謎が宙づりのままになってしまった。 原作通りかもしれないがオートリカスの話で要約され、そのままパーディタの登場まで一直線です。 「必ず春は来る」、「信じることさえできたなら」。 チラシのフレーズだけが残ってしまった。
ところで語り手の見台や座り方が浄瑠璃をそのまま持ってきたようです。 これが舞台のダイナミックな流れを止めていたようにみえる。 柔軟な配置をしたら違った謎が出てより深みに嵌ったかもしれない。 ともかく色々考えさせられる舞台でした。
*CoRich、https://stage.corich.jp/stage/79796