■能楽堂一月「三本柱」「百万」

*国立能楽堂一月普及公演□の2舞台を観る.
□狂言・和泉流・三本柱■出演:松田高義,野村信朗,奥津健一郎,井上蒼大
□能・喜多流・百万■出演:狩野了一,塩津希介,野口能弘,井上松次郎ほか
■国立能楽堂,2025.1.10
■プレトーク「「狂ひ」ということ、そして「百万」という名の意味するもの」(林望)を聴いた。
講師は、「百万とは念仏などを百万回唱えることであり、その反復によってエクスタシー(法悦)状態に入ることができた」「シテである百万はシャーマニズム(巫術)におけるシャーマン(巫女)の位置にある」「清凉寺はセアンス(降霊)の場になっている」「シテの百万は子供を失って狂ったのではなく、子と再会する機会を増やすためシャーマンになり<狂う>ことにした」などを解説する。
「百万」は観る側に一定の集中力を求める作品である。 変化のある「次第」はともかく、「車の段」「笹ノ段」、そして「クセ」へと進むにつれ、母の心情がひたすら吐露されていく。 しかし「「カケリ」「クルイ」といった狂乱を表す場面がなく、さらに「クセ」は地謡が多くを担うため、母の狂気が醒めて見え、感情移入が難しい。 舞台に意識を向け、一句一句のイメージを自ら立ち上げていく姿勢が求められる。 シテ面は「曲見(しゃくみ)」。
「三本柱」は正月にふさわしく明るい作品である。 新しい蔵の柱を三人のアドが知恵を絞って持ち帰り、それをシテ(果報者)が褒め称えるという筋立てで、四人のはしゃぐ姿には素直に同調できた。