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■能楽堂十一月「起請文」「玉ノ段」「隠狸」「石橋」

*国立能楽堂十一月企画公演□の4舞台を観る. □独吟・観世流・起請文■出演:観世銕之丞 □仕舞・観世流・玉ノ段■出演:梅若紀章ほか □狂言・和泉流・隠狸■出演:三宅右近,三宅近成 □能・金剛流・石橋(和合連獅子)■出演:金剛永謹,金剛龍謹,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2025.11.29 ■「起請文(きしょうもん)」は能「正尊(しょうそん)」からの抜粋である。 独吟はややスローテンポになりがちだが、義経と弁慶の前で起請文を読み上げる頼朝の刺客・正尊の姿を思い描くことで緊張感が高まる。 さすが三読物の一つであり、重厚な余韻が残った。 「玉ノ段(たまのだん)」は能「海士(あま)」の一場面を描いている。 龍宮で宝珠を奪還するため死を覚悟した海女は、故郷を思い、観音菩薩に祈りを捧げ、珠を奪い、自らの命を絶ちつつ、乳の下をかき切って珠を埋め込み、地上へと戻る。 圧倒する展開に身を委ねるほかない。 「隠狸(かくしだぬき)」は狸を釣りそれを売買する筋立てだが、それ以上にシテとアドが酒盛りをしながら舞う場面が愉快で印象的だ。 縫いぐるみの狸には思わず笑いがこぼれる。 「石橋(しゃっきょう)」の前場では石橋とその周囲の厳しい風景が語られる。 法師や仙人でさえ渡るのをためらう描写に、観客も思わず納得してしまう。 後場の「獅子」はこの過酷な風景、文殊菩薩の浄土からやって来たからこそ輝くのだろう。 面は前シテが「小尉(こじょう)」、後シテが「獅子口」、ツレは「小獅子」。 前シテと仙人は、どこか漫画に登場するような顔(面)にみえてしまい親しみを感じた。 1879月8月18日、岩倉具視邸で天覧能が開催された際の演目を再構成したのが今回の公演内容であるという。 歴史的背景を踏まえた舞台は充実しており心から満足できた。 *明治時代と能・岩倉具視生誕200年公演 *2025年第80回文化庁芸術祭主催公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7034/

■鼻血

■作・演出:アヤ・オガワ,出演:アシル・リー,カイリー・Y・ターナー,塚田さおり他 ■新国立劇場・小劇場,2025.11.20-24 ■「鼻血」というタイトルは一見ぱっとしないが、劇場に入ると松田聖子などアイドル歌謡曲が大音量で流れ活気に満ちていた。 観客には常連と思われる高齢者も多く見受けられたが、若い世代を呼び込みたいという意図は役者たちの表情からも感じられる。 この舞台は演出家アヤ・オガワ自身を主人公に据え、家族との関わりを題材にしている。 アメリカの日常が舞台上に描かれ、父とのぎくしゃくしていた関係が語られていく。 特に父の葬儀の詳細を話題することは興味深い。 登場人物は複数の役者によって交互に演じられ、演技は新鮮で巧く練り上げられている。 その工夫が舞台にリアルさをもたらしているのだろう。 さらに観客との友好的な遣り取りを重視している点も特徴である。 アヤは父との関係を悔いているが、私自身も少しは経験を持つので次第に共鳴していった。 火葬場での「骨上げ」の場まで取り上げられ、観客から八人が選ばれて実際に参加する演出には驚かされた。 看取りや葬儀を経験してきた者にとっては、亡き両親や親族の顔が自然と思い浮かぶ流れだ。 親が健全な若い観客と、高齢の観客とは受け止め方が大きく異なる芝居かもしれない。 過去に戻り、そこから未来(現在)を見つめ直すような複雑な感慨が押し寄せてくる舞台だった。 *NNTTドラマ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-nosebleed/

■ニューヨーク・シティ・バレエinマドリード

*下記□の3作品を上映. □セレナーデ■音楽:P・チャイコフスキー,振付:ジョージ・バランシン □スクエア・ダンス■音楽:A・コレッリ,A・ヴィヴァルディ,振付:ジョージ・バランシン □ザ・タイムズ・アー・レーシング■音楽:D・ディコン,振付:ジャスティン・ペック (3作共に出演:ニューヨーク・シティ・バレエ団,指揮:クロチルド・オトラント,アンドリュース・シル,演奏:レアル劇場管弦楽団) ■NHK,2025.10.20-(マドリード・レアル劇場,2023.3.23-25収録) ■「セレナーデ」はチャイコフスキーらしい旋律に沿った作品である。 彼のバレエ作品には寂しさが漂う。 ここが好きな理由なのだが、当作品は違い、温かみを感じさせる。 象徴的な場面もあり神秘的な雰囲気が印象的だった。 3作の中では最も心に残り、バランシンのロシア時代を思い起こさせる。 「スクエア・ダンス」は時代が遡る。 バランシンのニューヨーク時代の作品にちがいない。 彼の得意とする「プロットレス・バレエ」の典型と言えるだろう。 「ザ・タイムズ・アー・レーシング」は現代的な感覚に満ちている。 「ウエスト・サイド・ストーリー」を軽快にアレンジしたような印象を受け、振付家ジャスティン・ペックらしい斬新さが際立っていた。 ニューヨーク・シティ・バレエ団を観るのは数十年ぶりだ。 団は2023年秋に創立75周年を迎えたと知り、今回は創立者の一人である振付師ジョージ・バランシンを讃える意味合いも込められているのかもしれない。 *記事、 バレーニュースダイジェスト2023.10.13

(キャンセル)■レミング

■作:寺山修司, 演出:J・A・シーザー,出演: 髙田恵篤,伊野尾理枝,小林桂太ほか,劇団:演劇実験室◉万有引力 ■スズナリ,2025.11.14-23 ■都合により行けなくなってしまった。 チケットはゴミ袋へ。 この作品は過去に何度も観ているので今回は諦めよう。 *演劇実験室万有引力第79回本公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/408076 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、J・A・シーザー ・・ 検索結果は13舞台 .

■シッダールタ

■原作:ヘルマン・ヘッセ,作:長田育恵,演出:白井晃,音楽:三宅純,出演:草彅剛,杉野遥亮,瀧内公美ほか ■世田谷パブリックシアター,2025.11.15-12.27 ■白井晃と草彅剛の名前に惹かれてチケットを購入した。 過去に二人が関わった舞台が面白かったからだ。 劇場に入ると、客席の8割が20代から40代の女性で占められている。 贔屓筋だろうか? 幕が開いて、舞台装置に目をやると、フライパンを半分に切ったような構造が目を引く。 周囲の急な坂(壁)を演者が滑り落ち、中央の平らな舞台で演技をする。 その坂には映像も投影され、視覚的な効果が印象的だ。 ・・物語は古代インド、一人の青年が放浪の旅をする話である。 「自我の解放」「輪廻転生からの解脱」「涅槃への到達」、テーマは多義にわたる。 終幕では河の畔に辿り着き、そこで無我らしき境地に至る・・。 仏教的な内容だが、科白はこなれていて分かり易く、リズムもあり、役者の声がすんなりと耳に入ってきた。 まとまっていたが、展開が速く早回しで観ている感じも否めない。 ヘッセについては詳しく知らなかったので、帰りにプログラムを購入する。 解説によれば、この作品はヘッセ自身の精神的彷徨の集大成だという。 舞台装置を演出家は「思考の穴ぼこ」と呼び「その穴に他者や社会が流れ込み、この世界にどう生きるかを問う」と語っている。 演出家自身もこの構造が気に入っているようだ。 また主人公がゴータマ・ブッダの教団に入らなかった理由について作者・長田育恵が書いている。 自我が肥大化するのを恐れたらしい。 現代社会でも教団が敬遠されがちなことと重なるのかもしれない。 今日の舞台を観て、自身の人生を見つめ直すきっかけにするのもよいだろう。 ただ、内容としては当たり障りのない印象も残った。 <教養小説>ならぬ<教養演劇>と呼ぶのに相応しい舞台だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25224/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、白井晃 ・・ 検索結果は21舞台 .

■ヴォツェック

■作曲:アルバン・ベルク,指揮:大野和士,演出:リチャード・ジョーンズ,出演:トーマス・ヨハネス・マイヤー,ジョン・ダザック,伊藤達人ほか,管弦楽:東京都交響楽団,合唱:新国立劇場合唱団,TOKYOFM少年合唱団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.11.15-24 ■この作品は観るたびに気が滅入る。 しかし今回は新制作ということで、あえてチケットを購入した。 幕が替わるごとに張りぼての家々が広い舞台を動き回る。 ベニヤ板で作られている為か、軽く乾いた質感を放っている。 カーキ色の軍服も、軍隊のダンスも、これに呼応し舞台全体を乾燥させているようだ。 湿気を帯びた重苦しいドイツ表現主義から脱皮し、演出家の力でドイツからイギリスへ舞台が移動したかのように感じられた。 そのためかテノールの鼓手長と大尉はこの乾いた空間に響き合い、声が鮮明に耳へ届く。 一方で湿り気を帯びたタイトルロールはバリトンであるためか、やや控えめに感じられた。 ヴォツェックの口癖である<貧乏>という湿った言葉も空間で乾いていくようだ。 それでも、また気が滅入ってしまったが、上演時間90分と短いことが救いとなっている。 演出家の<乾>とタイトルロールの<湿>の組合せこそ、新制作の鍵であると感じた。 相反する二つの相乗効果は何とも言えないが・・。 それよりも、何より演奏が素晴らしい。 大野和士指揮のもとでの略無調オペラの醍醐味を存分に味わうことができた。 *NNTTオペラ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_030662.html

■チェーホフを待ちながら

■原作:アントン・チェーホフ,脚本・演出:土田英生,出演:山内圭哉,千葉雅子,金替康博ほか ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2025.11.12-16 ■チラシには「チェーホフの初期一幕劇、「熊」「煙草の害について」「結婚申込」「余儀なく悲劇役者」を大胆に潤色し、オムニバス形式で上演・・」とある。 これら4作は未見のため興味をもってチケットを購入した。 一幕劇の合間に挿入される寸劇がユニークだ。 旅人らしき人々がアントンを待っているところへ、ゴドーと名乗る男が現れる。 そして旅人たちは夫々の一幕劇を演じ始める・・。 4作品はいずれも喜劇で笑いが途切れることはない。 背景は現代に置き換えているが、しかし笑いの源泉はどこか時代遅れに感じられる。 おそらく19世紀末の日常を描き直しているからだろう。 そのため作家名を伏せればチェーホフ作品とは気づかない。 舞台は肩の力を抜いて楽しめるが、同時にどの作品も時代の狭間を漂っているようにみえた。 終幕、一幕劇を演じた旅人らはゴドーと共に、アントンを探しに道の先へと進んでいく・・。 ゴドーとアントン、宙吊り感覚が好きな二つの名前は、寸劇のように重なっていくのかもしれない。 *まつもと市民芸術館プロデュース作品 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/chekhov *「ブログ検索」に入れる語句は、土田英生  ・・ 検索結果は6舞台 。

■存在証明

■作:長田育恵,演出:眞鍋卓嗣,出演:志村史人,野々山貴之,保亜美,清水直子ほか,劇団:俳優座 ■シアタートラム,2025.11.8-15 ■公演チラシによれば数学の未解決問題であるリーマン予想を題材にしているらしい。 劇団パラドックス定数が好みそうなテーマであり、俳優座としては珍しい演目だ。 今回は題材と演出家に惹かれてチケットを購入した。 リーマン予想を予習をして劇場に向かったものの、素数分布を決定する公式は素人の私には難解で理解しきれない。 なぜリーマンはゼータ関数を素数の解決に選んだのか? そこに複素数の導入を思い立ったのか? 解析接続で座標を広げたのか? 彼の発想経緯に感心してしまう。 場内を見渡すと、俳優座ファンと思われる年配の男性が目立ち、くたびれたジャケット姿が独特な雰囲気を作り上げていた。 舞台は三方を壁で囲み、何もない空間から始まる。 必要に応じて壁が開き本棚や机などが現れては消え、場面転換が巧みに行われる。 役者も同様にリズミカルに入退場する。 途中休息を挟み約三時間と長丁場だったが、謎を追うストーリーに巻き込まれ、最期まで集中して観ることができた。 舞台は<青春群像劇>に似た<数学者群像劇>と言えるだろう。 中心人物はG・H・ハーディとJ・E・リトルウッドの二人の数学者だが、A・M・チューリングやインドの天才数学者S・ラマヌジャンも登場する。 さらに両大戦に於ける科学者の行動批判、同性愛問題、特異な能力を持つ人物など、多様な人々や事件が絡み合う。 ただし背景が散漫になり主人公が誰なのかがぼやけてしまう流れもあった。 群像劇風らしい長所と短所が同時に現れていたように思う。 とはいえ、この「散漫さ」こそが、時代や社会そして数学という真理の中で、葛藤し生きる多様な人間の「存在証明」を丸ごと描き出そうとしていたのかもしれない。 *俳優座公演No.361 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/29206/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、眞鍋卓嗣 ・・ 検索結果は5舞台 .

(キャンセル)■能楽堂十一月「禰宜山伏」「養老」

*国立能楽堂十一月普及公演は下記□の2舞台. □狂言・和泉流・禰宜山伏(ねぎやまぶし)■出演:小笠原由祠,能村晶人,山下浩一郎ほか □能・金春流・養老■出演:高橋忍,中村昌弘,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.11.8 ■体調不良のためキャンセルする。 近頃、不安定な状況が続いている。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7031/

■能楽堂十一月「饅頭」「俊寛」

*国立能楽堂十一月定例公演□の2舞台を観る. □狂言・大蔵流・饅頭■出演:山本則秀,山本則孝 □能・観世流・俊寛■出演:観世清和,林喜右衛門,井上裕之真,宝生常三ほか ■国立能楽堂,2025.11.5 ■「饅頭(まんじゅう)」は客の要請に応じて饅頭売りが自ら商品である饅頭を食べてしまう話である。 しかし客は代金を支払わない。 商いの仕組みが崩れる瞬間を描いており、饅頭売りの複雑な無念さが伝わってくる。 他狂言とは一味違い、商売について考えさせられた。 「俊寛(しゅんかん)」はいつのまにか知っていた物語の一つである。 おそらく小説や映画などから得た知識だろう。 シテ役の観世清和は剛直な俊寛を力強く演じていた。 船が離れていく別れの場面でも、感情より理性が勝っているようにみえた。 このような俊寛像も能の舞台に相応しいのだと納得した。 シテ面は「俊寛(日永作)」。 遥か彼方に消えていく船をじっと見つめているような面だ。 なぜこの作品に専用の面があるのか、その理由が少し分かった気がした。 どのような俊寛を演じても面に向かって収束していくからだ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7030/

■PLANET(wanderer)

■振付:ダミアン・ジャレ,美術:名和晃平,音楽:ティム・ヘッカー, 照明:吉本有輝子,衣装:スルリ・レヒト,出演:ショーン・アハーン,エミリオス・アラボグル,湯浅永麻ほか ■東京芸術劇場・プレイハウス,2025.11.1-3 ■・・銀色に輝く8人のダンサーが暗闇のなかを蠢くように動いていく。 彼らはゆっくりと身体を前後に揺らし、歩き、捩じり、くねらせる。 ノイズに近い信号のような音楽が流れ続けるが、途中には宗教的な響きを感じさせる旋律も挿入され、日本の雅楽のような音も聴こえてくる。 終幕、天井からドロドロした液体のようなものがダンサーに降りかかり、彼らの動きは静止する・・。 ・・! ダンスというより美術作品に近い印象を受けた。 まるで動く彫刻のようだ。 ダミアン・ジャレの作品は今回は初めてだが、名和晃平の作品は何度か鑑賞している。 ジャレと名和の力関係は分からないが、今回の舞台は名和の美術的な意向が強く反映されているように感じた。 ジャレの他の作品を観てみないと断言はできないが。 銀粉を纏ったダンサーのゆっくりした動きは、まるで異星人のようだ。 銀という色は宇宙を連想させる。 銀は未来、金は過去の象徴だ。 未来の人間はエイリアンとなり、暗い銀河を彷徨う存在になるのだろうか? 舞台を観ながら、そんな想像が浮かんできた。 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater376/

■THE LONG STRONG HAPPY DEATH

■演出:北村明子,音楽ディレクター:横山裕章,出演・振付:井田亜彩美,黒田勇,鈴木ユキオ他 ■シアタートラム,2025.11.1-3 ■観客層は女性が7割ほどだろうか。 学生と思しき若い人も多く見受けられた。 舞台が始まり、まず北村明子が登場する。 過去の舞台が脳裏に甦る。 彼女の舞踊は武術的な要素を感じる。 切れ味が鋭く加速度のみえる動きは、まるで武術の型のようだ。 詳しくはないが、そう思わせる力がある。 続いて7人のダンサーたちが舞台を駆け巡る。 時折、一人の老人が歌唱や詩の朗読をしながら歩き回る。 また、東南アジアらしい都市や海の風景が映像として映し出される。 しかし、ダンサーたちは切れ味のある動きを控えている。 むしろ日常の延長のような鈍くて激しい動きが多い。 子供が真剣にはしゃいでいるようにもみえる。 格闘を思わせるような挑発的な振付もあり、観る者に迫ってくる。 背景に映し出される静寂感のある詩句とは対照的なダンサーの動きに戸惑いを覚えた。 「此岸と彼岸の混ざり合う世界、微かな呼吸と音の粒が、ひとつのざわめきとして始まろうとしている」、・・、「声も名も持たない者たちが、ただそこに在る、何も共有しないまま、同じ空気を吸い、やがてそれぞれの夢へと帰っていく」。 これは資料に記されたストーリーの始まりと終わりである。 観終えた時、この激しく燥ぐ姿こそ<法>を外れたアジアの踊りであり姿なのだと、振付家がそう語り掛けているように聴こえた。 アジアの生と死の境界が舞台に甦ってきた。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/29734/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、北村明子 ・・ 検索結果は6舞台 .

■オルフェオとエウリディーチェ

■作曲:C・W・グルック,演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,舞踊:ヤン・ブリダール,マリ=アニェス・ジロ他,歌唱:マリア・リッカルダ・ヴェッセリング,ユリア・クライター他,舞団:パリ・オペラ座バレエ団,合唱:バルタザール・ノイマン合唱団 ■アマゾン・配信(パリ・オペラ座・ガルニエ宮,2008.2収録) ■ヴッパタール舞踊団が11月に来日するが都合がつかず観に行くことができない。 代わりに、と言っては語弊があるかもしれないが「オルフェオとエウリディーチェ」を観ることにした。 この作品はダンスに歌唱が加わった「ダンスオペラ」に分類される。 歌手も舞台に登場しダンサーに寄り添うように歌う。 12月の新国立劇場オペラ公演でも勅使川原三郎の振付でダンサーが登場する。 ダンスと相性が良いオペラ作品だ。 今日は映像で鑑賞したが歌唱の字幕表示が無かったのは残念。 粗筋は知っているものの、理解の深まりや感情移入が半減してしまう。 それ以上に驚いたのは、舞台の雰囲気がピナ・バウシュのイメージとは大きく異なっていたことだ。 振付家の名前が伏せられていたら彼女の作品だとは気が付かなかったと思う。 18世紀の作品を題材にしたことで、ピナ自身が現代作品と区別したのかもしれない。 1幕からギリシャ風の神聖な振付が続く。 象徴的な生と死、平和や暴力が描かれていく。 2幕ではワンピース衣装で踊る妖精たちの姿に、おもわずマーサ・グレアムを思い出してしまった。 これはマーサの舞台に近い? マーサは人間の不安や葛藤を抽象的で硬質な動きで表現する。 一方、ピナの振付には滑らかさがある。 マーサが<剛>ならピナは<柔>。 その違いがみえる。 そして終幕、オルフェオとエウリディーチェは結局生き返らなかったのだろうか? 結末が曖昧で戸惑いが残る。 それにしてもピナの新たな一面を垣間見たような舞台だった。 マーサ・グレアムとの比較ができたことも楽しい。 カーテンコールでピナが登場したことにも感激。 でも、彼女はこの翌年に亡くなってしまった・・。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ピナ・バウシュ ・・ 検索結果は3映像(含む関連舞台).

(キャンセル)■少女仮面

■作:唐十郎,演出:丸山厚人,音楽:小室等,出演:原田麻由,時津真人,那須野恵ほか ■雑遊,2025.10.27-11.3 ■予約をしていたが体調不良でキャンセルをする。 丸山厚人演出は初めてなので観ておきたかった。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、丸山厚人 ・・ 検索結果は2舞台 .

■キャストシャドウ

■演出:ラファエル・ポワテル,照明・美術:トリスタン・ボドワン,作曲:アルチュール・ビゾン,出演:ティア・バラシー,モハメド・ラリブ,ニコラ・ルーデル他,舞団:カンパニー・ルーブリエ ■世田谷パブリックシアター,2025.10.24-26 ■客席を見回すといつもの観劇時と違う客層が目についた。 老若男女は混ざり合っているものの、平均年齢は50歳を越えているように見受けられ、予想以上に高い。 服装も多様で統一感が無いのが印象的だ。 舞台は、暗さをはらんだ刺激的な照明と夥しいスモークで満たされた無彩色の空間で始まる。 天井から降りてきた網を使ってブランコを始める幕開きには緊張した。 科白が入り、どうやら家族問題を扱っているらしいことが分かってくる。 なかでも父と娘の関係が悪く「(父が)大嫌いだ!」と娘は言い放つ。 その理由は舞台では語られない。 家族会議、電話の受け答え、カウンセリング、立ち話など、些細な日常生活が展開していく。 しかし科白は断片的でストーリーの全体像は掴みにくい。 途中にダンスのような場面が挿入され、人物が走り回り、転げ回る動きが繰り返される。 場面展開は照明とスモークのみで行われる。 この二つの使い方は巧妙で、人物が突然現れたり消えたりする演出が可能になる。 特に、影を利用した動きは深みがあり面白かった。 しかし、こうした視覚的な演出が続くだけでは次第に飽きがくる。 終幕で父が発する「許してくれ、娘!」という科白も突発で、なぜ今その赦しを求めるのかその理由が語られないままだ。 昔ながらの照明の使い方とスモークを背景にした単純なダンス、断片的な会話、そして空中ブランコ・・。 古臭さは気にならないのだが、それ以上に舞台全体に「物足りなさ」を感じてしまった。 日常的な家族問題というテーマを扱ったことが、劇的な舞台表現として弱かったのかもしれない。 舞台上の「キャストシャドウ」は見応えがあったが、物語としての「キャストシャドウ」は不発に終わったという印象だ。 ところで、最初に受けた客層の違和感は、この舞団が持つ保守性(サーカス・家族・無彩色などからくるノスタルジー)と、どこか繋がっていたのかもしれない。 *世田谷アートタウン2025関連企画作品 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25028/ *「フ...