■野がも
■作:H.イプセン,翻訳:毛利三彌,演出:広田淳一,劇団:アマヤドリ
■花まる学習会王子小劇場,2018.9.20-10.1
■原作は読んでいないし、初めにヴェルレ家一同揃って登場するから人物相関図が配られると素早く馴染めて助かるわね。
前半はヴェルレ家とエクダル家の父子関係の際立つ差異が面白い。 前者はキリキリ感一杯で後者はユルユル感が漂っている。 途中休息をとり、後半初めで一気に盛り上がるの。 ヴェルレ家の息子グレーゲルスの言う「理想の要求(追求?)」「真実の結婚」が実践されたからよ。 これでエクダル家の息子ヤルマールと妻ギーナそして娘ヘドヴィクの幸せな家庭が粉々に破壊されてしまった。
でも盛り上がりは直ぐに下降線を辿る。 ヤルマールの「理想の追求」を目指す頑な態度と錯乱状態が続いたから。 妻ギーナの手の内を返すような態度を含め夫婦二人の演技は難易度を熟す必要がある。 グレーゲルスとヤルマールの怒鳴るような発声はもう少し抑えてもいい。 でも終幕の娘ヘドヴィクの自殺で再び盛り上がる。 面白い舞台だけど作品として気にかかる箇所が一杯。 ということでアフタートークを聞くことにしたの。
トークは翻訳の毛利三彌と演出の広田淳一の対談で盛り上がったわよ。 「原作に忠実な舞台は珍しい」(毛利)と褒める?と「時代が一周したのかもしれない」(広田)と返答。 台詞に行きつくまでの口語表現などで広田は苦労したみたい。 上演3時間以内を心掛けたので削除箇所もあるとのこと。 「グレーゲルスがヘドヴィクを妹だと気が付いたのはいつ?」の話題に移る。 これは数か所あったので見ていても(感覚的に)分かった。 でも「最初に知った場面はこの舞台では省かれている。 それは・・」(毛利)。 「!なーるほど」(広田)。 そう、これは喜劇作品という話もでる。 野鴨が今回は頻繁に飛び回っていたけど、「この野鴨は何の象徴か?」。 ヘドヴィクだけは聖なる対象として見ていたのは分かるけど・・、他の人物はどう思っていたのか掴めなかった。 そして「作品の主人公は誰か?」。 「グレーゲルスと言う人が多い」(毛利)。 ヤルマールはグレーゲルスの思想を追随しているだけだから? グレーゲルスの言っている全てを否定することはできない。 医者レリングを登場させて作者は中庸に持っていこうとしたのかしら? 「かもめ」(チェーホフ)とこの作品の関連を広田は話したけれど聞き洩らしてしまった。 台詞に「さまよえるオランダ人」があったのも謎だわ。 ・・などなど、色々思い出しながら二人の話を楽しく聞くことができた。 イプセン時代の男女関係が現代でも当てはまるのが芝居の面白いところね。 でも理想や真実を見つけるのが難しい今からみると時代差も感じる。
*劇団、http://amayadori.co.jp/archives/10805
■花まる学習会王子小劇場,2018.9.20-10.1
■原作は読んでいないし、初めにヴェルレ家一同揃って登場するから人物相関図が配られると素早く馴染めて助かるわね。
前半はヴェルレ家とエクダル家の父子関係の際立つ差異が面白い。 前者はキリキリ感一杯で後者はユルユル感が漂っている。 途中休息をとり、後半初めで一気に盛り上がるの。 ヴェルレ家の息子グレーゲルスの言う「理想の要求(追求?)」「真実の結婚」が実践されたからよ。 これでエクダル家の息子ヤルマールと妻ギーナそして娘ヘドヴィクの幸せな家庭が粉々に破壊されてしまった。
でも盛り上がりは直ぐに下降線を辿る。 ヤルマールの「理想の追求」を目指す頑な態度と錯乱状態が続いたから。 妻ギーナの手の内を返すような態度を含め夫婦二人の演技は難易度を熟す必要がある。 グレーゲルスとヤルマールの怒鳴るような発声はもう少し抑えてもいい。 でも終幕の娘ヘドヴィクの自殺で再び盛り上がる。 面白い舞台だけど作品として気にかかる箇所が一杯。 ということでアフタートークを聞くことにしたの。
トークは翻訳の毛利三彌と演出の広田淳一の対談で盛り上がったわよ。 「原作に忠実な舞台は珍しい」(毛利)と褒める?と「時代が一周したのかもしれない」(広田)と返答。 台詞に行きつくまでの口語表現などで広田は苦労したみたい。 上演3時間以内を心掛けたので削除箇所もあるとのこと。 「グレーゲルスがヘドヴィクを妹だと気が付いたのはいつ?」の話題に移る。 これは数か所あったので見ていても(感覚的に)分かった。 でも「最初に知った場面はこの舞台では省かれている。 それは・・」(毛利)。 「!なーるほど」(広田)。 そう、これは喜劇作品という話もでる。 野鴨が今回は頻繁に飛び回っていたけど、「この野鴨は何の象徴か?」。 ヘドヴィクだけは聖なる対象として見ていたのは分かるけど・・、他の人物はどう思っていたのか掴めなかった。 そして「作品の主人公は誰か?」。 「グレーゲルスと言う人が多い」(毛利)。 ヤルマールはグレーゲルスの思想を追随しているだけだから? グレーゲルスの言っている全てを否定することはできない。 医者レリングを登場させて作者は中庸に持っていこうとしたのかしら? 「かもめ」(チェーホフ)とこの作品の関連を広田は話したけれど聞き洩らしてしまった。 台詞に「さまよえるオランダ人」があったのも謎だわ。 ・・などなど、色々思い出しながら二人の話を楽しく聞くことができた。 イプセン時代の男女関係が現代でも当てはまるのが芝居の面白いところね。 でも理想や真実を見つけるのが難しい今からみると時代差も感じる。
*劇団、http://amayadori.co.jp/archives/10805