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■ROOM Rhapsody in White

■作・演出:佐藤信,出演:服部吉次,桐谷夏子,内沢雅彦,龍昇ほか,劇団黒テント ■スズナリ,2026.3.18-22 ■主人公の潜水夫が就職先へ赴くものの、就業書類の不備によって手続きが滞り、待ち続けることになる、そんな物語である。 舞台は白一色で統一され、そこに白い机と椅子が置いてあるだけだ。 チラシには「・・待ち続けている、あの部屋で」とあったが、当初は不条理劇「ゴドーを待ちながら」の系譜かと思われた。 暫くして、役所の業務が迷宮化していることが、主人公を待たせる原因であるとわかり、むしろ「カフカの城」に近い世界観が立ち上がってくる。 実際、役人と住民の滑稽で無意味にもみえる遣り取りが延々と続いていく。 科白は詩的で断片的なため、ストーリーは殆ど存在しない。 昭和を思わせる唱歌や踊り、さらには歌謡曲「帰り船」まで歌われる一方で、サイレンや砲弾の破裂音も響く。 役者たちの淡々とした演技が詩的な台詞と調和し、舞台全体に独特のリズムを生み出していた。 刺激的な場面もあっが、どこか落ち着く舞台だった。 場内で配られた演出家の「稽古場ノート」には、千田是也から「信は物語が書けないからな」というエピソードが記されていた。 今日の舞台を観て、この指摘が示すところの<一つの完成形>に佐藤信は辿り着いたのではないのか、そんな思いが胸に浮かんだ。 *劇団黒テント第80回公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/410582 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、佐藤信 ・・ 検索結果は8舞台 .

■エンドゲーム

■作:サミュエル・ベケット,翻訳:岡室美奈子,演出:小川絵梨子,出演:近江谷太朗,佐藤直子,田中英樹,中山求一郎 ■新国立劇場・小劇場,2026.5.20-31 ■タイトルを聞いたときは新作かと思ったが、作者名を見てベケットの「勝負の終わり」だと気づいた。 記録を確認すると、2006年9月にシアタートラムで佐藤信演出の上演を観ていたようだが、内容をほとんど覚えていない。 ベケット作品は、こちらの身体や精神の状態によってリズムに乗れるかどうかが決定的に左右され、評価が大きく揺れる。 今日も序盤は眠気に襲われたが、ハムが物語を語り始めるあたりから脳が一気に目覚め、終幕まで緊張感を保って観ることができた。 今回の出演者は、オーディションで選ばれた4人とのこと。 両親の死に対して無神経にも見えるハムの短い台詞、居留守を使うクロヴがふと見せる父へのさりげない愛情、それを微かに受け止めるハムの反応、そうした細部に、裏のない誠実な演技が宿っていた。 ベケットの核心に迫るための条件のひとつは、この誠実さなのかもしれない。 久しぶりにベケットと真正面から出会えたような気分になった。 今日の観客席は配列や高さがいつもとは違っていた。 座布団も2枚重ねになっている。 舞台も見え難い。 いかにも小劇場という雰囲気がでていた。 ところで、クロヴがハムを窓際へ連れて入った場面で、急に声のトーンが変わってしまった。 舞台端はマイクの感度が良いので声を多く拾ってしまったのだろう。 近頃は多くの小劇場でもマイクを使っているようだ。 しかし、ここまでして声を平均化する必要があるのだろうか? 場面状況で声が乱れることはよくある。 役者の生の声を聴けないとは、何のための芝居なのだろうか。 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/endgame/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、小川絵梨子 ・・ 検索結果は23舞台 .

■それいゆ

■作・演出:天野天街,出演:夕沈,山本亜手子,雪港ほか,劇団:少年王者舘 ■スズナリ,2024.7.25-29 ■時代は敗戦から1960年代までの四半世紀、主人公ショウタロウとその家族の日常を描いているようだ。 ショウタロウを含め母や妹も一人数役で熟す。 得意の分身の術を使い彼らは舞台を駆け巡る。 これは母の夢なのか? ・・B29の爆音、父の戦死。 満蒙開拓団の帰郷は釜山から下関へ。 多くは釜山まで辿り着けなかっただろう。 夕方6時半からのラジオ放送「紅孔雀」。 松島トモ子も登場? 集団就職と飯三杯。 繁華街に屯するヤクザたち・・。 そこに<時間>の議論が入る。 得意のループだ。 これが長い。 ここまで繰り返すのか!? 舞台は映像トリックを極力避けている。 これで昭和のテンポが舞台に現れる。 多くの単語が引き金になり当時の生活がフラッシュバックのように脳裏に甦る。 でもカッタルイ。 この作品は演出家の履歴書にみえる。 7月7日に天野天街が亡くなったことを知る。 彼はアングラ四天王、寺山修司・鈴木忠志・唐十郎・佐藤信と同世代とみていた。 調べると・・、1960年生まれに驚く! まだ若い。 早世が無念であったろう。 終戦前後の記憶は家族から引き継いだのかもしれない。 今日の劇場は椅子を座布団に替えて観客をギュウギュウに詰め込んでいた。 冷房がフル回転しても冷えていかない。 300人は入っていただろうか? カーテンコールで役者全員の紹介がある。 熱気渦巻くスズナリで天街を観ることができて嬉しい。 *少年王者舘第40回本公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/320408

■男たちの中で In the Company of Men

■作:エドワード.ボンド,翻訳:堀切克洋,演出.台本:佐藤信,出演:植本純米,下総源太朗,千葉哲也,松田慎也,真那胡啓二,龍昇 ■座高円寺,2019.10.18-27 ■客席は20歳台後半から30代女性が7割を占め男性は殆ど60歳以上にみえる。 社会派女流演出家の舞台ならこの比率が多いのだが・・、贔屓筋かな? 前半は登場人物の紹介だが時間が経つのも忘れるほど緊張ある対話が続いていく。 先ずは銃器製造会社社長で堅実なオールドフィールドとその養子レナード、そのレナードは続けて会社破産した遊興好きのウィリー、農産物加工経営者で策略家ハモンドと会い経営話題を劇場内に響かせる。 そこにオールドフィールドの秘書ドッズ、使用人で原子力潜水艦乗組員だったバートレイが薬味を効かせる。 レナードがドッズとハモンドの罠に掛かり父の経営を危うくしてしまうのが見せ場だ! 後半になって父はそれを知る・・。 休憩後は徐々にリズムが崩れだした。 レナードが何を考えているのか分からなくなってきたからである。 彼のような<坊ちゃん役員>は同族経営でも大企業では淘汰されるが中小企業では生き残れる。 難しくしている一つに彼が養子だということだ。 よく話題になる母のことを彼自身にどう付け加えたらよいのか悩んでしまった。 配布資料に「・・彼はハムレットだ」とあったが略当たりと言えよう。 そしてオールドフィールドを銃で殺そうとするのも、終幕の自殺も感動のない驚きである。 それは彼が「(資本主義とは)違う真実を啓示し・・、他の男たちにそれを語らせ、・・キリスト教の聖人のごとく行動する」からである。 しかし周囲の男たちの語りも愚痴にしか聞こえない。 それは酒である。 (ハロルド・ピンターと違うのは)登場人物が酒に溺れてしまうことである。 作家が創作時に登場人物を酔わせてしまうと舞台上の役者の言葉も酔った意味を含んでしまう。 飲んでも酔わないピンターは強い。 科白の中で「新自由主義」が聞こえたが、レナードは80年代サッチャー新自由主義を詩人になって否定したかったのだろうか? 「ボンドからの手紙」が資料に載っていたがジョンソン時代に手古摺っているようにみえる。 再び酒に溺れるか詩人になるしかないのか? *座高円寺<新>レパートリー作品 *劇場、 https://www.za-koe...

■演劇島

■台本・演出・美術:佐藤信,振付・出演:竹屋啓子,出演:櫻間金記,龍昇,内沢雅彦ほか,劇団黒テント ■座高円寺,2024.11.8-12 ■ドラマリーディングに近い? 上演テキストは演出家が馴染んだ30作品から選んでいるようです。 その台詞をコラージュにして喋り演じる。 数分ごとに作品が入れ替わっていく。 このため集中力が必要です。 特に「金島書」「テンペスト」「地がわれらを圧迫して」を構成の柱にしているらしい。 テンペストしか知らないがコラージュのため気にならない。 しかし幾つもの物語断片が一つにまとまっていく流れは見え難い。 ゴダールの「映画史」を真似て「演劇史」だと演出家が言っていたが、どれだけ作品を観ているかが勝負になるのかもしれない。 よく知る「ゴドーを待ちながら」の場面でそう考えてしまった。 観る側に厳しい舞台ですね。 そのなかで能楽師櫻間金記とダンサー竹屋啓子の二人の絡み合いが面白い。 追放者役の櫻間は「私は世阿弥だった」「私はプロスペローだった」・・、後半になると「私は世阿弥ではなかった」「私はプロスペローではなかった」・・!? エアリエル役竹屋啓子も存在感ある塵になっている。 役者たちも皆熟れていて声も動きも整っている。 男女比は同じだが後期高齢者が目立つ客層です。 1970年代前後から黒テントを知っている者は皆この歳に入ったのですね。 この劇団は考えさせられる舞台が多い。 科白の裏に社会性が塗り込めてある。 今回もそうみえます。 ところで櫻間金記の科白「金島書」には字幕が必要です。 やはり聞き難い。 また作品の説明が映されたが、いま観客がそれを知っても舞台を分断するだけかもしれない。 *劇場、 https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3227

■皇国のダンサー

■作・演出:佐藤信,出演:服部吉次,桐谷夏子,片岡哲也ほか,劇団黒テント ■ザスズナリ,2023.11.1-5 ■手ぶらで観に行ったので最初はチンプンカンプンでした。 近未来の話のようです。 でも途中から日本の古代史を思い出しながらストーリーを追うことになる。 なぜならフルコト(日本書紀・古事記?・風土記?)からの抜粋が字幕に表示されるからです。 しかも物語を「マトリックス」構造に仕立ててある。 無機質な近代的ビルの一室らしき場所で、役者は叙事詩的な台詞を喋り演技をしていく。 ロボット風と言ってよい。 古めかしいコンピュータ用語も出てくる。 これらが結構おもしろい。 ダンサーの一人、服部吉次は後期高齢者風だが動きも発声も存在感があります。 観客も高齢者が多い。 それは7割くらい? でも若い女性も目立つ。 観客も新陳代謝が必要ですね。 観後に演出家の挨拶文を読んでWEBを調べると舞台は「乙巳の変」(645年)を描いていたことが分かる。 久しぶりに当時の歴史を調べ直し今日の舞台を思い起こしました。 ダンサー=俳優とは何者か? そして天皇とは? メモリのように記憶も消されていく? プログラムのように歴史も書き換えられていくのか? ・・。 *劇団黒テント第79回公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/268744

■霊戯

■ 作:郭宝崑,演出:佐藤信・榮念會,出演:笛田宇一郎他 ■ 座高円寺,2012.10.11-14 ■ 戦争で命を失いその魂を語り合う鎮魂歌です。 伝統演劇の「能」や中国の「昆劇」?を取り入れています。 場所は戦場・墓地・刑場・・、苦しみのあるセリフは詩のように漂っていきます。 中国俳優は動きを、日本俳優は存在を重視しているようですね。 笛田宇一郎の存在感は十分ですが、能楽師の清水寛ニ、西村高夫はそれ以上です。 このような身体重視の舞台ですと能狂言の俳優が優位になるのでしょう。 そして見慣れない動作でも中国俳優が熟れているのがわかります。 場内で配られたプログラムを帰りの車内で読みました。 作者はシンガポール日本人墓地でこれを着想したそうです。 このような芝居は観客の想像力も試されます。 一部は劇と一緒に走れましたが、二部は科白も少なく眠くてどうしようもなかったですね。 *劇場、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=725

■ヤコブの井戸  ■長崎の聖母

□ヤコブの井戸 ■作:ディートハルト・レオポルド,演出・出演:清水寛二,出演:殿田謙吉,小笠原弘晃,みょんふぁ他,能団:銕仙会 ■座高円寺,2021.8.4-8 ■場内には能舞台が作られています。 橋掛もあり、鏡板にはアクション・ペインティング風の絵が描かれ、針金で吊った4本の柱は傾いている。 前衛能舞台と言ってよい。 スカッとしていて気に入りました。 ・・旅する師弟らしきユダヤ人が井戸の前にやってくる。 ワキツレは自分のことを<僕>と言う。 でも違和感がない。 そこへパレスチナの老婆が登場し身上を語りだす。 ユダヤの男と水を分かち合ったこと、子供たちを戦争で失ったことなどを話して立ち去る。 ここで猫が登場するが二千年も生きているアイのようです。 猫の話から、女が水を与えた男はイエスだったのかもしれない!? 物語が俄然輝きだします。 後場に入り、女は若いサマリア人となって登場する。 女は数千年に続く宗教と民族の争いを嘆き踊る。 すると井戸から水が湧きだし、女はユダヤ人と水を分かち合ってから去っていく・・。 久しぶりに感動しました。 舞・謡・囃子が一つにまとまり迫ってきたからです。 能がもつ劇的さでしょう。 新作能とあったがとても練られていた。 イエスは登場しませんが、この名前を感じることで物語の時空が深まったと思います。 佐藤信と清水寛二のアフタートークを聞くことにしました。 この作品はワルシャワ・ウィーン・パリで公演を行い、ペルシア女の能面は新しく作った等々。 能では演出と演技は同時進行する、演出家は非難されたときに責任を負う為にいる、能と違って現代演劇は帰る家がない、観世榮夫は能の一部を切り取って出演するのを嫌がった等々。 以上がトークの内容です。 □長崎の聖母 ■作:多田富雄,演出・出演:清水寛二,出演:大日向寛,小笠原由,歌唱:波多野睦美,能団:銕仙会 ■座高円寺・WEB,2021.8.7-(座高円寺,2021.8.7収録) ■公演日時の都合がつかずWEB配信で観ることにしました。 ・・巡礼者が長崎浦上天主堂を訪れ、そこで老女に出会う。 女は1945年8月9日の被爆の有り様を語り去っていく。 そこで巡礼者はアイ役の修道僧と祈りをささげる。 すると聖歌が聴こえるなか女が現れる。 女は聖母マリアなのか? 女は平和と救済を祈り舞う・・。 メッセージの強い作...

■ブランキ殺し、上海の春

■作:佐藤信,演出:西沢栄治,プロデューサー:流山児祥,音楽:諏訪創,振付:スズキ拓朗,出演:流山児★事務所ほか ■ザスズナリ,2017.10.28-11.5 ■幕が開いて1分もしないうちに耳がキンキンしだした。 舞台は三面が壁なので音響焦点が合ってしまったのだろうか? この劇場で科白がこんなにも甲高く響くのは初めてである。 歌唱が入るのでマイクとスピーカがたぶん原因だろう。 床に近いところで喋ると問題が無い。 また日常会話レベルの音量なら普通に聞こえる。 しかし革命劇のため叫ぶ場面が9割もあるからどうしようもない。 役者の声は舞台作品ではとても重要である。 他の観客をみると問題なさそうである(?)。 私の耳がおかしいのか? 技術的問題ではないがもう一つある。 役者の舞台滞在時間が短すぎることである。 舞台に登場し演技をして退場する迄のサイクルが短い。 これが積み重なるとストーリが細切れになりテレビのバレエティ番組を見ている感じになってしまうのだ。 以上の二つで舞台から取り残されてしまい革命どころではなかった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/86200

■HER VOICE、彼女の声

■原作:サミュエル・ベケット,演出:佐藤信,振付・出演:竹屋啓子,出演:伊川東吾 ■WAKABACHO WHARF,2017.9,22-25 ■竹屋啓子が台詞を喋るのかなと想像していたがやはり無かった。 この作品は何回か観ているので次々でてくる日用品と主人公ウィニの仕草で大凡の語りは思い出すことができる。 彼女の動きには率直な軽さがある。 演劇的はなく舞踊的コミカルを含んでいる。 ダンス舞台を観たことがあるが昔のことではっきり思い出せない。 歯を磨く髪を梳かす動作はもっとリアルにしたいが難しいところだ。 観客がこの作品にどれだけ馴染んでいるかで感じ方が違ってくる。 動作以上に顔の表情も大切になってくる。 竹屋啓子の素直な身体に重みが滲んでくるまで回を重ねていく作品のように思える。 音楽は2・3曲?だったがウィニーを助けていた。 それとストライプ衣装に黄色を加えれば彼女の特長がより映える。 ダブリンをはじめ欧州を巡業するらしい。 これは楽しい旅になるとおもう。 パリ上演はどちらに転んでもヒット間違い無い。 ところでこの劇場は初めて行った。 上演中に車やバイクの音、通りすがりの子供の話声が聞こえてくる。 今回は台詞が無いので逆に気にならなかったが作品によっては気にするだろう。  *劇団、 https://www.kamome-za.com/

■亡国のダンサー

■作・演出:佐藤信,劇団:黒テント ■ザスズナリ,2017.3.25-29 ■舞台の至る所に緊張感が宿っている。 台詞や役者の喋りや動作そしてダンスの振付にムリムラムダが無いからよ。 しかも小さな謎が次々と押し寄せるから自ずと集中していく。  後方スクリーンに日本書紀巻二十四「乙巳の変」が写し出されコロスであるダンサーたちが科白にするの。 雨の降っている風景や争いの場面はまさに乙巳の変の再現かな? でも役者たちは近未来の企業のお家騒動を演じている。 女性理事長をみて大塚家具問題を思い出してしまったわ。 なぜコロスは亡国を論じ役者は内紛劇を演じるのか? しかも後者の黒幕はコンピュータシステムが関わっているらしい。 この三つを繋げる鍵はチラシに書いてある「答えられるだろうか、未来からの問に。 ・・・。 わたし(たち)は今、何をしているのか、なぜ黙っているのか。」。 うーん、上手くまとめられない。 そして人工知能らしきものの登場でそうならない。 しかも「わたし」が蘇我入鹿になった理由が説明されたけど聞き漏らしてしまった。 「それは老人が・・・」。  それでもカタルシスを感じられた。 役者たちの発声や動きからくる身体性の良さから来ているとおもう。 芝居構造は面白いけどコンピュータは曲者ね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/80018

■銀河鉄道の夜2020

■原作:宮沢賢治,脚本:能祖將夫,音楽:中西俊博,美術:小竹信節,歌:さねよしいさ子,演出:白井晃,出演:木村達成,佐藤寛太,宮崎秋人ほか,演奏:新澤健一郎ほか ■KAAT神奈川芸術劇場.ホール,2020.9.20-10.4 ■歌を聴いたとたん小中学生用の舞台だと気が付きました。 子供に向かって歌っているかのような発声・振付の為です。 原作が童話だから当たり前ですが・・。 観客も二十歳頃の女性が8割を占めている。 大劇場でこの作品を観るのは初めてです。 子供たちの虐めがギスギスしていたのは舞台が広いからでしょう。 役者の動きが大きいので微妙なところが表現できない。 これが<幸い>に結びついていかない。 「まことのみんなの幸いのために」が急に出てきたようにみえてしまった。 でも後半の「蠍の火」あたりから盛り上がりましたね。 大きな振子と黒衣装の乗客が登場した場面では劇団「万有引力」を思い出してしまった。 もちろんオドロオドロしさは有りませんが。 小竹信節の舞台美術と聞いて納得です。 アメユキは淡々とした歌唱にしたほうが原作は活きたのではないでしょうか? そして役者たちも歌ってほしかった。 ところでジョバンニとカンパネルラは風貌も衣装も同じで混乱しました。 この作品は何度か舞台を観ています。 いつも過去を振り返り未来を思ってしまう。 生と死の境界線で演じられる作品は何故こんなにも心動かされるのでしょうか? *劇場、 https://www.kaat.jp/d/gingatetsudo2020