■さようなら、シュルツ先生

■原作:ブルーノ・シュルツ,構成・演出:松本修,出演:石井ひとみ,榎本純朗,大宮京子ほか,劇団MODE
■座高円寺,2024.10.18-27
■ガラーンとした空間、響く声、舞台と客席の間に谷があるような距離感・・。 この劇場にいつも戸惑ってしまう。
シュルツ1930年代の作品らしい。 6話のオムニバスのようです。 幕が開き照明を絞った舞台でやっと集中できるようになる。
・・小学校に通う年金暮らしの男、鳥を飼う父親、マネキン人形と父、サナトリウムでの父と息子の再会、人物画のある部屋・・。 父親とその家族が中心だが18人の役者が歩き語りポーズを取る。 話が繋がっているようだが筋は追えない。
カフカやドイツ表現主義映画を思い出します。 しかも「変身」より奇譚な物語で占められている。 ザリガニやゴムホース、父の再生など驚きの連続ですね。 性の挑発や倒錯もみえて退廃的な雰囲気が漂う。 そこにナチス影響下の東欧の暗さが被さる。
「劇的とは何か、・・」。 演出家の挨拶文です。 物語を内在する役者の身体そのもので劇的を表現する。 このようにみました。 先導する音楽と照明のなか、奇譚・性・ナチス・都市などの物語を持つ(ように観客の私からみえる)役者が静止する場面で劇的さを現前させる。 静止ポーズが多いのはこのためでしょう。
面白く観ました。 ところで劇的が希薄な場面もあったように感じる。 その理由は動の不足でしょう。 娼婦が歩く、小学生が騒ぐなど動から静への移行では静と動の残照が劇的へ繋がった。 しかしマネキン人形や人物画はこの動が省かれている。 動の無い静止は劇的さが薄まる。 動の残照には物語の過去が詰まっているからです。
MODEの舞台は10年ぶりですね。 カーテンコールで演出家が「(この舞台は)今の日本に無いもの」と言っていた。 MODE独自の劇的をより発展させてほしい。
*「ブログ検索🔍」に入れる語句は、松本修 ・・検索結果は5舞台.
*「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ブルーノ・シュルツ ・・検索結果は2舞台.