投稿

2025の投稿を表示しています

■ザ・ヒューマンズ、人間たち

■作:スティーヴン・キャラム,翻訳:広田敦郎,演出:桑原裕子,出演:山﨑静代,青山美郷,細川岳ほか ■新国立劇場・小劇場,2025.6.12-29 ■2階が狭すぎて役者が落ちやしないか!ハラハラしました。 車椅子の動きを追ってしまった。 あと1mの奥行が必要でしょう。 次女のアパートに集まった祖母、両親、姉は落ち着きがない。 なにか隠し事を持っている。 どうでもいいような夢の話など雑談ばかりしている。 焦点が定まらない。 でもカネの話が裏にある。 悪くもない学歴や職業を持っているのにです。 抱えている持病、祖母の認知症や姉の大腸炎そして母の糖尿?や父の腰痛も彼らを暗くしている。 時々聞こえるトイレの水を流す音に乗せて不安が観客に届きます。 後半、父の隠し事がわかる。 不倫のようです。 これで年金も家も失ってしまった。 やれやれ! この流れで不倫とは・・、作者は何を考えているのか? 「だって、現実に起きてることだけで、十分気味が悪いんだから」。 チラシに書いてあった。 持病や不倫などは日常でよく出くわす。 上司の職業紹介での嫌がらせもです。 最後は父のように被害妄想が大きくなる。 現代はこのような些細なことで転落していく。 こう言っている舞台にみえる。 世界が細分化し過ぎた? おおらかさを取り戻したい! ところで、相手の科白を聞かずに重なるようにして自分の科白を喋る。 このような場面が何度もあった。 対話になっていない。 身勝手にみえました。 これは演出でしょうか? 2階の狭さも演出かもしれない? 今日の観客は高校生で占められていた。 私が高校生ならこのような漠然とした暗い作品は避けたいですね。 両親は宗教について多くを語っていたが不倫との関係もよくわからない。 感謝祭の夜が舞台だが(日本では)宗教は壁です。 *NNTT2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-humans/

■能楽堂六月「真奪」「敦盛」

*国立能楽堂六月普及公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・真奪■出演:山本則孝,山本則重,山本泰太郎 □能・観世流・敦盛(二段之舞)■出演:藤波重彦,江崎欽次朗,金子聡哉ほか ■国立能楽堂,2025.6.14 ■「真奪」は「しんばい」と読む。 室町以降に流行った生け花スタイルの「立花」からきているらしい。 これは「真(本木)」と「下草」で構成される。 「真」は「心」とも書く。 舞台は主人公が他人の「真(心)」を奪う話である。 また「盗人を見て縄を綯う」も付録になっている。 プレトーク「平家物語と能が生み育てた優美なる救済劇」(坂井孝一)を聴く。 語り本系と読み本系を比較して世阿弥は熊谷直実から敦盛視点に傾いた、ワキ蓮生法師は諸国一見の僧ではない、シテ敦盛が前場では直面で登場する、敦盛は蓮生法師としてではなく敵方直実として挑む場面が一瞬ある。 これらは作品構造からみても面白い。 ところで、源頼朝は14才から20年も流人生活をしたこと、鵯越は義経の発案ではないこと、などなど解説した。 話題を敦盛と直実に絞ったほうが良かっただろう。 「敦盛(あつもり)」は風景・心情がすんなりと入って来ない。 詞章が難しい(と感じる)。 私の寝不足もある、後場は調子がのってきたが。 しかも敦盛の動きの複雑さに気が抜けない。 この作品は餡子たっぷりの鯛焼に似ている。 シテの声・動きには満足した。 面は「敦盛」。 帰りは世阿弥のことを考えながら千駄ヶ谷駅へ向かった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7010/

■セザンヌによろしく!

■作・演出:今野裕一郎,出演:黒木麻衣,坂藤加菜,中條玲ほか,劇団:バストリオ ■せんがわ劇場,2025.6.1-8 ■タイトルをみて劇場へ行くことにする。 セザンヌの絵に入り浸っていた時期があったからです。 彼が描いた静物画や人物画の前にいると脳味噌がピクピクし始める。 私にとってセザンヌは謎の一人です。 即興風パフォーマンスと言うような舞台ですね。 ・・日記を読みながら、ドラムやサクソフォンなどを演奏しながら、そして描き続けるイラストを舞台背景に映し出していく・・。 役者というより芸術家集団にみえる。 いま、ここで、作られていく生々しさがあります。 ・・粘土をこねたり、水槽に水を入れたり、香をたいたり(?)、弁当をひろげ、バナナを食べたり・・。 いろいろな物や出来事が舞台に散らばっていく。 サント=ヴィクトワール山を意識しているが鯨の話も多い。 科白がしっかりしているので全体が緩まない。 観客で子供の声が聞こえたが舞台はそれを吸収していた。 バラバラだけどまとまっている。 受賞できる所以でしょう。 面白い舞台でした。 *第14回せんがわ劇場演劇コンクール,グランプリ・オーディエンス賞受賞公演 *劇場、 https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/30557

■台風23号

■作・演出:赤堀雅秋,出演:森田剛,間宮祥太朗,木村多江ほか ■Bunkamura・配信,2025.6.1-14(ミラノ座,2024.10.5-27収録) ■幕が開いて、配達員が悩ましい目つきで空を見上げる・・。 赤堀雅秋が戻ってきた! 一瞬そうみえたが・・、いや、以前とは違う。 わめく台詞が多い。 役者は喚いているだけです。 狂気が息を殺しているような、静けさのある下町が演出家の風景だったはず。 その風景は消えてしまっていた。 調べたら10年以上も舞台を観ていなかった。 変わりましたね。 介護・仕事・夫婦・健康・結婚・・・、それぞれの問題が並べられていたが、しかし積み重なっていかない。 どれも煮え切らない。 どれも到達できない。 巷の生活風景を誇張しただけにみえる。 テーマが絞れなかった? 劇場が大きすぎる? 台風を含め全てが逸れてしまった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/333975 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、赤堀雅秋 ・・ 検索結果は7舞台 .

■能楽堂六月「悪坊」「玉井」

*国立能楽堂六月定例公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・悪坊■出演:茂山逸平,茂山宗彦,茂山七五三 □能・復曲能・玉井(間狂言・大藏流貝・貝尽)■出演:宝生和英,田崎甫,辰巳和磨,野口能弘,(山本東次郎,山本則孝,山本凛太郎)ほか ■国立能楽堂,2025.6.4 ■「悪坊(あくぼう)」は反社会的行為で人々を苦しめている悪坊が心を改めて僧になる話である。 当時は宗教も職業も生活に溶け込み分節化されていない。 生活身体から湧き出る意志で将来を決める。 僧になるにもひとっ飛びだ。 雁字搦めの現代では自由に飛び回ることができない。 羨ましい時代を描いている。 心が洗われる舞台だ。 「玉井(たまのい)」は昔話の「海彦山彦」である。 「浦島太郎」も思い出す。 今回は間狂言「貝尽(かいづくし)」が入り楽しい舞台になっている。 まさに童話の世界だ。 衣装と面に凝った6人の貝の精を含め、シテ方の豊玉姫と玉依姫、龍王と天女、ワキ方の彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と従者たちは総勢12名になる。 贅沢な舞台だ。 先日の「賀茂物狂」に続き、ふたたび至福のひとときを過ごせた。 面は豊玉姫「泣増」(龍右衛門作)、龍王「冠形悪尉(かんむりがたあくじょう)」,玉依姫「小面」(近江作)、天女「小面」(是閑作)。 後場、豊玉姫と玉依姫の優美な中ノ舞ではふくよかな表情の面が似合っていた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7009/

■ミンコフスキー密室 ■レムニスケート消失

*以下の□2作品を観る. ■作・演出:小野寺邦彦,出演:江花実里,岩松毅,江花明里ほか,劇団:架空畳 ■座高円寺,20205.5.28-6.1 □ミンコフスキー密室 ■殺人事件を調査する探偵物語です。 探偵らしき主人公順子が活躍する世界は量子力学的時空でできている。 うーむ、SFですか? 時空は歪んでいる。 つまり時間・空間を自由に行き来できる。 でも、これこそ演劇世界でしょう。 「量子もつれ」や「エントロピー」もきこえてくる。 演劇世界と量子力学世界は兄弟だと納得しました。 12人の役者は略舞台に居る。 直接係わらない役者はコロスとなって動き回る。 喜怒哀楽が入らない科学的台詞が多いのでダンスを観ている感覚に陥ってきます。 ここに時空の反復が続く。 このミニマル要素が積み重なって物語を推進していく。 量子力学の時空の歪みから演劇を再構築し科学的ミニマル演劇に近づけている。 いやー、実に面白い構造です。 □レムニスケート消失 ■「ミンコフスキー密室」よりストーリーがまとまっていました。 美術や照明、音楽を含め続きのようです。 昨日は戸惑ったが、やっと劇団のリズムに乗れました。 科白もしっかりと耳に入ってきた。 この回は次元世界を強調している。 0次元から4次元世界に居る各住人の話です。 主人公は量子探偵の順子ですが、もう一人の物語探偵は曲者ですね。 当作品の視点位置を変えてくれる案内人のようです。 観客は老若男女がバラけていた。 近頃の小劇団では珍しい。 ところで、酒酔い場面が多いと心地良いリズムが崩れます。 *劇場、 https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3378

■母

■作:カレル・チャペック,演出:シュチェパーン・パーツル,出演:テレザ・グロスマノヴァー,トマーシュ・シュライ,ロマン・ブルマイエル他,ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー ■新国立劇場・小劇場,2025.5.28-6.1 ■1938年の作品だが時代背景など表面上は現代にしてある。 チェコ共和国の一家族、両親と息子5人の物語です。 ・・戦死した父や4人の息子のように末っ子を戦場に送るわけにはいかない。 母は強く思う。 しかし、父と長男たちの亡霊が現れて母と末っ子を惑わす。 彼らは二人に国家への義務や忠誠、地位や名誉などを吹込む。 さいごに母は折れて末っ子を戦場に送ってしまう・・。 母の息子への実直な思い、息子たちの社会へ向けた行動は当時から変わらない。 人類史で積み重なってきた母性本能や闘争本能の在り方は急には変われないでしょう。 ヒトを含め動物の母性本能は安定している。 一方、闘争本能は共同体や社会構造の変化に追いつかず混乱し続けている。 脳味噌のキャパシティに限界があるからです。 1世紀前の初演作品だが、このままでは1世紀後も同じように上演していることでしょう。 ところで、字幕板を舞台上に持ってきたのは良いが位置が高い。 演出家と調整してもっと低くすると見やすくなる。 また日本語の表示が速すぎて読み切れなかった。 翻訳の調整も必要です。 *NNTT2024海外招聘公演 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/mother/

■能楽堂五月「御茶の水」「賀茂物狂」

*国立能楽堂五月企画公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・御茶の水■出演:山本則重,山本泰太郎,山本凛太郎 □能・復曲・賀茂物狂■出演:観世清和,福王和幸,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.5.28 ■「御茶の水(おちゃのみず)」は若い男女が主人の目を盗み小歌で恋の駆け引きをする話である。 二人は幾つかの歌と舞を披露する。 室町後期の歌謡集「閑吟集」から採られた当時の流行歌らしい。 「賀茂物狂(かもものぐるい)」は夫婦再会物語だ。 「加茂物狂」との違いは前場が復元されたところにある。 前場は神職と女の問答になっている。 これが後場を文学的に厚くしたとおもう。 物語が淡々と進み科白をじっくりと聴き込む作品だから。 しかも今日はシテとワキの声がビシバシと脳味噌まで伝わってきた。 テンポある緊張感があった。 久しぶりに至福の時を過ごせた。 面は「若女」。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演 *「能を再発見する」公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7008/

■奴婢訓

■作・演出:寺山修司,演出・音楽:J・A・シーザー,高田恵篤,美術:小竹信節,出演:高田恵篤,伊野尾理枝,小林桂太ほか,演劇実験室◎万有引力 ■座高円寺,2025.5.16-25 ■完成度が高い舞台でした。 大掛かりな機械群や巨大な靴なども見応えがあった。 見世物演劇の面白さが出ていました。 しかし、この作品は白ける場面が多い。 話題の繰り返しが続き、ところどころで間延びする為です。 これを避ける為にはコンパクトな劇場で上演するのが良い。 すべてを凝縮させる。 この凝縮力で作品が持っている欠点を解決する。 今回は劇場が合わなかった(と思う)。 この劇場はガラーンとしている。 マイクの声も割れていた。 役者の科白と演技が発散してしまった。 白けを助長していました。  それとですが、作品の古さが観ていながら伝わってきた。 東北風土や宮沢賢治も、オープンリールレコーダやビクター犬も、すべてが遠い過去からやってきたようにみえる。 でも懐かしさは無い。 モノやキカイそして話題が物語に上手く繋がっていないからでしょう。 寺山のなかでは取っ付き難い作品と言えます。 さいごに、主人と召使の関係台詞を吐き、役者たちが静かに舞台から去っていく。 この場面で寺山修司を微かに思い出させてくれました。 *演劇実験室◎万有引力第78回本公演 *寺山修司生誕90年記念・小竹信節追悼公演 *劇場、 https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3379 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、万有引力 ・・ 検索結果は13舞台 .

■いつか来る、わたしの埋葬のためのレクチャー ■サイキック・サイファー

*第15回せんがわ劇場演劇コンクール参加6作品のうち下記の□2作品を観る. ■せんがわ劇場,2025.5.24-25 □いつか来る,わたしの埋葬のためのレクチャー ■作:山口真由,演出:伊藤全記,出演:鄭亜美,山口真由,劇団:7度 ■「禁じられた遊び」を語る舞台です。 つまり「お墓ごっこ」のことです。 他の<ごっこ遊び>より目立たない、でも子供時代に「お墓ごっこ」をした人は多いでしょう。 小さな生き物の死骸を埋葬する。 石や木片を探してきて墓標にする。 近頃「葬式ごっご」が流行っているが、これとは違います。 舞台には姉と妹が登場します。 子供時代の「お墓ごっこ」を語った姉は次に夢をみる。 オジが亡くなったが葬儀をだす人がみつからない。 そこで姉妹でオジを埋葬する。 このような夢です。 子供心にも死への恐れらしきものはある。 見様見真似でも死者に対して何かしなければいけない。 「禁じられた遊び」は大人になっても名前を変えて続く。 でも舞台で話題にしていた問い「どうやって終わりにするのか?」は子供の頃から変わっていない。 ところで、映画のテーマ曲を久しぶりに聴きました。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤全記 ・・ 検索結果は4舞台 . □サイキック・サイファー ■作・演出:西田悠哉,出演:荷車ケンシロウ,むらたちあき,永淵大河,西田悠哉ほか,劇団不労社 ■「サイキック・ファイァー」とは何か? 調べると、同じ曲名を見つけた! そして「アンダー・ザ・シルバーレイク」が映画名だと分かる。 うーん、暇があったら観よう! コンビニ店長がいかがわしい人物らしい。 店員がそのように判断するが、知り得た情報はリアルかフェイクか? それが暗号のようなデータになれば一層悩むのかもしれない。 いや、情報の質や量の違いではもはや判断できない。 周囲の関係性も深く係る。 それにしてもテンポが速い。 科白もヒップホップ系です。 楽しい舞台でした。 テントのような小道具を広げたり縮めたりしている操作が煩わしそう。 公演1回で上演時間40分では道具の選び方にも悩むでしょう。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、西田悠哉 ・・ 検索結果は2舞台 . *劇場、 https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/27938

■ずれる

■作・演出:前川知大,出演:浜田信也,安井順平,盛隆二,森下創,大窪人衛,劇団:イキウメ ■シアタートラム,2025.5.11-6.8 ■「ずれる」は幽体離脱から来ているらしい。 魂(意識など)と肉体が一致している状態からズレが生じる時がある。 そのズレが激しくなり魂が肉体から離れると幽体離脱になる。 これを舞台に載せている。 なんと動物たちは離脱した人の魂を見ることができる! 動物が持つ<野生の力>か? ここに動物解放戦線(ALF)の活動家が加わり動物の解放が試みられる。 そして野生の力を失っている現代人をも批判する。 現代人はズレを忘れてしまったのか? いや、ズレ方が歪なのか? いつものイキウメとは少し違います。 ドキドキする謎や不思議が無い。 幽体離脱や動物解放が手垢に塗れている為でしょうか? でも、いつもの緊張感は舞台に充満している。 現代人が失ってしまった野生の力を考えてしまう内容でした。 ・・人生で道草をすること、これで野生の力を感じ取ることができるようになる・・。 ところで家政夫の山鳥士郎の復讐が何であるのかよく分からなかった。 山鳥の父と主人公である社長小山田輝に関する復讐にみえたが・・。 舞台美術は社長宅の居間らしく現代的で緊張感を補強していました。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/367754 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、前川知大 ・・ 検索結果は14舞台 .

■能楽堂五月「布施無経」「雲林院」

*国立能楽堂五月企画公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・布施無経■出演:山本東次郎,山本則重 □能・世阿弥自筆本による・雲林院■出演:梅若紀彰.片山九郎右衛門,観世喜正,舘田善博ほか ■国立能楽堂,2025.5.20 ■「布施無経(ふせないきょう)」は仏事の布施を忘れている施主に住持が遠回しに催促する話である。 やはり布施が欲しい!でも、施主に素直に言えない・・。 執着の末の自尊心や人間関係が壊れていく住持の虚脱感が並みでない。 「雲林院(うんりんいん)」は在原業平と二条后高子の愛の逃避行を描く。 終幕、二人は后の兄藤原基経に見つかってしまう。 これらは芦屋公光の夢の中で語られる。 追い詰められた虚脱感が業平に漂う、「布施無経」の住持と理由は違うが身体状況は同じようなものだろう。 面は在原業平が「中将」、藤原基経の「邯鄲男」、二条后は「増(ぞう)」を付けたが、この状況下に合う表情が三人に現れていた。 基経にみえる潔白感が物語の泥まみれを消している。 「業平と二条后が作り物の塚の中へ戻る」から「橋掛かりへ退く基経と二条后を、業平が舞台から見送る」へ演出が変更になったらしい。 この変更が業平と高子の愛と別れを高めた。 橋掛かりで二条后は振り向き業平と目を合わせる。 ・・。 この時、一直線上に居る公光とも目が合う。 公光は業平と一体化していたのか? また、今まで忘れていた公光の存在感も意識した。 夢という劇中劇を現前化する演出が加わったとも言える。 面白い舞台だった。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演 *「能を再発見する」公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7006/

■博士の異常な愛情

■原作:スタンリー・キューブリック(1964年同名映画),演出:ショーン・フォーリー,出演:スティーヴ・クーガン,ジャイルズ・テレラ,ジョン・ホプキンス他 ■シネリーブル池袋,2025.5.9-(ロンドン・ノエル・カワード劇場,2025.3.27収録) ■キューブリック監督の映画は数十年前に観ている、・・ソビエト上空で米軍機から投下された原子爆弾に飛行士がカウボーイのようにまたがり落下していく場面しか覚えていないが・・。 米国空軍将校が異常をきたしソビエトへ核攻撃を仕掛けてしまい、大統領と高官がこの対応に四苦八苦する話です。 ブラックコメディだが当時の米ソ対立状況が伝わってきます。 舞台は、反乱軍で混乱している米空軍基地、大統領や高官が対応している国防省戦略室、ソビエトへ向かう爆撃機B52操縦室、この3場面を交互に映し出しながらスピーディーに展開していく。 映像も駆使して緊迫感があります。 核兵器が偶発的に使用されてしまう! この問題を取り扱っている作品です。 現代でもありえる。 しかも複雑化不可視化している。 新鮮な理由でしょう。 人類破滅へ向かっていくなか、似たような場面が積み重なるため舞台が重く鈍くなっていくのがわかる。 次第に飽きてきました。 コメディの粘性も強過ぎるから? それを吹き飛ばしたのが終幕で歌われる「また会いましょう(We'llMeetAgain)」です。 第二次世界大戦のヒット曲が次大戦でも歌われる。 苦い皮肉を含んでいて効いていました。 *NTLナショナルシアターライブ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/103256/

■能楽堂五月「業平餅」「右近」

*国立能楽堂五月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・業平餅■出演:野村万之丞,野村萬蔵,炭光太郎,野村万禄ほか □能・宝生流・右近■出演:今井泰行,金井賢郎,朝倉大輔,御厨誠吾ほか ■国立能楽堂,2025.5.14 ■タイトルロールの如く今回も業平尽くしが続く。 「業平餅(なりひらもち)」は参詣途中の業平一行が餅屋でひと騒動起こしてしまう話である。 一行が大人数で華やかな気分だ。 そのなかの傘持ちが道化役を引き受ける。 餅屋主人の対応から業平は歌人ではなく女好きとして世間で通っているのが分かる。 業平の裏面が見えて楽しい。 現代ならハラスメントになりそうな娘への対応も狂言ではときどき見受けられる。 「右近(うこん)」は幕開けからテンポが速い。 ワキが足早に登場したのには驚く。 大鼓の元気の良さが目立つ。 太鼓も入る。 この忙しさもシテの登場で少し落ち着いたが。 ワキである鹿島神職が業平と重ね合わさって見えたか? そうは見えない。 前シテに神へ向かおうとするベクトルが強いからだと思う。 ツレが共に二人だと華やかさが出る。 ワキ3人とツレ2人が微動だにしない中、シテが舞う場面は舞踏的な存在感が漂う。 この華麗な存在群は能が持つ特権だろう。 面はシテが「泣増(なきぞう)」(是閑作)、ツレは「小面(こおもて)」。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演. *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7005/

■源氏物語

■原作:紫式部,演出:レオニード・アニシモフ,台本:中澤由佳,出演:安部健,麻田枝里,大坂陽子,岡崎弘司ほか,劇団:TOKYO・NOVYI・ART トーキョウ・ノーヴェイ・アート ■梅若能楽学院会館,2025.5.11 ■どのような舞台かな? タイトルでは想像できない。 楽しみですね。 おや? 会館前に新しいビルが建っている! レストランも入っている。 でも会館は変わっていない。 先ずは20人くらいの役者が登場し舞台に座る。 ほぼ座ったままです。 女性陣は白化粧が厚い。 そして客席を背にしているので長い髪が目立つ。 男性たちは地謡座に陣取り演奏などを担当する。 衣装以外は略素顔です。 脇座前に進行役の桐壺宮が座り何か書いている。 いや、紫式部かもしれない。 そして「桐壺」から始まる。 帖の順番は憶えていないが「帚木」「空蝉」「夕顔」・・と続く。 帖あたり7分くらいか? 飛ばした帖も沢山ある。 「まぼろし」「くもがくれ」まで続いたでしょうか? 科白は淡々とゆっくりと喋ります。 帖ごとの女主人公は人形のように機械的に微妙に動く。 表情もそれに合わせている。 そして科白の後に歌を披露する。 この歌が効いていましたね。 驚きは光源氏が実役者として登場しなかったことでしょう。 これで女主人公の存在が際立ち、しかも容易に抽象化できた。 この劇団らしい舞踏的舞台です。 台詞は要約で解説的に聴こえる。 源氏物語の全体を掴もうとしたところは面白い。 でも粗筋の域を出ない。 源氏物語を読んでいることが条件かもしれない。 過去に読んだ内容と役者を重ね合わせて物語を膨らませる。 このような舞台でしょう。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/373622 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、レオニード・アニシモフ ・・ 検索結果は13舞台 .

■能楽堂五月「簸屑」「杜若」

*国立能楽堂五月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・簸屑■出演:井上松次郎,今枝郁雄,鹿島俊裕 □能・金剛流・杜若(日蔭之糸,増減拍子,盤渉)■出演:種田道一,野口能弘ほか ■国立能楽堂,2025.5.10 ■「在原業平・生誕1200年」の月間特集はプレトーク「業平の恋・唐衣をまとう杜若の精」(梅内美華子)で始まる。 これを聴く。  ・・先ずは業平の家系と彼の生涯を俯瞰する。 彼は漢詩文が得意ではなかったらしい。 これも和歌に傾いた理由か? 次に藤原高子との禁忌の恋が語られる。 「伊勢物語」に関わる能は平安朝の原典から離れ中世注釈書の影響が大きい。 さいごに「杜若」の粗筋を解説する・・。  「杜若(かきつばた)」は小書「日蔭之糸ひかげのいと」「増減拍子ぞうげんびょうし」「盤渉ばんしき」が入る。 業平の三河八橋の歌も紹介され親しみのあるストーリーだ。 後場、シテは業平であり高子に変身する。 物着まではシテとワキの問答、次に二段クセでシテと地謡、そして舞が続く。 均整がとれた構成になっている。 面は「孫次郎」。 頭の冠が少し重たいが。 雨上りの曇り空だがひんやりとした温度・湿度が気持ち良い。 能楽堂中庭のモミジも緑が鮮やかだ。 舞台に没入できるか? この時期にもってこいの作品である。 「簸屑(ひくず)」は茶の屑(簸屑)を臼で挽く太郎冠者に次郎冠者が悪戯をする話。 主である茶屋亭主はこの挽茶で宇治橋供養の道者(巡礼者)を接待する。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演. *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7004/

■ラクリマ、涙

■作・演出:カロリーヌ・ギエラ・グェン,出演:ダン・アルテュス,ディナー・ベリティ,ナタ-シャ・キャッシュマン他,製作:ストラスブール国立劇場 ■静岡芸術劇場,2025.5.4-6 ■「オートクチュールの燦めき」からファッション業界の話のようです。 そして「ラクリマ」とは涙の意味です。  パリにある有名メゾンが英国王妃のウェディングドレス製作を受注する。 この案件を成し遂げるためノルマンディー地方アランソンのレース工房、インドの州都ムンバイの刺繍工房を含め3つの拠点で物語が転回(展開)していきます。 製作過程では多くの法令・規制を順守しなければいけない。 登場する組織はみな零細企業?と言ってよい。 このためか製作途中で納期厳守や人員確保などに綻びがでてくる。 厳しいですね。 製造業で働く人からみると身につまされるでしょう。 舞台は映像を多用して3拠点を上手に飛び回る。 やはり映像の力は強い。 画面を見る度合いが高くなります。 生身の役者が薄くなる。 テレビ会議など通信技術も駆使するので尚更です。 ここが要ですが経営者や従業員の家族を舞台に持ち込んでくる。 つまり製作・会社・家族で発生する多くの問題を絡ませて物語が進んでいきます。 比重は4:3:3ですか? ほぼ均等で配分が絶妙です。 しかも各問題を具体的に出してくる。 しかも味が濃い。 ちょっと濃すぎるかな? 演出家のインタビューを読むと、「北による南の支配、上司による部下の支配、男性による女性の支配、特権階級による庶民階級の支配・・」とある。 でも企業と家族を接近させ過ぎて混乱する場面があった。 仕事中にそこまで家族らが押し寄せるか!? 国家と企業、企業と企業、企業と家族、家族と個人・・。 この組織関係の上に支配関係を重ね、困惑したところもあったが、渦巻く関係を整然と巧くまとめていました。 雨も降っているGW最後の今日。 帰りの新幹線は遅くなるほど混むはず。 プレトークは聴いたが、アフタトークは聴かないで劇場を後にする。 *SHIZUOKAせかい演劇祭2025 *劇場、 https://festival-shizuoka.jp/program/lacrima/

■想像の犠牲

■作・演出:山本ジャスティン伊等,台詞引用:「サクリファイス」アンドレイ・タルコフスキー,出演:石川朝日,佐藤駿,田崎小春ほか,主催:Dr.HolidayLaboratory ■吉祥寺シアター,2025.5.3-5 ■メタ演劇とでも言うのでしょうか? 芝居を作る過程を描いている。 舞台職業とは無縁で、観るだけが趣味の私にとって作成過程は新鮮です。 演出とは?、戯曲とは?、演じるとは?・・。 質問されると戸惑います。 これらは謎です。 観客との境が曖昧な手法をとりながら幕が開く。 役者たちは劇団チェルフィッチュのような動きや話し方をする。 少しずつ引き込まれていきました。 アンドレ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」を引用しているらしい。 この映画は数十年前に観ている。 粗筋などは覚えていない。 劇場へ行く前に調べようとしたが止めました。 舞台は周囲に段差を付け中央の床に水を張りベッドが置かれている。 この水がタルコフスキーを呼び込みましたね。 彼の雰囲気が漂っていました。 でもサクリファイスとは何か? キリスト教も邪魔をしている。 それを考えている余裕は無い。 役者の演技と科白に集中しました。 でも2時間半は長い、役者は緊張を維持し続けていたが。 上演時間が長すぎて終盤は戯曲に絡め取られてしまった。 文学的な匂いがしてきた。 観ている方が疲れてしまった。 アフタートークがあったが解放されたかった。 トーク前に劇場を後にしました。 しかし面白い舞台でした。 役者も存在感があった。 帰りの吉祥寺駅へ向かいながらいろいろ考えてしまった。 タルコフスキーのこと、転形劇場のこと、床に水を張った作品があったはず。 チェルフィッチュのこと、青年団のこと、・・などなどをです。 タルコフスキーと太田省吾は水の人でしょう。 ついでに、唐十郎も水だが土が混じる、つまり泥の人かな? *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/365101

■<不可能>の限りで

■作・演出:ティアゴ・ロドリゲス,出演:アドリアン・バラッツォーネ,ベアトリス・ブラス,バティスト・クストノーブル,ナターシャ・クチューモフ,音楽:ガブリエル・フェランディーニ ■静岡芸術劇場,2025.4.26-29 ■「赤十字国際委員会や国境なき医師団のメンバーとの対話から創作された作品」です。 舞台を覆った白い布を吊り上げて野外病院のテントを出現させ、そこに演奏者が一人ドラムを叩いている。 登場した役者4人は立ちっぱなしの略リーディング形式をとります。 英語・フランス語・ポルトガル語の上演だが科白が練れていない。 裸の台詞です。 字幕に集中しないといけない。 天井に字幕板があるので目の移動が楽ですが。 紛争地域の医師やスタッフらに解決困難な出来事が次々と降り注いでくる。 彼らは<不可能>と<可能>を行き来する。 不可能とは彼らで問題を解決できない、彼らの意志や行動が及ばないことです。 可能とは解決を含めそれを忘れること、紛争地域から離れること、たとえばバックオフィスや本国へ戻ることです。 どちらも不完全に漂い続けていく。 演劇はこの境界上でいつも起こる。 <彼岸>と<此岸>は美と抽象も感じるが、この<不可能>と<可能>は醜と具体で一杯です。 この不可能と可能の境界を行き来できること。 これが人道支援の要かもしれない。 それは演劇の成立条件でもある。 人道支援と演劇は同じ構造を持つからでしょう。 今日の舞台は微かに両者を感じさせる。 でも現実の強さに流されてしまった。 先ずは私の生活圏を<不可能>にしないよう努力するしかない。 同時に既にある<不可能>を狭めることもです。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/367456

■フィデリオ

■作曲:L・V・ベートーヴェン,指揮:スザンナ・マルッキ,演出:ユルゲン・フリム,出演:リーゼ・ダーヴィドセン,デイヴィッド・バット・フィリップ,イン・ファン他 ■新宿ピカデリー,2025.4.25-5.1(METメトロポリタン歌劇場,2025.3.15収録) ■入り難い舞台です。 違和感のあるストーリで幕が開き、半煮えのまま幕が下りてしまった。 ベートーヴェン唯一のオペラ作品だが、彼は歌劇が苦手だったのでしょうか? 交響曲に叙唱と歌唱を乗せたような作品です。 しかも両唱の落差が激しい。 叙唱があからさまな現実を持ってくるので歌唱が浮いてしまう。 舞台に入り込めるのはレオノーレの長い独唱からでしょう。 そして二幕に入ってのフロレスタンの一声ですかね。 ロッコ役ルネ・パーペが歌い難いと言っていたが、そのまま聴き難いということです。 やはりベートーヴェンの拘りを意識しました。 当時の自由主義を強く感じさせます。 総裁P・ゲルプの挨拶でも現代政治との関係を話していましたね。 逆に政治が強く出過ぎると固まってしまい面白さが伝わらない。 演出にも問題がありそうです。 METでは25年前から変わっていないらしい。 以前観たカタリーナ・ワーグナー演出の当舞台は好感が持てたからです。 次回METでは新演出で上演して欲しい。 *METライブビューイング2024作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/102326/

■真面目が肝心

■作:オスカー・ワイルド,演出:マックス・ロブスター,出演:シャロン・D・クラーク,チュティ・ガトゥ,ヒュー・スキナー他 ■シネリーブル池袋,2025.4.11-(イギリス,2025収録) ■英国上流階級の一端を覗くことができました、事実とどれだけ違うか分からないが、1895年作のため現代との差異もあるでしょう。 喜劇的困難の後に3組も結婚にこぎつけるハピーエンドな話です。 ストーリーはシェイクスピア風だが、内容はとても諄い。 つまり耽美的・退廃的・懐疑的な要素が日常にギッシリと詰まっているからです。 これがオスカー・ワイルド風なのでしょうか? 主人公はエディ・マーフィに瓜二つです。 まさにワイルド仕立てです。 劇場(映像内)の客席からの笑いが絶えない。 映画館では最初は笑いがあったが少しずつ減ってきた。 たぶんワイルドの毒に当てられた? 新郎新婦の品定めは祖先まで遡る。 もちろん資産状況も調べる。 古い日本でも同じでしょう。 こういう時は伯母が煩いのもです。 結婚に興味がある人なら観て損はない作品です。 結婚の落としどころを提供しているからです。 え!参考にならない? そして真面目とは何を指しているのか?、悩みます。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2025作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/103255/#google_vignette

■能楽堂四月「重喜」「野守」

*国立能楽堂四月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・重喜■出演:山本東次郎,山本則匡,山本則秀ほか □能・喜多流・野守■出演:長島茂,原大,山本則孝ほか ■国立能楽堂,2025.4.12 ■プレトーク「八面玲瓏(はちめんれいろう)、鬼神の鏡」(原田香織)を聴く。 速い流れで解説が進む。 世阿弥はもとより、新古今和歌集や雄略天皇のこと、額田王と光孝天皇の歌、大峰八大金剛童子への展開、等々。 この分野に慣れていないと話についていけない、が刺激的な解説だった。 「重喜(じゅうき)」とは何か? ここでは僧侶になりたての新発意(しんぼち)の名前である。 僧侶の名に多いらしい。 子方である重喜が住持の頭を剃るのでハラハラしてしまう。 地謡も入る。 トークの初めに「教誡律儀(きょうかいりつぎ)」の話があったが、この教えが舞台をより面白くしていた。 「野守(のもり)」は長閑な春日野から鏡を一転させると天上そして地獄界までが出現する。 何度観ても飽きない。 今日のシテは前場の静から後場の動へ、どちらの動きも存在感が出ていた。 橋掛りを歩く姿もぶれていない。 十分に堪能した。 面は「三光尉(さんこうじょう)」から「小癋見(こべしみ)」へ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7001/

■能楽堂四月「腰祈」「歌占」

*国立能楽堂四月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・腰祈■出演:大藏彌右衛門,大藏章照,大藏彌太郎ほか □能・金春流・歌占■出演:山中一馬,島袋元寿,則久英志ほか ■国立能楽堂,2025.4.9 ■「腰祈(こしいのり)」は山伏修行を終えた孫が祖父の曲がった腰を治す話。 孫の法力が効き過ぎてしまった!? 「歌占(うたうら)」は父子再会物語である。 そして伊勢神道の父が地獄へ落ちた時の様子を語り「地獄の曲舞」を舞う。 中世神仏習合の死生観は仏教のため浄土信仰の八大地獄が描かれる。 「世阿弥が嫌った地味な男物狂」を彼の実子・観世十郎元雅が当作品としてまとめ上げたらしい。 当時の仏教的地獄はずっと身近だったはず、でも現代はそれが迫って来ない。 シテ面は「今若(いまわか)」の色白で「・・地獄の苦しみにかやうに白髪となりて候」の髪は金髪にみえる。 現代的なシテの曲舞から地獄は遠い。 また地謡の出番が多い。 難解な謡と舞のため出演者の苦労が感じられる舞台だった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7000/

■能楽堂三月「袴裂」「武文」

*国立能楽堂三月特別企画公演の□2舞台を観る. □狂言・「天正狂言本」と古画による・袴裂■出演:野村又三郎,奥津健太郎,奥津健一郎 □能・復曲新演出・武文■出演:金井雄資,金井賢郎,宝生欣哉ほか ■国立能楽堂,2025.3.28-29 ■「袴裂(はかまさき)」は2年前に当劇場で観ている。 割いてしまった袴を二人が着けて舞う場面は笑ってしまった。 「武文(たけぶん)」は能より歌舞伎に近い。 いや、能が70%歌舞伎30%かな? 狂言方の比重が高いのが一因だが、程良いバランスだと思う。 20場面から構成されている。 前半はスピード感が半端でない。 火事場まで一直線だ。 早送りで観たような後味が残る。  複雑な内容を75分に巧くまとめ上げたのは企画演出の賜物だろう。 このあたりは「「武文」改訂について」(横山太郎)に書かれている。 クライマクスは終場の鳴門海上だ。 「・・手向けの衣の恨めしながらも、懐かしや」。 霊になっても迷う武文の心模様がジーンと迫ってくる。 船中の場では舵取の行動が目立った。 松浦某に少し分けてやりたいくらいだ。 役者たちは切れ味のある動きと声だった。 囃子も場面を盛り上げていた。 満足度は100%! 面はツレが「孫次郎」、後シテは「木汁怪士(きじるあやかし)」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/3128/

■NHKバレエの饗宴2025

■指揮:井田勝大,管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団 ■NHK,2025.3.23(NHKホール,2025.2.1-2収録) *下記の□6作品を観る. □「白鳥の湖」第2幕 ■振付:マリウス・プティバ,レフ・イワノフ,演出:三谷恭三,音楽:P・チャイコフスキ-,出演:秦悠里愛,小池京介,米倉太陽ほか,舞団:牧阿佐美バレエ団 □「ラ・シルフィード」からパ・ド・ドゥ ■振付:オーギュスト・ブルノンヒヴィル,音楽:レーヴェンスヨルド,出演:前田紗江,中尾太亮 □イサドラ・ダンカン風のウラームスの5つのワルツ ■振付:フレデリック・アシュトン,音楽:J・ブラームス,出演:佐久間奈緒,ピアノ:佐藤美和 □「椿姫」から3つのパ・ド・ドゥ ■振付:山本康介,音楽:F・リスト,出演:中村祥子,厚地康雄,ピアノ:佐藤美和 □「ロメオとジュリエット」バルコニーのパ・ド・ドゥ ■振付:ケネス・マクミラン,音楽:S・プロコフィエフ,出演:高田茜,平野亮一 □コンサート ■振付:ジェローム・ロビンズ,音楽:F・ショパン,出演渡辺恭子,林田翔平,中川郁ほか,舞団:スターダンサーズ・バレエ団,ピアノ:本田聖嗣 ■重量級の「白鳥の湖」を最初に持ってくるとは! 調子が狂ってしまった。 部分上演のため演目は吟味したほうがよい。 「ラ・シルフィード」の中尾太亮が若さを発散していましたね。 「椿姫」が一番気に入りました。 山本康介の振付が効いていた。 ストーリーもメリハリがあった。 ダンサーの二人も物語的に似合っていた。 衣装も良い。 「コンサート」は初めて観る作品です。 コメディバレエとは珍しい。 楽しく締めることができました。 *NHK、 https://www.nhk-p.co.jp/ballet/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、NHKバレエの饗宴 ・・ 検索結果は8舞台 .

■影のない女

■原作:フーゴ・フォン・ホーフマンスタール,訳:高橋英夫,演出:倉本朋幸,出演:寺中友将,清水みさと,山井祥子ほか,劇団オーストラ・マコンドー ■吉祥寺シアター,2025.3.24-31 ■役者の声が耳に入るが即すり抜けて霧散してしまう。 集中して聴かないと言葉の意味さえ蒸発していく。 戸惑いました。 詩小説を朗読している感じだが、その言葉は役者身体の奥から発していない(ようにみえる)。 棒読みに聞こえる場面が多々ある。 これが違和感の原因でしょう。 また組体操のような動きを入れてくる。 チェルフィッチュが微妙な動作で科白と身体の関係に迫るのとは違い、これが科白と役者の解離を一層大きくしてしまった(ように思える)。 ところで、ガラス張りで薄緑や薄青色に変化させる舞台床が映えていました。 そこに船を浮かべた場面は素晴らしい。 鷹の鳴声も舞台を引き締めていた。 後半、リズムがでてきて照明も忙しくなり盛り上がってきましたね。 この作品はオペラで観ています。 が、演劇は別物かもしれない。 チラシに「森鴎外が名訳を残した巨人ホーフマンスタールの深淵に迫る」と書いてある。 でも、深淵に入り込むことは残念ながら叶いませんでした。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/363351

■アレグリア

■振付:カデル・アトゥ,音楽:トム・ウェイツ,レジス・バイエ・ディアファン,舞団:アクロラップ ■NHK,2025.3.10-(パリ・シャイヨー宮,2019.11.26収録) ■「ヒップホップ・バレエ」とあったが初めて聞く言葉です。 しかしバレエには見えない。 強引に結びつけようとした言葉に聞こえる。 8人のダンサーが10数場面を展開している。 基調はブレイクダンスです。 繋ぎには規則性ある振付が多い。 それは子供を真似たように走り回り、またゲーム感覚を持ったダンサー同士の振付が多い。 後半、音楽の位置づけがはっきりしてきましたか? 途中に歌唱(録音)も入る。 これは日本語訳が欲しいですね。 床段差や布を使って波のように利用する場面もあり飽きさせない。 フランス的なところが見え隠れするのが気に入りました。 ヒップホツプダンスは上演を増やして欲しいところです。 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/K9ZLW6L3PL/

■アイーダ

■作曲:ジョゼッペ・ヴェルディ,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,演出:マイケル・メイヤー,出演:エンジェル・ブルー,ユデット・クタージ,ピュートル・ペチャワ他 ■東劇,2025.2.28-3.13(メトロポリタン歌劇場,2025.1.25収録) ■インディー・ジョーンズの世界が出現? 幕開きに目を疑ってしまった。 ファラオの世界を探検家と「アイーダ」を平行して描いていくようだ。 前者はエジプシャンブルーで空間を染めていて、これは気に入ったが、しかし観ていて物語への集中力が落ちる。 生舞台でない為とも言える。 しかも探検家がエジプト財宝を奪っていくような描き方をしている。 演出家は凝り過ぎてしまった。 探検家オギュスト・マリエットのことはともかく、重量級の舞台は始まりから飛ばしていく。 歌手も重量級が多い。 力強い空気が舞台隅々まで広がっていく。 何回観ても痺れる。 衣装も素晴らしい。 将軍ラダメス役ペチャワも角が取れてきた。 なかでも光っていたのは王女アムネリス役ユディット・クタージ。 インタビューで当役を60回近く歌ってきたと話していた。 演じなくてもアムネリスが舞台に出現していた。 エンジェル・ブルーもエチオピア王女が「地」で似合う。 都会と田舎の対決かな? ところで凱旋場面に動物たちは登場しなかった・・! よくあるのだが。 今回はダンスが中心に置かれている。 私は気に入ったが、これは賛否両論があるだろう。 そして終幕、地下牢でラダメスとアイーダは息を引き取る。 この終わり方はいつ観ても寂しい。 華麗で力強い前半とは対極にある。 もう少し捻ったストーリーにすればテンションが落ちないのだが。 ヴェルディは普仏戦争勃発で終わり方を書き急いだのかもしれない。 *METライブビューイング2024作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/6005/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、マイケル・メイヤー ・・ 検索結果は3舞台 .

■能楽堂三月「八句連歌」「恋重荷」

*国立能楽堂三月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・八句連歌■出演:山本東次郎,山本凛太郎 □能・観世流・恋重荷■出演:観世恭秀,坂井音雅,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2025.3.8 ■「八句連歌(はちくれんが)」は借金の催促問答を連歌に込めた話である。 「連歌は中世最大の流行文芸」と解説にあったが当時の町民文化の質の高さが窺われる。 借手が連歌に長けていたので借金証文は破棄される。 これをみて借手は連歌と関係が深い天神信仰である菅原道真に感謝して終わる。  「恋重荷(こいのおもに)」は庭掃除の老人(シテ)が白河の女御(ツレ)に叶わぬ恋をする物語である。 シテ・ワキ・ツレ、それに地謡のバランスが良い。 全体の構成が整っている舞台だ。 切れ味がある動のシテと静のツレの対比も面白い。 老人の期待・不安・執念を描くのだがこれら感情表現が巧く抽象化できていた。 「阿古父尉(あこぶじょう)」から「重荷悪尉(おもにあくじょう)」へ面は替わるがどちらも恋から掛け離れている。 しかし違和感が無い。 感情を抽象化して昇華できた為である。 舞台芸術の醍醐味と言えるだろう。 ツレは「小面」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/3124/

■能楽堂三月「口真似」「三山」

*国立能楽堂三月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・口真似■出演:善竹忠重,善竹忠亮,善竹十郎 □能・観世流・三山■出演:観世銕之丞,観世淳夫,宝生常三ほか ■国立能楽堂,2025.3.5 ■口真似と言えば昨年末に「 察化(さっか) 」を観ている。 「口真似(くちまね)」も太郎冠者が主人の真似をする話だが冠者に諄さを感じる。 「・・主人の命を逆手にとり、口真似をする鸚鵡ではない自分を楽しむ」と解説にもあったが、冠者の行動が自己ループに陥り他者への広がりが見えないからだろう。 「三山(みつやま)」は一人の男と女二人の三角構造を持つ。 結局は一人が捨てられてしまう。 女たちの執念が凄まじい。 霊になっても現世に現れ互いに罵り合っている。 しかし最期は「後妻打ち(うわなりうち)」を果たし晴れて二人は消えていく。 能の一般型に準じた流れだが見処は女二人の争いと和解だろう。 ここは滅多に観ることができない。 劇的とは違った面白さがあった。 この作品は万葉集「香久山は畝傍ををしと耳梨と相あらそひき、神世よりかくにあるらし、・・、うつせみも嬬を争ふらしき」(天智天皇)を下敷きにしている。 面はシテが「曲見(しゃくみ)」、ツレが「小面」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/3121/

■賭博者

■原作:F・M・ドストエフスキー,作曲:C・プロコフィエフ,指揮:ティムール・ザンギエフ,演出:ピーター・セラーズ,出演:チェン・ペイシン,アスミク・グリゴリアン,ショーン・パニカー他,演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ■NHK,2024.12.2-(ザルツブルク・フェルゼンライトシューレ,2024.8.12・17収録) ■幕開きから歌手たちは精神が高ぶっている。 オペラでは珍しいくらいの演劇的演技が続く。 加えてカメラは歌手のアップを多用する。 この過剰な演出は何だ!? 明暗の強い赤色系の照明に映像画面が染まっている。 この緊張ある舞台は何だ!? 主人公アレクセイや恋人ポリーナの意図も捕らえることができない。 観ていても厳しい。 終幕も近い後半、空飛ぶ円盤のようなルーレットが天井から降りてくる。 賭博に挑むアレクセイの大勝する場面が凄まじい。 ここで多くの謎が解ける。 舞台は、初めから終わりまで、この賭博の緊張が拡散していたのだ。 この張り詰めた充満はドストエフスキーと演出家ピータ・セラーズのコラボ成果と言ってよい。 投げられ回転しているボールの行方を見つめるあの短い時間に沸き起こる極限へ向かう高揚感が全ての歌手に塗り込められていたのだ。 *ザルツブルク音楽祭2024作品 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/ZW6V3Z25NJ/

■能楽堂二月「老松」「弓矢太郎」「雷電」

*国立能楽堂二月企画公演の□3舞台を観る. □舞囃子・金剛流・老松(紅梅殿)■出演:金剛永謹,金剛龍謹ほか □狂言・和泉流・弓矢太郎■出演:野村万蔵,野村万之丞,小笠原由祠ほか □復曲能・雷電(替装束)■出演:宝生和英,宝生欣哉,野口能弘ほか ■国立能楽堂,2025.2.28 ■舞囃子「老松」は能の舞事部分を面・装束を付けずに紋付袴姿で演ずる。 ツレの紅梅殿が真ノ序の舞、シテ老松がイロエ翔リを舞う。 「弓矢太郎」は前半と後半に分かれ狂言にしては長い。 臆病な太郎を驚かそうとした天神講の頭である当屋が逆に驚かされてしまう話。 出演者も8人と多い。 「雷電」は比叡山座主の法性房と菅原道真の霊の再会と対立を描く。 道真は後場の動きが鋭い。 シテ面は「三日月」から「筋怪士(すじあやかし)」へ。 今日は菅原道真特集であった。 しかし昨晩の寝不足がたたり舞台に集中できなかった。 残念! *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/2108/

■ハンマー

■振付・美術・照明:アレクサンダー・エクマン,音楽:ミカエル・カールソン,出演:エーテボリ歌劇場ダンスカンパニー ■NHK・配信,2025.2.17-(スエーデン・エーテボリ歌劇場,2022.12.7・10収録) ■NHKは2023年放映の当作品を再び配信している。 振付家アレクサンダー・エクマンの7月初来日に合わせたのかな?、と言うことで早速観ました。 彼の振付は初めてです。 ・・幕が開き、ダンサー30人が揃って動き回っているが、舞台の広さが並みでない。 ちょっとした運動場でしょう。 床は一対の大きな男女の顔写真が引き伸ばされて張ってある。 いつのまにか衣装を纏ったダンサーたちが思い思いに駆け巡り踊りだす。 まるで子供の遊戯を大人化したような振付です。 そしてダンサーたちは客席に侵入しだす!、それも客の頭越しにです。 客と会話をしたり写真を撮りあったりする。 ダンサーは再び舞台に戻り前半が終わります。 後半、舞台の床が黒光りに反射するなか、ダンサーたちは黒衣装とサングラスをかけてパントマイムのような動きをバラバラとやりだす。 次にテレビのバラエティショーが始まりトークやコントを入れる。 その後ブロック片を持ち出し積み木のように積み上げたり崩したりする。 ハンマーで鐘をたたき、再び揃って動き回り幕が下りる・・。 何でも有りですね。 舞台や客席そして観客を十二分に活用している。 ダンス界の寺山修司ですか?  広い空間を使い熟せる振付家です。 2024年パリ・パラリンピック芸術監督兼振付を担当しただけはあります。 初来日が楽しみですね。 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/Z82LQ3N8NW/

■ソウル・オブ・オデッセイ Soul of ODYSSEY

■作・演出・振付:小池博史,古代ギリシャ叙事詩「オデュッセイア」より,音楽:サントシュ・ロガンドラン,太田豊,出演:リー・スイキョン,今井尋也,池野拓哉ほか ■スズナリ,2025.2.22-28 ■・・テレマコスは母を故郷に残し父オデセウス探しの旅に出る。 そしてオデセウスの帰還で終わるが、海神ポセイドンや魔女キルケ、怪物スキュラとの戦い、冥界巡りなどが途中で語られ演じられていく・・。 「オデュッセイア」を知らなくても楽しめる。 それはクラウンらしき3人の進行役がときどき登場してト書きを喋り解説を入れるからです。 役者たちの母語は北京語・広東語・マレー語・英語・日本語と多彩です。 しかも全員が顔を白塗りで覆っているので多言語が溶け合い直截に耳に届く。 ダンサー出身の役者も多い。 このため身体重視に傾いている。 躍動的です。 特にオデセウス役リ・スイキョンはヨガ・太極拳・気功で迫ってくる。 今井尋也の能楽と呼応して舞台を引き締めます。 航海上の嵐で使う十数台の扇風機を回す装置が楽しい。 得意な映像はいつもより絞っています。 演奏も舞台両脇に陣取る。 総合芸術としての完成度は見事です。 しかも誰にでも開かれた舞台でした。 子供たちが観ても楽しめるでしょう。 *小池博史ブリッジプロジェクト *第35回下北沢演劇祭参加団体 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/355901 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、小池博史 ・・ 検索結果は13舞台 .

■能楽堂二月「吹取」「生田敦盛」

*国立能楽堂二月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・吹取■出演:大藏彌太郎,大藏教義,善竹大二郎ほか □能・観世流・生田敦盛■出演:山階彌右衛門,武田慶秀,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.2.22 ■「吹取」は2年前に当劇場で観ていた。 すっかり忘れていた。 妻定め物だが粗筋を読んで思い出す。 笛も入り、しっかりした舞台構成のため上演が多いのだろう。 「生田敦盛」の作者金春禅鳳は初めて観る。 なるほど、いつもの舞台とは違う。 仔細な情は形で表す、例えば敦盛と息子の再会と別れ等々に。 そして場面切替に濁りを残さない。 つまり歯切れが良い。 変化球ではなく直球で攻めてくる。 但しシテの発声は抑えないと棒読み風になってしまう。 今日は囃子も地謡も巧い。 作品に同期していた。 面は「十六中将」。 小書「替之型」とあったが急遽取り止めになってしまった。 つまり<カケリ>から通常演出の<中ノ舞>で舞うことになる。 前者は修羅の苦しみと息子再会の焦燥を表し、後者は親子再会の喜びを表す、ここに違いがあるらしい。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/2110/

■能楽堂二月「千鳥」「隅田川」

*国立能楽堂二月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・千鳥■出演:茂山七五三,茂山宗彦,茂山千五郎 □能・喜多流・隅田川■出演:塩津哲生,塩津希介,宝生常三ほか ■国立能楽堂,2025.2.19 ■「千鳥」は主人の命で酒を買いに行った太郎冠者と、ツケ残のある客に酒を売りたくない酒屋主人との駆け引きが見所。 二人は合口(話の合う仲良し)という設定もミソ。 尾張津島祭が話題になるが、そこでの「千鳥を捕らえる子供の遊びをまねる」場面が題名の由来らしい。 「隅田川」は京から遥かに遠い最果ての地だ。 此岸と彼岸の境界であるこの地で母子が再会する。 しかし「・・絶望的な悲劇を書きながら、救いのない荒涼たる晩秋や厳冬ではなく、大自然の慰めと生命力に満ちた時季に設定した点にも、元雅の作意が窺える」(村上湛)。 梅若丸の命日は2025年は4月13日である。 境界上の武蔵野の原風景を行ったり来たりしながら観てしまう作品である。 シテの動きを見て不安が過る。 科白はしっかりしているので途中から気にしなくなったが。 面は「曲見(しゃくみ)」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/2109/

■ポルノグラフィ/レイジ

■作:サイモン・スティーヴンス,翻訳:小田島創志,高田曜子,演出:桐山知他,出演:亀田佳他,土井ケイト,岡本玲ほか ■シアタートラム,2025.2.15-3.2 ■前半の「ポルノグラフィ」は2005年ロンドン爆破事件前後の市民生活を7つのオムニバス形式で描いています。 ロンドンの地名が次々と耳に届きますね。 でも頭に描いた地図上のここだ!と指し示すことができない。 NTライブは欠かさず観ているが、実はロンドンには長らく行っていない。 事前に地図をじっくり眺めておけば良かったと科白を聴きながら悔やみました。 今もそこの風景が浮かぶからです。 原作に忠実な舞台です。 読んでいないが、目をつむり科白を聴いているとそう感じます。 科白に同期した生活の音や街の騒音が微かに聴こえる。 これがとても効いている。 コーヒーやクロワッサンの香りも漂ってくる。 でもそこで生活していないと心身が反応しない。 ロンドンは遠い街になってしまった。 後半の「レイジ」は大晦日の英国の一都市が舞台のようです。 祭り騒ぎのなか、警官と市民の小競り合いが起こる。 前半と後半は連続しているようにみえる。 爆破事件を冷静に見届けた市民が大晦日でどんちゃん騒ぎをする。 これがロンドンの生活だ!と言っているようです。 ところで街の地下にできた穴は何の象徴でしょうか? 3時間15分は長い。 前半は静かな緊張、後半が騒がしい緊張で疲れました。 疲れた理由の真意、それは<芝居の面白さ>が感じられないからです。 たぶん真面目過ぎるのかもしれない。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/16041/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、サイモン・スティーヴンス ・・ 検索結果は3舞台 .

■円環 ENKAN

*以下の□3作品を観る. ■さいたま芸術劇場・大ホール,2025.2.7-9 □過ぎゆく時の中で ■演出:金森穣,音楽:ジョン・アダムス,衣装:堂本教子ほか,出演:金森穣,Noism ■・・一人の男がゆっくりと舞台を横切っていく。 そこを全速力で走り抜けるダンサーたち。 「新潟競馬場の直線コースを駆け抜ける競走馬」のように。 歩く男はダンサーを呼び止め関係を持ち始める。 その後ダンサーたちは輪になり男を囲み幕が下りる・・。 速度ある動きと小刻みな音楽が同期していて気持ちが良い。 2021年作らしい。 「円環」とは何か? 舞団の結束する姿が現れている。 衣装はシンプルだが、いつものように決まっています。 舞台の隅々まで演出家の気配が沁み渡っています。  □にんげんしかく ■演出:近藤良平,音楽:内橋和久,衣装:アトリエ88%,出演:Noism ■・・舞台には大小のダンボール箱が置いてある。 それがモゾモゾと動き出す。 中からダンサーたちが現れる。 彼らは何語?かを喋り箱を叩き踊りまくる。 お互い挑発もする。 楽しい舞台です。 もちろん衣装もです。 彼らは再び箱に入り幕が閉じる・・。 近藤良平らしい振付です。 彼は緊張感溢れる作品が多いNoismを別世界へ引きずり込もうとした。 これは成功したようです。 □宙吊りの庭 ■演出:金森穣,音楽:尊室安,衣装:鷲尾華子,出演:井関佐和子,山田勇気,宮河愛一郎,中川賢 ■・・胴体だけのマヌカンが舞台に置いてある。 3人のダンサーが登場しマヌカンと共に踊り出す。 マヌカンの服を脱がせてダンサーが着たり、その逆もある。 絡み合いながら複雑な振付が続いていく・・。 動きの中に充実した人生がみえる。 大人のダンスと言ってよい。 気に入りました。 ゲストの二人も存在感がある。 満足度120%です。 *劇場、 https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/101564/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、金森穣 ・・ 検索結果は37舞台 .

■マクベス

■作:ウィリアム・シェイクスピア,演出:マックス・ウェブスター,出演:デヴィッド・テナント,クシュ・ジャンボ,カル・マカニンチ他 ■吉祥寺オデオン,2025.2.5-(ドンマー・ウエアハウス,2024.1収録) ■ムリムダムラの無いスピーディな展開です。 早送りで観ているようです。 魔女の予言を信じる、と言うよりは、命令です。 マクベスは命令として受け取り、深く悩み迷うが体がどんどん動いていく。 これがスピード感を増幅しています。 役者も巧い。 シェイクスピアの科白も加速度を付けてビシビシと決まっていますね。 5mx7mの何も無い白い平面の舞台を縦横無尽に動き回る。 暗くてよく見えないが3方が客席のようです。 役者たちは時々カメラを意識する。 観客がいてもです。 しかも観客はヘッドホンを付けている・・? 録画の為の特別舞台・・? シェイクスピアのチャンバラ劇はこの手の演出が近頃多い。 ナショナル・シアター(NT)も同様でしょう。 英語を母語とする観客はどう観ているのか分かりませんが、しかし心身に直接迫る演劇的感動は少ない。 咀嚼し直してから、やっぱり本場は凄い!と頷く感動でしょう。 *映画com、 https://eiga.com/movie/103130/

■さまよえるオランダ人

■作曲:リヒャルト・ワーグナー,指揮:マルク・アルブレヒト,演出:マティアス・フォン・シュテークマン,出演:松位浩,エリザベート・ストリッド,ジョナサン・ストートン他,合唱:新国立劇場合唱団,管弦楽:東京交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.1.19-2.1 ■シュテークマン演出の同舞台はこれで3度目、もちろんこの劇場でね。 その為かワーグナーの真髄を乗せた歌唱が心身の奥底まで響いてくる。 当たり障りが無く巧すぎる演奏が逆にワーグナーを際立たせたのかも。 どう転んでも、ワーグナー最高!  オランダ人役エフゲニー・ニキティンが気管支炎のため河野鉄平に代わったことが当劇場理事から事前説明がある。 前回のコロナ下、2022年1月公演のオランダ人が河野鉄平だったことは憶えている。 でも今日はパワーが全開しているようにはみえなかった。 ドイツ語も馴染んでいない。 緊急出演でしょうがないかな? でも、そこは流石に新国劇、総合力でカバーしていた。 アクシデントはあったが十分堪能できたわよ。 ところで、この作品は能楽にしたら似合うかもしれない。 新作能「彷徨阿蘭陀人」! そう思いながら観てしまった。 *NNTTオペラ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_029080.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、シュテークマン ・・ 検索結果は4舞台 .

■何時までも果てしなく続く冒険

■作・演出:額田大志,出演:矢野昌幸,佐山和泉,薬師寺典子ほか,劇団:ヌトミック ■吉祥寺シアター,2025.11.17-19 ■舞台にシンセサイザー、ギター、ドラムが並ぶ。 音楽劇に近い? ・・若者が事故でなくなってしまう。 友人や家族が亡くなった人との近傍を語る。 些細な日常の行動や会話を、です。 それは時間的に空間的に、近くにそして遠くへ行き来する。 楽譜を展開するかのように物語は繰り返す。 そこに亡霊も加わる・・。 絶え間ない演奏が役者に寄り添いながら物語に染み込んでいく。 語りはラップ調に近い。 これは発声ダンスと言ってよい。 舞台全体が一つの音楽作品のように立ち現れます。 演出家の舞台は初めて観たが音楽と演劇の新しい結合にもみえる。 相乗効果があったのか?よく分からない。 退屈な日常の連続の流れの為かもしれない。 でも日常から非日常を出現させることは可能です。 このタイプの舞台公演は少ないので今後も楽しみですね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/352079 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、額田大志 ・・ 検索結果は2舞台 .

■エドワード・シザーハンズ Edward ScissorHands

■原作:ティム・バートン他「シザーハンズ」,演出:マシュー・ボーン,音楽:テリー・デイヴィス,ダニー・エルフマン,衣装:レズ・ブラザーストン,出演:リアム・ムーア,アシュリー・ショー,ケリー・ビギン他,舞団:ニュー・アドベンチャーズ ■Bunkamura・ルシネマ渋谷宮下,2024.12.27-2025.1.16(ウェールズ・ミレニアム・センター,2024.3収録) ■ティム・バートンのおとぎ話をマシュー・ボーンがダンスにした! さっそく渋谷へ観に行きました。 主人公エドワードはロボット、ここは御伽噺のため人間そっくりの<人形>だが、なんと両手はハサミです。 ・・舞台は1960年前後の米国の雰囲気ですか? 当時の中産階級の生活が漫画チックに描かれる。 街の住民はカラフルな住宅と芝生の庭そして自動車を所有し、休日はテニスにゴルフにドライブ、食事や宗教行事を家族やパーティで楽しむ。 そのような共同世界に入り込んだ純粋な心を持ったエドワードは次第に住民と軋轢が生じてくる・・。  刃物を振り回すので舞台、特にダンスは合わない。 もちろんハサミは木製(?)だが踊り難いのは確かです。 その場面ではハラハラしました。 住民のダンスは<フロリダ万歳>の雰囲気がでていましたね。 そして音楽がエドワードの心に両立している喜びと悲しみを巧く表現していた。 この作品の原作(映画)は観ています。 今日の舞台はティム・バートンとジョニー・ディップへのオマージュ作品でしょう。 マシュー・ボーンは童話をよく採用するが、ハサミを振り回すので心身への心地良さがやってこない。 映画はまだしも、やはりダンスに刃物は曲者です。 *映画com、 https://eiga.com/movie/102885/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、マシュー・ボーン ・・ 検索結果は7舞台 . *映画は1990年にアメリカで制作され監督がティム・バートン,主演はジョニー・ディップ.  映画com、 https://eiga.com/movie/14029/ *購入したプログラムに脚本担当のキャロライン・トンプソンが「フランケンシュタイン物語を軸にした・・」と書いているが納得.

■能楽堂一月「翁」「蛭子大黒」「海士」

*国立能楽堂一月定例公演の下記□3舞台を観る. □素謡・金春流・翁■出演:金春憲和,中村昌弘,本田芳樹ほか □狂言・大蔵流・蛭子大黒■出演:大藏基誠,大藏彌太郎,善竹忠重ほか □能・観世流・海士(懐中之舞)■出演:浅見重好,武田智継,殿田謙吉ほか ■国立能楽堂,2025.1.7 ■「翁(おきな)」は素謡らしい。 翁と千歳それに地謡が登場する。 「とうどうたらりたらりら、たらりららりららりどう・・」。 まじないのようだが・・?、五穀豊穣・国土安穏を祝う。 次の「蛭子大黒(えびすだいこく)」は蛭子と大黒天が登場し自身の由緒を語り舞い、宝物を人に与える。 どちらも新年に相応しい。 「海士(あま)」は龍宮から宝珠を取り返した海士とその子藤原房前(ふじわらのふささき)の母子再会物語である。 その背景には藤原氏にまつわる伝説がたくさん貼りついている。 加えて法華経の影響がとても強い。 海士である母が宝珠を取り返す場面は躍動感にあふれていた。 房前が法華経を読誦すると龍女となった母は成仏して幕が下りる。 房前が子方のためか母子の絆を一層深めた。 シテ面は「深井」から「泥眼」へ。 バラエティに富んだ3作品で観応え十分だった。 お年玉をもらった気分だ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/1412/