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■母

■作:カレル・チャペック,演出:シュチェパーン・パーツル,出演:テレザ・グロスマノヴァー,トマーシュ・シュライ,ロマン・ブルマイエル他,ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー ■新国立劇場・小劇場,2025.5.28-6.1 ■1938年の作品だが時代背景など表面上は現代にしてある。 チェコ共和国の一家族、両親と息子5人の物語です。 ・・戦死した父や4人の息子のように末っ子を戦場に送るわけにはいかない。 母は強く思う。 しかし、父と長男たちの亡霊が現れて母と末っ子を惑わす。 彼らは二人に国家への義務や忠誠、地位や名誉などを吹込む。 さいごに母は折れて末っ子を戦場に送ってしまう・・。 母の息子への実直な思い、息子たちの社会へ向けた行動は当時から変わらない。 人類史で積み重なってきた母性本能や闘争本能の在り方は急には変われないでしょう。 ヒトを含め動物の母性本能は安定している。 一方、闘争本能は共同体や社会構造の変化に追いつかず混乱し続けている。 脳味噌のキャパシティに限界があるからです。 1世紀前の初演作品だが、このままでは1世紀後も同じように上演していることでしょう。 ところで、字幕板を舞台上に持ってきたのは良いが位置が高い。 演出家と調整してもっと低くすると見やすくなる。 また日本語の表示が速すぎて読み切れなかった。 翻訳の調整も必要です。 *NNTT2024海外招聘公演 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/mother/

■能楽堂五月「御茶の水」「賀茂物狂」

*国立能楽堂五月企画公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・御茶の水■出演:山本則重,山本泰太郎,山本凛太郎 □能・復曲・賀茂物狂■出演:観世清和,福王和幸,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.5.28 ■「御茶の水(おちゃのみず)」は若い男女が主人の目を盗み小歌で恋の駆け引きをする話である。 二人は幾つかの歌と舞を披露する。 室町後期の歌謡集「閑吟集」から採られた当時の流行歌らしい。 「賀茂物狂(かもものぐるい)」は夫婦再会物語だ。 「加茂物狂」との違いは前場が復元されたところにある。 前場は神職と女の問答になっている。 これが後場を文学的に厚くしたとおもう。 物語が淡々と進み科白をじっくりと聴き込む作品だから。 しかも今日はシテとワキの声がビシバシと脳味噌まで伝わってきた。 テンポある緊張感があった。 久しぶりに至福の時を過ごせた。 面は「若女」。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演 *「能を再発見する」公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7008/

■奴婢訓

■作・演出:寺山修司,演出・音楽:J・A・シーザー,高田恵篤,美術:小竹信節,出演:高田恵篤,伊野尾理枝,小林桂太ほか,演劇実験室◎万有引力 ■座高円寺,2025.5.16-25 ■完成度が高い舞台でした。 大掛かりな機械群や巨大な靴なども見応えがあった。 見世物演劇の面白さが出ていました。 しかし、この作品は白ける場面が多い。 話題の繰り返しが続き、ところどころで間延びする為です。 これを避ける為にはコンパクトな劇場で上演するのが良い。 すべてを凝縮させる。 この凝縮力で作品が持っている欠点を解決する。 今回は劇場が合わなかった(と思う)。 この劇場はガラーンとしている。 マイクの声も割れていた。 役者の科白と演技が発散してしまった。 白けを助長していました。  それとですが、作品の古さが観ていながら伝わってきた。 東北風土や宮沢賢治も、オープンリールレコーダやビクター犬も、すべてが遠い過去からやってきたようにみえる。 でも懐かしさは無い。 モノやキカイそして話題が物語に上手く繋がっていないからでしょう。 寺山のなかでは取っ付き難い作品と言えます。 さいごに、主人と召使の関係台詞を吐き、役者たちが静かに舞台から去っていく。 この場面で寺山修司を微かに思い出させてくれました。 *演劇実験室◎万有引力第78回本公演 *寺山修司生誕90年記念・小竹信節追悼公演 *劇場、 https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3379 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、万有引力 ・・ 検索結果は13舞台 .

■いつか来る、わたしの埋葬のためのレクチャー ■サイキック・サイファー

*第15回せんがわ劇場演劇コンクール参加6作品のうち下記の□2作品を観る. ■せんがわ劇場,2025.5.24-25 □いつか来る,わたしの埋葬のためのレクチャー ■作:山口真由,演出:伊藤全記,出演:鄭亜美,山口真由,劇団:7度 ■「禁じられた遊び」を語る舞台です。 つまり「お墓ごっこ」のことです。 他の<ごっこ遊び>より目立たない、でも子供時代に「お墓ごっこ」をした人は多いでしょう。 小さな生き物の死骸を埋葬する。 石や木片を探してきて墓標にする。 近頃「葬式ごっご」が流行っているが、これとは違います。 舞台には姉と妹が登場します。 子供時代の「お墓ごっこ」を語った姉は次に夢をみる。 オジが亡くなったが葬儀をだす人がみつからない。 そこで姉妹でオジを埋葬する。 このような夢です。 子供心にも死への恐れらしきものはある。 見様見真似でも死者に対して何かしなければいけない。 「禁じられた遊び」は大人になっても名前を変えて続く。 でも舞台で話題にしていた問い「どうやって終わりにするのか?」は子供の頃から変わっていない。 ところで、映画のテーマ曲を久しぶりに聴きました。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤全記 ・・ 検索結果は4舞台 . □サイキック・サイファー ■作・演出:西田悠哉,出演:荷車ケンシロウ,むらたちあき,永淵大河,西田悠哉ほか,劇団不労社 ■「サイキック・ファイァー」とは何か? 調べると、同じ曲名を見つけた! そして「アンダー・ザ・シルバーレイク」が映画名だと分かる。 うーん、暇があったら観よう! コンビニ店長がいかがわしい人物らしい。 店員がそのように判断するが、知り得た情報はリアルかフェイクか? それが暗号のようなデータになれば一層悩むのかもしれない。 いや、情報の質や量の違いではもはや判断できない。 周囲の関係性も深く係る。 それにしてもテンポが速い。 科白もヒップホップ系です。 楽しい舞台でした。 テントのような小道具を広げたり縮めたりしている操作が煩わしそう。 公演1回で上演時間40分では道具の選び方にも悩むでしょう。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、西田悠哉 ・・ 検索結果は2舞台 . *劇場、 https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/27938

■ずれる

■作・演出:前川知大,出演:浜田信也,安井順平,盛隆二,森下創,大窪人衛,劇団:イキウメ ■シアタートラム,2025.5.11-6.8 ■「ずれる」は幽体離脱から来ているらしい。 魂(意識など)と肉体が一致している状態からズレが生じる時がある。 そのズレが激しくなり魂が肉体から離れると幽体離脱になる。 これを舞台に載せている。 なんと動物たちは離脱した人の魂を見ることができる! 動物が持つ<野生の力>か? ここに動物解放戦線(ALF)の活動家が加わり動物の解放が試みられる。 そして野生の力を失っている現代人をも批判する。 現代人はズレを忘れてしまったのか? いや、ズレ方が歪なのか? いつものイキウメとは少し違います。 ドキドキする謎や不思議が無い。 幽体離脱や動物解放が手垢に塗れている為でしょうか? でも、いつもの緊張感は舞台に充満している。 現代人が失ってしまった野生の力を考えてしまう内容でした。 ・・人生で道草をすること、これで野生の力を感じ取ることができるようになる・・。 ところで家政夫の山鳥士郎の復讐が何であるのかよく分からなかった。 山鳥の父と主人公である社長小山田輝に関する復讐にみえたが・・。 舞台美術は社長宅の居間らしく現代的で緊張感を補強していました。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/367754 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、前川知大 ・・ 検索結果は14舞台 .

■能楽堂五月「布施無経」「雲林院」

*国立能楽堂五月企画公演の以下の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・布施無経■出演:山本東次郎,山本則重 □能・世阿弥自筆本による・雲林院■出演:梅若紀彰.片山九郎右衛門,観世喜正,舘田善博ほか ■国立能楽堂,2025.5.20 ■「布施無経(ふせないきょう)」は仏事の布施を忘れている施主に住持が遠回しに催促する話である。 やはり布施が欲しい!でも、施主に素直に言えない・・。 執着の末の自尊心や人間関係が壊れていく住持の虚脱感が並みでない。 「雲林院(うんりんいん)」は在原業平と二条后高子の愛の逃避行を描く。 終幕、二人は后の兄藤原基経に見つかってしまう。 これらは芦屋公光の夢の中で語られる。 追い詰められた虚脱感が業平に漂う、「布施無経」の住持と理由は違うが身体状況は同じようなものだろう。 面は在原業平が「中将」、藤原基経の「邯鄲男」、二条后は「増(ぞう)」を付けたが、この状況下に合う表情が三人に現れていた。 基経にみえる潔白感が物語の泥まみれを消している。 「業平と二条后が作り物の塚の中へ戻る」から「橋掛かりへ退く基経と二条后を、業平が舞台から見送る」へ演出が変更になったらしい。 この変更が業平と高子の愛と別れを高めた。 橋掛かりで二条后は振り向き業平と目を合わせる。 ・・。 この時、一直線上に居る公光とも目が合う。 公光は業平と一体化していたのか? また、今まで忘れていた公光の存在感も意識した。 夢という劇中劇を現前化する演出が加わったとも言える。 面白い舞台だった。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演 *「能を再発見する」公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7006/

■博士の異常な愛情

■原作:スタンリー・キューブリック(1964年同名映画),演出:ショーン・フォーリー,出演:スティーヴ・クーガン,ジャイルズ・テレラ,ジョン・ホプキンス他 ■シネリーブル池袋,2025.5.9-(ロンドン・ノエル・カワード劇場,2025.3.27収録) ■キューブリック監督の映画は数十年前に観ている、・・ソビエト上空で米軍機から投下された原子爆弾に飛行士がカウボーイのようにまたがり落下していく場面しか覚えていないが・・。 米国空軍将校が異常をきたしソビエトへ核攻撃を仕掛けてしまい、大統領と高官がこの対応に四苦八苦する話です。 ブラックコメディだが当時の米ソ対立状況が伝わってきます。 舞台は、反乱軍で混乱している米空軍基地、大統領や高官が対応している国防省戦略室、ソビエトへ向かう爆撃機B52操縦室、この3場面を交互に映し出しながらスピーディーに展開していく。 映像も駆使して緊迫感があります。 核兵器が偶発的に使用されてしまう! この問題を取り扱っている作品です。 現代でもありえる。 しかも複雑化不可視化している。 新鮮な理由でしょう。 人類破滅へ向かっていくなか、似たような場面が積み重なるため舞台が重く鈍くなっていくのがわかる。 次第に飽きてきました。 コメディの粘性も強過ぎるから? それを吹き飛ばしたのが終幕で歌われる「また会いましょう(We'llMeetAgain)」です。 第二次世界大戦のヒット曲が次大戦でも歌われる。 苦い皮肉を含んでいて効いていました。 *NTLナショナルシアターライブ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/103256/

■能楽堂五月「業平餅」「右近」

*国立能楽堂五月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・業平餅■出演:野村万之丞,野村萬蔵,炭光太郎,野村万禄ほか □能・宝生流・右近■出演:今井泰行,金井賢郎,朝倉大輔,御厨誠吾ほか ■国立能楽堂,2025.5.14 ■タイトルロールの如く今回も業平尽くしが続く。 「業平餅(なりひらもち)」は参詣途中の業平一行が餅屋でひと騒動起こしてしまう話である。 一行が大人数で華やかな気分だ。 そのなかの傘持ちが道化役を引き受ける。 餅屋主人の対応から業平は歌人ではなく女好きとして世間で通っているのが分かる。 業平の裏面が見えて楽しい。 現代ならハラスメントになりそうな娘への対応も狂言ではときどき見受けられる。 「右近(うこん)」は幕開けからテンポが速い。 ワキが足早に登場したのには驚く。 大鼓の元気の良さが目立つ。 太鼓も入る。 この忙しさもシテの登場で少し落ち着いたが。 ワキである鹿島神職が業平と重ね合わさって見えたか? そうは見えない。 前シテに神へ向かおうとするベクトルが強いからだと思う。 ツレが共に二人だと華やかさが出る。 ワキ3人とツレ2人が微動だにしない中、シテが舞う場面は舞踏的な存在感が漂う。 この華麗な存在群は能が持つ特権だろう。 面はシテが「泣増(なきぞう)」(是閑作)、ツレは「小面(こおもて)」。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演. *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7005/

■源氏物語

■原作:紫式部,演出:レオニード・アニシモフ,台本:中澤由佳,出演:安部健,麻田枝里,大坂陽子,岡崎弘司ほか,劇団:TOKYO・NOVYI・ART トーキョウ・ノーヴェイ・アート ■梅若能楽学院会館,2025.5.11 ■どのような舞台かな? タイトルでは想像できない。 楽しみですね。 おや? 会館前に新しいビルが建っている! レストランも入っている。 でも会館は変わっていない。 先ずは20人くらいの役者が登場し舞台に座る。 ほぼ座ったままです。 女性陣は白化粧が厚い。 そして客席を背にしているので長い髪が目立つ。 男性たちは地謡座に陣取り演奏などを担当する。 衣装以外は略素顔です。 脇座前に進行役の桐壺宮が座り何か書いている。 いや、紫式部かもしれない。 そして「桐壺」から始まる。 帖の順番は憶えていないが「帚木」「空蝉」「夕顔」・・と続く。 帖あたり7分くらいか? 飛ばした帖も沢山ある。 「まぼろし」「くもがくれ」まで続いたでしょうか? 科白は淡々とゆっくりと喋ります。 帖ごとの女主人公は人形のように機械的に微妙に動く。 表情もそれに合わせている。 そして科白の後に歌を披露する。 この歌が効いていましたね。 驚きは光源氏が実役者として登場しなかったことでしょう。 これで女主人公の存在が際立ち、しかも容易に抽象化できた。 この劇団らしい舞踏的舞台です。 台詞は要約で解説的に聴こえる。 源氏物語の全体を掴もうとしたところは面白い。 でも粗筋の域を出ない。 源氏物語を読んでいることが条件かもしれない。 過去に読んだ内容と役者を重ね合わせて物語を膨らませる。 このような舞台でしょう。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/373622 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、レオニード・アニシモフ ・・ 検索結果は13舞台 .

■能楽堂五月「簸屑」「杜若」

*国立能楽堂五月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・簸屑■出演:井上松次郎,今枝郁雄,鹿島俊裕 □能・金剛流・杜若(日蔭之糸,増減拍子,盤渉)■出演:種田道一,野口能弘ほか ■国立能楽堂,2025.5.10 ■「在原業平・生誕1200年」の月間特集はプレトーク「業平の恋・唐衣をまとう杜若の精」(梅内美華子)で始まる。 これを聴く。  ・・先ずは業平の家系と彼の生涯を俯瞰する。 彼は漢詩文が得意ではなかったらしい。 これも和歌に傾いた理由か? 次に藤原高子との禁忌の恋が語られる。 「伊勢物語」に関わる能は平安朝の原典から離れ中世注釈書の影響が大きい。 さいごに「杜若」の粗筋を解説する・・。  「杜若(かきつばた)」は小書「日蔭之糸ひかげのいと」「増減拍子ぞうげんびょうし」「盤渉ばんしき」が入る。 業平の三河八橋の歌も紹介され親しみのあるストーリーだ。 後場、シテは業平であり高子に変身する。 物着まではシテとワキの問答、次に二段クセでシテと地謡、そして舞が続く。 均整がとれた構成になっている。 面は「孫次郎」。 頭の冠が少し重たいが。 雨上りの曇り空だがひんやりとした温度・湿度が気持ち良い。 能楽堂中庭のモミジも緑が鮮やかだ。 舞台に没入できるか? この時期にもってこいの作品である。 「簸屑(ひくず)」は茶の屑(簸屑)を臼で挽く太郎冠者に次郎冠者が悪戯をする話。 主である茶屋亭主はこの挽茶で宇治橋供養の道者(巡礼者)を接待する。 *月間特集・在原業平生誕1200年公演. *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7004/

■ラクリマ、涙

■作・演出:カロリーヌ・ギエラ・グェン,出演:ダン・アルテュス,ディナー・ベリティ,ナタ-シャ・キャッシュマン他,製作:ストラスブール国立劇場 ■静岡芸術劇場,2025.5.4-6 ■「オートクチュールの燦めき」からファッション業界の話のようです。 そして「ラクリマ」とは涙の意味です。  パリにある有名メゾンが英国王妃のウェディングドレス製作を受注する。 この案件を成し遂げるためノルマンディー地方アランソンのレース工房、インドの州都ムンバイの刺繍工房を含め3つの拠点で物語が転回(展開)していきます。 製作過程では多くの法令・規制を順守しなければいけない。 登場する組織はみな零細企業?と言ってよい。 このためか製作途中で納期厳守や人員確保などに綻びがでてくる。 厳しいですね。 製造業で働く人からみると身につまされるでしょう。 舞台は映像を多用して3拠点を上手に飛び回る。 やはり映像の力は強い。 画面を見る度合いが高くなります。 生身の役者が薄くなる。 テレビ会議など通信技術も駆使するので尚更です。 ここが要ですが経営者や従業員の家族を舞台に持ち込んでくる。 つまり製作・会社・家族で発生する多くの問題を絡ませて物語が進んでいきます。 比重は4:3:3ですか? ほぼ均等で配分が絶妙です。 しかも各問題を具体的に出してくる。 しかも味が濃い。 ちょっと濃すぎるかな? 演出家のインタビューを読むと、「北による南の支配、上司による部下の支配、男性による女性の支配、特権階級による庶民階級の支配・・」とある。 でも企業と家族を接近させ過ぎて混乱する場面があった。 仕事中にそこまで家族らが押し寄せるか!? 国家と企業、企業と企業、企業と家族、家族と個人・・。 この組織関係の上に支配関係を重ね、困惑したところもあったが、渦巻く関係を整然と巧くまとめていました。 雨も降っているGW最後の今日。 帰りの新幹線は遅くなるほど混むはず。 プレトークは聴いたが、アフタトークは聴かないで劇場を後にする。 *SHIZUOKAせかい演劇祭2025 *劇場、 https://festival-shizuoka.jp/program/lacrima/

■想像の犠牲

■作・演出:山本ジャスティン伊等,台詞引用:「サクリファイス」アンドレイ・タルコフスキー,出演:石川朝日,佐藤駿,田崎小春ほか,主催:Dr.HolidayLaboratory ■吉祥寺シアター,2025.5.3-5 ■メタ演劇とでも言うのでしょうか? 芝居を作る過程を描いている。 舞台職業とは無縁で、観るだけが趣味の私にとって作成過程は新鮮です。 演出とは?、戯曲とは?、演じるとは?・・。 質問されると戸惑います。 これらは謎です。 観客との境が曖昧な手法をとりながら幕が開く。 役者たちは劇団チェルフィッチュのような動きや話し方をする。 少しずつ引き込まれていきました。 アンドレ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」を引用しているらしい。 この映画は数十年前に観ている。 粗筋などは覚えていない。 劇場へ行く前に調べようとしたが止めました。 舞台は周囲に段差を付け中央の床に水を張りベッドが置かれている。 この水がタルコフスキーを呼び込みましたね。 彼の雰囲気が漂っていました。 でもサクリファイスとは何か? キリスト教も邪魔をしている。 それを考えている余裕は無い。 役者の演技と科白に集中しました。 でも2時間半は長い、役者は緊張を維持し続けていたが。 上演時間が長すぎて終盤は戯曲に絡め取られてしまった。 文学的な匂いがしてきた。 観ている方が疲れてしまった。 アフタートークがあったが解放されたかった。 トーク前に劇場を後にしました。 しかし面白い舞台でした。 役者も存在感があった。 帰りの吉祥寺駅へ向かいながらいろいろ考えてしまった。 タルコフスキーのこと、転形劇場のこと、床に水を張った作品があったはず。 チェルフィッチュのこと、青年団のこと、・・などなどをです。 タルコフスキーと太田省吾は水の人でしょう。 ついでに、唐十郎も水だが土が混じる、つまり泥の人かな? *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/365101