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■2025年舞台ベスト10

*当ブログに書かれた作品から最良の10本を選出. 並びは上演日順. 映像(映画・配信)は除く. ■ 宙吊りの庭   演出:金森穣,舞団:Noism ■ ソウル・オブ・オデッセイ   演出:小池博史,出演:小池博史ブリッジプロジェクト ■ 武文   出演:金井雄資,宝生欣哉,野村萬斎,劇場:国立能楽堂 ■ 想像の犠牲   演出:山本ジャスティン伊等,劇団:Dr.HolidayLaboratory ■ 加茂物狂   出演:観世清和,,福王和幸,福王知登,劇場:国立能楽堂 ■ レムニスケート消失   演出:小野寺邦彦,劇団:架空畳 ■ セザンヌによろしく   演出:今野裕一郎,劇団:バストリオ ■ りすん   演出:小熊ヒデジ,劇団:ナビロフト ■ 弱法師   演出:石神夏希,劇団:SPAC ■ 鼻血   演出:アヤ・オガワ,劇場:新国立劇場 *今年の舞台映像は,「 2025年舞台映像ベスト10 」.

■2025年舞台映像ベスト10

*映像(映画・配信など)で観た舞台公演から最良の10本を選出. 並びは観賞日順. ■ マクベス   演出:マックス・ウェブスター,劇場:ドンマー・ウェアハウス ■ ハンマー   演出:アレクサンダー・エクマン,舞団:エーテボリ歌劇場ダンスカンパニー ■ 賭博者   演出:ピーター・セラーズ,指揮:ティムール・ザンギエフ,主催:ザルツブルク音楽祭 ■ 真面目が肝心   演出:マックス・ウェブスター,劇団:ロイヤル・ナショナル・シアター ■ 博士の異常な愛情   演出:ショーン・フォーリー,劇団:ロイヤル・ナショナル・シアター ■ サロメ   演出:クラウス・ゲート,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,劇場:メトロポリタン歌劇場 ■ ラインの黄金   演出:バリー・コスキー,指揮:アントニオ・パッパーノ,劇場:ロイヤル・オペラ・ハウス ■ ワルキューレ   演出:バリー・コスキー,指揮:アントニオ・パッパーノ,劇場:ロイヤル・オペラ・ハウス ■ 蝶々夫人   演出:ロバート・ウィルソン,指揮:スペランツァ・スカップッチ,劇場:パリ・オペラ座 ■ オルフェオとエウリディーチェ     演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,劇場:パリ・オペラ座 *今年の舞台は,「 2025年舞台ベスト10 」.

■踊る。遠野物語

■演出・振付・構成:森山開次,出演:石橋奨也,大久保沙耶,尾上眞秀,麿赤児,田中睦奥子,森山開次,舞団:Kバレエ,大駱駝艦,演奏・歌唱:中村明一,磯貝真紀,菊池マセ ■BeilliaHall,2025.12.26-28 ■物語は、出撃前に許嫁を思いながら絶筆を残した特攻隊員の魂が遠野を彷徨い、彼岸と此岸の境界を飛び続けるというものだった。 舞台は驚きに満ちていた。 舞踏や、岩手県遠野に伝わる伝承をもとにした歌や踊りが入り混じり、独自の世界観をつくり上げているバレエ作品である。 最初は戸惑いながら観ていたが、次第にその世界に馴染んでいく感覚が心地よかった。 バレエと舞踏が融合していく様子が実に楽しい。 八百万の神々が舞台を導き、主人公の青年が飛行機のように舞台上を飛び回る。  これほど多様なジャンルを横断するバレエ作品は初めてかもしれない。 途中でストーリーがやや曖昧になったものの、遠野物語を絵巻を眺めているような豊かな時間を持てた。 終幕の鹿踊りは、あの世とこの世の境界を浄化するような力を感じさせた。 いつものダンスを観たという感動とは異なり、神々がもたらしてくれたような深い充足感を得ることができた。 *Kバレエ・オプト第3回作品 *劇場、 https://toshima-theatre.jp/event/001211/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、森山開次 ・・ 検索結果14舞台 .

■養生

■作・演出・美術:池田亮,出演:本橋龍,黒澤多生,丙次,劇団:ゆうめい ■神奈川芸術劇場・大ホール,2025.12.19-28 ■美大生である主人公がアルバイトや就職を通して経験した社会の現実を舞台に乗せ、現代の若者が抱える生活の一面を鮮やかに描いていた。 誇張された場面もあったが、全体として楽しんで観ることができた。 前半は登場人物3人によるコントのような掛け合いが続く。 やや単調に感じ始めた頃、同期が著名作家になったことへの社会的批判が語られ、そこから舞台はコント的な軽さを抜け出し、本格的な芝居へと転じていった。 私自身、美術には多少の興味があるものの、美大生の就職について深く考えたことがなかった。 美術作品は主観や嗜好に左右されるため、一般の商品と違って評価が一定しない。 劇中でも、主人公が良かれと思って製作した作品が教授には不評で、美大生が<自信>を持ちにくい状況が描かれていた。 就職してからも揺れ動く評価と自信の間で疲労していく姿に、彼らが背負う重荷を強く感じさせた。 演出家の挨拶文には「・・忘れられずにある「否定されたもの」をもう一度肯定するために「養生」を上演する」と記されている。 終幕で、主人公は仕事の納期を守れなかったにもかかわらず、同僚を庇う行動を選ぶ。 彼は何を肯定したのだろうか? 私には、それが人間関係そのものの肯定に至ったように見えた。 社会に根強く存在する芸術作品の評価システムを舞台上で覆すことは難しいかもしれないが、その中で人がどう生きるかを問いかける作品だったように思う。 *ゆうめい10周年全国ツァー公演 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/yojo *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、池田亮 ・・ 検索結果2舞台 .

■マレビトの歌

■演出:金森穣,音楽:アルヴォ・ペルト,衣装:堂本敦子,山田志麻,舞団:Noism ■彩の国さいたま芸術劇場・大ホール,2025.12.20-21 ■舞台は、金森穣と井関佐和子のデュオから幕を開ける。 断崖絶壁を思わせる背景の前に黒衣のダンサーたちが次々と登場し、鋭く切れ味ある動きで舞台に緊張感を深めていく。 振付は完成度が高く、これほど鍛え上げられた身体表現に出会える機会はそう多くないだろう。 一つ一つの動きには意味が込められているようで、作品に明確なストーリーが存在するらしい。 演出家の挨拶文には「個と集団、彼岸と此岸というここ数年の私の創作テーマ・・」、「マレビトとは・・、他界から訪れる霊的なナニモノカである」と記されている。 ただ、マレビトをテーマにしているにもかかわらず、いつ・どこで・だれが・なにを・どうしたのかが読み取れず、物語に深く入り込むことが難しかった。 観客側が想像力で補うことを求めらるようだ。 簡単な粗筋なり解説があれば、より舞台世界に近づけたのではないだろうか。 *劇場、 https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/104894/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、金森穣 ・・ 検索結果は41舞台 .

■ファウストの劫罰

■原作J・W・ゲーテ(ファウスト),作曲:H・ベルリオーズ,指揮:マキシム・パスカル,出演:池田香織,山本耕平,友清崇,水島正樹,管弦楽:読売日本交響楽団,合唱:二期会合唱団,NHK東京児童合唱団 ■東京芸術劇場・コンサートホール,2025.12.13-14 ■上演がセミ・ステージ形式のため迷わずチケットを購入した。 オペラは指揮者や演奏の姿が見えなければ楽しさは半減する。 ピットに隠れてしまうと音響も籠りがちだ。 その点、演奏と歌唱が舞台上にあることで観客は自由に場面を想像ができる。 歌手の演技は控えめな方が理想的だと感じる。 初めて観る作品だったが舞台は充実していた。 演奏も合唱も大編成で迫力があり、歌手たちも一回限りの上演に熱を込めていた。 ベルリオーズのようなロマン派作曲家はやはりゲーテの世界に相応しい。 「壮大なゲーテ文学を余すことなく表現した!」という広告文の通りであった。 「・・崇高な自然は私の限りない憂愁を止めてくれる」。 ファウスト博士は地獄へ落ちる直前にそのことに気が付くが、しかし、彼が自死を試みた以前から自然は常に眼前にあったのだ。 それを真に見出すには、マルグリートと言う女性を通さなければならなかった。 教会の鐘や復活祭ではファウストの心を救うことができなかったのである。 彼の自然と女性の関係が面白い。 一方で、「ベルリオーズの傑作を圧倒的な映像美とともに贈る」という広告文には疑問を持った。 舞台背景にはストーリーに沿った映像が延々と映し出されたが、これが音楽的想像力を防げてしまった。 「ラコッツィ行進曲」では現代の軍隊行進や戦車などの兵器が、「ネズミの歌」では鼠が這い回り、デュオではスマホのLINE対話画面が映し出される。 こうした一方的な映像は舞台の雰囲気を壊していたように思う。 しかし「フランス音楽の若き旗手マキシム・パスカルと待望の読響とのタッグが実現」という宣伝文には大いに満足した。 パスカルの指揮を生で見るのは初めてだったが、フランケンシュタインのような独特な動きが楽しく、演奏も十二分に堪能できた。 期待以上の舞台であり心から満足した。 *東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ *二期会、 https://nikikai.jp/lineup/faust2025/

■ガラスの動物園

■作:テネシー・ウィリアムズ(翻訳:小田島雄志),演出・美術:長野和文,劇団:池の下 ■劇場MOMO,2025.12.12-14 ■繰り返し観ている作品だが、そのたびに新しい感想を抱かせてくれる。 栄光にしがみつく母、現実から逃避する娘、葛藤を抱える息子、そのガラスの家族を揺り動かす友人。 演出や役者の些細な科白や演技の違いが舞台を微妙に振動させ、観る者の心に深く響いてくる。 母アマンダはこれほどまでに饒舌だったのか! 息子トムはこんなにも母に強く当たっていたのか! 娘ローラと友人ジムはこれほどまでに近づけたのか!  今回の舞台はいつも以上に強弱が鮮明で四人それぞれの積極性が際立っていた。 母も娘も、その後の苦難を乗り越えていくかのように見えたが・・。 演出家の挨拶文から、この見え方は背景の社会情勢に比例させたのかもしれない。 多少の違いはあれ、誰もが身に覚えのある感情ばかりである。 今回もまた、心を大きく揺り動かされた。 *池の下-始動30年記念,第31回公演・海外作品シリーズ *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/403819 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、長野和文 ・・ 検索結果は3舞台 .

■スリー・キングダムス

■作:サイモン・スティーヴンス,翻訳:小田島創志,演出:上村聡史,出演:伊礼彼方,音月桂,夏子ほか ■新国立劇場・中劇場,2025.12.2-14 ■劇場に入ると空席が目立ち、客席はおおよそ半分しか席が埋まっていなかった。 もともと締まりのない劇場空間のため、空席があるとさらに密度の薄い印象を受ける。 スタッフもその点を意識したのか、舞台の四方に壁を設けて観客の集中を高めようとしていた。 物語は殺人事件を捜査する刑事が主人公らしい。 結末は知らない方が面白いと考えて事前情報はあえて集めずに観劇した。 しかし予想以上に登場人物が多く、細部を把握するのが厄介だった。 それ以上に印象的だったのは科白の「ブロークン」な言葉使いである。 やたら<クソ>を付けて強調する。 「クソつまらない」「クソやかましい」など。 さらに<匂>への言及も多い。 「サクランボのスムージーの匂が・・」「体臭が・・」「ソーセージパイの・・」と言った具合だ。 ビートルズの話題も煩雑に登場する。 英語・ドイツ語・エストニア語を通訳者を介して繰り返す遣り取りは、すべて日本語だが、どこか新鮮! こうした言葉や文化の背後では、ソビエト時代から続くヨーロッパの緯度格差が性産業へ向かう姿として生々しく描かれていく。  この作品は芝居より映画が映えるのではないだろうか? 監督ならデイヴィット・リンチ系がふさわしい。 実際、チラシにも「インランド・エンパイア」に影響を受けたと記されていた。 さらにストーリー展開からアラン・パーカー監督の「エンゼル・ハート」も思い起こす。 闇世界への儀式も描かれているからだ。 作品には多くの要素が詰め込まれており、舞台はそれらを提示していたが、観客としては入口で立ち止まっているような感覚が残った。 そのため、善悪の溶解から主人公ストーン刑事が拳銃で自殺する結末も納得できない。 面白さはあるものの、どこか半煮えのような観後感が残った。 上演時間3時間の中での選択と集中がより必要ではないだろうか。 *NNTTドラマ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/threekingdoms/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、上村聡史 ・・ 検索結果は9舞台 .

■ロボット、私の永遠の愛

■演出・振付・テキスト:伊藤郁女 ■新国立劇場・小劇場,2025.12.5-7 ■舞台上には6m四方の仮舞台が設けられ、そこに大小五つの四角い穴が開いている。 出演者はその穴から出入りし、道具類もそこから出し入れされる。 伊藤郁女による独舞である。 ピアノ演奏などを背景に、2016年初頭からの彼女の日記と思われる言葉が読み上げられる。 耳を傾けると、公演のための移動に追われる多忙な日々がみえてくる。 「休むことができない」。 空港や機内、タクシーやホテルでの遣り取り、両親との会話、子供の教育などが次々と語られていく。 「なにも無い時間が欲しい」と切実な声が響く。 伊藤はロボットのような振付で踊る。 コルセットの一部を顔や肩、腕や足に付けたり外したりしながら舞う姿はまるでロボットのようだ。 忙しく働くからロボットなのか、働き過ぎてロボットになってしまったのか、その両方が重なってみえる。 彼女はロボットの意志を受け入れ、自らロボットであることを選んだのではないか? タフな精神力を感じさせる踊りに、そう思わずにはいられない。 タイトルからもその印象が強まる。 「孤独について、死についてどう思うか?」。 途中、観客に重い問いを投げかける場面があった。 突飛な問いに一瞬戸惑ったが、それはロボットとの関連ではなく、彼女自身の日常から生まれた問いなのだろう。 観客の幾人かが柔軟に答え、その交流のなかで彼女はロボット的存在から抜け出していったように見えた。 60分という短い上演だが、 減り張りの効いた振付を十分に楽しめた。 師走を迎える前に心の燃料を補給できたような気持ちになった。 *NNTTダンス2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/dance/robot/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤郁女 ・・ 検索結果は3舞台 .

■古事記

■原作:鎌田東二,演出:レオニード・アニシモフ,劇団:TOKYO・NOVYI・ART ■梅若能楽学院会館,2025.12.6 ■能楽堂の上演では能舞台の形式に合わせる構成が多い。 演奏と歌唱を担当する六人が囃子座に並び、歌唱専門の一人が大太鼓を持って地謡座に座る。 白装束に顔を白く塗った十二人の演者が橋掛りから入場し、ゆっくりした動作で演じ始める。 演者はほとんど動かず、その科白は歌唱に近い調子で語られる。 進行役は地謡座の一人が務めていた。 物語はイザナキとイザナミの神話を題材にしているようだ。 ・・二人は泥水を掻き回して島をつくり、結ばれて子をもうけるが、妻イザナミは命を落としてしまう。 イザナキは黄泉の国へ赴くも、そこで仲違いしてしまう。 続いて、イザナキの身からアマテラスとスサノオがつくられる。 しかしスサノオの奔放な振舞により、アマテラスは岩屋に隠れてしまう。 そこで八百万の神々が宴を開き、岩屋の扉を開ける・・。 鎌田東二の原作は未読だが、古事記との違いは舞台を観てもよく分からなかった。 むしろこれは演劇というより儀式に近い印象を受けた。 神話を素朴に感じることはできたが、儀式とは何かが上手く言えない。 原作に答えがあるのだろうか? この劇団による「源氏物語」を同じ舞台で観たことがあるが、今回の舞台は形式的にはよく似ていた。 ただし違いは科白の深さにある。 神話の科白は解説になりがちで、しかも肝心の<歌>が十分に熟成していない。 これが舞台を平凡にしていた要因かもしれない。 *鎌田東二氏追悼公演. *劇団、 https://tokyo-novyi.com/about-us/repertory-works/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、レオニード・アニシモフ ・・ 検索結果は14舞台 .

■能楽堂十二月「塗附」「江口」

*国立能楽堂十二月定例公演□の2舞台を観る. □狂言・和泉流・塗附■出演:野村万禄,小笠原由祠,河野佑紀ほか □能・喜多流・江口■出演:香川靖嗣,大日方寛,野村万蔵ほか ■国立能楽堂,2025.12.3 ■「江口(えぐち)」は観阿弥の原作を世阿弥が改作した作品である。 舞台はゆったりとしたテンポで進み上演は2時間に及ぶ。 前場では西行法師と江口の君の贈答歌を巡り、里女と旅僧の問答が続く。 後場では仏教用語が次々と語られるなか、江口の君がそれを解釈していく。 そして終幕、君が普賢菩薩の姿となり西の空へと消えていく。 遊女が普賢菩薩へと昇華する劇的な展開もあるが、舞台の中心は和歌問答や仏教的摂理の説明に置かれているように感じられた。 言葉から身体へと変身できるかが、この舞台の要であろう。 しかし問答や説明がやや長く、劇的な要素が薄まってしまった印象もある。 作者親子は作品に言葉を詰め込み過ぎたのかもしれない。 面はともに「小面(こおもて)」。 「塗附(ぬりつけ)」は古くなった烏帽子を塗師に塗り直してもらうという話である。 慌ただしい師走を感じさせる舞台であり、今年を振り返る時期に差し掛かったことを思い起こさせてくれた。 *能作者のまなざし-観阿弥-特集 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7035/

■能楽堂十一月「起請文」「玉ノ段」「隠狸」「石橋」

*国立能楽堂十一月企画公演□の4舞台を観る. □独吟・観世流・起請文■出演:観世銕之丞 □仕舞・観世流・玉ノ段■出演:梅若紀章ほか □狂言・和泉流・隠狸■出演:三宅右近,三宅近成 □能・金剛流・石橋(和合連獅子)■出演:金剛永謹,金剛龍謹,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2025.11.29 ■「起請文(きしょうもん)」は能「正尊(しょうそん)」からの抜粋である。 独吟はややスローテンポになりがちだが、義経と弁慶の前で起請文を読み上げる頼朝の刺客・正尊の姿を思い描くことで緊張感が高まる。 さすが三読物の一つであり、重厚な余韻が残った。 「玉ノ段(たまのだん)」は能「海士(あま)」の一場面を描いている。 龍宮で宝珠を奪還するため死を覚悟した海女は、故郷を思い、観音菩薩に祈りを捧げ、珠を奪い、自らの命を絶ちつつ、乳の下をかき切って珠を埋め込み、地上へと戻る。 圧倒する展開に身を委ねるほかない。 「隠狸(かくしだぬき)」は狸を釣りそれを売買する筋立てだが、それ以上にシテとアドが酒盛りをしながら舞う場面が愉快で印象的だ。 縫いぐるみの狸には思わず笑いがこぼれる。 「石橋(しゃっきょう)」の前場では石橋とその周囲の厳しい風景が語られる。 法師や仙人でさえ渡るのをためらう描写に、観客も思わず納得してしまう。 後場の「獅子」はこの過酷な風景、文殊菩薩の浄土からやって来たからこそ輝くのだろう。 面は前シテが「小尉(こじょう)」、後シテが「獅子口」、ツレは「小獅子」。 前シテと仙人は、どこか漫画に登場するような顔(面)にみえてしまい親しみを感じた。 1879月8月18日、岩倉具視邸で天覧能が開催された際の演目を再構成したのが今回の公演内容であるという。 歴史的背景を踏まえた舞台は充実しており心から満足できた。 *明治時代と能・岩倉具視生誕200年公演 *2025年第80回文化庁芸術祭主催公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7034/

■鼻血

■作・演出:アヤ・オガワ,出演:アシル・リー,カイリー・Y・ターナー,塚田さおり他 ■新国立劇場・小劇場,2025.11.20-24 ■「鼻血」というタイトルは一見ぱっとしないが、劇場に入ると松田聖子などアイドル歌謡曲が大音量で流れ活気に満ちていた。 観客には常連と思われる高齢者も多く見受けられたが、若い世代を呼び込みたいという意図は役者たちの表情からも感じられる。 この舞台は演出家アヤ・オガワ自身を主人公に据え、家族との関わりを題材にしている。 アメリカの日常が舞台上に描かれ、父とのぎくしゃくしていた関係が語られていく。 特に父の葬儀の詳細を話題することは興味深い。 登場人物は複数の役者によって交互に演じられ、演技は新鮮で巧く練り上げられている。 その工夫が舞台にリアルさをもたらしているのだろう。 さらに観客との友好的な遣り取りを重視している点も特徴である。 アヤは父との関係を悔いているが、私自身も少しは経験を持つので次第に共鳴していった。 火葬場での「骨上げ」の場まで取り上げられ、観客から八人が選ばれて実際に参加する演出には驚かされた。 看取りや葬儀を経験してきた者にとっては、亡き両親や親族の顔が自然と思い浮かぶ流れだ。 親が健全な若い観客と、高齢の観客とは受け止め方が大きく異なる芝居かもしれない。 過去に戻り、そこから未来(現在)を見つめ直すような複雑な感慨が押し寄せてくる舞台だった。 *NNTTドラマ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-nosebleed/

■ニューヨーク・シティ・バレエinマドリード

*下記□の3作品を上映. □セレナーデ■音楽:P・チャイコフスキー,振付:ジョージ・バランシン □スクエア・ダンス■音楽:A・コレッリ,A・ヴィヴァルディ,振付:ジョージ・バランシン □ザ・タイムズ・アー・レーシング■音楽:D・ディコン,振付:ジャスティン・ペック (3作共に出演:ニューヨーク・シティ・バレエ団,指揮:クロチルド・オトラント,アンドリュース・シル,演奏:レアル劇場管弦楽団) ■NHK,2025.10.20-(マドリード・レアル劇場,2023.3.23-25収録) ■「セレナーデ」はチャイコフスキーらしい旋律に沿った作品である。 彼のバレエ作品には寂しさが漂う。 ここが好きな理由なのだが、当作品は違い、温かみを感じさせる。 象徴的な場面もあり神秘的な雰囲気が印象的だった。 3作の中では最も心に残り、バランシンのロシア時代を思い起こさせる。 「スクエア・ダンス」は時代が遡る。 バランシンのニューヨーク時代の作品にちがいない。 彼の得意とする「プロットレス・バレエ」の典型と言えるだろう。 「ザ・タイムズ・アー・レーシング」は現代的な感覚に満ちている。 「ウエスト・サイド・ストーリー」を軽快にアレンジしたような印象を受け、振付家ジャスティン・ペックらしい斬新さが際立っていた。 ニューヨーク・シティ・バレエ団を観るのは数十年ぶりだ。 団は2023年秋に創立75周年を迎えたと知り、今回は創立者の一人である振付師ジョージ・バランシンを讃える意味合いも込められているのかもしれない。 *記事、 バレーニュースダイジェスト2023.10.13

(キャンセル)■レミング

■作:寺山修司, 演出:J・A・シーザー,出演: 髙田恵篤,伊野尾理枝,小林桂太ほか,劇団:演劇実験室◉万有引力 ■スズナリ,2025.11.14-23 ■都合により行けなくなってしまった。 チケットはゴミ袋へ。 この作品は過去に何度も観ているので今回は諦めよう。 *演劇実験室万有引力第79回本公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/408076 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、J・A・シーザー ・・ 検索結果は13舞台 .

■シッダールタ

■原作:ヘルマン・ヘッセ,作:長田育恵,演出:白井晃,音楽:三宅純,出演:草彅剛,杉野遥亮,瀧内公美ほか ■世田谷パブリックシアター,2025.11.15-12.27 ■白井晃と草彅剛の名前に惹かれてチケットを購入した。 過去に二人が関わった舞台が面白かったからだ。 劇場に入ると、客席の8割が20代から40代の女性で占められている。 贔屓筋だろうか? 幕が開いて、舞台装置に目をやると、フライパンを半分に切ったような構造が目を引く。 周囲の急な坂(壁)を演者が滑り落ち、中央の平らな舞台で演技をする。 その坂には映像も投影され、視覚的な効果が印象的だ。 ・・物語は古代インド、一人の青年が放浪の旅をする話である。 「自我の解放」「輪廻転生からの解脱」「涅槃への到達」、テーマは多義にわたる。 終幕では河の畔に辿り着き、そこで無我らしき境地に至る・・。 仏教的な内容だが、科白はこなれていて分かり易く、リズムもあり、役者の声がすんなりと耳に入ってきた。 まとまっていたが、展開が速く早回しで観ている感じも否めない。 ヘッセについては詳しく知らなかったので、帰りにプログラムを購入する。 解説によれば、この作品はヘッセ自身の精神的彷徨の集大成だという。 舞台装置を演出家は「思考の穴ぼこ」と呼び「その穴に他者や社会が流れ込み、この世界にどう生きるかを問う」と語っている。 演出家自身もこの構造が気に入っているようだ。 また主人公がゴータマ・ブッダの教団に入らなかった理由について作者・長田育恵が書いている。 自我が肥大化するのを恐れたらしい。 現代社会でも教団が敬遠されがちなことと重なるのかもしれない。 今日の舞台を観て、自身の人生を見つめ直すきっかけにするのもよいだろう。 ただ、内容としては当たり障りのない印象も残った。 <教養小説>ならぬ<教養演劇>と呼ぶのに相応しい舞台だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25224/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、白井晃 ・・ 検索結果は21舞台 .

■ヴォツェック

■作曲:アルバン・ベルク,指揮:大野和士,演出:リチャード・ジョーンズ,出演:トーマス・ヨハネス・マイヤー,ジョン・ダザック,伊藤達人ほか,管弦楽:東京都交響楽団,合唱:新国立劇場合唱団,TOKYOFM少年合唱団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.11.15-24 ■この作品は観るたびに気が滅入る。 しかし今回は新制作ということで、あえてチケットを購入した。 幕が替わるごとに張りぼての家々が広い舞台を動き回る。 ベニヤ板で作られている為か、軽く乾いた質感を放っている。 カーキ色の軍服も、軍隊のダンスも、これに呼応し舞台全体を乾燥させているようだ。 湿気を帯びた重苦しいドイツ表現主義から脱皮し、演出家の力でドイツからイギリスへ舞台が移動したかのように感じられた。 そのためかテノールの鼓手長と大尉はこの乾いた空間に響き合い、声が鮮明に耳へ届く。 一方で湿り気を帯びたタイトルロールはバリトンであるためか、やや控えめに感じられた。 ヴォツェックの口癖である<貧乏>という湿った言葉も空間で乾いていくようだ。 それでも、また気が滅入ってしまったが、上演時間90分と短いことが救いとなっている。 演出家の<乾>とタイトルロールの<湿>の組合せこそ、新制作の鍵であると感じた。 相反する二つの相乗効果は何とも言えないが・・。 それよりも、何より演奏が素晴らしい。 大野和士指揮のもとでの略無調オペラの醍醐味を存分に味わうことができた。 *NNTTオペラ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_030662.html

■チェーホフを待ちながら

■原作:アントン・チェーホフ,脚本・演出:土田英生,出演:山内圭哉,千葉雅子,金替康博ほか ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2025.11.12-16 ■チラシには「チェーホフの初期一幕劇、「熊」「煙草の害について」「結婚申込」「余儀なく悲劇役者」を大胆に潤色し、オムニバス形式で上演・・」とある。 これら4作は未見のため興味をもってチケットを購入した。 一幕劇の合間に挿入される寸劇がユニークだ。 旅人らしき人々がアントンを待っているところへ、ゴドーと名乗る男が現れる。 そして旅人たちは夫々の一幕劇を演じ始める・・。 4作品はいずれも喜劇で笑いが途切れることはない。 背景は現代に置き換えているが、しかし笑いの源泉はどこか時代遅れに感じられる。 おそらく19世紀末の日常を描き直しているからだろう。 そのため作家名を伏せればチェーホフ作品とは気づかない。 舞台は肩の力を抜いて楽しめるが、同時にどの作品も時代の狭間を漂っているようにみえた。 終幕、一幕劇を演じた旅人らはゴドーと共に、アントンを探しに道の先へと進んでいく・・。 ゴドーとアントン、宙吊り感覚が好きな二つの名前は、寸劇のように重なっていくのかもしれない。 *まつもと市民芸術館プロデュース作品 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/chekhov *「ブログ検索」に入れる語句は、土田英生  ・・ 検索結果は6舞台 。

■存在証明

■作:長田育恵,演出:眞鍋卓嗣,出演:志村史人,野々山貴之,保亜美,清水直子ほか,劇団:俳優座 ■シアタートラム,2025.11.8-15 ■公演チラシによれば数学の未解決問題であるリーマン予想を題材にしているらしい。 劇団パラドックス定数が好みそうなテーマであり、俳優座としては珍しい演目だ。 今回は題材と演出家に惹かれてチケットを購入した。 リーマン予想を予習をして劇場に向かったものの、素数分布を決定する公式は素人の私には難解で理解しきれない。 なぜリーマンはゼータ関数を素数の解決に選んだのか? そこに複素数の導入を思い立ったのか? 解析接続で座標を広げたのか? 彼の発想経緯に感心してしまう。 場内を見渡すと、俳優座ファンと思われる年配の男性が目立ち、くたびれたジャケット姿が独特な雰囲気を作り上げていた。 舞台は三方を壁で囲み、何もない空間から始まる。 必要に応じて壁が開き本棚や机などが現れては消え、場面転換が巧みに行われる。 役者も同様にリズミカルに入退場する。 途中休息を挟み約三時間と長丁場だったが、謎を追うストーリーに巻き込まれ、最期まで集中して観ることができた。 舞台は<青春群像劇>に似た<数学者群像劇>と言えるだろう。 中心人物はG・H・ハーディとJ・E・リトルウッドの二人の数学者だが、A・M・チューリングやインドの天才数学者S・ラマヌジャンも登場する。 さらに両大戦に於ける科学者の行動批判、同性愛問題、特異な能力を持つ人物など、多様な人々や事件が絡み合う。 ただし背景が散漫になり主人公が誰なのかがぼやけてしまう流れもあった。 群像劇風らしい長所と短所が同時に現れていたように思う。 とはいえ、この「散漫さ」こそが、時代や社会そして数学という真理の中で、葛藤し生きる多様な人間の「存在証明」を丸ごと描き出そうとしていたのかもしれない。 *俳優座公演No.361 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/29206/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、眞鍋卓嗣 ・・ 検索結果は5舞台 .

■能楽堂十一月「饅頭」「俊寛」

*国立能楽堂十一月定例公演□の2舞台を観る. □狂言・大蔵流・饅頭■出演:山本則秀,山本則孝 □能・観世流・俊寛■出演:観世清和,林喜右衛門,井上裕之真,宝生常三ほか ■国立能楽堂,2025.11.5 ■「饅頭(まんじゅう)」は客の要請に応じて饅頭売りが自ら商品である饅頭を食べてしまう話である。 しかし客は代金を支払わない。 商いの仕組みが崩れる瞬間を描いており、饅頭売りの複雑な無念さが伝わってくる。 他狂言とは一味違い、商売について考えさせられた。 「俊寛(しゅんかん)」はいつのまにか知っていた物語の一つである。 おそらく小説や映画などから得た知識だろう。 シテ役の観世清和は剛直な俊寛を力強く演じていた。 船が離れていく別れの場面でも、感情より理性が勝っているようにみえた。 このような俊寛像も能の舞台に相応しいのだと納得した。 シテ面は「俊寛(日永作)」。 遥か彼方に消えていく船をじっと見つめているような面だ。 なぜこの作品に専用の面があるのか、その理由が少し分かった気がした。 どのような俊寛を演じても面に向かって収束していくからだ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7030/

■PLANET(wanderer)

■振付:ダミアン・ジャレ,美術:名和晃平,音楽:ティム・ヘッカー, 照明:吉本有輝子,衣装:スルリ・レヒト,出演:ショーン・アハーン,エミリオス・アラボグル,湯浅永麻ほか ■東京芸術劇場・プレイハウス,2025.11.1-3 ■・・銀色に輝く8人のダンサーが暗闇のなかを蠢くように動いていく。 彼らはゆっくりと身体を前後に揺らし、歩き、捩じり、くねらせる。 ノイズに近い信号のような音楽が流れ続けるが、途中には宗教的な響きを感じさせる旋律も挿入され、日本の雅楽のような音も聴こえてくる。 終幕、天井からドロドロした液体のようなものがダンサーに降りかかり、彼らの動きは静止する・・。 ・・! ダンスというより美術作品に近い印象を受けた。 まるで動く彫刻のようだ。 ダミアン・ジャレの作品は今回は初めてだが、名和晃平の作品は何度か鑑賞している。 ジャレと名和の力関係は分からないが、今回の舞台は名和の美術的な意向が強く反映されているように感じた。 ジャレの他の作品を観てみないと断言はできないが。 銀粉を纏ったダンサーのゆっくりした動きは、まるで異星人のようだ。 銀という色は宇宙を連想させる。 銀は未来、金は過去の象徴だ。 未来の人間はエイリアンとなり、暗い銀河を彷徨う存在になるのだろうか? 舞台を観ながら、そんな想像が浮かんできた。 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater376/

■THE LONG STRONG HAPPY DEATH

■演出:北村明子,音楽ディレクター:横山裕章,出演・振付:井田亜彩美,黒田勇,鈴木ユキオ他 ■シアタートラム,2025.11.1-3 ■観客層は女性が7割ほどだろうか。 学生と思しき若い人も多く見受けられた。 舞台が始まり、まず北村明子が登場する。 過去の舞台が脳裏に甦る。 彼女の舞踊は武術的な要素を感じる。 切れ味が鋭く加速度のみえる動きは、まるで武術の型のようだ。 詳しくはないが、そう思わせる力がある。 続いて7人のダンサーたちが舞台を駆け巡る。 時折、一人の老人が歌唱や詩の朗読をしながら歩き回る。 また、東南アジアらしい都市や海の風景が映像として映し出される。 しかし、ダンサーたちは切れ味のある動きを控えている。 むしろ日常の延長のような鈍くて激しい動きが多い。 子供が真剣にはしゃいでいるようにもみえる。 格闘を思わせるような挑発的な振付もあり、観る者に迫ってくる。 背景に映し出される静寂感のある詩句とは対照的なダンサーの動きに戸惑いを覚えた。 「此岸と彼岸の混ざり合う世界、微かな呼吸と音の粒が、ひとつのざわめきとして始まろうとしている」、・・、「声も名も持たない者たちが、ただそこに在る、何も共有しないまま、同じ空気を吸い、やがてそれぞれの夢へと帰っていく」。 これは資料に記されたストーリーの始まりと終わりである。 観終えた時、この激しく燥ぐ姿こそ<法>を外れたアジアの踊りであり姿なのだと、振付家がそう語り掛けているように聴こえた。 アジアの生と死の境界が舞台に甦ってきた。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/29734/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、北村明子 ・・ 検索結果は6舞台 .

■オルフェオとエウリディーチェ

■作曲:C・W・グルック,演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,舞踊:ヤン・ブリダール,マリ=アニェス・ジロ他,歌唱:マリア・リッカルダ・ヴェッセリング,ユリア・クライター他,舞団:パリ・オペラ座バレエ団,合唱:バルタザール・ノイマン合唱団 ■アマゾン・配信(パリ・オペラ座・ガルニエ宮,2008.2収録) ■ヴッパタール舞踊団が11月に来日するが都合がつかず観に行くことができない。 代わりに、と言っては語弊があるかもしれないが「オルフェオとエウリディーチェ」を観ることにした。 この作品はダンスに歌唱が加わった「ダンスオペラ」に分類される。 歌手も舞台に登場しダンサーに寄り添うように歌う。 12月の新国立劇場オペラ公演でも勅使川原三郎の振付でダンサーが登場する。 ダンスと相性が良いオペラ作品だ。 今日は映像で鑑賞したが歌唱の字幕表示が無かったのは残念。 粗筋は知っているものの、理解の深まりや感情移入が半減してしまう。 それ以上に驚いたのは、舞台の雰囲気がピナ・バウシュのイメージとは大きく異なっていたことだ。 振付家の名前が伏せられていたら彼女の作品だとは気が付かなかったと思う。 18世紀の作品を題材にしたことで、ピナ自身が現代作品と区別したのかもしれない。 1幕からギリシャ風の神聖な振付が続く。 象徴的な生と死、平和や暴力が描かれていく。 2幕ではワンピース衣装で踊る妖精たちの姿に、おもわずマーサ・グレアムを思い出してしまった。 これはマーサの舞台に近い? マーサは人間の不安や葛藤を抽象的で硬質な動きで表現する。 一方、ピナの振付には滑らかさがある。 マーサが<剛>ならピナは<柔>。 その違いがみえる。 そして終幕、オルフェオとエウリディーチェは結局生き返らなかったのだろうか? 結末が曖昧で戸惑いが残る。 それにしてもピナの新たな一面を垣間見たような舞台だった。 マーサ・グレアムとの比較ができたことも楽しい。 カーテンコールでピナが登場したことにも感激。 でも、彼女はこの翌年に亡くなってしまった・・。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ピナ・バウシュ ・・ 検索結果は3映像(含む関連舞台).

(キャンセル)■少女仮面

■作:唐十郎,演出:丸山厚人,音楽:小室等,出演:原田麻由,時津真人,那須野恵ほか ■雑遊,2025.10.27-11.3 ■予約をしていたが体調不良でキャンセルをする。 丸山厚人演出は初めてなので観ておきたかった。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、丸山厚人 ・・ 検索結果は2舞台 .

■キャストシャドウ

■演出:ラファエル・ポワテル,照明・美術:トリスタン・ボドワン,作曲:アルチュール・ビゾン,出演:ティア・バラシー,モハメド・ラリブ,ニコラ・ルーデル他,舞団:カンパニー・ルーブリエ ■世田谷パブリックシアター,2025.10.24-26 ■客席を見回すといつもの観劇時と違う客層が目についた。 老若男女は混ざり合っているものの、平均年齢は50歳を越えているように見受けられ、予想以上に高い。 服装も多様で統一感が無いのが印象的だ。 舞台は、暗さをはらんだ刺激的な照明と夥しいスモークで満たされた無彩色の空間で始まる。 天井から降りてきた網を使ってブランコを始める幕開きには緊張した。 科白が入り、どうやら家族問題を扱っているらしいことが分かってくる。 なかでも父と娘の関係が悪く「(父が)大嫌いだ!」と娘は言い放つ。 その理由は舞台では語られない。 家族会議、電話の受け答え、カウンセリング、立ち話など、些細な日常生活が展開していく。 しかし科白は断片的でストーリーの全体像は掴みにくい。 途中にダンスのような場面が挿入され、人物が走り回り、転げ回る動きが繰り返される。 場面展開は照明とスモークのみで行われる。 この二つの使い方は巧妙で、人物が突然現れたり消えたりする演出が可能になる。 特に、影を利用した動きは深みがあり面白かった。 しかし、こうした視覚的な演出が続くだけでは次第に飽きがくる。 終幕で父が発する「許してくれ、娘!」という科白も突発で、なぜ今その赦しを求めるのかその理由が語られないままだ。 昔ながらの照明の使い方とスモークを背景にした単純なダンス、断片的な会話、そして空中ブランコ・・。 古臭さは気にならないのだが、それ以上に舞台全体に「物足りなさ」を感じてしまった。 日常的な家族問題というテーマを扱ったことが、劇的な舞台表現として弱かったのかもしれない。 舞台上の「キャストシャドウ」は見応えがあったが、物語としての「キャストシャドウ」は不発に終わったという印象だ。 ところで、最初に受けた客層の違和感は、この舞団が持つ保守性(サーカス・家族・無彩色などからくるノスタルジー)と、どこか繋がっていたのかもしれない。 *世田谷アートタウン2025関連企画作品 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25028/ *「フ...

■ジェローム・ロビンスに捧ぐ

*以下□の4作品を観る. □アン・ソル■音楽:ラヴェル,振付:ジェローム・ロビンス(1975年作),出演:マリ=アニェル・ジロ他 □トリアード■音楽:ニコ・マーリー,振付:パンジャマン・ミルピエ,出演:マリ=アニェス・ジロ他 □イン・ザ・ナイト■音楽:ショパン,振付:ジェローム・ロビンス(1970年作),出演:アニエス・ルテステュ他 □コンサート■音楽:ショパン,振付:ジェローム・ロビンス(1956年作),出演:ドロテ・ジルベール他,(4作共)舞団:パリ・オペラ座バレエ団&管弦楽団,指揮:コーエン・ケッセルス,映像監督:ヴィンセント・バタリオン ■アマゾン配信,(パリ・オペラ座ガルニエ宮,2008.9収録) ■4作の中で「トリアード」はミルピエ振付による作品。 彼はロビンスの弟子だったらしい。 師弟との繋がり方はよく知らないので、ミルピエをここに登場させた理由も分からない。 「コンサート」は見始めてすぐに既視感があった。 調べてみると「  NHKバレエの饗宴2025」でスターダンサーズ・バレエ団の舞台を観ていたことが判明。 ユーモアに富んだ楽しい作品で客席からの笑いが絶えない。 心に残ったのは「イン・ザ・ナイト」。 3組のペアがそれぞれ異なる雰囲気を持ち個性を発揮していた。 星空のみ、あるいはシャンデリアだけという背景のシンプルさが、舞台に落ち着きと詩情を与えていた。 「アン・ソル」はまるでフロリダの陽気さを讃えるような雰囲気だ。 しかしデュオの二人がその世界観に溶け込めておらず、ちぐはぐな印象を受けた。 白い衣装も舞台の色調と合っていなかった。 全体を通して、 時代が遡るほど作品に深みと豊かさが感じられた。 音楽の選曲もそれを後押ししていたように思う。 *さいたま芸術劇場・資料、 ジェローム・ロビンスに捧ぐ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ジェローム・ロビンス ・・ 検索結果は5舞台 .

(キャンセル)■火の鳥、海の神篇

■演出:小池博史,出演:リー・スイキョン,シルビア・H・レヴァンドスカ,今井尋也,櫻井麻樹ほか,演奏:ヴァツワフ・ジンベル,サントシュ・ロガンドラン,下町兄弟ほか ■なかのZERO・大ホール,2025.10.11-14 ■昨日「山の神篇」を観たのだが、同じような内容がそのまま続くと予想したので「海の神篇」はキャンセルする。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/391914

■火の鳥、山の神篇

■演出:小池博史,出演:リー・スイキョン,シルビア・H・レヴァンドスカ,今井尋也,櫻井麻樹ほか,演奏:ヴァツワフ・ジンベル,サントシュ・ロガンドラン,下町兄弟ほか ■なかのZERO・大ホール,2025.10.11-14 ■過去作品をかき集めて再構築したような舞台だ。 そこに、混迷する政治世界が物語の中心に据えられている。 二大政党・戒厳令・恐怖政治・アナーキスト・スパイや工作員・危険分子・細菌兵器・人工地震・・。 派手な政治用語が科白に散りばめられ、「これが現代世界だ」と言わんばかりだ。  「ぼくらは安寧のなかに居たい、・・だが世界は大きな渦のなかで出口を探っている」。 演出家の危機感が伝わってくる。 しかしストーリーは大味で、もはや漫画のように見えてしまった。 大劇場も作品にそぐわなかった。 がらんとした広い空間では声が響き逃げていく。 美術や映像は分離してしまい、役者の身体性も希薄になってしまった。 映像・美術・音楽・ダンス・演劇を統合した作品にはむしろ狭い空間の方が似合う。 いつもと違う、凝縮力の弱い今日の舞台はしっくりこなかった。 このため帰りにプログラムを購入する。 「・・ドン・キホーテのように突進することで社会の閉塞感を打破する」。 総合芸術を目指したセルゲイ・ディアギレフの依頼で、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した「火の鳥」を携え、演出家みずからがトリックスターとなり世界を駆け巡り、舞台をカーニヴァルで満たす。 「火の鳥は祈りだ!」 「挑もうとする意識こそが、祈りにも通じる・・」。 芸術至上主義を超えた演出家の弛まぬ挑戦には感服するしかない。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/391914 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、小池博史 ・・ 検索結果は14舞台 .

■Mary Said What She Said

■演出:ロバート・ウィルソン,出演:イザベル・ユペール,作:ダリル・ピンクニー,音楽:ルドヴィコ・エイナウディ ■東京芸術劇場・プレイハウス,2025.10.10-12 ■ロバート・ウィルソンとイザベル・ユペールのタッグは見逃せない。 池袋へ向かうと、折しも「東京よさこい祭り」の開催中で劇場周辺は大混雑だった。 先日観劇した「 ヨナ 」と共通点がある。 どちらも有名俳優による一人芝居で、内容は宗教的歴史的で難解だ。 ただ、演出家による俳優の扱い方に違いがある。 「ヨナ」では役者が<地>を出していた。 彼は佐々木蔵之介であり、同時にヨナでもあった。 しかし今日の舞台は違う。 イザベル・ユペールはまるで人形のように演じ、フランス語をロボットのような早口で冷徹に喋りまくる。 そこに彼女自身の存在は希薄で、あくまでメアリー・スチュアートの<器>として存在している。 「ヨナ」が<溶け合わせ>なら、今日の舞台は<重ね合わせ>と言ってもよい。 そして抽象的な美術を背景に照明と音楽の精緻な動きが物語に緩急と情感を与えていく。 ここにロバート・ウィルソンならではの劇的な美が立ち現れる。 久しぶりに、舞台からの驚きを存分に味わった。 帰宅後、メアリースチュアートについて改めて調べる。 当ブログの過去記事「 メアリー・スチュアート 」(森新太郎演出)、「ふたりの女王,メアリーとエリザベス」(ジョージー・ルーク監督)を読み返すとエリザベス女王との確執の激しさがみえる。 今日の舞台でもその緊張が感じ取れた。 ロバート・ウィルソンの急逝も残念だった。 来日は叶わなかったが、彼の舞台を観ることができたことを嬉しく思う。 *舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」作品 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater378/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ロバート・ウィルソン ・・ 検索結果は5舞台 .

■ヨナ

■原作:マリン・ソレスク,演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:佐々木蔵之介ほか ■東京芸術劇場・シアターウエスト,2025.10.1-13 ■劇場に入り観客を見渡すと、なんと!8割が女性。 しかも中年層が多いようにみえる。 贔屓筋かな? それにしても小難しい舞台だった。 タイトルからしてその気配が漂っている。 「ヨナは旧約聖書の聖人で、神に背き、その罰で鯨に呑まれ、三日間腹の中にいた漁師であり・・」、という背景がある。 舞台は鯨の腹の中。 狭くて暗い空間だが、音響・照明・美術を駆使して内奥を広げている。 ヨナの幻想(?)も現れる。 「人生の最期は眠らなければいけないのか?」「母さん!俺を産み続けてくれ」「(ここは)分断された場所なんだ!」「繋がらないのを繋げようとするのはもう止めよう!」「神が通りがかってくれたらいいのに」「復活のない神のようなもの」「復活した神をみたい」。 モノローグの断片には宗教を媒介にした自己への問いや迷いが色濃く滲んでいる。 「闇に触れた者だけが、光を探すことができる」「ヨナは私だ、ヨナはあなただ」。 言葉の一つ一つは耳に届くが、これが有機的な形となって身体に染み渡る感覚には至らない。 ひとり芝居のゆえに、原作者と演出家の生き様が前面に押し出されているせいかもしれない。 二人の故郷ルーマニアは池袋から遠い。 20世紀史も複雑だったはずだ。 東方正教会はどのような宗教なのか? 地理的・歴史的な距離も作品の理解を難しくしている要因だろう。 佐々木蔵之介は預言者然りとはしていなかった。 それでも、現代的ヨナ像を見事に演じていた。 鯨の暗い腹の中に、確かに灯をともしていた。 終幕では、暗い海から一転して、家具やベッドが赤い夕日に照らされる部屋が現れる。 その瞬間、演出家プルカレーテの狂気が垣間見えたのは嬉しい驚きだった。 前半から、このような部屋を幾つも造り、それを順次展開しても面白かったかもしれない。 私なりの解釈を加えながら舞台を反復する作品として受け止めた。 ところで「秋の隕石」プログラムの入手が遅れたため、庭劇団ペニノ「誠實浴池( せいじつよくじょう)」を見逃してしまったのは残念。 *舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」作品 *東京芸術劇場xルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場国際共同制作 *劇場、 https://www.geigek...

■弱法師

■作:三島由紀夫,演出:石神夏希,出演:山本実幸,八木光太郎,大道無門優也ほか ■静岡芸術劇場,2025.10.4-19 ■役者を一部替えて、同じ科白で二度演じる構造が面白い。 俊徳役の山本実幸は圧倒的な演技を見せてくれた。 発声や身体の動きに無駄が無い。 作品の本質を舞台上に呼び寄せていた。 三脚の使い方も巧みだった。 スズキ・メソッドを彼女は取り入れているらしい。 SCOT以外でも採用する役者を時折みかけるが、今日はそのメソッドが自然に馴染んでいた。 これは、演出家と役者の高度なコンビネーションがあってこそ成立する方法論なのだろう。 この作品は能の形式で観ている。 役者がどこからともなく現れ、彼岸の世界を演じ、出会った父子は何事も無かったかのように寄り添って退場する。 今日はその流れが生きていた。 「ささやかな願い事はなに?」「腹が減った・・」。 救済には限りが無い。 此岸の平穏を求めるしかない。 帰りの車内で「俊徳の魂は救われたのか。反復を通じて答える」(大澤真幸)を読む。 「三島の原作の中に反復は潜在的に予定されていて、石神の演出はそれを引き出した・・」。 「ただし反復において一か所だけ大きな変更が加えられていることに気づくだろう」。 ・・? 原作は読んでいないし、今日の舞台でもその変更には気づかなかった。 二度演じる理由は何か? 実はこの問いも未決のままだ。 変更箇所を知りたい。 やはり、三島由紀夫は厄介な人だ! *SPAC秋のシーズン2025-作品 *三島由紀夫生誕100年記念公演 *劇場、 https://spac.or.jp/25_autumn/yoroboshi_2025 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、石神夏希 ・・ 検索結果は2舞台 .

■能楽堂十月「空腕」「咸陽宮」

*国立能楽堂十月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・空腕■出演:山本泰太郎,山本則孝 □能・喜多流・咸陽宮■出演:塩津哲生,福王和幸,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.10.1 ■「空腕(からうで)」は腕力を自慢する太郎冠者が実は臆病だったという話である。 今なら腕力より情報? いや、今も腕力かな。 「咸陽宮(かんようきゅう)」を観るのは初めてだ。 秦の始皇帝と彼を狙う二人の刺客が登場する。 謡の大部分が解説のような舞台だ。 中国を題材とする作品はこの手が多い。 しかも舞が無い。 作品の面白さは3人のダイナミックな動きだろう。 刺客二人が登場した場面から緊迫感が伝わってくる。 さすが刺客だ。 終幕、帝も剣を抜いて闘う。 滅り張りが効いていて能が持つ緊張を維持していた。 いつもと違う面白さがあった。 面は花陽夫人が「万媚(まんび)」待女は「小面」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7026/

■トリプティック TRIPTYCH

*下記の□3作品を観る. □ミッシング・ドア (25分) □ロスト・ルーム (35分) □ヒドゥン・フロア (25分) ■演出:ガブリエル・カリーソ,フランク・シャルティエ,出演:コナン・ダヨ,フォンス・ドシュ,パノス・マラクトス他,舞団:ピーピング・トム ■世田谷パブリックシアター,2025.9.27-30 ■二方が壁の三角舞台は不安を呼ぶ。 ドア、ルーム、フロアのタイトルから3作品は客船内を描いていることが分かる。 そこへ不気味な音楽が聴こえてくる。  「ミッシング・ドア」はキャビン通路でダンスが展開する。 その壁はくすんだ緑色でドアが幾つも付いている。 意味深な船客や船員らしきダンサーが激しく踊りあう。 人形が憑依したような動きだ。 ストーリーは有るようで無い。 「ロスト・ルーム」へ入る前に舞台を作り替える。 これを観客に見せてくれる。 場面は通路からキャビン(客室)に移る。 家具も備わり色は茶系に変わる。 衝撃的な踊りが続く。 男女間の絡み合いが凄まじい。 しかし1作目の延長にみえる。 物語が微かに展開したようだが大きな変化は無い。 少し飽きる。 ここで休息が入る。 この間も舞台装置の転換作業が続く。 これが楽しい。 前列観客にビニールシートが配られる。 「ヒドゥン・フロア」は船内のレストランらしい。 窓の景色は大時化で雷も轟く。 床は水浸しだ。 そこに略全裸のダンサーたちが水飛沫を飛ばして踊り狂う。 火災も発生する。 狂乱の舞台だ。 3作を通して状況は想像できるがストーリは組み立てられない。 身体の柔軟性やリフティング技能に驚きはある。 小道具のトリックも楽しい。 しかしダンスとしての面白みがない。 肉体の表層を滑る過激なパフォーマンスにみえる。 芸術性がぶっ飛んでしまった舞台だ。 衝撃はあったが感動が少ない理由かもしれない。 それでも「脅威の身体能力と奇想天外なイメージが紡ぐ心地良い悪夢、最高にスキャンダラスなダンスエンターテインメント」を体感したことには納得。 そう、「心地良い悪夢」を見てしまったのだ。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25024/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ピーピング・トム ・・ 検索結果は4舞台 .

(キャンセル)■円環の庭、くり返される歩行

■演出:石井則仁,出演:カナキティ,菜月(舞踏石井組),君嶋勝弥(舞踏石井組),加藤信子ほか ■劇的スペース・オメガ東京,2025.9.27-28 ■当日のスケジュール調整ができずキャンセルにする。 久しぶりの舞踏を観劇できなかったのは残念。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/397449

■バレエ・トゥ・ブロードウェイ

*下記□4作品を観る. 振付は全てクリストファー・ウィールドン. □フールズ・パラダイス■音楽:ジョビー・タルボット,出演:高田茜,ウィリアム・ブレイスウェル,マリアネラ・ヌニュス他 □トゥー・オブ・アス(ふたり)■音楽:ジョニ・ミッチェル,出演:ローレン・カスバートソン,カルヴィン・リチャードソン □アス(僕たち)■音楽:キートン・ヘンソン,出演:マシュー・ボール,ジョセフ・シセンズ □パリのアメリカ人■音楽:ジョージ・ガーシュウィン,出演:フランチェスカ・ヘイワード,セザール・コラレス他 ■TOHOシネマズ日本橋,2025.9.19-25(ロイヤル・オペラ・ハウス,2025.5.22収録) ■クリストファー・ウィールドン振付特集だ。 気に入った彼の作品は多い。 でも記憶に残るほどではない。 彼は<核>を作るのが苦手なようだ。 例えば「フールズ・バラダイス」「トゥー・オブ・アス」「パリのアメリカ人」はここぞ!という場面がない。 4作のなかでは「アス」が面白かった。 緊張感があった。 今日はこれが一番かな。 同じデュオの「トゥー・オブ・アス」は歌唱も入り楽しい舞台でもあったが盛り上がりに欠けた。 二人の感情が表層を滑るだけだ。 歌詞がダンサーに重荷だったのかもしれない。 松竹ブロードウェイ(映像)で観た「パリのアメリカ人」は素晴らしい舞台だったことを覚えている。 でも今日は期待外れだ。 似て非なる作品になっていた。 美術・衣装はモンドリアン風でヒールを履いたダンサーも登場し賑やかだ。 しかし舞台のダンサーたちに有機的な統一感はみえない。 「気に入った舞台もあるが記憶に残るほどでもない」というウィールドン印象から今日も抜け出せなかった。 話を変えるが、解説場面で1舞台で用意するシューズ数が話題になっていた。 元ダンサーは「ロメオとジュリエット」が2足、「白鳥の湖」は4足とのこと。 つまり白鳥のほうがロメオに比べてシューズへの負担が2倍かかるということらしい。 素人からみても2倍は妥当にみえた。 *英国ロイヤル・バレエ&オペラinシネマ2024作品 *主催、 https://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=ballet_to_broadway2024 *「ブログ検索🔍」に入れる語句...

■アリババ ■愛の乞食

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:安田章大,壮一帆,伊東蒼ほか ■世田谷パブリックシアター,2025.8.31-9.21 ■唐十郎二本立てを観るため三軒茶屋へ行く。 と、劇場に入って驚いてしまった。 20歳代の女性客が8割近くを占めている。 思わずチケットを確認してしまった。 そこから先日観た「 少女仮面 」の客の多くが高齢者だったことを思い出す。 食う・愛する・産む・排泄する・・。 人間の生きる土台があからさまに舞台にのせられる。 そういう時代があったのだと思い起こさせる。 排泄の成果物まで客席へ投げつけてくる。 戦中戦後世界を詰め込んだ2作品だ。 戦後貧困のなかで女性が子供を産む苦悩、混乱の満州で中国人朝鮮人そして日本人たちの生存への剥き出しな欲望、これらを唐十郎的ロマンで包みシュールに仕立て上げて舞台に現前させていく。 ストーリーが激しく飛ぶので流れに身を任せるしかない。 しかも関西弁だ。 そして唐十郎のテンポは速い。 リズムが合い、初期作品のエキスに出会えた感触を持てた。 演出家の力も大きい。 珍しい作品を舞台にのせてくれた関係者に感謝したい。 ところで今日の客は舞台上からの応答がとても上手かった。 贔屓筋かな? 不思議な客層だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/26364/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、金守珍 ・・ 検索結果は14舞台 .

■蝶々夫人

■作曲:G・プッチーニ,指揮:スペランツァ・スカップッチ,演出:ロバート・ウィルソン,出演:エレオノーラ・ブラット,ステファン・ポップ,オード・エクストレモ他,管弦楽:パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団 ■TOHOシネマズ日本橋,2025.9.12-(オペラ・バスティーユ,2024.9.30収録) ■ロバート・ウィルソンの訃報を先日に知った。 彼の舞台はいつも気にしていた。 でも多くは接することができない。 「浜辺のアインシュタイン」は1992年10月に天王洲アートスフィアで観ている。 他に記憶に残るのは「ハムレット」(1994年4月、静岡芸術劇場)、「ヴォツェック」(2003年9月、東京国際フォーラム)かな。 10月公演「Mary Said What She Said」に来日を予定していたらしい。 叶わなくなってしまい残念だ。 今回の「蝶々夫人」はスケジュール外の出会いだったので嬉しい。 時間を割いて観に行く。 舞台はなにも無い空間、歌手は彫像のように(余分に)動かない。 衣装もシンプルで古代ギリシャ風?だ。 この抽象化が「蝶々夫人」に合う。 日本文化を翻訳しないからだ。 子供の使い方も巧い。 しかし舞台空間が広すぎる。 間が抜けたようだ、生舞台を観ないと何とも言えないが。 蝶々役エレオノーラ・ブラットもピンカートン役ステファン・ポップも無機質な演技だ。 でも歌唱が加わると有機的世界へ導いてくれる。 たとえ抽象化が激しくても、近代日本の女性の生き方が迫ってきて涙を誘う。 加えてロバート・ウィルソンの舞台を久しぶりに楽しんだ。 *パリ・オペラ座inシネマ2025作品 *主催、 https://tohotowa.co.jp/parisopera/movie/madama_butterfly/

■サラダ音楽祭、メインコンサート

■指揮:大野和士,出演:砂田愛梨,松浦麗,寺田宗永,狩野賢一,合唱:新国立劇場合唱団,管弦楽:東京都交響楽団,振付:金森穣,舞団:Noism ■東京芸術劇場・コンサートホール,2025.9.15 ■バラエティに富んだ選曲で楽しめた。 前半はモーツァルトで固め、後半を舞踊系でまとめたプログラムは次の5曲・・、 歌劇「魔笛」序曲、「戴冠式ミサ」(モーツァルト)、「フラトレス」弦楽と打楽器のため(ペルト)、バレエ音楽「三角帽子」第2組曲(ファリャ)、「ボレロ」(ラヴェル)。 Noismが出演するというのでチケットを購入した。 昨年もボレロを踊ったらしい。 演奏している前で舞うには狭い舞台だ。 でもコンパクトな振付で締まりがあった。 「三角帽子」の1919年初演の演出はレオニード・マシーンだった。 今日は演奏のみだ。 「フラトレス」と違い当振付家の好みの曲ではないだろう。 (欲を言えば)即興的振付で観たかったが。 賑やかな曲のため演奏だけでも楽しめた。 また「戴冠式ミサ」ではソプラノ砂田愛梨の歌唱が耳に残った。 カーテンコールで盛り上がったが、やはりNoismの「ボレロ」が当たったようだ。 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/concert303-c303-2/

■能楽堂九月「墨塗」「花筐」

*国立能楽堂九月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・墨塗■出演:茂山千五郎,茂山逸平,茂山茂 □能・宝生流・花筐(小書:大返,舞入)■出演:朝倉俊樹,小倉伸二郎,大日方寛ほか ■国立能楽堂,2025.9.13 ■「花筐(はながたみ)」のプレトーク「恋することは狂うことか?」(山中玲子解説)を聴く。 ・・物狂いは2種類ある。 それは「憑物」と「思い」である。 夢幻能が登場して「憑物」は衰えた。 物狂いは男から母そして若女へと時を辿った。 「狂う」も現代的意味と<芸能を演じる>という2つの意味がある。 両意味を巧みに組み合わせることが多い。 当作品もこれに沿う。 世阿弥の狂物は前場が短く後場が長い、しかも時空が飛ぶ・・。 などなどを語る。 「墨塗」(すみぬり)」も物狂いと言えなくもない。 演劇の通底には物狂いが蠢いているのを感じる。 「花筐」はトークにもあったが面白い構造だ。 「ツレを連れた狂物はこの作品だけ」と言っていたのも思い出す。 双子のようなシテとツレは見応えがあった。 面はシテが「節木増」ツレ「小面」。 しかし「李夫人の曲舞」は頂けない。 ここで物語が途切れてしまった。 漢武帝と李夫人、皇子と照日前、二組の関係はあらゆる面で違うように思える。 世阿弥はどのように考えていたのだろうか? *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7023/

■ニュルンベルクのマイスタージンガー

■作曲:R・ワーグナー,指揮:ダニエレ・ガッティ,演出:マティアス・ダーヴィッツ,出演:ゲオルク・ツェッペンフェルト,クリステイーナ・ニルソン,マイケル・スパイアーズ他,管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 ■NHK配信,2025.9.1(バイロイト祝祭劇場,2025.7.25収録) ■今月に入りワーグナーは3本目だ。 今年のバイロイト音楽祭から当作品がNHKで放映された。 新演出の為かな? ・・漫画チックな美術が凡庸な舞台に近づける。 2幕「蹴り合いの場」ではリングにロープを張ったボクシングまで登場する。 また3幕ヨハネ祭りはポップな美術・衣装で一杯だ。 これらは作品との深い繋がりはみえない。 見た目は楽しいが興ざめもする。 そしてヴァルターはマイスター称号を拒否したままエヴァと駆け落ちして幕が下りる。 これも後味が悪い。 父親やザックスは無念だろう。 ベックメッサーも惨めすぎる。 競争相手をこれだけ貶めると舞台が盛り上がらない。 ・・。 喜劇と呼ばれている作品だが演出家の喜劇にはついていけなかった。 上映5時間弱(休息無し)は長かった。 ワーグナーの舞台は長いが短い。 この相反感覚が今回はやってこなかった。 騎士のヴァルター役マイケル・スパイアーズは伸びのある声で聴き応えがあった。 また合唱団は臨時編成(?)らしく新鮮味が出ていた。 最近はチケットの売れ残りもあると聞いている。 舞台芸術はどこもしんどい。 盛り立てていきたいものだ。 *バイロイト音楽祭2025年作品 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/V3NJMYWRPJ/

■ワルキューレ

■作曲:R・ワーグナー,指揮:アントニオ・パッパーノ,演出:バリー・コスキー,出演:クリストファー・モルトマン,エリザベート・ストリート,ナタリア・ロマニウ他,ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団 ■TOHOシネマズ日本橋,2025.9.5-11(ロイヤル・オペラ・ハウス,2025.5.14収録) ■上演時間5時間(休憩含む)は長い、そして短い。 緊張ある対話が続くがヴォータンの存在が流石に目立つ。 「ラインの黄金」ではアルベリヒとバリトン域を競い合ったが今日は彼の独断場だった。 しかも髪を伸ばし義眼に変えたので最初は別人かと思ってしまった。 エルダも舞台を徘徊しているが大丈夫だろうか? 2年の歳月は短くない。 これを意識して若い歌手を多く登場させたのは戦略だろう。 でも彼らの存在力はこれからに期待するしかない。 「環境問題がテーマである・・」、「故郷オーストラリアの山火事を体験・・」。 舞台監督と演出家が語っていた。 フンディングの館をトネリコの壁で覆った1幕、荒野にトネリコの廃木を置く2幕、ブリュンヒルデを埋めたトネリコが炎に包まれる3幕。 テーマも山火事も分かるが環境問題を考えると舞台の面白さが遠のく。 「食卓にはジャガイモとトリ肉を・・」。 舞台監督の飽くなき拘りがみえるが、飲食は最低限にしてもらいたい。 食べる演技はとても難しい、フンディングの食べっぷりは豪快で巧かったが。 ところで指揮者パッパーノが音楽監督を引退するらしい。 「・・22年間で700舞台を熟した」とインタビューで話していた。 感動が遠のく前に新指揮者ヤクブ・フルシャの「ジークフリード」を観たいものだ。 エルダ、それまで元気でいてくれ! *英国ロイヤル・バレエ&オペラinシネマ2024作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/102664/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、バリー・コスキー ・・ 検索結果は2舞台 .

■ラインの黄金

■作曲:R・ワーグナー,指揮:アントニオ・パッパーノ,演出:バリー・コスキー,出演:クリストファー・モルトマン,クリストファー・バーヴェス,ショーン・パニッカー他,ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団 ■RBOストリーム・配信(2023.9,ロイヤル・オペラ・ハウス収録) ■英国ロイヤル・バレエ&オペラ・イン・シネマで「ワルキューレ」を9月5日から上映するようだ。 「ラインの黄金」は2023年秋に上映されたらしい。 これは見逃していた。 ウェブを探し回り「RBOストリーム」に辿り着く。 そこで見つけた。 早速観る。 幕開きから驚きの連続である。 裸体の老婆が舞台を歩き回っている? 途中で分かる。 老婆はヴォータンの妻そしてブリュンヒルデの母である女神エルダだった! うーん・・? そして現代的病を持つ人物が勢揃いした演劇をみているような錯覚に陥ってしまう。 一幕2時間半を一気に観てしまった。 他の「指輪」、例えばMET(メトロポリタン)やNNTT(新国立劇場)と比較しても言語的演技的な斬新さがある。 そこに切れ味の良い歌唱がより演劇を意識させる。 ところでRBOは序夜から今回の第一夜「ワルキューレ」まで2年かかっている。 この流れだと第三夜「神々の黄昏」を観るのは2029年かな? NNTTは2015年に序夜を、2017年までに全夜を上演している。 まっ、2年が妥当だろう。 ともかく、第一夜を観に行こう。 *英国ロイヤル・バレエ&オペラinシネマ2023作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/100622/

■能楽堂九月「才宝」「玄象」

*国立能楽堂九月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・才宝■出演:野村萬,野村万之丞,野村挙之介,野村眞之介ほか □能・観世流・玄象■出演:片山九郎右衛門,分林道治,長山桂三,観世淳夫,宝生欣哉ほか ■国立能楽堂,2025.9.3 ■三人の孫が烏帽子(えぼし)を着せてもらうため祖父を訪ねる話である。 「才宝(さいほう)」は祖父の名前らしい。 祝の酒宴が楽しい。 「玄象(げんしょう)」は琵琶にまつわる伝承をもとにした興味深い作品だ。 琵琶の名手であるワキ役藤原師長(ふじわらもろなが)、文雅に優れたシテ役村上天皇、美しい黒髪を持つツレの梨壺女御。 背景をいろいろ思い出しながら観てしまった。 手に持つ琵琶は名器である玄象そして獅子丸らしい、もちろん張りぼての作り物だが。 リズムある後場が素晴らしい。 龍神の速い動き、シテの早舞は確かな観応えがあった。 面はシテが「笑尉(わらいじょう)」から「中将」へ、ツレは「姥」から「黒髭」へ。 今日は中正面席に座る。 橋掛りから舞台まで一望できるのが嬉しい。 「才宝」では祖父の歩く姿、「玄象」では村上天皇と梨壺女御の入場、龍神の等速度な走り、などなどを堪能した。 歩く姿だけが何故これほどまでに劇的なのか! *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7022/

■少女仮面

■作:唐十郎,演出:中野敦之,出演:椎野裕美子,津内口淑香,丸山正吾ほか,劇団唐ゼミ ■恵比寿・エコー劇場,2025.8.19-24 ■16年ぶりに行くエコー劇場を地図で探した。 場内の雰囲気も椅子の座り心地も覚えていない。 演出家も初めてか? 唐ゼミは観ていたようで観ていない。 これは好きな作品の一つだ。 機会があれば観るようにしている。 さいきんは一糸座の糸あやつり人形劇公演だった。 演出家や劇団で表層には違いが出る、でも深層ベクトルは全てが同じ方向へ向かう。 それは作者の求心力が強すぎるから。 舞台は原作に忠実にみえた。 ・・春日野八千代は演技も歌も落ち着きがあり安心できた。 ボーイも剛直だが動きに切れがあり、目力もあった。 役者たちのコンビネーションも良い。 でも「悲しき天使」は歌い過ぎだろう。 もっと絞り込んだほうがよい。 甘粕大尉はより軍人らしく、帽子は脱がないことだ。 (自慢の禿げ頭はみせなくてもよい)。 防空頭巾女は緊張溢れる演技にすると舞台全体が引き締まる。 仮面は白色系が似合うのだが・・。 いろいろ感想はあるが、それでも久しぶりに唐十郎を堪能できた。 観客は年齢が高い。 劇団が正統派に近い、つまり古典派だからだろう。 昨日は歌舞伎町へゴダール展を観に行ったが、いやー、今日の恵比寿も暑かった。 渋谷川では涼しくならない。 *原団唐ゼミ☆第33回公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/375108

■ナターシャ

■台本:多和田葉子,作曲:細川俊夫,指揮:大野和士,演出:クリスティアン・レート,出演:イルゼ・エーレンス,山下裕賀,クリスティアン・ミードル他 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.8.11-17 ■彷徨う二人の主人公ナターシャとアラトがメフィストに導かれ7つの地獄巡りをする新作オペラである。 なんと現代社会こそが地獄だ!と言っている。 ・・木の無い「森林地獄」、プラスチックに囲まれた「快楽地獄」、全てを呑みこむ「洪水地獄」、金儲け一番の「ビジネス地獄」、底抜け消費「沼地獄」、世界が燃え上がる「炎上地獄」、言葉も枯れた「旱魃地獄」・・。 灰色で統一した暗い舞台のなか、電子音響や映像をふんだんに使い、楽曲は複雑で演奏は混沌として神経を不安にさせる。 歌唱も安らかにさせない。 地獄だから当たり前か? 主人公二人は未熟で為す術がない。 このため地獄が風景のように流れていく。 現代社会の表層を見つめていくだけだ。 「飽き飽きしているのでは?」。 メフィストの言葉はそのまま観客に向かってくる。 終幕、二人が行きついた地獄の果てには逆バベルの塔が!? これは理解できなかった。 塔の底まで来たからには全てを新しく創造していくしかない! こう解釈した。 聴きごたえのある歌唱は二か所、ナターシャのソロ「人間とは青い地球の化け物・・」、そして二人の終幕デュオかな。 悲観的過ぎる現代世界の描き方に賛否はあるはず。 それでも観終わったときに作品の重量感がひしひしとやってきた。 多様な方法を試みた物量作戦の成果が出ていた。  *NNTTオペラ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_030096.html

■りすん

■原作:諏訪哲史,脚色:天野天街,演出:小熊ヒデジ他,出演:加藤玲那,菅沼翔也,宮璃アリ ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2025.8.7-10 ■客席が三方向に作られている。 5m四方の舞台はカーテンで仕切られているが中は透けてみえる。 ベッドが置いてあるようだ。 粗筋を読んでいないので何が起こるか想像できない。 カーテン越しに二人の役者が姿を現す。 大学生の兄と妹とわかる。 妹は血液系癌に罹っている? ここは病室らしい。 二人の対話が面白い。 言葉の羅列がお見事、ここに映像や照明・音響を修飾語のように被せていく。 少年王者舘を凝縮させたような舞台だ。 「りすん」とは何か? 途中でわかった。 ビートルズ「 Do You Want To Know A Secret」の歌詞は当て字がはめられていたが、この「Listen・・」から「りすん」にしたと思う。 ・・? カーテンが外され、祖母が病室にやってくる。 彼女が二人の過去を持っている。 満蒙開拓民の両親や親戚、兄妹の幼少期時代、戦争末期の混乱や父のホテルのこと、などなどが語られる。 過去を得た二人は成長した。 なかでも父が経営していたホテルが何度も話題になる。 ホテルは兄妹の永遠のオアシスかもしれない。 後半に入り隣室の患者に目が向けられる。 その人は小説家? 兄妹の行動を小説にしようとしている? ここから文学論的な話になる。 演劇論も重なるので楽しい。 でもこれを続けると舞台が逸れてしまう。 それより、時々思い出させる病室という雰囲気である。 妹の死へ向かう気配といっていよい。 これを兄妹の饒舌な対話が撥ねつけていた。 でもついにその時がやってきた? 二人がダンスをしながら幕が下りる。 ここぞという時にダンスを入れるのは勇気がいる、天野天街ならいつもの事だが。 このダンスが生と死を昇華した。 雑音のない終わり方で上手くまとめたと思う。 役者たちも舞台装置も一体感があり、ツアー公演だが完璧な舞台を観せてくれた。 暑い中、久しぶりの横浜を楽しめた。 *「りすん2025edition」リ・クリエイションツアー *劇場、 https://www.kaat.jp/d/lisun *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、小熊ヒデジ ・・ 検索結果は2舞台 . *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、天野天街 ・・ 検...

■能楽堂八月「海老救川」「朝比奈」「水汲」「砧」

*国立能楽堂八月企画公演の□4舞台を観る. □小舞・和泉流・海老救川■出演:野村太一郎ほか  □狂言語・和泉流・朝比奈■出演:野村万作 □小謡・和泉流・水汲■出演:野村萬斎,野村裕基 □袴能・観世流・砧■出演:観世恭秀,坂口貴信,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2025.8.6 ■本日の夏企画は「素の魅力」。 素は涼しい。 小舞「海老救川(えびすくいがわ)」、狂言語「朝比奈(あさひな)」そして小謡「水汲(みずくみ)」と続く。 野村家の芸を堪能した。 若人も育っている。 休憩をはさんで袴能「砧(きぬた)」が演じられた。 観客はいつもと違う。 老若男女が程よく分かれていた。 和服も多い。 「砧」は好きな作品である。 でも袴能のため最初は戸惑った。 次第に慣れる。 とはいうものの、今日も暑かった。 「650年続く能楽一家」を先日のテレビで見る。 観世宗家観世清和と嫡男三郎太が登場し箱入りや能舞台を紹介していた。 普段見ることができない内容で楽しめた。 はたして、本日の舞台にも両人は出演していた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7019/

■盲人書簡、上海篇

■言葉:寺山修司,演出:森永理科,劇団:サイコシス ■ザムザ阿佐谷,2025.7.24-30 ■この劇場は12年ぶりです。 ・・黒衣装で周辺が埋まっていますね。 黒服限定来場者特典があるようです。 「・・完全な闇(暗転)を共有すべく、黒服での来場者に、・・プレゼントします」と。 でも、この暑さで黒はキツイ! 黒ずくめ劇団員はご苦労様です。 サイコシスは初めて観る劇団です。 満席ですか! そして気になった暗闇は完ぺきでした。 さすがです。 照明も切れ味がある。 LEDが効いている。 衣装も凝っている。 耳栓を事前に配っていたが音響も気にならない。 科白もはっきりしている。 歌唱も上手い。 場面切替も円滑です。 しかし全体が乾いている感じです。 表面を滑っていく。 戦争気配が充満している魔都上海のドロドロ感がやってこない。 小林少年と母の愛もです。 寺山修司の科白を舞台に載せると乾いていきます。 これを如何に湿らせるか? 湿への揺れがあるほど寺山修司は甦る。 湿り気を呼ぶマッチも擦らなかった。 そして、やはり小林少年は学生服学生帽が似合う、女学生マサ子がセーラー服だったのに・・、残念です。 それでも阿佐谷の寺山修司を十分楽しみました。 *「日本の演劇人を育てるプロジェクト」新進劇団育成公演 *寺山修司生誕90年記念認定事業 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/370025

■能楽堂七月「蝸牛」「船弁慶」

*国立能楽堂七月ショーケース公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・蝸牛■出演:山本凛太郎,山本則秀,山本秦太郎ほか  □能・観世流・船弁慶■出演:奥川恒治,坂賀子,則久英志ほか ■国立能楽堂,2025.7.28 ■今日の体験コーナーは笛と太鼓だった。 観客も若い人が目立つ。 「蝸牛(かぎゅう)」と「船弁慶(ふなべんけい)」も人気作品である。 「蝸牛」は素直な心で観ると楽しい。 騙された主人が、太郎冠者と歌い踊る終幕はなんともいえない素朴な哀楽が感じられた。 「船弁慶」は何度みても面白い。 義経を子役にするのは静御前との性の関係を薄める為らしい。 プレトークで観世喜正がこう話していた。 なるほど。 子役も昇華方法の一つだ。 肉体の昇華こそ舞台芸術の真髄だろう。 役者や踊者は自身の肉体を昇華し芸術的感動を如何に呼び寄せるか! これに全てが係っている。 いや、今日も暑い。 千駄ヶ谷の夏空のなか、羽田空港に着陸する飛行機がひっきりなしに通過していく。 面は「増(ぞう)」から「怪士(あやかし)」へ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7017/

■PLAY

■振付・衣装:アレクサンダー・エクマン,音楽:ミカエル・カールソン,歌唱:カリスタ・キャリー・デイ,舞団:パリ・オペラ座 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.7.25-27 ■数組がデュオで踊る場面は観応えがあった。 しかし群舞は単調だ。 ダンスと言うよりパフォーマンスにみえる。 夏季遠征公演はこんなものだろう。 舞台上には大小のオブジェがたくさん登場する。 木が植えられ、天井には箱が幾つもぶら下がっている。 大きな風船も飛ばされる。 途中、緑色のボールが雨のように落ちてくる。 これにはビックリ! オーケストラピットがボールで埋まってしまうほどの数だ。 数万個はあるだろう。 余裕の新国立劇場オペラパレスで公演する理由が分かった。 前半は遊び心で進んだが、後半はシリアスになる。 衣装も灰色に変わる。 そこに演出家のメッセージが表示される。 「人生は結果より過程が大事だ・・」。 要約するとこう言いたいのだろう。 人生後半をどう生きるか? エクマンの舞台は当ブログで2回目だが、それにしても教条的だ。 しかし終幕は再び子供時代に戻った。 風船やボールが場内を飛び交う。 歌唱も入った。 なんでも有りだ! 暑さを忘れる舞台だった。 *ぴあ、 https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2557048 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、アレクサンダー・エクマン ・・ 検索結果は2舞台 .

■能楽堂七月「棒縛」「葵上」

*国立能楽堂七月ショーケース公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・棒縛■出演:奥津健太郎,野村又三郎,野口隆行  □能・観世流・葵上■出演:小早川修,鵜澤光,大日方寛ほか ■国立能楽堂,2025.7.26 ■ホールでは能面や衣装の体験コーナーが開催されていた。 先日より客層の年齢が下がった感じだ。 「棒縛(ぼうしばり)」と「葵上(あおいのうえ)は人気作品と言われている。 ところで座席ディスプレイに現代語訳を表示できたので覗いてみる。 字幕を見始めると舞台が遠のいてくのがわかる。 翻訳文字が役者から声と言葉を分離させてしまうからだろう。 声と言葉(声に乗ってくる詞章)が耳に直接伝わらないと舞台のリアルを感じ取ることができない。 日本語でもこうなるから外国語は尚更だ。 字幕を介したときに起こる疑問、母語の人々はこの舞台をどう感じているのだろうか? この答を知ることはできない。 結局、どこかで妥協するしかない。 それだけ母語は強い。 面はシテが「泥眼(でいがん)」から「般若」へ、ツレは「小面(こおもて)」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7016/

■能楽堂七月「寝音曲」「鵜飼」

*国立能楽堂七月ショーケース公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・寝音曲■出演:能村晶人,野村万禄  □能・宝生流・鵜飼■出演:野月聡,御厨誠吾,渡部葵ほか ■国立能楽堂,2025.7.23 ■ショーケース公演のため体験コーナーやプレトークがあった。 客層もいつもと少し違う? いや、ほとんど同じか? 「寝音曲(ねおんきょく)」は昨年11月に観ていた。 舞もあり活発な動きで前回と違う内容にみえる。 帰宅後調べてみた。 これは大蔵流(前回)と和泉流(今回)の流差から来ているらしい。 謡は「放下僧」と「海人」の違い、舞量は後者が多い。 比較はできたが、太郎冠者の酒の呑みっぷりの良さは同じだ。  「鵜飼(うかい)」は前シテが漁師、後シテは閻魔大王になる。 大王は法華経を称えて旅僧の行為に感謝する。 「旅僧は日蓮上人その人である・・」と、このような資料を見つけたが、なるほど、それもアリかもしれない。 面は「朝倉尉(あさくらじょう)」から「小癋見(こべしみ)」へ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7015/

■くるみ割り人形とイオランタ

■指揮:マキシム・パスカル,演出:ロッテ・デ・ベア,出演:川越未晴,北川辰彦,岸浪愛学ほか,東京シティ・バレエ団,東京フィルハーモニー交響楽団 ■東京文化会館・大ホール,2025.7.18-21 ■チラシは「イオランタ/くるみ割り人形」とある。 今日の出演者表をみると「くるみ割り人形とイオランタ」になっていた。 二期会としてはオペラを重視したいので前者を広めたのかもしれない。 チャイコフスキーではどちらも好きな作品だ。 これがチケット購入の理由だが、夏場の「くるみ割り人形」は珍しい。 暑い中を上野へ向かう。 いや、とても良くできていた。 ルネ王の娘イオランタの夢の中に「くるみ割り人形」が出現する構造になっている。 しかも彼女が盲目のため夢か現実か切り分けがつかない。 チャイコフスキーバレエには根源的寂寥感が漂っている。 イオランタ役川越未晴は感情をあまり出さず淡々と歌う。 この盲目の歌唱とバレエが融合しイオランタの心を見える形で現前させた。 また「イオランタ」は哲学的オペラといえる。 この哲学をバレエが柔らかくした。 両作品の相乗効果が噛み合っていて面白い。 ダイジェスト版を観た感は否めないが完成度は高い。 満足して暑さが残る上野を後にした。 *ウィーン・フォルクスオーパー,ウィーン国立バレエ団共同製作 *東京二期会オペラ劇場 *二期会、 https://nikikai.jp/lineup/iolanta2025/

■紅鬼物語

■作:青木豪,演出:いのうえひでのり,出演:柚香光,早乙女友貴,喜矢武豊ほか,劇団☆新感線 ■ぴあ・配信,2025.7/18-21(シアターH,2025.6.24-7.17収録) ■上演3時間は長い。 しかも、ダラダラのばして終幕にドタバタと畳み掛ける。 余分な科白や場面が多過ぎる。 縫いぐるみも登場し、漫画や童話のような喋り方もする。 同じような歌と踊りもある。 この冗長度はなんだろう? 観客層を小学生まで広げようとしているのか? 上演時間は半分に短縮してもよい。 話しは変わるが、刀を使った立ち回りはスピーディーでいつものように素晴らしかった。 鬼の出生が不明だ。 彼岸(あの世)からやって来たわけでもない。 昔から此岸(この世)に居るのだろう。 異類婚姻譚でもない。 むしろ異人と言える。 鬼と人間の共存は可能か? これを論じているようにもみえる。 しかしこの鬼は人肉を好む。 しかも食う場面が多過ぎる。 カニバリズムは度が過ぎると不快だ。 共存は無しか? 終幕の目まぐるしい展開はついていけない。 人物が入り乱れて空回りしてしまった。 父蒼が母紅子が死に、娘藤は生き残る。 藤は両親の意志を受け継ぎ人間として鬼として生きていくだろう。 この共存の形がヒトとしての進化だ! こう言っている作品にみえる。 ヒトの心に鬼が宿っているのは確かだから。 *ゲキXシネ2025年作品 *劇団☆新感線45周年記念公演 *劇団、 https://www.vi-shinkansen.co.jp/akaoni/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、いのうえひでのり ・・ 検索結果は17舞台 .

■消えていくなら朝

■作・演出:蓬莱竜太,出演:大谷亮介,大沼百合子,関口アナン,田実陽子,坂東希,松本哲也 ■新国立劇場・小劇場,2025.7.10-27 ■余裕のある家庭が想像できる舞台だ。 暖炉もある。 海もみえる。 両親と二人の息子、そこに兄の妻と弟の恋人が登場する。 途中、兄の妻は末娘だとわかる。 ヤジを飛ばし続けていたので謎の人物だったのだが。 舞台はすこしづつ雲行きが怪しくなっていく。 各人が裏に秘めた日頃の鬱積を吐露し始める。 言えるのは、新興宗教に入信している母が崩壊の原因だろう。 この影響が3人の子供たちに長く深く沁み込んでいる。 両者に挟まれた父はどうすることもできない。 切り札は離婚ぐらいか? よくあるパターンだ。 言葉尻を捕らえた科白の展開が耳につく。 家族内でこの言葉の遣り取りはないだろう。 登場した6人全員が暴き始めるのも頂けない。 これでは観客は逃げ場が無い。 その諄さを和らげるため、娘にヤジを飛ばせる位置に座らせておくのがよかったかもしれない、道化のように。 また弟の恋人の差別話に戸惑う。 家族内の喧嘩だけでまとめるべきだ。 そのほうが作品に強さが増す。 不幸を扱っているが客席から笑いが漏れる。 ある意味ほっとする。 一晩中啀み合って朝になってしまった。 弟が帰れば家族は元の関係に戻るだろう。 ふたたび父が薪を焚べる姿がみえる。 良くも悪くもそれが家族というものだ。 消えていくなら朝・・。 *NNTTドラマ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/morningdisappearance/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、蓬莱竜太 ・・ 検索結果は4舞台 .

■アルルの女 ■ボレロ

*以下□の2作品を観る. ■彩の国さいたま芸術劇場・大ホール,2025.7.11-13 □アルルの女 ■振付:金森穣,音楽:ビゼー,衣装:井深麗奈,映像:遠藤龍,照明:伊藤雅一,出演:井関佐和子,山田勇気,舞団Noism ■隅々まで緊張感が漂う舞台だ。 美術も照明も申し分ない。 うろ覚えだったが粗筋は追えた。 劇的舞踊といえる。 舞台正面に20cm幅の四角い枠が嵌め込まれている。 途中、ダンサーに合わせて小さな枠も重ねられる。 枠(フレーム)は物語を強く浮き出させる。 明暗の強い照明も劇的さを倍増させる。 ダンサーのスローな動き、特に歩き方はSCOTに通ずる。 隙のない舞台だ。 椅子や机を動かしたり扇や刀を使う場面もあり楽しい。 久しぶりのNoismを堪能した。 許婚ヴィヴェット、祖父、母ローズそして息子フレデリが次々といなくなり一人残る道化のような弟ジャネ。 心理的な流れもしっかり舞踊に溶け込んでいた。 しかし不在のアルルの女が弱い。 そのぶんローズとフレデリの母子関係が強く出てしまった。 これは演出か? □ボレロ ■振付:金森穣,音楽:ラヴェル,照明:伊藤雅一,出演:井関佐和子,舞団Noiam ■映像舞踊「BOLERO」を除くとNoismの「ボレロ」は初めてかもしれない。 ベジャールを含めこの作品はよく観ているが、円環をあえて壊すところがいい。 色調は黒から銀へ変化していく。 徐々にすすむ曲の高揚感と比例していた。 今日の二本は刺激的でどちらも気に入った。 さいたま迄足を運んだ甲斐があった。 *劇場、 https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/103570/

■能楽堂七月「宝の槌」「一角仙人」

*国立能楽堂七月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・宝の槌■出演:善竹忠重,善竹十郎,善竹忠亮 □能・観世流・一角仙人(酔中之舞)■出演:武田尚浩,角幸二郎,野口琢弘ほか ■国立能楽堂,2025.7.12 ■「宝の槌(たからのつち)」は、太郎冠者が詐欺師から何でも打ち出せる宝の撥(太鼓のバチ)を買ってしまうが・・。 プレトーク「能における仙人と仙境」(表きよし解説)を聴く。 ・・仙人が登場する作品は少ない。 「西王母(せいおうぼ)」や「東方朔(とうぼうさく)」ぐらいだろう。 両者は桃が関係している神仙思想の作品である。 「一角仙人」はインドを背景としている。 仙人が雨で滑ってしまったので竜神を恨み岩屋へ閉じ込める話が「今昔物語」にある。 このような仙人の性格から酒や女に弱いと判断した帝は施陀夫人を仙境へ向かわせる。 この策略が当たり竜神は解放される。 作者は室町後期の新しい観客を引き寄せるための舞台をつくった信光や長俊と同時代の金春禅鳳である。 居眠りなどさせない! ・・などなど解説した。 「一角仙人(いっかくせんにん)」は思った以上に展開が速い。 特急電車並みだ。 居眠りをする暇などない。 能はもともとがバラエティと言える。 「楽」の相舞や子役も登場し娯楽性がより強い。 そうそう、子役は禅鳳の孫を舞台に立たせたかったから、とトークしていた。 面はシテが「一角仙人」ツレは「万媚(まんび)」。 千駄ヶ谷駅へ向かう帰りの足取りも軽く速くなった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7014/

■能楽堂七月「萩大名」「楊貴妃」

*国立能楽堂七月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・萩大名■出演:茂山七五三,茂山逸平,茂山茂 □能・喜多流・楊貴妃(玉簾)■出演:中村邦生,大日方寛,茂山千之丞ほか ■国立能楽堂,2025.7.3 ■室町時代の地方大名は公用で京都へ登ることが多かった。 都では歌も詠めない(教養がない)大名は肩身が狭かったのだろう。 「萩大名(はぎだいみょう)」も地方の武士が当座(即興の和歌)で恥をかく話である。 小唄で遊んでいる暇などない。 武士は辛い。 お馴染みの「楊貴妃(ようきひ)」だが能では奇をてらわない。 心情を描き文学的である。 玄宗皇帝の勅命を受けた方士(道教の行者)が異界へ楊貴妃に会いに行く。 貴妃は簪(かんざし)と玄宗との誓いの言葉を方士に託し舞を舞う。 そして現世に帰る方士を見送りながら一人孤愁に再沈する。 常世らしい静かさ冷たさ長閑さのなか、貴妃の暖かさが感じられる。 面白く観ることができた。 小書「玉簾(たますだれ)とは作り物の三方に鬘帯(かつらおび)を飾ること。 内に居る楊貴妃が見え難くなるのが惜しい。 シテ面は「増(ぞう)」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7013/

■バサラオ

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:生田斗真,仲村倫也,西野七瀬ほか,劇団☆新感線 ■新宿バルト9,2025.6.27-7.17(明治座,2024.9収録) ■・・坂東武士のバクフ軍と公家や落武者をまとめたミカド軍の戦いは後者が勝利する。 しかしミカドも父子の確執で東西朝時代がやってくる。 そこにバサラがすきを突き天下統一を企てるのだが・・。 いつもの捻りがみえない。 唸らせる裏ストーリーもありません。 表面的な陰謀や寝返りだけで物語が進んでいく。 拘るのは外見至上主義でしょうか? いわゆるルッキズムです。 容姿の良し悪しで物事が決まる。 これにバサラを被せようとしている。 しかしルッキズムが強すぎてバサラ美意識が満たされていかない。 しかも天下統一後のバサラ時代がどのような社会か?想像できない。 多分、チャンバラ場面が散らばり過ぎて物語が分断されたからでしょう。 それでも、ヒュウガ(生田斗真)とカイリ(中村倫也)の死を突飛だがなんとかまとめた。 キャストの熱演は気持ち良いが、スタッフの苦労が伝わってくる作品でした。 *劇団☆新感線2024年作品 *ゲキXシネ、 https://www.geki-cine.jp/basarao/

■能楽堂六月「附子」「鉄輪」

*国立能楽堂六月能楽鑑賞教室の以下の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・附子■出演:三宅右矩ほか □能・喜多流・鉄輪■出演:金子敬一郎ほか ■国立能楽堂,2025.6.28 ■観客層がいつもと違う。 20才前後の客も多い。 会場に元気が溢れていて気持ちがよい。 プレトーク「能楽の楽しみ」(佐藤寛泰解説)を聴く。 ・・能楽はオペラに近い、仮面劇でもある。 次に西本願寺能舞台の歴史を語る。 また舞台の柱(目付柱など)を相撲建築と比較し、仮面を付けたときの空間の狭さから柱の必要性を説く。 五番立や流派の話、最期に今日の演目「附子」と「鉄輪」を解説する・・。 能楽鑑賞教室らしい分かり易い内容だった。 「附子(ぶす)」も「鉄輪(かなわ)」も初心者には入り易いと思う。 狂言は笑ってくれとトークでも勧めていたが「附子」は観客の笑いが絶えなかった。 「鉄輪」は離婚(不倫?)の話で暗いが、現代に通じる。 漫画や映画でおなじみの陰陽師安倍晴明も登場する。 女性の恨み辛みが恐ろしい復讐劇だ。 舞台をみていると作者が実際に苦労していたのが分かる? 舞台芸術の客離れが進んでいると聞いた。 配布されたプログラムには漫画も挿入されて至れり尽くせりだ。 関係者の苦労がみえる。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7012/

■サロメ

■作曲:R・シュトラウス,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,演出:クラウス・グート,出演:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー,ペーター・マッティ,ゲルハルド・ジーゲル他 ■東劇,2025.6.27-7.3(メトロポリタン歌劇場,2025.5.17収録) ■この作品は独特な雰囲気がある。 具体的な名詞に溢れているからです。 ・・それは多くの人種や地名、パレスチナのユダヤ人、ローマ人やエジプト人、エルサレム・ガラリア・カペナウム・サマリア・エドム・アッシリア・レバノン・シリア・アレクサンドリア・・・。 たくさんの果物や宝石、葡萄や林檎・柘榴や無花果、エメラルド・トパーズ・オパール・ルビー・メノウ・トルコ石・水晶・紫石・・、そして動植物の名前たちが宗教と絡み合い想像力が膨らんでいく。 バビロンとソドムの娘であるサロメには6人の分身が同じ服装と髪型で登場する。 彼女の子供時代から現在までを同時に現前させる手法は凝っています。 ダンスの場面も変わっている。 「あの人はサマリアにいる? エルサレムに向かった?」。 あの人が近づいてくるのをゾクゾクと感じることができました。 「ヨカナーンは私を愛した・・」。 サロメ役はエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー。 魅力的な声だが現実的な身体がサロメを遠ざけてしまった。 スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」「アイズワイドシャット」を参照した。 演出家?がインタビューで話していたが、むしろドイツ表現主義映画の技法でサロメを再び甦らせたと言ってよい。 ヴィクトリア朝時代の背景と20世紀初頭のドイツ芸術がシリアの地のあの時代で混ざり合いキリストの到来を予言した。 不思議で怖い舞台を面白く観ることができました。 *MET2024シーズン作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/6002/

■ザ・ヒューマンズ、人間たち

■作:スティーヴン・キャラム,翻訳:広田敦郎,演出:桑原裕子,出演:山﨑静代,青山美郷,細川岳ほか ■新国立劇場・小劇場,2025.6.12-29 ■2階が狭すぎて役者が落ちやしないか!ハラハラしました。 車椅子の動きを追ってしまった。 あと1mの奥行が必要でしょう。 次女のアパートに集まった祖母、両親、姉は落ち着きがない。 なにか隠し事を持っている。 どうでもいいような夢の話など雑談ばかりしている。 焦点が定まらない。 でもカネの話が裏にある。 悪くもない学歴や職業を持っているのにです。 抱えている持病、祖母の認知症や姉の大腸炎そして母の糖尿?や父の腰痛も彼らを暗くしている。 時々聞こえるトイレの水を流す音に乗せて不安が観客に届きます。 後半、父の隠し事がわかる。 不倫のようです。 これで年金も家も失ってしまった。 やれやれ! この流れで不倫とは・・、作者は何を考えているのか? 「だって、現実に起きてることだけで、十分気味が悪いんだから」。 チラシに書いてあった。 持病や不倫などは日常でよく出くわす。 上司の職業紹介での嫌がらせもです。 最後は父のように被害妄想が大きくなる。 現代はこのような些細なことで転落していく。 こう言っている舞台にみえる。 世界が細分化し過ぎた? おおらかさを取り戻したい! ところで、相手の科白が終わる前に自分の科白を喋る。 このような場面が何度もあった。 対話になっていない。 これは演出でしょうか? 2階の狭さも演出かもしれない? 今日の観客は高校生で占められていた。 私が高校生ならこのような漠然とした暗い作品は避けたいですね。 両親は宗教について多くを語っていたが不倫との関係は有耶無耶です。 混乱しました。 やはり宗教は(日本人にとって)壁ですね。 *NNTTドラマ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_030021.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、桑原裕子 ・・ 検索結果は7舞台 .

■能楽堂六月「真奪」「敦盛」

*国立能楽堂六月普及公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・真奪■出演:山本則孝,山本則重,山本泰太郎 □能・観世流・敦盛(二段之舞)■出演:藤波重彦,江崎欽次朗,金子聡哉ほか ■国立能楽堂,2025.6.14 ■「真奪」は「しんばい」と読む。 室町以降に流行った生け花スタイルの「立花」からきているらしい。 これは「真(本木)」と「下草」で構成される。 「真」は「心」とも書く。 舞台は主人公が他人の「真(心)」を奪う話である。 また「盗人を見て縄を綯う」も付録になっている。 プレトーク「平家物語と能が生み育てた優美なる救済劇」(坂井孝一)を聴く。 語り本系と読み本系を比較して世阿弥は熊谷直実から敦盛視点に傾いた、ワキ蓮生法師は諸国一見の僧ではない、シテ敦盛が前場では直面で登場する、敦盛は蓮生法師としてではなく敵方直実として挑む場面が一瞬ある。 これらは作品構造からみても面白い。 ところで、源頼朝は14才から20年も流人生活をしたこと、鵯越は義経の発案ではないこと、などなど解説した。 話題を敦盛と直実に絞ったほうが良かっただろう。 「敦盛(あつもり)」は風景・心情がすんなりと入って来ない。 詞章が難しい(と感じる)。 私の寝不足もある、後場は調子がのってきたが。 しかも敦盛の動きの複雑さに気が抜けない。 この作品は餡子たっぷりの鯛焼に似ている。 シテの声・動きには満足した。 面は「敦盛」。 帰りは世阿弥のことを考えながら千駄ヶ谷駅へ向かった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7010/

■セザンヌによろしく!

■作・演出:今野裕一郎,出演:黒木麻衣,坂藤加菜,中條玲ほか,劇団:バストリオ ■せんがわ劇場,2025.6.1-8 ■タイトルをみて劇場へ行くことにする。 セザンヌの絵に入り浸っていた時期があったからです。 彼が描いた静物画や人物画の前にいると脳味噌がピクピクし始める。 私にとってセザンヌは謎の一人です。 即興風パフォーマンスと言うような舞台ですね。 ・・日記を読みながら、ドラムやサクソフォンなどを演奏しながら、そして描き続けるイラストを舞台背景に映し出していく・・。 役者というより芸術家集団にみえる。 いま、ここで、作られていく生々しさがあります。 ・・粘土をこねたり、水槽に水を入れたり、香をたいたり(?)、弁当をひろげ、バナナを食べたり・・。 いろいろな物や出来事が舞台に散らばっていく。 サント=ヴィクトワール山を意識しているが鯨の話も多い。 科白がしっかりしているので全体が緩まない。 観客で子供の声が聞こえたが舞台はそれを吸収していた。 バラバラだけどまとまっている。 受賞できる所以でしょう。 面白い舞台でした。 *第14回せんがわ劇場演劇コンクール,グランプリ・オーディエンス賞受賞公演 *劇場、 https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/30557

■台風23号

■作・演出:赤堀雅秋,出演:森田剛,間宮祥太朗,木村多江ほか ■Bunkamura・配信,2025.6.1-14(ミラノ座,2024.10.5-27収録) ■幕が開いて、配達員が悩ましい目つきで空を見上げる・・。 赤堀雅秋が戻ってきた! 一瞬そうみえたが・・、いや、以前とは違う。 わめく台詞が多い。 役者は喚いているだけです。 狂気が息を殺しているような、静けさのある下町が演出家の風景だったはず。 その風景は消えてしまっていた。 調べたら10年以上も舞台を観ていなかった。 変わりましたね。 介護・仕事・夫婦・健康・結婚・・・、それぞれの問題が並べられていたが、しかし積み重なっていかない。 どれも煮え切らない。 どれも到達できない。 巷の生活風景を誇張しただけにみえる。 テーマが絞れなかった? 劇場が大きすぎる? 台風を含め全てが逸れてしまった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/333975 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、赤堀雅秋 ・・ 検索結果は7舞台 .

■能楽堂六月「悪坊」「玉井」

*国立能楽堂六月定例公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・悪坊■出演:茂山逸平,茂山宗彦,茂山七五三 □能・復曲能・玉井(間狂言・大藏流貝・貝尽)■出演:宝生和英,田崎甫,辰巳和磨,野口能弘,(山本東次郎,山本則孝,山本凛太郎)ほか ■国立能楽堂,2025.6.4 ■「悪坊(あくぼう)」は反社会的行為で人々を苦しめている悪坊が心を改めて僧になる話である。 当時は宗教も職業も生活に溶け込み分節化されていない。 生活身体から湧き出る意志で将来を決める。 僧になるにもひとっ飛びだ。 雁字搦めの現代では自由に飛び回ることができない。 羨ましい時代を描いている。 心が洗われる舞台だ。 「玉井(たまのい)」は昔話の「海彦山彦」である。 「浦島太郎」も思い出させる。 今回は間狂言「貝尽(かいづくし)」が入り楽しい舞台になっている。 まさに童話の世界だ。 衣装と面に凝った6人の貝の精を含め、シテ方の豊玉姫と玉依姫、龍王と天女、ワキ方の彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と従者たちは総勢12名になる。 贅沢な舞台だ。 先日の「賀茂物狂」に続き、ふたたび至福のひとときを過ごせた。 面は豊玉姫「泣増」(龍右衛門作)、龍王「冠形悪尉(かんむりがたあくじょう)」,玉依姫「小面」(近江作)、天女「小面」(是閑作)。 後場、豊玉姫と玉依姫の優美な中ノ舞ではふくよかな表情の面が似合っていた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7009/

■ミンコフスキー密室 ■レムニスケート消失

*以下□の2作品を観る. ■作・演出:小野寺邦彦,出演:江花実里,岩松毅,江花明里ほか,劇団:架空畳 ■座高円寺,20205.5.28-6.1 □ミンコフスキー密室 ■殺人事件を調査する探偵物語です。 探偵らしき主人公順子が活躍する世界は量子力学的時空でできている。 うーむ、SFですか? 時空は歪んでいる。 つまり時間・空間を自由に行き来できる。 でも、これこそ演劇世界でしょう。 「量子もつれ」や「エントロピー」もきこえてくる。 演劇世界と量子力学世界は兄弟だと納得しました。 12人の役者は略舞台に居る。 直接係わらない役者はコロスとなって動き回る。 喜怒哀楽が入らない科学的台詞が多いのでダンスを観ている感覚に陥ってきます。 ここに時空の反復が続く。 このミニマル要素が積み重なって物語を推進していく。 量子力学の時空の歪みから演劇を再構築し科学的ミニマル演劇に近づけている。 いやー、実に面白い構造です。 □レムニスケート消失 ■「ミンコフスキー密室」よりストーリーがまとまっていました。 美術や照明、音楽を含め続きのようです。 昨日は戸惑ったが、やっと劇団のリズムに乗れました。 科白もしっかりと耳に入ってきた。 この回は次元世界を強調している。 0次元から4次元世界に居る各住人の話です。 主人公は量子探偵の順子ですが、もう一人の物語探偵は曲者ですね。 当作品の視点位置を変えてくれる案内人のようです。 観客は老若男女がバラけていた。 近頃の小劇団では珍しい。 ところで、酒酔い場面が多いと心地良いリズムが崩れます。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/368785

■母

■作:カレル・チャペック,演出:シュチェパーン・パーツル,出演:テレザ・グロスマノヴァー,トマーシュ・シュライ,ロマン・ブルマイエル他,ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー ■新国立劇場・小劇場,2025.5.28-6.1 ■1938年の作品だが時代背景など表面上は現代にしてある。 チェコ共和国の一家族、両親と息子5人の物語です。 ・・戦死した父や4人の息子のように末っ子を戦場に送るわけにはいかない。 母は強く思う。 しかし、父と長男たちの亡霊が現れて母と末っ子を惑わす。 彼らは二人に国家への義務や忠誠、地位や名誉などを吹込む。 さいごに母は折れて末っ子を戦場に送ってしまう・・。 母の息子への実直な思い、息子たちの社会へ向けた行動は当時から変わらない。 人類史で積み重なってきた母性本能や闘争本能の在り方は急には変われないでしょう。 ヒトを含め動物の母性本能は安定している。 一方、闘争本能は共同体や社会構造の変化に追いつかず混乱し続けている。 脳味噌のキャパシティに限界があるからです。 1世紀前の初演作品だが、このままでは1世紀後も同じように上演していることでしょう。 ところで、字幕板を舞台上に持ってきたのは良いが位置が高い。 演出家と調整してもっと低くすると見やすくなる。 また日本語の表示が速すぎて読み切れなかった。 翻訳の調整も必要です。 *NNTT2024海外招聘公演 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/mother/

■能楽堂五月「御茶の水」「賀茂物狂」

*国立能楽堂五月企画公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・御茶の水■出演:山本則重,山本泰太郎,山本凛太郎 □能・復曲・賀茂物狂■出演:観世清和,福王和幸,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.5.28 ■「御茶の水(おちゃのみず)」は若い男女が主人の目を盗み小歌で恋の駆け引きをする話である。 二人は幾つかの歌と舞を披露する。 室町後期の歌謡集「閑吟集」から採られた当時の流行歌らしい。 「賀茂物狂(かもものぐるい)」は夫婦再会物語だ。 「加茂物狂」との違いは前場が復元されたところにある。 前場は神職と女の問答になっている。 これが後場を文学的に厚くしたとおもう。 物語が淡々と進み科白をじっくりと聴き込む作品だから。 しかも今日はシテとワキの声がビシバシと脳味噌まで伝わってきた。 テンポある緊張感があった。 久しぶりに至福の時を過ごせた。 面は「若女」。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演 *「能を再発見する」公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7008/

■奴婢訓

■作・演出:寺山修司,演出・音楽:J・A・シーザー,高田恵篤,美術:小竹信節,出演:高田恵篤,伊野尾理枝,小林桂太ほか,演劇実験室◎万有引力 ■座高円寺,2025.5.16-25 ■完成度が高い舞台でした。 大掛かりな機械群や巨大な靴なども見応えがあった。 見世物演劇の面白さが出ていました。 しかし、この作品は白ける場面が多い。 話題の繰り返しが続き、ところどころで間延びする為です。 これを避ける為にはコンパクトな劇場で上演するのが良い。 すべてを凝縮させる。 この凝縮力で作品が持っている欠点を解決する。 今回は劇場が合わなかった(と思う)。 この劇場はガラーンとしている。 マイクの声も割れていた。 役者の科白と演技が発散してしまった。 白けを助長していました。  それとですが、作品の古さが観ていながら伝わってきた。 東北風土や宮沢賢治も、オープンリールレコーダやビクター犬も、すべてが遠い過去からやってきたようにみえる。 でも懐かしさは無い。 モノやキカイそして話題が物語に上手く繋がっていないからでしょう。 寺山のなかでは取っ付き難い作品と言えます。 さいごに、主人と召使の関係台詞を吐き、役者たちが静かに舞台から去っていく。 この場面で寺山修司を微かに思い出させてくれました。 *演劇実験室◎万有引力第78回本公演 *寺山修司生誕90年記念・小竹信節追悼公演 *劇場、 https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3379

■いつか来る、わたしの埋葬のためのレクチャー ■サイキック・サイファー

*第15回せんがわ劇場演劇コンクール参加6作品のうち下記の□2作品を観る. ■せんがわ劇場,2025.5.24-25 □いつか来る,わたしの埋葬のためのレクチャー ■作:山口真由,演出:伊藤全記,出演:鄭亜美,山口真由,劇団:7度 ■「禁じられた遊び」を語る舞台です。 つまり「お墓ごっこ」のことです。 他の<ごっこ遊び>より目立たない、でも子供時代に「お墓ごっこ」をした人は多いでしょう。 小さな生き物の死骸を埋葬する。 石や木片を探してきて墓標にする。 近頃「葬式ごっご」が流行っているが、これとは違います。 舞台には姉と妹が登場します。 子供時代の「お墓ごっこ」を語った姉は次に夢をみる。 オジが亡くなったが葬儀をだす人がみつからない。 そこで姉妹でオジを埋葬する。 このような夢です。 子供心にも死への恐れらしきものはある。 見様見真似でも死者に対して何かしなければいけない。 「禁じられた遊び」は大人になっても名前を変えて続く。 でも舞台で話題にしていた問い「どうやって終わりにするのか?」は子供の頃から変わっていない。 ところで、映画のテーマ曲を久しぶりに聴きました。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤全記 ・・ 検索結果は4舞台 . □サイキック・サイファー ■作・演出:西田悠哉,出演:荷車ケンシロウ,むらたちあき,永淵大河,西田悠哉ほか,劇団不労社 ■「サイキック・ファイァー」とは何か? 調べると、同じ曲名を見つけた! そして「アンダー・ザ・シルバーレイク」が映画名だと分かる。 うーん、暇があったら観よう! コンビニ店長がいかがわしい人物らしい。 店員がそのように判断するが、知り得た情報はリアルかフェイクか? それが暗号のようなデータになれば一層悩むのかもしれない。 いや、情報の質や量の違いではもはや判断できない。 周囲の関係性も深く係る。 それにしてもテンポが速い。 科白もヒップホップ系です。 楽しい舞台でした。 テントのような小道具を広げたり縮めたりしている操作が煩わしそう。 公演1回で上演時間40分では道具の選び方にも悩むでしょう。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、西田悠哉 ・・ 検索結果は2舞台 . *劇場、 https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/27938

■ずれる

■作・演出:前川知大,出演:浜田信也,安井順平,盛隆二,森下創,大窪人衛,劇団:イキウメ ■シアタートラム,2025.5.11-6.8 ■「ずれる」は幽体離脱から来ているらしい。 魂(意識など)と肉体が一致している状態からズレが生じる時がある。 そのズレが激しくなり魂が肉体から離れると幽体離脱になる。 これを舞台に載せている。 なんと動物たちは離脱した人の魂を見ることができる! 動物が持つ<野生の力>か? ここに動物解放戦線(ALF)の活動家が加わり動物の解放が試みられる。 そして野生の力を失っている現代人をも批判する。 現代人はズレを忘れてしまったのか? いや、ズレ方が歪なのか? いつものイキウメとは少し違います。 ドキドキする謎や不思議が無い。 幽体離脱や動物解放が手垢に塗れている為でしょうか? でも、いつもの緊張感は舞台に充満している。 現代人が失ってしまった野生の力を考えてしまう内容でした。 ・・人生で道草をすること、これで野生の力を感じ取ることができるようになる・・。 ところで家政夫の山鳥士郎の復讐が何であるのかよく分からなかった。 山鳥の父と主人公である社長小山田輝に関する復讐にみえたが・・。 舞台美術は社長宅の居間らしく現代的で緊張感を補強していました。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/367754 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、前川知大 ・・ 検索結果は14舞台 .

■能楽堂五月「布施無経」「雲林院」

*国立能楽堂五月企画公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・布施無経■出演:山本東次郎,山本則重 □能・世阿弥自筆本による・雲林院■出演:梅若紀彰.片山九郎右衛門,観世喜正,舘田善博ほか ■国立能楽堂,2025.5.20 ■「布施無経(ふせないきょう)」は仏事の布施を忘れている施主に住持が遠回しに催促する話である。 やはり布施が欲しい!でも、施主に素直に言えない・・。 執着の末の自尊心や人間関係が壊れていく住持の虚脱感が並みでない。 「雲林院(うんりんいん)」は在原業平と二条后高子の愛の逃避行を描く。 終幕、二人は后の兄藤原基経に見つかってしまう。 これらは芦屋公光の夢の中で語られる。 追い詰められた虚脱感が業平に漂う、「布施無経」の住持と理由は違うが身体状況は同じようなものだろう。 面は在原業平が「中将」、藤原基経の「邯鄲男」、二条后は「増(ぞう)」を付けたが、この状況下に合う表情が三人に現れていた。 基経にみえる潔白感が物語の泥まみれを消している。 「業平と二条后が作り物の塚の中へ戻る」から「橋掛かりへ退く基経と二条后を、業平が舞台から見送る」へ演出が変更になったらしい。 この変更が業平と高子の愛と別れを高めた。 橋掛かりで二条后は振り向き業平と目を合わせる。 ・・。 この時、一直線上に居る公光とも目が合う。 公光は業平と一体化していたのか? また、今まで忘れていた公光の存在感も意識した。 夢という劇中劇を現前化する演出が加わったとも言える。 面白い舞台だった。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演 *「能を再発見する」公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7006/

■博士の異常な愛情

■原作:スタンリー・キューブリック(1964年同名映画),演出:ショーン・フォーリー,出演:スティーヴ・クーガン,ジャイルズ・テレラ,ジョン・ホプキンス他 ■シネリーブル池袋,2025.5.9-(ロンドン・ノエル・カワード劇場,2025.3.27収録) ■キューブリック監督の映画は数十年前に観ている、・・ソビエト上空で米軍機から投下された原子爆弾に飛行士がカウボーイのようにまたがり落下していく場面しか覚えていないが・・。 米国空軍将校が異常をきたしソビエトへ核攻撃を仕掛けてしまい、大統領と高官がこの対応に四苦八苦する話です。 ブラックコメディだが当時の米ソ対立状況が伝わってきます。 舞台は、反乱軍で混乱している米空軍基地、大統領や高官が対応している国防省戦略室、ソビエトへ向かう爆撃機B52操縦室、この3場面を交互に映し出しながらスピーディーに展開していく。 映像も駆使して緊迫感があります。 核兵器が偶発的に使用されてしまう! この問題を取り扱っている作品です。 現代でもありえる。 しかも複雑化不可視化している。 新鮮な理由でしょう。 人類破滅へ向かっていくなか、似たような場面が積み重なるため舞台が重く鈍くなっていくのがわかる。 次第に飽きてきました。 コメディの粘性も強過ぎるから? それを吹き飛ばしたのが終幕で歌われる「また会いましょう(We'llMeetAgain)」です。 第二次世界大戦のヒット曲が次大戦でも歌われる。 苦い皮肉を含んでいて効いていました。 *NTLナショナルシアターライブ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/103256/

■能楽堂五月「業平餅」「右近」

*国立能楽堂五月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・業平餅■出演:野村万之丞,野村萬蔵,炭光太郎,野村万禄ほか □能・宝生流・右近■出演:今井泰行,金井賢郎,朝倉大輔,御厨誠吾ほか ■国立能楽堂,2025.5.14 ■タイトルロールの如く今回も業平尽くしが続く。 「業平餅(なりひらもち)」は参詣途中の業平一行が餅屋でひと騒動起こしてしまう話である。 一行が大人数で華やかな気分だ。 そのなかの傘持ちが道化役を引き受ける。 餅屋主人の対応から業平は歌人ではなく女好きとして世間で通っているのが分かる。 業平の裏面が見えて楽しい。 現代ならハラスメントになりそうな娘への対応も狂言ではときどき見受けられる。 「右近(うこん)」は幕開けからテンポが速い。 ワキが足早に登場したのには驚く。 大鼓の元気の良さが目立つ。 太鼓も入る。 この忙しさもシテの登場で少し落ち着いたが。 ワキである鹿島神職が業平と重ね合わさって見えたか? そうは見えない。 前シテに神へ向かおうとするベクトルが強いからだと思う。 ツレが共に二人だと華やかさが出る。 ワキ3人とツレ2人が微動だにしない中、シテが舞う場面は舞踏的な存在感が漂う。 この華麗な存在群は能が持つ特権だろう。 面はシテが「泣増(なきぞう)」(是閑作)、ツレは「小面(こおもて)」。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演. *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7005/

■源氏物語

■原作:紫式部,演出:レオニード・アニシモフ,台本:中澤由佳,出演:安部健,麻田枝里,大坂陽子,岡崎弘司ほか,劇団:TOKYO・NOVYI・ART トーキョウ・ノーヴェイ・アート ■梅若能楽学院会館,2025.5.11 ■どのような舞台かな? タイトルでは想像できない。 楽しみですね。 おや? 会館前に新しいビルが建っている! レストランも入っている。 でも会館は変わっていない。 先ずは20人くらいの役者が登場し舞台に座る。 ほぼ座ったままです。 女性陣は白化粧が厚い。 そして客席を背にしているので長い髪が目立つ。 男性たちは地謡座に陣取り演奏などを担当する。 衣装以外は略素顔です。 脇座前に進行役の桐壺宮が座り何か書いている。 いや、紫式部かもしれない。 そして「桐壺」から始まる。 帖の順番は憶えていないが「帚木」「空蝉」「夕顔」・・と続く。 帖あたり7分くらいか? 飛ばした帖も沢山ある。 「まぼろし」「くもがくれ」まで続いたでしょうか? 科白は淡々とゆっくりと喋ります。 帖ごとの女主人公は人形のように機械的に微妙に動く。 表情もそれに合わせている。 そして科白の後に歌を披露する。 この歌が効いていましたね。 驚きは光源氏が実役者として登場しなかったことでしょう。 これで女主人公の存在が際立ち、しかも容易に抽象化できた。 この劇団らしい舞踏的舞台です。 台詞は要約で解説的に聴こえる。 源氏物語の全体を掴もうとしたところは面白い。 でも粗筋の域を出ない。 源氏物語を読んでいることが条件かもしれない。 過去に読んだ内容と役者を重ね合わせて物語を膨らませる。 このような舞台でしょう。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/373622

■能楽堂五月「簸屑」「杜若」

*国立能楽堂五月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・簸屑■出演:井上松次郎,今枝郁雄,鹿島俊裕 □能・金剛流・杜若(日蔭之糸,増減拍子,盤渉)■出演:種田道一,野口能弘ほか ■国立能楽堂,2025.5.10 ■「在原業平・生誕1200年」の月間特集はプレトーク「業平の恋・唐衣をまとう杜若の精」(梅内美華子)で始まる。 これを聴く。  ・・先ずは業平の家系と彼の生涯を俯瞰する。 彼は漢詩文が得意ではなかったらしい。 これも和歌に傾いた理由か? 次に藤原高子との禁忌の恋が語られる。 「伊勢物語」に関わる能は平安朝の原典から離れ中世注釈書の影響が大きい。 さいごに「杜若」の粗筋を解説する・・。  「杜若(かきつばた)」は小書「日蔭之糸ひかげのいと」「増減拍子ぞうげんびょうし」「盤渉ばんしき」が入る。 業平の三河八橋の歌も紹介され親しみのあるストーリーだ。 後場、シテは業平であり高子に変身する。 物着まではシテとワキの問答、次に二段クセでシテと地謡、そして舞が続く。 均整がとれた構成になっている。 面は「孫次郎」。 頭の冠が少し重たいが。 雨上りの曇り空だがひんやりとした温度・湿度が気持ち良い。 能楽堂中庭のモミジも緑が鮮やかだ。 舞台に没入できるか? この時期にもってこいの作品である。 「簸屑(ひくず)」は茶の屑(簸屑)を臼で挽く太郎冠者に次郎冠者が悪戯をする話。 主である茶屋亭主はこの挽茶で宇治橋供養の道者(巡礼者)を接待する。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演. *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7004/

■ラクリマ、涙

■作・演出:カロリーヌ・ギエラ・グェン,出演:ダン・アルテュス,ディナー・ベリティ,ナタ-シャ・キャッシュマン他,製作:ストラスブール国立劇場 ■静岡芸術劇場,2025.5.4-6 ■「オートクチュールの燦めき」からファッション業界の話のようです。 そして「ラクリマ」とは涙の意味です。  パリにある有名メゾンが英国王妃のウェディングドレス製作を受注する。 この案件を成し遂げるためノルマンディー地方アランソンのレース工房、インドの州都ムンバイの刺繍工房を含め3つの拠点で物語が転回(展開)していきます。 製作過程では多くの法令・規制を順守しなければいけない。 登場する組織はみな零細企業?と言ってよい。 このためか製作途中で納期厳守や人員確保などに綻びがでてくる。 厳しいですね。 製造業で働く人からみると身につまされるでしょう。 舞台は映像を多用して3拠点を上手に飛び回る。 やはり映像の力は強い。 画面を見る度合いが高くなります。 生身の役者が薄くなる。 テレビ会議など通信技術も駆使するので尚更です。 ここが要ですが経営者や従業員の家族を舞台に持ち込んでくる。 つまり製作・会社・家族で発生する多くの問題を絡ませて物語が進んでいきます。 比重は4:3:3ですか? ほぼ均等で配分が絶妙です。 しかも各問題を具体的に出してくる。 しかも味が濃い。 ちょっと濃すぎるかな? 演出家のインタビューを読むと、「北による南の支配、上司による部下の支配、男性による女性の支配、特権階級による庶民階級の支配・・」とある。 でも企業と家族を接近させ過ぎて混乱する場面があった。 仕事中にそこまで家族らが押し寄せるか!? 国家と企業、企業と企業、企業と家族、家族と個人・・。 この組織関係の上に支配関係を重ね、困惑したところもあったが、渦巻く関係を整然と巧くまとめていました。 雨も降っているGW最後の今日。 帰りの新幹線は遅くなるほど混むはず。 プレトークは聴いたが、アフタトークは聴かないで劇場を後にする。 *SHIZUOKAせかい演劇祭2025 *劇場、 https://festival-shizuoka.jp/program/lacrima/

■想像の犠牲

■作・演出:山本ジャスティン伊等,台詞引用:「サクリファイス」アンドレイ・タルコフスキー,出演:石川朝日,佐藤駿,田崎小春ほか,主催:Dr.HolidayLaboratory ■吉祥寺シアター,2025.5.3-5 ■メタ演劇とでも言うのでしょうか? 芝居を作る過程を描いている。 舞台職業とは無縁で、観るだけが趣味の私にとって作成過程は新鮮です。 演出とは?、戯曲とは?、演じるとは?・・。 質問されると戸惑います。 これらは謎です。 観客との境が曖昧な手法をとりながら幕が開く。 役者たちは劇団チェルフィッチュのような動きや話し方をする。 少しずつ引き込まれていきました。 アンドレ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」を引用しているらしい。 この映画は数十年前に観ている。 粗筋などは覚えていない。 劇場へ行く前に調べようとしたが止めました。 舞台は周囲に段差を付け中央の床に水を張りベッドが置かれている。 この水がタルコフスキーを呼び込みましたね。 彼の雰囲気が漂っていました。 でもサクリファイスとは何か? キリスト教も邪魔をしている。 それを考えている余裕は無い。 役者の演技と科白に集中しました。 でも2時間半は長い、役者は緊張を維持し続けていたが。 上演時間が長すぎて終盤は戯曲に絡め取られてしまった。 文学的な匂いがしてきた。 観ている方が疲れてしまった。 アフタートークがあったが解放されたかった。 トーク前に劇場を後にしました。 しかし面白い舞台でした。 役者も存在感があった。 帰りの吉祥寺駅へ向かいながらいろいろ考えてしまった。 タルコフスキーのこと、転形劇場のこと、床に水を張った作品があったはず。 チェルフィッチュのこと、青年団のこと、・・などなどをです。 タルコフスキーと太田省吾は水の人でしょう。 ついでに、唐十郎も水だが土が混じる、つまり泥の人かな? *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/365101

■<不可能>の限りで

■作・演出:ティアゴ・ロドリゲス,出演:アドリアン・バラッツォーネ,ベアトリス・ブラス,バティスト・クストノーブル,ナターシャ・クチューモフ,音楽:ガブリエル・フェランディーニ ■静岡芸術劇場,2025.4.26-29 ■「赤十字国際委員会や国境なき医師団のメンバーとの対話から創作された作品」です。 舞台を覆った白い布を吊り上げて野外病院のテントを出現させ、そこに演奏者が一人ドラムを叩いている。 登場した役者4人は立ちっぱなしの略リーディング形式をとります。 英語・フランス語・ポルトガル語の上演だが科白が練れていない。 裸の台詞です。 字幕に集中しないといけない。 天井に字幕板があるので目の移動が楽ですが。 紛争地域の医師やスタッフらに解決困難な出来事が次々と降り注いでくる。 彼らは<不可能>と<可能>を行き来する。 不可能とは彼らで問題を解決できない、彼らの意志や行動が及ばないことです。 可能とは解決を含めそれを忘れること、紛争地域から離れること、たとえばバックオフィスや本国へ戻ることです。 どちらも不完全に漂い続けていく。 演劇はこの境界上でいつも起こる。 <彼岸>と<此岸>は美と抽象も感じるが、この<不可能>と<可能>は醜と具体で一杯です。 この不可能と可能の境界を行き来できること。 これが人道支援の要かもしれない。 それは演劇の成立条件でもある。 人道支援と演劇は同じ構造を持つからでしょう。 今日の舞台は微かに両者を感じさせる。 でも現実の強さに流されてしまった。 先ずは私の生活圏を<不可能>にしないよう努力するしかない。 同時に既にある<不可能>を狭めることもです。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/367456

■フィデリオ

■作曲:L・V・ベートーヴェン,指揮:スザンナ・マルッキ,演出:ユルゲン・フリム,出演:リーゼ・ダーヴィドセン,デイヴィッド・バット・フィリップ,イン・ファン他 ■新宿ピカデリー,2025.4.25-5.1(METメトロポリタン歌劇場,2025.3.15収録) ■入り難い舞台です。 違和感のあるストーリで幕が開き、半煮えのまま幕が下りてしまった。 ベートーヴェン唯一のオペラ作品だが、彼は歌劇が苦手だったのでしょうか? 交響曲に叙唱と歌唱を乗せたような作品です。 しかも両唱の落差が激しい。 叙唱があからさまな現実を持ってくるので歌唱が浮いてしまう。 舞台に入り込めるのはレオノーレの長い独唱からでしょう。 そして二幕に入ってのフロレスタンの一声ですかね。 ロッコ役ルネ・パーペが歌い難いと言っていたが、そのまま聴き難いということです。 やはりベートーヴェンの拘りを意識しました。 当時の自由主義を強く感じさせます。 総裁P・ゲルプの挨拶でも現代政治との関係を話していましたね。 逆に政治が強く出過ぎると固まってしまい面白さが伝わらない。 演出にも問題がありそうです。 METでは25年前から変わっていないらしい。 以前観たカタリーナ・ワーグナー演出の当舞台は好感が持てたからです。 次回METでは新演出で上演して欲しい。 *METライブビューイング2024作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/102326/

■真面目が肝心

■作:オスカー・ワイルド,演出:マックス・ウェブスター,出演:シャロン・D・クラーク,チュティ・ガトゥ,ヒュー・スキナー他 ■シネリーブル池袋,2025.4.11-(イギリス,2025収録) ■英国上流階級の一端を覗くことができました、事実とどれだけ違うか分からないが、1895年作のため現代との差異もあるでしょう。 喜劇的困難の後に3組も結婚にこぎつけるハピーエンドな話です。 ストーリーはシェイクスピア風だが、内容はとても諄い。 つまり耽美的・退廃的・懐疑的な要素が日常にギッシリと詰まっているからです。 これがオスカー・ワイルド風なのでしょうか? 主人公はエディ・マーフィに瓜二つです。 まさにワイルド仕立てです。 劇場(映像内)の客席からの笑いが絶えない。 映画館では最初は笑いがあったが少しずつ減ってきた。 たぶんワイルドの毒に当てられた? 新郎新婦の品定めは祖先まで遡る。 もちろん資産状況も調べる。 古い日本でも同じでしょう。 こういう時は伯母が煩いのもです。 結婚に興味がある人なら観て損はない作品です。 結婚の落としどころを提供しているからです。 え!参考にならない? そして真面目とは何を指しているのか?、悩みます。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2025作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/103255/#google_vignette

■能楽堂四月「重喜」「野守」

*国立能楽堂四月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・重喜■出演:山本東次郎,山本則匡,山本則秀ほか □能・喜多流・野守■出演:長島茂,原大,山本則孝ほか ■国立能楽堂,2025.4.12 ■プレトーク「八面玲瓏(はちめんれいろう)、鬼神の鏡」(原田香織)を聴く。 速い流れで解説が進む。 世阿弥はもとより、新古今和歌集や雄略天皇のこと、額田王と光孝天皇の歌、大峰八大金剛童子への展開、等々。 この分野に慣れていないと話についていけない、が刺激的な解説だった。 「重喜(じゅうき)」とは何か? ここでは僧侶になりたての新発意(しんぼち)の名前である。 僧侶の名に多いらしい。 子方である重喜が住持の頭を剃るのでハラハラしてしまう。 地謡も入る。 トークの初めに「教誡律儀(きょうかいりつぎ)」の話があったが、この教えが舞台をより面白くしていた。 「野守(のもり)」は長閑な春日野から鏡を一転させると天上そして地獄界までが出現する。 何度観ても飽きない。 今日のシテは前場の静から後場の動へ、どちらの動きも存在感が出ていた。 橋掛りを歩く姿もぶれていない。 十分に堪能した。 面は「三光尉(さんこうじょう)」から「小癋見(こべしみ)」へ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7001/

■能楽堂四月「腰祈」「歌占」

*国立能楽堂四月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・腰祈■出演:大藏彌右衛門,大藏章照,大藏彌太郎ほか □能・金春流・歌占■出演:山中一馬,島袋元寿,則久英志ほか ■国立能楽堂,2025.4.9 ■「腰祈(こしいのり)」は山伏修行を終えた孫が祖父の曲がった腰を治す話。 孫の法力が効き過ぎてしまった!? 「歌占(うたうら)」は父子再会物語である。 そして伊勢神道の父が地獄へ落ちた時の様子を語り「地獄の曲舞」を舞う。 中世神仏習合の死生観は仏教のため浄土信仰の八大地獄が描かれる。 「世阿弥が嫌った地味な男物狂」を彼の実子・観世十郎元雅が当作品としてまとめ上げたらしい。 当時の仏教的地獄はずっと身近だったはず、でも現代はそれが迫って来ない。 シテ面は「今若(いまわか)」の色白で「・・地獄の苦しみにかやうに白髪となりて候」の髪は金髪にみえる。 現代的なシテの曲舞から地獄は遠い。 また地謡の出番が多い。 難解な謡と舞のため出演者の苦労が感じられる舞台だった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7000/

■能楽堂三月「袴裂」「武文」

*国立能楽堂三月特別企画公演の□2舞台を観る. □狂言・「天正狂言本」と古画による・袴裂■出演:野村又三郎,奥津健太郎,奥津健一郎 □能・復曲新演出・武文■出演:金井雄資,金井賢郎,宝生欣哉ほか ■国立能楽堂,2025.3.28-29 ■「袴裂(はかまさき)」は2年前に当劇場で観ている。 割いてしまった袴を二人が着けて舞う場面は笑ってしまった。 「武文(たけぶん)」は能より歌舞伎に近い。 いや、能が70%歌舞伎30%かな? 狂言方の比重が高いのが一因だが、程良いバランスだと思う。 20場面から構成されている。 前半はスピード感が半端でない。 火事場まで一直線だ。 早送りで観たような後味が残る。  複雑な内容を75分に巧くまとめ上げたのは企画演出の賜物だろう。 このあたりは「「武文」改訂について」(横山太郎)に書かれている。 クライマクスは終場の鳴門海上だ。 「・・手向けの衣の恨めしながらも、懐かしや」。 霊になっても迷う武文の心模様がジーンと迫ってくる。 船中の場では舵取の行動が目立った。 松浦某に少し分けてやりたいくらいだ。 役者たちは切れ味のある動きと声だった。 囃子も場面を盛り上げていた。 満足度は100%! 面はツレが「孫次郎」、後シテは「木汁怪士(きじるあやかし)」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/3128/

■NHKバレエの饗宴2025

*下記□の6作品を観る. ■指揮:井田勝大,管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団 ■NHK,2025.3.23(NHKホール,2025.2.1-2収録) □「白鳥の湖」第2幕■振付:マリウス・プティバ,レフ・イワノフ,演出:三谷恭三,音楽:P・チャイコフスキ-,出演:秦悠里愛,小池京介,米倉太陽ほか,舞団:牧阿佐美バレエ団 □「ラ・シルフィード」からパ・ド・ドゥ■振付:オーギュスト・ブルノンヒヴィル,音楽:レーヴェンスヨルド,出演:前田紗江,中尾太亮 □イサドラ・ダンカン風のウラームスの5つのワルツ■振付:フレデリック・アシュトン,音楽:J・ブラームス,出演:佐久間奈緒,ピアノ:佐藤美和 □「椿姫」から3つのパ・ド・ドゥ■振付:山本康介,音楽:F・リスト,出演:中村祥子,厚地康雄,ピアノ:佐藤美和 □「ロメオとジュリエット」バルコニーのパ・ド・ドゥ■振付:ケネス・マクミラン,音楽:S・プロコフィエフ,出演:高田茜,平野亮一 □コンサート■振付:ジェローム・ロビンス,音楽:F・ショパン,出演渡辺恭子,林田翔平,中川郁ほか,舞団:スターダンサーズ・バレエ団,ピアノ:本田聖嗣 ■重量級の「白鳥の湖」を最初に持ってくるとは! 調子が狂ってしまった。 部分上演のため演目は吟味したほうがよい。 「ラ・シルフィード」の中尾太亮が若さを発散していましたね。 「椿姫」が一番気に入りました。 山本康介の振付が効いていた。 ストーリーもメリハリがあった。 ダンサーの二人も物語的に似合っていた。 衣装も良い。 「コンサート」は初めて観る作品です。 コメディバレエとは珍しい。 楽しく締めることができました。 *NHK、 https://www.nhk-p.co.jp/ballet/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、NHKバレエの饗宴 ・・ 検索結果は8舞台 .

■影のない女

■原作:フーゴ・フォン・ホーフマンスタール,訳:高橋英夫,演出:倉本朋幸,出演:寺中友将,清水みさと,山井祥子ほか,劇団オーストラ・マコンドー ■吉祥寺シアター,2025.3.24-31 ■役者の声が耳に入るが即すり抜けて霧散してしまう。 集中して聴かないと言葉の意味さえ蒸発していく。 戸惑いました。 詩小説を朗読している感じだが、その言葉は役者身体の奥から発していない(ようにみえる)。 棒読みに聞こえる場面が多々ある。 これが違和感の原因でしょう。 また組体操のような動きを入れてくる。 チェルフィッチュが微妙な動作で科白と身体の関係に迫るのとは違い、これが科白と役者の解離を一層大きくしてしまった(ように思える)。 ところで、ガラス張りで薄緑や薄青色に変化させる舞台床が映えていました。 そこに船を浮かべた場面は素晴らしい。 鷹の鳴声も舞台を引き締めていた。 後半、リズムがでてきて照明も忙しくなり盛り上がってきましたね。 この作品はオペラで観ています。 が、演劇は別物かもしれない。 チラシに「森鴎外が名訳を残した巨人ホーフマンスタールの深淵に迫る」と書いてある。 でも、深淵に入り込むことは残念ながら叶いませんでした。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/363351

■アレグリア

■振付:カデル・アトゥ,音楽:トム・ウェイツ,レジス・バイエ・ディアファン,舞団:アクロラップ ■NHK,2025.3.10-(パリ・シャイヨー宮,2019.11.26収録) ■「ヒップホップ・バレエ」とあったが初めて聞く言葉です。 しかしバレエには見えない。 強引に結びつけようとした言葉に聞こえる。 8人のダンサーが10数場面を展開している。 基調はブレイクダンスです。 繋ぎには規則性ある振付が多い。 それは子供を真似たように走り回り、またゲーム感覚を持ったダンサー同士の振付が多い。 後半、音楽の位置づけがはっきりしてきましたか? 途中に歌唱(録音)も入る。 これは日本語訳が欲しいですね。 床段差や布を使って波のように利用する場面もあり飽きさせない。 フランス的なところが見え隠れするのが気に入りました。 ヒップホツプダンスは上演を増やして欲しいところです。 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/K9ZLW6L3PL/

■アイーダ

■作曲:ジョゼッペ・ヴェルディ,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,演出:マイケル・メイヤー,出演:エンジェル・ブルー,ユデット・クタージ,ピュートル・ペチャワ他 ■東劇,2025.2.28-3.13(メトロポリタン歌劇場,2025.1.25収録) ■インディー・ジョーンズの世界が出現? 幕開きに目を疑ってしまった。 ファラオの世界を探検家と「アイーダ」を平行して描いていくようだ。 前者はエジプシャンブルーで空間を染めていて、これは気に入ったが、しかし観ていて物語への集中力が落ちる。 生舞台でない為とも言える。 しかも探検家がエジプト財宝を奪っていくような描き方をしている。 演出家は凝り過ぎてしまった。 探検家オギュスト・マリエットのことはともかく、重量級の舞台は始まりから飛ばしていく。 歌手も重量級が多い。 力強い空気が舞台隅々まで広がっていく。 何回観ても痺れる。 衣装も素晴らしい。 将軍ラダメス役ペチャワも角が取れてきた。 なかでも光っていたのは王女アムネリス役ユディット・クタージ。 インタビューで当役を60回近く歌ってきたと話していた。 演じなくてもアムネリスが舞台に出現していた。 エンジェル・ブルーもエチオピア王女が「地」で似合う。 都会と田舎の対決かな? ところで凱旋場面に動物たちは登場しなかった・・! よくあるのだが。 今回はダンスが中心に置かれている。 私は気に入ったが、これは賛否両論があるだろう。 そして終幕、地下牢でラダメスとアイーダは息を引き取る。 この終わり方はいつ観ても寂しい。 華麗で力強い前半とは対極にある。 もう少し捻ったストーリーにすればテンションが落ちないのだが。 ヴェルディは普仏戦争勃発で終わり方を書き急いだのかもしれない。 *METライブビューイング2024作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/6005/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、マイケル・メイヤー ・・ 検索結果は3舞台 .

■能楽堂三月「八句連歌」「恋重荷」

*国立能楽堂三月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・八句連歌■出演:山本東次郎,山本凛太郎 □能・観世流・恋重荷■出演:観世恭秀,坂井音雅,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2025.3.8 ■「八句連歌(はちくれんが)」は借金の催促問答を連歌に込めた話である。 「連歌は中世最大の流行文芸」と解説にあったが当時の町民文化の質の高さが窺われる。 借手が連歌に長けていたので借金証文は破棄される。 これをみて借手は連歌と関係が深い天神信仰である菅原道真に感謝して終わる。  「恋重荷(こいのおもに)」は庭掃除の老人(シテ)が白河の女御(ツレ)に叶わぬ恋をする物語である。 シテ・ワキ・ツレ、それに地謡のバランスが良い。 全体の構成が整っている舞台だ。 切れ味がある動のシテと静のツレの対比も面白い。 老人の期待・不安・執念を描くのだがこれら感情表現が巧く抽象化できていた。 「阿古父尉(あこぶじょう)」から「重荷悪尉(おもにあくじょう)」へ面は替わるがどちらも恋から掛け離れている。 しかし違和感が無い。 感情を抽象化して昇華できた為である。 舞台芸術の醍醐味と言えるだろう。 ツレは「小面」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/3124/

■能楽堂三月「口真似」「三山」

*国立能楽堂三月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・口真似■出演:善竹忠重,善竹忠亮,善竹十郎 □能・観世流・三山■出演:観世銕之丞,観世淳夫,宝生常三ほか ■国立能楽堂,2025.3.5 ■口真似と言えば昨年末に「 察化(さっか) 」を観ている。 「口真似(くちまね)」も太郎冠者が主人の真似をする話だが冠者に諄さを感じる。 「・・主人の命を逆手にとり、口真似をする鸚鵡ではない自分を楽しむ」と解説にもあったが、冠者の行動が自己ループに陥り他者への広がりが見えないからだろう。 「三山(みつやま)」は一人の男と女二人の三角構造を持つ。 結局は一人が捨てられてしまう。 女たちの執念が凄まじい。 霊になっても現世に現れ互いに罵り合っている。 しかし最期は「後妻打ち(うわなりうち)」を果たし晴れて二人は消えていく。 能の一般型に準じた流れだが見処は女二人の争いと和解だろう。 ここは滅多に観ることができない。 劇的とは違った面白さがあった。 この作品は万葉集「香久山は畝傍ををしと耳梨と相あらそひき、神世よりかくにあるらし、・・、うつせみも嬬を争ふらしき」(天智天皇)を下敷きにしている。 面はシテが「曲見(しゃくみ)」、ツレが「小面」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/3121/

■賭博者

■原作:F・M・ドストエフスキー,作曲:C・プロコフィエフ,指揮:ティムール・ザンギエフ,演出:ピーター・セラーズ,出演:チェン・ペイシン,アスミク・グリゴリアン,ショーン・パニカー他,演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ■NHK,2024.12.2-(ザルツブルク・フェルゼンライトシューレ,2024.8.12・17収録) ■幕開きから歌手たちは精神が高ぶっている。 オペラでは珍しいくらいの演劇的演技が続く。 加えてカメラは歌手のアップを多用する。 この過剰な演出は何だ!? 明暗の強い赤色系の照明に映像画面が染まっている。 この緊張ある舞台は何だ!? 主人公アレクセイや恋人ポリーナの意図も捕らえることができない。 観ていても厳しい。 終幕も近い後半、空飛ぶ円盤のようなルーレットが天井から降りてくる。 賭博に挑むアレクセイの大勝する場面が凄まじい。 ここで多くの謎が解ける。 舞台は、初めから終わりまで、この賭博の緊張が拡散していたのだ。 この張り詰めた充満はドストエフスキーと演出家ピータ・セラーズのコラボ成果と言ってよい。 投げられ回転しているボールの行方を見つめるあの短い時間に沸き起こる極限へ向かう高揚感が全ての歌手に塗り込められていたのだ。 *ザルツブルク音楽祭2024作品 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/ZW6V3Z25NJ/

■能楽堂二月「老松」「弓矢太郎」「雷電」

*国立能楽堂二月企画公演の□3舞台を観る. □舞囃子・金剛流・老松(紅梅殿)■出演:金剛永謹,金剛龍謹ほか □狂言・和泉流・弓矢太郎■出演:野村万蔵,野村万之丞,小笠原由祠ほか □復曲能・雷電(替装束)■出演:宝生和英,宝生欣哉,野口能弘ほか ■国立能楽堂,2025.2.28 ■舞囃子「老松」は能の舞事部分を面・装束を付けずに紋付袴姿で演ずる。 ツレの紅梅殿が真ノ序の舞、シテ老松がイロエ翔リを舞う。 「弓矢太郎」は前半と後半に分かれ狂言にしては長い。 臆病な太郎を驚かそうとした天神講の頭である当屋が逆に驚かされてしまう話。 出演者も8人と多い。 「雷電」は比叡山座主の法性房と菅原道真の霊の再会と対立を描く。 道真は後場の動きが鋭い。 シテ面は「三日月」から「筋怪士(すじあやかし)」へ。 今日は菅原道真特集であった。 しかし昨晩の寝不足がたたり舞台に集中できなかった。 残念! *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/2108/

■ハンマー

■振付・美術・照明:アレクサンダー・エクマン,音楽:ミカエル・カールソン,出演:エーテボリ歌劇場ダンスカンパニー ■NHK・配信,2025.2.17-(スエーデン・エーテボリ歌劇場,2022.12.7・10収録) ■NHKは2023年放映の当作品を再び配信している。 振付家アレクサンダー・エクマンの7月初来日に合わせたのかな?、と言うことで早速観ました。 彼の振付は初めてです。 ・・幕が開き、ダンサー30人が揃って動き回っているが、舞台の広さが並みでない。 ちょっとした運動場でしょう。 床は一対の大きな男女の顔写真が引き伸ばされて張ってある。 いつのまにか衣装を纏ったダンサーたちが思い思いに駆け巡り踊りだす。 まるで子供の遊戯を大人化したような振付です。 そしてダンサーたちは客席に侵入しだす!、それも客の頭越しにです。 客と会話をしたり写真を撮りあったりする。 ダンサーは再び舞台に戻り前半が終わります。 後半、舞台の床が黒光りに反射するなか、ダンサーたちは黒衣装とサングラスをかけてパントマイムのような動きをバラバラとやりだす。 次にテレビのバラエティショーが始まりトークやコントを入れる。 その後ブロック片を持ち出し積み木のように積み上げたり崩したりする。 ハンマーで鐘をたたき、再び揃って動き回り幕が下りる・・。 何でも有りですね。 舞台や客席そして観客を十二分に活用している。 ダンス界の寺山修司ですか?  広い空間を使い熟せる振付家です。 2024年パリ・パラリンピック芸術監督兼振付を担当しただけはあります。 初来日が楽しみですね。 *NHK、 https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/Z82LQ3N8NW/

■ソウル・オブ・オデッセイ Soul of ODYSSEY

■作・演出・振付:小池博史,古代ギリシャ叙事詩「オデュッセイア」より,音楽:サントシュ・ロガンドラン,太田豊,出演:リー・スイキョン,今井尋也,池野拓哉ほか ■スズナリ,2025.2.22-28 ■・・テレマコスは母を故郷に残し父オデセウス探しの旅に出る。 そしてオデセウスの帰還で終わるが、海神ポセイドンや魔女キルケ、怪物スキュラとの戦い、冥界巡りなどが途中で語られ演じられていく・・。 「オデュッセイア」を知らなくても楽しめる。 それはクラウンらしき3人の進行役がときどき登場してト書きを喋り解説を入れるからです。 役者たちの母語は北京語・広東語・マレー語・英語・日本語と多彩です。 しかも全員が顔を白塗りで覆っているので多言語が溶け合い直截に耳に届く。 ダンサー出身の役者も多い。 このため身体重視に傾いている。 躍動的です。 特にオデセウス役リ・スイキョンはヨガ・太極拳・気功で迫ってくる。 今井尋也の能楽と呼応して舞台を引き締めます。 航海上の嵐で使う十数台の扇風機を回す装置が楽しい。 得意な映像はいつもより絞っています。 演奏も舞台両脇に陣取る。 総合芸術としての完成度は見事です。 しかも誰にでも開かれた舞台でした。 子供たちが観ても楽しめるでしょう。 *小池博史ブリッジプロジェクト *第35回下北沢演劇祭参加団体 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/355901

■能楽堂二月「吹取」「生田敦盛」

*国立能楽堂二月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・吹取■出演:大藏彌太郎,大藏教義,善竹大二郎ほか □能・観世流・生田敦盛■出演:山階彌右衛門,武田慶秀,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.2.22 ■「吹取」は2年前に当劇場で観ていた。 すっかり忘れていた。 妻定め物だが粗筋を読んで思い出す。 笛も入り、しっかりした舞台構成のため上演が多いのだろう。 「生田敦盛」の作者金春禅鳳は初めて観る。 なるほど、いつもの舞台とは違う。 仔細な情は形で表す、例えば敦盛と息子の再会と別れ等々に。 そして場面切替に濁りを残さない。 つまり歯切れが良い。 変化球ではなく直球で攻めてくる。 但しシテの発声は抑えないと棒読み風になってしまう。 今日は囃子も地謡も巧い。 作品に同期していた。 面は「十六中将」。 小書「替之型」とあったが急遽取り止めになってしまった。 つまり<カケリ>から通常演出の<中ノ舞>で舞うことになる。 前者は修羅の苦しみと息子再会の焦燥を表し、後者は親子再会の喜びを表す、ここに違いがあるらしい。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/2110/

■能楽堂二月「千鳥」「隅田川」

*国立能楽堂二月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・千鳥■出演:茂山七五三,茂山宗彦,茂山千五郎 □能・喜多流・隅田川■出演:塩津哲生,塩津希介,宝生常三ほか ■国立能楽堂,2025.2.19 ■「千鳥」は主人の命で酒を買いに行った太郎冠者と、ツケ残のある客に酒を売りたくない酒屋主人との駆け引きが見所。 二人は合口(話の合う仲良し)という設定もミソ。 尾張津島祭が話題になるが、そこでの「千鳥を捕らえる子供の遊びをまねる」場面が題名の由来らしい。 「隅田川」は京から遥かに遠い最果ての地だ。 此岸と彼岸の境界であるこの地で母子が再会する。 しかし「・・絶望的な悲劇を書きながら、救いのない荒涼たる晩秋や厳冬ではなく、大自然の慰めと生命力に満ちた時季に設定した点にも、元雅の作意が窺える」(村上湛)。 梅若丸の命日は2025年は4月13日である。 境界上の武蔵野の原風景を行ったり来たりしながら観てしまう作品である。 シテの動きを見て不安が過る。 科白はしっかりしているので途中から気にしなくなったが。 面は「曲見(しゃくみ)」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/2109/

■ポルノグラフィ/レイジ

■作:サイモン・スティーヴンス,翻訳:小田島創志,高田曜子,演出:桐山知他,出演:亀田佳他,土井ケイト,岡本玲ほか ■シアタートラム,2025.2.15-3.2 ■前半の「ポルノグラフィ」は2005年ロンドン爆破事件前後の市民生活を7つのオムニバス形式で描いています。 ロンドンの地名が次々と耳に届きますね。 でも頭に描いた地図上のここだ!と指し示すことができない。 NTライブは欠かさず観ているが、実はロンドンには長らく行っていない。 事前に地図をじっくり眺めておけば良かったと科白を聴きながら悔やみました。 今もそこの風景が浮かぶからです。 原作に忠実な舞台です。 読んでいないが、目をつむり科白を聴いているとそう感じます。 科白に同期した生活の音や街の騒音が微かに聴こえる。 これがとても効いている。 コーヒーやクロワッサンの香りも漂ってくる。 でもそこで生活していないと心身が反応しない。 ロンドンは遠い街になってしまった。 後半の「レイジ」は大晦日の英国の一都市が舞台のようです。 祭り騒ぎのなか、警官と市民の小競り合いが起こる。 前半と後半は連続しているようにみえる。 爆破事件を冷静に見届けた市民が大晦日でどんちゃん騒ぎをする。 これがロンドンの生活だ!と言っているようです。 ところで街の地下にできた穴は何の象徴でしょうか? 3時間15分は長い。 前半は静かな緊張、後半が騒がしい緊張で疲れました。 疲れた理由の真意、それは<芝居の面白さ>が感じられないからです。 たぶん真面目過ぎるのかもしれない。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/16041/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、サイモン・スティーヴンス ・・ 検索結果は3舞台 .

■円環

*以下□の3作品を観る. ■さいたま芸術劇場・大ホール,2025.2.7-9 □過ぎゆく時の中で ■演出:金森穣,音楽:ジョン・アダムス,衣装:堂本教子ほか,出演:金森穣,Noism ■・・一人の男がゆっくりと舞台を横切っていく。 そこを全速力で走り抜けるダンサーたち。 「新潟競馬場の直線コースを駆け抜ける競走馬」のように。 歩く男はダンサーを呼び止め関係を持ち始める。 その後ダンサーたちは輪になり男を囲み幕が下りる・・。 速度ある動きと小刻みな音楽が同期していて気持ちが良い。 2021年作らしい。 「円環」とは何か? 舞団の結束する姿が現れている。 衣装はシンプルだが、いつものように決まっています。 舞台の隅々まで演出家の気配が沁み渡っています。  □にんげんしかく ■演出:近藤良平,音楽:内橋和久,衣装:アトリエ88%,出演:Noism ■・・舞台には大小のダンボール箱が置いてある。 それがモゾモゾと動き出す。 中からダンサーたちが現れる。 彼らは何語?かを喋り箱を叩き踊りまくる。 お互い挑発もする。 楽しい舞台です。 もちろん衣装もです。 彼らは再び箱に入り幕が閉じる・・。 近藤良平らしい振付です。 彼は緊張感溢れる作品が多いNoismを別世界へ引きずり込もうとした。 これは成功したようです。 □宙吊りの庭 ■演出:金森穣,音楽:尊室安,衣装:鷲尾華子,出演:井関佐和子,山田勇気,宮河愛一郎,中川賢 ■・・胴体だけのマヌカンが舞台に置いてある。 3人のダンサーが登場しマヌカンと共に踊り出す。 マヌカンの服を脱がせてダンサーが着たり、その逆もある。 絡み合いながら複雑な振付が続いていく・・。 動きの中に充実した人生がみえる。 大人のダンスと言ってよい。 気に入りました。 ゲストの二人も存在感がある。 満足度120%です。 *劇場、 https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/101564/

■マクベス

■作:ウィリアム・シェイクスピア,演出:マックス・ウェブスター,出演:デヴィッド・テナント,クシュ・ジャンボ,カル・マカニンチ他 ■吉祥寺オデオン,2025.2.5-(ドンマー・ウエアハウス,2024.1収録) ■ムリムダムラの無いスピーディな展開です。 早送りで観ているようです。 魔女の予言を信じる、と言うよりは、命令です。 マクベスは命令として受け取り、深く悩み迷うが体がどんどん動いていく。 これがスピード感を増幅しています。 役者も巧い。 シェイクスピアの科白も加速度を付けてビシビシと決まっていますね。 5mx7mの何も無い白い平面の舞台を縦横無尽に動き回る。 暗くてよく見えないが3方が客席のようです。 役者たちは時々カメラを意識する。 観客がいてもです。 しかも観客はヘッドホンを付けている・・? 録画の為の特別舞台・・? シェイクスピアのチャンバラ劇はこの手の演出が近頃多い。 ナショナル・シアター(NT)も同様でしょう。 英語を母語とする観客はどう観ているのか分かりませんが、しかし心身に直接迫る演劇的感動は少ない。 咀嚼し直してから、やっぱり本場は凄い!と頷く感動でしょう。 *映画com、 https://eiga.com/movie/103130/

■さまよえるオランダ人

■作曲:リヒャルト・ワーグナー,指揮:マルク・アルブレヒト,演出:マティアス・フォン・シュテークマン,出演:松位浩,エリザベート・ストリッド,ジョナサン・ストートン他,合唱:新国立劇場合唱団,管弦楽:東京交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.1.19-2.1 ■シュテークマン演出の同舞台はこれで3度目、もちろんこの劇場でね。 その為かワーグナーの真髄を乗せた歌唱が心身の奥底まで響いてくる。 当たり障りが無く巧すぎる演奏が逆にワーグナーを際立たせたのかも。 どう転んでも、ワーグナー最高!  オランダ人役エフゲニー・ニキティンが気管支炎のため河野鉄平に代わったことが当劇場理事から事前説明がある。 前回のコロナ下、2022年1月公演のオランダ人が河野鉄平だったことは憶えている。 でも今日はパワーが全開しているようにはみえなかった。 ドイツ語も馴染んでいない。 緊急出演でしょうがないかな? でも、そこは流石に新国劇、総合力でカバーしていた。 アクシデントはあったが十分堪能できたわよ。 ところで、この作品は能楽にしたら似合うかもしれない。 新作能「彷徨阿蘭陀人」! そう思いながら観てしまった。 *NNTTオペラ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_029080.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、シュテークマン ・・ 検索結果は4舞台 .

■何時までも果てしなく続く冒険

■作・演出:額田大志,出演:矢野昌幸,佐山和泉,薬師寺典子ほか,劇団:ヌトミック ■吉祥寺シアター,2025.11.17-19 ■舞台にシンセサイザー、ギター、ドラムが並ぶ。 音楽劇に近い? ・・若者が事故でなくなってしまう。 友人や家族が亡くなった人との近傍を語る。 些細な日常の行動や会話を、です。 それは時間的に空間的に、近くにそして遠くへ行き来する。 楽譜を展開するかのように物語は繰り返す。 そこに亡霊も加わる・・。 絶え間ない演奏が役者に寄り添いながら物語に染み込んでいく。 語りはラップ調に近い。 これは発声ダンスと言ってよい。 舞台全体が一つの音楽作品のように立ち現れます。 演出家の舞台は初めて観たが音楽と演劇の新しい結合にもみえる。 相乗効果があったのか?よく分からない。 退屈な日常の連続の流れの為かもしれない。 でも日常から非日常を出現させることは可能です。 このタイプの舞台公演は少ないので今後も楽しみですね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/352079 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、額田大志 ・・ 検索結果は2舞台 .

■エドワード・シザーハンズ Edward ScissorHands

■原作:ティム・バートン他「シザーハンズ」,演出:マシュー・ボーン,音楽:テリー・デイヴィス,ダニー・エルフマン,衣装:レズ・ブラザーストン,出演:リアム・ムーア,アシュリー・ショー,ケリー・ビギン他,舞団:ニュー・アドベンチャーズ ■Bunkamura・ルシネマ渋谷宮下,2024.12.27-2025.1.16(ウェールズ・ミレニアム・センター,2024.3収録) ■ティム・バートンのおとぎ話をマシュー・ボーンがダンスにした! さっそく渋谷へ観に行きました。 主人公エドワードはロボット、ここは御伽噺のため人間そっくりの<人形>だが、なんと両手はハサミです。 ・・舞台は1960年前後の米国の雰囲気ですか? 当時の中産階級の生活が漫画チックに描かれる。 街の住民はカラフルな住宅と芝生の庭そして自動車を所有し、休日はテニスにゴルフにドライブ、食事や宗教行事を家族やパーティで楽しむ。 そのような共同世界に入り込んだ純粋な心を持ったエドワードは次第に住民と軋轢が生じてくる・・。  刃物を振り回すので舞台、特にダンスは合わない。 もちろんハサミは木製(?)だが踊り難いのは確かです。 その場面ではハラハラしました。 住民のダンスは<フロリダ万歳>の雰囲気がでていましたね。 そして音楽がエドワードの心に両立している喜びと悲しみを巧く表現していた。 この作品の原作(映画)は観ています。 今日の舞台はティム・バートンとジョニー・ディップへのオマージュ作品でしょう。 マシュー・ボーンは童話をよく採用するが、ハサミを振り回すので心身への心地良さがやってこない。 映画はまだしも、やはりダンスに刃物は曲者です。 *映画com、 https://eiga.com/movie/102885/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、マシュー・ボーン ・・ 検索結果は7舞台 . *映画は1990年にアメリカで制作され監督がティム・バートン,主演はジョニー・ディップ.  映画com、 https://eiga.com/movie/14029/ *購入したプログラムに脚本担当のキャロライン・トンプソンが「フランケンシュタイン物語を軸にした・・」と書いているが納得.

■能楽堂一月「翁」「蛭子大黒」「海士」

*国立能楽堂一月定例公演の下記□3舞台を観る. □素謡・金春流・翁■出演:金春憲和,中村昌弘,本田芳樹ほか □狂言・大蔵流・蛭子大黒■出演:大藏基誠,大藏彌太郎,善竹忠重ほか □能・観世流・海士(懐中之舞)■出演:浅見重好,武田智継,殿田謙吉ほか ■国立能楽堂,2025.1.7 ■「翁(おきな)」は素謡らしい。 翁と千歳それに地謡が登場する。 「とうどうたらりたらりら、たらりららりららりどう・・」。 まじないのようだが・・?、五穀豊穣・国土安穏を祝う。 次の「蛭子大黒(えびすだいこく)」は蛭子と大黒天が登場し自身の由緒を語り舞い、宝物を人に与える。 どちらも新年に相応しい。 「海士(あま)」は龍宮から宝珠を取り返した海士とその子藤原房前(ふじわらのふささき)の母子再会物語である。 その背景には藤原氏にまつわる伝説がたくさん貼りついている。 加えて法華経の影響がとても強い。 海士である母が宝珠を取り返す場面は躍動感にあふれていた。 房前が法華経を読誦すると龍女となった母は成仏して幕が下りる。 房前が子方のためか母子の絆を一層深めた。 シテ面は「深井」から「泥眼」へ。 バラエティに富んだ3作品で観応え十分だった。 お年玉をもらった気分だ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2024/1412/