■流れる  ■光環(コロナ)

*劇団あはひレパートリー2作品(下記□)を観る。
■東京芸術劇場・シアターイースト,2022.4.3-10
□流れる
■作・演出:大塚健太郎,出演:上村聡,中村亮太,鶴田理沙ほか,劇団あはひ
■幕が開いて・・、チェルフィッチュを思い浮かべたが直ぐに離れていった。 ゆっくりした動作の中で「静かな漫才」を聞いているような感じだ。 「おくの細道」「隅田川」を骨格にしているらしい。 能楽ファンとして嬉しい。 身体的に気持ちのよい舞台だが「隅田川」の母と子を意識してしまった。 (鉄腕)アトムが登場するが気にならない。 
近ごろは小劇場でもマイクを使うことが多くなり耳障りだ。 でも当舞台はマイクの効果がでていた。 それは透き通った声の響きが「隅田川」と共振していたからだろう。 特にアトムの無感情の声に涙を誘われた。 能を観た後と同じような感慨を持った。
「井筒」には戸惑ってしまった。 むしろ外したほうが舞台に凝縮力が増す。 引用の匙加減は難しい。 当舞台をみて「光環」を観るか否かにしていたが観ることにした。
九龍ジョーと大塚健太郎のアフタトークを聞く・・。
「・・いろいろな断片から記憶が揺り動かされイメージが広がる。 ボーと思いを過ぎらさせてくれる時は良い舞台だ(九龍)」(私も同感)「・・能は引用の宝庫だ(九龍)」「・・軽さが大事だが、過程の血豆を忘れるな(九龍)」「・・デリダを意識している(大塚)」「・・日本の漫画は世界のマイノリティに支持されているのを日本は忘れている(九龍)」「大塚英志の鉄腕アトム論を参考にした(大塚)」「・・手塚治虫は戦争体験が根底にある(大塚?)」などなど・・。
□光環(コロナ)
■作・演出:大塚健太郎,出演:古瀬リナオ,安光隆太郎,渋谷采郁ほか,劇団あはひ
■ポーの名前からは予想できない舞台だった。 科白も衣装も美術も全てが詩的である。 選ばれなかった全ての可能性を問う時、この世に生きているのは奇跡である。 宇宙138億光年を射程にいれた壮大な舞台にみえる。
太陽コロナを写す照明や水の利用には驚きがあった。 人物配置も良い。 音響も合格だ。 「流れる」では音が割れていた箇所があった。 このような舞台は弛れることが多いが、そうならない。 面白い舞台だった。
岡田利規と大塚健太郎のアフタトークを聞く・・。
「「三月の5日間」を意識した(大塚)」「舞台や人物に能構造をとり入れている(大塚)」「観客の圧力が大きいのでデリダの幽霊を観客にして舞台奥に置いた(大塚)」などなど・・。
岡田は「未練の幽霊と怪物」を昨年に発表している。 でも二人の話は噛み合わない。 大塚の能楽への接近が特異なため岡田が呆れてしまったのだろう。