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■ファウストの劫罰

■原作J・W・ゲーテ(ファウスト),作曲:H・ベルリオーズ,指揮:マキシム・パスカル,出演:池田香織,山本耕平,友清崇,水島正樹,管弦楽:読売日本交響楽団,合唱:二期会合唱団,NHK東京児童合唱団 ■東京芸術劇場・コンサートホール,2025.12.13-14 ■上演がセミ・ステージ形式のため迷わずチケットを購入した。 オペラは指揮者や演奏の姿が見えなければ楽しさは半減する。 ピットに隠れてしまうと音響も籠りがちだ。 その点、演奏と歌唱が舞台上にあることで観客は自由に場面を想像ができる。 歌手の演技は控えめな方が理想的だと感じる。 初めて観る作品だったが舞台は充実していた。 演奏も合唱も大編成で迫力があり、歌手たちも一回限りの上演に熱を込めていた。 ベルリオーズのようなロマン派作曲家はやはりゲーテの世界に相応しい。 「壮大なゲーテ文学を余すことなく表現した!」という広告文の通りであった。 「・・崇高な自然は私の限りない憂愁を止めてくれる」。 ファウスト博士は地獄へ落ちる直前にそのことに気が付くが、しかし、彼が自死を試みた以前から自然は常に眼前にあったのだ。 それを真に見出すには、マルグリートと言う女性を通さなければならなかった。 教会の鐘や復活祭ではファウストの心を救うことができなかったのである。 彼の自然観がおもしろい。 一方で、「ベルリオーズの傑作を圧倒的な映像美とともに贈る」という広告文には疑問を持った。 舞台背景にはストーリーに沿った映像が延々と映し出されたが、これが音楽的想像力を防げてしまった。 「ラコッツィ行進曲」では現代の軍隊行進や戦車などの兵器が、「ネズミの歌」では鼠が這い回り、デュオではスマホのLINE対話画面が映し出される。 こうした一方的な映像は舞台の雰囲気を壊していたように思う。 しかし「フランス音楽の若き旗手マキシム・パスカルと待望の読響とのタッグが実現」という宣伝文には大いに満足した。 パスカルの指揮を生で見るのは初めてだったが、フランケンシュタインのような独特な動きが楽しく、演奏も十二分に堪能できた。 期待以上の舞台であり心から満足した。 *東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ *二期会、 https://nikikai.jp/lineup/faust2025/

■ガラスの動物園

■作:テネシー・ウィリアムズ(翻訳:小田島雄志),演出・美術:長野和文,劇団:池の下 ■劇場MOMO,2025.12.12-14 ■繰り返し観ている作品だが、そのたびに新しい感想を抱かせてくれる。 栄光にしがみつく母、現実から逃避する娘、葛藤を抱える息子、そのガラスの家族を揺り動かす友人。 演出や役者の些細な科白や演技の違いが舞台を微妙に振動させ、観る者の心に深く響いてくる。 母アマンダはこれほどまでに饒舌だったのか! 息子トムはこんなにも母に強く当たっていたのか! 娘ローラと友人ジムはこれほどまでに近づけたのか!  今回の舞台はいつも以上に強弱が鮮明で四人それぞれの積極性が際立っていた。 母も娘も、その後の苦難を乗り越えていくかのように見えたが・・。 演出家の挨拶文から、この見え方は背景の社会情勢に比例させたのかもしれない。 多少の違いはあれ、誰もが身に覚えのある感情ばかりである。 今回もまた、心を大きく揺り動かされた。 *池の下-始動30年記念,第31回公演・海外作品シリーズ *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/403819 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、長野和文 ・・ 検索結果は3舞台 .

■スリー・キングダムス

■作:サイモン・スティーヴンス,翻訳:小田島創志,演出:上村聡史,出演:伊礼彼方,音月桂,夏子ほか ■新国立劇場・中劇場,2025.12.2-14 ■劇場に入ると空席が目立ち、客席はおおよそ半分しか席が埋まっていなかった。 もともと締まりのない劇場空間のため、空席があるとさらに密度の薄い印象を受ける。 スタッフもその点を意識したのか、舞台の四方に壁を設けて観客の集中を高めようとしていた。 物語は殺人事件を捜査する刑事が主人公らしい。 結末は知らない方が面白いと考えて事前情報はあえて集めずに観劇した。 しかし予想以上に登場人物が多く、細部を把握するのが厄介だった。 それ以上に印象的だったのは科白の「ブロークン」な言葉使いである。 やたら<クソ>を付けて強調する。 「クソつまらない」「クソやかましい」など。 さらに<匂>への言及も多い。 「サクランボのスムージーの匂が・・」「体臭が・・」「ソーセージパイの・・」と言った具合だ。 ビートルズの話題も煩雑に登場する。 英語・ドイツ語・エストニア語を通訳者を介して繰り返す遣り取りは、すべて日本語だが、どこか新鮮! こうした言葉や文化の背後では、ソビエト時代から続くヨーロッパの緯度格差が性産業へ向かう姿として生々しく描かれていく。  この作品は芝居より映画が映えるのではないだろうか? 監督ならデイヴィット・リンチ系がふさわしい。 実際、チラシにも「インランド・エンパイア」に影響を受けたと記されていた。 さらにストーリー展開からアラン・パーカー監督の「エンゼル・ハート」も思い起こす。 闇世界への儀式も描かれているからだ。 作品には多くの要素が詰め込まれており、舞台はそれらを提示していたが、観客としては入口で立ち止まっているような感覚が残った。 そのため、善悪の溶解から主人公ストーン刑事が拳銃で自殺する結末も納得できない。 面白さはあるものの、どこか半煮えのような観後感が残った。 上演時間3時間の中での選択と集中がより必要ではないだろうか。 *NNTTドラマ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/threekingdoms/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、上村聡史 ・・ 検索結果は9舞台 .

■ロボット、私の永遠の愛

■演出・振付・テキスト:伊藤郁女 ■新国立劇場・小劇場,2025.12.5-7 ■舞台上には6m四方の仮舞台が設けられ、そこに大小五つの四角い穴が開いている。 出演者はその穴から出入りし、道具類もそこから出し入れされる。 伊藤郁女による独舞である。 ピアノ演奏などを背景に、2016年初頭からの彼女の日記と思われる言葉が読み上げられる。 耳を傾けると、公演のための移動に追われる多忙な日々がみえてくる。 「休むことができない」。 空港や機内、タクシーやホテルでの遣り取り、両親との会話、子供の教育などが次々と語られていく。 「なにも無い時間が欲しい」と切実な声が響く。 伊藤はロボットのような振付で踊る。 コルセットの一部を顔や肩、腕や足に付けたり外したりしながら舞う姿はまるでロボットのようだ。 忙しく働くからロボットなのか、働き過ぎてロボットになってしまったのか、その両方が重なってみえる。 彼女はロボットの意志を受け入れ、自らロボットであることを選んだのではないか? タフな精神力を感じさせる踊りに、そう思わずにはいられない。 タイトルからもその印象が強まる。 「孤独について、死についてどう思うか?」。 途中、観客に重い問いを投げかける場面があった。 突飛な問いに一瞬戸惑ったが、それはロボットとの関連ではなく、彼女自身の日常から生まれた問いなのだろう。 観客の幾人かが柔軟に答え、その交流のなかで彼女はロボット的存在から抜け出していったように見えた。 60分という短い上演だが、 減り張りの効いた振付を十分に楽しめた。 師走を迎える前に心の燃料を補給できたような気持ちになった。 *NNTTダンス2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/dance/robot/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤郁女 ・・ 検索結果は3舞台 .

■古事記

■原作:鎌田東二,演出:レオニード・アニシモフ,劇団:TOKYO・NOVYI・ART ■梅若能楽学院会館,2025.12.6 ■能楽堂の上演では能舞台の形式に合わせる構成が多い。 演奏と歌唱を担当する六人が囃子座に並び、歌唱専門の一人が大太鼓を持って地謡座に座る。 白装束に顔を白く塗った十二人の演者が橋掛りから入場し、ゆっくりした動作で演じ始める。 演者はほとんど動かず、その科白は歌唱に近い調子で語られる。 進行役は地謡座の一人が務めていた。 物語はイザナキとイザナミの神話を題材にしているようだ。 ・・二人は泥水を掻き回して島をつくり、結ばれて子をもうけるが、妻イザナミは命を落としてしまう。 イザナキは黄泉の国へ赴くも、そこで仲違いしてしまう。 続いて、イザナキの身からアマテラスとスサノオがつくられる。 しかしスサノオの奔放な振舞により、アマテラスは岩屋に隠れてしまう。 そこで八百万の神々が宴を開き、岩屋の扉を開ける・・。 鎌田東二の原作は未読だが、古事記との違いは舞台を観てもよく分からなかった。 むしろこれは演劇というより儀式に近い印象を受けた。 神話を素朴に感じることはできたが、儀式とは何かが上手く言えない。 原作に答えがあるのだろうか? この劇団による「源氏物語」を同じ舞台で観たことがあるが、今回の舞台は形式的にはよく似ていた。 ただし違いは科白の深さにある。 神話の科白は解説になりがちで、しかも肝心の<歌>が十分に熟成していない。 これが舞台を平凡にしていた要因かもしれない。 *鎌田東二氏追悼公演. *劇団、 https://tokyo-novyi.com/about-us/repertory-works/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、レオニード・アニシモフ ・・ 検索結果は14舞台 .

■能楽堂十二月「塗附」「江口」

*国立能楽堂十二月定例公演□の2舞台を観る. □狂言・和泉流・塗附■出演:野村万禄,小笠原由祠,河野佑紀ほか □能・喜多流・江口■出演:香川靖嗣,大日方寛,野村万蔵ほか ■国立能楽堂,2025.12.3 ■「江口(えぐち)」は観阿弥の原作を世阿弥が改作した作品である。 舞台はゆったりとしたテンポで進み上演は2時間に及ぶ。 前場では西行法師と江口の君の贈答歌を巡り、里女と旅僧の問答が続く。 後場では仏教用語が次々と語られるなか、江口の君がそれを解釈していく。 そして終幕、君が普賢菩薩の姿となり西の空へと消えていく。 遊女が普賢菩薩へと昇華する劇的な展開もあるが、舞台の中心は和歌問答や仏教的摂理の説明に置かれているように感じられた。 言葉から身体へと変身できるかが、この舞台の要であろう。 しかし問答や説明がやや長く、劇的な要素が薄まってしまった印象もある。 作者親子は作品に言葉を詰め込み過ぎたのかもしれない。 面はともに「小面(こおもて)」。 「塗附(ぬりつけ)」は古くなった烏帽子を塗師に塗り直してもらうという話である。 慌ただしい師走を感じさせる舞台であり、今年を振り返る時期に差し掛かったことを思い起こさせてくれた。 *能作者のまなざし-観阿弥-特集 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7035/

■能楽堂十一月「起請文」「玉ノ段」「隠狸」「石橋」

*国立能楽堂十一月企画公演□の4舞台を観る. □独吟・観世流・起請文■出演:観世銕之丞 □仕舞・観世流・玉ノ段■出演:梅若紀章ほか □狂言・和泉流・隠狸■出演:三宅右近,三宅近成 □能・金剛流・石橋(和合連獅子)■出演:金剛永謹,金剛龍謹,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2025.11.29 ■「起請文(きしょうもん)」は能「正尊(しょうそん)」からの抜粋である。 独吟はややスローテンポになりがちだが、義経と弁慶の前で起請文を読み上げる頼朝の刺客・正尊の姿を思い描くことで緊張感が高まる。 さすが三読物の一つであり、重厚な余韻が残った。 「玉ノ段(たまのだん)」は能「海士(あま)」の一場面を描いている。 龍宮で宝珠を奪還するため死を覚悟した海女は、故郷を思い、観音菩薩に祈りを捧げ、珠を奪い、自らの命を絶ちつつ、乳の下をかき切って珠を埋め込み、地上へと戻る。 圧倒する展開に身を委ねるほかない。 「隠狸(かくしだぬき)」は狸を釣りそれを売買する筋立てだが、それ以上にシテとアドが酒盛りをしながら舞う場面が愉快で印象的だ。 縫いぐるみの狸には思わず笑いがこぼれる。 「石橋(しゃっきょう)」の前場では石橋とその周囲の厳しい風景が語られる。 法師や仙人でさえ渡るのをためらう描写に、観客も思わず納得してしまう。 後場の「獅子」はこの過酷な風景、文殊菩薩の浄土からやって来たからこそ輝くのだろう。 面は前シテが「小尉(こじょう)」、後シテが「獅子口」、ツレは「小獅子」。 前シテと仙人は、どこか漫画に登場するような顔(面)にみえてしまい親しみを感じた。 1879月8月18日、岩倉具視邸で天覧能が開催された際の演目を再構成したのが今回の公演内容であるという。 歴史的背景を踏まえた舞台は充実しており心から満足できた。 *明治時代と能・岩倉具視生誕200年公演 *2025年第80回文化庁芸術祭主催公演 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7034/

■鼻血

■作・演出:アヤ・オガワ,出演:アシル・リー,カイリー・Y・ターナー,塚田さおり他 ■新国立劇場・小劇場,2025.11.20-24 ■「鼻血」というタイトルは一見ぱっとしないが、劇場に入ると松田聖子などアイドル歌謡曲が大音量で流れ活気に満ちていた。 観客には常連と思われる高齢者も多く見受けられたが、若い世代を呼び込みたいという意図は役者たちの表情からも感じられる。 この舞台は演出家アヤ・オガワ自身を主人公に据え、家族との関わりを題材にしている。 アメリカの日常が舞台上に描かれ、父とのぎくしゃくしていた関係が語られていく。 特に父の葬儀の詳細を話題することは興味深い。 登場人物は複数の役者によって交互に演じられ、演技は新鮮で巧く練り上げられている。 その工夫が舞台にリアルさをもたらしているのだろう。 さらに観客との友好的な遣り取りを重視している点も特徴である。 アヤは父との関係を悔いているが、私自身も少しは経験を持つので次第に共鳴していった。 火葬場での「骨上げ」の場まで取り上げられ、観客から八人が選ばれて実際に参加する演出には驚かされた。 看取りや葬儀を経験してきた者にとっては、亡き両親や親族の顔が自然と思い浮かぶ流れだ。 親が健全な若い観客と、高齢の観客とは受け止め方が大きく異なる芝居かもしれない。 過去に戻り、そこから未来(現在)を見つめ直すような複雑な感慨が押し寄せてくる舞台だった。 *NNTTドラマ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-nosebleed/

■ニューヨーク・シティ・バレエinマドリード

*下記□の3作品を上映. □セレナーデ■音楽:P・チャイコフスキー,振付:ジョージ・バランシン □スクエア・ダンス■音楽:A・コレッリ,A・ヴィヴァルディ,振付:ジョージ・バランシン □ザ・タイムズ・アー・レーシング■音楽:D・ディコン,振付:ジャスティン・ペック (3作共に出演:ニューヨーク・シティ・バレエ団,指揮:クロチルド・オトラント,アンドリュース・シル,演奏:レアル劇場管弦楽団) ■NHK,2025.10.20-(マドリード・レアル劇場,2023.3.23-25収録) ■「セレナーデ」はチャイコフスキーらしい旋律に沿った作品である。 彼のバレエ作品には寂しさが漂う。 ここが好きな理由なのだが、当作品は違い、温かみを感じさせる。 象徴的な場面もあり神秘的な雰囲気が印象的だった。 3作の中では最も心に残り、バランシンのロシア時代を思い起こさせる。 「スクエア・ダンス」は時代が遡る。 バランシンのニューヨーク時代の作品にちがいない。 彼の得意とする「プロットレス・バレエ」の典型と言えるだろう。 「ザ・タイムズ・アー・レーシング」は現代的な感覚に満ちている。 「ウエスト・サイド・ストーリー」を軽快にアレンジしたような印象を受け、振付家ジャスティン・ペックらしい斬新さが際立っていた。 ニューヨーク・シティ・バレエ団を観るのは数十年ぶりだ。 団は2023年秋に創立75周年を迎えたと知り、今回は創立者の一人である振付師ジョージ・バランシンを讃える意味合いも込められているのかもしれない。 *記事、 バレーニュースダイジェスト2023.10.13

(キャンセル)■レミング

■作:寺山修司, 演出:J・A・シーザー,出演: 髙田恵篤,伊野尾理枝,小林桂太ほか,劇団:演劇実験室◉万有引力 ■スズナリ,2025.11.14-23 ■都合により行けなくなってしまった。 チケットはゴミ袋へ。 この作品は過去に何度も観ているので今回は諦めよう。 *演劇実験室万有引力第79回本公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/408076 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、J・A・シーザー ・・ 検索結果は13舞台 .

■シッダールタ

■原作:ヘルマン・ヘッセ,作:長田育恵,演出:白井晃,音楽:三宅純,出演:草彅剛,杉野遥亮,瀧内公美ほか ■世田谷パブリックシアター,2025.11.15-12.27 ■白井晃と草彅剛の名前に惹かれてチケットを購入した。 過去に二人が関わった舞台が面白かったからだ。 劇場に入ると、客席の8割が20代から40代の女性で占められている。 贔屓筋だろうか? 幕が開いて、舞台装置に目をやると、フライパンを半分に切ったような構造が目を引く。 周囲の急な坂(壁)を演者が滑り落ち、中央の平らな舞台で演技をする。 その坂には映像も投影され、視覚的な効果が印象的だ。 ・・物語は古代インド、一人の青年が放浪の旅をする話である。 「自我の解放」「輪廻転生からの解脱」「涅槃への到達」、テーマは多義にわたる。 終幕では河の畔に辿り着き、そこで無我らしき境地に至る・・。 仏教的な内容だが、科白はこなれていて分かり易く、リズムもあり、役者の声がすんなりと耳に入ってきた。 まとまっていたが、展開が速く早回しで観ている感じも否めない。 ヘッセについては詳しく知らなかったので、帰りにプログラムを購入する。 解説によれば、この作品はヘッセ自身の精神的彷徨の集大成だという。 舞台装置を演出家は「思考の穴ぼこ」と呼び「その穴に他者や社会が流れ込み、この世界にどう生きるかを問う」と語っている。 演出家自身もこの構造が気に入っているようだ。 また主人公がゴータマ・ブッダの教団に入らなかった理由について作者・長田育恵が書いている。 自我が肥大化するのを恐れたらしい。 現代社会でも教団が敬遠されがちなことと重なるのかもしれない。 今日の舞台を観て、自身の人生を見つめ直すきっかけにするのもよいだろう。 ただ、内容としては当たり障りのない印象も残った。 <教養小説>ならぬ<教養演劇>と呼ぶのに相応しい舞台だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25224/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、白井晃 ・・ 検索結果は21舞台 .

■ヴォツェック

■作曲:アルバン・ベルク,指揮:大野和士,演出:リチャード・ジョーンズ,出演:トーマス・ヨハネス・マイヤー,ジョン・ダザック,伊藤達人ほか,管弦楽:東京都交響楽団,合唱:新国立劇場合唱団,TOKYOFM少年合唱団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.11.15-24 ■この作品は観るたびに気が滅入る。 しかし今回は新制作ということで、あえてチケットを購入した。 幕が替わるごとに張りぼての家々が広い舞台を動き回る。 ベニヤ板で作られている為か、軽く乾いた質感を放っている。 カーキ色の軍服も、軍隊のダンスも、これに呼応し舞台全体を乾燥させているようだ。 湿気を帯びた重苦しいドイツ表現主義から脱皮し、演出家の力でドイツからイギリスへ舞台が移動したかのように感じられた。 そのためかテノールの鼓手長と大尉はこの乾いた空間に響き合い、声が鮮明に耳へ届く。 一方で湿り気を帯びたタイトルロールはバリトンであるためか、やや控えめに感じられた。 ヴォツェックの口癖である<貧乏>という湿った言葉も空間で乾いていくようだ。 それでも、また気が滅入ってしまったが、上演時間90分と短いことが救いとなっている。 演出家の<乾>とタイトルロールの<湿>の組合せこそ、新制作の鍵であると感じた。 相反する二つの相乗効果は何とも言えないが・・。 それよりも、何より演奏が素晴らしい。 大野和士指揮のもとでの略無調オペラの醍醐味を存分に味わうことができた。 *NNTTオペラ2024シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_030662.html

■チェーホフを待ちながら

■原作:アントン・チェーホフ,脚本・演出:土田英生,出演:山内圭哉,千葉雅子,金替康博ほか ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2025.11.12-16 ■チラシには「チェーホフの初期一幕劇、「熊」「煙草の害について」「結婚申込」「余儀なく悲劇役者」を大胆に潤色し、オムニバス形式で上演・・」とある。 これら4作は未見のため興味をもってチケットを購入した。 一幕劇の合間に挿入される寸劇がユニークだ。 旅人らしき人々がアントンを待っているところへ、ゴドーと名乗る男が現れる。 そして旅人たちは夫々の一幕劇を演じ始める・・。 4作品はいずれも喜劇で笑いが途切れることはない。 背景は現代に置き換えているが、しかし笑いの源泉はどこか時代遅れに感じられる。 おそらく19世紀末の日常を描き直しているからだろう。 そのため作家名を伏せればチェーホフ作品とは気づかない。 舞台は肩の力を抜いて楽しめるが、同時にどの作品も時代の狭間を漂っているようにみえた。 終幕、一幕劇を演じた旅人らはゴドーと共に、アントンを探しに道の先へと進んでいく・・。 ゴドーとアントン、宙吊り感覚が好きな二つの名前は、寸劇のように重なっていくのかもしれない。 *まつもと市民芸術館プロデュース作品 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/chekhov *「ブログ検索」に入れる語句は、土田英生  ・・ 検索結果は6舞台 。

■存在証明

■作:長田育恵,演出:眞鍋卓嗣,出演:志村史人,野々山貴之,保亜美,清水直子ほか,劇団:俳優座 ■シアタートラム,2025.11.8-15 ■公演チラシによれば数学の未解決問題であるリーマン予想を題材にしているらしい。 劇団パラドックス定数が好みそうなテーマであり、俳優座としては珍しい演目だ。 今回は題材と演出家に惹かれてチケットを購入した。 リーマン予想を予習をして劇場に向かったものの、素数分布を決定する公式は素人の私には難解で理解しきれない。 なぜリーマンはゼータ関数を素数の解決に選んだのか? そこに複素数の導入を思い立ったのか? 解析接続で座標を広げたのか? 彼の発想経緯に感心してしまう。 場内を見渡すと、俳優座ファンと思われる年配の男性が目立ち、くたびれたジャケット姿が独特な雰囲気を作り上げていた。 舞台は三方を壁で囲み、何もない空間から始まる。 必要に応じて壁が開き本棚や机などが現れては消え、場面転換が巧みに行われる。 役者も同様にリズミカルに入退場する。 途中休息を挟み約三時間と長丁場だったが、謎を追うストーリーに巻き込まれ、最期まで集中して観ることができた。 舞台は<青春群像劇>に似た<数学者群像劇>と言えるだろう。 中心人物はG・H・ハーディとJ・E・リトルウッドの二人の数学者だが、A・M・チューリングやインドの天才数学者S・ラマヌジャンも登場する。 さらに両大戦に於ける科学者の行動批判、同性愛問題、特異な能力を持つ人物など、多様な人々や事件が絡み合う。 ただし背景が散漫になり主人公が誰なのかがぼやけてしまう流れもあった。 群像劇風らしい長所と短所が同時に現れていたように思う。 とはいえ、この「散漫さ」こそが、時代や社会そして数学という真理の中で、葛藤し生きる多様な人間の「存在証明」を丸ごと描き出そうとしていたのかもしれない。 *俳優座公演No.361 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/29206/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、眞鍋卓嗣 ・・ 検索結果は5舞台 .

(キャンセル)■能楽堂十一月「禰宜山伏」「養老」

*国立能楽堂十一月普及公演は下記□の2舞台. □狂言・和泉流・禰宜山伏(ねぎやまぶし)■出演:小笠原由祠,能村晶人,山下浩一郎ほか □能・金春流・養老■出演:高橋忍,中村昌弘,福王知登ほか ■国立能楽堂,2025.11.8 ■体調不良のためキャンセルする。 近頃、不安定な状況が続いている。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7031/