■能楽堂一月「皸」「船橋」

*国立能楽堂一月普及公演の次の□2舞台を観る.
□狂言・大蔵流・皸(あかがり)■出演:善竹十郎,善竹大二郎
□能・喜多流・船橋■出演:塩津哲生,佐々木多門,福王和幸ほか
■国立能楽堂,2023.1.14
■皸は今はアカギレと読む。 皸の太郎冠者が川を渡ることになったが水は見たくもない。 川には橋が架かっていないらしい。 次の「船橋」も水と橋の話だ。
プレトーク「力動風鬼から砕動風鬼へ、世阿弥による「船橋」改作の意図」(大谷節子解説)を聞く。 猿楽談義、万葉集の男歌と女歌、役優婆塞(えんのうばそく)と山伏などを話題にする。
でも男がなぜ成仏できないのか腑に落ちない。 それにしても良い舞台だった。 詞章に意味的な深みは有るが、崩れないユッタリとしたリズムが心地よい。 シテ・ワキ・地謡の連携に淀みがない。 さすが世阿弥!と言って良いのか?
しかし鬼であるが人でもある砕動風鬼は両者を同時に表現しなければいけない。 鬼が弱いように思えた。 「古びた松が風に靡いているように・・」と語った世阿弥がこれを観たら何と言うだろうか? 後シテの面は「筋怪士(すじあやかし)」。
*追記・・日経1月24日夕刊に「船橋」の批評が載る. 評論家村上湛だが内容に頷いてしまった.