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■オルフェオとエウリディーチェ

■作曲:C・W・グルック,演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,舞踊:ヤン・ブリダール,マリ=アニェス・ジロ他,歌唱:マリア・リッカルダ・ヴェッセリング,ユリア・クライター他,舞団:パリ・オペラ座バレエ団,合唱:バルタザール・ノイマン合唱団 ■アマゾン・配信(パリ・オペラ座・ガルニエ宮,2008.2収録) ■ヴッパタール舞踊団が11月に来日するが都合がつかず観に行くことができない。 代わりに、と言っては語弊があるかもしれないが「オルフェオとエウリディーチェ」を観ることにした。 この作品はダンスに歌唱が加わった「ダンスオペラ」に分類される。 歌手も舞台に登場しダンサーに寄り添うように歌う。 12月の新国立劇場オペラ公演でも勅使川原三郎の振付でダンサーが登場する。 ダンスと相性が良いオペラ作品だ。 今日は映像で鑑賞したが歌唱の字幕表示が無かったのは残念。 粗筋は知っているものの、理解の深まりや感情移入が半減してしまう。 それ以上に驚いたのは、舞台の雰囲気がピナ・バウシュのイメージとは大きく異なっていたことだ。 振付家の名前が伏せられていたら彼女の作品だとは気が付かなかったと思う。 18世紀の作品を題材にしたことで、ピナ自身が現代作品と区別したのかもしれない。 1幕からギリシャ風の神聖な振付が続く。 象徴的な生と死、平和や暴力が描かれていく。 2幕ではワンピース衣装で踊る妖精たちの姿に、おもわずマーサ・グレアムを思い出してしまった。 これはマーサの舞台に近い? マーサは人間の不安や葛藤を抽象的で硬質な動きで表現する。 一方、ピナの振付には滑らかさがある。 マーサが<剛>ならピナは<柔>。 その違いがみえる。 そして終幕、オルフェオとエウリディーチェは結局生き返らなかったのだろうか? 結末が曖昧で戸惑いが残る。 それにしてもピナの新たな一面を垣間見たような舞台だった。 マーサ・グレアムとの比較ができたことも楽しい。 カーテンコールでピナが登場したことにも感激。 しかし、彼女はこの翌年に亡くなってしまった。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ピナ・バウシュ ・・ 検索結果は3映像(含む関連舞台).

(キャンセル)■少女仮面

■作:唐十郎,演出:丸山厚人,音楽:小室等,出演:原田麻由,時津真人,那須野恵ほか ■雑遊,2025.10.27-11.3 ■予約をしていたが体調不良でキャンセルをする。 丸山厚人演出は初めてなので観ておきたかった。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、丸山厚人 ・・ 検索結果は2舞台 .

■キャストシャドウ

■演出:ラファエル・ポワテル,照明・美術:トリスタン・ボドワン,作曲:アルチュール・ビゾン,出演:ティア・バラシー,モハメド・ラリブ,ニコラ・ルーデル他,舞団:カンパニー・ルーブリエ ■世田谷パブリックシアター,2025.10.24-26 ■客席を見回すといつもの観劇時と違う客層が目についた。 老若男女は混ざり合っているものの、平均年齢は50歳を越えているように見受けられ、予想以上に高い。 服装も多種多様で統一感が無いのが印象的だ。 舞台は、暗さをはらんだ刺激的な照明と夥しいスモークで満たされた無彩色の空間で始まる。 天井から降りてきた網を使ってブランコを始める幕開きには緊張した。 科白が入り、どうやら家族問題を扱っているらしいことが分かってくる。 なかでも父と娘の関係が悪く「(父が)大嫌いだ!」と娘は言い放つ。 その理由は舞台では語られない。 家族会議、電話の受け答え、カウンセリング、立ち話など、些細な日常生活が展開していく。 しかし科白は断片的でストーリーの全体像は掴みにくい。 途中にダンスのような場面が挿入され、人物が走り回り、転げ回る動きが繰り返される。 場面展開は照明とスモークのみで行われる。 この二つの使い方は巧妙で、人物が突然現れたり消えたりする演出が可能になる。 特に、影を利用した動きは深みがあり面白かった。 しかし、こうした視覚的な演出が続くだけでは次第に飽きがくる。 終幕で父が発する「許してくれ、娘!」という科白も突発で、なぜ今その赦しを求めるのかその理由が語られないままだ。 昔ながらの照明の使い方とスモークを背景にした単純なダンス、断片的な会話、そして空中ブランコ・・。 古臭さは気にならないのだが、それ以上に舞台全体に「物足りなさ」を感じてしまった。 日常的な家族問題というテーマを扱ったことが、劇的な舞台表現として弱かったのかもしれない。 舞台上の「キャストシャドウ」は見応えがあったが、物語としての「キャストシャドウ」は不発に終わったという印象だ。 ところで、最初に受けた客層の違和感は、この舞団が持つ保守性(サーカス・家族・無彩色などからくるノスタルジー)と、どこか繋がっていたのかもしれない。 *世田谷アートタウン2025関連企画作品 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25028/ *...

■ジェローム・ロビンスに捧ぐ

*以下□の4作品を観る. □アン・ソル■音楽:ラヴェル,振付:ジェローム・ロビンス(1975年作),出演:マリ=アニェル・ジロ他 □トリアード■音楽:ニコ・マーリー,振付:パンジャマン・ミルピエ,出演:マリ=アニェス・ジロ他 □イン・ザ・ナイト■音楽:ショパン,振付:ジェローム・ロビンス(1970年作),出演:アニエス・ルテステュ他 □コンサート■音楽:ショパン,振付:ジェローム・ロビンス(1956年作),出演:ドロテ・ジルベール他,(4作共)舞団:パリ・オペラ座バレエ団&管弦楽団,指揮:コーエン・ケッセルス,映像監督:ヴィンセント・バタリオン ■アマゾン配信,(パリ・オペラ座ガルニエ宮,2008.9収録) ■4作の中で「トリアード」はミルピエ振付による作品。 彼はロビンスの弟子だったらしい。 師弟との繋がり方はよく知らないので、ミルピエをここに登場させた理由も分からない。 「コンサート」は見始めてすぐに既視感があった。 調べてみると「  NHKバレエの饗宴2025」でスターダンサーズ・バレエ団の舞台を観ていたことが判明。 ユーモアに富んだ楽しい作品で客席からの笑いが絶えない。 心に残ったのは「イン・ザ・ナイト」。 3組のペアがそれぞれ異なる雰囲気を持ち個性を発揮していた。 星空のみ、あるいはシャンデリアだけという背景のシンプルさが、舞台に落ち着きと詩情を与えていた。 「アン・ソル」はまるでフロリダの陽気さを讃えるような雰囲気だ。 しかしデュオの二人がその世界観に溶け込めておらず、ちぐはぐな印象を受けた。 白い衣装も舞台の色調と合っていなかった。 全体を通して、 時代が遡るほど作品に深みと豊かさが感じられた。 音楽の選曲もそれを後押ししていたように思う。 *さいたま芸術劇場・資料、 ジェローム・ロビンスに捧ぐ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ジェローム・ロビンス ・・ 検索結果は5舞台 .

(キャンセル)■能楽堂十月「伯母ヶ酒」「梅枝」

*国立能楽堂十月企画公演は下記□の2舞台. □狂言・大蔵流・伯母ヶ酒■出演:善竹隆平,善竹隆司 □能・宝生流・梅枝■出演:佐野由於,野口能弘,茂山千三郎ほか ■国立能楽堂,2025.10.25 ■体調不良のためキャンセルする。 今日は「蝋燭の灯りによる」演出なので観に行きたかった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7029/

(キャンセル)■火の鳥、海の神篇

■演出:小池博史,出演:リー・スイキョン,シルビア・H・レヴァンドスカ,今井尋也,櫻井麻樹ほか,演奏:ヴァツワフ・ジンベル,サントシュ・ロガンドラン,下町兄弟ほか ■なかのZERO・大ホール,2025.10.11-14 ■昨日「山の神篇」を観たのだが、同じような内容がそのまま続くと予想できたので「海の神篇」はキャンセルする。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/391914

■火の鳥、山の神篇

■演出:小池博史,出演:リー・スイキョン,シルビア・H・レヴァンドスカ,今井尋也,櫻井麻樹ほか,演奏:ヴァツワフ・ジンベル,サントシュ・ロガンドラン,下町兄弟ほか ■なかのZERO・大ホール,2025.10.11-14 ■過去作品をかき集めて再構築したような舞台だ。 そこに、混迷する政治世界が物語の中心に据えられている。 二大政党・戒厳令・恐怖政治・アナーキスト・スパイや工作員・危険分子・細菌兵器・人工地震・・。 派手な政治用語が科白に散りばめられ、「これが現代世界だ」と言わんばかりだ。  「ぼくらは安寧のなかに居たい、・・だが世界は大きな渦のなかで出口を探っている」。 演出家の危機感が伝わってくる。 しかしストーリーは大味で、もはや漫画のように見えてしまった。 大劇場も作品にそぐわなかった。 がらんとした広い空間では声が響き逃げていく。 美術や映像は分離してしまい、役者の身体性も希薄になってしまった。 映像・美術・音楽・ダンス・演劇を統合した作品にはむしろ狭い空間の方が似合う。 いつもと違う、凝縮力の弱い今日の舞台はしっくりこなかった。 このため帰りにプログラムを購入する。 「・・ドン・キホーテのように突進することで社会の閉塞感を打破する」。 総合芸術を目指したセルゲイ・ディアギレフの依頼で、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した「火の鳥」を携え、演出家みずからがトリックスターとなり世界を駆け巡り、舞台をカーニヴァルで満たす。 「火の鳥は祈りだ!」 「挑もうとする意識こそが、祈りにも通じる・・」。 芸術至上主義を超えた演出家の弛まぬ挑戦には感服するしかない。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/391914 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、小池博史 ・・ 検索結果は14舞台 .

■Mary Said What She Said

■演出:ロバート・ウィルソン,出演:イザベル・ユペール,作:ダリル・ピンクニー,音楽:ルドヴィコ・エイナウディ ■東京芸術劇場・プレイハウス,2025.10.10-12 ■ロバート・ウィルソンとイザベル・ユペールのタッグは見逃せない。 池袋へ向かうと、折しも「東京よさこい祭り」の開催中で劇場周辺は大混雑だった。 先日観劇した「 ヨナ 」と共通点がある。 どちらも有名俳優による一人芝居で、内容は宗教的歴史的で難解だ。 ただ、演出家による俳優の扱い方に違いがある。 「ヨナ」では役者が<地>を出していた。 彼は佐々木蔵之介であり、同時にヨナでもあった。 しかし今日の舞台は違う。 イザベル・ユペールはまるで人形のように演じ、フランス語をロボットのような早口で冷徹に喋りまくる。 そこに彼女自身の存在は希薄で、あくまでメアリー・スチュアートの<器>として存在している。 「ヨナ」が<溶け合わせ>なら、今日の舞台は<重ね合わせ>と言ってもよい。 そして抽象的な美術を背景に照明と音楽の精緻な動きが物語に緩急と情感を与えていく。 ここにロバート・ウィルソンならではの劇的な美が立ち現れる。 久しぶりに、舞台からの驚きを存分に味わった。 帰宅後、メアリースチュアートについて改めて調べる。 当ブログの過去記事「 メアリー・スチュアート 」(森新太郎演出)、「ふたりの女王,メアリーとエリザベス」(ジョージー・ルーク監督)を読み返すとエリザベス女王との確執の激しさがみえる。 今日の舞台でもその緊張が感じ取れた。 ロバート・ウィルソンの急逝も残念だった。 来日は叶わなかったが、彼の舞台を観ることができたことを嬉しく思う。 *舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」作品 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater378/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ロバート・ウィルソン ・・ 検索結果は5舞台 .

■ヨナ

■原作:マリン・ソレスク,演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:佐々木蔵之介ほか ■東京芸術劇場・シアターウエスト,2025.10.1-13 ■劇場に入り観客を見渡すと、なんと!8割が女性。 しかも中年層が多いようにみえる。 贔屓筋かな? それにしても小難しい舞台だった。 タイトルからしてその気配が漂っている。 「ヨナは旧約聖書の聖人で、神に背き、その罰で鯨に呑まれ、三日間腹の中にいた漁師であり・・」、という背景がある。 舞台は鯨の腹の中。 狭くて暗い空間だが、音響・照明・美術を駆使して内奥を広げている。 ヨナの幻想(?)も現れる。 「人生の最期は眠らなければいけないのか?」「母さん!俺を産み続けてくれ」「(ここは)分断された場所なんだ!」「繋がらないのを繋げようとするのはもう止めよう!」「神が通りがかってくれたらいいのに」「復活のない神のようなもの」「復活した神をみたい」。 モノローグの断片には宗教を媒介にした自己への問いや迷いが色濃く滲んでいる。 「闇に触れた者だけが、光を探すことができる」「ヨナは私だ、ヨナはあなただ」。 言葉の一つ一つは耳に届くが、これが有機的な形となって身体に染み渡る感覚には至らない。 ひとり芝居のゆえに、原作者と演出家の生き様が前面に押し出されているせいかもしれない。 二人の故郷ルーマニアは池袋から遠い。 20世紀史も複雑だったはずだ。 東方正教会はどのような宗教なのか? 地理的・歴史的な距離も作品の理解を難しくしている要因だろう。 佐々木蔵之介は預言者然りとはしていなかった。 それでも、現代的ヨナ像を見事に演じていた。 鯨の暗い腹の中に、確かに灯をともしていた。 終幕では、暗い海から一転して、家具やベッドが赤い夕日に照らされる部屋が現れる。 その瞬間、演出家プルカレーテの狂気が垣間見えたのは嬉しい驚きだった。 前半から、このような部屋を幾つも造り、それを順次展開しても面白かったかもしれない。 私なりの解釈を加えながら舞台を反復する作品として受け止めた。 ところで「秋の隕石」プログラムの入手が遅れたため、庭劇団ペニノ「誠實浴池( せいじつよくじょう)」を見逃してしまったのは残念。 *舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」作品 *東京芸術劇場xルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場国際共同制作 *劇場、 https://www.geigek...

■弱法師

■作:三島由紀夫,演出:石神夏希,出演:山本実幸,八木光太郎,大道無門優也ほか ■静岡芸術劇場,2025.10.4-19 ■役者を一部替えて、同じ科白で二度演じる構造が面白い。 俊徳役の山本実幸は圧倒的な演技を見せてくれた。 発声や身体の動きに無駄が無い。 作品の本質を舞台上に呼び寄せていた。 三脚の使い方も巧みだった。 スズキ・メソッドを彼女は取り入れているらしい。 SCOT以外でも採用する役者を時折みかけるが、今日はそのメソッドが自然に馴染んでいた。 これは、演出家と役者の高度なコンビネーションがあってこそ成立する方法論なのだろう。 この作品は能の形式で観ている。 役者がどこからともなく現れ、彼岸の世界を演じ、出会った父子は何事も無かったかのように寄り添って退場する。 今日はその流れが生きていた。 「ささやかな願い事はなに?」「腹が減った・・」。 救済には限りが無い。 此岸の平穏を求めるしかない。 帰りの車内で「俊徳の魂は救われたのか。反復を通じて答える」(大澤真幸)を読む。 「三島の原作の中に反復は潜在的に予定されていて、石神の演出はそれを引き出した・・」。 「ただし反復において一か所だけ大きな変更が加えられていることに気づくだろう」。 ・・? 原作は読んでいないし、今日の舞台でもその変更には気づかなかった。 二度演じる理由は何か? 実はこの問いも未決のままだ。 変更箇所を知りたい。 やはり、三島由紀夫は厄介な人だ! *SPAC秋のシーズン2025-作品 *三島由紀夫生誕100年記念公演 *劇場、 https://spac.or.jp/25_autumn/yoroboshi_2025 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、石神夏希 ・・ 検索結果は2舞台 .

■能楽堂十月「空腕」「咸陽宮」

*国立能楽堂十月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・空腕■出演:山本泰太郎,山本則孝 □能・喜多流・咸陽宮■出演:塩津哲生,福王和幸,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.10.1 ■「空腕(からうで)」は腕力を自慢する太郎冠者が実は臆病だったという話である。 今なら腕力より情報? いや、今も腕力かな。 「咸陽宮(かんようきゅう)」を観るのは初めてだ。 秦の始皇帝と彼を狙う二人の刺客が登場する。 謡の大部分が解説のような舞台だ。 中国を題材とする作品はこの手が多い。 しかも舞が無い。 作品の面白さは3人のダイナミックな動きだろう。 刺客二人が登場した場面から緊迫感が伝わってくる。 さすが刺客だ。 終幕、帝も剣を抜いて闘う。 滅り張りが効いていて能が持つ緊張を維持していた。 いつもと違う面白さがあった。 面は花陽夫人が「万媚(まんび)」待女は「小面」。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7026/

■トリプティック TRIPTYCH

*下記の□3作品を観る. □ミッシング・ドア (25分) □ロスト・ルーム (35分) □ヒドゥン・フロア (25分) ■演出:ガブリエル・カリーソ,フランク・シャルティエ,出演:コナン・ダヨ,フォンス・ドシュ,パノス・マラクトス他,舞団:ピーピング・トム ■世田谷パブリックシアター,2025.9.27-30 ■二方が壁の三角舞台は不安を呼ぶ。 ドア、ルーム、フロアのタイトルから3作品は客船内を描いていることが分かる。 そこへ不気味な音楽が聴こえてくる。  「ミッシング・ドア」はキャビン通路でダンスが展開する。 その壁はくすんだ緑色でドアが幾つも付いている。 意味深な船客や船員らしきダンサーが激しく踊りあう。 人形が憑依したような動きだ。 ストーリーは有るようで無い。 「ロスト・ルーム」へ入る前に舞台を作り替える。 これを観客に見せてくれる。 場面は通路からキャビン(客室)に移る。 家具も備わり色は茶系に変わる。 衝撃的な踊りが続く。 男女間の絡み合いが凄まじい。 しかし1作目の延長にみえる。 物語が微かに展開したようだが大きな変化は無い。 少し飽きる。 ここで休息が入る。 この間も舞台装置の転換作業が続く。 これが楽しい。 前列観客にビニールシートが配られる。 「ヒドゥン・フロア」は船内のレストランらしい。 窓の景色は大時化で雷も轟く。 床は水浸しだ。 そこに略全裸のダンサーたちが水飛沫を飛ばして踊り狂う。 火災も発生する。 狂乱の舞台だ。 3作を通して状況は想像できるがストーリは組み立てられない。 身体の柔軟性やリフティング技能に驚きはある。 小道具のトリックも楽しい。 しかしダンスとしての面白みがない。 肉体の表層を滑る過激なパフォーマンスにみえる。 芸術性がぶっ飛んでしまった舞台だ。 衝撃はあったが感動が少ない理由かもしれない。 それでも「脅威の身体能力と奇想天外なイメージが紡ぐ心地良い悪夢、最高にスキャンダラスなダンスエンターテインメント」を体感したことには納得。 そう、「心地良い悪夢」を見てしまったのだ。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25024/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ピーピング・トム ・・ 検索結果は4舞台 .

(キャンセル)■円環の庭、くり返される歩行

■演出:石井則仁,出演:カナキティ,菜月(舞踏石井組),君嶋勝弥(舞踏石井組),加藤信子ほか ■劇的スペース・オメガ東京,2025.9.27-28 ■当日のスケジュール調整ができずキャンセルにする。 久しぶりの舞踏を観劇できなかったのは残念。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/397449

■バレエ・トゥ・ブロードウェイ

*下記□4作品を観る. 振付は全てクリストファー・ウィールドン. □フールズ・パラダイス■音楽:ジョビー・タルボット,出演:高田茜,ウィリアム・ブレイスウェル,マリアネラ・ヌニュス他 □トゥー・オブ・アス(ふたり)■音楽:ジョニ・ミッチェル,出演:ローレン・カスバートソン,カルヴィン・リチャードソン □アス(僕たち)■音楽:キートン・ヘンソン,出演:マシュー・ボール,ジョセフ・シセンズ □パリのアメリカ人■音楽:ジョージ・ガーシュウィン,出演:フランチェスカ・ヘイワード,セザール・コラレス他 ■TOHOシネマズ日本橋,2025.9.19-25(ロイヤル・オペラ・ハウス,2025.5.22収録) ■クリストファー・ウィールドン振付特集だ。 気に入った彼の作品は多い。 でも記憶に残るほどではない。 彼は<核>を作るのが苦手なようだ。 例えば「フールズ・バラダイス」「トゥー・オブ・アス」「パリのアメリカ人」はここぞ!という場面がない。 4作のなかでは「アス」が面白かった。 緊張感があった。 今日はこれが一番かな。 同じデュオの「トゥー・オブ・アス」は歌唱も入り楽しい舞台でもあったが盛り上がりに欠けた。 二人の感情が表層を滑るだけだ。 歌詞がダンサーに重荷だったのかもしれない。 松竹ブロードウェイ(映像)で観た「パリのアメリカ人」は素晴らしい舞台だったことを覚えている。 でも今日は期待外れだ。 似て非なる作品になっていた。 美術・衣装はモンドリアン風でヒールを履いたダンサーも登場し賑やかだ。 しかし舞台のダンサーたちに有機的な統一感はみえない。 「気に入った舞台もあるが記憶に残るほどでもない」というウィールドン印象から今日も抜け出せなかった。 話を変えるが、解説場面で1舞台で用意するシューズ数が話題になっていた。 元ダンサーは「ロメオとジュリエット」が2足、「白鳥の湖」は4足とのこと。 つまり白鳥のほうがロメオに比べてシューズへの負担が2倍かかるということらしい。 素人からみても2倍は妥当にみえた。 *英国ロイヤル・バレエ&オペラinシネマ2024作品 *主催、 https://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=ballet_to_broadway2024 *「ブログ検索🔍」に入れる語句...

■アリババ ■愛の乞食

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:安田章大,壮一帆,伊東蒼ほか ■世田谷パブリックシアター,2025.8.31-9.21 ■唐十郎二本立てを観るため三軒茶屋へ行く。 と、劇場に入って驚いてしまった。 20歳代の女性客が8割近くを占めている。 思わずチケットを確認してしまった。 そこから先日観た「 少女仮面 」の客の多くが高齢者だったことを思い出す。 食う・愛する・産む・排泄する・・。 人間の生きる土台があからさまに舞台にのせられる。 そういう時代があったのだと思い起こさせる。 排泄の成果物まで客席へ投げつけてくる。 戦中戦後世界を詰め込んだ2作品だ。 戦後貧困のなかで女性が子供を産む苦悩、混乱の満州で中国人朝鮮人そして日本人たちの生存への剥き出しな欲望、これらを唐十郎的ロマンで包みシュールに仕立て上げて舞台に現前させていく。 ストーリーが激しく飛ぶので流れに身を任せるしかない。 しかも関西弁だ。 そして唐十郎のテンポは速い。 リズムが合い、初期作品のエキスに出会えた感触を持てた。 演出家の力も大きい。 珍しい作品を舞台にのせてくれた関係者に感謝したい。 ところで今日の客は舞台上からの応答がとても上手かった。 贔屓筋かな? 不思議な客層だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/26364/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、金守珍 ・・ 検索結果は14舞台 .