投稿

■ロメオとジュリエット

■音楽:S・プロコフィエフ,振付:K・マクミラン,指揮:M・イェーツ,出演:米沢唯,V・ムンタギロフ,福田圭吾,中家正博,奥村康裕ほか ■新国立劇場・オペラパレス,2016.10.29-11.5 ■井澤駿が都合で出られなくなったのは残念。 ムンタギロフは痩せたのかしら? 見違えるようだわ。 代わりのためか抑えていたのがわかる。 最初から飛ばしていたマキューシオとティボルトの二人は存在感があった。 前者は動きも良い。 ロメオとジュリエットが出会う舞踏会の一幕、決闘場面の二幕は何度観てもドキドキハラハラね。 演奏も後半に行くほど舞台に溶け込んでいった。 特に3幕は淡々としていたけど心に染みてきたわ。 ジュリエットを含めダンサー達は日本的感情表現の為か中途半端だけど落ち着いた舞台になっていた。 演劇的感動も十分堪能できたわよ。 *NNTTバレエ2016シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_009440.html

■哀れ、兵士

■作・演出:パク・グニョン,出演:劇団コルモッキル ■あうるすぽっと,2016.10.27-30 ■4つの物語を交互に演じていく構成である。 どれも粗削りだが一つにどっぷり浸かることがないので韓国の全体像が結ばれ浮かび上がる。 しかも主人公の死へ踏み込んでいく過程が描かれるので強い感情を伴って響いてくる。 そして国家に雁字搦めにされていく韓国の若者が見えて来る。 太平洋戦争末期、日本軍特攻隊に志願した朝鮮人が靖国神社に祀ってほしいと母に言葉を残し出撃する話、2004年イラクで反米武装集団に誘拐された米軍物資調達業者の韓国人が米韓政府の行き違いから公開処刑になってしまう話、2010年の大韓民国海軍哨戒艦沈没事件で犠牲者たちの直前の行動を再現する話、そして2015年韓国軍で兵脱走事件が発生するが行き場を失った兵が銃殺される計4話である。 韓国の文化検閲に引っかかり危ぶまれていたが今年3月にソウル南山芸術センタで上演された作品である。 アーフタトークで政治的中立で悩むという話があった。 演出家も言っていたが、監督や演出家が納得するものを素直に舞台に載せればよい。 他にもう一つ、カネを出したスポンサーは口を挟まない。 言うのは簡単だがこの二つは作成での必要条件。 でないと舞台を観る意味がない。 *F/T2016参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/16/program/all_the_soldiers_are_pathetic/

■Woodcutters伐採

■作:トーマス・ベルンハルト,演出:クリスチャン・ルパ ■東京芸術劇場・プレイハウス,2016.10.21-23 ■時代は1980年頃のウィーンかしら? アウアースベルガ夫妻主催の芸術家パーティの一日を描いているの。 自殺した彼らの友人ヨアナの弔いパーティでもある。 そこに招待された作家トーマスは芸術家たちの退廃的な光景をみるが最後はその現実世界を受け入れる・・。 友たちを、この都市を国を憎むけれどまた愛す・・。 舞台応接室は観客とガラスで仕切られていて役者は温室に居るようだわ。 でも鉄とガラスのウィーン分離派の影響が微かに感じられる。 ダンサーヨアナの衣装もクリムト風で素敵ね。 映像も舞台と違和感が無い。 芸術家たちは話題の舞台「野鴨」のイプセンとストリンドベリから始める。 でも演出家ルパはポーランド人のためかソビエト風に仕立て上げていく。 全てが政治家や役人に集約していくの。 行き着くところは国立劇場批判ね。 カーテンコールで現ポーランド国立劇場が危機に瀕しているアッピールがあったけど芝居の続きなのか一瞬迷ってしまったわ。 国家と芸術の境界にいる国立劇場をみればその国の芸術状況がわかる。 このアッピールは本物ね。 今でもソビエトの亡霊から逃れられないのかもよ。 オーストリアにポーランドが混ざり込んで独特の退廃感あるパーティ場面になっていたとおもう。 忘れていた中欧と東欧に北欧、それに鱸のメインデシュ。 演劇論も美術論も古臭かったけどヨーロッパ作品のパーティ場面はどれも刺激的ね。 *F/T2016参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/16/program/woodcutters/

■フリック

■作:アニー・ベイカー,翻訳:平川大作,演出:マキノノゾミ,出演:木村了,ソニン,村岡哲至,菅原永二 ■新国立劇場・小劇場,2016.10.13-30 ■2012年のアメリカ東部マサチューセッツ州、デジタル化が押し寄せているのに未だフィルムで上映をしている古ぼけた映画館が舞台です。 そこで3人の若者が働いている。 前半は彼らの仕事場面が描かれる。 もちろん映画の話が一杯です。 映画好きにはたまりません。 科白に「間」があるので独特なリズムが映画館に響き溜っていきます。 リズムある芝居は映画に近づいていく。 「アメリカングラフィティ」が歳を重ねた作品にもみえる。 そこに「ゴドーを待ちながら」が加味されているからです。 登場する51本の映画名が載っていたのでプログラムを購入しました。 早速、観た映画を数えたら25本・・。 「突然炎のごとく」「白夜」「マンハッタン」「マルホランド・ドライブ」「AI」も掲載されていて嬉しいすね。 映画は世代が少しでもズレると作品が合いません。 51本中約半分しか見ていないのでも分かります。 しかも米国映画は俳優重視になる。 エイヴリとサムの対話にもそれが現れています。 後半は映画作品から離れていく。 二つのクライマックスがあります。 サムはローズが好きなのですが上手く言い出せない。 土壇場で告白するがその時ローズを見つめられない。 女は見つめてもらいたい。 ローズの強い性格がこの不満を口に出す。 男は余計彼女を見つめられなくなる。 ・・。 サムの鶏頭はよかった。 もう一つは入場料をピンハネしていたことがバレてしまった場面です。 エイヴリが旧約聖書エゼキエル書?の一節を読んで一人で責任を背負う。 彼は眼鏡を外し喋るのですが残念ながら血肉まで伝わってこない。 米国なら観客はここで震えたのではないでしょうか? この二か所がピュリッツァ賞等受賞の理由と考えたがプログラムに後者のことは書かれていない。 聖書場面で感動に迫ることができれば日本上演も合格でしょう。 *NNTTドラマ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/151225_007977.html

■お国と五平  ■息子

■お国と五平 ■作:谷崎潤一郎,演出:マキノノゾミ,出演:佐藤B作,七瀬なつみ,石母田史郎 ■息子 ■作:小山内薫,演出:マキノノゾミ,出演:佐藤B作,佐藤銀平,山野史人 ■吉祥寺シアタ,2016.10.6-13 ■「お国と五平」はコンパクトにまとまっていて芝居には打って付けにみえる。 舞台装置は簡素でもよい。 それより男と女の関係が古さは残るがほぼ全て入っているのが一番である。 その関係も現在完了形の語りで進められるので演出の見せ場を如何様にも作れる。 谷崎潤一郎の耽美感は薄いが最後まで集中できる舞台だった。 艶めかしい場面は五平がお国の足の指を舐めるように見つめるくらいか。 世間への復讐に落ちていく闇討ちに溜息が漏れてしまう。 お国の方言が新鮮に聞こえた。 「息子」は粗筋を読まないで観たのだが父と子はお互いに最初からお見通しだとわかる。 息子金次郎が幕切れで老爺に「ちゃん!」と呼ぶところは江戸明治作品でのデジャヴュにみえた。 役者二人は舞台の外でも父と子である。 「お国と五平」の上演時間が短いため二本立てにすることが多い。 「息子」を観た後は「お国・・」が薄くなってしまったが二つは通底している。 友之丞と老爺は生まれや育ちから逃げられないと幾度も口にする。 両作の時代背景などを考えながら観てしまった。 *作品サイト、 http://www.kpac.or.jp/collection9/

■ワルキューレ

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:G・フリードリヒ,出演:S・グールド,A・ペーゼンドルファ,G・グリムスレイ,J・ウエーバ,I・テオリン,E・ツィトコーワ ■新国立劇場・オペラパレス,2016.10.2-18 ■歌唱も演奏もじっくり堪能できたわ。 久しぶりのワーグナーに浸れた至福の5時間半だった。 長い対話も日本語訳がしっかりしていたからぶれなかったのね。 誓約と自由を語らないと愛へ進めないからよ。 音響がいつもより澄んでいたのは座席位置がよかったのかしら? 歌手たちも程良くまとまっていたし舞台美術も悪くない。 でも二幕舞台上手に小物が散らばっていたのは目障りよ。 ここの指輪シリーズ*1は軽さを感じる面白さがある。 この軽さを持った抽象が得意のようだからそれに徹すべきね。 終幕、流れる溶岩をみていると「ジークフリート」が待ち遠しくなってしまった。 *1、 「ラインの黄金」(NNTT,2015年) *NNTTオペラ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/walkure/

■KATANA

■振付・出演:森山開次 ■世田谷パブリクシアタ,2016.10.7-9 ■鋭角を感じさせる振付で、ときどき剛の中に軟が現れる。 褌を変形したような衣装で舞踏や相撲などを連想してしまう。 紅い花もこの流れに沿って一貫性がみえる。 10年前の作品らしい。 これならニューヨークタイムズも取り上げるだろう。 日本的な密度が充満しているからだ。 KATANAは日本刀を意識しているようでダンサーに緊張感が溢れている。 このためか自由に観ることができない。 ところで音楽が舞台から遊離しているように感じた。 指向性スピーカ?が舞台前面にあるためかもしれない。 ダンサーを掠めて音楽が通り過ぎてしまっている。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/201610katana.html

■Cross Transit

■演出・振付・出演:北村明子,ドラマトゥルク・ビジュアルアートディレクタ:キム・ハク,サウンドディレクタ:横山裕章,出演:柴一平,清家悠圭,西山友貴,川合ロン,チャイ・レタナ ■シアタートラム,2016.9.29-10.2 ■舞台後方と両端に1m四方の白箱がたくさん積み重なっていて、そこにカンボジアでの写真を加工編集して映し出すの。 科白は散文だけど詩にも変化する。 音楽も日常の音であったり東南アジアの民族音楽?などが混ざり合っている。 ダンスは硬さのある激しさと静けさを合わせ持っていて、骨を意識する動きで武術のような振付にもみえるわね。 ひさしぶりに総合力ある舞台を観たという感動が押し寄せてきたわ。 振付・映像・音楽・科白のそれぞれに個性があり自立している。 これが互いに共鳴し合い統合されて舞台に現れてくる。 演劇的感動も感じるの。 上演90分だったけど時間配分もリズムを持ち淀みが無い。 ある種の到達感がみえる。 振付家の作品は10数年前に何回か観た記録があるけど記憶に無い。 ウーン、北村明子恐るべし。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/201609cross.html

■EIGHT DAYS A WEEK, The Touring Years  ■リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

■EIGHT DAYS A WEEK,The Touring Years ■監督:ロン・ハワード,出演:ザ・ビートルズ ■東宝シネマズ新宿,2016.9.22-(2016年作品) ■1964年のビートルズ全米ツアーを中心に編集されているの。 でもニュースのダイジェスト版を観ているようだわ。 これでは面白くないとスタッフも思ったんじゃない? それでクレジットタイトル後にシェイ・スタジアムでの映像を付録として流したのね。 付録のリアルさにはかなわない。 本編では過酷なツアーでビートルズが疲労していく様子が写し出されていたわね。 それとアメリカの保守性がみえたことかしら。 一つは黒人女性がビートルズの公民権運動支持に安堵していた場面、二つ目はジョンのキリスト発言でのイギリストとは違う反応よ。 誰にでもビートルズとして振る舞い、誰でも受け入れる態度と、やんちゃなユーモアが4人の素晴らしいところだわ。 *映画com、 https://eiga.com/movie/84419/ ■リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド ■監督:マーティン・スコセッシ,出演:ザ・ビートルズ ■(2011年作品) ■上記を観るついでにレンタルしたの。 ジョージ・ハリスンに絞ったドキュメンタリー映画よ。 彼の二面性については誰もが言っている。 「静かなビートルズ」に隠れている骨太な行動をね。 作詞・作曲への方向転換、インド音楽への接近、広範囲な交友関係。 その一人であるエリック・クラプトンに妻を渡してしまうのもビックリ。 ジョージの精神世界を巧く撮っている。 監督の腕も良いのね。 *映画com、 https://eiga.com/movie/57248/

■ハード・ブロブレム

■作:トム・ストッパード,演出:ニコラス・ハイトナー,出演:オリヴィア・ヴィノール ■東宝シネマズ川崎,2016.9.30-10.5(NT2015年収録) ■心脳問題を話題にしたストーリのため追うのが大変。 意識とは何か・・、心=意識は脳=物質に還元できるか? 主人公ヒラリーは心理学者だけあって同僚の機能主義を採らずむしろ二元論的言語主義に傾いていくようね。 作者トム・ストッパードの考えも同じだとおもう。 至るところで自然言語に基づく考えをさり気なく述べているからよ。 でもこのような問題を芝居に載せても面白くない。 つまり断片的議論や実験結果はイージー・プロブレムに還元されてしまうから。 芝居では耐えきれないのよ。 しかも「囚人のジレンマ」を例に生物進化での利己・利他主義を並行で議論するからより混乱してしまう。 結局はヒラリーに哲学に転向しようと言わせてしまうの。 お祈りや別れた子供との出会いも添え物にみえる。 ここは突破口だったのに深めることができない。 脳や遺伝子と生物の話題を混ぜ合わせたのはいいけど下手に拡散させてしまったのね。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画COM、 https://eiga.com/movie/82983/

■別の場所

■作:ハロルド・ピンター,演出:赤井康弘,出演:サイマル演劇団 ■サブテレニアン,2016.9.22-25 ■ハロルド・ピンター短編三作「ヴィクトリア駅」「いわばアラスカ」「家族の声」を上演。 「ヴィクトリア駅」ではタクシ運転手と手配係の連絡がいつのまにか仕事以外の話や行動になっていく・・。 「いわばアラスカ」は29年間の眠りから覚めた妹が姉や医師と時のずれた話をする・・。 「家族の声」は街に出た息子が忙しい日常生活を語り、並行して田舎にいる老母は忘れられない息子への独白が続く・・。 どれも出来事や時空の関係がどこか噛み合っていない。 ピンターはよく知りません。 短編のため結婚話など家族関係から題材をとっているようです。 舞台は狭いし動きがないので役者の声が優位になります。 身体から湧き出る喋り方をする役者としない役者が混ざっている作品は分解しそうですね。 帰ってから調べたのですが彼は映画狂らしい。 そういえばルイス・ブニュエルの作品から笑いを取ってしまったような舞台にもみえました。 *主催者サイト、 http://itabashi-buhne.jimdo.com/

■DISGRACEDディスグレイスト

■作:アヤド・アフタル,演出:栗山民也,出演:小日向文世,秋山菜津子,安田顕,小島聖,平埜生成 ■世田谷パブリクシアタ,2016.9.10-25 ■パキスタン系弁護士アミールと白人画家の妻エミリ、アミールの同僚で黒人弁護士ジョリ、美術館職員ユダヤ人アイザックのアメリカ国籍4人の緊迫感が続く対話で息をするのも忘れて観入ってしまいました。 ベラスケスの肖像画「パレーハ」とムーア人、アーネスト・ベッカ「死の拒絶」とウディ・アレン、ジョン・コンスタブル、V&A所蔵のイスラム美術などが話題にのぼります。 ニューヨークで程々の階級人たちの生活風景が見えて面白い。 これだけの話ができるのも多様な民族と宗教が潜行しながらも日常でぶつかり合うからだと思います。 アミールの出生でインドとパキスタンの違いが国家ではなく宗教の違いとして議論されます。 そして国籍や名前を変更する時には民族を加味して宗教→民族→国家と順に進める。 民族とは舞台上のように肌の色なのか?母語や神話・歴史由来なのか?上手く説明できません。 日本人の多くは国家→民族→宗教のように逆に下る。 しかも民族や宗教は霞んでよくみえない。 ですからアミールが9.11テロ事件で特別な感慨を持った時に、観客の多くは先ずは国家を考えてしまうでしょう。 でもアミールの心は読めない。 特別な感慨に三つはどのようにかかわっているのでしょうか? この構造の違いに出会うと頭が痺れて思考停止になってしまう。 アミールとジョリの法律事務所経営での確執、エミリとアイザックのギャラリー出展での仕事不倫も気が抜けません。 イスラエル側の事務所所長はアミールを首にします。 そして妻が描いてくれた肖像画を見つめながら幕が下りる・・。 息をするのを忘れて観てしまうのも世界先端で起こっている事件や芸術や生活が迫ってくる舞台だからでしょう。 *作品サイト、 http://www.disgraced-stage.com/

■荒野のリア

■原作:W・シェイクスピア,演出:川村毅,出演:麿赤兒,手塚とおる ■吉祥寺シアタ,2016.9.14-19 ■科白を聞いているとまるでシェイクスピアの「リア王」のようだ。 そういえばチラシにそう書いてあった。 麿赤兒のリアは面白い。 動きがいい。 太さが在る。 麿は舞踏より演劇に比重を割いたほうがよいのではないだろうか? 役者が全て男だけというのも舞台に加速度が出て楽しい。 特に道化とエドガがよかった。 この加速が麿を生き返らせている。 でも男からみた女の評価は月並みに聞こえた。 照明や美術も演出家の好みだろう。 ゴネリルやリーガンの科白場面でのヌード写真は納得できるが、小津安二郎やジョン・フォードの作品はどういう事だかよく分からなかった。 「晩春」や「東京物語」、ジョン・ウェインではシラケてしまう。 異化効果でも狙ったのかな? そして月の砂地にいるリアとグロスタが遠く地球を眺める終幕はなんと言ってよいのか分からない。 悪くはないが、・・邪道とも言えない。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/06/post-47.html

■マハゴニー市の興亡

■作:B・ブレヒト,曲:K・ヴァイル,演出:白井晃,音楽:スガダイロ,振付:Ruu,出演:山本耕史,マルシア,中尾エミ,上条恒彦,古谷一行 ■神奈川芸術劇場・ホール,2016.9.6-22 ■ブレヒトの時代と現代が直結している舞台だった。 ここから1930年の公演状況が目にみえてくるようだわ。 「人生は短い、時は無駄に使うな・・」「生き残るのは俺、くたばるのはお前ら・・」。 こんなにも歌詞が迫ってきたのは久しぶりよ。 歌唱と科白が混ざって物語が切れ切れになるけど少しづつまとまっていくのが分かる。 これは演出家の力ね。 「死んだらすべて終わり・・」が凄まじい食欲や性欲を肯定している。 そして終幕のデモ行進も時代と異化効果を越えてメッセージを現代に届けている。 ラジカルな舞台だわ。 マハゴニー市民席があるため広い舞台でも四散しないでみることができた。 虚しさが感じられるネオンも天井を巧く埋めていたわ。 マルシアや中尾ミエはハッキリ聞き取れたけど男性陣の歌唱で聴き難い個所があったのは残念。 山本耕史の都合で開幕が1時間遅れてしまったの。 石田三成も緊張場面は体調を崩して席をよく外していたし・・。 大谷吉継が言うように彼は繊細過ぎるのね。 *劇場、 http://www.kaat.jp/d/mahagonny

■授業

■作:E・イヨネスコ,演出:長堀博士,出演:劇団楽園王 ■サブテレニアン,2016.9.8-10 ■軍服姿の教授と手錠を掛けられた女学生で緊張しますね。 前半は言語学、後半は算数の話しですが再び言語に戻る円環構造を採るためか劇的な終幕を迎えます。 前後で教授は鬘を加え学生は役者が替わります。 前半は見応えがありました。 言葉遊びと役者身体が噛み合っていたからです。 音楽も巧く溶けあっていた。 舞台に独特な力強いリズムが表れていました。 しかし後半の算数の話はつまらない。 言語と違い役者身体に絡んでいかない。 観客も加算減算そのことを考えてしまう。 ストーリーだけが浮いてしまった。 つまり終幕に言語に戻ったので持ち直したといえる。 劇団はこの作品を12年間上演しているらしい。 安定感がある。 このためかオドロオドロしいところがみえない。 コミカルに傾き不条理が気化してしまった。 この劇場はマンション地下の空間を利用しています。 二列だけの客席は壁にへばり付いていて役者との距離も1メートルに近づく場面が多々ある。 あと3メートル離れていたら良い意味で客観的に観ることができたでしょう。 *板橋ビューネ2016「ナンセンスはアナーキズムである」参加作品 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/75849