■Learning from the Future  ■「映像のパフォーマンス」オンラインディスカッション

□Learning from the Future
■振付:コレット・サドラー,出演:リア・マロイエヴィッチ
■vimeo・配信,2021.10.29-11.8(イギリス,2019)
■東京芸術祭3本目の映像作品です。 舞台は暗く中央に直方体らしきものが置いてある。 「宇宙の旅」モノリスですか? 一人のダンサーがその回りを踊り続ける。
ダンサーの表情や衣装そして頭部を動かさず胴体や手足を等速度で動かし歩く姿はアンドロイドを思い出させます。 加速度は生物的ですが等速度は無生物に近づいていく。 幾何学的振付が入ると尚更です。 
直方体のモノリスが効果を発揮していますね。 まるでモノリスが主でダンサーのアンドロイドが従のようにもみえる。 この主客逆転が交互にやってくる。 面白い舞台でした。
*東京芸術祭2021参加作品
□「映像のパフォーマンス」
■司会:長嶋確,,出演:岡田利規(演劇),竹下暁子(パフォーマンス),深沢晃司(映画)
■東京芸術祭・配信,2021.10.29-11.30
■生舞台とそれを撮影した映像は何が違うのか? これを議論しています。 
出席者の印象に残った言葉を列挙すると・・。 カメラのファインダーに見える像が全てである。 役者が自分自身を見ることができる。 目の機能はカメラと比較できないくら優秀だ。 カメラは観客だ。 ダンスは鏡をみて作成するから映像で見ても違和感が少ない。 ・・等々。
感動した芝居を映像で見たらツマラナカッタ、それは何故か? 答えは3次元舞台空間の役者達の表情や動きの全てを2次元カメラは捕えることができないから。 生舞台では空間全てに張めぐされた関係性を観客は一瞬で掴める。 ほんの些細な視線のズレなどをです。 目が脳と合体している為でしょう。 また舞台は空間、映像は時間の芸術とも言える。 <場所>という言葉が議論になったが、これは空間と解釈しました。
6月のブログ「室伏鴻」で写真家金村修は「なぜ室伏鴻のダンス映像は新鮮なのか?」を問うています。 室伏は自身の肉体を記号化・物質化できる力がある。 映像は生命と非生命を区別しない特長がある。 室伏はこれに合致するから新鮮にみえる。 このことも思い出してしまいました。
例えば上記のサドラー振付作品も同じです。 まさにアンドロイド化つまり物質化したダンサーは奇妙な存在感があります。 生の躍動を昇華したような感動です。
コロナ禍で配信が多くなったなかタイミングの良い内容でした。
*東京芸術祭2021参加作品