■能楽堂十月「禁野」「熊坂」
*国立能楽堂十月定例公演の二舞台□を観る.
□狂言・大蔵流・禁野■出演:山本凛太郎,山本泰太郎,山本則重
□能・金剛流・熊坂■出演:金剛龍謹,舘田善博,山本則秀ほか
■国立能楽堂,2026.10.7
■プログラムに掲載されていた「死者を思う社会に向けて」(山田慎也著)を幕が開く前に読んだ。 そこでは「・・一人称、二人称、三人称の死がある」としたうえで、「<能>の世界は三人称を含めた死の有様を考える場になっている」と論じられている。
能「熊坂(くまさか)」は、盗賊・熊坂長範(ちょうはん)の亡霊が旅僧の前に現れ、自らの成仏のため弔いを請う物語である。 長範は奥州へ向かう吉次信孝の一行を襲おうとしたが、逆に牛若丸に討たれて命を落とした。
前場では旅僧との問答を通して過去が語られ、後場では長範が亡霊となって現れ、最期の戦いの様子を再現する。 牛若丸に挑みながらも敗れていく姿には、盗賊でありながらどこか人間的な哀れさが感じられた。
後場で用いられた「長霊癋見(ちょうれいべしみ)」(河内作)の面も印象深い。 大きく見開かれた目や険しい表情は鬼気迫る迫力を生み出していたが、同時にそこには怨念に囚われて成仏できない魂の悲哀も表れていたように思う。 シテ役・金剛龍謹の力強い舞によって、戦いに臨む長範の執念と無念が鮮やかに浮かび上がった。
現代では身近な人の死、すなわち二人称の死に接する機会さえ少なくなりつつある。 ましてや見知らぬ他者の死である三人称の死を思う機会はなおさら少ない。 人はなぜ芝居や能を観るのだろうか。 その理由の一つは、物語を通じて死者を弔い、その人生や無念に思いを寄せることで心の安らぎを得るためではないかと思う。
旅僧の祈りを通して熊坂長範を弔う観客もまた、三人称の死に向き合うことになる。 山田慎也が述べるように、<能>は死者との距離を超えて死を考える場であり続けている。