■能楽堂九月「墨塗」「花筐」
*国立能楽堂九月普及公演の□2舞台を観る.
□狂言・大蔵流・墨塗■出演:茂山千五郎,茂山逸平,茂山茂
□能・宝生流・花筐(小書:大返,舞入)■出演:朝倉俊樹,小倉伸二郎,大日方寛ほか
■国立能楽堂,2025.9.13
■「花筐(はながたみ)」のプレトーク「恋することは狂うことか?」(山中玲子解説)を聴く。
・・物狂いは2種類ある。 それは「憑物」と「思い」である。 夢幻能が登場して「憑物」は衰えた。 物狂いは男から母そして若女へと時を辿った。 「狂う」も現代的意味と<芸能を演じる>という2つの意味がある。 両意味を巧みに組み合わせることが多い。 当作品もこれに沿う。 世阿弥の狂物は前場が短く後場が長い、しかも時空が飛ぶ・・。 などなどを語る。
「墨塗」(すみぬり)」も物狂いと言えなくもない。 演劇の通底には物狂いが蠢いているのを感じる。
「花筐」はトークにもあったが面白い構造だ。 「ツレを連れた狂物はこの作品だけ」と言っていたのも思い出す。 双子のようなシテとツレは見応えがあった。 面はシテが「節木増」ツレ「小面」。 しかし「李夫人の曲舞」は頂けない。 ここで物語が途切れてしまった。 漢武帝と李夫人、皇子と照日前、二組の関係はあらゆる面で違うように思える。 世阿弥はどのように考えていたのだろうか?